1 :
吾輩は名無しである:
ほら、はやく集まって。
>>2 80レス以降を読んで。
こっちが本スレだよ。
そっちにはちゃんと削除依頼だしとくから。
>>3 俺は認めない。勝手なことしないでくれ。
スレが伸びないのをスレタイのせいにするな。
ちゃんと同意求めたから、勝手なことじゃないよ。
認められない理由はなに?
新スレ設置に、意義はないけど、
スレタイに3といれとくべきだったかも。
別に、荒れて意味を成さなくなったというわけでもなし。
前スレ、前々スレをテンプレしといてね>1
このスレタイ、
よけい人が来なくなるかもしれん罠
前のスレタイの方が良かった。
こんなスレかっこわるい。
同意があったっていっても少しは様子を見てから判断しろよ
せめてスレタイの候補をいくつかあげて、
確認とった方が正直よかったような気がする。
コレだったらカタカナの名前だけで良かったんじゃないの?
いいじゃないか。
前のスレのまま、続けても人来なかった気がするし。
それより、>1が新しいスレを立ててまで、
言おうとしたことが何なのか気になる。
早くネタふってくれ。
別に特別言いたかったことがあったわけじゃないよ。
前スレがスレとして機能してなかったから、
作り直してまったり語りたかっただけ。
ヘミングウェイの短編がすごく好きなんだよ。
「嵐のあとで」とか「清潔でとても明るいところ」とか、
感覚をぴったりの長さで閉じ込めたようなのが特に。
ヘミングウェイの短編は、
鮮やかな絵画をみているような感覚になるな。
逆に、絵画というのも、
文脈によって規定されているものなんだと感じる。
わかるね、それ。
でも絵画が文脈によって規定されてるってのはどういうこと?
写真は、状況を把握するには短すぎる、一瞬を写したもので
人によってどうとも取れてしまう。ねつ造とかね。
絵画は、状況を描いたものとして、
その状況が作り出す、文脈のなかに置かれているということ。
「雨の中の猫」なんかは、数ページあるけど、
いく枚もの絵ではなく、一枚の絵を見ているようだったから
そんなふうに、感じた。
ああ、ねるほどね。
絵のことはあんまりわからないんだけど、
ヘミングウェイの小説を読んでるときって
映像のイメージがものすごく鮮明に浮かんできて、
いつも最後に一番印象に残った映像が内容を全部包括してるように残るから
なんとなく実感としてはわかる。
確かに写真じゃ絶対だめだね。
一瞬を写したものってこと以外にも、鮮明すぎる気がする。
あげ。
ヘミングウェイって人気ないのかなあ。
最近は古典(?)読む人少ないからね。
最近は、戦前の作品でも古典なんだろうね。
ヘミングウェイは内容は比較的新しいはず・・・
っていうか今のアメリカの小説家って、
ヘミングウェイの文体を参考にしてる人がけっこう多いような気がするんだけど。
ミニマリズムの原型はヘミングウェイだよね?
21 :
吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:23:53
ヘミングウェイいい。好き。大好き。
何か一匹狼でいいね。主人公がみんな寂しげな背中って感じで
背中で泣いてて物凄くカコイイ
この人の作品に出てくる女性がすげー好きなんだけど
22 :
吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:43:55
「日はまた昇る」はつまらなくて途中で挫折したんですが
長編はあんな感じですか?
ヘミングウェイは外面描写を重視した文体を使ってるから、
描かれている題材が好きになれなければ作品自体が好きになれないだろうね。
「日はまた昇る」は闘牛と戦後景気のアメリカっていう、
どっちも日本人には馴染みの薄いものを扱ってるけど、
「武器よさらば」と「誰がために鐘は鳴る」は誰もが知ってる戦争を描いたものだから、
「日はまた昇る」よりは楽しめるんじゃないかという気はする。好みにもよるけど。
ヘミングウェイは俺にはちと難しすぎる。
老人と海・・読み終えた時どっと疲れが襲ってきた
日はまた昇る・・300pくらいで飽きた。続きが気にならない
他・・読む気がしない
25 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 22:25:58
えー。なんも難しいことないやろ
26 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 22:56:13
いや難しいのは難しいと思う。
川端康成的な難しさがある。若者には結構きついと思う
27 :
無名草子さん:2005/04/08(金) 23:01:42
「老人と海」あたりから始めたら?
川端的な難しさなんて聞いたらパパが目を回しそうだな。
長編では、「日はまた・・・」が一番好き。
同時代の人々の感情を描いているのだろうけど、
今読んでも理解できると思う。