静かに★大江健三郎★動き出す

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154吾輩は名無しである
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本日の世迷い言
暴かれる日本悪玉論の嘘 (7/25) 2005/7/25

沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損(産経)
 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、
当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
 訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
 訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。
 訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、
大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
 沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。
この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。
 疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。
座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
 その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。
155吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 09:05:20
 沖縄戦の集団自決については、住民が自ら軍の足手まといにならぬように自決したのだが、戦後補償を得るために守備隊長の暗黙の了解の下、軍命令での自決ということにした…というのが、真相であるようだ。(「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」7/24エントリーより)

 大江健三郎は、その辺りの機微を理解せず或いは理解しようともせず、「軍部に犠牲になった沖縄県民」という視点で、日本軍人を貶めようとした。

 先日に書いた従軍慰安婦や靖国問題にも通じる話だ。事実でないことを事実のように広める「反日宣伝マン」が存在し、事実を覆い隠しウソを病気のように広めている。
 従軍慰安婦や靖国や沖縄については、幸いにして事実が明らかになってきている。しかし、明らかになりつつある事実でさえも、一度広がった認識を覆すのは難しい。
例えば盧溝橋事件は「日本側からの銃撃で始まった」と思っている人も、まだまだ多いであろう。
教科書に載っているような話で実は虚構だという話は、私たちの知らないところでまだまだたくさんあるのではないだろうか。大江の類の罪科は、非常に重いと言わざるを得ない。

 今は、明らかに過渡期ですな。戦後60年を経て、ようやく事実はどうであったのかが語られるようになってきた。日本悪玉論に縛られた戦後民主主義から、ようやく脱しようとしている。
 ただ、「脱しようとしている」というのはまともな日本人から見た用語であり、日本は悪いのだという意識から抜け出せないままの人にとっては、
「日本はいつか来た道を歩もうとしている」とか「軍靴の音が!」ということになり、相当な危機感を持っていると思われる。
歴史教科書に関する左巻きのヒステリックな言動は「左巻きの断末魔」なのだろうか…と考えようとして、靖国参拝に関する世論調査の数字などを思い出し、まだ「過渡期」に過ぎず楽観視してはならないと思い直す。
もっと強力な攻撃が来るんじゃないかな。