いかさま、ということで思い出すのは、大江健三郎である。彼は、最近世間を騒がせている北朝鮮拉致問題について、何も語っていないようだ。
何人かの友人に確認したのだが、そういう記事や文章を読んだことがない、と言っていたから、南雲翁の寡聞が原因ではないようである。
では、何故、南雲翁が、大江健三郎に北朝鮮問題について語ってほしいかというと、かつて彼は、「北朝鮮こそ地上の楽園」的な発言を繰り返していたからである。
「金日成こそ真の指導者」と言っていたかどうかは忘れたが、少なくとも「君は北朝鮮の少年の瞳の輝きを知っているか。今の日本の少年は駄目になっているから、ああいう瞳の輝きを持っていない」
という発言は繰り返ししていたのを、南雲翁はよく覚えている。
だいたい、大江健三郎は、北朝鮮帰国事業を推進した寺田五郎と共に、北朝鮮シンパである、という事実は、ノーベル文学賞受賞以前はよく言われていたことである。が、以降、まったく聞かなくなった。
だから、マスコミは、インチキだというのだ。
大江健三郎の北朝鮮擁護は、かつて第一次戦後派などが、共産主義者だったものを昭和8年以降に転向させられ、さらに昭和20年の終戦を期にまた共産主義に舞い戻った、
みたいなものは違い、明らかに堅牢な意志によって行われたものであるといえよう。
それが、拉致疑惑が持ち上がって以降、大江健三郎は、自著の中から巧みに北朝鮮についての発言を削除してしまっている。
これは、明らかなインチキだと思うのだが、はたしてどうだろうか。もっとも、文学に携わる人間がインチキをすることは、小林秀雄を戦前から読んでいる人なら、容易に想像出来るだろう。
また、いかさまやインチキなら南雲翁だって、時々やらかす。やらかすけれども、それはすぐに見破られることが多い、というのは今回関係ない話だ。
ただ、なべて「世はいかさま」。とすれば、大江健三郎の件にしろ、あるいはもっと別な問題にしろ、真っ先に眦を決しても意味はない。ただ、じっくりと、何がいかさまかそうでないかを見極めるだけだ。
さて、今度の内閣は、いかさまか、否か。民主党と自由党の合併は、いかさまか否か。世はいかさまだから、面白い。
平成15年09月25日 by 南雲翁(なぐものおきな)