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吾輩は名無しである:
「アメリカには、フィクション研究がいっぱいあるでしょう。[……]
フランスでは、ポール・リクールが例の悪名高い『時間と物語』で
一生懸命やっているんですが、これは見当違いもはなはだしいとしか
思えない。彼には、エクリチュールという概念がないから、小説に
おけるフィクションを、音声的に語り継がれた民間伝承などから区別する
理論的根拠がなくなってしまう。また、ロシアのフォルマリストたちの
形式主義的な議論をふまえて、歴史的な記述も小説というジャンルの記述も
変わりがないということになってしまうんです。」
蓮實重彦『「知」的放蕩論序説』p.214.