http://www.musashino-k.co.jp/eiga/nakano_houga/top_bank/top35.htm 女の子のための任侠映画入門 コラム参拾五
ヤスケンがおこした最も大きなトラブルは大江健三郎を怒らせてしまった事件であろう。ヤスケンはアルバイトで「レコード芸術」という雑誌にコラムを書いていた。
このコラムの中で、大江健三郎の「状況へ」と小田実の「状況から」をとりあげ、ケチョンケチョンにやっつけてしまうのである。
小田実は知らんぷりの態度でやり過ごしたが、大江健三郎は怒って抗議の手紙を書く。宛名は島中鵬二様、「海」編集部安原顯様とある。
“僕は安原氏による小田・大江罵倒が不当だとは考えません。ただ、「大手出版社」によってのみ仕事をする人間という批判に、僕はこう答えます。
そして自分の態度をあきらかにします。僕は「大出版社」だから仕事をするのではなく、そこに自分の信頼する編集者を見出すからこそそこで仕事をしてきたのです。
さて、僕は中央公論の編集者安原氏のこの罵倒に対して、今後いかなる仕事も、やはり「大手出版社」の中央公論ではしないと言明して自分の立場をあきらかにします。
もちろん「圧力」を安原氏に加える意志はありません。ただ、自分が引き下がるのみです。
なぜならば、このような考え方の編集者とは仕事を共にしたくないからです。僕の申出は次の二点です。
一、谷崎賞 委員をやめます。
二、中央公論社からの手紙、電話、訪問をすべて拒否します。この件についての御問い合わせにも答えませぬ。さようなら。
1974年10月24日 大江健三郎”
ヤスケンはただちに二人の役員に呼ばれ、「この件に付き、どう責任を取るか」と言われる。
「オフ・タイムないし休日に、個人が何を考え何を書こうがまったく自由であり、こうした抗議の形をとった「垂れ込み」こそ、言論・思想・表現の自由の圧殺ではないか」と反論するが、
「大江健三郎は会社にとって大切な作家ゆえ、もう一度批判したり、彼を怒らせるようなことをすれば、お前はただちにクビだ」と宣告される。
村松友視はもちろんヤスケンの味方につき、この手紙のコピーをとっておくことをアドバイスする。
ヤスケンという弱者にとって、この手紙のコピーは重要な武器となるだろうと踏んでのことだ。