b:思うに、「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」「『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」
「戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたと報じた」との記述が、
渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉に関するものことであることは、日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、
したがって上記記述が、赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して集団自決命令を下したという事実の摘示、或いは、これに基づく意見論評であることは論を待たない。
(4)「沖縄ノート」の「集団自決命令」の事実摘示(その3)
a本件書籍三「沖縄ノート」は、その210頁4行目から、「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。
人間としてそれをつぐなうことは、あまりにも巨きい罪の巨塊の前で、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、次第に希薄化する記憶、歪められた記憶に助けられて罪を相対化する。
つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。
いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。
1945年の感情、倫理感に立とうとする声は、沈黙に向かってしだいに傾斜するのみである。
誰もかれもが、1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。
本土においてすでに、おりはきたのだ。かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている。
かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。
その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。かれにむかって、いやあれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。
それは具体的には追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。
おまえたちも本土からの武装した守備隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追求の手が27度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き、
善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。
しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、
渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。
このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。おりがきたら、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、そのおりがきたとみなしたのだ。
日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ。
ひとりの戦争犯罪者にもまた、かれ個人のやりかたで沖縄をねじふせること、事実に立った異議申立ての声を押しつぶすことがどうしてできるのだろう?
あの渡嘉敷の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったのではないか、
とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、
どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の、まったく同一のかたちでの再現の現場に立ちあっているのである」と記述する。
b思うに、「慶良間の集団自決の責任者も」「渡嘉敷島に乗りこんで」「渡嘉敷島で実際におこったこと」
「あの渡嘉敷の『土民』のようにかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だった」
という記述が、渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉のことを指すものであることは、日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、
したがって前記記述は、赤松大尉が渡嘉敷島の村民に対して集団自決命令を下したという事実を摘示し、これに基づいて意見論評するものであることは明らかである。
3本件各書籍の記述による名誉毀損等の不法行為
以上述べてきたところから明らかなように、本件書籍一「太平洋戦史」、本件書籍二「沖縄問題二十年」、同三「沖縄ノート」を読むものの大多数は、
座間味島で集団自決命令を下した守備隊長が原告梅澤少佐であり、渡嘉敷島で集団自決命令を下した守備隊長が赤松大尉であり、
両隊長は、そのような残酷な命令を出して無辜の島民の多数を強制的に死なせながら、自らは生き延びた非道で卑劣な人物であると認識することになる。
本件各書籍における上記各表現が、原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損するものであることは明らかであり、
更には原告赤松も赤松大尉の弟としての立場と宿縁から、その固有の名誉を害されてきたことは疑いを容れる余地がない。
とりわけ、本件書籍三「沖縄ノート」は、渡嘉敷島の村民集団自決が赤松大尉の命令によるものであると断定的に決めつけたうえ、
これを前提にして赤松大尉を「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべきであったろう」
といった最大限の侮蔑を含む人格非難を執拗に繰り返すものであり、しかもそれが高名なノーベル賞作家である被告大江が著述したものであることから、
今日でも広く社会に影響を及ぼしており、原告赤松は、かかる赤松大尉の人格を冒涜し尽くす故なき誹謗表現により
、実兄である赤松大尉に対して抱いていた人間的な敬愛追慕の情を著しく侵害されたものである。
本件各書籍における前記各表現が原告らの名誉その他の人格的利益を違法に侵害し、原告らに筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を与える不法行為であることは明らかである。