ヌーヴォー・ロマン☆2ューヨーク革命計画☆

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545吾輩は名無しである:2009/09/03(木) 23:28:00
アンチロマンの名称は、サロートの「見知らぬ男の肖像」にたいしてサルトルがつけたものだった。
サルトルとロブ=グリエはその後、例の文学と現実との関係に対する観念や意見で対立した。
まあ、そういう小説外での出来事も影響したが、ヌーヴォーロマンにはそれまでの小説を総括するという面もあったから、
安易に「アンチロマン(反小説)」とはいえない部分があった。パンクロックなんかで、楽器をぶっこわせば「パンク」で革新だってやつもいたけど、そうでなかったのとおんなじ。
作風も作家それぞれだったから、小説の「ぶっこわし」とか単純な「アンチ」ではないと思うよ。
546吾輩は名無しである:2009/09/03(木) 23:37:09
↑ やっぱり、バカだ
547吾輩は名無しである:2009/09/04(金) 11:54:40
日本では「ヌーヴォーロマン」で一括りにされるが、年代的な変化も見落とせない気がする。
だいたい70年前後から、それぞれの作家の中でも変化が起こって、仏の識者によると「ヌーヴォーヌーヴォーロマン(新新小説)」という動きが認められる。
ロブ=グリエだと、「迷路のなかで」あたりから変化してる。
シモンだと「トリプティック」あたりが代表例。そうした新しい傾向によって、物語的な緊張がうすれていった、という感じにもなった。
やはり「68年の革命」以降、ヌーヴォーロマンの緊張感も変化したんだと思う。
シモンの小説も仏ではロマン(小説)でなく、テクストという括りで出版されているようだ。

「客体の文学」のバルトからすると、やはり「覗くひと」あたりで関心がうすくなるのもしょうがない感じもする。
むしろ新しい書き手、ソレルスなんかのほうに関心が移行したが、それよりドゥルーズやデリダといった哲学書のほうのセールスが増えていった。
教皇ロブ=グリエの変容に対応する形で、蓮実重彦は描写を意識的に抑制した「陥没地帯」や「小説から遠くはなれて」といった物語論を展開していったことは周知のことだろう。
548吾輩は名無しである:2009/09/04(金) 12:17:02
セールスが増える
549吾輩は名無しである:2009/09/04(金) 12:39:11
ヌーヴォーロマンっていうと、
やっぱり50年代後半から60年代にかけてのもの、
というイメージがあるね。
550吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 00:08:15
中原昌也はヌーヴォーロマン的。

まあ、インテリ向けだね、彼の作品は。
551吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 02:39:51
中原昌也をヌーヴォーロマンにしたいのは、新潮の編集部や一部の評者くらいなんじゃない?
たしかにデビュー前後にヌーヴォーロマンをよく読みこんでいたらしいが。

渡部直巳もフランボワン式「ボヤ」とか言ってたし。
技術的な面で、ヌーヴォーロマンに欠けているし、むしろ80年代の熾き火みたいでもあるんじゃ?
バブルの頃のシブヤ文化村の生き残りってくらいじゃないかね。
552吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 16:26:47
>>544
「スノッブ」ですら褒めすぎ。
学生のレポートの下書き以下でしょう。

しかし過疎スレに急に湧いたな。
553( ̄ω ̄)獲る狸 ◆ycr5A7VfSw :2009/09/05(土) 19:17:41
過去の文学運動の作品と引き比べて、これは似ている、といわれましてもそれが如何なのだ、という問題はありませんか(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
過去の小説は劣っていて、学ぶ必要は無く、現代の小説のみ読めばよい、と仰っていた方もおられましたが(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
554吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 23:26:28
中原昌也はヌーヴォーロマンじゃないな
シュルレアリスムっていうのならまだわかる
555吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 23:29:06
>>544 >>552
それこそ「スノッブ以下」の自己言及的書き込みだよw
といわれたくなかったらお手本をどうぞw
556吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 23:31:59
日本で代表的なヌーヴォーロマンっていうと
蓮實の「陥没地帯」になるのかな?

三枝和子にもロブグリエそのまんまっていう
ヌーヴォーロマンはあるけど。
557吾輩は名無しである:2009/09/05(土) 23:38:30
ヌーヴォーとグループ化される全員に共通した作風は存在しない
558吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 01:57:26
絶対的な客観性とは同時に絶対的な主観性である
559吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 02:01:02
>>555
言われないよ。
なぜならお前が「自己言及」を間違って使っているからw
560吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 02:01:45
蓮實がロブ=グリエを卒業したように、阿部がシモンを卒業したように、
ひとはヌーヴォー・ロマンを卒業しなければならないのだよ
561吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 10:55:50
ヌーヴォーロマンという名前が消え去っても
残っていく作家はシモンだと思う
562吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 12:07:29
シモンが残ったらヌーヴォーロマンの名前も消えない。
不可分。
563吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 14:26:26
ヌーヴォーロマンの名前を知っているひとや書き込んでいるひとで、

>三枝和子にもロブグリエそのまんまっていう
ヌーヴォーロマンはあるけど

と思っているひとはどのくらいなんだろう。たぶん、作品を読んでもこう思っているひとが多いんじゃないかな。
三枝和子氏は深い心理を描こうとして、ヌーヴォーロマンの文体を採用した。その意味で、ヌーヴォーロマンとは違う。

前レスで
>中原昌也をヌーヴォーロマンにしたいのは、新潮の編集部や一部の評者くらいなんじゃない
としたが、心理と切れているという意味でなら、中原氏はヌーヴォーロマン的といえると思う。

また、心理や意識とは別のところ、エクチチュールとか制度的な記号について考察しつつ創作したという点で漱石はフローベールの位置にあった。
蓮実や柄谷が多くの漱石論を集中的に書いたのもそのためだ。
ヌーヴォーロマンの日本での受容は未だ、ほとんど皆無なんじゃないか。もちろん、受け入れられず消えたとしてもいいんだろうが。
564吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 16:21:20
中原はベケットっぽいような気がするけどな
565吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 17:51:03
>>562
それはきっと違うな。ARGならともかく。
単にプロフィルで言及されるぐらいだろう。
ノーベル賞作家という名称すら必要とはしない、
そういう独自のポジションを占めている。
566吾輩は名無しである:2009/09/06(日) 19:38:21
中原はヌーヴォーロマンはもちろん
ベケットともたいして似てないだろ。
むしろアメリカのアヴァンポップのほうが近い。
567吾輩は名無しである:2009/09/07(月) 08:53:20
漱石はもろにモダニズムなんだが。
568吾輩は名無しである:2009/09/07(月) 10:15:47
アカシア意外に読み易い
569吾輩は名無しである:2009/09/09(水) 22:02:55
>>563
>三枝和子氏は深い心理を描こうとして、ヌーヴォーロマンの文体を採用した
というのは、的を外していることになるだろう。
『思いがけず風の蝶』の中の「小説の消滅」という作品を読んだなら
そのことに思い当たるはずだ。
570吾輩は名無しである:2009/09/11(金) 21:34:58
>アカシア意外に読み易い
うん、シモンの中ではかなり読みやすいほうだよね
571吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 02:37:05
ベケットはなぜヌーヴォーロマンから外されるのか
572吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 03:10:17
子供電話相談室で聞け。
573吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 15:32:18
>>571
少し前のレスを読んだらわかると思うよ
574吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 19:38:50
ヌーヴォーロマンの50%はARGで
ビュトールが22%、シモンが13%
サロートが10%って感じじゃなかろうか?
575吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 21:15:51
>>574
個人的には、ロブ=グリエとシモンに尽きるな。
576吾輩は名無しである:2009/09/13(日) 00:32:07
太宰はヌーヴォー
577吾輩は名無しである:2009/09/13(日) 08:35:54
俺のヌーヴォーは太い。
578563:2009/09/15(火) 02:15:03
三枝氏は深い心理なんて描くつもりはなかったのかもしれないね。
でも、リカルドゥ言うところの比喩の構造化とか紋中紋といった、ヌーヴォーロマンに特徴的な技法はあんまりなかったのでは。
むしろ、日本では詩人がそういう技法を使えていたんだと思う。

『思いがけず風の蝶』って、ヌーヴォーロマンってより日本の前衛芸術ですって主張してるんじゃないの?
579吾輩は名無しである:2009/09/17(木) 22:26:39
『思いがけず風の蝶』の中の「小説の消滅」は
特にARGの『マリエンバート』の影響が濃い。
機械的に反復される特定の無機質な風景描写とか。
580吾輩は名無しである:2009/09/21(月) 02:53:35
んじゃ、「イノセンス」の押井学や「藪の中」芥川龍之介、それを映画化した黒沢明もお仲間かあ?
イノセンスには、ロクス・クルス(?)社なんてのも登場してるし、夢落ちだけど「反復される」屋敷の風景なんかもあったから、そうだよね。
581きりん:2009/09/21(月) 04:15:51
フランス革命からルーマニア革命まで

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/9/191.html

1789年から1989年まで、この200年の間、世界は、「9」の年に革命や大事件が起こった。
582吾輩は名無しである:2009/09/21(月) 04:32:26
ちょっと栗本慎一郎思い出した。
勤労感謝の日が誕生日なんだ…
583ザ・スミス:2009/09/23(水) 20:31:03
>>580
それってミソクソってやつじゃね?
584吾輩は名無しである:2009/12/19(土) 10:45:34
ビュトール「合い間」を読んだけど
「時間割」の焼き直しって感じだね。
585吾輩は名無しである:2010/01/30(土) 01:04:17
ロブグリエは嫉妬、迷路のなかで、快楽の館の他には何がオススメ?
586吾輩は名無しである:2010/01/30(土) 01:17:20
ニューヨーク革命計画 今のご時世この題名じゃ復刊はないね
587吾輩は名無しである:2010/01/30(土) 18:37:31
ロブ=グリエはやっぱり「嫉妬」が一番面白い気がする。
快楽の館、ニューヨーク革命計画、幻影都市のトポロジーなんかだと
初期の頃にあったサスペンス的要素が希薄になっていく感じ。
仏語はできないから自伝三部作はどうか知らないけど。
588吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 09:46:22
うむ
589吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 11:18:50
ゴム
590吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 15:26:53
ナタリ・サロートの黄金の果実買ったんだけど、正直後悔してる、独白
ばかり、でおもしろくない、プラネタリウムかある男の肖像、地の文あるか?
読んだことある人教えて
591ザ・スミス(ストーリーテラー):2010/03/08(月) 21:44:37
昔、名前の知れた「サロート」で食事をしたことがあった。
ボジョレ・ヌーヴォーを出す店では4大リストランテのひとつだと聞いていた。
おすすめ料理は「ミシュラン男の肖像」プロヴァンス風。
ソースがどうも口に合わなかったのか、単に不味かったのか、
私がその店に二度目に足を運ぶことはなかった――。
592吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 02:43:17
>>590
多分その三つとも昔読んだけど、内容は全く覚えていない 地の文についてもあったかどうか
でも読後「ああ、サロートだなあ」といずれも感じた 自分としてはサロート結構好きだけど
593吾輩は名無しである:2010/05/09(日) 21:06:45
シモンとサロートは文庫がないね
594吾輩は名無しである
前衛文学はけっきょく時代が変わると後衛文学になってしまったのかねえ