202 :
吾輩は名無しである:2008/05/15(木) 21:14:30
江藤淳
結局のところ、江藤淳の代表作は何でしょうか?
私は、「夏目漱石」「成熟と喪失」「昭和の文人」を
読んだことがあって、「昭和の文人」を最も買うものですが。
204 :
吾輩は名無しである:2008/05/24(土) 17:58:40
結局のところ、江藤淳の代表作は何でしょうか?
私は、「夏目漱石」「作家は行動する」「小林秀雄」
「アメリカと私」「成熟と喪失」「昭和の文人」等を
読んだことがあって、「昭和の文人」を最も買う者ですが。
この人の文章読むと昭和を感じる。
欧米かっ、武士かっ、贅沢かっ、困窮かっ
江藤惇の文章好きだけど。輪郭のはっきりした文章を書く人だと俺は思った。
でもそれが鼻につくという人はいるのかもしれない。自己主張が強いから。
って、このスレ。はやってね〜
207 :
吾輩は名無しである:2008/10/07(火) 02:24:15
久々にあげとく。
>>205 昭和にはこういう雰囲気のインテリっぽいちょっと洒落たお偉いさんっていたよね。
親戚の叔父さんだったりするとユーモアセンスが両親とかより遥かに良くてしかも銀座でケーキとかご馳走してくれたり。
センスの方向性としては欧米的ホスピタリティを身につけた武士、または贅沢を自然に扱える質実剛健。
あれは進化だったのか分裂だったのか。
とにかく魅力的だったのは間違いないです。
江藤氏の垢抜けたセンスは親父さんの嗜好の影響も大きいみたいですね。
209 :
吾輩は名無しである:2008/10/08(水) 00:11:44
「海は甦える」はなぜ絶版なんだ。再販してくれや
>>208 お偉いさんって言うのは言えてる。
自由業っぽくないカタギな雰囲気は独特。教授職のせいばかりでもない。文章もカタギっぽい。
江藤は自分(家族一族)と国の過去を只管に語った濃厚な自己愛の人であった。
過去の描写も、ありのままの過去というよりも、戦後没落した江頭一族の末裔の目を通した守旧的な私怨の描写のようなものだった。
戦前を当時幼年の目でしか知らなかった江藤は、実感としての戦前の功罪など肌で体験すべくもなかったからだ。
何故に彼は保守なのか。一旦左翼も体験した江藤は結局、何故に保守に回帰したのか。
彼の云う保守とは何なのか。江藤は晩年の作品でこう語った。
「保守とは支配層の皮膚感覚のようなものである」と。
とすれば、元戦前日本の特権層だった江頭一族の末裔のかかる理非を越えた皮膚感覚こそがかれの保守思想の淵源だったのか。
この皮膚感覚とは良く言えば矜持の維持、悪く言えば他者との分かち合いを拒絶した閉じた自己愛的な生き方であろう。
実際に、かかる自己愛(及び自己愛の投影としての保守的国家観)の維持を価値感の頂点に置く生き方は、
自分、一族、最大でも島国、民族の誇りを越えては一歩も広がらなかった。
では、何が彼をして、そこ迄に他者との分かち合いを拒絶せしめたのか。
不特定多数人を前に自分とその延長としての一族、戦前日本を語らせしめ、誇らせしめたのか。
一推論としていえるとすれば、それは愛するものの喪失体験とその代償行動ゆえにだろう。彼の場合、それが過剰だったのだ。
愛するものの喪失体験故に、外に閉じた自己愛の殻が肥大化してしまったとも云える。
一般に、過去を自己愛的に語るものは過去の世界に生きている事になる。
過去のある時点で、そのまた過去を自己愛的に語った者は、二重の意味で過去の世界に生きていた事になる。
そして、その者の死と共に、その語った内容は三重の意味で過去のものになる。以上は江藤とて例外ではない。
事実、晩年の彼は、随所で政治や世相が昔通りに戻らない事、自分が官僚の前では無力である事、与党の首班にも邪険にされている事を恨んで小さくなっていた。
そして、動機に疑問を残す自害とともに、死後10年で急速に彼の生前の思想が十把一絡に色褪せたのはそのせいだろう。
極めて偶然ではあるが、あたかも同時期の大江の作品「宙返り」を彷彿させる。
残された信奉者達は狼狽し、嘆息し、また頑なに彼を正当化したものも多かった。後者は無論、彼を長年信じた自己の正当化の為にだ。
個人的にも、自害後程なくしてのT大図書館の開架書棚からの江藤全集の除去の目撃は、実に衝撃的だった。
非常に優れた文芸評論も多かっただけに残念だった。
江藤は只管に過去への自己愛に生きた人物である。
自己愛に叶う自分、国家でないものは全て断たれるべき形骸に過ぎないのだろう。
彼は、肉体的には20世紀を越えては、健康や妻を喪失して以降は、
否、もっと有り体に言えば心情的には昭和20年を越えては、母を喪失して以降は、もう生きられなかった人物なのだ。
様々の濃厚な自己愛的代償行動無くしては、だ。
213 :
吾輩は名無しである:2008/11/22(土) 10:20:00
■WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム■
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”)とは、
文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文芸春秋・1989年)において第二次世界大戦終結後に連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領政策として行われた宣伝として提示したもの。“WGIP”の略称も江藤淳による。
この呼称を最初に使用した江藤淳はこれを「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」とし、
「日本の軍国主義者と国民とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、
実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。」と主張している。
214 :
吾輩は名無しである:2008/11/22(土) 10:21:10
正義と理知の人って自己愛系だよね、大抵。
正論とセンスで勝負するって自分自身がオールマイティーな強者じゃなきゃ無理だもんな。つか、強者たりえぬ亜流たちがそれでも必死で奸計する様を、糾弾、一笑に付すのは無意識にでもそう言う自己認識が無いと、キツい。
弱者が強者を凌ごうとしたとき企てる虚構を悪徳と呼ぶんだろうから、自分に直視できない無様な悪徳の記憶がないのは強者ポジションだからだしだからこそ悪徳には無垢なまでに攻撃的。
江藤淳の場合は自分の一族へのこだわりとその記憶の甘美な部分への逃れられない従属が保守と言い換えられて悪徳を免れていた気がする。
江頭豊と同族という点ですでに失格。
文芸評論家としての江藤は秀逸。夏目漱石、小林秀雄、昭和の文人等、傑作も多し。
エッセイストとしての江藤は達筆な自己愛の人。時代背景の詳細な私小説風の上品な作品多し。
大学教授としての江藤は凡庸。結局、東工大、慶大、大正大で専門の英文学をどれくらい極めたのかは薮の中。
憲法、政治評論家としての江藤は問題多し。畑違いの自称研究を繰り返す。
何故に独自の研究成果を学界には発表せずに、雑誌で大衆相手にだけ息巻いていたのか何時も疑問だった。
政界の裏フィクサーとしての江藤は見苦しかった。江頭家の家柄を利用し、歴代首相に直談判で諫言する。それを臆面もなく雑誌で自慢する。一方、宮澤や官僚等の東大閥への無力感を相手の家柄への非難で切り返す。晩年はこの手の愚痴が多く孤立感を深めていた。
そして、人としての江藤は、犬や家族を愛した濃厚な自己愛と自己顕示の人。
上流出身で上品だけど、病気や家族の死、孤独等の人としての人生の種々の難局にはあまりにも脆弱だった。
彼の人生の放擲行動によって、思想的に社会的影響力が無に帰した部分も多い。
が、優れた業績として語り継がれる領域も多い事は事実だ。彼の評論は漱石等の研究家の参考文献ではあり続けるだろう。
然し、評論なるものの本質、結局はオリジナルにはなれない限界から観ても、またひたすらに過去だけを語り未来に盲目した者の定めから観ても、時を経れば彼は名実共に過去の人物になるであろう。
江藤淳さんは自殺されました
ご冥福をお祈りしましょう
>>215 つか、文学関係って自己愛系多いじゃん。
あまり自分の意見をシビアに検討することを、理系や社会学系ほど要求されないから
自己絶対化しやすい。
そこへもってきて、小説の人物やらインテリやらに憧れて自我肥大すると、もう。
某スレでも「選ばれし者の恍惚と不安」に高ぶっている住人が多数いたw
自分を神の如き知者のように設定して、「頭がよくて凄い俺様w」「の意見に
自己満足する裸の王様。
でも本当は、ソクラテスは無知の知を言っているし、例えば何か哲学書でも読んだ場合、
肯定的意見にせよ否定的意見にせよ、そこで分かった気になると
そこで物事の理解が終わりがちになってしまうんだよね。
こういう人は、書かれている対象よりも、自分の方により関心が行ってしまってるんだろう。
もっとも読んでいる本にもよるけどね。
例えば林真理子の本を読む時には別に知的謙虚さなんて要しない。
文学部出身者が政治を語ると、右であれ左であれ、独特の現実離れしたものが多いな。
右は古くは、福田恆存、林健太郎、小堀桂一郎、そして江藤、今は桜井、曽野。左は大江、小田実。
十分過ぎる程にインテリではあっても、政治経済や法律の専門知識を欠くからだろうか?
で、どちらかと云うと保守派が多いのも、法曹や官僚のように、思想の柔軟な学生時代に立憲主義やリベラリズムの洗礼を受けていないからだろうか。
221 :
吾輩は名無しである:2009/01/12(月) 23:16:59
福田和也も文芸評論はさすが江藤が推薦しただけあってなかなかだけれど
政治関係は言っていることめちゃくちゃだな(笑)
立花隆、梅原猛も文学部出で左でしょ
右は清水幾太郎とかもいたな。
梅原って左なんですかねえ?
225 :
吾輩は名無しである:2009/04/05(日) 01:46:20
プロ野球の長嶋選手の与える感動はモーツァルトの与える感動より
底の浅いものだって書いてたよね『作家は行動する』に
普通は書かないのね思ってても
この人は長嶋やプロ野球なんかろくに見てもいないし感動なんかした事もないのに
なんでこういう権威主義的な事を書いたのかは非常に興味深い。
漏れはおそらく東大に2回落ちて慶應なんかにいかざるをえなかったのが関係しているとにらんでる
一般論。
価値観て、でもない? ひとそれぞれに、それぞれの。
例えばの話、映画を俺はあんまり評価をしないというか、ともあれ、
映画をむやみに持ち上げる手合いをじぶんはぶっちゃけ小馬鹿にしている。
――もう端的にね。映像は低い。ひとは、ヒトガタは、下等だ。
捨象されたものとは違う。穢らしい。そんな理由から。情報が多けりゃ
いいってもんじゃないと俺は思う。
デコード力? 賑やかしじゃねえだろwっていう。
長嶋には感動しなくても中日・杉下のフォークボールにはモーツアルト程度の感動を覚えていたんじゃね?
結核療養中の回想で書いてたよ
229 :
吾輩は名無しである:2009/04/07(火) 14:47:23
>>225 東大ニ回も落ちてたのか、受験に失敗してもああいう文章かけます、才能あれば、
ということ
落ちた先の東大図書館の開架に江藤全集があったのは皮肉。
でも、自殺後に即撤去された。東大からの彼への評価はそんなもん。
慶應辺りではずっと置いてそうだが。
231 :
吾輩は名無しである:2009/04/28(火) 21:57:15
>>217 『閉された言語空間』への評価はどうですか。
232 :
吾輩は名無しである:2009/04/29(水) 09:29:05
梅原はもちろん
立花も右ですよ
>>228 こういうのって世間で「インテリ」と呼ばれてる奴が唐突に
都はるみなんぞを絶賛するのと同じでイヤらしくて鳥肌が立つわw
234 :
吾輩は名無しである:2009/04/29(水) 11:42:51
山川方夫の小説には勉強させてもらいましたな
女と別れる時の言い訳に何度も使わせてもらったww
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-KJ,bF,hT, uaHR0cDovL3NvY2NlcjEua3Rkb20uY29tL2Jicy96Ym9hcmQucGhwP2lkPXNvY2NlcjR1MiZwYWdlPTEmc24xPSZkaXZwYWdlPTYmc249b2ZmJnNzPW9uJnNjPW9uJnNlbGVjdF9hcnJhbmdlPWhlYWRudW0mZGVzYz1hc2Mmbm89MzE3ODU=,
qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,kbf453750d75a7a8a95e84e11a80fd70a,t20090507180621,
236 :
吾輩は名無しである:2009/06/18(木) 01:54:48
自己愛の人というけど、愛で自己を固めねばならないほど自己が無かった人じゃないかな。
そこからくる浮遊が彼を貫いていると思うけど。
江藤にとっては戦前日本への郷愁は、同時に没落前の江頭家への郷愁でもあり、不幸にも幼少時に失った母堂への郷愁そのものでもあった。
故に、彼が強く戦前日本への回帰に拘る理由がある。
何故に、彼にとっての個人的喪失体験をして、戦後の世相や国家自体の喪失体験にそのまま敷衍させて論じてしまっているのか、
読者はいつもそんな軽い戸惑いと疑問を禁じ得なかった。世代的には戦後民主主義の世代の筈なのに,だ。
畢竟、彼にとっては、自分の思い通りでない己の肉体、家族、世相、国家は、凡て否定し背を向けるべき存在であり、
美しい日本語を駆使したそのマスメディア向けの背馳、排斥行動自体が一貫して彼の自己顕示の手段でもあったのだろう。
故に、晩年は周囲からの孤立を深め、絶望と孤独の中で7通の遺書とともに自らの命に幕を引いたのも、決して偶然とは思えない。
238 :
吾輩は名無しである:2009/08/05(水) 23:08:06
>>234 山川方夫は横浜が書ける作家だと思ったね
空気雰囲気を書けるというか
せっかくそういう資質があるのに当人は自覚が薄いのか
へんてこな方に途中から逸れていく小説も多いね
多いといっても少ないけど
20世紀のうちに自ら没しておいて良かったのかもしれん
在命だったら、多分、ここ9年、特に今の政治的状況は到底正視するに耐えなかっただろう
戦前生まれの保守伝統回帰層は、夢破れた今、皆知らぬ間にひっそりと消え往くのだろうか
親友である石原慎太郎の今の姿を見て泉下で何を思っているんだろう。
241 :
吾輩は名無しである:2009/10/18(日) 23:53:01
悲しいね
チェーホフ全集の月報に書いてた。怖くて短篇が読めないって
曰く“〜世のチェーホフ愛好家などは、こういう怖さが蟻の刺したほどにしか
感じられぬ鈍感な連中のことである。彼らはチェーホフが巧いという。美しい
という。情緒がいいとか「日常性の深淵」などと利いた口を叩く。とんでもない
話で、一度でもまともにチェーホフと交際(まじわ)った人間は、彼の眼で見た
人生の風景に慄然とせずにはいられないだけのことだ”なんって。
なにはともあれ、この位には読めるのが、現役のには何れか居るのかしらん。
あー、煽りとかじゃ全くなくってね。純粋にじぶんが不勉強なだけで。
そう言えば、国際関係に関する江藤の生前の予想では、21世紀の世界では、国家間の統合は一段落し、寧ろ、19世紀的な民族主義を基軸とするの国民国家併存のモデルに戻って行くのではないか、ということだったな。
「諸君」か「文春」で読んだ気がする。
実際は、連邦国家の中では地域単位の民族主義が勃興し、反面、地域単位では独立の国家連合が進展する、という、なかなか複雑な様相を呈するに至って居るけど。
この江藤翁の当時の予想は今後どう進展する事か。
こいつはいったい梅田香子に何の期待をしていたんだろうか。
『勝利投手』がラノベでなくてなんだというのだろうか。
246 :
吾輩は名無しである:2010/01/27(水) 15:38:52
江藤先生は痴漢冤罪の被害者だ。
カワイソス。
247 :
吾輩は名無しである:2010/01/27(水) 15:41:03
業績は偉大だと思うけど、痴漢が事実だったら、
百日の説法屁一つだな。
先生は、不可解かつ自己顕示的なご自害でとうに宙返りされていますよ。
身の火照った江藤信者達を置いてきぼりにしたままで。
でも、一生想い出に残る過去の思想家なのは間違いない。
どの作品ももう旧いけどね。
249 :
吾輩は名無しである:2010/06/03(木) 14:46:16
● 鳩山家四代の禍根
辞任に追い込まれたのは,鳩山首相の言葉が何を言っても、国民に信じられ
ないようになったからだ。
かって江藤淳氏は、彼のエッセー『鳩山家四代の禍根』の中で書いていた。
『こんな優柔不断な人物に国政を委ねたらどんなことになるのか』
『新党の理念に、国民の安全を保障する国家の防衛について真剣に考えた
形跡がない』
14年前、旧民主党旗揚げ当時の文だが、今の事態を予見したかのようだ。
(よみうり寸評)
250 :
吾輩は名無しである:2010/06/03(木) 19:27:35
見る人が見れば、鳩山由紀夫のアホさ加減は歴然としていたんだな
251 :
吾輩は名無しである:
「成熟と喪失」冒頭の安岡の母ちゃんの歌、耳について離れんw