1 :
吾輩は名無しである:
トーマス・マン、面白いんですけど、「魔の山」以降の長い作品は
ちょっと読むの大変じゃないですか?
みなさんは、どのあたりの作品をよく読んでるんでしょう。
3 :
40代おやじ:2005/07/24(日) 20:41:19
マンの「魔の山」、活字が大きくなって再版されてるね。
(新潮文庫)
実はまだ読んだことが無い。40代で「魔の山」は
読む価値ありですか?
>>3 それはもう、大ありでしょう。面白いですよ。
「トニオ・クレーゲル」とかは青春文学の色合いが濃そうですけど、
「魔の山」は、どちらかというと、10代や20代より楽しめるのでは。
5 :
40代おやじ:2005/07/24(日) 21:15:32
ふーん。なら読んでみようかな。
学生時代、読まないとなと思いつつ卒業して
時間的余裕がなくてそのままになっていた。
今も余裕は無いけど、時間の作り方はわかっているので
まあ読めるでしょう。
無理しなくてもいいんでないの。
7 :
吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 23:49:33
>6
ある意味、退屈ではあるよな。俺は好きだけどね。
小難しい議論みたいなところは読み飛ばしても面白く読めると思う。
お〜。マンのスレ。
>>7 俺は上巻の「生活」から離れた人間たちの特異な日々の丁寧な描写と
マダム・ショーシャとの恋なんかも好きだけど、
下巻に入ってからの二人の教育者の熱いディスカッションはかなり
興奮して読んだよ。訳注見まくりで読んでいくのには時間がかかったけど。
まさに世界を広げる教養小説だと思った。ちなみに岩波。
>>8 そう、あの議論の雰囲気は、実は俺もけっこう好きなんだよ。
だが内容をちゃんと理解しようとすると頭が・・・
俺は新潮文庫(高橋義孝訳)で読んだ。
岩波とでは、雰囲気がかなり違ったりするのかな?
>>9 俺も下巻はじっくりと読んだよ。世界史や宗教学を学ぶみたいに。
あと、セテムブリーニがとても眩しく見えちゃったなあ。
雰囲気はどうだろう、新潮も読んでみたいとは思ってるけどなかなか・・・。
でも言葉遣いはかなりいいと思ったよ。強く印象に残っている言葉では
放縦、人生の厄介息子、実験採択、膝栗毛・・・なんて面白い訳だと思ったりした。
高橋義孝って新潮トニオクレーゲル&ヴェニスに死す、の訳の人だよね?
そしたら新潮の方が好きになっちゃうかもな・・・。
魔の山は登場人物が好きだったな。
セテムブリーニ、ナフタ、クロコフスキー、ペーペルコルンもいいけど、何といってもシュテール夫人が好きだ。
登場する度に笑わせられたし、セテムブリーニと同席している場面では、何かやらかすんじゃねぇだろうなこの女‥?とハラハラさせられた。
>>9-10 とりあえず岩波のは格調高い、っていうイメージがあるな
日本語力の高さ、語彙の多さが半端でない感じ。
どちらかというと新潮の方が読みやすい?
高橋義孝は名訳が多いですよね。ゲーテやカフカなんかも。
>>11 世界中の個性的な人間が登場するのがいいよね。
シュテール夫人好きって珍しそう。天才的な無教養さで新語をどんどん生み出してたっけ。
>>12 うん、そのまま、格調高いってイメージの通りかな。
魔の山に関しては拡張高さや難解な言葉も内容に合ってて苦ではなかったけど
ショーシャ婦人とのフランス語の会話がカタカナで押し通されたのには
参った。いい場面なのにって。
高橋義孝は他にシュトルムも訳してるけど、それもいい。
魔の山、やっぱり新潮も読んでみるか・・・でも結構な量あるからな・・・。
>>13 たしかに・・・あのカタカナの嵐には引いた。
フランス語をどう表現するか、難しいところなんだろうけどね。
ドイツ人にとっては、ああいうフランス語の部分はどう映るんだろう?
>>13 ドイツ人はフランス語の教養結構持ってそうではあるよね。
ペーペルコルンの描写だけは作家が苦しんだっていうか書きあぐねた感じがする。
ああいう、存在それ自体が放つオーラって表現が難しそうだよね。
少なくとも俺には彼に飲み込まれるようなセテムブリーニやナフタじゃないように
感じてしまった。
「ええ・・!そう、完全!みなさん、結構。まことに結構。断然、そう・・・決着!」
とかポカーン・・・って感じだった。確かに何も言えなくはなるけどw
>>16 うーん、同感。
ペーペルコルンって、どこがそんなに凄いのかイマイチ分からない。
しゃべり方も何か変だしね。(それは訳のせいかな?)
18 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 21:08:22
ブッデンブローク家の人々というのが気になる。
読んだ人の感想聞いてみたいな。
あと、今まで挙がってる作品以外に何かお勧めの作品あります?
>>18 「ブッデンブローク」も面白いですよ。個人的には、一番のおすすめです。
かなり若いころ(20代?)に書いた作品らしいですが、
トーマス・マン作品は、若いころに書いたものの方が比較的素直な感じで、
感情移入しやすいように思います。
その意味では、岩波文庫の「トオマス・マン短篇集」がお手ごろかと。
個々の作品の題名は忘れましたけど、味のある作品が多かった気がします。
20 :
吾輩は名無しである:2005/07/27(水) 01:25:46
>>11 おお、同志!
シュテール夫人っていいよね。正直ショーシャ夫人よりよっぽど魅力的だわ
・・・と言ったら、なかなか周囲の賛同を得られないのだが。なぜだろう?
21 :
吾輩は名無しである:2005/07/27(水) 01:29:59
>>19 一番のおすすめですか、期待して読んでみることにします。
マンは最近でも読まれたりしてるんでしょうか。
例えば魔の山を読んだという人にあまり会った事がないんですよね。
まだ学生ですが。
>>20 最後までハンスに馬鹿にされて見られてたよね?
好きか嫌いかは別として、どこあたりが魅力的?
>>22 確かに、思いっきり馬鹿にはされている・・・
ハンス・カストルプに、というか作者が露骨にバカとして描いてるよね。
一番の魅力は「リアルさ」かな。
ショーシャ夫人は、どうも輪郭がはっきりしなくてキャラが掴めないのだが、
シュテール夫人は「こういう女っている!」という感じ。
>>23 あ〜確かに。しかも絶対に嫌いになれないキャラっていうのかな。
ショーシャ夫人は結局ハンスと1対1で向き合わず、うやむやの内に
別れてしまったのが残念だったな。
二人としての決着ではなく、ペーペルコルンを軸にしてってのが・・・
それで、輪郭がはっきりしないままな感じはあるよね。
そうだね。特に、前半と後半でショーシャ夫人のイメージが一致しない。
むしろ第二部では出てこない方がスッキリしたんじゃないか、と思うぐらい。
>>16-17で言われてる、ペーペルコルンの描写がいまいちなこととも関係ありそう
私はペーペルコルンの描写にやられたけどな。
「ああ、こういう人、いるかも!」って。
セテムブリーニ・ナフタとの対照で見ると面白いんじゃないでしょうか。
27 :
吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 15:25:34
このところ、通常のブラウザではアクセスできない状態がずっと続いてますね。
>>25-26 ペーペルコルンの好き嫌いが分かれてますね。
私は下巻をちゃんと読んでないので、どんな風に描かれていたかはっきり覚えてませんが・・・。
ちょっと興味が湧いたので、また今度読んでみます。
サナトリウムの安楽椅子が欲しい
29 :
吾輩は名無しである:2005/08/01(月) 21:02:35
>10
セテンブリーニさん大好き!尊敬してます
30 :
吾輩は名無しである:2005/08/01(月) 21:34:07
お〜、久しぶりに上がってる。
面倒で専ブラ入れてないからしばらくぶりに見る。
ところで誰かあの意味不明な横臥療法説明してくれません?
あれってただの昼寝ですよねw?
31 :
吾輩は名無しである:2005/08/01(月) 22:40:17
サナトリウムを舞台にした短篇の『トリスタン』は、
ちょっと『魔の山』の雛型っぽい味わいがあるね。
特にシュピネル氏が、ハンスとセテムブリーニの原型のような感じ。
クレエテルヤアン氏は、ペーペルコルンの原型かな。
しかし、マンの小説の凄いところは、
どの小説も読み返す毎に面白さが増すことだなあ。
32 :
吾輩は名無しである:2005/08/02(火) 00:06:07
33 :
Taub:2005/08/02(火) 01:25:16
『水平生活』とかいう訳になっていたが、原文はどうなっているのかな。
34 :
吾輩は名無しである:2005/08/05(金) 01:11:08
>>33 遅レスですが。「僕たちは水平で生活している」というのは、原文では
wir lebten horizontal
となっています。第三章の「一言多い」の最後あたりですね。
・・・これはセテンブリーニが冗談で言った表現、ということらしいですが、
どういうギャグになっているのかは分かりません。
35 :
Taub:2005/08/05(金) 02:19:51
名詞じゃなかったんだね。どうも!
36 :
吾輩は名無しである:2005/08/05(金) 03:04:05
>>34 気になって辞書引いてみたら、”horizontalな職業”=「売春」って隠語らしい…
37 :
吾輩は名無しである:2005/08/24(水) 15:54:42
魔の山だったと思うのですが、煙草の素晴らしさを語ったところを
抜粋していただけないでしょうか・・・
精神を静め、活性化して・・・云々のやつです。
御願いします!
37.9
39 :
吾輩は名無しである:2005/08/30(火) 23:23:48
アリストレスがなんと言おうと、哲学が束になってかかってこようと、煙草にまさるものはあるまい。紳士方が夢中になるのもこいつだし、煙草なしに暮らす輩なんか、生きる甲斐もないくらいさ。
煙草の徳は人間の脳みそを楽しませ、きれいにするばかりじゃない、品性高潔となり、紳士の道を覚えるのもこいつを喫るおかげなんだ。な、そうだろう、一服つければどなたさまにもお愛想はよくなるし、
どこへ顔出ししても、喜んで右左にお愛想が振りまきたくなるじゃないか?他人様から催促されるまでもなく、して欲しいことはさっさとしてやれる。まったくさ、煙草をのめばこそ、みんな名誉心もでき、品性も高まるというもんだ、
40 :
吾輩は名無しである:2005/08/30(火) 23:41:38
41 :
吾輩は名無しである:2005/08/30(火) 23:46:16
煙草の素晴らしさ。ペーペルコルンだな。
お〜、魔の山。
なんだったっけ。マリアなんとかだよね。
マンツィーニ?
マンの文体というのは濃厚だし、小説も重量があるから、
最後まで読むと、読んだという気がするんだよな。
やっぱり「魔の山」が一番そんな感じがしたな。
「ファウスト博士」とか「ヨーゼフとその兄弟」なんかも長いが、
「魔の山」が一番よかった。
ちなみに「ヨーゼフ」は全集にしか収録されてないんじゃなかったけかな。
45 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 07:21:56
「ヨーゼフとその兄弟」とか「選ばれし人」とかマンの後半の
作品って、ほとんど文庫に無いよね。
気軽に読みたくても読めない。やっぱ、平均的日本人には濃厚
すぎて、もたれるのカナ。
岩波が文庫で出してくれないカナ。
46 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:50:47
>>44 『ヨーゼフとその兄弟たち』はどこかの出版社で
3分冊くらいで出てたよ。すごく高かったが・・・
>>46 筑摩書房のやつかな。(望月市恵訳)
たしか全集版に輪をかけてゴツい三巻本だったよね・・・
文庫化してくれたら読むんだけど
48 :
吾輩は名無しである:2005/09/12(月) 15:12:19
未完作品だけど「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」が面白かったなあ。
特に印象的だったのは、
・ホテル従業員の採用面接でいろんな国の言葉を「話せるフリをする」ところ。
・ポルトガル国王の前で(偽公爵として)犬の粗相の話をし、王様を爆笑させる話。
49 :
吾輩は名無しである:2005/09/13(火) 01:00:21
『魔の山』を原文で読んだ剛の者はおらんのか?
ノシ
日本語で3回くらい読んでいたから読めたんだろう>原文
51 :
49:2005/09/14(水) 00:40:35
>>50 何日かかった?おれも近いうち挑戦しようと思っているが・・・
>>50 俺も、全部で何日くらいか知りたいー
今ちょっと読みかけてるんだけど、まだ十分の一もいってないよ
53 :
50:2005/09/14(水) 01:54:25
半年くらいかかったよ。アハ。
54 :
49:2005/09/14(水) 14:35:11
半年かかっても読めば大したものだ。
おれも何とか読まなければ・・・フランス語部分
は無視したかい、独訳で読んだかい?
『ヨゼフ』も持ってるけどこっちは
もっとかかりそうだ。
55 :
吾輩は名無しである:2005/09/14(水) 14:47:34
スレタイ、いいね!
>>47 『ヨセフとその兄弟』ネットの古書市場では
初版三冊揃いで¥10000〜15000 くらい。ちょと高い…
56 :
吾輩は名無しである:2005/09/14(水) 14:49:55
>>53 シュテール「英雄でしたわ!英雄でしたわ!」
ごめん、言いたいだけだったんだ。
58 :
52:2005/09/15(木) 06:22:47
>>53 それはかなり速いのでは!
俺のスピードだと、一年以内に読み終わるのは絶対無理・・・
下手したら、二年以上かかるかも
59 :
吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 21:00:23
ブッデンブローグ、割合あっさりしてますね。
60 :
吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 01:28:41
>>59 高橋源一郎が、この作品が好きなのは、自分の家系に
重ね合わせているからなのかな?
面白さがいまひとつ判らなかったよ、この作品
61 :
我輩も名無しである:2005/09/26(月) 01:31:10
あっさりしてるけど読むのに根気が要るのは僕だけ?
62 :
吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 18:47:38
ブッデンブローク家の当主の血筋を見ると、
1.敵国フランスのナポレオンを「大人物」と認める大らかな当主。
2.商人としては有能だが、くそまじめで大らかさのない当主。
3.商売でも失敗し、妻の不倫を疑い、自信喪失する当主(トム)。
4.ひ弱な芸術家タイプで夭折してしまう、トムの息子。
ひとりひとりの個性が面白い、というのとはちょっと違うと思う。
商人に適さない方向へ気質が変化してゆくさまが、面白くまたせつない。
63 :
吾輩は名無しである:2005/09/27(火) 09:25:44
トムはトーマス。著者が自分の名をつけているんだね。
ヴァイオリンを弾く妻が合奏相手の男と部屋にこもり、
演奏しているあいだはまだいいが、
耐えられないのはその後の沈黙、とかいう箇所があるね。
夭折した息子ハノーは、母譲りの音楽の才能の持ち主。
家系図をみつけて(当然最新の記述はハノーの名)、
自分の名の後に終止線(楽譜の最後の二重線)をひくところが。
怒る父に「だって、これで終わりと思ったから…」と弁明するのが哀しい。
<売り家と唐様で書く三代目>
とかいう川柳を思い出す。
初代は刻苦して家運を隆盛に導き、
2代目はそこにちょこっと教養や文化的な気質が紛れ込み、
3代目になると文化、教養にひた走り、
本業はついに廃業。店舗が売り家となるが、
「売家」の札の書体さえ芸術的な文字というわけですね。
65 :
吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 16:11:54
雰囲気が好き。
文章が美しいと思う。
トニオもアッシェンバッハも生身の人間と接して恋愛してないよな。
そういうのが好きなのかも。
俺も妄想ばかりで、ちゃんとした恋愛した事は1度しかないし。
66 :
吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 23:17:20
「ヴェニスに死す」の実吉捷郎訳(岩波)は名訳だと思った。
平仮名の多用には困ったが。
映画「海の上のピアニスト」にトーマス・マンの写真が一瞬映ったのを発見して、
嬉しかったです。
既出?
>>67 それ、知らなかった。どのあたりか教えて!
最初の方。
主人公が働く豪華客船の中に、
アインシュタインとトーマス・マンの2枚の写真が飾ってあった。
地上で生活した事がない豪華客船のピアニストの話なので、
アインシュタイン⇒音楽
トーマス・マン⇒海
を表現するためか?
70 :
68:2005/10/07(金) 23:05:04
>>69 ありがとう。アインシュタインとトーマス・マンで、文化人の代表なのかな?
そういえば『海の上の…』は原作つきだよね。
原作ではどんな描写になってるのか、一度そっちも読んでみることにします。
アインシュタインとトーマス・マン、ともに
ナチの手を逃れて、亡命しているね。
海を越えて、アメリカに渡った。
アインシュタインは回想のなかで
「自分はいかなる国家にも属したことはない。
家族とさえ距離を保ってきた。ひきこもり、孤立を守ったために、
人の意見や偏見から自由でいられた。」などと書いている。
関係ないかな?
72 :
吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 21:00:04
二人ともドイツ人としてノーベル賞を受賞してるね。ヘッセはスイスだけど。
二人ともアメリカに行ったが、戦後は不遇だったよ。アインシュタインは
平和運動で煙たがれ、マンは赤狩りでヨーロッパに戻ったし。
ググったんだが、
アインシュタインは海好きみたいだな。
人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。
ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです。
海は、形容しがたい壮大な姿をしています。とりわけ、日が沈む瞬間は。そんなとき、自分が自然に溶け込み、
ひとつになるように感じます。そしていつも以上に、個人という存在の無意味さを感じるのです。それは幸せな気分です。
74 :
吾輩は名無しである:2005/10/15(土) 19:43:38
海辺に何時間いても退屈しないのね、モンテ。
75 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 00:59:54
海の話題を遮って申し訳ない。
岩波文庫の「ドイツとドイツ人」の解説を読んで感激したよ。
「非政治的人間の考察」は筑摩で文庫化されないのかね。
あとドイツ文で1918〜1921の日記もあるらしいが、紀伊國屋書店で
出す予定はないのかな。
76 :
吾輩は名無しである:2005/10/27(木) 12:03:38
それは噂のホモ日記でつか?
読んでみたいでつ。
こんな事、書いたけど、トーマス・マンのファンでつ。
77 :
吾輩は名無しである:2005/10/28(金) 21:40:44
筑摩叢書の「非政治的人間の考察」の解説によると、1918〜1921ごろは
トーマス・マン的には空白に近い期間とされているそうだ。
だが、存在しないと思われていた同時期の日記が期せずして開封されたので
同時期の思考過程が窺い知れるのかもしれないね。(1933〜1934日記の解説)
ホモ的なことは削除されてるんでしょうね。
>>77 初心者質問:
「ホモ的なことは削除されてる」のは、新しく出る(かもしれない)日記のこと?
それとも過去に邦訳が出てる分のことでしょうか。
79 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 05:39:43
80 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 23:23:12
おお、紹介サンクス
>>79 別に英語ですらすら読めるわけじゃないが、ドイツ語は全然読めないんで、
この値段なら購入考えるなー
たとえ紀伊國屋書店から邦訳が出たとしても、どうせ高価本だしね
81 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 00:29:07
本代より送料の方が高くなると思うから、
そこらへんは気をつけてな。
82 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 01:49:27
追加情報どうも。
>>81 どうやら送料コミで2000円以内に収まりそう
海の上はイタリアの作家のパリッコの原作。
そんな写真のシーンがあったような、なかったような。
84 :
吾輩は名無しである:2005/11/14(月) 01:03:14
age
85 :
吾輩は名無しである:2005/11/20(日) 14:39:18
>>83 海の上のピアニスト、立ち読みしてみたけど字の大きさにビックリ・・・
小説かと思ったら、劇なんだね。
トーマス・マンの名前は出てこなかったような
86 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 23:54:28
中学生の頃、トーマスマンってウルトラマンとかミラーマンと同じ、特撮ヒーローかと思っていた。
高校生の頃、トニオ・クレーゲル ヴェニスに死すを文庫本を買って読んだ。トニオ・クレーゲルがヴェニスで
死ななかったので、はじめて2つの小説だと知った。
87 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 00:07:52
トーマス・マンは小説以外にも講演や政治的言論が多いこともあり、
全集を買って読みたい作家の一人だが、なにぶん古書でも値段が
7万円前後で高値安定しているせいか、手が届かないよ。
せめて「後期の短編」や「大公殿下」なんかが文庫化されないものかと
思うのだが。
大公殿下はどこかの文学全集に収録されてるようだ。
後期短編は新潮の全集しかないけど、新潮社では期待できない。
岩波ちくまあたりガンガって欲しい
89 :
吾輩は名無しである:2005/12/11(日) 14:33:07
「魔の山」読み始め記念あげ。
90 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 22:47:33
奥田敏広:
『トーマス・マンとクラウス・マン――“倒錯”の文学とナチズム』
ナカニシヤ出版 ISBN: 4888489890 (2005/12)
「ナショナリズムと同性愛エロスの共犯関係
創作メモをはじめとする
最新の一次資料を渉猟し
マン父子の作品を精緻に解読,
時代の狂気と交錯する
作家の欲望をえぐり出す。」(帯より)
↑新刊紹介あげ
91 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 23:01:33
↓もうひとつ新刊。露骨に同じテーマのような・・・
福元圭太:
『「青年の国」ドイツとトーマス・マン――20世紀初頭のドイツにおける男性同盟と同性愛』
九州大学出版会 ISBN: 4873788897 (2005/12)
本書は,19世紀末ドイツに生成した「ドイツ青年運動」ならびに
当時の思想書や政治的テクスト,また文学テクストを分析の対象とし,
「男性同盟と同性愛」を縦軸に,「文学と政治」を横軸に据えて,
「エロスと政治と文学」の特殊ドイツ的ありかたを解明しようとするものである。
忘れられた思想家,ハンス・ブリューアーのほか,
この時代のドイツにおける「エロスと文学と政治」のディスクルスが一身に交差する
「青年神話」とトーマス・マンが俎上に載せられる。
92 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 04:39:31
66>>
『トニオ・クレーゲル』岩波文庫も
名訳だと思いました。
今度『ヴェニスに死す』に挑戦して見ます。
ドイツ語読めないので……
93 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/31(土) 01:50:06
「ヴェニスに死す」はヴィスコンティの映画を先に見てから読んだ
わけであるが、どちらもゆったりとした展開ですばらしい。
乾いた空気や海のかんじといったものが日本とは随分と異なると感じた
ものだ。
94 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 08:19:29
>>93 私は『ヴェニス』は原作の方を先に読んだけど、映画もよかった。
文学作品を映画化したものにしては珍しく、あまり違和感を感じない作品だったな
特にアッシェンバッハがお化粧するあたりは素晴らしい。
>>94 化粧の場面はいいけど、やっぱ原作にあると、自分のイメージと
微妙にずれるんだよね。濃すぎるんじゃないかとか。
あの映画がすごいのは、原作に描写がない場面がある場面以上に
原作っぽいところ。特に大道芸人の場面がすばらしいと思う。
ビスコンティは正しい読者。でも多分、「失われた時」を撮っていても
ほとんど同じものだったろうって気がする。
96 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 21:54:13
>>95 逆に「異邦人」は、カミュの原作に忠実すぎて、あまり面白くなかった。
カミュの未亡人が、忠実に製作する事を条件に映画化を許可したらしい。
97 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 22:50:03
ベニスに死す、映画もまあまあ好きだけど、
やっぱり小説とは別物だと思うなあ。
原作はコメディとホラーの綜合といった雰囲気があると思うのだけど、
映画はちょっと芸術的過ぎるように思う。
>>97 「魔の山」が「ベニスに死すという悲劇と対になる喜劇」として
構想されたことからしても、一応ベニスは悲劇だと思うけど。
映画の方は半分マーラー映画だから、まあ別物なのは当たり前で。
映画「マーラー」にタッジオが登場するくらいよくできた
マーラー映画。
99 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 23:15:36
何よりも「少年」が違うかな。原作からギリシャ彫刻のような
端整な少年像を思い描いていたのに、
映画のビョルン・アンドレセンはあまりにも女性的。
ヴィスコンティの好みが色濃くでていて、秀作だと思うが
原作の主人公にあるイロニー、自分を哂うような距離感がなく
違和感が残った。
100 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 23:17:05
マンが原作書いた時、軽いノリで書き上げたらしいけど
周囲がシリアスに受取ったので、結構慌てたらしい。
だから尚更、映画の方はちょっと恥ずかしい。
ヴィスコンティ自身が、マジだったのかシャレだったのかは
わからんが・・・
101 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 23:36:34
基本的には、地位も名誉もある、いい歳したオッサンが、
恋(しかも同性愛)に狂って破滅する姿を描いた寸劇、
というのが、原作のベニスに死すだと思うんだけど、
映画では、そういう滑稽さよりも、
芸術家の苦悩と恍惚(それもたしかに作品の主題ではあるけど)、
が強調され過ぎているように感じたな。
>>99 主人公自身には自分を笑う感じはないと思うな。
作者にはあるけどね。
原作の少年は「とげを抜く少年」みたいなんだから
ビョルンみたいな女性的な感じでいいと思う。ただ年齢が高い。
「マーラー」の少年のほうが幼い分、より原作っぽい。
いい子にしてたらお砂糖湯を作ってあげる。
104 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/07(土) 00:26:10
>102
美や芸術の考察のなかに、まるで鏡に映る自分に向かって
おいおい、一体おまえは何をしている?といいたげな
箇所がなかったっけ?
よく覚えていないけど。
>>104 うーん、あったかもしれないけど、
この作家、はっきりいって旅行行かなくても、
しょっぱなから終わってるじゃん。
活力ないっていうかさ。きれいな言葉の大家になりきって、
笑い=生きた制作欲が枯れてる。死に場求めてる感じだよ。
106 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/08(日) 00:27:35
ベニスに死す
これはマンの他の作品「ベルズングの血」の同系列かと思った
近親相姦双子ものだっけ? だとしたら
あんまり近い印象はなかったけど、どのへんが?
108 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/08(日) 01:21:49
映画は「ファウスト博士」からも一場面引用していたけど、
あの場面を、原作にあるオルギアの夢にすれば、
もっとグロテスクなユーモアが出ていたのでは、と思う。
「うー」って叫びならが全裸で踊る人たちの夢か?
原作では一番いい箇所の一つだけど、あそこまで野性的な
場面は映像化すると強烈すぎる感じが。それにそこのために全体が
エログロカルト映画扱いされてしてしまいそうな気がする(昔だし)。
110 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/08(日) 17:20:07
けど、あの場面での理性アボーンがあるからこそ、
その後のアッシェンバッハの、
なりふり構わぬストーカーぶりに文学的リアリティが出る。
何とか映像化して欲しかった。
ラテンアメリカ映画みたいだね。
映画はともかくあの場面だけどさ、あれって「あんたの体に
ウィルスが入りましたよ」っていう夢だと思うんだけどどうだろ。
身体レベルの異変が夢になって出てきたっていうか。
>>1 スレタイがイイね。
>>105 死に場所は誰もが求めてるんだよ。だから書く活力が出る。
>>112 105に限らず「レス」は前の問いを読まなければただの一般論。
114 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 10:49:59
>>111 あ、その読み方おもしろいな。
俺もあの夢は映像化して欲しかったよ
>>108-110 ヴィスコンティのも嫌いじゃないけど、もっと現代風というかパンクな
映画にもできる作品だと思う
115 :
40代おやじ:2006/01/09(月) 13:14:31
「魔の山」読了。
一週間で読む予定だったが、10日以上かかってしまった。
やっぱり長いわ。
なんだこのニート小説は。
金とヒマのあるモラトリアム青年が、7年間も悠々自適。
しかもそこは世界的ウィンターリゾートとして知られるダボスだ。
最初は主人公ハンス・カストルプに反感すら感じたものだ。
小説では数々の死が語られるが、主人公には死の影はない。
あくまで傍観者としての立場だ。なんともお気楽な主人公だ。
面白くなってきたのはナフタが登場してから。いわば悪役の
ナフタの登場で、小説が引き締まった感じがする。そして
ペーペルコルンの登場でクライマックスになる。ペーペルコルンは
主人公の将来の姿を暗示しているのだろう。このキャラにより
カストルプはより高い次元に自らを押し上げていく、
というわけかな。
116 :
40代おやじ:2006/01/09(月) 13:20:43
マンの好きなところは、現世肯定というか世俗的な
意味での成長・成功を否定していないところだ。
「魔の山」でも、ペーペルコルンは実社会で経済的成功を
とげ、その過程においてさまざまな経験を積み上げてきた
人物として描かれる。そして主人公はそれに意義を見出し、
そこから発せられるオーラに惹かれていくのだ。
抽象世界を生きるセテムブリーニ、ナフタはペーペルコンの
前で影が薄くなり、主人公の精神の中でも、その存在は
縮小していく。
こういう現世肯定的なところは、マンの好きなところだ。
「大公殿下」「選ばれし人」がどこからも文庫ででていない。
これが文庫ででてくれるといいと思う。
それから唯一の戯曲「フィオレンツィーナ」なんてどこかで
文庫だしてほしい。
118 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 19:45:51
>>115きみ読むのはやいね。俺だったら1ヶ月はかかるね。ディケンズの
骨董屋もそんくらいかかったからね。
まぁゆっくり読むことにするよ。マンの短編2.3読んでから
読むことにするよ。マン全集の何巻だったかな...
>>115 ハンスはペーペルンコルンにはならないと思うけどね。
あれはさまよえるオランダ人でハンスはそうじゃない。
科学的医療に生活管理されつつワーグナーとベルディ
のテーマにのってロシアの人妻とフランス語で
愛を語り、イタリアの人文主義と過激なドイツ人に
教育されつつ、「菩提樹」歌いながら戦争する。
そのどこからも等距離にある主人公だと思う。
120 :
40代おやじ:2006/01/09(月) 22:13:01
>>118 ま、年末年始も含めて休みが長かったのでね。
久しぶりに図書館に半日篭って読書、という経験をしたよw
>>119 ペーペルコルンについてだけは等距離とは言えないんじゃないか。
明らかに主人公はこの現世的キャラクターに惹かれている。
ペーペルコルン登場以降、セテムブリーニに対してすら
見下すような態度を見せ始める。
まあ、彼、ショーシャの持ち主だからね。
この板でも何かというと「童貞」って罵りが出るように
嫉妬の裏返しの尊敬っていうか、性的能力=財力みたいな
完全な上下関係(穴兄弟)が発生してるわけで、その強烈な
関係の前では、セテムブリーニはショーシャとは寝られない男
って分類の十把一絡げ。見下しもするわな。そりゃあ。
ちょっと論旨がずれた。ごめん。
でも、そういう生物的なボス関係がハンスにとって決定的な
ものになったかっていうとそうではないと思う。
結局ハンスは全ての価値観や思想について
セテムブリーニいうところの
「試験的採用」に留まったと思うよ。
ごめんしつこく続き。
全部が「試験採用」とはいえ、
そうではない彼の本質というのは
もちろんあるし、書かれていると思う。
ただ、それは魔の山の上の話とは別の話だ。
124 :
20代ニート:2006/01/10(火) 18:15:47
>>115-116 そうですか、40代ともなれば、前半より後半の方が面白いわけですな・・・
俺はやっぱり前半の方がずっと好きだし、
実は「魔の山」よりも初期のニート度の高い短編の方が好みだったりする
ペーペルコルンは確かに作者に贔屓されてはいるけど、いまひとつ、
読者に対する説得力に欠ける気がしてしまう。
セテムブリーニとかの方が活きいきと書けてると思うけどなぁ
40代おやじさんってかなり読むのが早いですね。
私は「魔の山」には3ヶ月かかってしまいましたよ。「ブッデンブローグ」は
1ヶ月でしたけど、「ファウスト博士」は中途挫折もあってか、4ヶ月。
「ワイマールのロッテ」も1ヶ月かかりましたね。
「選ばれし人」は順調で2週間、「大公殿下」も同じくらい。
でもそこまで早く読めるということは、相当トーマス・マンに入れ込んでいる
ことが理解できます。そういう人がいるということは素晴らしいですね。
126 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 14:20:57
短編神の剣読むヒエロニムスは若き日のヒットラーだ。
127 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 14:22:29
わりぃ。俺、全然登れねえわ…。
128 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 14:34:57
やっといい作家に出会ったよ
129 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 18:54:45
いつのまに新潮の魔の山新しくなってたんだな
まじ? 見てこよう。ありがとう。
『魔の山』を読んだのは10年以上前。悪徳療養所に
騙された気の毒な青年の物語かと思って最後まで
読んだら、そうでないと分かってびっくりしました。
こんな読み方した人、他にいますか。確か三、四日
で読み終えました(自慢できるのは速度だけ……)
別に間違ってもない。治すっていうから入ったのに治らない(で死ぬ)、
だまされてる。
>132
だれが死んだのですか?
あ、死んでなかったw ごめん。
でも治らないし、上で死ななかったのは
戦場にいったから。そういえばハンスは
戦死したか否かって結構気になる。私は死んだと思っているが、
みなさんどう思ってますか?
私は生きてると思ってる。
根拠は何もなく、ただの感覚なのでスルーしてくらはい
ちなみに長谷川四郎の「鶴」も、主人公は生きていると主張して
レポート発表して先生から顰蹙を買った。
137 :
カフカース ◆RhyhO8SlPs :2006/01/16(月) 21:09:21
「魔の山」傑作。この本を読むには7年はかからないだろうという著者の
注釈はあったが、三ヶ月で読了した。
この文体はどう見てもゲーテの「マイスター」だったね。
俺は学校休むくらいにのめり込んで二日で読了したよ。
岩波で本文と注釈と行ったり来たりしながら喰らいついたなあ。
139 :
カフカース ◆RhyhO8SlPs :2006/01/16(月) 21:23:44
「魔の山」は途中中断していた。その最中にモーパッサンの「女の一生」
読んだり、ドストエフスキーの「貧しき人々」読んだりしていた。
「魔の山」住人の行動としてそれは非常に正しいな。
141 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/19(木) 00:36:53
>>134 しかし何というか、あれで死んでたら魔の山で色々学んだことは
一体なんだったの?
という気がしてしまうな。勿体ない・・・
そう。
ハンスが思考の果てに行き着いたのは、戦争に赴き、死ぬ。って事なんだよね。
俺はこれ読み終わった後、マジで悩んだよ。何でだ?って。
最後にハンスが考えたことが書かれて無いんだよね。
書く必要がなかったのかな?俺は未だにこれを読むと少し戸惑ってしまう。
いや、ごめん。死ぬ、って意思じゃなくて、
ハンスは戦争に行った。そして恐らく死んだ。って結末に戸惑う。
ハンスは死にに行ったわけじゃないです。書き方微妙だった。
まあ、当時の若者の多くがそうだったから、ってことだと。
145 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 00:06:07
>>142-143 同感。あの作品内容でラストが「戦争に行く」で終わる必然性が、
よく分からなかったよ。唐突な感じ。
実際多かったから、と言われるとそれまでだけど・・・
オチに困ったから戦争で一挙解決、という雰囲気さえ感じてしまった
魔の山=青年期=モラトリアムだからな。死ぬ場所にいく前の猶予期間。
>>145 オチに困ったから、で正解じゃないスか。
そこで思うんですけど、マンは第二次大戦のとき
確かナチスに反対し続ける。この態度と『魔の山』
のラスト、どうつながるのか(それとも関係ないのか)
どなたか解りますか?
しょせん時代の潮流には敵わない、ってことかね。
>>147 こういう、なんでも自分と同レベルで考えられるオレって、
かっこいいじゃん、みたいな人は、傍から見ると恥ずかしい。
ということを「魔の山」で学んでほしい。
そうね、落語じゃないんだから。
>>143 セテムブリーニとナフタとペーペルコルン、それぞれのスタンスに触れて「試験的採用」したとすると…
戦争に行くのは当然だと思ったのだけれどどうなんだろう。
何か岩波の後書きかなんかに書いてなかったかな?
「空虚な知識(思考?)は結局内容なくさまよい続ける」とか何とか・・・。
手元に本が無いので適当だけど。
小説の冒頭にしつこいほどマンが「ハンスはいたって普通の人間、平凡な人間で」
って述べてたよね。
ハンスは結局、能動的に歴史に関わろうとする意思と力を持ったセテやナフタとは違って、
当時の若者同様に兵士として戦争に関わっていくしかなかったのかな〜って思ったりした。
>>151 ところで「試験的採用」ってどこの訳文?
岩波は「実験採択」だったかな。
魔の山って特徴的な言葉が多く出てくるから他の訳文も読んでみたい。
「試験的採用」は新潮の高橋義孝訳。
訳文もだけど、原文自体に諸言語入り交じってるから、その
味の違いが分かるときっと楽しいのだろうなと思った。
ちなみに自分は「二人とも! 二人とも!」のお母さんが
そこだけいきなりラテンアメリカ文学で好きだ。
155 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 17:03:53
雪と言えば魔の山。
俺もハンスみたいに夢想しながら散歩してきた。
のどが痛い。
156 :
関場 ◆dhJAsyE57E :2006/01/21(土) 21:51:27
こんにちは
「日本文学の革命」という文学運動をやっている関場というものです
(「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください)
ゲーテやニーチェやリルケならよく読んでいるんですが
トーマスマンはまだ登攀してませんね(笑)
よかったらどこから入ってゆけばいいのか教えてください
あとそれと「日本文学の革命」をよろしく
日本文学を復活させるつもりですので、応援お願いします
この人は「魔の山」のダメ教師キャラグループの一人ですか↑
立腹病の章で、普段は理性理性言ってるゼプテムブリーニさんまでもが
コロっと感染してしまっているのは、あの時代戦争へ突き進んでいった
ヨーロッパの国々全体が熱病状態にあり、なんの歯止めが利かなくなっていた
って事を描いてるのかな?
159 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 21:04:06
すみません。僕まったくわからいのですがヴェニスに死すは同性愛を描いてるらしいのですがマン自身も同性愛者だったと聞いたのですが本当ですか?」
160 :
カフカース ◆RhyhO8SlPs :2006/01/24(火) 22:01:48
フィオレンツィーナがよかった。戯曲なんだが、これほどの情景描写が細かい
作品はないだろう。
この題材はロマンロランも扱ったし、西欧ではかなり浸透の度合いが深い事件
だったのだろう。
162 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 01:52:15
『ヴェニスに死す』、フロイトの昇華理論が
ぴたりと当てはまる気がするけど、
どうなんでスかね。マンにとっての
昇華という意味ですが。
わざわざそれを否定するつもりもないし、
ある意味それで正しいんだろうけど、
昇華と小説化というのは、似て非なる、というのの
典型のような気がするな。
164 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 22:56:45
質問させてください。
アシェンバハの原作での職業はなんだったのでしょうか??
映画では作曲家だったんですが…
作家です。
(クイズに応募するの?)
>>164 「させてくれ」じゃねーよ。すんな。
冒頭で分かるんだから、本を開くくらいしろ。
「魔の山」読み始めたんだけど、ちょっとネタバレ読んじゃって、ヨアヒムが死んじゃうの知って今から泣けてきた。
登場した瞬間から死亡フラグ立ちまくりで予想してたけど、悲しい。
まあそういう「銀河英雄伝説」みたいな楽しみかたも
入り口としてはありか。ただずっとそこにいないでくれ。
この前知り合ったドイツ人留学生がマンを知らなかった。
ヘッセは知ってたけど。向うではそんなものなんだろうか。
名前はクラウディアだったのに・・
170 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 23:22:57
ドイツの出版界の現況ってどんな感じなんだろうね?
171 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:43:54
マン全集といえば、日本の漱石・鴎外全集みたいにひろく
出まわっているはずだけど。
出回っているけど、読む人間は限られてるのも日本と一緒?
名前は知ってるけどねっていうレベル。
トルストイを知らないロシア人みたいなもんか。
173 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 03:04:11
>>169 おれが知り合った留学生(理系・男)は、マンは教科書で読んだけど、ドイツ人でも難しいと言ってた。
174 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 04:17:47
>>173 日本語版ならそんなに難しくないけどね。
ドイツの人ってかわいそう……
マンはドイツ語むずかしいよ・・・
ドイツ語の授業で読まされたけど、死ぬかと思った
それプラス長編でフランス語の部分まである魔の山はドイツ人もびっくりか
なかなか切れ目のこない文章はどこの言語でも難解になるということか。
カントとかヘーゲルとかは原文ではどうなんだろう?
178 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 22:51:53
「ワイマールのロッテ」(岩波文庫 望月市恵 訳)の解説にこんなのが
あった。引用は長いが要約はしません。
「マンの文章は、代名詞や接続詞でやぐらのように組み立てられた文章で
あって、マンを読むと、ほかの作家の文章はどれも味気なく感じられた。
長い文章を書いた点では、恐らくドイツ文学のなかでも、マンの右に出る
人はいないのではあるまいか。しかも、この長い文章は、長いことを感じ
させない。あいまいさがないからである。一語一語が、釘の頭の上を打っ
ているからである。」
わたしも大学図書館にある原文を見たが、なにか大学入試の英訳問題を
見るような気分になった。
179 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 01:24:18
センスのないスレタイだな
セテムブリーニ先生の、人間の動物的行為、つまりセックスについての講義はいつ頃聴けますか。まだ上巻の中盤です。
『魔の山』読了。
今、『トニオ・クレーゲル』読んでる。
それにしてもこの人(トニオ)、数年ぶりに故郷に帰ってきたのに、全然、感傷に流れないな。
>>180 あまり期待せずに読む進みましょう。
>>180 あんまりよく覚えてないけど、生殖についての話はハンス・カストルプが自分で
本で読むんじゃなかったっけ?
それだと上巻の五章の半ばぐらいだったと思う
セテムブリーニが長々と語るパートも、その前あたりに何回か出てくるけどね
183 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/12(日) 01:49:28
>>177 カントもヘーゲルもドイツ語は難解。特にカントはドイツ人でも相当苦労するらしく、
文体の悪口を言ってる人がかなり多いようだ
日本人が読んで何に苦労するかといえば、やはり関係文の複雑さかと。
(スレ違いだな。失礼)
ベニスに死すを原文で読むとなるとかなりしんどそうだね
185 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 12:42:58
しんどいね・・・
186 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 09:52:53
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
おまえは「だんまりシスター」でも咥えてやがれ。
さあ、膝栗毛をはじめたり!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
> トーマス=マンが戦後書いたものの中に「カール=マルクスがフリードリヒ=ヘルダーリンを読む」ような世界という象徴的な表現があります。
↑この意味の解説きぼん。 マルクスは特にヘルダーリンを愛読していたの?
--- 「である」ことと「する」こと ---by--- 丸山真男
=== 価値倒錯を再転倒するために ===
現代のような「政治化」の時代においては、深く内に蓄えられたものへの確信に支えられてこそ、文化の(文化人のではない!)立場からする政治への発言と行動が本当に生きてくるのではないでしょうか。
正にそうした行動によって「である」価値と「する」価値の倒錯――前者の否定し難い意味を持つ部面に後者が蔓延し、後者によって批判されるべきところに前者が居座っているという倒錯を、再転倒する道が開かれるのです。
もし私の申しました趣旨が、政治的な事柄から文化の問題に移行すると、にわかに「保守的」になったのを怪しむ方があるならば、私は誤解をおそれずに次のように答える外はありません。
現代日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカルな精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないかと。
トーマス=マンが戦後書いたものの中に「カール=マルクスがフリードリヒ=ヘルダーリンを読む」ような世界という象徴的な表現があります。
マンの要請を私なりに翻訳すると右のような意味になります。少なくともそれが、お話ししましたような角度から現代を診断する場合に、私の抱く正直な感想であります。
>>188 「マルクス」「ヘルダーリン」というのは、具体的な事実の話ではなく一種の比喩ですね。
丸山真男が引用しているのは、トーマス・マンが1920年代の終わりごろに行った講演です。
(「戦後に書いた」というのが第二次世界大戦後という意味なら誤り。) そこでマンは、
「ドイツの社会主義は今日、政治的な面では本物の国民政党であると言えよう。
しかし国民的課題を担うには未熟すぎる。
その前に、極端な話、まずカール・マルクスがフリードリヒ・ヘルダーリンを読まないことには。
ともあれ両者の出会いは今や実現しつつある」
と述べています。つまりドイツの社会主義は政治のレベルでは正しいが/文化のレベルでは
未熟で「国民精神」が欠けている、とマンは考えていたわけです。
ヘルダーリンは当時、郷土愛を謳いあげた詩人として「ドイツ精神」「ドイツ文化」の代名詞
みたいなものになっていましたから、
「マルクスがヘルダーリンを読む」=「社会主義+国民精神」の合体、という意味になります。
どなたかご存じでしたら教えてください。
未完作品「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」の続きが
気になって仕方ないのですが、この作品の評論や、
その後、物語がどう展開する予定だったかなどを研究した本は
出てないでしょうか。
クルルは完結してますよ。
新潮文庫で出ていたものは第一部のみですが、
完全版は全集で読めます。
192 :
190:2006/03/09(木) 14:27:51
>>191 え?そうなんですか?未完ってはっきり書いてあったような?
でも、全集で読んでみます!
ありがとうございました。
「クルル」は最終的には未完ですね
新潮社の全集には第三部まで収録されてるようですが
>>190 「クルル」だけを専ら扱った研究書は多分ないと思いますが、
トーマス・マン関係の本なら何かしら言及はされてるでしょう
194 :
190:2006/03/10(金) 20:40:45
>>193 自分が読んだのは、子供の頃に買ってもらった色々な作家の全集なのですが、
第三巻と書いてあるので、ここまでで終わりのようですね。
一応他の全集も見てみますが、ここで終わりだとしたら、
むちゃくちゃ後が気になる所で終わってますね。
トーマス・マン関係の本を色々と読んでみます。
ありがとうございました。
195 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 22:56:36
20過ぎの今頃、トニオ・クレーゲル呼んでる途中だけど、良い。
何この後光。ものぐさな過去の自分が許せない。今から精神的に青春してくる。
197 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 16:47:41
トニオ・クレーゲル、いいよね。マンの作品の中では一番好きだ
196は何処へ、何しにいったんだろう。
確かに気になるなw
200 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 07:06:40
age
der tod in venedig(ベニスに死す)読了あげ
さげてた。今度こそあげ
もう結構。
革新age
206 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 09:58:52
>>173 フォークナーやジョイスがアメリカ人でも難しい(らしい)のといい勝負だな。
207 :
吾輩は名無しである:2006/05/01(月) 21:35:03
「トーマス・マン物語U(亡命時代のトーマス・マン」が発売されました。
また八千円くらいするの?
209 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 16:22:50
Tod in Venedig
210 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 20:32:44
Der Zauberberg
211 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 21:01:25
マンではヴェニスに死すが一番好き
岩波の短篇集ってどうなの?
「どう?」とは??
214 :
吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 09:33:46
Nur parteihaft habe ich die Erzaehlungen gelesen.
Deswegen kann ich nicht sicher sagen, ob sie interessant oder nicht.
215 :
吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 09:34:22
Nur parteihaft habe ich die Erzaehlungen gelesen.
Deswegen kann ich nicht sicher sagen, ob sie interessant sind oder nicht.
parteihaft って??
もしかすると teilweise のことかな…
217 :
吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 23:54:07
トニオに何度助けられたことか
218 :
吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 18:56:06
魔の山ではないのだが、ハンノーの同級性が悪さをして、教員研修の先生の
授業と人生が無茶苦茶になるくだりは、漫画的で面白かったな。
確かワッサーフォーゲル君でしたっけ、豚の鳴き声の模写をして、それが人の
体の中から出る音とは信じられなかったと言うのは・・・
ところで、この魔の山の映画化って、
1981年のハンス・W・ガイセンデルファー 監督作品だけ?
220 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 12:48:28
あのヴィスコンティが映画化を熱望していて、
ヘルムート・バーガーとシャーロット・ランプリングの
キャストまで考えていたそう。見たかった。
221 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 01:28:01
222 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 13:19:02
1981年の「魔の山」。
数年前にBSでやっていたのを見た。
原作にわりと忠実。ドイツ語が弾丸のように飛び交う。
奇をてらったところのない、よくまとまった映画だったが、
ものたりない。雪のシーンや、ショーシャ夫人のことなど、
原作のもつ香りやふくらみ、暗示にはかなうべくもなく。
223 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 15:25:03
1981年の「魔の山」、
キャスティングはよかったと思う。
ハンス役の天然ボケな感じ、
ヨアヒム役の直情な感じ、
セテムブリーニ役の胡散臭さ、
ショーシャ役の高い頬骨とキルギス人のような眼差し、
どれもよく感じが出ていた。
ただ、全体的にはヴィスコンティ風の重厚な美意識もなければ、
集団劇としてのカーニバル的な躍動感もなく、
B級な文芸映画という感じが漂っているね。
224 :
吾輩は名無しである:2006/05/30(火) 19:33:52
>>222-223 解説どうも!
映画としては微妙、ということなのか・・・でも原作好きだからDVD買ってみようかな
225 :
吾輩は名無しである:2006/06/01(木) 23:02:47
映像が古いためかカメラが古いせいかはわからないが、
ヴェニスの乾いた空気が感じられた。
原作にもシロッコという表現を用いていたが、日本の湿度とは
異質な感じだった。
「マリオと魔術師」をデビッド・リンチに映画化してもらいたいな。
227 :
吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 13:03:39
「ブデンブローク」の映画ってない?
228 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 00:39:09
>>227 本国では映画化されてます。
あまり評判はよくないです。
渡る世間は鬼ばかりみたいな感じになっているのかも。
229 :
吾輩は名無しである:2006/07/10(月) 01:20:16
『ワイマールのロッテ』お勧めです。ついでに『欺かれた女』。女性に対する
マンの残酷さが見えてきます。少年愛の作家はだいたいにおいて女性に対して
手厳しいようです。
『ヴェニスに死す』、いいなぁ。
「タッジゥ」だって(笑)
しかし最初のほう、あまりにも意味のわからない文章が続くんでとんでもない翻訳者だなぁ
と思ったけど、何度も反復するうちにちゃんと意味が通じるようになった。
こりゃ難しいわ。
231 :
227:2006/07/13(木) 02:06:40
そうだったのか……ありがとう
>>228 いまいちだから日本には紹介されてない、ということなのかな
しかし、「渡る世間は」って(笑)
232 :
吾輩は名無しである:2006/07/13(木) 10:30:05
次のDVDがあるみたい:
・詐欺師フェーリクス・クルルの告白、ASIN: B00024JNPM
・ワイマールのロッテ、B00008VDU0
アマゾン・ドイツで検索すればわかる。
(当然ながらどちらもドイツ語で日本語字幕は無いはずだけど。)
233 :
吾輩は名無しである:2006/07/13(木) 20:45:29
某教授の本に、トーマス・マンはユダヤ系ドイツ人との記述があるんだが、違うよな。
奥さんだけで。
234 :
吾輩は名無しである:2006/07/13(木) 21:07:30
時々あるけどそれは間違い。マン家はユダヤ系ではない。
奥さんのプリングスハイム家はユダヤ系ドイツ人だけど。
マン毛は黒系ではない
>>234 ですよね。
ファン歴10年なのにそんなの初耳だよと思ったのでした。
ちなみに国際教養学部教授の本でした
237 :
227:2006/07/15(土) 02:14:30
>>232 へぇ、クルルまで映画化されてるのか
やはりドイツでは国民的作家だけあって、映像化も盛んなんだね。
ワイマールのロッテは、かなり見てみたい
238 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 05:26:51
高橋訳のヴェニスに死すが読みにくいのは俺だけ?
初期だからか?
239 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 07:02:00
おれは高橋義孝の訳が好きだな。
「魔の山」も「ファウスト」も「ヴェニスに死す」も。
240 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 07:41:18
自演乙
241 :
:2006/07/15(土) 07:52:04
誰がこんな自演するかよw
高橋義孝は相撲がすごく好きだったらしいね。
242 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/15(土) 11:31:21
ヘッセより難しい文章だよ、トーマス・マンは。
『ヴェニスに死す』しか読んでないけど。
243 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 11:38:16
だけかよwww
〜高橋義孝と相撲と酒〜 某HPより
ttp://www.tbc-sendai.co.jp/02radio/cheers/bottle/2005/050312.html 熱狂的な相撲ファンとして有名だった、ドイツ文学者高橋義孝。蔵前の国技館では、
いつも砂かぶりの席で観戦していたといいます。その高橋さんとよく相撲見物に出かけたのが、
酒豪として有名な、作家山口瞳さんであります。
山口: 「高橋先生、いつもながらご機嫌ですね」
高橋: 「ああ、今日は初場所の初日だからね。私はこの日が一年の中で一番好きだ」
山口: 「夏休みの初日を迎えた小学生みたいですな。それにしても先生は初場所がお好きだ」
高橋: 「初場所の初日と千秋楽を比べるとね、国技館を出たあとの外の明るさが少し違うんだよ。
15日間毎日のように通っているが、毎日少しずつ明るくなって、千秋楽の頃にはほの明るくなる」
山口: 「先生、そういう事がわかるというのは、いけませんなぁ。わかるという事は、どうしたって
そこで1杯やりたくなるじゃないですか。それがいけません」
高橋: 「うむ、それはいかんなぁ。しかし、それに気付いた君もいかん。山口君、
しょうがないから帰りに1杯行くか」
山口: 「そうですね、我々2人ともいかんですね」
そんな屁理屈をひねりながら、相撲が終わると2人はよく酒を飲みに行ったという、
昭和48年頃の話であります。
245 :
吾輩は名無しである:2006/07/15(土) 11:43:37
246 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 19:57:31
>>238 239
結局最初に読んだ訳が好きになる。おいらは実吉だな。
247 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 21:27:21
実吉の訳で岩波版のトーマス・マンを読みたいのですが、
何度か重版されているようです。
近年のものがおそらくいいと思うのですが、
どのぐらい違いがありますか?
解説、表記など
詳しいかたいらしたらご教授ください
248 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 23:04:30
魔の山はどっちの訳がスキ_?
249 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 23:19:20
>>248 実吉に決まっとるがな
>>247 活字や装丁が新しくなったただけで、訳文に変わりはないはず。
手近にあるのを買って読めばよいのでは。
古本屋行くとカバーが硫酸紙時代のが良く売ってる。
250 :
訂正:2006/07/20(木) 23:24:54
>>248 岩波の「魔の山」の訳者名見たら、実吉じゃなくて、関と望月だった。
スマソ。
251 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 00:52:48
>>250 決まっとるがな、ですか。高橋訳も名訳だとか言われてるけど
252 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 01:00:47
魔の山・高橋はよかったよ。
「水平状態」は我が家でみんな使ってる。
253 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 01:23:32
高橋は平易で明快って印象がある。読みやすい。
岩波かのやつは全体重厚って印象が強い。重ったるさを楽しみたい人は
岩波派かな。どちらも名訳でしょ。
254 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 02:41:00
重厚かぁ。。。重ったるさってのは、読み進みにくいって意味ではないよね?
『魔の山』の高橋訳は素晴らしいと思う。
ところで、
英訳、仏訳、露訳などに詳しい人いる?
あほな質問をします。マンを原文を読んで楽しむには、どのくらいドイツ語
やったらいいんですか。クレーガーで始めて目標魔の山ってことで。
257 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 15:13:28
岩波文庫の「ゲーテとトルストイ」とか「ドイツとドイツ人」とかの
講演録の「であります」調の訳文が好きなんだよね。
山崎章甫氏、高橋重臣氏、青木順三氏。
>>256 理論的には、初級文法を一年やって、中級の読む練習をまた一年くらいやれば
ぶっつけで読むことは誰でもできるはずです。
ただ、「楽しむ」となると、また話は別ですね……
『トニオ』はともかく、『魔の山』あたりになると相当ハードだろうと思われます。
なにしろ構文がやたら複雑な上に語彙が異様に豊富で、
頻繁に辞書を引かねばならないため、
四年以上ドイツ語を学んだ大学院生などでも、かなり苦労するようですから。
259 :
256:2006/07/23(日) 01:03:26
塊より始めよ ということで、とりあえず「トニオ」をめざします。
「魔の山」はエベレストなみというか・・・大変そうだなー
>>259 健闘をお祈りしてます。
トーマス・マンの文章は読むのが多少「困難」ではあっても、解釈に困るという意味で
「難解」ではないですから、読んで読めないことはない。
チャレンジしてみる価値は大いにあると思いますよ。
(とりあえず行き詰ったときのために訳本を何種か脇に置いておけば、安心です)
261 :
吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 18:24:48
魔の山の岩波文庫、字が小さすぎるし間のぬけたひらがなの多さに感歎。畜生!
子供さんたちの間で翻訳にケチつけるのが
通っぽい! ってはやってんのかな。
263 :
吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 20:36:14
なんつーのも、俗っぽい! ってはやってんのかな。
子供はすぐ人の使ったけなし形式を真似したがるからなー。
265 :
吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 22:09:08
それが読みにくいのは翻訳のせいではないという
自己紹介?
>>265
267 :
吾輩は名無しである:2006/08/14(月) 03:49:27
純粋な意見として岩波は読みにくい。
268 :
サンチェス:2006/08/14(月) 04:08:38
岩波は確かに読みにくいですね。
意訳控え目なのかな
269 :
吾輩は名無しである:2006/08/14(月) 04:09:36
「純粋な意見」…www
なぜ笑うの?
271 :
吾輩は名無しである:2006/08/14(月) 04:17:30
文字が小さいし、ひらがなの部分がちょっと普段と違う。
272 :
サンチェス:2006/08/14(月) 04:23:50
トニオクレーゲルも魔の山も岩波で読んだ。
今思うと岩波にこだわってたなあ。
なぜだろう。
>>270 pgr!!!
ワロタwwwwwwwwwwww
274 :
吾輩は名無しである:2006/08/14(月) 23:53:38
わざとでなければ・・
275 :
吾輩は名無しである:2006/08/15(火) 07:37:23
「純粋な意見」なるものが在り得るのだということを、
このスレで初めて知りました。
どうもありがとうございましたwwwwwwwwwwwwwww
「純粋意見」・・・
ベルクソンの「純粋持続」やベルナール・パースの「純粋欲望」に次ぐ
あらたなる哲学的概念の創出にわれわれは立ち会ったのだ・・・感動的じゃまいかww
278 :
吾輩は名無しである:2006/08/15(火) 18:59:17
未歩
279 :
吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 03:56:27
あらま、やだねぇわずらっちゃって。
魔の山、新潮で400ページ読んだけど、今のところ大して面白くない。
281 :
吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 12:14:10
1大変よくできました
2よくできました
3もう少しがんばりましょう
>>280 君はよくがんばった。自分で選べ
自国の人間にとっても平易ではないとされる文章が
「読みやすく」訳されているほうが嫌だよな。
283 :
吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 14:09:48
もともとドイツ語の日本語訳って読みにくいしな
形容詞の使い方が結構違うのか?
284 :
吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 15:07:57
辻邦生がマンの文章の構造を分析してたよね。
>284
岩波の20世紀思想家文庫。
マンをリスペクトする作家は辻と北杜夫で双璧か。
新潮版で下巻読み始めましたが、最初のナフタとセテムブリーニの会話がわけわかんない。
ああ、神って苦手・・・。
288 :
吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 11:42:55
>>255 「魔の山」の英文をざっと読んだが、暖めたコーラを飲んだような感じ。
"Magic Mountain"じゃね。マンの作品は皆そうだと思うが、
特に「魔の山」は原文でないと面白くない。
マンが「ブッデンブローク家の人々」(執筆当時25歳くらい)でノーベル賞を貰ったのも、
「魔の山」はドイツ語でなければ理解できないという理由からだと聞いたことがある。
289 :
吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:16:41
>>288 しかもヨーロッパの歴史がわからない私は二重の意味で理解できないという・・・
290 :
吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 19:47:27
>>288 英訳するとお笑いになるのは、ときどきあるね。
ニーチェのユーバーメンシュはスーパーマンになってしまう。
291 :
吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 10:04:23
カミュの『エトランジェ』が『アウトサイダー』だもんな。
292 :
吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 10:33:17
旧新潮文庫の上巻ラストは辛かった・・・。カタカナ表記は勘弁してくれ!!!
でも上巻で一番面白い箇所だったな・・・皮肉にも。
魔の山の話でした。
>>292 もし魔の山が日本語で書かれていたとしたら
フランス語部分はママでハングルみたいな感じ?
295 :
吾輩は名無しである:2006/09/16(土) 17:20:40
フランス語は欧州インテリの嗜みみたいな感じだと思うから、
漢文を想定する方が適当じゃないかな。
ハングルはインターナショナルでもないし、
日本人のインテリの嗜みでもない。
まあ、現代の日本の小説であれば、
作中人物が延々英語で愛の告白をする場面があってもおかしくはないね。
あれはショーシャ夫人の「カタコト」ぶりがかわいいって
ニュアンスだったと思うけど、外国語でのカタコトっぷり
を外国語で書くって難しそうだな。
>>295 江戸時代の日本に置き換えれば謡曲の言葉みたいなもんだろう。
東北や九州の武士はあれで他藩の人間とコミュニケーションしたらしいし。
298 :
吾輩は無教養である :2006/09/24(日) 23:11:55
シュテール夫人( ´,_ゝ`)プッ
「シュテール夫人と来れば無教養!」てな感じで
筆者の怨念が感じられるが
シュテール夫人のモデルになったDQNなオバチャンに
筆者が嫌な目にあわされたからか?
怨念か? 少なくとも
書く段階では愛があると思う。
ブロークバックマウンテン、DVD発売されましたね。
魔の山つまらねえwヘッセの方が何倍も優れてるな。
『ファウスト博士』再版してくれ岩波よ
303 :
吾輩は名無しである:2006/10/10(火) 16:00:04
トーマス・マンは評論が優れている。
304 :
吾輩は名無しである:2006/10/11(水) 00:31:37
トーマス・マン(ドイツ)1875-1955
「近年とみに評価を高め、現代文学においては優れた古典的傑作の一つ
と言える「ブッデンブローク家の人々」を特に認めて。」
-1929年ノーベル文学賞
305 :
吾輩は名無しである:2006/10/11(水) 07:52:21
著作権のなくなったところで新潮の全集を復活させてくれ。
自分今独に留学中なんだけど、ゼミの先生から勧められてたので
今日buddenbrooks買ってきました。
分厚いけど頑張って読もうかと。
他にも色々欲しいと思っているのですが、何を読もうか迷っています。
日本で手に入れにくいマンの作品ってありますか?
307 :
吾輩は名無しである:2006/10/13(金) 19:32:31
独逸に留学か。すごい。僕もいつか留学してみたいです。日本ではトーマス・マンは概ね文庫本でしか入手できないのが現状です。
全集あるから
>>306 今はアマゾンとかで個人輸入が簡単だから、日本で手に入りにくい、
という作品は特にないんじゃないかな。
(少なくとも、ちゃんと本の形になっている作品では)
ともあれ、頑張ってブッデンブローク読破してください
310 :
306:2006/10/14(土) 02:18:46
それもそうですね。
じゃどのぐらいかかるかわかりませんが、とりあえず読破してから考えますか。
ありがとうございます。
ドイツはいいところですよ。故郷巡りとかしてみたいですね。
本屋ではマンやヘッセ、カフカの作品がかなり揃っていて感動しました。
高いけど・・・!
ドイツ、作家のゆかりの地に直接行けるのは、羨ましいなあ
次の本、ゆっくり選んでください。
少なくとも日本よりは現地で買うほうが安いでしょうから・・
312 :
吾輩は名無しである:2006/10/17(火) 04:25:35
ドイツのアマゾンで買えばいい
アマゾンは南米だろ・・・
314 :
吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 22:07:51
そうだ そうだった
ゼニやった、もんだった(警察)
ポリス
>>288 >
>>255 > 「魔の山」の英文をざっと読んだが、暖めたコーラを飲んだような感じ。
誰の訳で読まれましたか?
John E. Woodsのブッデンブロークの翻訳が良かったので、
「魔の山」もウッズで読んでみようと思っていたのですが。
318 :
吾輩は名無しである:2006/10/24(火) 10:53:28
英訳か。その手があったか!
319 :
吾輩は名無しである:2006/10/24(火) 13:02:18
トーマス・マンと言えば、新潮文庫の『魔の山』の旧版を買った直後に新版が出て、後悔した憶えがある。
320 :
吾輩は名無しである:2006/10/24(火) 17:28:59
うん
321 :
吾輩は名無しである:2006/10/24(火) 17:30:05
そういうケースは時々ある。
322 :
吾輩は名無しである:2006/10/24(火) 17:31:49
でもぼくは悔しかったから、旧版で読了したよ。
魔の山ホントつまらんな。次はジャンクリストフでも読もう
324 :
吾輩は名無しである:2006/11/03(金) 22:24:21
金髪の陰毛
リザベタさん。それはよき、実りゆたかな愛です。その中には憧憬があり憂鬱な羨望があり、そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの貞潔な浄福とがあるのです。
なんだかんだ言ったって、トーマス・マンは20世紀を代表する文学者ですから。
「ブッデンブローク家の人々」「トニオ・クレーゲル」これだけで、すでに無敵です。
20性器と言えばカフカだな
327 :
吾輩は名無しである:2006/11/08(水) 23:41:17
小説家としては カフカ>マン
思想家としては マン>カフカ
だからと言って、小説家としてマンが劣っているわけじゃない。
思想家としては勿論、小説家としてもマンが上かも知れない。
但し、ある種の記号論として、象徴としてカフカの方が、印象深いのも事実。
カフカは41歳で亡くなったからこそ、世に名を残した。例えば、中島敦みたいな存在。
下手に80歳まで生きていたら、逆にその分だけ早く忘れ去られていたかも知れない。
328 :
吾輩は名無しである:2006/11/09(木) 00:42:38
カフカは寓話の20世紀的あり方を示し、
マンは物語の20世紀的あり方を示した。
小説家としては マン>カフカ
思想家としては カフカ>マン
だろ
330 :
吾輩は名無しである:2006/11/10(金) 19:35:29
カフカの作品はユリシーズ、失われた時を求めてと共に、20世紀三大文学と言われています。
マンと比較しないで下さい。
331 :
吾輩は名無しである:2006/11/10(金) 21:11:55
なんか頭悪いみたいですね。かわいそうに、同情します。
332 :
吾輩は名無しである:2006/11/10(金) 21:14:28
なんかムキにさせてしまったみたいですね。
お話はお話
334 :
吾輩は名無しである:2006/11/12(日) 17:48:20
カフカは青年時代にマンの『トニオ・クレーゲル』をそれこそ一字一句押し頂くように読み、
生涯その影響下にあった、と小塩節氏が書いていた。
335 :
吾輩は名無しである:2006/11/14(火) 23:55:40
『ブッデンブローク家の人々』を読んだという人は、ショーペンハウアーも読んでいるのか?
なんで?
337 :
吾輩は名無しである:2006/11/15(水) 18:37:17
トーマスが慰みを得るのはシヨーペンハウアーの厭世哲学ではなかったか。
シヨーペンハウアーを読んどらんと、わからんだろう、ちがうか?
338 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 21:50:10
それは、ショーペンハウアーを読まない限り、同じ思想を持ち得ないと言う意味かい?
ショーペンハウアーを読もうと読むまいと、ショーペンハウアーと同一の
思想を持ち得ない理屈にはならんだろうが?
339 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 22:09:18
哲学者、文学者→一般読者。これが思想の流れだと決めつけているんだから世話はない。
340 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 22:49:09
それじゃ、一般読者→哲学者→文学者という流れかい?
341 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 23:00:08
>>340 そういう流れもあるでしょう。
『ブデンブローク』に関しては、別に『意志と表象としての世界』のノベライズとして書かれた訳ではないから、
必ずしもショーペンハウエルを読まないと理解できないわけではない。
『失われた時を求めて』がベルクソンの『創造的進化』のノベライズではなく、
『ファウスト博士』がニーチェ哲学のノベライズではないのと同じように。
342 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 23:17:39
トーマス・ブデンブロークの晩年の心理を理解するためには、やはりシヨーペンハウアーは読んでいた方がいいだろう。
ま、そういう知識があると楽しみが増えるよ、ってことでね。
それを「じゃないと理解できないはず」といういい方をしてしまうと、
最終的には当時のドイツ人の上流の男じゃないと
分からないみたいになるわけで、激しく不毛。
344 :
339:2006/11/18(土) 09:04:09
自分が言いたかったのは、個別の哲学者の個別の著作というつっかえ棒がなくても、
一般の読者の方で同じ思想を獲得し得ると言いたいだけ。
個別の著作というつっかえ棒がなければ、理解し得ないという考えに反発した次第。
345 :
吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 17:24:35
三島由紀夫ってマンが好きなんだよね。マンコは好きじゃなかったみたいだけど。
つまりそういうこと。
346 :
吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 21:25:38
「ブッデンブローク」のトーマスの奥さんって、バイオリンを弾くよね、この奥さんと、
音楽教師との関係ってどうなってんの?もちろんこれは当事者でなければ分からないことだけれど、
相当危ない気がするんだが。
347 :
吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 23:37:44
たとえ不倫関係になっていなくとも、
トーマスには立ち入ることも窺い知ることも出来ない世界で、
奥さんと音楽教師の関係は成立しているわけだからね。
普通の不倫よりもずっと切ない疎外感と嫉妬をトーマスは味わわされているのでは?
こういうあくまでストイックな関係の裡に異様なエロスを感じさせるのが、
心理家トーマス・マンは本当にうまい。
348 :
吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 23:47:54
ブッデンブロークスのテーマは、下手な歯医者にかかると命取りになる、
ってことだね。
349 :
吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 07:21:53
>>347 >たとえ不倫関係になっていなくとも
>普通の不倫よりもずっと切ない疎外感と嫉妬をトーマスは味わわされているのでは?
おれは二人が出来ているのかどうかばかりを気にしていたが、そういう考え方もあるか、
大変すぐれた見解だと思う、プルーストにも一脈通じるな、「嫉妬と疎外感」、有り難う。
>>348 愚劣な意見だ、しかし、「ブッデンブロークス」と複数形にしているところは正確でいい。
350 :
吾輩は名無しである:2006/11/21(火) 14:02:30
マン自身の朗読による「トニオ・クレーゲル」のCDを持っているが、
声優ばりの美声。たぶん自宅で録音したのだろう。誰かの来訪を告げる
ドアベルの音、奥さんと思われる女性の声と来訪者のやりとりが背後に
かすかに聞こえて、なんとも楽しい。
>>349 こういう人っていつも本に何読んでんだろ???
352 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 07:18:54
マンはホモエロティックな作家。
ドイツ人大学生の書いた「ハンス・カストロプはゲイである」の
エッセイを読んだが、結構面白かった。
353 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 07:57:29
マンは1940年10月から45年5月まで、移住先のアメリカから55回にわたり
ドイツへ向けての反ナチ定期放送を行った。1945年ルーズベルト大統領が
死去した時の放送でマンは日本に触れている。
「ドイツ人諸君、日本帝国の総理大臣が故人を偉大な指導者と呼び、
アメリカ国民にこの喪失に対する日本国の哀悼の意を表したことに対して、
諸君は何と言いますか?これは呆れるばかりのことではありませんか。
私たちにとってさえも、そうです。諸君には理解できないことにちがい
ないでしょう。日本はアメリカと生死をかけた戦争をしています。(中略)
あの東方の国には、騎士道精神と人間の品位に対する感覚が、死と偉大性に
対する畏敬が、まだ存在するのです。日本で上部にあったものは、たしかに
脅迫的な危険なものでしたが、しかしそれは上部にあったのです。
ドイツでは、十二年前にいちばん下のもの、人間的に最も劣った、最低の
ものが上部にやってきて、国の面相を決定したのです」
(新潮社 トーマス・マン全集第10巻 伊藤利男訳)
マンのこの言葉は日本人にとって宝物だ。
354 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 07:59:41
ちなみに、この日本帝国の総理は鈴木貫太郎。ルーズベルトへの
弔電はナチスからも厳重な抗議が来たそうだ。
355 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 09:02:31
>>353 マンのその放送に就いては平田祐弘が「平和の海と戦いの海」でも触れていたな。
>>352 ハンスは男(セテムとナフタ)からモテモテだからね。
ヨアヒムとの間にも微妙な空気を醸している。
『ブデンブローグ』のハノーとカイ、
『トニオ』のトニオとハンス、
『ベニス』のアシェンバハとタッジオ、
『ファウスト博士』のレーベルキューンとツァイトブローム・・
ホモエロティックというとヘッセもそうだよね。
356 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 09:17:18
355さん、レスありがとう。
ヘッセは、『知と愛』『荒野のおおかみ』(新潮文庫)しか知らない
ので、もう少し読んでみる。
357 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 17:21:14
>>356 『デミアン』なんかはかなりホモ度が高い。
テーマ的にも『デミアン』は『魔の山』と被るかな。
ホモセクシャルというのはドイツ教養主義の基本かも。
つってもオナノコに恋してるだろ。シンクレールもハンスも
359 :
吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 22:11:08
>>357 >ホモセクシャルというのはドイツ教養主義の基本かも。
日本教養主義の基本でもあったな。
360 :
吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 03:36:22
アテネがそれだったから・・・。
余裕のある社会には同性愛と文学が栄える・・・。
361 :
吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 18:29:23
トーマス・マンは、一生、隠れホモだった。この際、ホモに愛される文学全集を作り、出版不況を克服するのも、ナイス・アイデア。
362 :
吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 20:19:00
そんなものはもうはやらないよ、今時ホモだの何だの言ってる人って、相当時代感覚がズレてるんじゃないの、
今ならむしろ純愛文學全集の方が売れるよ、第一巻ロミオとジュリエット、第二巻野菊の墓、第三巻不如帰、第四巻舞姫、第五巻潮騒とか。
363 :
吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 22:28:08
金色夜叉とか?
364 :
吾輩は名無しである:2006/11/24(金) 07:12:56
伊豆の踊り子
365 :
吾輩は名無しである:2006/11/25(土) 00:02:27
THE BOYS ON THE ROCK
ホックニーな。
367 :
吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 19:55:29
昨年、復刊されたばかりの「ブッデンブローク家の人びと」ってもう品切れなの?
上巻、中巻はあらかじめ買い溜めしておいたけど、下巻を買いそびれてしまった。
仕方ないから、古本で適当なのを捜すつもり。
作品とはべつに
マンの仕事の仕方を見習うべきだな…
銀行員のようにコツコツと仕事をする。集中と、継続と
370 :
吾輩は名無しである:2006/11/28(火) 23:58:28
BS2で「ヴェニスに死す」放映されましたが…
何度見ても堪能できる映画ですね。見るたびに発見がある。
映像美と音楽のコラボ…
371 :
367:2006/11/29(水) 20:55:12
>>369 情報サンクス。
これから、あたって見ます。
ところでトーマス・マンとトマス・マンはどっちが正しいんだろう
373 :
吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 16:39:52
トオマス・マン、が最も由緒正しい。
手持ちの独語辞典の発音表記では音引きあり。
でも人名は分からないからな。
375 :
吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 23:25:03
私も先日『ヴェニスに死す』を見たが、
以前のように美少年に見惚れるよりも
アシェンバハについて悶絶するような恥ずかしさを覚えたのは
やはり自分が歳をとったということなんだろうね。
マンがきっかけでショーペンハウアーも何冊か読んだけれど、
女性を敵視していて素直に読めなかった部分がいくつかあったな。
だけど『幸福について』はよかった。
376 :
吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 23:52:18
ショーペンハウアーの女性蔑視は一種のフモール。
377 :
吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 03:35:21
ショーペンハウエルは条件付きで同性愛を肯定してるからね。
だからトーマス・マンは…
378 :
吾輩は名無しである:2006/12/02(土) 00:22:21
ウホッホ
379 :
吾輩は名無しである:2006/12/06(水) 23:52:24
この人ゲイだよね
マン作品を初めて読んだけど(トニオとヴェニスに死す)
心理描写が緻密過ぎて、読んでて苦しかった。病気になるかと思ったわ。
381 :
吾輩は名無しである:2006/12/15(金) 00:31:18
トニオクレエゲルに出てくるシュトルムの「われは寝ねまし、されど汝は踊らでやまず」という詩の意味を教えて
いねましものを踊らむとや
383 :
吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 00:20:42
トニオの高橋訳は「その中には憧憬があり憂鬱な羨望があり、そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの貞潔な浄福とがあるのです」の部分はどんな感じに訳されてるの?上のは実吉訳です
あのさ・・・読めば?
385 :
吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 00:58:01
店に無いからそこだけ知りたい
どこの田舎だよ
387 :
吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 02:19:43
まあ大切な部分の訳をみてアマゾンで買うか決めるから教えてよ
388 :
吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 03:55:02
ためしにおいどんの訳を・・・。
そこには憧れが、うっとうしい嫉みが、ささやかな軽蔑が、
そして本当に清らかな幸福があるのです。
389 :
317:2006/12/16(土) 08:30:05
ブッデンブロークの、John E. Woodsによる英訳が良かったので、
「魔の山」もウッズで読んでみました。
素晴らしかったです。
390 :
吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 15:16:24
ブッデンブロークの中巻読んでるけど登場人物が早速分からなくなってきたw
どっかに途上人物一覧ないですかね?
そこには憧れと、憂鬱な羨望と、それから少しばかりの軽蔑と、
清らかに豊かな幸福感とがあった。
昨晩「山」を読み返していて、旅と時間感覚についての
ハンスの考察のところでまた感動した。
人は旅をするべきだなあ。
旅といえば昨日の新聞に、マイスターになるためのヴァルツ(新聞表記はワルツ)のことが載ってた。
職人の世界という前提はあるにしても、ドイツ人ってストイックだな…と思いました。
395 :
吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 13:01:27
魔の山は文学と思想が一体になった作品だね。それがきらいな人もいるのかな。
大学時代に読んでよかった本だな。多方面な刺激が受けられる本だと思われる。
思想面とかは難しくて分かんなかったです。正直退屈でしたが、ショーシャとのフランス語でのやりとり
や、ヨーアヒムの最後なんかのあたりが面白かったので、そこそこいい作品だと思いました。
397 :
吾輩は名無しである:2007/01/07(日) 16:23:51
トニオ・クレーゲルとジェイ・ギャッツビーが出てくる初夢を見た
ふたりでダンスをしてた
398 :
吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 22:12:56
シュテール婦人の言い間違いの件、
誤"DECENTFICTION"(調毒)は 正"disinfection"(消毒)の間違いだとわかるんだけど
誤 "eighty camp"(代珍) →正 " ?? "(代診)
誤 "stirletto"(短刃) →正 " ?? "(短刀)
この二つ正しくは何ですか?
英文はJohn E. Woods訳、和文は高橋義孝訳からです。
ちなみに消毒を「駆黴」と言わせている訳もありましたね。
トーマス・マンのマニアの方(専門学者を除く)は、彼の全作品を読んで
しまってるのかな?主要作品だけ?
400 :
吾輩は名無しである:2007/01/27(土) 05:01:30
適正な、リーズナブルな、フェアニュンフティヒな値段で買えないと・・・。
ヨーゼフ四部作が20世紀文学の最高傑作のひとつだとしても、それに数万円も出せますか!
まあ、図書館でかりれば良いわけだけど・・・。
古本屋で数千円で買った。
>>398 stirlettoはstilettoの間違い、じゃないですか?
stiletto: A small dagger with a slender, tapering blade.
403 :
吾輩は名無しである:2007/01/30(火) 02:42:50
>402
なるほど、
ありがとうございます。
"eighty camp"については分かりませんか?
>>403 手許にあるのはウッズの英訳(ペーパーバック)だけで、
和訳はないのです。
どこの章か、教えてください。考えてみたいです。
>>404 あ、分かりました!「In the Restaurant」の章ですね。
Aide-de-camp (エイド・ド・キャンプ、camp assistantの
フランス語) のことじゃないですか?
エイティー・キャンプ → エイド・ド・キャンプ
どういうドイツ語から訳したんでしょうね。
感心しました。
てか、もともとがフランス語だったんだから、似たような
英語を探せばよかった訳でwww
407 :
吾輩は名無しである:2007/01/31(水) 00:10:45
〜406
なるほどお。
しっかしシュテール婦人はおバカすぎて笑えますね。
>>405 わざわざフランス語の単語とかけて訳すとは・・・
苦労した訳ですね。
この箇所のシュテールの言い間違い、原文では以下のようになってます
「消毒」
○Desinfizieren → ×Desinfiszieren
「助手」
○Famulus → ×Fomulus
「短剣」
○Stilett → ×Sterilett
上の二つは単なるスペルミスのようですが。
最後のは、 steril (不妊)という形容詞とかけているのでしょう
>>408 原文の「助手」はフランス語ではなかったのですか...。
どうってことない、などと思ってウッズ様には申し訳ありませんでした。
410 :
吾輩は名無しである:2007/01/31(水) 11:21:45
>>381 私は眠りたい、だけど君は踊るのをやめようとしない。
亀レスでスマソ
411 :
吾輩は名無しである:2007/02/09(金) 05:05:05
岩波で買うかな
412 :
吾輩は名無しである:2007/02/28(水) 07:10:01
トニオ買った
文学は呪いなんですよってのが残った
魔の山買ったけど馬鹿すぎて読めません(><)
読めないことより自分を馬鹿といって済ませる心根が馬鹿。
415 :
吾輩は名無しである:2007/03/01(木) 22:50:08
いまの精神状態に合わないんだよ
入院したときにでもよんでみそ
>>413 知識の不足か?
解説できるところは解説してやる。
418 :
吾輩は名無しである:2007/03/03(土) 00:08:44
岩波と新潮どっちの訳がお勧めですか?
419 :
吾輩は名無しである:2007/03/03(土) 00:26:46
420 :
吾輩は名無しである:2007/03/03(土) 01:06:30
岩波のまだ上の60ページほどまでだが、名作のニオイがしませんが。
当時の病んでいる人はこんなモンだったんだ、というとこです。
光文社はペニスに死すなんかより魔の山を出して欲しいね。
興味あるけど難しそうで手が出せないという人が多いはず。
>>420 どういうのをさして名作のニオイというのか分かりませんが
マンは「どうだ、これは名作だぞ!」という書き方をする作家では
ないように思います(「ジョセフ」はかなり重厚ですが)。
作者の当初の意図としては、「山」は重苦しい「ヴェニス」のモチーフを
補足する、コミカルで皮肉な小品として書くつもりだった
そうで、実際「プッ」と吹き出すような箇所がいくつもあります。
そういう意味でも、ブンガクの大作に挑戦、と意気込む
より準ユーモア小説の中に光る貴重な真実みたいなものの発見を
期待しながら読むくらいのつもりで入ったほうがいいかもしれません。
セテンブリー二とナフタのやりとりなどは思想やキリスト教の
歴史などを知らないとちょっと厄介かも知れませんが、
その二人が何を象徴する人物像かを知っていれば軽く読み飛ばしても
かまわないんじゃないかと思います。脚注などで勉強して読めれば
もっといいでしょうけれど。
423 :
吾輩は名無しである:2007/03/03(土) 21:07:02
俺は新潮派
ナフタのお陰でカタリ派に興味を持ちました。
ここではあんまり話題にならないけど
「マーリオと魔術師」せむしのマジシャンに踊らされる田舎の人々&
一転して凄惨になる観光地というのが面白かったのだけど
同録の「混乱と幼き悩み」も面白かった。完全に自分の家族のことだろうけど
目に入れても痛くないぐらい可愛がってたお嬢ちゃんの描写が
愛情に溢れてて微笑ましい。仲の良いその弟といっしょに部屋の隅に立って
自戒する就学前の児童というのがさすがマンの子供だなぁと妙に可笑しかった。
短編では「男(主人)と犬」、それから双子の近親相姦を扱った話もいい。
すいません、質問していいですか?
むかし読んだ記憶であやふやなんですが
回想の中で、お爺さんかなんかの家か、実家で
皿かコインの裏に、先祖代々の名前かなんかが書いてあって
祖父、曾祖父、曾々祖父、そうそうそう祖父。。。。
みたいに「曾」の音がどこまでも続いていくみたいなエピソードがあったと思うんですが
魔の山のどこらへんだかわかりませんか?
探しても見つからないので
詳しい人、お願いします
429 :
427:2007/03/13(火) 04:30:24
魔の山って,イニシエーションを扱った小説かと思った。
長い休暇を取ってしまった青年がどうやったら地上の普通の生活に戻れるか。
結局大砲の音だったんだよな?彼が山を降りるきっかけになったのは,
ヒットラーもそうだった。
長いモラトリアムを終わらせるのは彼の内部の必然性ではなく、外部からの強い力と言うことか?
魔の山に行って,ハンスは成長したのかな?
耳学問はいろいろやったけど,堂堂巡りしていただけかな?
ハンス、後のハイドリヒである。
431 :
吾輩は名無しである:2007/03/22(木) 01:28:41
トニオ・クレーゲルの最後はハンス、インゲはなんで気付かなかったの?
432 :
吾輩は名無しである:2007/03/22(木) 01:46:19
トニオ・クレーゲルの作者の意図は凡人の僕にもとてもよくわかった。
魔の山はまだ上巻(岩波文庫)の半分ほどだけど長くゆっくり楽しめそう。
一気にはとても無理だす。
433 :
吾輩は名無しである:2007/03/22(木) 02:07:04
434 :
吾輩は名無しである:2007/03/22(木) 03:13:00
小説だから気づかなかった。
事実なら気づいただろう。だから、事実は小説より奇なりが生じる。
美が崩れ、修羅が生じる。
しゅらはしゅるりらとてをつなぎしゅーるをへやがてしゃらんらとかすのだしゅーくりーむをたべながら
436 :
吾輩は名無しである:2007/03/22(木) 03:46:13
437 :
吾輩は名無しである:2007/03/23(金) 03:44:51
>>434 奇を生ずるなら、小説はきづいて、現実ではきづかないにしないとだめだろ
凡人というより程度が低いというべきか
何をムキに
439 :
吾輩は名無しである:2007/03/23(金) 23:24:01
>>431 種明かし。
あれは別人のカップルにハンスとインゲの面影をトニオが勝手に見出して、
一人相撲を取っているという滑稽な場面なのでした。
だからあのカップルがトニオに気付くはずがない。
まったくの別人なのだから。
ハンスとインゲは健全な市民ですから、当然、子供の頃のおもかげを残しています。
いっぽうトニオは芸術家、それも市民にあこがれる芸術家という、エイリアンです。
映画のエイリアン同様メタモルフォーゼを繰り返し、少年時代とは別人になってます。
441 :
吾輩は名無しである:2007/03/24(土) 20:16:30
442 :
吾輩は名無しである:2007/03/28(水) 21:37:00
ヴェニスに死すはどこのがお薦めですか?よかったら教えていただきたいです
444 :
吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 00:49:24
あ
「ヴェニスに死す」は誰の翻訳が良いのかな?
いずれにせよ、これは名作!
だけど難癖をつけるなら、アシェンバッハの業績について語る冒頭部分がわずらわしい。
彼の文学的業績を印象付けたいのなら、「作品」を少しでもいいから「引用」してもらいたい。
それをしないで「マヤ」、「哀れな人間」などの意義について語られても、正直しんどいだけ。
こんな短篇で「しんどい」もない。
真にしんどいのはヨーゼフの出だしだよ。
448 :
吾輩は名無しである:2007/04/16(月) 15:13:15
ブッテンブロークを読了したがいまいちのれなかった
魔の山は面白いと思ったが
449 :
吾輩は名無しである:2007/04/16(月) 18:29:50
>445
今手に入る翻訳っていうと、岩波文庫か新潮文庫でしょ。
格調から言うと新潮の高橋義孝訳かな。
ちょっと今の若い日本人には難しいかもしれないが、原文も難しいからね。
自分は岩波派。でめちゃ薄かったが、
新潮は何かとカップリングされているの?
451 :
吾輩は名無しである:2007/04/16(月) 19:45:55
トニオ・クレーゲルだな
452 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 08:45:57
ホモ乙
光文社はタイトルがヤだ。
ブッテンブローク読了して3ヶ月ほど経ったが
今になってジワジワ効いて来た。
26才であれを出版したとなると...コワス
今読んでる本が終わったらフェリックス・クルルにいってみる。
455 :
吾輩は名無しである:2007/05/18(金) 21:14:11
魔の山読んだ
雪のシーン読んでてハンスは凡人ではないと思った
ハンスは結構好き
この作品はエピソードも多いし2ch向けの作品だと思う
読んだ人がたくさんいればスレは盛り上がると思うんだけどな
456 :
吾輩は名無しである:2007/05/22(火) 21:21:22
魔の山といえば雪のシーンだがもう忘れた
記憶の片隅には残ってる
雪のシーンて,スキーに行って,吹雪に合い遭難し,幻想をみる処じゃなかったか?
あれは,ギリシアローマ的なイメージだったような?
「ベニスに死す」でも最後に老人が似たような夢を見るよな?
多分トルストイなら書かない。でもああいう幻想を取り入れるマンも捨てがたい。
私は魔の山では,ハンスが繰り返し菩提樹に聞き入るところが好きだ。
458 :
吾輩は名無しである:2007/06/28(木) 00:35:55
文学は呪いなんですよ、リザベタさん
リザヴェータさんにあの言葉をハマーン様のような口調で言われてみたい
460 :
吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 21:47:19
リザヴェータだとしっくりこないやっぱりリザベタじゃないと
トニオもヴェニスも実吉訳じゃないと読めん
高橋訳が悪い訳じゃないが実吉さんが神すぎる
461 :
吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 21:15:17
ブッデンブローク家どこで手には入る?
リューベック市じゃないの。
463 :
吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 08:13:35
マジで答えれば、岩波は只今絶版。
464 :
吾輩は名無しである:2007/07/11(水) 02:15:57
岩波文庫に絶版はないよ
今まで本なんてなくしたことなかったのに
とにおくれーげる無くしちまったよ
一体どこへ行ったのか
467 :
吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 02:35:32
岩波以外で「ヴェニスに死す」の最も優れた翻訳はどこのでしょうか?
図書館で読んだ本(出版社失念)の感動が忘れられず、買おうと思って
本屋で岩波文庫版のを少し読んだら、どうもそっちの訳は駄目でした…。
468 :
吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 20:42:28
ギブアップを繰り返しながら、読む本が無くなると手に取り、
7年かかって「魔の山」を読了。
短編集みたいな、名場面が多い作品だね。
>>465 もう売り切れになってる。早いな。
>>467 どれが一番いいのかはわからんが、岩波文庫以外で現在手に入る文庫本は、
新潮文庫『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』高橋義孝訳
光文社古典新訳文庫『ヴェネツィアに死す』岸美光訳
この二つだけだな。
それ以外だと図書館、古本屋、文学全集系の本をあたってみるしかないと思う。
470 :
吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 22:24:13
光文社は新訳を出すにあたって、どうしてわざわざ「ヴェネツィア・・・」にしたんだろ。
日本では「ヴェニス・・・」が一般的だろ。
ドラマの背景の母国に敬意を表したのか? それともドイツ語の原題自体がそれに近いのか?
それに、本来大和言葉にないV音をわざわざ「ヴ・」で表記すること自体腹が立つ。
元来、日本語には無い子音なんだから「ベニス」「ベネチア」で十分だろ!!!
「ヴェネツィア客死」という邦題をどこかで見たことがある。
どこでだか忘れた。
光文社版を読んでないのでわからないが、その理由はあとがきに書かれているのでは。
あくまで一般論からではあるが、現在、地名・神名・人名などの固有名詞は、
なるべく現地読みの原音に近い日本語表記をする傾向にあるようだ。
(ただし、一般の日本人にあまりなじみのないものについては、慣用に従う場合も多い。)
たとえば近年の例では、ノヴァーリス『サイスの弟子たち』(今泉文子訳、ちくま文庫)。
このエジプトの地名は、従来ドイツ語読みで「ザイス」と表記されてきた。
ゲーテ『ファウスト』においても、近年の各訳では「ツォイス」ではなく「ゼウス」の表記。
同様に、「ヴェニス」よりも「ヴェネツィア」のほうが、現地読みに近い表記と思われる。
473 :
470:2007/08/18(土) 09:10:22
原語に忠実なら『ヴェネディヒに死す』だろうに。
そこまでいうなら「ヴェネディヒの死(死神)」にしましょうという話よ。
「ベニスに死す」はなじんでるし、日本語として美しいね。
と書いて思ったが、「ヴェネディヒの死」だと他のマン作品と
タイトルとしてのテイストが同じ感じになるね。
名詞タイトルを動詞化すると(ライ麦畑でつかまえてなど)
日本語的にこなれて大衆化するって法則があるかも。
たまたま光文社版を読んでいる。
解説、あとがきに「ベネツィア」とした理由は書かれてないようだ。
>現地読みの原音に近い日本語表記
そう思う。舞台はあくまでイタリアのヴェネツィア。
ベニスとヴェネツィアでは喚起するものがかなり違う。
英語のベニスでは、この作品に張り巡らされた伏線が
立ち上がってこないような気がする。
魔の山は誰の訳がおすすめ?
479 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 16:25:18
sinntyouno
480 :
吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 20:20:40
晒し
481 :
吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 13:10:18
『魔の山』中国語訳上下二巻を持っているが
なかなか面白い。
482 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 03:42:28
岩波のトニオは「ひらがな」が評判悪いようですが、
良い訳としては、新潮と岩波では、どちらが評価高いですか?
483 :
:2007/10/19(金) 05:12:44
484 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 21:26:02
↑暇人
トーマス・マンと誕生日は6月6日で偶然にも悪魔の日だな
兄貴の短編とかはおもしろいのかなあ
491 :
吾輩は名無しである:2007/10/27(土) 06:55:01
帰って行く客の後姿を、書斎の窓の隅から双眼鏡でじっと覗きこむ。
そういう悪趣味が、この人にはあったらしい。
492 :
吾輩は名無しである:2007/10/27(土) 18:18:13
確かに良い趣味ではないかも知れんが、それはそれでマンらしい。
自分も何かの本で読んだ記憶があるけれど、偶然か何かの啓示か
たまたま振り返った客と視線が合って、ひどく慌てたらしいよ。
493 :
吾輩は名無しである:2007/11/29(木) 14:17:12
「マリオと魔術師」(角川クラシック文庫)読了age
トニオクレゲ−ルは漫画があるといいのにね。
495 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 21:09:20
岩波の魔の山は訳の評判はどうですか?
新潮とどちらが評判が良いでしょうか?
496 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 22:27:57
クックック
497 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 23:11:47
>>495 世間の評判はどうか知らんが、岩波訳で充分萌えたぞ。
499 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 17:10:25
岩波はなぜ実吉がやらなかったんだろ?
500 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 23:10:27
実吉に魔の山を立派に訳す力は無いからかな
501 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 23:49:13
トオマス・マン短篇集は良い小説がありますか?
読めばいいんじゃないの。
503 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 14:36:12
>>502 買うかどうかを決めるので、意見をください。
505 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 21:25:49
506 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 22:14:44
507 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 22:37:36
とりあえず、「苦悩のひと時」と「トリスタン」を読んでみて、
何も感じるものがなかったら、今は買わないでもいいのでは。
508 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 23:04:37
本屋に売っていないので、意見がほしいのです。
507を見る感じでは、その二作が良いってことでしょうか?
509 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 23:14:29
良いというか、その後の「トニオ・クレーゲル」にも通じる、とてもマンらしい作品。
逆に言うと、「トニオ」を読んで惹かれるものがあったのなら、
岩波の「トーマス・マン短篇集」を買っても損はないと思うよ。
510 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 23:18:38
短編集好きだけどな
「幻滅」読んで幻滅して
イッヒッヒ
511 :
508:2007/12/04(火) 23:22:36
そうですか。では買うことにします。
失礼します。
こういう質問する人って何の為に本読んでるんだろうね?
ディケンズスレにも出没してるな。
まあはずれをつかまされるのが嫌なのはわかるが、
自分で選ばなきゃ合う本を選ぶ勘も養われないんだけどな。
作家志望の気ちがいだろ
でも最低限のスクリーニングは必要でしょ。
自分もamazonレビューの星くらいは見てから本を選んでるし。
516 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 11:53:12
ただむやみに本を読むような暇人ではないって事だろ。
512みたいなのがアホ。
本人キターwww
518 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 13:53:32
誰かの評価を聞かないと、本を読めないヤツ
トニオ・クレーゲルは楽しく読めたんだけど、
魔の山はあんまり楽しくないなー。
今上巻の半分程なんだけど、下巻になったらもっとメリハリはでてくる?
520 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 16:13:35
落語の「粗忽長屋」を思い出した。
周りの人間に「お前は死んでるんだ」と言われ、
自分は「死んだんだ」と信じる馬鹿の話。
522 :
凸男 ◆bazG/p8u4o :2007/12/05(水) 20:13:33
てす
単なる暇つぶしとしての読書
525 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 15:26:52
>>523 それはお前w
必要な本を探すのが俺。
お前は暇だから気にせず読むw
501 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2007/12/03(月) 23:49:13
トオマス・マン短篇集は良い小説がありますか?
503 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2007/12/04(火) 14:36:12
>>502 買うかどうかを決めるので、意見をください。
508 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2007/12/04(火) 23:04:37
本屋に売っていないので、意見がほしいのです。
507を見る感じでは、その二作が良いってことでしょうか?
511 名前:508[] 投稿日:2007/12/04(火) 23:22:36
そうですか。では買うことにします。
失礼します。
>>525 他人の意見がないと本も読めない18歳童貞
528 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 20:41:22
>>527 なんでもかんでも受け入れる公衆便所はお前か?
ひたすらage
慇懃無礼な質問で唐突に現れる
しばらくすると住民を罵倒しだす
このスレにも前いた広域発狂荒らしの行動とそっくりなのが気味悪いです
>>526 答えてくれた人に礼も言ってないんだな。
18歳って怖いわ。
つか、みんながみんなこういう奴だったら、
誰も読んでないで、こいつに教える事も出来ないって事になるんだがな。
「他人に聞かないで自分で決めて読む奴」「暇人」「何でも読む奴」
そもそもこいつに教えた奴もそういう人間ではないのか。
ヴェニスに死すが退屈で読めん…orz
532 :
吾輩は名無しである:2007/12/07(金) 01:19:49
つまりー暇人と暇人じゃない人がいるってわけじゃん?
勝者と敗者がいるみたいにw
534 :
吾輩は名無しである:2007/12/07(金) 11:39:30
お前他スレでも鬱陶しがられてるのな。
いい加減自分の頭の悪さに気づけよ、どアホ
536 :
吾輩は名無しである:2007/12/07(金) 19:48:15
↑低学歴
こいつの短篇集は完成度が低いね。
若いときだからかな?
岩波のはマンが何歳の時に書いた短編ですか?
538 :
吾輩は名無しである:2007/12/09(日) 19:07:09
そうだよな。短編集はトニオの劣化版ばかりだよな
539 :
吾輩は名無しである:2007/12/10(月) 22:16:34
短篇集は必要ないと思う。それ以降がマンにとって重要だしね。
540 :
吾輩は名無しである:2007/12/10(月) 22:42:43
そうとも言えないでしょう。
短篇集は、若い頃のマンが世紀末的デカダンスの一人として仕事を始めたことの記念碑でもあるのだから。
もともとマンがどういう場所から仕事を始めたかを知っておくのとそうでないのとでは、
その後のマンの小説を味わう上でもだいぶん違いが出てくると思うな。
特に「トリスタン」なんかは、「トニオ」と同じくらい重要な小説だよ。
541 :
吾輩は名無しである:2007/12/11(火) 10:15:25
マンは忘れられてる作家の一人だね。
ヘッセの方はまだ残ってるのに。
後の「トニオ」「ベニス」「魔の山」として結実する習作集とみるべき。
543 :
吾輩は名無しである:2007/12/11(火) 19:49:24
「トニオ」「ベニス」「魔の山」を読めば、
短篇集はあまり読む必要がないってこと?
文学オタ、マンオタなら読み、
そうでないなら読まなくていい。
そんだけ。
「ブッデンブローク家の人びと」が抜けているぞ。
これは読むべき。
『ヨゼフとその兄弟たち』
『詐欺師フェリクス・クルル』
『ワイマールのロッテ』
『ファウスト博士』
このへんはどうなの? 言及されることも稀のようだが。
547 :
吾輩は名無しである:2007/12/12(水) 00:30:55
>>541 そこで言ってるマンてのはH.マンのほうだよな?
T.マンが忘れられてるってことはないだろ。
シラーとかホフマンとかブレヒトとかハウプトマンとかに比べれば
かなり読まれているのでは?
549 :
吾輩は名無しである:2007/12/12(水) 20:52:59
>>547 そいつらも、トーマスも忘れられてる方だよw
というかドイツ文学自体が(ry
551 :
吾輩は名無しである:2007/12/13(木) 11:24:48
そうだね。ゲーテも読まれてないよね。
一般人が読んでるのは、ヘッセの車輪の下くらいだね。
552 :
吾輩は名無しである:2007/12/13(木) 20:23:23
率直な疑問だが、この作家のあの作品は読まれているとか、
あの作家のこの作品は読まれていないとか・・・
そんなことが、どうして解るの?
話題に上る機会が多いとか少ないとかですら、
はっきり解るとは思えないのに、
「読んだ」 「読んでいない」と他人様の行為まで
解るとは羨ましい。
俺も、あやかりたいよ。
553 :
吾輩は名無しである:2007/12/13(木) 20:41:25
>>552 売り上げ、話題、さまざまなものからわかります。
多くの人、幅広い世代との交流が必要ですが。
>>552 ブックオフへ行けばわかる。どこのブックオフにもある作家は、売れてる作家って訳。
で『車輪の下』はどこのブックオフにも必ずあるし、『デミアン』やヘッセの他の小説もけっこうある。
ところがゲーテやマンは少ない。
シラーやブレヒトなんかはさらに少ない。
ハウプトマンなんか見たことない。
555 :
吾輩は名無しである:2007/12/13(木) 22:35:18
ハウプトマン(を読む人)なんか見たことない。
だからどうして、そんな事がアンタにわかるの?
インターネットの情報がすべてなの???
見たことない(と思う) イコール アンタの純粋経験なの?????
どこをどう読めばそういう解釈になるんだ?
「ブックオフへ行けば」て最初に書いたでしょーが。どこからインターネットが出てきたのさ。
ハウプトマンを読む人を見たことがない、じゃなくて、
ハウプトマンをオフの店頭で見たことがない、だ。
そりゃハウプトマンを読んでる人が日本に具体的にどれくらいいるのかはわからん。
が、ヘッセやゲーテより少ないことは、ブックオフへ行けば想像がつく。
557 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 10:42:12
そうだね。
そもそも版数を見ればわかるよね。
552と555は客観性が少ない人。
まあ世間で読まれているかどうかなんて俺にはどうでもいいことだが、ヘッセのように大体の作品が文庫で手軽に手に入れられる状況はうらやましい。
マンの「ヨセフとその兄弟たち」なんて全4巻で一冊5000〜10000円もする。
買っちまったけど。
559 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 13:33:31
ちくま文庫とか講談社学芸文庫とかで、
マンの作品も出して欲しいな。
「ヨセフ」とか「選ばれた人」とか「非政治的人間の考察」とか、
文庫で読んでみたい。
560 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 19:58:24
光文社の新訳で出たりしてw
561 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 21:41:31
光文社の新訳でもいいよ。
けど、「ヴェネツィアに死す」がこけてるっぽいからなあ・・
「ヴェネツィアに死す」@光文社、
あえて新訳と銘打つほどのものではなかったと思う。
563 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 23:53:46
光文社の新訳は、他では読めない作品ならありがたいけど、
他でも読める作品なら、ただ下手な翻訳で出てくるだけだから興味無い。
564 :
吾輩は名無しである:2007/12/15(土) 11:16:09
岩波のトオマス・マンの短篇集で有名なのをいくつか教えてください。
キター
犬とおぢさん
567 :
吾輩は名無しである:2007/12/15(土) 14:37:12
マンの短篇は全部葛
>>567 チミの合格ラインが知りたい。
例えばカミュの短篇はOKか?ディケンズの短篇は?カフカの短篇は?
それとも単に最高傑作以外は認めないだけなのか?
「トリスタン」はしみじみ良いな。
しみじみとした戯画だよな、「トリスタン」。
マンのこの老成ぶりは天性のものかな。
「ブデンブローク」は25歳ころの作だし。
「トリスタン」、しみじみしてるかな?
「トリスタン」は、それこど「ヴェニスに死す」や「魔の山」の雛型とも言うべき、
マン一流のフモール溢れる小説だと思うのだけど。
シュピネル氏は、トニオとアッシェンバハ、
そしてセテムブリーニを繋ぐ位置にある人物だと思う。
572 :
吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 12:07:28
トリスタンは退屈
573 :
吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 23:10:27
今時、マンの愛読者が存在するとは恐れ入った。
君達は、或る意味天然記念物だね。
だよね。マンは退屈。
575 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 18:07:15
若い身空で、書画骨董を愛でるのと同じだな。
老成志向というか、巨艦主義というのか判らんが・・・
もっとリズミカルで、悪い意味でなく軽々しい
作品を読みたいとは思わないの?
2ちゃんに出えくるぐらいだから若いんだろ、君達?
576 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 18:58:06
別にマンばっかり読んでるわけでも、
マンしか読んでないわけでもない。
数ある作家のうちの一人に過ぎない。
邦訳で読めるものも大した数じゃない。
ここがマンのスレだからマンの話をしてるだけ。
どうしてそう思い込めるのやら。
読書家ならわかりそうなものだが。
どうも文学板にはにそぐわない人物がいるようですな。
この手の輩に質問して返ってきた試しはないけど。
>>573 で、チミは何を読んでるの?
>>575 チミのお勧めの作家は?今年読んだ本ベスト3は?
579 :
575:2007/12/17(月) 21:42:03
>>578 別に他人様に推奨するような作家はいません。
個人的に好きなのは、脈絡がないかも知れないけれど
カミュ、安部公房、山田詠美あたりカナ。
それと、「今年」読んだ本の「ベスト3」だって?
随分と概念的な質問だね。
人間の記憶ってそんな質問に答えられるのカナ?
おっしゃる通り、答えは返せません。
今まで読んだので心に残ると言う意味だったら、
大江の「アトミック・エイジの守護神」
安吾の短編各作品。
海外のだったら、ユルスナールの「姉アンナ」「黒の過程」
以上
580 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 22:19:45
>>579 結構いろんなの読んでいるんだね。それにしても、ちょっとからかったくらいで
マジになってくだらない事言って来るヤツは相手にしないほうがいいよ。
まじめに相手になってやりすぎのような気がする。
581 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 22:39:09
>>579 >>580 本気で茶化しているのか、わざとからかっているのか
判らないんだよ。
マンに興味が無い人が、そもそも投稿する訳が無い。
男の経験無い看護婦あたりに、下ネタ言うようなもんだ。
カナ?
583 :
吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 15:32:03
>結構いろんなの読んでいるんだね。
586 :
吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 19:38:38
582−584
ただでさえ、過疎スレなのに時刻が接近しているな。
それも、大の大人だったら働いている時間帯に。
カミュや安部や山田が好きならそれぞれのスレに行けばいいんであってわざわざ過疎化したマンスレでつまらないことを垂れ流していることもないと思うんだが。
588 :
吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 22:45:07
a
589 :
吾輩は名無しである:2007/12/19(水) 12:13:23
兄貴のハインリヒはどうよ?
こないだ『ウンラート教授』が出たが、これはマジ傑作。
591 :
吾輩は名無しである:2007/12/28(金) 13:29:49
マンは魔の山では何が言いたかったの?
まあ、いろいろありまっせ、ってことだな
593 :
吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 00:04:14
マンの代表作を一つ言え、と言われるとどれを挙げますか?
私は「魔の山」です。
594 :
吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 00:59:17
トニオ ヴェニス 魔
この三つのうちのどれかだろうな。
595 :
吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 18:19:11
トニオなんて代表作に入るかよw
596 :
吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 15:04:22
マン自身は百年後にも残るのは『ブッデンブローク家の人々』だろう、と言っていたね。
まだ百年たってないけどな。
トニオはこれから読まれなくなる気もする。
598 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 21:39:18
599 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 21:25:50
マンは26歳で能力のピークが来たって事?
ブッデンは26歳発表だよね。
トニオはすでに読まれて無さそう
600 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 21:27:05
601 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 21:31:27
ブッデンは23歳だった・・・
602 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 22:09:03
「魔の山」以降の作品の翻訳って、今じゃほとんど入手できないよね。
603 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 23:55:09
「ロッテ」と「ファウスト博士」は岩波文庫で時々重版されてるよ。
トニオは北杜夫が読まれるつづけるかぎり、読まれなくなることはないよ
605 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 02:08:37
北がもう読まれなくなってるw
北とトニオの関連性ってなに?
606 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 17:10:06
北杜夫経由でマンを読むようになる人もかつては少なからずいたということでしょ。
まあ、たしかにいま北杜夫を読んでる若い人はほとんどいないだろうから、
北経由でマンを読むというパターンもなくなりつつあるのかも知れない。
自分は北の『幽霊』『木霊』経由でマンを読み、独文に行ったヨ。
自分は逆にマン経由で(マン好き作家ということで)、北と辻を読もうとしたが、
まったくはまれんかった。片道切符らしい。
609 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 18:10:54
北ほど熱烈ではなかったかもしれないけれど、
マンに魅せられた日本人は結構いるよ。
三島、公房、司馬遼、大江、若手じゃ平野。
反対に、尊敬するけれどついていけないといったのは開高。
610 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 18:20:55
ていうか平野の好きな作家みんな三島のパクリじゃん。
611 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 19:25:26
マンが注目した日本の作家なんているのか?
あの年代のドイツ人にしたら、日本なんて日常生活で
全く縁の無い極東の一島国だろ。
日独伊3国同盟なんて知っている人より、知らない人
のほうが全然多いんでは?
612 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 19:39:13
マンが生きていた頃に独訳されていた日本人作家なんていなかったんじゃないかな?
名前だけなら漱石や鴎外くらいは知ってたかもしれないけど。
日本の近代文学が本格的に世界的に注目されるようになるのは、
ちょうどマンが死んだ後くらいからだしね。
それでもあえて仮定すれば、
漱石、鏡花、谷崎、太宰あたりの小説を読む機会があったら、
マンはかなり気に入っていたんじゃないかと思う。
613 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 19:48:09
太宰をマンが気に入るとはとても思えんが・・・
614 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 19:56:07
>>613 そうかな?
初期のマンと太宰は結構被るよ。
二人とも富豪のドラ息子だしね。
615 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 20:00:58
富豪の出身であるのは共通点かもしれんが
マンは少なくとも「ドラ息子」ではないし、
太宰みたいに自分の弱さを、平気に露呈する
ような、やわな人格じゃないと思うけど。
初期のままの人とそうでない人。
617 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 20:11:41
まあ、太宰は39歳で死んだわけだし。
39歳の頃までのマンは結構太宰に似てるとこあるよ。
作家の若い頃なんていくつかの言葉で類型化できるわけで
太宰を出す必然もないと思うが。
619 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 21:40:16
マンは三島以下だと思う。
620 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 21:55:24
マンが三島以下かどうかはともかく、
三島が太宰的なものをマン的な方向性で克服しようとしたのは確かだと思う。
621 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 23:07:26
マン的な方向性って何?
622 :
吾輩は名無しである:2008/01/02(水) 23:51:23
兄の方が作家としての資質を持っていたのでは? 「ウンラート教授」が傑作とか。
息子のクラウスも作家だしねw
623 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 00:15:04
>>621 作家は本来いかがわしい存在だからこそ、
表面上は銀行家のように規則正しく勤勉でなければならない、ってやつ。
まあ、実際には太宰も結構規則正しく勤勉な作家だったのだけど。
624 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 10:34:48
>>619 マンは三島以下
そういう三島は大江以下、大江は春樹以下、春樹は平野以下・・・
だんだん作家としてのスケールが小さくなっていく逆進化の過程だね。
625 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 11:23:09
死ねよ。
626 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 11:36:29
624が釣りってことはわかった。
どうも一人カリカリしてる奴がいるな。
兄のハインリヒ「ウンラート教授」より「魔の山」「ブッデンブローク」の方が圧倒的上。
読みもしないで兄の方が上だなんてよく言えるな。
2chに高望み、いくない。
2chにマジレスするとマン兄弟は全然タイプが違うから、どっちが上かなんて議論は多分無意味だと思う。
兄貴の方は良くも悪くも当時のドイツ文士たちの思想の潮流通りの人(デモクラシー擁護、戦争反対派)、
弟は政治音痴でちょっと夢見がちなのが「魔の山」あたりまで続いた。(第一次世界大戦擁護したりとか)
「魔の山」の書き始めあたりでは兄貴と大喧嘩して、書き終わる頃にはやっぱり戦争は良くないね!と認めて仲直りした。
その後はずっと寄り添って生きていったけど、やろうやろうと言っていた兄弟合作も出来ずじまいだった。
並べて比べることの出来る作品はお互いに持ち合わせてないだろう。
とはいっても自分は「魔の山」や他の長編小説で震えるほど感銘を受けた。
思想やイデオロギーがどうのという前に、トーマス・マンは人を震えさせる何かを持っているんじゃないかと思っている。
631 :
吾輩は名無しである:2008/01/06(日) 21:37:16
そういうアンタは人を怯えさせる何かを持っている。
632 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 00:04:41
小説なんて気楽に読むものだよ。肩の力を抜いて。
意味とか考えずに。その方が楽しめるよ。
630のどこに怯えポイントが? 悪タロウおびえ易過ぎ。
634 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 20:18:04
真面目だね、堅物君。
おちおち、冗談も言えないな。これじゃ。
630だが
>>633は自分の書き込みじゃないよ。冗談は好きですよ。
マンの小説も笑いどころはいっぱいあるしね。
トーニの二番目の夫がブデンブローク家の食卓で空気読めなさ過ぎるシーンとかすごく好き。
636 :
634:2008/01/07(月) 21:12:01
>>635 トーニは男運が悪すぎたよね。
最初の夫も、二番目の夫も段々化けの皮が剥がれてくるのが秀悦。
四六時中もめてるな、このスレ
トーニはバツ2になっても全然めげないところが魅力的だった
トーマスに商談持ち込んだり、たくましい女性だったな。
トーニの最初の恋の描写、美しかったな。
きっとあれを一生抱えて生きてきたんだな。
そうそう、初恋の人の口癖をずっと覚えていて、うんと年取ってからもその言い回しを使うんだよね。
ハノーか誰かにそれを言う時、時間の流れを感じるのもあって、ちょっと泣きそうになった。
とても青年作家の書いた小説とは思えない悲しみがある。
641 :
吾輩は名無しである:2008/01/08(火) 21:51:46
「細雪」と「紀ノ川」と「ブッデンブローカーズ」は
どれも女傑一代記みたいだね。
どんな名作も
>>639みたいな要約されたら終わりだな。
でも本当に「美しい恋」って呼んで良い出来事だったと思うよ。
トーニは二度も結婚したけど、恋をしたのはその一度きりだったわけで。
その思い出にしがみ付かずにぐんぐん前向きに生きるのがトーニの良いところでもあるけど。
マンは女性をあまり良い風には書かないが、トーニはかなり愛されてる部類だな。
みんなー、ブッデンブロークスはトーニが主役の物語じゃないぞ。
あくまで主役はトーマスだってこと忘れるな。
>>642 作品の要約ではない。
ほんのちょっとしたエピソードを書いただけなのに……。
646 :
吾輩は名無しである:2008/01/09(水) 20:24:35
>>645 >>642はどうして要約なんて表現したのか、本当に理解に苦しむ。
とばっちり同情します。
つーか、トーニだってそんな甘ちゃんじゃないぞ。
648 :
吾輩は名無しである:2008/01/11(金) 23:00:28
俺は結構トーニが主役だと思って読んでた。
最後の方はちょっと影薄いけど
649 :
吾輩は名無しである:2008/01/11(金) 23:39:49
誰かが主役というのではなく、いわばポリフオニックな構造じゃないかな。
これを読んで、ショーペンハウエルを読まなくちゃ、と思いながら未読。
>ポリフオニックな
うん、そういう多角的、多層的な構造をもった全体小説、
今では流行らず、もう書かれることもないかもしれないが、
時々は読み返したくなるね。何といっても物語の魅力に満ちている。
流行すたれを持ち出すのはバカ。
バカといわれる覚えはないが。文学に流行り廃れは明確にあるからね。
今では全体小説はあまり書かれなくなったかもしれないけど、
自分は好きだよと言っただけなんだけどね。
653 :
吾輩は名無しである:2008/01/12(土) 15:20:47
「ブッデンブロック」のような小説は、おそらく書かれた当時から時代遅れの小説だっただろう。
しかし、当時の流行の小説が読まれなくなっても、「ブッデンブロック」の愛読者の流れは絶えない。
まあ「流行」を超越した作品だよね、
>>650 >時々は読み返したくなるね。
同感。不思議な小説だ。
654 :
吾輩は名無しである:2008/01/13(日) 19:01:34
「ブッデンブロック」=「ブッデン台」「ブッデン塊」???
ナフタが言ってたけど本能って民族によって違うの?
マンの短編読み始めたんだが「道化者」いいな。「魔の山」もそうだがニート文学の先取りですな。
マンも若い頃から不労所得者だったからな。ニートって言っていいのか知らんが。
マンからそれるけど、ニート文学の系譜ってあるよな。
むしろ文学の本流かもしれない。
659 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 15:29:44
660 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 20:08:09
昔の封建主義から資本主義の創生期に渡る過渡の時代に、
多少労せずして生活していける人たちがいたにせよ
その人たちを、今時のニートと同列には扱えない。
マンは「俺ら芸術家なんだからニート上等。生活なんかくそくらえ」
という当時支配的だったロマン主義的芸術家観を批判したのでは。
×ニート
○高等遊民
当時労働者階級というのは芸術とは全く別次元の階層にあったので、芸術家がニート生活というのはかなり語弊がある。
663 :
吾輩は名無しである:2008/01/30(水) 13:31:27
不労所得者ってどういう意味?
664 :
663:2008/01/30(水) 13:32:22
マンは若いときから小説を書いて、名声を得てたはずだけど?
ブッテンで23歳でしょう? それ以前は学生でしょう
ニートの定義が必要だろう。
本来のNot in Education, Employment or Trainingの意味なら、
高等教育を受けた者の(魂の)彷徨を写す文学は、確かにニートとは全く別物だ。
しかし日本ではニートというと、原義とは異なる使われ方をしているし、
広義のニート文学というくくりもあっていいと思う。
マンの主人公の苦悩は、漱石の書く高等遊民といった生ぬるさとは
かなり違うものだ。
資本主義の創生期から世紀転換期、高踏的で現実から乖離した芸術家がいた
などと簡単にはいえない。
リルケのマルテなどを引き合いにだすまでもなく。
>>665 ニートでも色々いるだろうからね。単純に働く意欲がなくてうだうだしてる人や、大学以上の教育を受けていながら
何らかの目標や考えがあって積極的に立ち止まってる人もいるだろうし・・・。
モラトリアム型ニートや欝ニート、楽天的ニートや高等遊民ニートなど性質はいろいろなはず。語弊を承知で言う
ならば、日本は良くも悪くも経済的には総じて豊か(めったなことでは飢え死にしないという最低限の意味で。むろ
ん経済的二極化が進んでるのは言うまでもない)だから親の脛をかじることやネット収入(デイトレード、アフィリエ
イトetc)によって擬似的に「不労所得型ニート」がある一定の割合だけれども存在すると思う。その中でも文学に
限らず芸術を志すものがいるとすれば彼または彼女は若い頃のマンのいた立場に親近性を感じるということはあ
ると思う。
近代資本主義の基礎が確立した時代に書かれた「魔の山」は色んな意味で現代に対して予言的だと思う。
ハンスの末路は間違った方向として提示されているけれども、その途中経過(試験採用期間)は資本主義
社会を再考するために重要な時間だったはず。自分の属している社会の外側から無垢の眼でものごとを
眺めることを可能にしただろうし、「幻の肢体」や「雪」のような至高の状態も垣間見ることができたのだと思
う。
>>664 マンはギムナジウム中退。
比較的若いうちにブデンブロークが当たって名声を得たのはもちろんだが、それまでは父親の遺産で暮らしていた。ハインリヒとイタリアに長期滞在したりとか。
668 :
吾輩は名無しである:2008/02/05(火) 00:18:16
>>667 それまでは、親の金で暮らしてても良い年齢だっただろうから良いでしょう?
学校へ行ってなくても勉強は急がしそうだし。
ブッデンが出版されたのが正確には26歳の時で、それまでの間に実は火災保険会社に勤めてはいる。無給見習いで。
しかしそれも大した期間でなく、結局マンは青年期を世に出るまでの「待機時間」として自由に享受していた。
まさに今でいうところのニート生活と言えなくもないw モラトリアム型というか。
もちろん勉強はしていただろうけれどね。
正直、あんまりガツガツした奴の小説はおもしろくない。
671 :
吾輩は名無しである:2008/02/08(金) 22:17:42
ガツガツした奴って誰のこと?例えば、三島由紀夫とか。
少なくとも呑気な人でないとしたら誰なんだろ?
ガツガツした奴の例に挙げられて、
三島はあの世で悔しがって地団駄踏んでるだろうw
なるほど、裕福な上流家庭に育っても、
どこか精神的にゆとりを感じさせないものもいれば、
その逆のものもいるわけだ。
673 :
吾輩は名無しである:2008/02/11(月) 16:55:51
三島はなんでがつがつしてるの?
>>673 極度のコンプレックスのためかなあ・・
もっとも、三島の場合はがつがつと言うよりは、
極端に余裕がない、という感じだけど。
675 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 01:52:02
三島はトーマス・マンよりも文章力はあるよね。
大江だってエドワード・サイードよりも文章力はあるよね。
677 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 02:07:13
>>676 そいつよりは文章力以外でも大江の勝ち。
678 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 02:08:49
トーマス・マンは三島みたいに個性が無かったから面白くない。
ちょっとでも三島のことを貶されると逆上して工作活動やらかす
狂信的な三島厨の連中にスレ汚しされるから(
>>675、
>>678みたいな)
もう三島の話題は出さないほうがいいよ。
この連中は三島が世界最高の文学者じゃないと気が済まないから、
いつまでも粘着してトーマス・マン叩きやり続けるよ。
だいたい三島はトーマス・マンのこと尊敬してたし、
自分が貶されたからって阿呆丸出しの三島厨みたいな工作活動は心底軽蔑するだろうね。
三島を一番貶めてるのは狂信的三島厨だってことに気付きなさいよ。
680 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 11:26:18
679は馬鹿?
三島はトーマス・マンを尊敬し、作品を書き、
明らかにマンを越えた。
三島がマンよりも劣っている部分を説明できるか?
それができななら、偉そうにするなよ
681 :
↑:2008/02/12(火) 11:31:23
ほら来ましたよ狂信的三島厨が
三島が世界一じゃないと気が済まないんだろうね
>>680 ハイハイ三島が宇宙No.1で何の異論もありませぬ。
お願いだからこれ以上スレ荒らしはやめて下さい三島信者様。
683 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 12:29:05
>>674 三島ときくと必ずコンプレックスという馬鹿の一つ覚えがいる件について
三島は分かりやすく、それをおおっぴらに見せてただけで、そんなもん三島以外の作家にもあるだろ
684 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 12:35:35
>>679 自分のアンチ三島レスをわざわざ三島スレまでコピペまでして紹介し、おびきよせたくせに、この言いぐさの陰謀アホに笑った
おまいら面白いな。
トーマス・マンは少しばかり叩いたところで傷などつかない類の大作家(文学史上ではの話だが)
だと思っているので、貶されてもあまり思うところがないな。
しかし「文章力」などと根拠の無いこと言われても困るというか、萎える。
原文もあまり美文ではないのは確かだが、別々の言語で「文章力」比較するのは無理があるだろうに。
マンの悪口を言っている三島厨の人は、折角だからマンと三島の関係について書かれている著作でも紹介してくださいよ。
三島がマンについて言及している作品でもいいな。たのんます。
>>685 トーマスファンなら、それくらい自分で探せば?
トーマス・マン側からの三島に対するアプローチは何もないんですよ。
三島を知る良い機会だから教えて欲しいとお願いしたいわけです。
あとトーマスって呼びかたは新しいなw
トーマス・ファン、なんつって。
>>684 キチガイ妄想も大概にしてください。
そんなくだらない工作活動しませんよ。三島厨じゃあるまいし。
本当に三島厨なのか、それとも「三島厨ウゼー」と言わせるための三島アンチ厨なのか。
「きかんしゃトーマス」は「魔の山」(ダヴォスの高山列車が出てくる)
に対するオマージュだって知ってた?
691 :
吾輩は名無しである:2008/02/13(水) 18:39:12
トーマス・マンなんてもうドイツでもあんまり読む人いないよ。
「マンは言うまでもなく20世紀最大の作家」とまで入れ込んでた北杜夫も
今では既に忘れられつつある作家である事を事実上認めてる。
来た守男って、週刊新潮のコラムニストの親戚のおじいさんだっけ?
694 :
吾輩は名無しである:2008/02/14(木) 08:59:06
そんなに北杜夫が好きというのも奇特だな。
>>694 現在では当時に比べて多くの人が読まなくなった→それを読む人達は奇特だ、としか感想を抱けないようじゃ
文学に対する理解が一面的過ぎる。古い文学が読まれなくなるなんてのは書くまでもない当たり前のことだしな。
重要なのは古典であるかどうかってこと。いつの時代になっても無視できないことを書き残してるかどうか。
ホメロスの詩やダンテの神曲、ゲーテのファウストを読む一般人なんか殆どいないけど、それこそ人類の記
憶から消えることはない。
その点から言えばマンのいくつかの作品は紛れもない古典だよ。
697 :
吾輩は名無しである:2008/02/14(木) 13:27:30
なんだこの粘着は。
>>697 北杜夫の言説を鵜呑みにして、他者である作家の意見を盾にすることでしか自分の文学観を述べることができない。
キミは恥ずかしくないのかい?短い言葉で「w」を連発して常に逃げ道を用意しながら茶化しまわるのが関の山なんだ
ろうがね。
700 :
吾輩は名無しである:2008/02/14(木) 19:42:39
別にw
702 :
吾輩は名無しである:2008/02/16(土) 19:11:39
どう致しましてw
いろんなところにかまってちゃんが。
704 :
吾輩は名無しである:2008/02/17(日) 05:55:02
うん、かまって〜w
マンの初期短編集、どの話も素晴らしかった!
『ヴェニスに死す』や『魔の山』に通じるモチーフがちらほら出てきて若い頃から
すでに持ってたテーマを年を重ねるごとに別のヴァリエーションで追求、深化さ
せていったのだろうと思った。
それにしてもマンの登場人物の名前って妙に頭にこびりつく。人物描写が巧みな
せいか、名前自体が持つ音の心地よさのせいか、あるいはその両方か・・・。
706 :
吾輩は名無しである:2008/02/20(水) 13:45:36
ヘタな文章だなw
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 .Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
『ヴェニスに死す』を文庫で読みたいんだが、どの訳から入った方がオススメ?
岩波?新潮?古典新訳?
古典新訳「ベネツィア」はがっかりしたな。
ちっとも新訳じゃないんだもの。
>>708 新潮の高橋義孝訳は格調高い感じ。読み終わったあとにどっと疲れるが・・・。
>>709 >>710 708だけど、結局岩波から読むことにしたよ。トニオ・クレエゲルと一緒にまずは実吉訳を楽しむ。
それから高橋訳も購入するわ。レスd。
712 :
吾輩は名無しである:2008/03/05(水) 09:46:16
魔の山を読んでますが、これのどこが教養小説ですか?
まだ上巻の100ページですが、これからですか?
教養という言葉から教科書的なものを想像する人がいるかもしれないが
魔の山はかなり邪悪な教養小説だよね。
715 :
吾輩は名無しである:2008/03/06(木) 00:07:12
マンは魔の山では何を伝えようとしたの?
「結核患者はよく食うな〜」
>>716 正岡子規の「仰臥漫録」とあわせて読むと一層その感が深く。
718 :
吾輩は名無しである:2008/03/06(木) 20:32:58
シューベルトは大した音楽家ではないとさ。
んなこたない
720 :
吾輩は名無しである:2008/03/07(金) 19:59:32
718は誰のセリフ?
721 :
吾輩は名無しである:2008/03/08(土) 22:39:43
マン>ゲーテかな
722 :
吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 00:09:49
ヘッセ>マンかな
723 :
吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 00:17:16
ゲーテ>ヘッセかな
マンはそんなこといわないだろう。
ゲーテはシューベルトの革命性を理解できなかった。
それ以前の単純な有節歌曲を良しとしていたから。
シューベルトの一方的な片思いだったが、
ゲーテの詩があってこそ、シューベルトのリートは生まれた。
725 :
吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 21:07:29
>>718 地の文で「退廃の産物」とか言ってた。ハンスがレコードを聴きあさるくだりで。
726 :
吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 21:27:49
ゲーテの詩が無くてもシューベルトは天才です
ハンスの言葉=マンの考えてることである、とは限らないよね。
「退廃」とはロマン主義を評する際の枕詞みたいなもので、一面的に否定する言葉ではない。
「退廃美」なんて言ったりする。
ゲーテとシューベルトの対比で、
例の「健康と病気」「自然と精神」の問題を語っているわけだね。
つーか、「退廃の産物」は自虐的な意味じゃないの。最後は「菩提樹」歌うし。
シューベルトを大した音楽家じゃないといってる、と思うゆとりの恐ろしさ。
731 :
売国企業マル韓:2008/03/10(月) 08:19:54
732 :
吾輩は名無しである:2008/03/10(月) 20:04:04
>>730 マンはモーツァルトやブルックナーを念頭に置いて言っているのだとオレは思ってた。
そりゃ、天才の中の天才みたいな人達と較べたら、そんな感想持っても当然だよな、オレ
もシューベルトはセンチメンタルな作曲家だと思うし、と読んだ当時は思った。
今は必ずしもそうは思わないが。
「退廃の産物」とは、まさにマンの信仰告白ではないか。
ワーグナーに捉えられて逃れられない時期を経てきているから。
その体験があるから「ベニスに死す」「トリスタン」などが生まれた。
マンは終生、ドイツ人の非政治的資質、詩や音楽への耽溺という性癖について語った。
「魔の山」では、主人公の音楽の好みを語るなかで、
シューベルトを(「菩提樹」を挙げて)「特別な精神的世界観的意義をもつ」と評価している。
しかも民謡風な旋律の優しい世界の背景にあるのは「死」だと。
死へといざなう圧倒的な、魂の魔術の力と書いている。
734 :
吾輩は名無しである:2008/03/11(火) 23:16:48
ブッデンブローク100円で購入。安いですかね?
735 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 11:24:51
高い。
オレは拾った
そしてつまらない
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 .Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
737 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 18:28:45
>>735 ある者にとっては、紙屑同然の価値しか持たず、ある者にとっては至高の価値をもつ。
よって、一概に高いか安いかは決められない。
738 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 22:19:47
やけに教科書な意見だな。
こういう人は道を誤らないんだね。
たいしたもんだ。
739 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 07:59:35
ちょっと聞きたいんですが、ブッテンブローク家の中で、歯を抜いて卒倒して死んだ人がいたよね?
あれ誰だっけか・・・
740 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 13:45:54
>>739 トーマス・ブッデンブローク。
あの場面は全編のクライマックスだね。
741 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 18:04:51
ある者にとっては退屈なシーンも、ある者にとっては至高の意味を持つ。
よって何が全編のクライマックスか、一概に決められない。
742 :
740:2008/03/13(木) 18:27:50
じゃあ、クライマックスの一つでいいよ。
ただ、トーマス・マン自身の分身であるトーマス・ブッデンブロークが、
ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んだ直後に惨めな横死を遂げる場面は、
『ブッデンブローク家の人々』の基本理念を象徴する特に重要な場面だと思うな。
ハノーの夭逝を描いただけでは、ただの淡いメロドラマになっていたと思う。
市民的なものの敗北を象徴するトーマスの横死も描かれたことによって、
『ブッデンブローク家の人々』は市民時代の終焉を示す記念碑的作品たり得たのだと思う。
743 :
私:2008/03/13(木) 18:52:23
>>740 平野啓一郎「決壊」が「魔の山」の影を多分に残しているのは知ってます?
744 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 21:24:13
745 :
吾輩は名無しである:2008/03/16(日) 04:44:57
「トーマス・マンやドストエフすキーには哲学的センスは全くありません。」
中島義道
>>745 「哲学の道場」だね。「魔の山」の主人公の哲学的センスは、
発芽しないまま枯れている、とか
哲学的レベルに達してない議論ばかり、とか。
中島の文学的センスのなさも相当なもの。
カッコつきで哲学者を馬鹿にするのが文学的センスだから、まあ嫌いなんだろうな。
「カッコつけて」ならばそれ、俺にはズバリと当てはまりそうだw
…80年代育ちにとってはさ、あの時代、現代思想なんちゃら云ってた
手合いはもう軒並み、度し難い馬鹿に見えて仕方がなかったのだな、
俺には理由が、求めるものがあるからこそものを考える、だがしかし
あれらはどうだ? 小利口に生まれついた自身のそんなを誇るためにのみ、
ただ賢しらに、あの者たちは口開くことを、止めようとはしない。
醜いなぁ。――とまぁ、そんな風に自分はとにかく、当時はね。
ついでに云うなら自分今でも、いわゆるの文学好きに対しても多少は、
そんな気持ちが残っている。おまえらぶっちゃけ、向いてないよとw
恥じらいを、俺はひとには求めているのだろうな、たぶん。
それとなにより、欲望への率直さと。
好き嫌いとか趣味の領域で文学について語るのは読書愛好家のすることです。
真の意味での研究者や批評家ではない(といっても俗に研究者や批評家と呼ば
れている多くの人たちは読書愛好家の域を出ることが出来ない訳ですが)。
また読書愛好家でしかないのにあたかも一流の批評家面して自著を売りさばこう
とする輩は大作家の血で生きる下賎な蛭、阿諛追従のコバンザメと言わざるを得ませんね!
どの世界でも一流になるのはほんの一握り。有名な批評誌に載ってるもっともらしく見える文
学評論の大半も、ヨーロッパの文芸批評家や哲学者が論じた文学評のパラフレーズばかり。
やつら売文家は詐欺師と同じです。借り物の知識や衒学的言説を臆面もなく羅列するくらいな
ら頼むから本にしないでください!あなたの無益な文字列のせいで森林が伐採され自然破壊
も甚だしいですから!趣味の戯言批評は電子媒体のブログで充分ですからね!
751 :
吾輩は名無しである:2008/03/16(日) 20:32:42
たかが2ちゃんで、何をむきになっているんだろう。
すこし頭を冷やせ。クソ真面目君。
752 :
吾輩は名無しである:2008/03/16(日) 21:47:02
哲学が文学より総括的、統合的な立場にあるとするその前提が鼻につく。
哲学にせよ、文学にせよ「如何にして」という制限、いや呪縛から
逃れることは出来ないんだよ。
753 :
吾輩は名無しである:2008/03/18(火) 21:40:59
さすが独文好きは文章が鈍重だなあw
754 :
吾輩は名無しである:2008/03/18(火) 22:28:27
鈍重なんじゃない重厚なんだよ。
言葉を慎みたまえ、君!!!
なんちゃってーーー
マンとヘッセの往復書簡なんてあるんですね。
756 :
吾輩は名無しである:2008/03/30(日) 22:23:03
最高傑作はトニオとヴェニスかな
757 :
吾輩は名無しである:2008/03/30(日) 22:26:57
あ、ゴメン「ドストエフスキーは与えられた枠のなかで利巧そうな事を言ってる
だけで、哲学的には面白くもないものだ」といった意味のことを言ってたのは、
永井均でしたw
758 :
吾輩は名無しである:2008/03/31(月) 16:54:48
759 :
吾輩は名無しである:2008/03/31(月) 21:54:53
マンはドストエフスキーとは違うよ
全く別分野の作風
ただいくつかの作品の中にはカフカの影響を受けたようなものも見え隠れする
「すげかえられた首」なんてなんとなくカフカに似たような異様な作品じゃ
ないか
あとあの「魔の山」はどうみてもゲーテの「ヴィルヘルムマイスター」の
影響が大
>>759 「魔の山」はゲーテの影響というよりパロディだな
『魔の山』は面白い。欧州人は病気療養中でも異常に食う連中だって事を知る
だけでも充分の読む価値があったねw
三島はマンの愛読者なのは有名だな。ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』は
名作だ。但し主人公を作家から音楽家(マーラーがモデルと思しき)になって
いるけどね。要するに結核だろうが旺盛な食欲を発揮するような人種じゃないと
マンみたいな重厚な小説は書けないって事だろうな。三島が無理してビフテキを
毎日食ってたらしいが、マンの域までは達しなかったなw
一番ヨーロッパ的な漱石が胃をやられて死んだのは象徴的だよな。
>>761 日本の作家では石川淳が食欲魔神だったような希ガス
朝はパンより分厚いバターを塗ったトーストとローストビーフ。
夜は200gのビーフステーキ3枚。
毎日欠かさず食ってたそうだ
漱石がヨーロッパ的ってどういう意味?
そういう意味
↑答えになってない・・・
質問になってない
768 :
吾輩は名無しである:2008/04/02(水) 14:18:55
「非政治的人間の考察」って難解ですか?
「ファウスト博士」は何とか読了したんですが。
>>767 なってるよ。
曖昧な言い方をした762の責任でしょ。
意味もわからずヨーロッパ的なんて言って
なんでここで全部説明しないといけないの。
漱石の話はさて置いて、マンに限らず作家は一種の化け物だからさ。マンの場合は
『魔の山』を読む限り異常に食欲が旺盛だったと思われるな。
で、ドストエフスキーは異常な程のギャンブラー。ユゴーは異常な程の好色家。
日本の作家でそういうエネルギーを持った作家って数少ないな。谷崎なんかは
女癖が悪くて、食欲も異常に旺盛だったらしいがね。彼は死ぬまで創作意欲が
衰えなかった日本では稀有な存在だ。開高健なんかに期待してたのだが、彼は
悪酒の飲み過ぎで早死にしちゃったからな。芥川とか川端って見るからに食が
細そうだもの、自殺しても不思議じゃないね。
『魔の山』のサナトリウムに於ける患者達の健啖ぶりは、
別にマン自身の食欲の反映ではないよ。
マン自身はそれほどの健啖家ではなかったことは、
終生痩身を通したことからも窺える。
マンの小説でやたらと食事のシーンが克明に描かれるのは『魔の山』だけであって、
何故そういう描写が『魔の山』でなされたかというと、
ベルクホーフのモデルとなったサナトリウムにマンが滞在した際、
現実の結核患者たちが治療の一環として大量の食事を摂っている姿に、
マンが強いイロニーを感じたためだと思う。
あと、『魔の山』における結核患者たちの旺盛な食欲の描写は、
結核患者たちの旺盛な性慾のメタファーでもあるのだろうね。
つまり、「死」に近い結核患者が「生」の象徴である食事やセックスに耽る姿にマンは鮮烈な皮肉を感じたのだろう。
そういえば、日本の文人だと正岡子規が大変な大食漢だったと知られているけど、
彼の旺盛な食欲も、もしかしたら結核と関係があるのかも。
『魔の山』で病人達がチョコレートを山積みにして貪り食ってる場面とかあるけど
想像すると下手なホラー映画より怖い図ですよね。
774 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 00:39:35
ヴィトゲンシュタインやニーチェを魅力したドストエフスキーの諸作品が哲学的に
未熟ならどんな文学が哲学的に素晴らしいと言えるのか
その中道とかいう極東アジアの凡庸評論家に聞いてみたいね
775 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 00:43:37
芥川の方が簡潔で深いな
>>774 よしみっちゃんはカントの研究者だよ
しかし、小説に哲学を求めてもねぇ
777 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 12:42:17
>>774 ドストエフスキーの小説が好きなだけで、
ウィトもニーチェもドスが自分よりも優れているなんて思ってないよ。
中島クンは文学書を哲学書であるかのように読んでしまうのでしょうw
ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』は文学書でもありながら哲学書
でもあるんですねえw
まあニーチェみたいなファシストに利用される哲学者なんかはどうでも
良いのですが、マンが反ナチスだったのは有名ですね。
ドイツ人は観念主義的傾向があってマンの小説も多分にそうですが、カント
やニーチェ、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、ヤスパース等が
ドイツから出てきたのも偶然では無いでしょう。
779 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 05:25:25
>>776 そういう事を言ってるのじゃないよ。テツガク的なのが良い文学、なんていうのじゃ
なく、マンやドストイェフスキーが哲学的な作家と思い込んでるような人間が哲学入門
などしたがるのは滑稽にして、時間と手間の無駄遣いと言う事。
>>777 同意。
780 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 05:48:53
>>774 勿論『嘔吐』です。「涙が出るほど素晴らしい作品」とN先生がいうくらいの。
これをよんで何も身に迫るものがないなら、哲学などやっても有害無益である。
ま、二十世紀の作品は「失はれし時を求めて」「ユリシーズ」意外は後世には
残りそうにない、というのが一般的な最近の評価だそうですが。
781 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 05:51:00
>>778 なんだかもっとらしくも無意味な言説ですね。
782 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 05:57:00
>>774 ついでに言えば「ヴィ」ではなく「ウィトゲンシュタイン」。オーストリア読みだから。
「魅力する」って「魅了」かい?
わたしはそいいう話は聞いたことがないが、出典は?
文学は必ずしも哲学を内包するものじゃないですからねえ。
哲学書が偶々文学的な価値を得たって事はありますが、文学書が哲学的な価値を
得る必然性は無いんですよね。
中島クンは何処か勘違いしていて、文学作品にどのような哲学が内包されているか
を何時もチェックする訳ですが、見当たらない事の方が多いでしょうね。
哲学的に無価値=文学的に無価値って等式は成り立たないのです。まあサルトル
の『嘔吐』でも読んでいるんですなw
784 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 20:39:45
>>783 「・・・必然性はない」それは当たり前ですね。
わたしはそれを言ったんですが、
>>779読んで分からないですか?
中島氏が文学を「何時もチェックする」? 誰かそういったんですか?
「・・・成り立たない」それもアタリマエですね。
えーと、あなたもしかして、ホントのバカかな?
マンのスレが反吐で汚れる。
784氏は勘違いして779に俺がレスしたと思い込んでるらしいが、俺はこういう
駄文しか書けない低脳にレスした訳じゃなく、俺の思ってる事を書いただけ
なんだけどねえw
自意識過剰も甚だしいホンマもんの精神異常者だな、コイツw
まあ中島みたいな程度の低い哲学者の本等読むに値しないし、関わりたくも
無いのに一生懸命構って欲しがってレスするようなバカも要らないねw
マンは偉大な作家だが読者はバカも多いって事だな。カントは偉大な哲学者
だが中島みたいなバカが知ったかぶりして解説してるのと同じだなw
787 :
吾輩は名無しである:2008/04/05(土) 16:55:27
ニーチェ>ウィトゲンシュタイン>ドストエフスキー>トーマス・マン
788 :
吾輩は名無しである:2008/04/05(土) 20:02:35
>>786 誰にレスしたものであろうとあるまいと、貴方の仰言事は当たり前の誰でも言えること
である、とわたしは言ったのです。分かりませんか?
わたしが精神異常者であるとしたところで、何故それが、貴方が何も言ってないに等しい
駄スレを返して良い理由になると思っているのですか?
第一本気でわたしが狂人であり、バカであると思っているなら、スルーすればよいだけ
のことである。なぜ恥の上塗りをしているのですか?
「読者はバカも多い」? それは誰が見ても貴方の事だと思われますが如何?
(ついでに言えばwww並べるのはお止しなさい。2ちゃんねらー丸出しだ。)
「およしなさい」って、セテムブリーニっぽくていいよね!
790 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 16:51:44
魔の山って哲学じゃないね。思想でもない。
マンは哲学が弱いね
では問う
思想とは何ぞや
哲学とは何ぞや
792 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 18:56:42
>>791 出ましたね。
考えているように見せかけて、実は思考拒否している人間の定番がw
哲学とか思想を語る人を書くのが小説だから、
それでいいんだよ。
794 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 19:22:48
>>792 出ましたね
結局いうだけいって答えられないと人格攻撃で逃げる人間の定番がw
795 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 21:13:04
面白くないないですね。
796 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 21:15:31
あ、左手だけで打ったら間違えてしまいましたw
で、結局答えずに他人の発言を評価してしたり顔
あほうの典型ですなあ
798 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 06:25:26
根に持つタイプですね。
799 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 06:33:45
先に
>>788のわたしの疑義に対してお答えをどうぞ。
よそでやれ
マンの話をしよう。
哲学や思想を、小説の登場人物の口を借りて披露しようとしたわけではないだろう。
マンは根源的な人間のあり方に興味があったのだと思う。生の典型というか。
神話は、人間の典型を表象するものとマンは考えていたようだ。
こういうこだわりは、いかにもドイツ的というか。
少なくとも日本人の感覚とは遠い気がする。
802 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 20:50:55
わたしはマンのペーペルコルン氏の描き方がどうもよくわかりません。偉大な人物のようでもあるが
どこか空疎な感じもする。なんだかベートーヴェン第九のようだ。音楽としては圧倒的に巨大なのに
「苦悩を通じて歓喜へ」とか「おお友よ、かういふ音ではない。もつと明るく・・・」云々などと言われる
と何だかあんまり説得力がない気がするのに似ている。
マンは読者にどう思わせるつもりでこういう人物を登場させたのだろう?「セテムブリーニ、ナフタの
言う事がどうでも良いことに思えた」などと書いては台無しではないか知らん。
諸兄はどうお考えですか?
「・・・君はあの庭戸のところで自分に約束してくれたように本当に「ドン・カルロス」を読んだろうか。
そんなことはやめたまえ、自分はもう君にそれを求めはしない。寂しいといって泣くような王様が
君になんの係わりがあろう。君は詩と憂鬱とを見つめてその明るい瞳を曇らせたり夢見心地に
かすませたりしてはならぬ。・・・」
「・・・少しでもこの人たちのそばに近づけるだろうか。ちょっとした思い付きの冗談を
ハンスやインゲに言えぬものだろうか。そうして二人がすくなくとも微笑でそれに
答えてはくれぬものだろうか。そうしたら自分はどんなにか仕合せになれるだろう、
彼は心からそう望んだ。・・・」
切なすぎる。
>>802 そのままじゃん。大物は大物、小物は小物。
>>802 ペーペルコルンは、ハウプトマンがモデルといわれてるね。
セテムブリーニとナフタの、エンドレスの知的お喋りから
主人公を解放する役回りではないか。ショーシャ夫人との関係からも。
生命力を体現する人物。見た目は貧相なのに、(とくに酒が入ると)
独特の雰囲気をかもして、あたりを圧倒する。ディオニュソス(バッカス)的というか。
いくらかイローニッシュに戯画的に描いているから、当のハウプトマンも
不快を示したというけれど。
806 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 19:28:35
>>805 脱構築批評に通じた人に論じてもらったら面白い感じがしますね。
・・・少しこういう人を見習えよ、芸無しウスラバカの
>>794。
またむしかえすのか・・・相当悔しかったのかもしれんけどさあ。
もうやめたほうがいいよ、そういうのは・・・辟易です
808 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 20:03:59
すまんかった
もう話しかけない
810 :
吾輩は名無しである:2008/04/15(火) 22:42:41
トニオクレーガーは
フリードリッヒ・シラーのドン・カルロスが母体だという
マンには戯曲もあった
ロマン・ロランと同じくイタリア中世のサボナローラを題材としている
der Zauberberg(魔の山)ドイツ語版注文してみたよ。ドイツ語は大学で辛うじて可をもらって以来使ってないが、何とか読みこなしてみるぜ
つーか
>>1が2005年てすげー過疎っぷりだな。文学板はこれが普通なのか?
>>811 読み終えたらまた来てください。
このスレでお待ちしてます。
いきなり魔の山は多いだろw
とりあえずトニオ・クレエゲルかヴェニスの死から始めろと言おうと思ったがもう注文してるんだな
まあ乙
814 :
吾輩は名無しである:2008/05/17(土) 05:27:30
いゃー 『ブッデン…』おもしろかった。トーニーが「かわい」すぎる。これからマンを読んでいこうとゆう人。『魔の山』より、ぜひこちらから。
>>811 むしろこのスレの回転速度は文学板でははやいほうだ
816 :
吾輩は名無しである:2008/05/17(土) 20:44:24
トニオ読んだけどくそつまらん
ヴェニスも3ページで投げた
プロットが面白くない
魔の山やブッテンなんとかもこんななの?
>>816 マンの場合、プロットなんてあってないようなもの
楽しむところを間違えてるとしか言いようがない
818 :
吾輩は名無しである:2008/05/18(日) 01:54:59
>>817 そうなのか
芸術人と俗人との葛藤がこの作家の本筋なのか?
芸術とかさっぱりだから全く面白くない
819 :
吾輩は名無しである:2008/05/18(日) 03:05:13
だから、トニオやヴェニスや魔の山を最初に読まないほうがいいんだって。 まず、ブッデンから。
820 :
吾輩は名無しである:2008/05/25(日) 01:49:24
821 :
吾輩は名無しである:2008/05/25(日) 01:59:51
「掟」「主人と犬」「マリオと魔術師」「挿げ替えられた首」「ヴェルズングの血」
なんてマイナー作品について語る人はいないのかな。
「フィオレンツィーナ」なんて唯一の戯曲を読んだ人もあまり見ないね。
そういうのも取り上げて欲しい。
822 :
61000:2008/05/25(日) 05:00:09
トニオやベニスはマンの本質を良く表していると思う。
彼の外見的なコンプレックスと美への憧憬とを。
映画はそれを上手く表現していた。
823 :
吾輩は名無しである:2008/05/25(日) 11:41:06
「ベニス」もまた「ヴェルズングの血」や「選ばれし人」と同じ系統に入ると
思う。
『魔の山』も映画化されたよね、とんでもなく駄作だったけどw
ロッド・スタイガーがナフタを演じていたような記憶があるな、駄作過ぎて
よく憶えていないのだけど。
ヴィスコンティの『ベニスに死す』は文芸作品を映画化したものの中では
優れた作品だろうね。同監督のカミュの『異邦人』を映画化した作品は
全然駄目だけど。『ヴェニスに死す』くらいの長さの小説なら映画化して
も無理はない。だけど『魔の山』は絶対無理だと思う。
実はヴィスコンティは『地獄に堕ちた勇者ども』という映画もマンの
『ブッデン・・・』を下敷きにしてるんだな。余程マンが好きだったの
だろう。同じくマンの大ファンだった三島が絶賛してた映画だけどね。
ホモっぽい描写が気に入ったという説もあるけどねw
ヴィスコンティは「魔の山」映画化を煮詰めていたというね。
ヘルムート・バーガーとシャーロット・ランプリングのキャストも決まっていた。
映画化にあたって、マン家との交渉がうまくいかなかったようだ。
地獄に堕ちた勇者ども」「ルードヴィヒ」を撮った人だから、
映画化が無理だったろうとは思えない。ただ、よくも悪しくも
ヴィスコンティの没落貴族的な美意識に彩られたものになっただろう。
「べニス」はすぐれた映画だけれど、マンの原作のもつイロニーや
骨太の芸術論の展開などはないような気がする。
西ドイツ製の「魔の山」は、原作の魅力を半分も伝えていないが、
ある種のマンらしさ、散文的な手触りがあって、あれもありかなと思った。
悪い。西ドイツ製作の『魔の山』(82年)でナフタを演じていたのはシャルル・
アズナブールだったw
あまりに面白くない映画だったので記憶違いしてたぜ。
ヴィスコンティ曰く『退廃的、退嬰的世界を描かせたら文学ではトーマス・マン、
映画では私ですから。』
ヴィスコンティの後期の映画はマンの影響下にあるね。貴族的退廃だけどさ、
ヴィスコンティのは。
三島もきっと資質的には退廃的なものを喜んじゃう人なんだろうな。
ロッド・スタイガーはペーペルコルン役だね。
映画版「魔の山」は、自分は実はビスコンティの「ベニス」より好きだな。
ちっとも「芸術」してなくて、
原作を淡々と忠実に再現しているだけのけれん味のなさが、
かえってとぼけたフモールを醸していて、よかった。
828 :
61000:2008/05/27(火) 04:52:36
映画 ベニスに死す は映像の美しさにマーラーのアダージェットが最高にマッチしていた。
指揮者はガリー ベルティーニ
ケルン放送交響楽団
829 :
吾輩は名無しである:2008/05/28(水) 23:34:51
魔の山は新潮と岩波どちらがいいの?
俺は新潮で買ったよ。ブッテンブローク家の人々を岩波で買おうと思ったら売り切れてた。
意外な人気があるのかしら。
>>829 オレは筑摩の世界文学大系の佐藤晃一訳が好き。
832 :
吾輩は名無しである:2008/06/11(水) 17:22:05
機関車トーマス
トーマス・クルーズが意外とハンス・カストルプ役にいいんじゃないかと思うんだ。
ぼんやりした感じで。
ヴィスコンティが『魔の山』を映画化してたらハンス役はやはりヘルムート・バーガー
になるんだろうな。で、セテムプリーニがダーク・ボガード辺りが演じるのかな。
面白そうだな。ヴィスコンティは『失われた時を求めて』も映画化の構想があった
らしいから『魔の山』も上手く撮るだろう。
トーマス・マンもマルセル・プルーストも同性愛的な傾向が若干ある作家だしね。
それ本出てるよ。
マンはよく知らないけど
プルーストは傾向じゃなくて、まるっきりの同性愛者じゃなかったっけ
837 :
吾輩は名無しである:2008/07/02(水) 20:00:08
魔の山は新潮と岩波どっちがいいの?
838 :
吾輩は名無しである:2008/07/05(土) 08:38:40
>>837 両方一ページ読めば、どちらが自分に合うかわかるよ。
839 :
吾輩は名無しである:2008/07/06(日) 23:15:35
「魔の山」のシャーロット・ランプリングって、ショーシャ婦人のことかな。
マンで誰も語りそうにないのは、唯一の戯曲の「フィオレンツィーナ」。
サボナローラを母体にしているが、あまり知名度が高いといえない。
「選ばれし人」を語る人もいないし、主人と犬を語る人もいない。
でなんなんだ。
>>839 フィオレンツァ "Fiorenza"だよ。
確かに知名度は高くない。第一、入手できない。
新潮社の全集にあるが、おそろしく高い。
842 :
吾輩は名無しである:2008/07/07(月) 17:48:25
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フィオレンツァ、なかなか面白いよ。
トニオ・クレーゲルでは「精神=芸術VS自然=生活」という構図の物語が描かれていたけど、
フィオレンツァでは「精神=道徳VS自然=芸術」という構図で物語が描かれている。
サボナローラが「精神=道徳」を、ロレンツォ・メディチが「自然=芸術」を象徴し、
この二人が「美(フィオレンツァ)」を巡って争い、結局「精神=道徳」が勝利を得る、
という結末にマンの芸術家に対するイロニーが込められている。
この結末にはフイオレンツァが書かれた当時ドイツで持て囃されていた
「生」を称揚する芸術家たちに対するマンの批判が託されているらしい。
ちなみにマン自身はフィオレンツァを「戯曲の形をとった短編小説」と呼んでいる。
844 :
吾輩は名無しである:2008/07/08(火) 08:39:00
この作家日本で異様に過大評価されてるよな
「異様に」「過大」評価。
そうかな。むしろ「ベニス」「トニオ」「魔の山」以外も
読みたいと思ってる人が多いのに、本はなかなかでないし。
もっと評価されていいと思うけど。
「ヴェニスに死す」は、作家アッシェンバッハの経歴を語る第二章が、読みにくいというか
読む気がおこらない。
架空の作家の文学的特質や創造の営みを、抽象的な硬い言葉で大真面目に語られてもなあ。
タッジオへの想いを卑猥に感じさせないための仕掛けかもしれないが。
大まじめかな。あそこもおもしろいよ。
おもしろいことを、いかにもおもしろいことしてる感じの軽い言葉で話すのって、
おもしろくないでしょ。
「架空の作家の文学的特質や創造の営みを、抽象的な硬い言葉で大真面目に語」る
これこそ、(19世紀的)小説の醍醐味では?神は細部に宿る、というか、
生硬なことばで延々と構築、肉付けしていくのを旨い料理を味わうように読む愉楽。
マンは20世紀の作家だけどさ。
>タッジオへの想いを卑猥に感じさせないための
そうかも。というより、同性愛そのものを書こうとしたものではないからね。
人間は究極の美の前では全くの無力になってしまうってのを書いたと思うんだな
『ヴェニスに死す』では。まあ映画の『ベニスに死す』はヴィスコンティの趣向
が強く出て同性愛っぽい映画になったけどさ。小説には出ない同業の音楽家が出て
るのがまた良かったりする。
恥ずかしい。
851 :
吾輩は名無しである:2008/08/03(日) 19:38:33
誰も究極の美なんて信じていない。
タッジオなんて只の洒落。
そもそも、マンは少年愛のような性向とは対極の人。
852 :
吾輩は名無しである:2008/08/09(土) 22:52:41
そもそも美というものに人間誰しも影響を受けるとは限らない。
影響を受けるタイプの代表は、芸術家とか呼ばれる限りなく胡散臭い
自称思索家のタイプの人間たちだけ。
政治家とか実業家とか官僚とか言う職業に属する、極めて健全な人たちは
そんなものに騙されはしない。
どういう釣りだよ。
854 :
吾輩は名無しである:2008/08/10(日) 07:47:16
>>851 マン自身に男色の嗜好はなくとも、在り様としての興味はあったはず。
855 :
吾輩は名無しである:2008/08/10(日) 08:21:09
「ドクター・ファウスト」は面白いのだろうか?
>854
「マン自身に男色の嗜好」は大ありだったと思う。
日記、手紙などにもそれとおぼしき記述がある。
ただ、直接に肉体的な欲望を表明するのではなかった。
息子の作家クラウス・マンなどとそこが違うのではないか。
857 :
吾輩は名無しである:2008/08/10(日) 11:15:34
ハインツ・コフートがマンについて論文書いているね。
短大の図書館でみたことあるけど、読まなかった。
だれか読んだことある人いる?
好き嫌いでいえばマンはあまり好きな作家ではないな。
よさがわからない、というのもあるだろうけど。
原文が読めないから本当のよさはわからない。
だから好き嫌いで語るしかないんだけど。。。。
。。。なんかうまく言えないや。すいません。
>857
“ Death in Venice by Mann: disintegration of artistic sublimation”(1957)
だね。翻訳はでてる?
作家としては凄い人と思う。こんな壮大な伽藍のような小説書ける人は
もう現れないかもしれない。ただ確かに、好きか?と聞かれたらためらう。
個々の作品は愛せるかもしれないが。
伽藍どう? 口惜しいけれど。
861 :
吾輩は名無しである:2008/08/10(日) 22:10:01
>>860 澁澤龍彦もマンは好きではなかったようだけどね。
ようだけどね、って、澁澤がマン好きだったらそのほうが驚くだろ。
万が一好きだったら誤読に基づいてるな。
863 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 07:56:16
反対にマンが好きな日本の作家って、北杜夫と辻邦夫の二人が有名だけれど、
あまり言及されないけれど、大江の前世紀で最も尊敬する作家がマンとのこと。
澁澤がマン好きと表明しても驚かないが。澁澤と精神的同志のような、
今は亡き倉橋由美子が、自分にとって好き(偏愛)の条件は
「再読したくなる」ことだとか書いている。
その偏愛本のリストにマンの『魔の山』が入っていた。
三島由紀夫も筒井康隆もかつてマン好きだった。
858だけど、マンおもしろくないとは書いてないよ。ものすごくのめりこんだ。
「ブッデンブローク」「ヴェニス」「魔の山」「ファウスト博士」などだ。
ただ、丸ごと好きになれるか?というとためらうと書いた。それだけ大きくて、
多面的で、一口で片づけられるような作家ではないということ。
>>864 >澁澤がマン好きと表明しても驚かないが。
マンはともかく、あまり澁澤は読んでいないんだね。
>筒井康隆もかつてマン好きだった。
ブッデンブロークに驚愕したとは書いてあるけど、その後、
読み進まなかったらしい。作品には敬意を払っても、自分の好みとは違う、
という意味のことを書いていた気がする。
>>860 >文学好きですけどマンおもしろくない、って人は文章でそれと分かるな。
どういった特徴があるの?
澁澤とか、笑われたり戯画化される側だからな。明らかに。
868 :
864:2008/08/11(月) 18:47:00
>865
=862?
>澁澤がマン好きだったらそのほうが驚くだろ。
万が一好きだったら誤読に基づいてるな。
これちょっとわからない。澁澤がマンを誤読しているということ?
澁澤がマンを好きだったと(読者)が主張するのは誤読に基づいてる、ということ?
相当な澁澤ファンのようだが、
こう断定するには、澁澤はもちろんのこと、マンも読みこむ必要があるよ。
どれか一作をとりあげて、マンとは斯様な作家と語るのは無理だと思う。
>>867 >澁澤とか、笑われたり戯画化される側だからな。明らかに。
こういうこと書く人って、自分の惨めさを自覚するのが怖いのかな。
>>868 あ、そう読めますか。失礼。867のような意味です。
それで好きになるほど澁澤も馬鹿ではないだろうということ。
>>870 >失礼。867のような意味です。
意味わかんないよ。
872 :
吾輩は名無しである:2008/08/12(火) 22:52:36
ご免。今までの皆さんの議論を茶化すつもりはないけれど、その澁澤龍彦って誰???
誰もが澁澤、澁澤って言っているけれどそれだけ知っていて当然の人なの?
知らない方が、むしろ不自然なの???
うむ、矢川澄子というべきだった
彼女は流行語を好み、これもハンス・カストルプ青年には没趣味で陳腐で俗っぽく感じられて神経にさわった。
たとえば、「とんでもはっぷんよ」とか「ほんとうにギョッだわ」とかいう流行語であった。
澁澤龍彦は実業家渋沢栄一の系譜に連なる人です。
まあ吉田健一が吉田茂の息子みたいなもんですな。
大昔に澁澤龍彦選『世界文学全集』という企画倒れの企画があって、
その中に『魔の山』が入ってたような気がする
878 :
吾輩は名無しである:2008/08/23(土) 03:23:46
藤壷はいませんか?
2chにマンのスレがあるのかー
「魔の山」が教養小説として今、どのくらいの意義があるのかわからんけど、
フェティッシュ小説としては、個人的に今もナンバー1だな
ショーシャ夫人のレントゲン写真、ヒッペの鉛筆、
ペーペルコルンが自殺するときに使う毒蛇の牙をモデルにした注射器……
どれもツボにはまる
あとマンの小説には、どれも抑圧したエロティシズムと甘美な死の雰囲気がある
個人的には、これがマンを読む快楽の大きな部分かも
マンは鮎川信夫経由
森川義信が徴兵される直前、鮎川に
「僕のことを思い出すことがあったら『魔の山』の最後の一頁を読んでくれたまえ。
私の未来は起きていても倒れていても暗いのだ」
という手紙を「遺書」として残した
っていうエピソードを知って読んでみたんだけど、
このルートでマンを好きになった人ってどのくらいいるんだろ?
880 :
吾輩は名無しである:2008/08/23(土) 22:03:00
2ちゃんねらーの平均年齢からして、
そのエピソードが発端で興味を持つようになった例はあまりないと思うが。
最初に「魔の山」を読んでからというパターンは多いと思うが。
おれも鮎川経由、とまでは言わないけど、それで多少の興味を持ったっていうのはある。
鮎川は詩のなかでぺーペルコルンを登場させたりもしてるしね。
あと、吉行淳之介とかからも示唆された。
ちなみに、2ちゃんの平均年齢は知らないけど、おれは27歳ね。
自分はヴェニスに死すからだな。ヴィスコンティ経由。
パターンとしては一番多い気がする。
「魔の山」読み始めました。
今、新潮社版下巻ですがナフタとセテムブリーニの会話が全くわかりません。
読書歴2年、今まで読んだ小説150冊です。
やはり早かったんでしょうか、さっぱりワケワカメです。
なにかおさえておくべき宗教観とか歴史とかありますか?
たしかナフタのモデルはジョルジュ・ルカーチだったな。
内容が分かるに越したことはないが、
あれは現実から隔離された悲しい知識人による議論のための議論のパロディでもあるわけで
そこを抜かして一言一句全分かりする人が分かる人、という読み方には問題がある。
>>885 たしかにそうだけど、
議論のための議論のパロディというだけのものでもないと思うな。
第一次大戦からワイマール期にかけてのドイツの言論界を席捲した議論を、
イローニッシュに描写しようと試みられた箇所だから、
当時のドイツの言論界の勢力図や代表的論客の主張を一応押さえておくと、
セテムブリーニとナフタの議論は単なるパロディとして以上に楽しめると思う。
勿論、大前提として、現代の日本人からしたらなかなかアクチュアリティを感じるのが難しい箇所だとも思うけど。
>>883 脇圭平の「知識人と政治」(岩波新書)とか、ピーター・ゲイの「ワイマール文化」(みすず書房)を読んで、
当時のドイツの思想界の趨勢をある程度知ってから読むと、
セテムブリーニとナフタの議論を多少は具体的に理解出来るようになるかも。
あと、「保守革命」とか「青年運動」について調べてみてもいいと思うよ。
887 :
883:2008/08/27(水) 23:42:08
>>886 具体的に挙げていただきありがとうございます。
さっそく調べてみようかなと思います。
もしわからなくても、「魔の山」は将来的に再読に耐えうる本だと思うので
気長にやっていこうと思ってます。しかしむずかしそうだ…。
「将来的に再読に耐えうる本」。お前は何様だよ。
889 :
吾輩は名無しである:2008/08/28(木) 22:09:02
『魔の山』ねえ・・・
あれってつまんねえ議論がクドクド書かれてる小説だけど内容的には面白いんだ
よね。小説の構造としては難しくも何とも無いんだけどね。
891 :
吾輩は名無しである:2008/08/29(金) 20:35:20
まあ貴様らの詰まらない日常会話(おしゃべり)よりは100倍マシだけどな
あれこそ知識人による知識人のための高度な会話って奴だ
お、出たな。バカだけど賢いと思い込みたい哀れな三流大学文学部卒のC級サラリー
マンがw
マン読んでてよくそういう紋切り2ちゃんレスが書けるよなあ。
その両立がふしぎっつーか、感心する。
894 :
吾輩は名無しである:2008/08/30(土) 20:11:59
そんなこと、ロシア二大巨匠であれ、漱石、鴎外、太宰、三島であれ
どのスレでも同じだよ。
ごめん、ドストエフスキー、三島、鴎外、太宰は両立していても不思議じゃないんだ。
896 :
吾輩は名無しである:2008/08/31(日) 21:32:43
>>892 お前みたいな屑には彼らの知性溢れる議論が理解出来ないんだろ
そういう奴はマンを読む資格がないね
恋空でも読んどけカス
ちなみに俺は一流大学出な。だからってどうということでもないが
897 :
吾輩は名無しである:2008/08/31(日) 21:39:01
別に両立していても不思議ではないという文脈で言ったつもりはないんだが、
そういう風に聞こえたらすまん。ただし、現実のありようとしていろんな意見
(くだらない意見?)も実際にある。
ドストや三島、漱石なんかは特に「とりあえず読者の端くれ」の裾野が広いからね。
898 :
吾輩は名無しである:2008/08/31(日) 21:44:35
>>893 ちゃねらーはどんな偉大な芸術作品も、どんな深遠な思想書も全て自分達の低俗な次元の中でしか
語れないからギャップが生まれるんだろう
いわば厨房がミケランジェロの天地創造を見て『ちんこちっちゃw』『ETかよw』とか言って騒ぐようなもの
まともに相手にする必要はない
君が本当に真面目な人間なら、2ちゃねるはあくまで情報収集の場としてだけ使うべきだね
899 :
吾輩は名無しである:2008/09/01(月) 22:27:14
俺も、ミケランジェロの天地創造の主題はわからんのだが。
個人々々の見方に高い低いはあるだろうけれど、人類全体の感受性って
変わりばえしないんじゃない。個々の顕在意識にばかりとらわれないで
全体に共通する超意識で考えれば「まともに相手にする必要ない」とは
いえないはずだと思うけれど。
900 :
吾輩は名無しである:2008/09/01(月) 23:45:41
話ぶった切るがトニオ・クレーゲルに出てくるインゲボルグ・ホルム。
よく略して「インゲ」って表記されるが、
頭の中で勝手に「陰毛」と変換されて以来…
「金髪のインゲ」なんてもう…orz
902 :
吾輩は名無しである:2008/09/05(金) 12:53:27
「神の剣」冒頭の晴れがましいミュンヘンの描写が好きだ!
マンとかフォークナーとか、
今のファーストフード時代によくこんな作家が好きになる人がいるのかと、
自分のことは置いといて、不思議に思うことがある。
「ヨゼフとその兄弟」なんて全集でしか読めないんじゃなかいかな。
自分はそれで読んだが。
長編はすべて読んだが、
マンのものではやっぱり「魔の山」が一番かな。
この人の時間差人物描写が面白い。始め褒め殺して、ちょっと綻びを持たせて、
また褒めて、また?ってなって、最後には変態少年愛オヤジになって死ぬ
映画監督のベルイマンの人物描写の影の付かせ方もこの影響受けてるかも。
>>903 古典的名作っていうのは、いつの時代、誰が読んでもおもしろいと思わせるものを指すからな
今の日本にトーマスマンのファンがいても、別に珍しいことじゃない
906 :
吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 20:52:32
>>905 で、貴方自身はファンなの?そうじゃないの?
どっちなの???
なんだその絡み方。
908 :
吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 08:56:14
>>906 ファンという言葉は一般論的な事柄を述べる時には使えるけれど、
自分の事をいう時に「・・・のファンです」「・・・のファンでありません」
とは普通気恥ずかしくて答えられんだろうが。
909 :
吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 20:16:42
>>908 ファンという言葉はたしかにアイドルとかタレントが対象であれば違和感ないけれど、
作家それもよりによってマンみたいないかめしい作家の本家本元みたいな人が対象だと
なんか笑える。マンの愛読者とか、心酔者とかいえば気にならないけれど。
「マンのファン」はたしかに笑える。
910 :
吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 20:38:53
僕は井伏鱒二と梶井基次郎と埴谷雄高のファンです!ファンなんです!!!
愛読者とか心酔者とか会話で言うか? それこそ気色悪いだろ。
I, Robotみたいだな。浸水者
ファンってfanatic(狂信者)の略なんだね。
マンは大好きで、小説の結構の大きさ、巧さに舌を巻くけど、
狂ってどこまでも追っかけていくような作家じゃない。自分には。
トーマス・マンにリスペクト☆
915 :
吾輩は名無しである:2008/09/16(火) 12:49:04
ブッテンブローク家は常時置いておいてもいいじゃない
916 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 18:23:53
ドストにおけるカラマ、漱石なら明暗、三島の豊饒の海四部作
そういう、とどめの代表作(遺作とは限らない)ってこの人の場合だと何になるの?
魔の山以降の作品て全集でないと読めないし、同じ疑問持った人いると思う。
やっぱり魔の山なのかな、それともヨゼフとその兄弟あたりなのかな。
答えは人各々だろうけど、君の前提は随分変だね。
918 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 19:23:51
変だったらごめんね。ただ前提は変でも趣旨はわかってくれたようだね。
変ではあっても、頓珍漢でもチンプンカンプンでもなかったのかな。
忠告ありがとう。
919 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 20:16:29
>>916 例えばトルストイやドストの場合、作家生活の初期から晩年の作品に至るまで
主だったものは手に入るし情報もそこそこにはある。
それを前提にした上で、トルストイだったら「戦争と平和」ドストなら「罪罰」
「カラマ・・」あたりが代表作と世間的に認知されている。
同じような解釈でマンの作品を眺めてみる時、「魔の山」よりあとの著作に接する
にしても入手しづらく、「魔の山」が日本で代表作と目されているのと同じように
欧米でも代表作と目されているのか、或いは欧米では他の作品が代表作とされているのか
そのあたりのことを知りたいということだったら、ヲレも是非知りたい。
回答でなくてスミマセン。
920 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 20:30:08
とどめの代表作を持ってる作家のほうが珍しい気がすんだけど。
誰かカフカの城の続き書いてよ。
921 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 21:35:38
>>920 話の裾野を広げるなって。
マンの場合あるとしたら、何?ということだろ。
一般的には「ヴェニスに死す」と「魔の山」の作家としてイメージされてるんじゃないかな、やっぱり。
濃い目の文学好きにとっては「ヴェニス」よりも「トニオ」の方が思い入れは強いかもしれない。
処女作から段々とその作品世界を高めていったドストのようなタイプと違い、
マンはデビューした頃から異様に完成されていた作家であって、
晩年に至るまでコンスタントに傑作をものしていった人だから、
これがとどのめの代表作、という作品をあげるのは難しいと思う。
ちなみにマン自身は「ブッデンブローク家の人々」こそ、
自分の代表作として残るのではないかと予想している。
>処女作から段々とその作品世界を高めていったドストのようなタイプと違い、
マンはデビューした頃から異様に完成されていた作家であって、
晩年に至るまでコンスタントに傑作をものしていった人だから、
これには少し異論がある。確かに日本では、
中期から晩年の作品がなかなか読めないという事情があるが。
マンは段々に作品世界を大きく広げていった作家と思う。
読者の好みは別にしてだが。
「ブッデンブローク家」は若書きなのに驚異的な完成度と小説の面白さ
をもつが、底にあるのは「トニオ」「ヴェニス」などと同様、
実人生と芸術家の生き方の対立であり、当初のマンの関心事はそこにあった。
しかしそこに留まっていられず、国家や民族、人間の普遍性などに
関心が広がっていったのではないか。
「魔の山」はその転回点、以後「ヨセフとその兄弟」「ファウスト博士」
「選ばれし人」などへとつながっていく。
重厚で、ゲーテを思わせる作品群。
それが最晩年の「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」は、一転、
軽み、ユーモアに彩られまさに至芸。これを代表作としたい読者も多いのでは。
べつにそれ一転してないだろ。
>>923 とどめの代表作というのは、コアな読者だけではなく、
マンに強い興味を持っていないような人にも読まれているような作品のことだと思う。
そうすると、一般的には名前も知られていないであろう「フェーリクス・クルル」は、
とどめの代表作とは云い難いと思う。
926 :
923:2008/09/18(木) 20:54:20
「クルル」を「とどめの代表作」とまでいうつもりはない。ただ
マンの愛読者でこれを挙げる人も多いのでは?と思った。
ドイツではどうなんだろう?
今の人はマンなんか読まない、日本人のほうがよく読んでるという声を聞いた。
>マンに強い興味を持っていないような人にも読まれているような作品
これは無理があるのではないか。
そもそも日本では、あまりマンが読めない。
「トニオ」「ヴェニス」「ブッデンブローク」「魔の山」がほとんど。
マンに強い興味を持たない人は、最初から読まないだろうし、
北杜夫や辻邦生経由で読み始めた人が「トニオ」に共鳴し、
「ヴェニス」は映画に感心して本を手にした人が多そうだ。
読まれている数の多さで「とどめの代表作」とするのは無理では?
前にも書いたけれど、大きな変貌を遂げた作家なのだから
初期の作品を「代表作」とするのにはためらう。
ゲーテの代表作というと「ウェルテル」と「ファウスト」と
並べられることが多いけれど、このふたつではまるで違う。
それに「ファウスト」がたくさんの人に読まれているとは思えない。
ドストの「カラマーゾフ」にしても亀山訳が出る前は
一体どれだけの人が読んでいただろうか。
そうね。
まあ、まず、
>>916の云う「とどめの代表作」とは何ぞや――の定義をしておく必要があるかな。
>ドストにおけるカラマ、漱石なら明暗、三島の豊饒の海四部作
>そういう、とどめの代表作(遺作とは限らない)ってこの人の場合だと何になるの?
>魔の山以降の作品て全集でないと読めないし、同じ疑問持った人いると思う。
>やっぱり魔の山なのかな、それともヨゼフとその兄弟あたりなのかな。
そもそも、ドストのカラマ、漱石の明暗、三島の豊饒の海、
――これが果たして各作家の「とどめの代表作」なのか、どうか。
ドストだとカラマより罪と罰や悪霊、漱石だと明暗より坊ちゃんやこころ、
三島だと豊饒の海より仮面の告白や金閣寺を上げる人も多いだろう。
一発屋でもなければ、とどめの代表作を決めるのは難しいよね。
928 :
吾輩は名無しである:2008/09/18(木) 22:09:37
「とどめの代表作」の定義付けが必要といっておきながら、
その舌の根も乾かないうちに、例に挙げた各作家の作品に疑問を投げかけるこの矛盾。
代表作を決めるのが難しいと結論していながら、その数行前に代表作の定義付けが必要と
のたまうこの摩訶不思議。
定義付けがされていないとは言葉の上の理屈であって、相手が何を言おうとしているとか
本当はそれとなく気づいているんじゃないの?
それとも本当に相手が何を指しているのか皆目判らないとでも言うつもりかい???
君ら何したいんですか。ナフタごっこ?
930 :
吾輩は名無しである:2008/09/18(木) 22:21:47
そう、そのとうりです。
お願いですから邪魔しないで下さいね。
お願いですから茶々をいれないで下さいね。
お願いですからもう黙って下さいね。
茶々入れる場だろ。
932 :
吾輩は名無しである:2008/09/18(木) 22:41:04
たしかに
>>927は突込みどころを相手に提供しているみたいで痛々しい。
933 :
927:2008/09/19(金) 15:37:39
そんなにおかしかったかな?
答を出すには定義する必要があるけど、現実的には定義するのは難しいよね、
ということが言いたかっただけなんだけど。
934 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 09:22:12
やっぱりマンの長編の代表作は「魔の山」なんじゃない。日本でも欧米でも。
もし他にも在ったら、岩波あたりで定番になっていると思うけれど。
代表作を決めるのは無理と思う。
翻訳文化がさかんな日本でも、とにかくドイツ文学は読まれてない。
ドイツ語が必須の教養とされていた戦前から大きく時代は変わり、
翻訳でベストセラーはほとんどがアメリカ文学。
大学でドイツ文学を専攻、研究する学生も激減。
岩波であっても売れないから出版しないのでしょう。
「ファウスト博士」は岩波からずっと文庫ででているけど、
一体どれくらい売れてるのか。
でも売れてないから代表作じゃないとはいえない。
また、欧米とひとくくりにもできないでしょう。
ヨーロッパとアメリカでは事情が大きく異なる。
数年前にマンの没後五十年の式典やシンポジウムがドイツであったが、
本国にしても、事情は簡単ではなさそうだ。
亡命して、結局帰国することのなかったマンの評価は戦後紆余曲折、
近年は名誉回復が目覚しく、教育現場で最も読まれているようだが
実際の作品研究は深まっていないということでした。
マンを「娯楽作品」として読めるか否かが、真剣に議論されていた。
娯楽でなければ、本国でだって読まれないわけだ。
ドイツで今「売れている」のは、なんと「日記」らしい。
それをもとにした「マン家の人々」なるテレビドラマが話題を集めたそう。
作品ではなく、私生活やマンをめぐる人物群に関心があるのです。
日記文庫にならないかな。
937 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 15:04:16
身内親族に文筆業が多いのは斉藤茂吉一族ににている。
938 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 16:42:31
>>935 >>翻訳文化がさかんな日本でも、とにかくドイツ文学は読まれてない。
実質ゲーテにマンにヘッセの三人だけだもんね。
939 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 19:28:04
カフカもいるよ。
940 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 19:50:38
>>939 カフカが作品をドイツ語で書いたのは事実。
でもチェコ系ユダヤ人である彼がそうしたのは歴史的に諸事情があるのだろうけれど、
作品背景となるものは、ドイツ国家・ゲルマン民族のそれとは違い、
厳密にはドイツ文学の範疇ではないと思う。
極論すれば英語で書かれた作品が必ずしもイギリス文学とは限らないのと同じ。
941 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 20:26:34
ハインリヒ・ベル、ギュンター・グラスは?
942 :
吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 21:12:13
ハインリッヒ・ベルはよく知らない。
ギュンター・グラスは生粋のドイツ人だろ。
ひょっとしてアンタ、俺の答えをあらかじめ予想していただろ?
えっ、そうだろ?
>>940 ドイツ語で書かれた作品がドイツ文学だと思う。
現在のドイツ語(新高ドイツ語)が生まれたのもそんなに昔のことではないし、
各地に領邦国家が分立していていたドイツは、もともと民族意識は強くなかった。
民族意識や統一国家志向が強まり、
プロイセン国王の戴冠で、ドイツ帝国として統一されたのは19世紀後半。
ドイツ国家・ゲルマン民族を作品の背景とするものをドイツ文学とするなら、
非常に限定されたものになってしまう。
今は文学が国境を越えてつくられるのは普通のことになってきているから、
「○○文学」というとき、母国語ではなく、
その言語で書かれたものすべてを含むことになっているようだ。
ちなみにカフカは両親ともユダヤ人で、チェコ系ではない。
ただ当時のオーストリア・ハンガリー帝国のプラハに生まれ、
周囲はチェコ人が圧倒的多数。
カフカ家は裕福な商家で、少数のドイツ人支配階層の一員と認められ、
家庭内でもドイツ語が話され、ドイツ語での高等教育を受けた。
ドイツ語がカフカの母語だから、ドイツ語で書いた。
944 :
吾輩は名無しである:2008/09/24(水) 22:12:13
>>943 でもってここはマンすれなんで、博識と思われる(失礼)貴兄にあらためてお伺いしますが。
マンとカフカではどちらが偉大ですか?どちらが後世に残るとお考えですか?
>>944 トーマス・マンもカフカもすでに後世に残っている罠
やたらとどの作家が上かとか馬鹿げた質問しているやつはなんなの?馬鹿なの?死ぬの?
946 :
吾輩は名無しである:2008/09/30(火) 16:34:00
豚切りしてすみませんが
ファウスト博士読んでるんですけども
レーベルキューンと悪魔の対話?中にでてくる
「指2本で顎の下をくすぐる」というのはドイツで何か他の意味も
あるのでしょうか?
横好きで読んでいるだけで、ちゃんと勉強したわけでないものですから
ご存知の方いらっしゃいましたらご教示くださいませ。
947 :
吾輩は名無しである:2008/10/03(金) 22:49:25
トニオとベニスは新潮と岩波どっちの方がいいのかな?
カフカスレだと高橋義孝って評判悪いけど・・・
948 :
吾輩は名無しである:2008/10/05(日) 12:04:26
たいした違いないでしょ。多分。
解説文やカバーの自分の好みで選べば?
「魔の山」だったら自分が読み較べた結果、新潮高橋訳奨めるけれど。
高橋の文章は固く感じた
最後が「た」で終わる短い文章の連続で、いかにも翻訳って感じ
950 :
吾輩は名無しである:2008/10/05(日) 19:04:08
>>947 どっちがいいという定説がないこと自体、結局似たようなもんなんだよ。
たいして厚くない本だし、そこそこ大きな書店だと両方ともあるから、
冒頭と中間でも読みくらべてみたら。ただ結末は興ざめになるからはずしてね。
強いて言えば、実吉訳が少し古風なロマン調で、
高橋訳が現代的にクールな散文調という感じかな。
「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」(実吉訳)
「最も多く愛する者は敗者である、そして苦しまねばならぬ」(高橋訳)
上に引いた『トニオ』からの訳文に顕著なように、
実吉訳は対句的表現を多用する傾向があるので、
アフォリズムの印象は実吉訳の方が強烈。
一方、高橋訳は、形式や雰囲気よりも、
あくまで文意のリーダビリティを重視しているように思う。
リズムと雰囲気を求めるなら実吉訳、
意味と読み易さを求めるなら高橋訳、
こんな感じだと思う。
952 :
吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 20:35:34
>>リズムと雰囲気を求めるなら実吉訳、
意味と読み易さを求めるなら高橋訳、
こんな感じだと思う。
結局、こんなこと平気でいうから選択に迷う人が余計迷うことになるんんだよ。
解答者自身がそのことを全然認識していない。
選択する→そして買う。そのためのアドバイスが何たるか全くわかっていない。
953 :
吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 21:42:49
要するに文学的解釈の深さをいくら開陳したところで、購買衝動を促すこととは無関係?
954 :
吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 21:44:20
955 :
吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 21:58:45
なんか泣けてくる。
何時の世にもスノッブ=衒学の徒はいる。そしてそれを冷やかす冷笑家がいる。
>>何時の世にもスノッブ=衒学の徒はいる。そしてそれを冷やかす冷笑家がいる。
それがマンのテーマの一つでもあるね。
スノビズム=セテムブリーニ
シニズム=ナフタ
スノビズムとシニズムの間で揺れる魂=ハンス
そしてマンは前期はどちらかというとナフタ的で、
後期はどちらかというとセテムブリーニ的になっていった。
いずれにせよマンの魅力は何と言っても、
スノビズムとシニズムを併せ持っていた点にある。
957 :
吾輩は名無しである:2008/10/08(水) 21:31:34
>>951は素直な人なんだよ。みんなからかわないで。
958 :
吾輩は名無しである:2008/10/09(木) 21:18:48
マン自身の朗読による『トニオ・クレーガー』のCDを
チューリヒで買ってきた。声優のような美しい声で
朗読が進むなか、来客を告げるドアベルのような音、
犬の鳴き声、そしてカーチャ夫人とおぼしき女性の声などが
かすかに混入していて一層愉しい。
959 :
吾輩は名無しである:2008/10/10(金) 23:19:38
原著で読みたいからドイツ語の勉強初めて一ヶ月…
難しい
961 :
吾輩は名無しである:2008/11/26(水) 23:58:37
「道化」てどんな内容ですか?読まれた方、感想を教えてください。
マンって一流の中の二流ってイメージは拭えないよね
誰の中のイメージだよw
964 :
吾輩は名無しである:2008/12/11(木) 03:43:15
ああお@xん;l;ドラ・・cんhhd
トーマスマンの扱ってるテーマってあまり
現代日本的意義はないきがする。
あの頃のドイツに特有の問題って感じで
966 :
吾輩は名無しである:2008/12/15(月) 13:19:03
>>966 すごい上達ぶりじゃないすかっ。
長編といっても、短文の羅列なわけで。
968 :
吾輩は名無しである:2008/12/27(土) 17:18:21
「ファウスト博士」を読み始めました。
感想は、「ファウスト博士」に登る、という感じですね。
「ファウスト博士」、今何合目あたりですかな。
970 :
吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 13:05:44
光文社から「すげかえられた首」出たね。
971 :
吾輩は名無しである:2009/01/11(日) 13:26:48
>>969 ]]Tまで登りました。
風強く視界も悪く、道は険しく、これからさきどうなりますことやら。
だまされた女/すげかえられた首
マン/岸美光 訳
定価 740円(税込み)光文社古典新訳文庫
人青年に恋した初老の未亡人は、再び男性を愛する喜びに目覚めたのだが……。(「だまされた女」)
インドの伝説の村、頭脳の優れた青年と見事な肉体の若者が美しい腰の娘に出会う。
娘は女になり、目覚めた愛欲が悲喜劇を生む。その混乱の結末は?(「すげかえられた首」)
光文社古典新訳文庫「すげかえられた首」
さっき買ってきました。
974 :
吾輩は名無しである:2009/01/12(月) 00:44:47
俺はヘッセの方が単純だけれども凄烈で芳しいから好きだ。
青春彷徨なんて涙なしには読めない。
975 :
吾輩は名無しである:2009/02/07(土) 10:14:23
魔の山読了したけど、素晴らしい作品だったし。
もっと深く読みたいと思ったから近いうちに勉強してから再読して理解を深める。
976 :
吾輩は名無しである:2009/03/04(水) 15:10:57
魔の山50ページくらい読んだけど退屈で死にそう
これから面白くなんの?
>>976 なるよ。
せめてフリーメーソンのイタリア人とイエズス会士のユダヤ人が
出てくるあたりまで読んでみなよ
魔の山の探究ってとこ誰かまとめてくれ
セテムブリーニ → 宮台真司
ペーペルコルン → 麻原彰晃
オレはこんなイメージを持ってるんだが、どうかな?
自分の中ではショーシャ夫人はケイト・ブランシェット
ベニスに死す読了した
昨日の夜に映画「ベニスに死す」が放送予定だったから、夕方から急いで読んだのに
うちのテレビで見れない放送局の放送だた(´・ω・`) 注:海外在住
最初の方のアッシェンバッハ作品に関する記述が難しすぎて全部理解できなかった
つまり、世俗的なことを軽蔑して高尚な文章で人気を得た文学者だったと納得してみたけど
間違ってる?