933 :
吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 14:16:49
高野さん達一人一人が考え行動して行っていたのは、社会変革といいながら制度
変革より自己変革のほうの側面が強い運動だった。
生き方ということ「その意味」について厳しく問うて行く、修行者みたいなところを
感じます。
顔つきもホリエモンとは随分違うよね。
>>933 鋭い見方だと思います。
その世代の方ですか?
935 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 15:05:26
友人が日記を発見したというのは、本当でしょうか。
友人の方はどのように死亡した情報を得たのでしょうか。
またどうして悦子さんの部屋に入ることができたのでしょうか。
当然大家さん、警察等の目があったはずです。
936 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:58:43
935
西陣署から立命文闘委議長「兵頭」氏へ連絡が行き、氏と数人がご両親よりもはやく下宿に到着しています。
高野さんの遺体確認は、24日夕刻です。25日朝栃木県庁の故三郎氏に連絡が入っています。
937 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 21:31:43
>>936 疑問点があります。
1.普通は所轄署から遺体を引き取るのに、なんでサブローさんは京大
医学部から高野さんの遺体を引き取ったんですか?
2.夕刊に身元不明とのっている(身元が判るものを持っていなかった
んでしょう)のに、なんでブサヨ仲間に連絡が行ったのでしょうか?
3.親族でもない人に遺体確認させるでしょうか?
938 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 21:33:57
変なサヨ連中と付き合ったのが運の尽きだったんだな。かわいそう。
939 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 13:51:56
937
昭和44年ですよ、西陣署には、死体安置所がなかった、京大にはあっただけのことですよ。三郎氏の失格者の弁よく読んで下さい。
もう少し時代背景よく考えてみて下さい。
身元の件は夕刊御覧下さい。それだけで身元確認に行きます。高野さんの前夜の行動と態度が異常であればですよ。
親族は遠く離れています、警察は早く身元を特定するのが仕事でしょう。身近な人に遺体確認して最終が親族でしよう。
940 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 17:36:09
なぜ西陣署は兵頭さんに連絡できたのでしょうか。身元不明なら立命の学生とは分からないはずです。
連絡が行ったとしたら、かなり身元が判明していたのでしょう。しかしなぜ兵頭さんに連絡がいくのでしょうか。
大家さん、大学関係者、親族に連絡がいくのは分かるが、なぜ兵頭さん。
また夕方に確認したのに、なぜお父さんには警察から翌朝の9時(出勤時間)ごろ連絡があったのでしょうか。
親族の死なら一刻も早く知らせるのが普通でしょう。もしも遅れた理由がお役所仕事、親族への配慮だとしても、
翌朝の6、7、8時には連絡するのではないか。出かけちゃうよ!やっぱりおかしいよ!
またどうして兵頭さんらは高野さんの住所をしていたのでしょうか。なたどうして部屋に入れたのでしょうか。
また兵頭さんらは日記を盗み見るようなことをするでしょうか。誰かが許可するはずもないでしょう。
941 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 13:40:51
940
親族が一番が当然です。身元不明記事は24日夕刊です。5時前後夕刊見て警察に行き身元確認、
栃木県庁、次が勤務先、次が友人の順でしょう。
25日いち早く連絡の取れた兵頭氏がかけつけた。次が距離的に両親でしょう。
当時シンパ含めて全共闘活動家はすべて公安に連絡先含めて身元が公然だったということでしょう。
当然国際ホテルにも連絡は、入る。三郎さんの県庁の勤務先しか記載か゛なかったというのが真実でしょう。
自死の現場に於いて、許可とか不許可とか余り関係ないでしょう。
下宿の構造は、普通障子か襖が仕切りですよ。
942 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 16:31:33
個人的な見解として、警察に連絡したのは大家さん、あるいは高野さんの隣室の人ではないか。
確認した人は分かりませんが。
女性の自殺について、新聞や近所の噂で大家さん、隣室の人は知ったのではないか。
24、25日に帰宅しないので、警察に連絡したのではないでしょうか。
だから親族への連絡が25日の朝になったのではないか。それがごく自然です。
兵頭さんの話は後日誰かが作ったのでしょう。
943 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 17:29:23
942
大家さん、隣室の人では、ありません。24日の夕刊の記事に反応し西陣署に身元確認に出向いているのです。
当然国際ホテルに当日夜確認の電話が西陣署から入っています。バリケードの中に泊まったりする彼女ですから一日二日は、誰も余り気に留めないでしょう。
兵頭氏の記録と友人のコメント参考にして下さい。国際ホテルには三郎氏の勤務先の連絡先しかなかった。
944 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 22:19:41
兵頭さん、ホテル関係者にしても夕方に確認したことになっています。
しかし親族への連絡は25日の午前中です。それも午前9時(出勤時間)ごろです。
この時間のズレはどういうことでしょう。
もし夕方に確認したら、帰省等の可能性を含めて実家に確認するのが普通でしょう。
夕方に身元が判明したのに、なぜ翌日の朝なのですか。おかしいでしょう。
人の死ですよ。親族の死ですよ。
身元が分かれば大学、大家さんに実家は確認できます。またホテルに実家の連絡先がないほうが不自然です。
945 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 22:38:20
書き忘れていましたが、夕刊に反応して、どうして反応することできたのか。
1、2日いなくても気に留めないのに、夕刊で高野さんだと分かるほうが不思議です。
946 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 23:28:28
>>943 国際ホテルはバイト雇うのにオヤジの勤務先書かせるのか?
947 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 13:34:02
お父さんには25日午前9時ごろ(出勤時間)に、多分地元栃木の警察から連絡があったのでしょう。
理由は高野さんの身元が判明したのが、25日の6時から8時ぐらいの時間だったのではないでしょうか。
そして実家に連絡した。しかしお父さんは出勤、弟さんは通学(下宿でない場合)、お母さんは用事等で外出していたのでしょう。
そこで西陣署から地元栃木の警察に連絡があり、警察が収集している情報から県庁に連絡があったのでしょう。
このほうが失格者の弁の記述に符合していると思います。
948 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 18:46:57
ヤリマンのえっちゃんw
949 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 18:57:36
セックスに絶望したわけね
950 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 11:37:02
945
反応する理由があったからです。
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
952 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 16:07:03
兵頭さんの記録ってあるんですか。どこでみられるの?
953 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 16:09:21
そうそう、警察から連絡があったの、それとも反応。
どっちが正しいの?
>>953 警察に問合せたのはバイト仲間の方らしい。
23日の深夜に悦子さんをタクシーに乗せてあげたバイト仲間が、そのときの悦子さんが死にたいと
口ずさんでいるのを聞いていたし、様子に異常を感じていたという前提があるらしい。
だから新聞記事にもしかしたらと反応した。
どこかの掲示板で、当時のホテルに勤めていた人が、そのバイト仲間が誰それであると語っていた。
>>952 兵藤さんの小説の中にあるんじゃないかな?
本を手にしたことがあるけれど、内容が暗く重苦しくて読む気になれなかった。
955 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 02:17:26
文闘委委員長の兵頭氏とは「全共闘記」の兵頭正俊氏のことですか?
>>955 そうだと思うよ。
当時は院生だったみたいですね。
現在は高校の先生らしい。
話しは違うけれど、当時の文献を読むと物事を難しそうに表現するのがカッコイイって感じの文章
がやたら多いですね。普通に簡単に分かりやすいと価値が無いみたいな感じ。
というか本人にも分かってないからそんなぶうになるのかな?
>>956 まあ分ってないとか背伸びとかもあるんだろうけど、
文章ってのは美文であることが第一、とされてきた感性が残っているのでは。
明治のころは文章即文学だったわけだし。
そういう感覚って今でも残ってると思うよ。
何で学術論文は、揃いも揃って漢文脈を引いているのかとか。
法律関係の文章とかも独自の文体を持ってるしね。
別に論文をフランクなですます調で書いても、極端に言えば2ch語を使っても、
内容さえよければいいじゃないかってことには、現在でもなってないよね。
たとい価値のある内容でも、やっぱり文体に支えられてないと、受け入れられない。
だから、別に六十年代当時に限らないと思いますよ。
958 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 12:52:54
955
兵頭氏は日記を一瞥、自殺の報に逃避者としか記録していません。
活動的シンパとしての高野さんの死を悲しみ、哀れんでもいません。
そのような類の議長だったのでしょう。
959 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 11:37:36
日記にそれしか記述されていないの。
BBSを読むと遺体の確認をしたことになっているけれど、
どこかにそんな記述あるのかなあ!
記述しているかたがいたら、著作名と内容の記述をお願い致します。
960 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 15:36:54
高野さんは5.23の京大での労学総決起集会の時、投石をして警察に捕まっている。
ここで警察の記録に残っていた可能性もあるね。
そこで立命館兵頭氏へ連絡をとったのでは、兵頭氏は連絡を受けバリケード内にいた
日本史の人達と確認に行ったのでは?
下宿へは日本史闘争委員会の友人が行き日記を見つけた。
大学という空間、学生という時間、学生という身分、学生という身体と心理
人生でもっとも自由な時間と考え方を持てる時期。
でもその自由は4年後の就職を前にした限定された束の間の時間。
彼女の最大の関心事は他者との心の通じ合い、とりわけ恋愛だ。
彼女の学生運動の動機はそこにある。
彼女が語る思想や理論は嘘ではないし副次的なものでもないが
後から出てきたものだ。
彼女に理解し合える彼氏がいたなら悲劇はなかっただろう。
彼女が最も求めるものを手にすることになったから。
でも、彼女には心の深いところで分かっていただろう、自分の性格では他者と
理解し合えることはできないだろうと。
彼女はおそろしく対人関係で不器用な女性。
彼女の本音は日記の中と酒を飲んだときにだけある。
962 :
955:2006/03/07(火) 02:50:03
>>958 文闘委委員長=兵頭正俊氏ということですね。(ちょっと驚きですが)
そうすると兵頭氏の記録とは、氏の小説『二十歳』のことでしょうか?
小説の一場面から「兵頭氏は・・・自殺の報に逃避者としか記録していません。
活動的シンパとしての高野さんの死を悲しみ、哀れんでもいません。」
と判断するのは誤りであると思いますが。仮に実際の兵頭氏が冷酷な人物であった
としても、です。
それとも小説以外に他の「記録」が存在するのでしょうか?
963 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 10:06:08
遺体確認の根拠ないのかなあ。確認したと書き込みした人教えて。
964 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 10:14:01
兵頭氏の記録と友人のコメントて嘘なの。
どこに根拠があるのか教えて欲しい。
965 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 22:50:27
遺体の確認は国際ホテルの人がしたのでは、確か中村の所へ行った高野さん
の尋常ではない様子をみていて、遺体の確認をしに行ったのですよね
兵頭氏は立命館全共闘議長だったのではないでしょうか。
高野さんの部屋に兵頭氏と日本史の人と行ったが日記は発見したが元へ戻しておい
たのですよね。そして三郎氏の発見することなり、若干の手直しをして発表する事
となった。
これらの事はバイトで一緒だった人の話として語られている。
966 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 14:00:00
林真理子グロイ
967 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 14:32:36
965
若干の手直でしょうが、中村さんのことの大幅な削除があります。移動もあります。
968 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 14:34:49
ヘッセよりボードレールのが良いと思いますが、高野さんの心境から言えばヘッセでしょう
>>967 中村さんのことの大幅な削除があります。移動もあります。
なんでそんなことが分かるの?
悦子さんのお母さんの話しでは、ファンの人が日記を1冊?持って行って返してくれないとか・・
970 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 14:05:13
ファンじゃによ!単なる泥棒です。情けない、恥知らずです。
日記はお母さんに返して欲しい。まあ泥棒じゃ無理だろうけど。
971 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 16:11:16
形見とも言える日記、ファンなら返すべき、返して欲しい。
悦子さんの日記が母のもとに帰りたがっている。
住所も分かるはずだから。
お母さんの存命中に返して欲しい。
972 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 16:40:24
そうだよねぇ!お母様の心の中に悦子さんは生き続けているでしょうからね。
そして日記は、存命中の悦子さんが「生きた証」を語り続けている最も大切
な遺品だろうしね。
大幅な削除、移動の件はどうなんですか。
973 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 21:16:32
悦子さんが両親の元に帰ったように日記も返して欲しい。
お母さんの信頼を裏切り、本当に情けない。泥棒は何年経っても泥棒です。
削除はあったのではないか。中村さんや国際ホテルへの配慮は当然あったと思います。
現在ほど人権やプライバシーに対する考え方が確立されていなくとも当然配慮はしたと思います。
6/19の失恋以来精神や肉体に影響があり、自殺の原因になったのではないかと推測できるので、
原本の日記から削除等があったのではないでしょうか。
974 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 12:49:01
ヤリマンスレ
975 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 23:06:01
削除された部分も含めて改めて出版されたらいいのに。
もうそんなに問題は無いでしょう。
976 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 10:19:38
「二十歳の原点」の5月26日に「ろくよう」「ダウンビート」で時間を過ごしたと
書いてありましたが「ろくよう」や「シャンクレール」はよくでてきますが、
「ダウンビート」は出てきていませんでした
977 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 11:28:38
泥棒さんへ
多分この掲示板見ているのではないでしょうか。
お母さんにノート返してください。
誤りはいつでも正せます。早く返しましょう。
そうしたら高野悦子日記完全版が出せます。
その時は1万円以下でお願い新潮社。
979 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 00:16:43
そんなに重要な所の一冊をもっていたままにしているのですか。
これは、彼女の生きた軌跡を失はせる事となってしまう重要な部分なの
ですね。
どうしても読んでみたい、自分のこれからの人生を考える事においても。
早く返してください。
981 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 16:47:01
高野さんが死を決意していく重要な部分なのでしょうか。
それでしたら、「二十歳の原点」の読後感も随分変わりますね。
是非母上へ、ノートをお返しください。