しかし、平安女の『更級日記』と明治男の『平凡』とが似ているのはここまでで、
社会人デビューしてからの両者の筆致はかなり異なってくる。『更級日記』の作者は、
全ては夢よという諦念で後半生を振返っているのだが、二葉亭にとっては、青年期は
未だにうずく生傷なのだ。自分の青春期への呪詛、文学への呪詛、不当なほどの自己卑小化、
本書の後半は、ほぼこういうものだけで占められていて、とにかく生臭い。
二葉亭が46歳で客死したのが明治42年で、連載が明治40年だから、本書は
二葉亭が四十四、五歳のころの作品ということになる。自己の青春時代を毒づく
さえない四十男。つまり、かっこ悪いのである。でも、その煮え切らないかっこ
悪さと生臭さがなんとも良い。好きです。
ところで、「牛の涎のように」スレのスレタイは、本書が元ネタになってるのかな?
「近頃は自然主義とか云って、なんでも作者の経験した愚にも付かぬ事を、聊かも
技巧を加えず、有のままに、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行(はや)る
そうだ。好い事が流行る。私もやっぱりそれで行く。」
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吾輩は名無しである:2005/07/19(火) 23:03:31