静かに★大江健三郎★動き出す

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21吾輩は名無しである
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。