罪と罰読んだ時ドストすげええええええええええええええええええええええって思ったよ。
>>828 神がなくても孤独に耐えるっていうのは、口でいう程簡単な事ではないよ。
早い話、2ちゃんでこうして議論してるのも、自分の主張の正当性を立証したい、
そして他者に自分の価値を認めてもらいたい、と思ってるからだ。
これ則ち、過去レスで否定的に言われている他者依存という事だ。
これを厳密に否定する人間は、キリーロフばりに「神が不在ならば俺が神だ」と宣言し、
「何で俺はこんなにも良い本を書くのか?」などと誇大妄想のモノローグ
を口にしつつ最後は発狂しなければならない。
大抵の人間がそこまで追い込まれないのは、何だかんだで自分を誤魔化したり安心させたり
出来る保証がある、卑怯で生温いニヒリスト気取りだからだ。
これは828氏に対する批判というよりは、自己批判だよ。
孤独に耐えるっていうのは、口でいう程簡単な事ではないってのは重々承知。
だけど、だからって神に逃げ込むのではなく、またニーチェばりに孤独の意識に
耐えかねて自我肥大した超人の幻想に逃げ込むでなく、ありのままの自分を
受け入れて「大人」になって生きたいもんだね。
難しいことだけど、決して不可能なことではないし、実際ごく普通に暮らしている
人間のなかにもそういう人はちゃんと存在するし。
まあ、スレ違い気味になってきたから、ここら辺で打ち切るのがお互い「大人」の
やり方ってことでこの話はENDにしようか…。
>>834 スレ違いではないと思うぞ。というよりドストスレにふさわしいテーマだ。
なんで、もう少し粘着させてくれw
「ありのままの自分を受け入れている大人」って、いわゆる普通の世間人じゃないか。
それが破綻を来たさずに生きて生ける賢い処世術だという事は理解するが、
その代わり、そこにあるのは自分自身への退屈さと運命に対する諦念だけじゃないか?
そもそも、ありのままの自分なんてのが本当にあるのかが疑問だ。
自分の中に、自分を超えようとする自分や、自分を否定しようとするもう一人の自分はいないか?
あの理想と調和を旨とするトルストイでさえ、最後は家族を捨てて野垂れ死にしてる訳だし。
人間の中に何らかの形で超越願望がある限り、神という主題は決して無縁なものではないと思う。
>>819 個としての自分の肯定→心の中で自分を他より優位に定義すること
という方向に走りがちだしね。
夏目漱石の言う「内心で他人を馬鹿にしなければやっていけない近代知性人」。
個としての自分への拘りの落とし穴だと思う。
神に頼らず孤独やってるけどかなりきついよ
2chなかったら耐えられないだろうな
ドストの登場人物たちには是非2chを与えたい
>>838 「豚ちくしょう!」と煽りまくるわけか……。
>>838 物凄い長文煽りで「目が滑(ry」とか叩かれまくるのが
目に見えるようだww
「必死だね。へ!へ!へ!」とかやられたらムカつく。
>>809 > わかりやすくて、これはウマイと思わせてくれる作家
まったく同意だ。
>>837 他人と比較しての自分の(能力の)承認っていうのは、真の自分自身の(存在の)承認とは
違うと思う。「今のままの自分が充分好き」って心底思える人は、他人と優劣を競わないから
他人の長所にも短所にも寛容なんじゃない?
>>836 いわゆる普通の世間人=自分自身への退屈さと運命に対する諦念だけの人ってなんか
普通の世間人をあまりに見下してないw?そんな人ばっかりじゃないよ。
理想主義的なロマンチシズムを日常の中で持続し実現していくってことは、地に足の着いてない
ロマンチシズムに酔うよりずっと大変なことだよ。
今の自分を超えようとする超越願望は日常のなかでも充分保持できるし、そのために神の
観念が絶対必要不可欠なわけでもないと自分は思ってる。
目が滑るの意味がいまだに分からない俺ガイル
まあ、ドストが最後に見出した一応の答えは、
観念的な神ではなく、実践的な愛だったわけだ。
自演はもういいよw
「小説」でも書いて応募しなよ
あ、もうとっくにしたかw
>>843 >いわゆる普通の世間人=自分自身への退屈さと運命に対する諦念だけの人ってなんか
>普通の世間人をあまりに見下してないw?そんな人ばっかりじゃないよ。
全員がそうだとは言わない。でも大半がそうだ。だから「普通の世間人」な訳で。
で、そういう人達を馬鹿にしてるのかと聞かれれば、正直馬鹿にしてるw
でもそれは、自分自身もその中に含まれるという事も踏まえた上での事だ。
日常の中で自己超越を目指すべきという事については同意。
でもその一方で、日常が日常たる為には、非日常が必要となる。(もちろんその逆も又真だが)
だから古来、人間は儀式やら祭やらで非日常を演出してきた訳だし、その非日常空間には神聖さが自ずと宿る。
821氏が慣習的なものも含めて、一切の非日常的な演出(正月、クリスマス、誕生日等)
を拒絶しているのなら、同意はしないが納得する。
一応断っておくと、俺個人は何かの宗教を信仰してる訳ではない。
ただ、超越という事を念願した場合に、嫌でも神(何だったら絶対という言葉に置き換えても可)
という観念が胚胎するのではないかな、と。
×821氏
○843氏
です。スマソ。
>>843 いや、「個としての自分の肯定」のつもりで、
実態が自己愛の人って、結構見かけるよw
>>846 自分の言動に酔って、意味を成してない独りよがりが書き込みを
する人は、このスレでは珍しくないからなw
そして「目が滑る」と言われるわけだ
いずれにせよ、あんまり、自分、自分してしまうとね…。
「私とは」と「私は」という方向での関心が強いと
結局自己を目的とした生き方、物事の捉え方、あり方になって、
それが果たしていい生き方なのか、歪みが生じないか?
などと思ってしまう。
関心の方向が、他者への愛とかwなんらかの道徳的生き方なり(道徳的な「私」ではなく)
家庭や社会における行動に向かっている時、
個としての孤独だのと「個」という意識はあまりのしかかってこない。
勿論、社会生活で慌しい生き方をしている時に「自分は一体?」と
なることは珍しくなくて、やはり人生観なり精神面での充実は必要となる。
ただあんまり自分自分した精神は、人間のあり方として矮小な気がしないでもない。
話はわかった
>>845 ひょっとすると、あたらずともかもしれないけど
たぶん、どんな論も自分では張らないのがドストの芸
それが今の僕らの目も惹きつけるレベルにあること
これは大したもんだと思う
このスレの長文は「ドストのキャラが書いてるんだ…」と妄想して読むといい
>>852 その他者への愛が難しいという話に続くね。
それぞれお互いの価値を認める世の中になればいいけど、
「私の価値を認めて!」「人より私の方が(優れている)」
「私の価値=素晴らしい頭脳を持っている点、人の価値=元気で明るくていいな」
という人が入り込むともう難しい。そしてそういう人が少なくないと思わされる2ちゃんw
結局重要なのは自分の価値だしー、
立派な自分と思いたいから人のことも大切に扱ってはやるけどー
みたいな?
857 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 03:03:50
なにをこのフォンゾーンめが。
岩波復刊神西訳 永遠の夫 購入記念カキコ
フォンゾーン黙れ。
フォン・ゾーンって、現代の日本で言えば、
大久保清とか宮崎勤とか宅間守みたいな存在だったのかな?
フォンゾーンは被害者でしょ?
>>859 フォン・ゾーン事件(1869年11月)の概要
1869年11月7日から8日未明にペテルブルグで起こった毒殺事件。ロシア犯罪史に
知られる。7等文官を退役した高齢のニコライ・フォン・ゾーンはブラガロドノエでの
集会に出たまま、行方不明となった。捜査は難航したが、12月の中旬に入って
自首してでた手職工アレクサンドル・イワーノフの自白から事件の全貌が明らかになった。
フォン・ゾーンは殺害され、トランクに詰められたまま列車でモスクワに送られた。
フォン・ゾーン殺害を仕組み実行した首謀者は、マクシム・イワーノフという人物で
彼のアパートには売春婦数名が寝起きしていた。売春業だけでは飽き足らず、毒殺に
よる強奪を計画。猫や犬で実験を重ね、効果を確かめた後、実行に取り掛かった。
その最初の犠牲者がフォン・ゾーンだった。マクシムは娯楽施設「エルドラド」で
豪遊中のフォン・ゾーンを自宅に引きずり込み、毒入りワインを飲ませて絞殺した。
(亀山郁夫著「ドストエフスキー 父殺しの文学」より)
>>846 あまり長文とかに神経質に反応すんなよ。スレの雰囲気が悪くなる。
てか、文学板ならこのくらいの長さは普通だろ。
いやならスルーか、もっと意義あることを自分が書いて見せればいい。
862 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 12:38:17
>>828 ドストは「たとえキリストの外に真理が存在するということを誰かが数学的に証明したとしても、自分はキリストと共にあり続ける」
と言っている。
これはむしろ権威主義の反対なんだが。
↓作家の日記up
ミスターセルフデストラクト
永田議員のことか?
>>862 うpするのも面倒なので、自分で「作家の日記」読め。
話はそれからだ。
867 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 07:08:03
地下室読んだ。
読みながら「地下生活者」を「ニート」や「2ちゃんねら」に脳内変換。
まんまいけるやん!ニュー速に■ドストエフスキーマジやばい!■あってもおかしくないとオモ他
「死の家の記録」を読んでいた頃、山崎豊子の「大地の子」も読んでいたんだが収容所の様子が
妙にリンクして、そういやロシアと中国は隣同士か・・・・・ としみじみしたよ。
ドストやトルストイをちょっとだけ読んだとこで質問があるんですけど、
ロシア人って男同士、女同士でもキスするんですか?
ウホッ!
アリョーシャ達の住んでる町ってロシアのどのへんにあるんだろ
>>867 ニュー速は定期的にドストスレが立ってにぎわうぞ
>>870 「カラマ」の舞台スコトプリゴニエフスクは、晩年ドスト一家が住んでたスターラヤ・
ルッサの町がモデル。スターラヤ・ルッサはペテルブルグから南にイリメニ湖って
いうのがあるんだけど、その湖の南下。
ドミートリーとグルーシェニカがどんちゃん騒ぎをしたモークロエ村のモデルは、
イリメニ湖のほとりにある、ブレーギという村。
イワンはイリメニ湖の左をぐるっと周って大ノブゴロドから汽車に乗ってモスクワに
向かったらしい。
>>868 ロシア(というかソ連)の監督のカラマ、アンカレ、戦争と平和観たけど
家族やら友情などの挨拶は唇というより頬だったよ。
唇にキスするシーンは無かった。
正面からぶつかる感じがなかっただけで、
唇にかかってたのかもしれないけど。
よほど特別に親しみを表すときに唇にするのかもね。
「悪霊」のカルマジーノフは挨拶のキスの仕方まで揶揄されてたな。
876 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 22:01:09
このスレはたまに哲学的な内容が飛び交うので
面白いな。自我の意識って奥が深いね。
877 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 22:04:45
チェッ!
878 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 22:20:06
ステパン氏と再会して、頬っぺたぶつけ合うんだよね。
「シュッ、シュッという貴族的な発音」といい、
本当、ドスト意地悪だよねw
879 :
(  ̄ー ̄):2006/03/09(木) 22:31:45
ww
>>878 そして読者はドストが揶揄した内容そのものより、
ドストの大人気なさに、笑いを誘われるのであったw
おまえそこまでやるかよ…と。
へ!へ!へ!