蓮實や柄谷のストーリー軽視の態度について part2

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1吾輩は名無しである
こいつらのせいで日本の小説が詰まらなくなった。
哲学かぶれが文学に携わるとろくな事がない。

前スレ
蓮実や柄谷のストーリー軽視の態度が気に食わない!
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1109456181/
2吾輩は名無しである:05/03/18 23:24:05
>>1
そのふたりストーリー軽視してるか?
3C ◆7sqafLs07s :05/03/18 23:24:53
そもそもその二人を並べる意味はあるのか?
4吾輩は名無しである:05/03/18 23:25:04
>>1
前スレの要約よろ。
読むの面倒。
5吾輩は名無しである:05/03/18 23:26:13
ストーリーの定義を明確にしろ!
6吾輩は名無しである:05/03/18 23:27:18
>>1
小林秀雄は許容範囲なの?
7吾輩は名無しである:05/03/18 23:27:25
確かにバカのよって来そうなスレタイ乙。
8吾輩は名無しである:05/03/18 23:31:45
バカと糞コテはこちらへ

「物語」「批評」「うめき」
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/
9騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/18 23:36:09
>>4
物語=戦争
「うめき」と形式
『アメリカの夜』について

これぐらいか。
10吾輩は名無しである:05/03/18 23:43:16
表現の深層構造は個々の思考形式の反映でしかないんだから
深層構造を表層構造に転換する変形規則はストーリーへと直結する
蓮實や柄谷はそれを踏まえているだけ
11吾輩は名無しである:05/03/18 23:44:09
そうするとどうなるの?
12吾輩は名無しである:05/03/18 23:50:49
>>10
生成文法の単語使ってるけど物語論に絡めた評論でもあるの?
むしろ生成文法と対立する気がするけれど。
まさか基本規則同様に物語もプログラムとか言い出す?
13騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/18 23:51:08
>>10
>深層構造を表層構造に転換する変形規則はストーリーへと直結する

しないんじゃないでしょうか。
深層構造=「うめき」と整理したとしても、
物語が変換規則のためのツールというわけではないし。

あと、
物語=戦争
「うめき」と形式

この二つは面白みがないと思うので、
阿部みたいな物語批判の戦略が有効かどうかを話しませんか?
14吾輩は名無しである:05/03/19 00:03:08
ええと、「アメリカの夜」はストーリーを軽視したから評価されたの?
15吾輩は名無しである:05/03/19 00:05:39
深層なんて図式こそ「物語」という立場でしょ
ユングじゃないんたから
16吾輩は名無しである:05/03/19 00:09:50
映画を多く観てる人と観ないで小説しか読んでない人じゃストーリーの認識が違う
映画にはストーリーのない作品が多いけど小説には完全にないものなんて皆無
17吾輩は名無しである:05/03/19 00:57:23
「うめき」とかいうわけわからん用語使ってるくそコテのいるほうは何がしたいのかわかんねーな。
「物語」についてもなんか深遠で、ちょっと見た感じリファテールの「大きな物語/小さな物語」的意味で「物語」を使っているようだ。

蓮實の物語批判も、どうせフランスでポストモダン思想が流行ってたんで、リファテールの『ポストモダンの条件』に影響もろ受けして、当時の若い大学生向けにアレンジしたもんだろ。
蓮實って映画批評のやり方もフランス流を輸入してるし、海外の流行り物を日本の若者むけにアレンジして一時期ブームを起こしたということで、俺の中では評論界の小室哲哉みたいな位置づけだよ。
18吾輩は名無しである:05/03/19 01:03:31
>>17

リファテールって他にどんな本書いてるの?
『文体論序説』とか?
19吾輩は名無しである:05/03/19 01:10:18
やべ、『ポストモダンの条件』で大きな物語批判をしたのはリファテールじゃなくてリオタールだった。

20吾輩は名無しである:05/03/19 01:14:37
リファテール?
リオタールじゃないの?
21吾輩は名無しである:05/03/19 01:20:35
どうせだからリファテールの話をしよう。
物語論にも無縁ではないし。
22騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 01:27:59
>>17
まぁ、輸入業者だとか小室哲哉といった評価で安心したければ、
それでも構わないのではないかと。
リファテールwでは戦争=物語、または「うめき」と形式の問題は解けない。
というより、その二つの問題は超既出なので面白みがないと思うわけです。
23騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 01:33:44
ちなみに、リファテールで解けないのは政治性の排除という意味においてです。
24吾輩は名無しである:05/03/19 01:40:31
お前ら馬鹿で無知なんだから無理すんな。
25吾輩は名無しである:05/03/19 01:41:16
>>23
政治性のとらえ方が短絡的ですね
26騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 01:44:54
>>25
じゃあ、リファテールを使って政治性をディープに語ってくださいな。
27騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 01:53:04
ちなみにw、リオタールで語ったら反則ってことで。
28吾輩は名無しである:05/03/19 01:53:40
>>26
晩年のド・マンを参考にすると良いと思った。
「美学イデオロギー」って、
リファテールなどの議論を踏まえたからこそ出てくるような政治的読解。
29騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 01:58:30
>>28
あー、なるほど。了解しました。

30吾輩は名無しである:05/03/19 02:06:48
>>29
ヤウスとかエンプソンも踏まえている。
特にエンプソン(に代表される新批評)は、
イーグルトンやらレントリッキアのような、
政治性を単純に解する解説書では低く見られているが、
ド・マンによればそれは間違いで、
レトリックの精緻な分析なしでは
まともなイデオロギー批判すらできないということになる。

「物語」が万人を巻き込んでいるという事実があるとするなら、
その実態を解析していこうとする態度は不可欠だと思う。
314:05/03/19 02:35:31
>>9
ありがと。
簡潔すぎて分からないというか、
俺が馬鹿だから前スレ読んでみた。
それでも「うめき」ってのが分からないけど、
2ちゃん用語?
ググってもさっぱりだし。
32吾輩は名無しである:05/03/19 06:19:54
「うめき」
前スレであるコテハンがつかい始めた用語。
どうやら、「物語」に回収されない個別性、あるいは言説になる前の「なにか」であるらしい。
そこはかとなくロマン輝くエステールな言葉で、神秘主義的ですらある。
33吾輩は名無しである:05/03/19 06:55:01
中上スレより

402 名前: 吾輩は名無しである [sage] 投稿日: 04/12/03 08:30:13
中上健次の講演会記録を読んだことがある。
うろ覚えだけど、こんなことを言っていた。
芸能の始まりはどこにあるのか。歌はどこから生じるのか。
「うめき」からではないかと中上さんは推測する。
外(運命)からたたかれる、(不幸に)打ちのめされる、それが続く。
そんな状態が継続すると、そのひとの内部に何物かがたまっていく。
何がたまるのか。やりきれなさ、鬱屈、それは怒りかあきらめか。
いつしか容器を超え溢れ出す、それが「うめき」だと中上さんは言うわけです。
それが歌になる。歌となってひとのこころを揺り動かす。
だから歌はうたおうとして出てくるものではない。
うたわざるをえないもの、それこそが歌だ。
古来、歌とはそういうものではなかったか。
そこで中上さんは文学者だから、文学も同じではないかと話をすすめていきます。
いまどれだけの文学者が「うめき」を持っているかと問うていく。
34吾輩は名無しである:05/03/19 09:46:04
動機ってことじゃないの?
35美香 ◆FE5qBZxQnw :05/03/19 10:27:15
>>33
懐かしい、それ書いたのわたしわたしわたし♪
もとは文壇バーに書いたもので、
せっかく書いたんだからもったいないと名無しで中上スレにはったんだ。
「うめき」。文学板の流行語を生み出すなんてやっぱわたしってグレート。

ちなみに原典は「熊野誌第五十号記念別冊」ね。
「特集 中上健次・現代小説の方法」。
1984年に神保町の東京堂書店でやった全4回のセミナーの採録。
発行は新宮市立図書館だから頼めば通信販売可能だと思う。
内容はよくわかんないんだけどね。精神病患者的支離滅裂講義。
36C ◆7sqafLs07s :05/03/19 10:37:24
その「うめき」は「祈り」と言う人もいるだろうな。

というより「祈り」を中上的に言い換えて「うめき」になるのだろう。縋るべき神のいない人にとって
祈りはうめきなのだ。

西洋において祈りが歌であるように、うめきが歌を生む世界もあるのだ。
37C ◆7sqafLs07s :05/03/19 10:39:49
だけどこの感動的な表現は批評ごっこの世界観にはそぐわないだろうな。

僕が驚愕するのは>>13

>この二つは面白みがないと思うので

こういうまるで自分が神であるかのような判定の仕方なんだ。こういうの多すぎないか?

面白みっておまえだけのものかよ、っていう。

こういう人には是非うめいて欲しいね。祈って欲しいものだよ。文学に近づくためにもさ。

今日はこのへんで。
38私は美香派:05/03/19 12:28:51
分裂したようですね。何だか着道楽の引き出し自慢が続くから、「うねり!」は「信仰!」は何処へ逝ったかと心配したよ。
39吾輩は名無しである:05/03/19 13:08:15
要するにバルザックやスタンダールやディケンズは糞ってことか?
40吾輩は名無しである:05/03/19 16:22:23
「祈り」はちがうだろ
「うめき」は「祈り」以前のものってニュアンスだろ
わかってないな
41444:05/03/19 16:38:08
前スレの1000は偶然にも優雅にgetさせていただいた(ヘヘ
で、このスレまだやるのか?

柄谷と仲の良かった中上健次を「うめき」のテーマにしてみるか。
しかし、中上健次をここでサンプルにするのは難しいな。
それは大江健三郎についても言えるけど。
中上健次のフォークナー的物語は一体なんだったのだ?
42444:05/03/19 16:40:49
>>39
バルザックやスタンダールやディケンズは楽しい。
古典として読む限りは。

今の新人作家が「デヴィッド・コパフィールド」的なものを書いても
蹴っ飛ばされるんじゃないかな。
43444:05/03/19 17:06:28
>>1
ハスミの字が直ってよかったよ。

>>2
>そのふたりストーリー軽視してるか?
軽視ではないね。
44444:05/03/19 17:08:00
>>4
ようやく要約ができた。

物語は信仰しなければならない!
物語とは神であり、根拠であり、
人間であるならば必要なものだ!
と、物語擁護者の一人が叫んでた。

それに対し
我々は無根拠だ。物語には罠がある。
物語を疑う時、「人間」は変質してしまうかもしれないぞ!
と、神なき人々の声が立ち上がる。

まあ、大筋ではざっとこんな「物語」だったはず。
45444:05/03/19 17:09:33
>>30
>「物語」が万人を巻き込んでいるという事実があるとするなら、
>その実態を解析していこうとする態度は不可欠だと思う。
その通り。「物語」は至るところで我々を侵食してる。
こうやって「物語」について考えている我々の思考でさえも。

連投スマン。
46吾輩は名無しである:05/03/19 17:28:03
じゃあ、どうやって物語から逃げるの?
47吾輩は名無しである:05/03/19 17:36:15
 ところで、誰か物語批判とロマン主義批判の異同を教えてくれないだろう
か?コテハンの人が言ってるのは後者にしか思えないんだけど。
48騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 18:12:03
>>37
>この二つは面白みがないと思うので
>こういうまるで自分が神であるかのような判定の仕方なんだ。

俺が神のようだと君が考えたのまた、
君の受け取り方=判定の仕方のひとつだからねぇ。
だからといって俺はその判定を拒んではいないがね。
残念ながら「うめき」について書かれたレスは、
今のところどれ一つとっても面白みに欠ける。
物語=戦争は批判的に読めば面白かったけど、発展性はないでしょ?
それなら、「うめき」がなにか重大な言葉であるかのように勘違いして、
振り回している尊大な態度を批判しなよ。
49吾輩は名無しである:05/03/19 18:28:27
>>48
バカと糞コテはこちらへ

「物語」「批評」「うめき」
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/
50吾輩は名無しである:05/03/19 18:42:00
51吾輩は名無しである:05/03/19 18:55:03
とりあえずだれか『枯木灘』について語ってくれ…
あれは普通に家族の物語だろ。
どこが物語ならざるものなんだ?
52吾輩は名無しである:05/03/19 19:10:21
安い物語を超えた作品のために
「小説」って言葉をキープしているんだと思うよ。
53444:05/03/19 19:54:07
>>46
>じゃあ、どうやって物語から逃げるの?
逃げられない。物語は常に勝利する。

>>51
『枯木灘』は確かに物語だ。物語に敗北する物語だ。
ここで「うめき」を「絶対的な荒々しさ」と翻訳しておこうじゃないか。
『枯木灘』は「絶対的な荒々しさ」を湛えた物語なんだ。
中上は「物語そのものの暴力性を物語ろうとした最初の作家」だから。

>>52
鋭い!
54吾輩は名無しである:05/03/19 20:02:51
>『枯木灘』は確かに物語だ。物語に敗北する物語だ。
>ここで「うめき」を「絶対的な荒々しさ」と翻訳しておこうじゃないか。
>『枯木灘』は「絶対的な荒々しさ」を湛えた物語なんだ。
>中上は「物語そのものの暴力性を物語ろうとした最初の作家」だから。

そんな誰でも知っているような、渡部直巳の抽象的中上論の引用じゃ頭の悪い俺には分からないから、具体的に『枯木灘』のどこが物語ならざるものか聞いているわけだが…
55444:05/03/19 20:04:16
ちょうどいい機会なんで
蓮實『文学批判序説(小説論=批評論』所収の
「中上健次論―物語と文学」を読み直してみたよ。

中上の文学は「物語に聡明に抗う力学的な試み」とのことだ。
56吾輩は名無しである:05/03/19 20:06:00
>55
ワクワク
57吾輩は名無しである:05/03/19 20:15:28
>55
えっ、おわり?
58444:05/03/19 20:21:05
>>54
渡部じゃなく蓮實ね。一応スレタイと流れに絡めて引用した。

『枯木灘』はれっきとした「物語」だよ。
「物語ならざるもの」がまったく見当たらないくらいの「物語」だ。
あまりにも物語的な物語じゃないか。神話的なまでに。
しかし、主人公秋幸が過剰なオイディプス的情念を見せる物語か?
いや、これは違う。ここには「物語」との微妙な戦闘があるんじゃないか?
蓮實がいうように、中上が「物語に聡明に抗った」のかどうか、
これはちょっとわからないが、少なくとも「物語」を過剰なくらい意識してた。

我々は「物語を読み、書く」という。
しかし、本当は「物語に読まれ、書かれる」のだ。
それを中上は充分にわかったうえで、
あえて『枯木灘』を書いたんだろう。
59吾輩は名無しである:05/03/19 20:42:01
的はずれだったら訂正してほしいけど、要するに蓮実や柄谷は、自分らが気づいた
「物語の欺瞞性」から脱却できる、と思っているということでしょう?
でも、彼らが言っている物語って「頭の中で言葉で考えた物語」でしょ?
思うに、人間は別に頭の中につくりあげた物語(システム)じゃなくたって、
寝たり目が覚めたり腹が減ったり女がほしくなったり、自然にシステム
にしたがって生きているじゃないですか。それも欺瞞って言うんですかね?
それを「欺瞞」と「言葉で決めても」別にいいけど、だからって脱却できるわけじゃ
ないでしょう、神じゃないんだから。その証拠に、脱却した彼らの文章の
ほうが、不自由でわかりにくく思える。
もしかして、彼らはまったく意味のないことをやってんじゃないですかね。
60吾輩は名無しである:05/03/19 20:50:16
>>59
全部的はずれだから、何もいえんよ
61吾輩は名無しである:05/03/19 20:57:48
>>59
「物語の欺瞞性」ってなに?
>要するに蓮実や柄谷は、自分らが気づいた「物語の欺瞞性」
>から脱却できる、と思っているということでしょう?
この問いはどの著書を読んで導き出されたものなの?
62吾輩は名無しである:05/03/19 20:58:57
彼らは、物語を脱却できるって思っているわけじゃないんですか?
へー、そうなんだ・・。
63吾輩は名無しである:05/03/19 21:09:23
>>59
彼らは脱却出来てはいませんし、脱却出来るものとも考えていない。
科学者が万有引力の法則を調べたのは脱却するためではない。
しかしその欺瞞=システムを科学は解決する訳でないけれど
少なくとも明らかにしようとするでしょう。
この明らかにしようとする運動が批評と捉えていいのでは。

何故欺瞞という言葉が使われているかといえば、
物語がさまざまな「問題」を生み出しうるから、であり
ある種の「問題」を扱おうとする作家がその仕組みに
無自覚に加担してしまっているという側面があるからです。
6459:05/03/19 21:27:08
63>なるほど。ありがとうございました。
  結局は、「物事の前提を徹底的に疑え。」と言っているということですね。
  私は、どちらかといえば、ウソとわかっていても
  血湧き肉踊る面白い物語が読みたいほうです。
  だから、「今ある物語のウソを認識して指摘する」より「新しい物語をつくる」方に
  力を注ぐほうがよいように思えますが・・。
  まあ、でもそれが難しいんですよね。
  結局、人間がもう一次元あがらないと、結局物語もそのままなんでしょうね。
65444:05/03/19 21:36:55
>>63
同感。何も付け加えるべき言葉がないくらい。
ただ、あえてひとつだけ意見をするならば、
「物語」に無自覚であることが、即欺瞞に加担するわけじゃないかも。
天衣無縫の清々しいうめき、の可能性は否定できない。
(それに期待している面もあるんだなあ)

>>64
>血湧き肉踊る面白い物語
読みたいねえ。しかし「ウソとわかっていて」血湧き肉踊ることは可能?
もし可能ならば、そこにはある種の素朴さが必要だよね。
66吾輩は名無しである:05/03/19 21:39:10
素朴さというか、シニシズム?
67吾輩は名無しである:05/03/19 21:40:44
確かにロマン派と物語の区別がはっきりしてないですね。
重なり合うところも多いのだけれども敢えて切断。
ロマン派は異なるAとBを同じものと見なす。
物語はAならばBという法則で動く。
非ロマン派的物語はノンフィクション。
非物語的ロマン派は比喩。
どちらも想像的な「=と→」の部分への反省が欠けていれば、欺瞞は
生じるがやはり脱却出来るものかは疑問。
特にロマン派のA=Bは言語レベルで生活を支配している。
例:心が痛い。頭にくる。足が速い。
68騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 21:44:04
>>59
>寝たり目が覚めたり腹が減ったり女がほしくなったり

ただ単に、それは物語ではなくて欲望のことですね。
だから脱却できなくて当然ともいえるわけ。
6959:05/03/19 21:46:38
65>たとえば、日本が初めてワールドカップに出場を決めた試合なんかは
  どうですか?
  あれもシステムの中での話ですよね。
  でも、われわれは「素朴だったから」そこまで認識してなかったか。
  
  結局、@新しいことに挑戦(うぶ)、Aシステムに取り込まれる(老獪?)
  の繰り返しですかね。
  結局、全部システムだと思いますが、システムに取り込まれることを
  恐れず(それは当然だから)、またじたばたして新しいものを
  見つけるしかないですよね。
70吾輩は名無しである:05/03/19 21:47:40
みんながなんとなく馬鹿にしている「ロマン主義」と、
当のドイツロマン主義者はむしろ正反対の存在だと思う。
71C ◆7sqafLs07s :05/03/19 21:49:11
>>40

まあいいよ。無理すんな。

>>48

実際問題として提示の仕方が尊大だったために君の提案には誰も乗らなかったわけで
こちらを相対化して逃げようたって現実はそれを支持しないよ(笑)

たとえばさあ

>残念ながら「うめき」について書かれたレスは、
今のところどれ一つとっても面白みに欠ける。

ってのは君にしかわからないわけだ。その根拠なり理由がさ。君の感想文に過ぎないわけ。

批評ごっこが感想文になってしまうのは仕方ないとしても
それで斬って捨てるのはおかしくないか?
72元929:05/03/19 21:51:33
>>59
「つまり」、「結局は」ってのがすでに物語ですけど、
それなしには読んで思った事は書けませんよね?
じゃあ全文引用すればいいかと言うとそうでもない。
考えたこと、と書いたことは必ずズレるわけで。
だからどうしたって言われたら、まぁ控えめに、
量子力学無視して計算したら普段困らないけど困る状況も在りますよね。
曲がりなりにも何か問題設定して解決したような振りしてる「文学」が
大雑把な計算でやってると欺瞞だとかツッコミたくなる訳です。
勿論大雑把な計算で「役立つ」のがあってもいいんですけどね・・・
73C ◆7sqafLs07s :05/03/19 21:58:17
明らかにしようとする態度が批評であるという言い方が成立してなおかつそれを科学と絡めるなら
批評が価値判断を示せるの対象は同じ批評だけになるはずなんだけど。
科学者は対象について論争はしても対象を価値判断はしないよ。

そういう問題には触れなくていいの?

科学者は言うだろうか?

「この重力は的外れだ。この星の体積は面白みに欠ける。この虫の脚には知性が感じられない」などと。

比喩に溺れるのは物語だけで結構って感じかな。
74吾輩は名無しである:05/03/19 22:02:17
理科系の学者は「おもしろい」っていう言葉をよく使うけどね。
まあ、高卒はそういうことを知らないかもしれないけど。
75吾輩は名無しである:05/03/19 22:02:24
煽り屋はスルーで
76C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:03:37
面白い論文だとかこの数式は美しいとかそういうことはよく言うよな。

つまり論文や数式に当たるのが批評だろ?

そういう話じゃないか。学歴以前にまずは日本語スクールにでも行ったらどう?
77吾輩は名無しである:05/03/19 22:15:00
>76
「おもしろい現象」「興味深い事実」ともいうが…
馬鹿なやつ
78吾輩は名無しである:05/03/19 22:18:18
バカと糞コテはこちらへ。
盛り上がってるよ。

「物語」「批評」「うめき」
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/
79C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:18:55
そもそも文学を読んでいるのかねこの人たちは。
名作と呼ばれるような文学の多くは問題解決の「ため」に書かれているわけじゃないよ。
まして問題を解決してやったぞ、どうだ、なんて作者の顔が見えるものはそもそも文学ですらない。
そういう「読み方」を許すものもあるのは当然として。
それこそ論文とは違って文学はそこから始まっていく問題を残すじゃないか。概ね。
物語の中に問題を設定したりそれについて語るのは批評の仕事であって作品の義務ではない。
批評の世界が小説の中に問題を見出しそれについて云々し勝手に解決したりしなかったり判定する。
それを知的な遊戯として楽しむ。
そういう読み方もまたあって当然だ。

しかし批評の見方で設定した物語を物語の作者や作品の側にターンバックし押しつけて
あろうことか「欺瞞」などと切り捨てるのは詐欺のようなものだ。

そして知的遊戯というよりは知的詐称とでも言うようなものを在り難がる風潮も文学をおかしくしていると思う。
80C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:20:01
>>77

で、それは「問題を明らかにしようとする態度」なのか?

馬鹿は話を弁えずただただ否定したがる人のことかもしれないぞ。気をつけたほうがいい。
81吾輩は名無しである:05/03/19 22:21:01
82元929:05/03/19 22:21:36
まぁちょっとだけ。
科学も価値判断しまくりだよ。
対象を捉える手法の選択は無茶苦茶一杯ある。
その選択のセンスがまず問われる。
対象それ自体は科学は扱えなくて、特定の手法によって物語が作られる。
この物語があなたの言う重力ね。この重力が美しくない。
という人もまぁいるけど、今問題にしてる批評は、
この仮説を立て、検証する手法を選び出すという運動を
ゼミで検証してく運動に当たるわけさ。
ノーベル賞が転がり込むかは有意義な結果=目標が出るかまかせ。
しかし手法の立て方によっては失敗してても実りはあり得る。
83吾輩は名無しである:05/03/19 22:22:37
>>78みたいな
差別や排除を含むレスは物語的なんでしょうか?
84C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:32:51
>>82

そこでいう手法の選択のセンスっていうものは
貴方たちの比喩に従えば
つまり文学の世界で言うところの批評のセンスであって
対象自体つまり物語や小説への価値判断ではないと思う。

貴方の言っていることは僕と変わらないようだ。

つまりどう扱うかというセンスを較べることは出来るだろう。
ある批評は別の批評についてはセンスの有無を言えるだろう。

ただ扱っているもの自体を価値判断することは出来ない、少なくとも
趣味や興味以上の学問、理論としては不可能だと言っているのです。

もしその比喩を正しいとするならば。
85吾輩は名無しである:05/03/19 22:33:52
物語に取り込まれることの弊害については、確かに認識すべきとは
思うが、「あれも物語だ」「これも物語だ」と言ってるのって、
不毛じゃねえ?なんか、「俺はここのウソに気づいた」「私はココ」
って自慢大会やってるみたいだ。
86吾輩は名無しである:05/03/19 22:36:46
気づこうが気づくまいが物語に取り込まれていることには変わりはない。
「気づいた」と言ってる人も、やっぱり別のもう少し先の物語に
取り込まれているのであって。
87吾輩は名無しである:05/03/19 22:38:47
そこで脱構築ですよ。
88騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 22:39:44
>>71
>実際問題として提示の仕方が尊大だったために君の提案には誰も乗らなかった

俺はあくまで「提案」したのであって、強制したわけではないので誤解しないように。

>君にしかわからないわけだ。その根拠なり理由がさ。

なぜ面白みに欠けるのかそれ自体が問いなので。もちろん俺の感想だけど。

>批評が価値判断を示せるの対象は同じ批評だけになるはずなんだけど。
>科学者は対象について論争はしても対象を価値判断はしないよ。

批評と科学では対象との関わり方が根本的に違う。

>しかし批評の見方で設定した物語を物語の作者や作品の側にターンバックし押しつけて
>あろうことか「欺瞞」などと切り捨てるのは詐欺のようなものだ。

その問題は既に解決済み。分からなかったらぐぐれ。
89吾輩は名無しである:05/03/19 22:40:11
「脱構築」したら、どうなるの?
人間じゃなくなっちゃうの?
90C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:43:34
批評が物語や小説のセンスを語ることは不可能なのです。
(可能jならばセンスある物語や小説を生めばいいだけです。)
それは実は(ある意味不毛ではあるが)読者の仕事なんじゃないだろうか。

批評は物語や小説のセンスや価値を云々することではなく
物語や小説を素材もしくは対象としてそこから始まるもう一つの世界を打ち出すことでしょう。
物語や小説が切り込んだ穴を広げてもう一つの世界を確立させることでしょう。

なのに小説が欺瞞だという言い方を「小説そのもの」にぶつけて満足している批評家がいるとすれば
それこそ欺瞞なんだよ。

勿論、蓮實や柄谷がそんなことしてるとは思わないけど

>作家がその仕組みに無自覚に加担してしまっているという側面があるからです。

こういう言い方の裏側にこそ欺瞞を見るべきだと思いますよ。
深遠を覗き込もうとする者が気をつけなければいけないのは何でしたっけ?
怪物と戦おうとするものが気をつけなければならないものは。
91吾輩は名無しである:05/03/19 22:45:11
>>84
価値評価と批評は違うよ。価値評価の話してないし。
科学も文学も価値評価は出来ない。どちらも批評だけがある。

ついでにどちらも価値評価する人間もいる。
>>85>>86
同じく価値評価の話になってるよ。やっぱり。
92吾輩は名無しである:05/03/19 22:47:26
91>価値評価と批評ってどうちがうのか、簡単に教えていただけないでしょうか。
  皮肉でなくマジメに言ってます。
93C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:47:58
>>88

提案や感想には見えなかっただけなので提案であり感想だと言うのならばこちらの誤解だから
そこはそういうことにしておこう。

「自分には面白みがわからないので話を限定してもいいですか?」

だったら絶対に誤解しなかったと思うけど。

批評について科学を比喩に用いた人がいてその前提の中で話していることはわかっているか?
94吾輩は名無しである:05/03/19 22:48:14
なんか抽象的な話が続いてるな。
蓮實の中上論についてもっと論じてくれ。
95吾輩は名無しである:05/03/19 22:49:55
いや、幼稚な話が続いてるんだよ。
96吾輩は名無しである:05/03/19 22:51:23
>>92
>>90みたいな、新しい何かを作っちゃうのが価値評価。
そこに止まる、或いは問い直すのが批評。
その点で悪いけど>>90とは言ってルコとが同じとされたくないな。
97騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 22:52:04
>>93
>批評について科学を比喩に用いた人がいてその前提の中で話していることはわかっているか?

その前提が間違っているから仕方ないだろうw
98C ◆7sqafLs07s :05/03/19 22:57:26
>>96

新しい何かを造るのが価値評価?じゃあ評価される前には価値はないの?
なんか昔のギリシア人みたいな話だね。

>>97

君の感想文はあまり面白くないね。それじゃ小学校の感想文コンクールも受からないよ。
99吾輩は名無しである:05/03/19 22:57:42
糞コテ二匹湧いてるね。
100吾輩は名無しである:05/03/19 22:59:12
>>98
 評価されるまえに価値はない。あほ。
101吾輩は名無しである:05/03/19 23:00:04
騙された人 ◆Mr9V2vK5bwとC ◆7sqafLs07s
の個人的な応酬はスレ主旨から外れているから
別の場所でやってくれないかな。
102吾輩は名無しである:05/03/19 23:00:54
なんでここへ来ちゃうんだろうね。
10392:05/03/19 23:02:38
96>なるほど。どうもありがとうございました。
  ただ、私が思うに、人が何かを論じようとするときには、
  その人独自の視点があり、人によって「決めつける」範囲が
  違うのではないかと思うのです。「決めつける」ということは
  場合によっては、その論じる対象に自分でなにか付け加えて
  しまう場合もあると思います。
  したがって、価値判断からはなれた「批評」というのは、
  不可能に近くないですか?特に数式を使わない世界においては。
104C ◆7sqafLs07s :05/03/19 23:03:17
俺は個人的な応酬はしてないよ。感想文は個人の自由だ。干渉しようとは思わない。

ただ適切ではない比喩で文学を語る人については批評のセンスを云々しなきゃね。

じゃなきゃ欺瞞だろ?
105C ◆7sqafLs07s :05/03/19 23:05:22
批評が「明らかにするもの」であって価値判断ではないのか
それとも価値判断なのかを曖昧にしたまま
(実際は二つの説が混合したまま)

何故か相互に頷きあっている。
106吾輩は名無しである:05/03/19 23:06:18
騙された人とCはスルーで。
107騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 23:18:26
>>103
批評は価値判断してると思います。
くだらんものは叩き潰すといっている批評家もいます。
ただ価値判断を下すのではなく、
そこに吟味があるかどうかの違いではないかと。
10896:05/03/19 23:20:32
>>103
その通り!不可能に近いです。
出来る事は不可能を指向した漸近線を目指すのみ。
その意味で非物語である小説が無いのと同様に、純粋な批評も不可能。
しかし批評に向かう意識を持っていないものには批評に近づき得ない。
導関数を評価するのが批評。関数を評価する価値評価と言った人もいますね。
で、不可能でありながら批評と呼びたくなるものを
味わってみたければこのスレの二人の著作を見てみるとよいのでは。
109C ◆7sqafLs07s :05/03/19 23:20:55
>>107

そう思うのだったら何故「批評とは問題を解決するものではなく」つまり価値判断するものではなく
「明らかにしようとする動き」だという比喩に対して疑問を感じないの?
110C ◆7sqafLs07s :05/03/19 23:24:10
>>108

>批評に向かう意識を持っていないものには批評に近づき得ない。

ということはないように思うな。それは可能な何かを前提にして言っている。
不可能に近づき得るものが無意識の所為であってもおかしくないはずだ。

やっぱりちょっと物語的に過ぎないかな。
111吾輩は名無しである:05/03/19 23:25:17
糞コテ二体のレベルは拮抗してますね





かなり低いところで
112騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 23:26:29
>>108
うーん、批評は価値判断をするし、
それを削ぎ落として純粋化しようともしていないんじゃないかな。
>>48で俺が書いたけれど、提案という名の価値判断を行ったとしても、
そこに強制は含まれないから、そこに権威的な振舞いを見ることはできないのだと思う。
113吾輩は名無しである:05/03/19 23:27:30
サタデーナイトフィーバーですか?
114吾輩は名無しである:05/03/19 23:29:38
とりあえずこのスレでは蓮實や柄谷と絡めた意見を出してくれ。
11592:05/03/19 23:34:06
108さん>どうも、ありがとうございました。
   そうした場合、

   1)不可能を認識しつつ、極力近づける努力をする。
   2)不可能を認識し、多少いいかげんな部分は許容し、
    別な物語を作ろうとする。

   という2方向あるように思いますが。
   1)であるべきと言う議論もあると思うのですが、それだと
    みんなへとへとになってしまう割には、得るものが少ないように
    思われるのですが。
   いい加減だと言われるかもしれませんが、2)の方向を
   目指したほうが楽しそうに思えますが、どうでしょう。
116騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :05/03/19 23:34:36
>>114
現実には二人とも権威的ですね。
周りが持ち上げすぎているからだともいえるけど。
117C ◆7sqafLs07s :05/03/19 23:36:48
批評とは不可能な行為だが批評しようと思っていなければ近づき「得ない」って
のはどうなんですかね。

おそらく不可能な行為だがやってみよう、ならいいけど
おそらく不可能な行為だが信じる者は救われる、になってるのはどうなんでしょう。

批評をなんかヒロイックな行為だと思わせたい(つまり欺瞞による価値の附加だな)
という物語がくっついてしまって

真実味を失わせているような気がする。宗教になっていると言ってもいいけど。
118108:05/03/20 00:01:02
>>115
真っ向から答えなくて申し訳ないんだけどね。
1)と2)は綺麗に分断されてるように見えるけれど、
その中に価値評価が潜んでいたりします。
2)の中に、「多少いい加減な部分は許容し」ってあるけど
「許容」を「放置」とかにしたら選ぶの変わらない?
(「多少」も+、「いい加減」は謙虚を装った+評価。)
同じ文章のはずなのに、無意識に主観が入り込んでるわけです。
そんなのと徹底的に排除/格闘している意識を感じとれたら
意外と面白いんじゃないかな?勿論面白い物語は肯定しますけど、
1)の方向で「面白い」のも在るんでは?
119118:05/03/20 00:09:17
因みに説明の都合上、面白さに話を限ったけど
これも>>115の物語的磁場の束縛なわけです。
>>115の物語は他の物語を排除するのだけれど、
勿論他にも物語の仕方はあって、倫理というアプローチもあり、
対話という事自体が限定要因になったりもするのだけれど、
グダグダになって申し訳ないけど、
何故ある種の疲れさせる小説書く人がいるか、
それ楽しむ人がいるかってのを知りたければ、
面倒そうな本読んでみるという選択肢もあるんじゃないでしょうか。
120115:05/03/20 00:11:23
118>確かにそれはありますね。自分に客観的になるって難しいけど、
   そういう努力も面白いかも。  
 
  ただ、現にこのスレ、「価値判断かそうでないか」というところで
  みんなひっかかって大混乱、先に進めずにへとへとになっているように
  思えるのも事実ですが。
  
  いろいろありがとうございました。
121C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:15:16
まあ遊びって疲れるからね。遊び以上のものを求める厳密さはここでは差別の対象らしいし。

2ちゃんねるにおける「文学板」が扱うものは
学問なのか雑談なのかって考えてみたけどIDのないことに起因する責任の所在の無さにはじまって
都合の悪い批判はとりあえず無視する、無視できるという態度など

やっぱ雑談板なんだな。いままで雑談固定を馬鹿にして悪かった。謝っておく。
122吾輩は名無しである:05/03/20 00:22:09
とりあえず、物語や批評についての自分の意見なんかどうでもいいから。
まずは、スレタイで一緒にされている蓮實と柄谷の物語についての意見の共通点と違いを整理してみちゃいなよ。
123C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:26:09
なんか大きく誤解している人がいるみたいだけどここは蓮實や柄谷の主張を肯定的に考えるスレじゃないぜ。
そもそも主張について考えるスレなのかどうかも怪しいわけだ。

>こいつらのせいで日本の小説が詰まらなくなった。
哲学かぶれが文学に携わるとろくな事がない。

ここから始まるエトセトラなんだから

「批評とは科学のように明らかにしようとするものなのだ」なんていうのもありだし
「その比喩はおかしい」ってのもありだろう。

自分たちの使う比喩や感想はオッケイでそれに対する批判はなしってのがおかしいんじゃないか?
124吾輩は名無しである:05/03/20 00:27:08
C ◆7sqafLs07sは邪魔だからあっち行ってくれ
125C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:28:41
つまりここはこいつらのせいで日本の小説がつまらなくなったかどうかと

哲学かぶれが文学に携わるとろくな事がないかどうかについて主に考えるスレだし

その内容にはちゃんと沿っているはずだ。
126吾輩は名無しである:05/03/20 00:31:03
>>125
お前の場合沿ってないレスの割合が多い
前スレの自分レス抽出して読みなおせ
127C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:33:37
俺は君たちのかたくなさに疑問を持つよ。なんていうか批判された経験がないんだな。
だから意味内容に少しでもダウトがかかると妙に感情的になって
そのうち閉ざすしかなくなっていく。

あぼーんって文学的か?
128吾輩は名無しである:05/03/20 00:39:45
またコースアウトしてるぞ。
129吾輩は名無しである:05/03/20 00:42:24
結局、ストーリーを否定しながら、面白い小説を書くのは難しいってことだよね。
そこにこだわることで見えてくる面白さももちろんないわけじゃないけど。
でも、俺が一番読みたいのは、子供のころ夢中になって読んだ「宝島」「西遊記」
みたいな物語だな。
130C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:43:57
面白くない小説ってのはね、〜って言った太宰の乱暴さを超越した批評は今のところないってわけだな。
131ixion ◆ySh2j8IPDg :05/03/20 00:48:38
何でもかんでも越えなきゃいけないわけじゃない。
132吾輩は名無しである:05/03/20 00:49:36
>>130
観念と知的活動の次元のもとでのネグリチュードの回復と繋がる場合は?
133吾輩は名無しである:05/03/20 00:49:58
結局インテリに対する曖昧な反感しか語られていない。
インテリを嫌う言説なんぞ、腐るほどあるから全く新鮮さを感じないです。
134吾輩は名無しである:05/03/20 00:55:01
分科スレを越えたね。レス数。
>>131
分科スレで美香が説得されてるがどう思う?
比較的完成度のたかい物語だと思ったけれども。
135C ◆7sqafLs07s :05/03/20 00:59:22
超えなきゃいけないことはない。そのとおり。でも批評>文学作品という見方は根強く存在する。
136C ◆7sqafLs07s :05/03/20 01:04:42
批評がある物語の見方を豊かにする可能性、物語というもの自体に対する見方を多様化させる可能性、
両方とも否定しないが

物語を軽視すること、や物語を踏みつけようとすること、には反発というよりそんなことは不可能だと思ってしまう。

そんな批評あるのかなと思うがあるかのように語られていることも多いようだ。
見通す目、明らかにする動き、など言いながら「欲しがりません勝つまでは」なんてのも出てくるし。

批評は影でしょ。とらぬ狸に影を食われてカラダと分かたれた人間はバベルの塔に行くんだよ。
そこには虐げられたエホバもいた。
137吾輩は名無しである:05/03/20 01:04:50
小林秀雄のせいだっけ?(なんかの本で読んだ気がする)。
でも、批評は、文学作品がないとできないわけであって。
他人のものを批評するくらいなら、自分で書けばいいじゃないか。
138吾輩は名無しである:05/03/20 01:07:14
また問題が単純化されてきたぞ。
139吾輩は名無しである:05/03/20 01:08:54
>>136>>137
ループループ。
美香にはかまってくれる人達がいたのにね。
140C ◆7sqafLs07s :05/03/20 01:08:55
単純な問題を片付けずに複雑な問題に進もうとするのも急かされた人類の間違った進展だと思う。
141吾輩は名無しである:05/03/20 01:18:36
別に小説がつまらなくなったのは、2人のせいではなく、
物語のパターンが出尽くしてしまったことが原因じゃないだろうか?
そういう意味で、「物語の否定」も「何とか新しい物語がほしい」ための
前段階かもしれない。
蓮実や柄谷だって、ほんとに読みたいのは「宝島」みたいなやつかもしれないぞ。
142吾輩は名無しである:05/03/20 01:24:58
特に蓮實は、
ジョン・フォードの映画を至上のものとするんだから、当然だな。
143ixion ◆ySh2j8IPDg :05/03/20 01:34:56
>>134
正直どうでもいい。俺は種を蒔いてみただけ。

とりあえず、「物語」を比喩のように扱う前に、
もっと徹底して現実的な視線をそそげよ、とは
思うが。

俺はスレタイの蓮實の議論を変形して切り刻んで
勝手にちりばめて論じながら、
(1)なんで現実的に商売として俺の批判(非難じゃない、
何度も言うが)する「物語」が売れて、それが「小説」の
かたちとして流通されるのか、
とか、
(2)蓮實が批判していた「日本語論」がやたらと出版されて
さらにTV番組にもなってるが、それってこういう物語信仰、
というかオハナシ民話神話信仰と関係ないのか、
とか、
(3)なんで戦争の口実として物語的な支えがありうるのか、
ッつー議論でもするのかと思っていたが、でもみんな「うめき」
とか抽象性が好きなようなのでそれはそれでいーんじゃない。
144吾輩は名無しである:05/03/20 01:43:53
>>143

ixionは(1)〜(3)みたいなことを議論したいの?

正直、蓮實はあんまり読んでないから、柄谷方面がいいなあ。
145ixion ◆ySh2j8IPDg :05/03/20 01:51:49
いや、そういうこと考えて書いたりしてたから
書いただけ。別に「お題」なんていらないでしょ。

ただ、「物語」と「小説」って何が違うか、とかは
別に旧来のromance/novel的な視点じゃなくて、
もっと今にひきつけて現実的に語れると思うし、
その契機として蓮實や柄谷の論は当然出てくるでしょ。

なーんか、みんなして蓮實や柄谷から/を考えるん
じゃなくて、「私の文学論」大会になっちゃってるようで。

あ、俺ももちろん美香に付き合ってそうなっちまいそう
だったからあの時点でやめたけど^^;
146吾輩は名無しである:05/03/20 02:06:49
>>145
アメリカの夜とかじゃなく
フィネガンズ・ウェイクなんかを絡めてほしい
147吾輩は名無しである:05/03/20 07:32:30
>>145
笑い事じゃねえぞ、馬鹿野郎。
148吾輩は名無しである:05/03/20 08:14:28
でもこの二人で最後じゃないかな、全集がでるような批評家。
と流れに関係ないレスしてみる。
149吾輩は名無しである:05/03/20 11:22:47
見ることが文化的な振舞いである以上、視線はとうぜんのことながら自由ではない。
だいいち、開かれている瞳があらゆる瞬間に目覚めているわけではないのだし、また、よりよくものを見ようとする善意そのものが、しばしば瞳から視線を奪ってもしまう。
映画を見ること、とりわけ小津を見ることはむつかしいというのは、そうした意味においてである。
にもかかわらず、見ることがいつでも可能であるかに信じられていることのうちに、映画をめぐる言説の虚構化が大がかりに進行する。
というのも、映画における一つの画面は、それがどれほど簡潔な構図からなっていようと、またそれが現実の一断面とどれほど類似していようと、そこには無限に開かれた意味がこめられているからである。
150吾輩は名無しである:05/03/20 11:23:10
にもかかわらず、多くの人が、ごく限られた意味しか読みとろうとはしない。
事実、人は、説話論的な持続から置いてきぼりをくわされるのを恐れ、無限に織りあげられては解きほぐされてゆく複数の意味をごく貧しい組み合わせに還元し、それを中心とした構図を想定して残りを周縁に追いやる。
こうした瞬間的な作業を機械的にやってのけないかぎり、物語に追いつくことはできないだろう。
たえずわかっている状態に自分を置いておくためのこの機械的な中心化、それが視線の蒙る文化的な不幸にほかならない。
瞳は、決して野蛮な状態で画面と向きあいはしないのである。そのとき起るのは、見ずにおくことと見ることとの混同である。
つまり、見たことを思考するのではなく、思考することによって画面を見ることを選んでしまうのである。
視線は思考に従属し、その硬直ぶりに応じて画面を大胆に中心化する。
そのとき瞳が無効にされるのは言うまでもない。
151吾輩は名無しである:05/03/20 11:38:49
>>148
スガは本当は白鳥なんだぞ!!
15247:05/03/20 12:05:26
 で、結局物語批判とは、予定調和に亀裂を持ち込み、言葉の外部性とまぐわう
こと、ぐらいの意味でいいのか?ハスミンは対談しか読んでないし、カラヤンは
「日本近代文学の起源」「トラクリ」しか読んでない俺に誰か教えてくれ。
153吾輩は名無しである:05/03/20 12:13:28
>>152
もっと読まない限り、その程度の理解にとどまるんじゃないの。
出発点としてはそれでいいけど。
154吾輩は名無しである:05/03/20 12:15:54
>>149-150
『監督小津安二郎』ね。
155吾輩は名無しである:05/03/20 12:17:20
行動しなきゃだめってことだな。
15647:05/03/20 12:21:41
>>153
 このスレみる限りその程度のことしか開陳されてないように思うが、それで
良いのか、本当か?その程度のことしか両者が言ってないとは思えないんだけど
というつもりで書いてるんですが・・・・
157吾輩は名無しである:05/03/20 12:24:55
>>156
だから本を読めよ。
158吾輩は名無しである:05/03/20 12:25:37
蓮實のテマティックの神髄とか、
ここで書くのはめんどくさいから。
159吾輩は名無しである:05/03/20 12:28:59
>>143の(2)を読んで思い出したが、蓮實には反=日本語論という作品もあったな。だいぶ前に
読んだはずだがどんな内容だったか、ちっとも思い出せない。フランス人の奥さんの話と
大岡昇平の話がでてくる本だっけか。
16047:05/03/20 12:31:07
>>157,158
 要するにここで書いてあることは殆ど参考にならない、と・・・。
161吾輩は名無しである:05/03/20 12:40:29
>>159
子育て日記。
162吾輩は名無しである:05/03/20 13:50:40
現代思想を解説できる2ちゃんねらは存在しないよ。
163吾輩は名無しである:05/03/20 14:29:45
↑君を含め
164吾輩は名無しである:05/03/20 18:08:31
162さん、そりゃ無理だ。立ち位置が違えば、語る言葉が同じでも示唆する方向も意味も違ってくる。 土壌が変わればできる作物が異なる。
165吾輩は名無しである:05/03/20 18:43:09
そんな諸々の隔壁をぶち壊して支持得るのが物語の凄さ。素晴らしい批評すら物語として取り込められるこの許容。
166吾輩は名無しである:05/03/20 18:50:51
物語とロマン主義の違い、まだ?
167444:05/03/20 21:50:38
>>152
>で、結局物語批判とは、予定調和に亀裂を持ち込み、
>言葉の外部性とまぐわう こと、ぐらいの意味でいいのか?
非常に惜しいな。そういう企図の不可能性が絡んでくるのが、
「物語批判」のやっかいなところじゃないかな。

>>166
>物語とロマン主義の違い、まだ?
ロマン主義ってのはどこで出てきたんだ?
ドイツロマン主義? それともフランスの?
「物語」ってのは文学のある流派についてのものじゃないよ。
168444:05/03/20 21:55:05
「中村光夫の戦後文学否定を「文学」の批判としてうけついだ人が誰もいなかったから、
批評家がいて批評がないという状況が今日まで続いてしまうんだ。それから『俘虜記』
の大岡昇平を誰もアンチ・ロマンとして読まなかった。それは彼自身がそのあと『武蔵野
夫人』など書いてしまったことが関係している。柄谷さんが言われたように、戦争体験が
かろうじて他者体験たりえたのかもしれないけれど、それもやはり、非常に弱いと思う」
(蓮實)
169444:05/03/20 22:05:15
蓮實は大岡昇平の『俘虜記』を引き合いに出して、
その分析的なスタイルと反ロマネスクな姿勢が
物語に対する反措定だったといってる。それは、
「文学」の自明性を信じまいとする者だけに可能だと。
17047:05/03/20 22:06:22
>>167
 だからそれでは「物語批判」をロマン主義的に解釈してるだけではないのか?と
聞いているのだが・・・・
171吾輩は名無しである:05/03/20 22:09:04
>>444
ロマン主義批判と物語批判はどう違うのかという意味だと思う。
実際重なり合うところも多いし。
あなたのレスはだんだんと物語的になりすぎている嫌いがあるよ。
172吾輩は名無しである:05/03/20 22:58:05
ハスミの物語批判ってロマン主義批判なの?
173吾輩は名無しである:05/03/20 23:26:05
>>171

ロマン主義批判って今北田とかがやってるやつ?
「あえて」のイロニーが政治的右傾化という結果をもたらすとか、
そんなかんじの?

それとも本家のシュレーゲル?
それとも保田與重郎?
それとも三島由紀夫?

「ロマン主義」って言葉だけを乱暴に投げ出すのはよくない。
174吾輩は名無しである:05/03/20 23:39:09
不可能である絶対的なものを気球しながらしかしその不可能性に賭ける、
みたいにまとめちゃうとロマン主義と一緒じゃんてことでしょ?
175吾輩は名無しである:05/03/20 23:44:09
おいおい、おまえら柄谷ぐらい読んどけよ。
176吾輩は名無しである:05/03/20 23:45:42
>>174
ちょっとニュアンスが違う気がするんだけど。
177吾輩は名無しである:05/03/20 23:55:31
>>174

それだとバタイユもロマン主義になってしまう。
乱暴な読み方をするとフロイトもハイデガーもロマン主義に
なってしまう。
178吾輩は名無しである:05/03/20 23:56:22
>176
174のように理解してるレスもある気がするが
17947:05/03/20 23:59:23
>>173
 言い出しっぺとしては、「想像的な綜合に充足する態度」或は「亀裂を
想像的に克服する態度」ということで使ってます。
180吾輩は名無しである:05/03/21 00:06:06
>179
なるほどわかりやすい
ってゅうのゎウソでし。

もう少しかみくだいて表現できませんか?
181吾輩は名無しである:05/03/21 00:15:51
>>179

ロマン主義を
> 「想像的な綜合に充足する態度」或は「亀裂を想像的に克服する態度」
としてとらえると、物語批判とロマン主義批判が結果的に同じものに
なってしまうのは仕方がないことでは?

例えば、数年前に国民国家批判がブームになったときに
フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』がしばしば取り上げられた。
ナポレオンに蹂躙された領邦国家で、まだ事実上は存在していな
いはずの「ドイツ国民」の名を自明なものとして連呼し、その敗北と
再生の物語を声高に語ることで「想像の共同体」の同一性を
説いたフィヒテはロマン主義者と呼んでいいでしょう。

まあ、ルソーからそうか。
182吾輩は名無しである:05/03/21 00:22:28
ルソーはちゃんと読めば違うとわかるだろ。
それこそデリダやド・マンの出番。
18347:05/03/21 00:27:26
>>180
 ○○は日本国固有の領土です、という考え方ってのはどうでしょう?
>>181
 では、もっと厳密に定義すれば両者は分かたれるのですね?前に書きまし
たが、私は「物語批判」なるものを知らないのでロマン主義の定義が甘いの
かもしれませんね。というか、甘いのですね?
 で、どう違うのか教えてくれませんか?
184444:05/03/21 00:42:01
>>174
>不可能である絶対的なものを気球しながらしかしその不可能性に賭ける、
>みたいにまとめちゃうとロマン主義と一緒じゃんてことでしょ?
>>179
>言い出しっぺとしては、「想像的な綜合に充足する態度」或は「亀裂を
>想像的に克服する態度」ということで使ってます。

うーん、「物語批判」は決して「不可能性に賭ける」わけじゃないし、
「亀裂を想像的に克服する」ことを目指してるわけでもないんだよなあ。
もう少し具体的にいこう。
例えば、蓮實の場合だけど、『文学批判序説』の中で
セリーヌ、中上、後藤に言及しながら反復して語ってるのは、
物語は勝利するってことであって、物語に対しては敗北してしまうってこと。
ただ、その「物語の勝利」に自覚的な作品のみが
(例えば『枯木灘』は「物語の勝利」の物語だと蓮實はいう)
無自覚な「物語」への加担に抗える。
(これは「不可能性に賭ける」ことでも「亀裂を克服する」ことでもない)

その「物語」は形式ではあっても抽象的なものじゃなくて
たとえばアメリカをイラク戦争に進ませる説話論的な法として現れるし、
日常生活のありとあらゆるところで我々を包囲してる。
185吾輩は名無しである:05/03/21 00:43:27
みんなの根本的勘違いは、
フランス語のRoman(小説)と、
ドイツ語のRomantik(ドイツ・ロマン主義)と、
日本で理解されている浪漫主義(大正教養主義の一種)が、
適当に使われているところにある。

「アンチ・ロマン」を
「反ロマン主義」と受け取る誤謬が一番痛い。
1950年代のフランスでは、
ドイツロマン主義の読み直しが少しずつ進んできた時代。
だから「ロマン主義」の小説が、
「アンチ・ロマン」として受け取られることもあり得る。
(クライストなど)
186181:05/03/21 00:50:03
>>182

すまん。デリダやド・マンのようにちゃんと読んだことはないのだよ。
単純に特殊意志の総計である全体意志と一般意志の間の乖離を
想像的に乗り越えてるのかな、と思っただけ。一般意志なるものが
フィクションだという指摘は何度か目にしたことがあるので。

あと、前に本屋で現代思想の「総特集 ルソー」をぱらぱらめくったときに
副題が「狂気のロマン主義者」だったような気がしたってのもある。

182は、デリダやド・マンがルソーをどう捉えてるのか簡単にでいいので
よかったら教えてください。


>>183

ロマン主義の正確な定義は自分にもできません。物語もそう。
両方ともかなり自由な使われかたがされてる。しかしいちおう
調べとくか、

と思ってリロードして185の指摘を見て仰天。

> 「アンチ・ロマン」を
> 「反ロマン主義」と受け取る誤謬が一番痛い。

47って、まさかこれをやってたの? そうじゃないと言ってくれ。



187吾輩は名無しである:05/03/21 00:52:03
蓮實も柄谷も才能ない。
やっぱり小林秀雄って凄かったんだな。
18847:05/03/21 01:07:03
>>184
 ええっと、私が悪いんでしょうが、形式的にはループしちゃってますね。
私の定義するところのロマン主義批判からすれば184の記述はロマン主
義批判と形式的には一緒ですね。無自覚な「物語」への加担=想像的な綜
合に充足する態度、を批判することが「物語批判」だって仰ってるんでし
ょ?
 で、181さんの指摘によればそれは私のロマン主義の定義が甘いからだと。
で、ではどう定義すればよいのでしょうか?というのが聞きたいんですが。
189吾輩は名無しである:05/03/21 01:10:43
>>174
「不可能性に賭ける」ってのは蓮実の物語批判についてではなく、
ここで(もう一つのスレかも)語っている人の理解についてです。
「それは違うのでは?」ということです。
書き方が悪かったかな。
184の解説には同意しますよ。
19047:05/03/21 01:14:09
>>186
 それはないですよ。ってかフランスの文脈知らないから(笑)
191吾輩は名無しである:05/03/21 01:15:01
ド・マンは、ルソーが「テクスト」を書いたと言っている。
これは、いわゆる「ロマン主義的誤謬」を免れるような、
自己省察的な構造を持ち、
さらに省察者の安定性を揺らがせる次元に到達しているという事。
ド・マンがルソーと対比しているのは、
「美的国家」を主張していたシラーの美学。
これこそが狭義のロマン主義。
192174:05/03/21 01:51:26
>>184
あっでも「物語の勝利への抵抗」が想像的なものではないという保証はないのでは?と、今思いついたんですが。
たとえその時は抵抗しえたとしてもその抵抗は容易に紋切り型へと回収されてしまうわけで、
「抵抗」という形で否定的にしか言及できず実体がないという点では「日本の固有性」と同じく
「抵抗」も想像的なものではないのか、と…。
184に「自覚」という言葉がでてきますが、ロマン的イロニーにおいても「没入する自己と
冷めた目でそれを見る自己」という二重性の「自覚」が重要なのであり、物語批判は
案外ロマン主義と親和性が高いのではないのか。

うーんでも違うか。違うよね。

でもそのような誤解が生まれる危険性は高いんじゃないかなあ。
「みんなに固有の物語を語る時に物語の罠に捕われないためにこそ物語批判は必要」
という疎外論風な意見も出てるし。
疎外されていない本当の自己、という観念、物語の外に現実がある、という観念は想像的なものだけど、
物語批判は「物語からは逃れられない=物語の外の「現実」はない」という立場だからそれは誤読だと思いますが。

違うかな?
193181:05/03/21 02:17:59
>>47
>>192

混乱してたところで助かりました。

> 物語批判は 案外ロマン主義と親和性が高いのではないのか。

それ俺も思いました。物語批判=ロマン主義批判ではなく、
物語批判=ロマン主義になる場合の可能性。

現に物語の「外」を意識する態度と、ロマン主義の頽落形態である
(つまり二重化した自己の「自覚」を欠いた)相対主義が合わさって、
「あれもこれも物語、国民の歴史も物語、すべては物語、だから気に
入る物語を選んでも構わない」という考えも出てきてましたね。

> 疎外されていない本当の自己、という観念、物語の外に現実がある、という観念は
> 想像的なものだけど、 物語批判は「物語からは逃れられない=物語の外の「現実」
> はない」という立場だからそれは誤読だと思いますが。

だいたい同意します。物語の外の「現実」を語ることは疎外論とその克服というメタ物語
を語ることになってしまう。これはもうしょうがないので、言説のレベルでは「外」や「現実」を
実体化せず、そのつど問題となっている個々の物語に対してその有限性をつきつける
ために機能的に用いる、つまり局地戦を展開するほかないと思います。

ただ、単独者の経験という意味での「現実」はやはり「ある」という疎外論的な
前提をあえて選び取ることでしか、例えばマイノリティー問題は意識されることが
ないでしょう。そういう契機としては、必要悪としての物語が肯定されてもよいかと。
194181:05/03/21 02:23:24
>>191

ありがとうございます。これは『ロマン主義のレトリック』で読めますか?
それともAllegories of Readingかな? 読んでみます。
195吾輩は名無しである:05/03/21 03:22:39
>>194
後者ですね。
社会契約論やら小品「ピグマリオン」やら、
徹底的に読解がなされています。
私もルソーについては
元々「プレロマンティズム」程度の理解しかなかったのですが、
疎外論で読むスタロバンスキーを代表とする、
仏文脈プロパーからは絶対に出てこなかったと思います。
196吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 04:33:25
>>184>>191
ルソーや中上健次が「テキスト」の高みに達していると書くが、あなた達は
それらを読んで本当にド・マンや蓮實と同じ感想抱いた訳ではないよね。
ド・マンや蓮實がテキストを読んで受けた印象が非想像的であっても、
その描写は想像的だし、ましてその描写の引用は想像的でしょう。

具体的な話といって固有名詞出しても、全く具体的にならない。
その程度には物語批判は難しい。
個人的にはやっぱりロマン主義は「A=B」を、物語は「AならばB」を
想像的に捏造するもので、「ならば」で物語批判語っちゃまずいと思う。
197吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 04:38:04
>>196
あんたの「想像的」の用法がおかしいと思う。
「主観的」の言いかえだろ?
198吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 04:41:33
>>196
>個人的にはやっぱりロマン主義は「A=B」を、物語は「AならばB」を
想像的に捏造するもので、「ならば」で物語批判語っちゃまずいと思う。

もう少しくわしく。あとそれぞれのソース希望。
199吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:06:56
捏造という言葉遣いは、俗流ロマン主義者のような響きを持つから良くない。
200吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:10:18
>>197
主観的とは違うよ。
>>198
ソースってなんじゃwなきゃいけないの?
神を女に、一瞬を無限に、愛を生に、女の足を観念に、
異なるものを等しくしないロマン主義があるかな?
ある類の哲学はそれを補強しながら壊そうとして、
差異や同一性に注目する。
物語はAにBを結びつけてしまうか、AとBに因果を見い出してしまう。
で、それは捏造だと言いたいなら、ナイーブにAだからBだ
という論理立てて証明出来た事にするのはまずいでしょう。
しかもそこでのAが理解してるかも怪しい他人の引用ならば。
201吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:15:25
>>199
柄谷、蓮實も使ってるが、そういうなら別に何でもいいよ。
202吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:32:31
>>200
そんな粗雑なロマン主義者なんかいないよ
203吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:45:27
>>200
この手の話をするときにはみんな蓮實しなきゃいけないと。
そういうことかな?
204吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 05:53:44
単なる蔑称としてロマン主義を使うのには抵抗がある。
205吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 06:05:45
>>203
「蓮實する」という想像的な動詞に対する意識はいるのでは?
なんてのはどうでもいいけど、引用の仕方とかちょっとまずいと思う。
そもそもAだからBでやれとは言いづらいんじゃあないかと。
少なくとも「私の文学論」ごっこは批評ではないよね。
しかも『私の読んだ「私の文学論」』なんて。
それが無意味とはまさか言わないんだけれど、自覚はいるでしょう。
206444:2005/03/21(月) 18:39:11
>>188
47氏が「ロマン主義的」って言葉で表現してるものが
ちょっとわからなかったんだけど、
>>191の「自己省察的な構造を持ち、 省察者の安定性を揺らがせる次元」
という、ド・マンがルソーに見出したものを指すのならば、
蓮實が中上に見出した
あえて「物語」を模倣するという「戦略的倒錯性」
と関係があるかもね。
しかし、>>191では
ルソーと対比されるシラーのほうが「狭義のロマン主義」だとされてるので
そのへんがどうもつかみにくい。
207444:2005/03/21(月) 18:39:45
>>192
174氏の言う「誤解が生まれる危険性」はよくわかりますよ。
ただ、物語を「自覚」することは、物語への「抵抗」のためには
必要条件ではあっても十分条件ではないでしょう。
そこにはやはり「戦略」が必要なんじゃないかと。
その「戦略」ってのはいろいろあると思うけれども。
208444:2005/03/21(月) 18:48:46
>>196
>それらを読んで本当にド・マンや蓮實と同じ感想抱いた訳ではないよね。
後半はよく理解できなかったけど、これはもちろんその通り。
中上を読んでもし蓮實と同じことを考えたとしたら、その人は蓮實だよ。
「物語批判」について、蓮實を参照しながら書いたわけだけど、
蓮實を完全に理解してるわけでも、蓮實に完全に同意してるわけでもないし、
中上を読んで感じたことが、蓮實の中上論にすべて書かれてあるわけでもなく、
ましてや、蓮實の批評によって中上の作品が吸収され尽くしたわけでもない。
しかし、蓮實の批評によって提示された中上の読み方というのは、
それが「批評」であるにもかかわらず「作品」のように刺激的な面がある。

ただ、もちろん以下のような問いは起こっている。
作家が無意識で実践してしまったことを批評は目に見えるようにしてくれたのか?
作家が考えてもいなかったことを批評家は道化として深読みしてしまったのか?
209吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 19:32:25
>>208
蓮實が見い出した「テキスト」をあなたは見い出したの。
見い出してないなら、「蓮實の思うテキスト」紹介しただけだよね。
で、紹介っていうのはイメージ的なもの、或いは物語。
蓮實が書物を書いた時点ですでに物語に、
あなたの言葉借りるなら坑しながらも屈してるわけ。
或いは屈しながらも坑していたわけ。それを戦略と呼ぶのだろうけど。
で、自分がイメージとして受け取った戦略を無視して
戦略的に言及されたテキストを無邪気に披露してどうするの。
戦略だけ物語として披露するという姑息な手段ですらなく。
210吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 19:35:43
繰り返すけど無意味な事だって言うんでないよ。
ただ、物語批判しろって言いながら、自覚しろって言いながら、
ずいぶん易々と語ってるんでないの。自覚の上というなら構わないけど。
211吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 19:55:49
おまえらの文章さ〜、
てにをは句読点が不明瞭だから、読みにくいんだよ〜。
長文書くときは気をつけろよな。たとえ、2chでも。
212444:2005/03/21(月) 21:47:58
>>209-210
あたかもそこには何の戦略もないかのように
まるで物語を易々と語ってみせるかのように
あっけらかんと「物語批判」を紹介してしまう身振りを
無防備に演じてみせることもいいんじゃないかと。

で、蓮實や柄谷って続けて読む気にはならないね。
健康にはよくない感じがする。
213吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 21:58:33
国際人蓮實が海外メディアのインタビューに答えてるぞ
http://japanese.joins.com/html/2005/0321/20050321200347400.html
214吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 22:08:59
相手が言ってほしいことそのまま言ってる・・・
21547:2005/03/21(月) 22:37:21
 物語批判とは「物語」の「批判」ではなく、言葉をたてるに際しての自覚と戦略
についての言及、ってことなんでしょうか・・・。最近よく言っておられるポスト
モダンをへてのモダン、に通じてるんでしょうかね。で、そこで阿部ちゃん擁護は
本気なのか、どうなのか。阿部ちゃんの実践は戦略的に有効足りえてるのか、って
問題へ移行してみる、と・・・・。
216吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 23:43:03
217吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 23:51:21
>215
ポストモダンをへてのモダン、ってどういうの?
218吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 23:55:47
はすみフィルター超受けるw
219吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 00:06:55
220吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 00:07:12
ヌーヴォー・ロマンがいちばんいいわけ?
221吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 00:07:47
>>215
物語批判は物語の批判
222吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 00:15:04
物語は越境。
223吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 02:05:42
>>212
それは実のところ逃げでしかないと思う。
その類のレトリックはよく目にするけど、
そもそも高度が低いところで甘んじている気がしてならない。
「Aが出来ていない」「いや、Aが不可能な事を読むべきだ」みたいな。
本当にそれでいいのかね。
224吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 02:37:27
>>216
ドゥリみたいな野性的なのがタイプなのか
225吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 02:37:31
>>209>>213
人のことを言う前に高度の低すぎるお前の文章と論理能力をどうにかしろよw
226吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 02:42:50
>>225
→○>>209>>223
227吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 03:22:42
>>211=>>225=>>226
そう思うなら読まなくてもいいよ。
別にあなたに宛てたわけでなし。
どうも前スレから比べるとレベル下がったと思うだけなんでね。
228吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 03:24:46
前スレにはCさんがいたからな。
229吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 05:41:26
>>227

「読まなくていい」ような文章なら書き込むな。アホかお前は。

225は勿論=226だが>>211は俺じゃない。
つまり俺以外にもキミの文章がヒドイと思ってる奴がいるわけだ。
書き込みを読む限り、キミの理解力も思考力も他人を云々できるレベルではない。

だいたい、人の文章には意味不明な批判を加えときながら、自分が何か言われたら
「読まなくていい」?「あなたにあてたわけじゃない」?

キミ小学何年生…?

まずは>>209の自分の書き込みを読み直してどこがダメなのか良く考えてみなさい。

宿題だ。
230吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 07:33:31
おまえらはこっちへ行け。

「物語」「批評」「うめき」
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/
231吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 14:07:36
>>47氏の文意がたどりにくいのは、倒置と体言止めの所為かな?
不必要に文章が圧縮されているような気がするし、てにをはもどこかおかしい。
47氏が一連の議論に求めている明晰さが、47氏の文章からは感じられず、
すごくもどかしい。
なにか詩のようなものだとか、禅問答のようなものを読んでいる感じがしてしまう。
232吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 17:25:48
>231
倒置と体言止め、てにをはがおかしいのは「AならばB」云々を連呼してる227の文章でしょ?
47はそんなことないよ
233444:2005/03/22(火) 22:00:41
ちょっと話はかわるけど、「物語批判」ってさー、
蓮實や柄谷の専売特許じゃないと思うんだよねー、
まあ、これまでスレタイに絡めてきたんで
彼らへの言及がかなり多くなったんだけども、
蓮實クネクネ文体や柄谷ガチガチ文体を用いなくても
「物語批判」の戦略にはいろいろあると思うんだよね。
生まれる前に物語を流産させたボルヘスとか。
234吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 22:29:05
>>232
ご指摘ありがとう。
間違えてた。
>>231>>47氏ではなく>>227氏についての感想。
235吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 23:01:59
たしかに>>47はトンデモ君
23647:2005/03/22(火) 23:38:34
>>235
 そう私はトンデモ君。貴方の予想どうり私は頭が悪いのだ。だから、
教えて下さいな。私のどの辺がトンデモなのか。

 因みに、阿部ちゃん云々は、この話題の方がどなたかが仰ったように
議論しやすかろうか、と思って話題を振ったつもりだったんだけど失敗
だったでしょうか。
 もっとも、「物語批判」というのは、ポモを踏まえて言葉を如何にた
てるのか、というのに通じる、或は前提になる議論なのではないの?と
いうのはマジなんです。これ違うの?
237吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 23:53:24
読み返してみたが、
227氏のいう『「A=B」「AならばB」と結びつける』というのは
ロマン主義じゃなくて表象=代行作用または因果律のことじゃない?
「A=B」「AならばB」という作用があればロマン主義というなら
論理学も数学もロマン主義になってしまうよ(笑)。
238吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 23:54:29
>>236
あーごめんごめん
>
239吾輩は名無しである:2005/03/22(火) 23:56:25
>>236
あーごめんごめん
>>235は47ではなくて227へ向けて
マジでごめんなさいm(__)m
240吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 02:25:55
>>237
AならばBがロマン主義とは言っていないよ。
A=Bがロマン主義とも言っていない。
A=Bを捏造するのがロマン主義ではないかと発言した。
数学と論理学がロマン主義になるかと言えばならないと思うけれど。
敢えてレスするなら表象=代行の作用はロマン主義の一形態になるだろう。
因果律は捏造されれば物語になるだろうと思う。
が、物語=因果律ではないし、ロマン主義=表象代行でもない。
241吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 02:32:08
で、>>47
長さによって物語にあらがう手段、戦略によって物語にあらがう手段、
どちらも取らない手段はあっていいのだけれど、
本当に無自覚でないのか、無自覚と取られる事を
レトリカルに転回しているだけでないのかが疑問なんだ。
>>47
どうやら前スレの阿部を出した人らしいのでもう一度問うよ。
阿部のメタフィクションはイメージ的なものでないのか?
その擁護はレトリカルに為されたイメージ的なものでないのか?

というかイメージ的なものの転覆がイメージ的なものによって
為されうるというのはロマン主義に過ぎるんでないのか?
242吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 02:45:39
>>240
それって具体例は誰よ?
俗流化されたフィヒテぐらいしか思いつかないのだが。
243吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 02:50:11
>>242
ロマン主義の下りですか?
>>237
ところで因果律がイメージ的にしか有り得ない自覚は在るんですか?
244吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 02:54:20
>>243
あんたを含めて
「想像的」とか「イメージ」といった言葉が、
単なる屑籠カテゴリーに堕しているという懸念を持つ。

245吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:03:01
>>244
皮肉ではなくそれはいい指摘だと思う。
むしろ「フィヒテ」「ド・マン」「ルソー」という言葉も
また屑カテゴリー化していることに自覚的かを問いたい。
確かに「イメージ的」という言葉がイメージ的に使われてしまい、
屑カテゴリー化していることは詫びる。
246吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:05:16
>>243
誰を念頭においてロマン主義っていってんの?
47で言及されて以来ずっ〜と具体例なしにきたのだが。

ヒュームですか? 壮大な話になってきたね。
247吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:08:08
>ところで因果律がイメージ的にしか有り得ない自覚は在るんですか?
ヒュームですか? 壮大な話になってきたね。
248吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:23:05
>>246
僕はドゥルーズと柄谷のヒューム論しか読んでないから
ヒュームを念頭になど置けない。

ロマン主義もまたロマン主義的に、イメージ的に想像的に捉えた結果でしかない。
で、屑カテゴリーをさらに使うなら、
ロマン主義=「A=Bの捏造」という等式を捏造した訳はそれで、
何らの結論を導きうる為の必要悪に過ぎない。
少なくとも、ロマン主義批判と物語批判の重なり合う部分が
無自覚な「A=Bの捏造」に寄る愚挙を指摘するために過ぎない。
悪文は承知。いちいち腹立てるくらいなら無視してください。頼むから。
249吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:23:47
>>245
その理由は、あんたにとって「捏造」(許し難いんでしょ?)
と同義になってしまっているからではないだろうか?

だから、捏造とは何かについて語り直した方がいいよ。
じゃないと
「ロマン主義者=欺瞞的な人たち」ということになりかねない。
250吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:24:47
捏造されていない関係はどう定義されることになるのか。
251吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:37:39
>>249
屑カテゴリーで語ると、
捏造=物語=イメージ=想像的なものは些かも許しがたいものではないし、
許しがたいから排除できるものでもない。
(文句あるなら≒か或いは≠にしてください)
単にそれらを意識、探求、検証すべき時があるだけだと思いますが。
で、このスレはすべきの方に入るのでは?
>>250
捏造されない関係は物語外の現実と同様に存在しても
捏造含まない定義が存在するかが問題なのでは?

質問の答えという性格上、
以上のレスは屑カテゴリーらしいことはお詫びします。
252吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 03:46:18
>>250
もう少し丁寧に、或いは屑カテゴリー寄りに言うと、
ある種の「定義」は〜でないものという消極的な形でしか
定義されないんでないかと思いますが。
「〜だ」と言った瞬間に亀裂が走るような「定義」には。

ついでに屑カテゴリーという言葉は発信者の無能を著すだけで
受け手にはいかなる中傷も加えていないことだけ言っておきます。
253吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 04:30:01
屑カテゴリーという言葉に誤解があるようなので少し補足します。
私が言ったのはむしろ「屑かご」。
つまり、「想像的」という審級が、
批判されるべき属性を集めてそこに放り込んでおく場所になってはいまいか?
という疑問です。

たとえ亀裂が入ることが運命付けられていようとも、
定義の試みが無駄とは思いません。

ここは文学板なので、
「ロマン主義」という言葉がこうも拡大適用されると、
上野千鶴子が言っていた「ロマンティック・ラブ」
のような罵倒語と区別が付かなくなりそうだと危惧したまでのことです。
254吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 04:32:33
>>251
検討は必要だけど、それはこんなところで何行かレスを書いた
くらいでできるとは思えない。表象作用=捏造を内在的に批判
したといいうる論者のひとりは、大著を何冊も費やしてしかもどれも
「とりあえず」の序説、未完の作業ということにしているほどで。

議論するとき毎回毎回、例えば「同一性への欲望」とかから
語りおこすのは面倒だし実際できるわけないから多くの人は
「すいませんでした。ついわかりやすいお話を捏造しちゃいました。
でもそれがお話だったということはちゃんと自覚してます。この
自覚っていうのが怪しいってことも自覚してます」といって
すませてるんじゃない?
255吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 04:35:42
蓮實が無批判に使っている「なまなましい」ってカテゴリーはどうなの?
256吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 08:31:24
>>254
前半は重要なんだけれど、そこで非物語に到達しえた人はいない
という認識(或いは言葉の定義設定)はいいとして、
だから私達も(は)これでいいという論法に胡散臭さを感じてしまう。
私達と彼らの共通点を挙げて差異を見ない事は飛躍を隠蔽してないか?
そもそも物語と非物語と二分割して語っていいものか?
分割した瞬間に、目指すべきものを設定した瞬間に
二項の一方に回収されてしまうような問題もあると言ったのが
ドゥルーズ、デリダ或いは蓮實柄谷だったのでは?
257174:2005/03/23(水) 08:37:01
「A=B」クンが、

>ロマン主義=「A=Bの捏造」という等式を捏造した訳はそれで、
>何らの結論を導きうる為の必要悪に過ぎない。

というのなら、他の連中がイメージを媒介に蓮見やドマンを説明する「必要悪」もどうこう言えないのでは?

「物語批判がどういうものか分からない」という47クンに対して、 なにゆえに>>241のような発言になるのかも理解に苦しむ。

>というかイメージ的なものの転覆がイメージ的なものによって
>為されうるというのはロマン主義に過ぎるんでないのか?

だから47クンの疑問が要するにそういうことでしょ?
物語に回収されない「現実」「外部」を希求しちゃうのはロマン主義とどう違うの?という。
「イメージ的なものの転覆がイメージ的なものによって為されうる」なんて言ってないよ。

メチャクチャじゃん。人の書き込みちゃんと読んでる?
「みんなロマン主義とアンチロマンを勘違いしている」と意味不明なことを書いたのもひょっとして君かな?

>ところで因果律がイメージ的にしか有り得ない自覚は在るんですか?

>ロマン主義は「A=B」を、物語は「AならばB」を想像的に捏造するもの

>ロマン主義もまたロマン主義的に、イメージ的に想像的に捉えた結果でしかない。

やはりロマン主義というよりは、表象=代行機能について語っているとしか言えないのだが。

>悪文は承知。いちいち腹立てるくらいなら無視してください。頼むから。

承知してるなら他人に理解できる文書くよう意識してくれ。 イライラしてくる。
というより、悪いのは文だけじゃない。 無視してくれなんていうなら書き込むなよ。
258吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 08:44:50
言明したいのは単にイメージ的な事から離れるそぶりくらい見せてくれ
という事に過ぎない。
その為に物語の過小評価するのはまるで駄目だが、
「分かっているよ」と言明して自分の議論が物語以外の何かを
志向しているかに装ってしまうのは
実はイメージに依存していることになるんじゃないか。
そこで僕は阿部のメタフィクションはこの類で、
彼が実際に行おうとした物語への抵抗と混同されてないかと聞いた。
結局そこはエクリチュールのレベルで実践するしか本当はないはず。
達成など問うてないが、意識はあると言えばいいものではない。
259174:2005/03/23(水) 08:50:30
101 :美香 ◆FE5qBZxQnw :05/03/19 10:15:52

関係あるかわからないけど語ってみる。
原爆の語り部っているよね。
どれだけ原爆がひどかったか体験したひとが語るあれ。
あれこそ、まあ、物語り(物語とはちょっと違うかも)のプリミティブな形だと思うわけ。
んで、長年、語り部を続けていると物語る内容が変わってくるというのをどこかで聞いた。
つまり話しているうちに(ものすごく浅薄な表現だけど)「受ける」部分と
「受けない」部分というのがわかってくるのね。
ことばを変えると、より理解されやすい個所とでもいうのかな。
卑賤な言い方をしちゃうと「泣かせどころ」。
で、語り部はその個所(泣かせどころ)を中心に据えて(構成!)物語りをするようになってしまうと。
それは、そうすればみんなによく原爆の悲惨さを理解してもらえるんじゃないかという気持ちの
表出でもあり、また、人間が根源に持っている「演戯精神」とも関係していると
思うんだけど(悲劇を演じてしまう)。
みんなが理解しうる部分だけを集めて、ときにはその必要上、いささかの誇張も交え、
このような過程を通してできたものが、現在語り部が話す「物語」であると。
そのときこの語り部が体験した「現実」が消えてしまっているじゃないか。
それが48さんの言うところの「物語が隠蔽している何か」という解釈でよろしい?
原爆の語り部に「それほんと? できすぎてない?」ということが物語批判=批評だと?
現実のなまなましい恐怖、荒々しい手触りが物語る過程で消えてしまったと。

うーん、とすると語り部の物語りを聞いて涙するのはアホなのか。
事実じゃないんだから。
でも、それは事実じゃなくても真実だと思うのね。
泣くのは恥じゃないと。
それは万人の胸を打つ物語りとして完成したんだ、そうわたしは思いたいんだ……。
オカルト・ユングのいう人間の「元型」を刺激する物語に成長したんだと。
260吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 08:58:13
>>174
またですか。
適当に答えます。
アンチロマンは違います。
47あては阿部和重について前スレで議論があったので
その続きです。そこだけ切り取らないで下さい。
ロマン主義に表象=代行含まれると言ってるんですけど。
でもそれってすげえ一部だと思うんですが。
またぐだぐだ言われますか?
つうか反論ぐらいしたいのであなたが何さんで、
あなたが表象=代行どう捉えてて、47氏の言うことを
「要するにそういうこと」と暴力的に変形する前に教えて下さい。
でも無視してくれるならそれでいいです。
261吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 09:03:52
>>174
必要悪についても書いてるけど読んでくれてないんでしょうね。
ちゃんと固有名詞に乗っかった議論の効用は認めてます。
ただ、ある種の議論ではその必要悪の悪の部分でっかくなりますよと。

つうかもうちょっと仲良くやれないものですか?
262吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 09:15:21
もし仮に、蓮實と柄谷が戦ったら、どっちが勝つと思いますか?
263174:2005/03/23(水) 09:18:04
>>259に貼り付けた(失礼)美香さんの書き込みを例にあげますが、

「原爆」という特権的な体験により「死」に限りなく近接することで
「死者の声」をもたらす有徴の存在となった「語り部」。

「語り部」の「特権性」、「語り部」の持つ「現実」は共同体の論理
(「みんな」に「受ける」ため)によって不純なものとなり危機に瀕する。
(>そのときこの語り部が体験した「現実」が消えてしまっているじゃないか。)

しかし消え去るかに見えた「語り部」の「現実」は聞き手の涙と感動と共に
「真実」としてさらに高いレベルで(弁証法的に?笑)再生するわけです。
(>人間の「元型」を刺激する物語に成長)
264174:2005/03/23(水) 09:55:26
「原爆の語り部」が登場した時点で、その後の語の選択や語と語の結びつきには説話論的な力学が働き、
>>263で指摘したような「物語」が必然的に展開されてしまうことになるわけです。

「物語」というのはその「力学」「磁場」の事だとといっても良いんじゃないか。

「物語」を「現実」や「外部」と対立した物として想像的にとらえてしまうと、
「深層にある現実」「それを覆い隠す物語」という二項対立に思考が限定されてしまう。
265174:2005/03/23(水) 10:13:44
(続き)
そして「深層にある現実」「それを覆い隠す物語」という対立は「現実(とはしかし何か)の勝利」
という(物語の勝利意に無自覚な)物語の貧しく退屈な反復しか生み出さないのではないか。

繰り返しますが、「物語批判」は「物語」の「否定」ではなく
>>259のような「物語」を「現実」「真実」と捉えてしまう誤謬の指摘であり
むしろそういった「現実」「真実」を「否定」するのが「物語批判」なのではないかな。
266吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 17:25:39
おまえらくだらねーよ
267吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 19:50:38
よく分かんないけれど、どうして「物語」が批判されるのでしょうか?
268吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 21:05:15
>>260
お前書き込むとスレのレベル一気に下がる
考えてから書けちゃんと
269吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 21:24:22
説話論的磁場って悪なんですか?
270444:2005/03/23(水) 21:32:32
>>267
>どうして「物語」が批判されるのでしょうか?
「物語」の網を破りたいという欲求があるからです。

>>269
>説話論的磁場って悪なんですか?
悪というよりも不自由にするものです。
271444:2005/03/23(水) 21:39:03
>>267
>どうして「物語」が批判されるのでしょうか?
追加すると、>>263-265で指摘されてるように
>「物語批判」は「物語」の「否定」ではなく
>「物語」を「現実」「真実」と捉えてしまう誤謬
を指摘するためであり、そうした暗黙の前提を照らすため、
でもあるからです。
272444:2005/03/23(水) 21:49:59
>>236
>阿部ちゃん云々は
47氏が阿部にふれてくれたようだけど
阿部の『アメリカの夜』については前スレで
「無根拠性という根拠」のくだりを中心に書いたので。

>ポモを踏まえて言葉を如何にたてるのか、というのに通じる
「ポストモダンを経ての近代」というのは柄谷をふまえてのものだと思うけど
「ポストモダン」って言葉だけじゃレスしようがないよ。

>>255
>蓮實が無批判に使っている「なまなましい」ってカテゴリーはどうなの?
蓮實にも無批判というかあっけらかんと使ってる言葉があるね。
たとえば物語に垂直に亀裂を入れる「事件」なんて言葉も
ドゥルーズから借用してきて特権的に用いてるわけで。
273444:2005/03/23(水) 22:04:48
>>254
非常に聡明な意見で、もちろんそういう面もあるんだけど
個人的にはできるだけシンプルかつストレートに
「物語批判」について語ってみたいという欲望もあるんだよなあ。

>>256
言いたいことはわからないわけじゃないんだけど
「物語批判」をしてるのはドゥルーズ、デリダ、蓮實、柄谷だけじゃない、
ってことを見落としてるじゃないかと思うよ。
「物語批判」は批評だけの仕事じゃなくて小説(作品)の仕事でもあるから。
274吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 22:45:33
ノヴェルってロマンスを批判してるの?
275吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 23:06:29
さて、そろそろ小説と物語の差異について語るべき時がきたな。
276吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 23:27:45
イメージとかの抽象的概念を使ってる人間は
イメージという言葉ほど想像的な概念もないことに気付くべき。
27747:2005/03/23(水) 23:53:55
>>174
>>むしろそういった「現実」「真実」を「否定」するのが「物語批判」なのではないかな。
 そうなのでしょうか?否定もへったくれもなく、決定不可能性(ポストモダン)を
踏まえた、自覚した上での形式化(モダン)の試み(序説)なのではないのですか?

>>444
 「無根拠性」と「決定不可能性」は違うと思うのですよ。蓮實氏は無論、阿部氏
も前者では無く後者を見据えてませんか?「無根拠性」というと(また怒られますが)
ロマン趣味のような・・・。
>>「ポストモダンを経ての近代」というのは柄谷
 柄谷氏も確か「形式化の問題」?で言ってますが、蓮實氏も仰ってますよ
27847:2005/03/23(水) 23:54:47
 知らぬ間にえらい進んでる・・・。一体どれとどれが同一人物なのかも判然とし
てないので、間違いがあってもご容赦をば。
>>260
 前スレの書き込みは私ではありません。まさしくあなたと同じ疑問を感じており、
蓮實氏はむりやり阿部ちゃんをラディカルにしようとしてるようにみえます。
 しかし、他方でそれは私が「物語批判」なるものや、(253氏の言うように)「イ
メージ」といったものを理解してないからに過ぎないのではないか、という思いも
あります。エクリチュールのレベルで実践する、ということも私には依然としてイメ
ージなのです。
27947:2005/03/23(水) 23:55:21
>>253
 危惧は理解しているつもりです。しかし、260氏も私も「私はロマン主義から自由
である」などとは言っていないのだから別に罵倒しているわけではないと思うのです。
「充足する態度」といってるわけですし。お前らが思ってるほど差はないぞ、という
のはわかりますが。俗流を指しているということで勘弁して欲しいところです。
280吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 23:59:40
>>276
お前は「A=B」の野郎?
「とかの」ってなんだよ「とかの」って。
間違ってるぞ使い方が日本語が。
てにをはおかしい文章とピント外れた粘着ぶりでわかってしまうお前ってすぐ。
で「気付いて」なんなのだ?
281吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 00:18:30
>>279
> 260氏も私も「私はロマン主義から自由である」などとは言っていないのだから

あなたと260氏の要求は、「ロマン主義から自由ではない」と言う
だけではまた別のロマン主義に堕してしまうので、上のテーゼを
手法的に実践しなければならない、ということのように思えます。

しかし、このスレを読む限りあなたも260氏も、そして他の人もみな
そんなことはできていないように思います。かくいう私も。

それはこういう場所ではないものねだりになるのでは?

282吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 00:20:44
>>275
えっ、始めちゃうの?

っていうか、444氏、47氏、227氏といった方々が、小説や物語などを
ある種のタームとして使用しているのに、定義が曖昧というか、みなさん
独自の解釈をしていらっしゃるように見受けられるので、そこから仕切り
直して頂かないことには議論にならないと思うのですが?
あと、「」の使い方もみなさんどうなんでしょうか?

小説、物語、物語批判、ポストモダン、ロマン主義、批評、想像的、
捏造、戦略、representation、イメージ・…
283吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 00:57:16


 ま だ 仕 切 り 直 す の か


284吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 01:16:30
もういっそのこと別の話にすれば?
蓮實と柄谷の違いとか。
285吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 01:20:26
何気に蓮實の方が、作家に対する評価が厳しかったりするんだよね
286吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 01:46:52
↑映画の評価も全然違う
287吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 01:52:59
蓮實はトラクリ以降の柄谷のことどう思ってるんだろう。
やっぱ馬鹿にしてんのかな。
28847:2005/03/24(木) 01:55:47
>>281
>>上のテーゼを手法的に実践しなければならない
 そこまでは言ってないつもりでしたが、結局そういうことになってしまう
んでしょうかね。
>>ないものねだりになるのでは?
 沈黙・・・。最後に274における174氏への疑問に変わってお答え頂ければ
幸いかと・・・。
>>284蓮實と柄谷の違い
 ある意味既にその方向へ進みつつあるように感じます
289吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 01:58:11
逆じゃね?
最近柄谷は蓮實をのけものにしてるふいんき(←これなぜか俺のパソコン変換出来ない)がある。
290吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:08:25
阿部や青山なんかとちゃらちゃらするのに嫌気が差したんだよ
29147:2005/03/24(木) 02:10:36
>>289
 九州の人?フンイキだよ。みなさんおやすみ。
292吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:15:34
>>291
ふいんき(←なぜか変換できない)のガイドライン_4
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/gline/1092188389/
293吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:18:35
実際の仲はともかく、この二人って現代思想の人ってかんじで
まとめられちゃうことが多いよね。スレタイもそうだし。
でもスタイルは一見して違うとわかるし、興味の対象も違いそう。
294吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:18:40
>292
バラすのはえーよ!!
295吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:24:34
興味

はすみ=フランス
柄谷=共産
296吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:30:47
柄谷は昔宮本輝の作品褒めたことがある。
蓮實は昔宮本輝の事馬鹿にしたことある。

柄谷は昔森敦の作品評価したことがある。
蓮實はその柄谷の文章と森敦まとめて馬鹿にしたことがある。
297485:2005/03/24(木) 02:34:39
蓮實 慇懃無礼で映画好き、エロい
柄谷 傍若無人で映画嫌い、枯れてる
298吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:39:16
なんでネタスレになってんだ
299吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:47:23
>>297
柄谷は映画好きだぞ。
シネフィルじゃないだけ…
300吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:48:42
>>297
映画嫌いではないぞ
柄谷の本読んでればこんなのも観てるのかってのある
301吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:49:15
重なった・・・
302吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:50:38
柄谷は蓮實の映画評論が日本映画をダメにしたと思ってる。
303吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:58:57
二人とも評価している作家

藤枝静雄 後藤明生

二人とも評価していない作家

埴谷雄高 村上春樹

柄谷は評価しているが蓮實は評価していない作家

三島由紀夫 森敦
304吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:06:11
大江健三郎と中上健次の評価はどうなの?
305吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:11:52
>>304
二人とも評価している作家

一人じゃ書ききれないのでお前らで貼っていけ
306吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:14:10
柄谷は最高級の評価をしているが蓮實はやや落ち評価の作家

夏目漱石 古井由吉
307吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:20:07
二人とも昔は尊敬していたが今は馬鹿にしている思想化

吉本隆明
308吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:31:44
>>302
蓮實以前から日本映画の凋落は始まっていたが、
蓮實がより駄目にしたという感覚は俺にもあるなあ。
つーか、そう考えてる奴ってかなり多そう・・・
309吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:32:28
とりあえず。

              柄谷          蓮實
大江健三郎        ○           ○
後藤明生         ○           ○
中上健次         ○           ×
夏目漱石         ◎           ○
埴谷雄高         ×           ×
藤枝静雄         ○           ○
古井由吉         ◎           ○
三島由紀夫        ○           ×
宮本輝           ○           ×
村上春樹         ×           ×
森敦            ○           ×
吉本隆明         ○→×        ○→×

映画            ○           ◎
エロ             ×           ○
共産            ○           ?
フランス          ×           ○
310吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:34:49
間違えた。

              柄谷          蓮實
中上健次         ○           ○

だったね。
311吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 03:58:52
>>309
まとめ乙
といいたいところだけど、こういう表を安易に作成するのは拙いんじゃないの?
蓮實や柄谷をあまり読んでいない人には、一見便利な表のように思えるけど、
蓮實や柄谷の批評からこれほど遠いものはないんじゃないのかな。
312元929=280:2005/03/24(木) 09:04:55
>>311
僕もそう思う。
結局、174氏の長文と同じで図式化した認識を
語ってるだけなんでないかと。(その認識に異論はあまりない)
>>47
別人でしたか。申し訳ない。
だとすると自分もあなたと感想の傾向は同じ。
もう一人自分と勘違いされて悪意受けてた方がいたが
大体同じ方向だと思う。
313吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 09:56:25
この二人、戦ったことあるの?もちろん二人の間で。
314吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 15:17:37
>>313
「闘争のエチカ」という対談集があるよ
315444@前スレ:2005/03/24(木) 19:01:32
>>277
>「無根拠性」と「決定不可能性」は違うと思うのですよ。
>蓮實氏は無論、阿部氏も前者では無く後者を見据えてませんか?
まず「無根拠性という根拠」ってのは正確な引用じゃないんだけど
阿部『アメリカの夜』に出てくる言葉なんでそこんとこヨロシク。
あと、付言すれば、阿部のはあくまでも小説だから(批評じゃないっ)、
「無根拠性という根拠」と言ってるのは主人公(語り手)なわけで。

『アメリカの夜』冒頭部分を読み直してもらうと、そのくだりでは
明らかに「語ること」についての決定不可能性のニュアンスとして
「無根拠性が根拠なのだろうか?」みたいなフレーズが出てくる。

その点で『アメリカの夜』には物語への亀裂が刻まれてる、
っていうのが個人的な意見なんだけど、
大江、後藤、中上、藤枝、古井のなかで、それに比較的近いのは、
『挟み撃ち』の後藤明生じゃないだろうか。
316吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 19:32:50
阿部は後藤の影響がなかなか強いよね。
317吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 20:35:13
522 名前:ぽん [2005/03/22(火) 03:26:29 ID:O0dgI3XP]
この人近所に住んでるけど、フランス人の奥さん精神病だったみたいよ。
家庭では苦労していそう。時々夫婦でラーメン屋行ったり、
だんなさんだけマック買いだめしてたりするよ。
31847:2005/03/24(木) 21:29:55
>>315
 「無根拠性という根拠」という言葉自体は柄谷氏も使ってるわけですが、この言葉
小林秀雄の「宿命」みたいなダブルミーニング的なところ、つまりオケージョナリズ
ムを引き寄せちゃうようなところが有りますね。
 で、どうも貴方はそのオケージョナリズムの方に引っ張られてるように見えますっ
てだけです。ンナコタア無い、というなら別に良いのですが。
 物語ることは、その意図が裏切られざるを得ないという意味において敗北が避けら
れないのでしょうが、それは別に「物語」という排除すべきものがあって、それを排
除しようとする試みが敗北に終わるってわけではないんじゃないですかね。貴方はこ
ういう意味で「敗北」「勝利」といってるように読めるんですが、ほんとに蓮實氏が
そう言ってるのかな、ってのが疑問なんです。
319吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 21:45:33
>>318
柄谷氏はそれをどこで使ってたの?
32047:2005/03/24(木) 22:34:42
>>319
 多分「形式化の諸問題」の貨幣についての言及ではなかったかと。立ち読み
なのであやふやですが、貨幣とは無根拠としての根拠としてある、とかそんな
感じ。つまり、決定不能性とは直接の関係は無い。逆にいえば「無根拠性の根
拠」という言葉で何を語ろうとしているかが問題なのだと言いたかったのです
321吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 22:56:31
>320
無根拠だから決定不可能、という話になるので直接関係あるよ。
超越的な根拠を持たない貨幣によって機能する資本主義は自己差異化する差異のシステムである。
自己差異化する差異のシステム、とはメタレベルに立てない、メタレベルに立った決定が不可能な体系であるということ。
322吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 22:58:19
>320
幸造と力もよんでみたら?
32347:2005/03/24(木) 23:15:15
>>321
 直接の関係は無い→等置できない、とよんで。ただそんだけのことです。
はみだす部分がある、と。
324吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:17:02
>>47
マルクスが執拗に考えていったのは、交換という場におけるパラドックスであった。
なぜなら、彼はそこに「剰余価値」したがって「資本」の”根拠”(無根拠こそ根拠となっている)をみようとしたからである。

『差異としての場所』収録「形式化の諸問題」P95 
(私が一箇所句点の後に改行を加えた)

微妙に表現が違うがここの事かな??

「無根拠の根拠」と「無根拠という根拠」と「無根拠こそ根拠」ってなんか意味変わってこないか?
325吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:22:18
>>320
「形式化の諸問題」終わり近く

「(略)マルクスが執拗に考えていたのは、交換という場におけるパラドックスであった。
なぜなら、彼はそこに「剰余価値」したがって「資本」の根拠=i無根拠こそ根拠と
なっている)をみようとしたからである。たとえば、マルクスは、商品はまず交換価値で
なければ使用価値でもありえないし、また商品はまず使用価値でなければ交換価値
でもありえない、といっている。これは商品の「矛盾」――したがって貨幣によって止揚
される――ではなく、パラドックスである。(略)」

で、少し後でこのパラドックスが「決定不可能性」と言い直される。
32647:2005/03/24(木) 23:34:14
>>324,325
 「決定不可能性」と「無根拠云々」がほぼ同義で使われることもあるし、
そうでないこともある。そして、後者は時としてオケイジョナリズムを引
きよせるようなところがあって、444さんはどうもそっちの方に引っ張ら
れているようにみえる、ってそれだけなんだけど・・・。
327吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:35:32
いきなりレベルの低い質問して申し訳ないのですが、、
柄谷や蓮見の物語批判とはいかなるものなのでしょうか?
漱石を評価して、村上春樹を却下するのは、どういう理由で?
蓮見の好きな映画だって、物語ものばかりじゃないですか。

分からないです。。

あと、蓮見が変換できません。
328吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:36:35
しかし47氏のいいたいこともなんとなくわかる。
個々のタームの出現箇所にとらわれず、「批評とポスト・モダン」
ぽい文脈でいえば、

どちらかというと「決定不可能性」が形式化の徹底、つまりは
峻厳な構築作業を踏まえた果てに見出されるものであるのに
対し、「無根拠(という根拠)」は「もののあはれ」みたいに「自然
=生成としてあらわれる制度性」という日本型ポストモダニズム
の開きなおりへと堕していってしまうよと、そういうことかな?

で、47氏は上記文の「日本型ポストモダニズム」のところに
「ロマン主義」を入れてると解していい?
32947:2005/03/24(木) 23:40:58
>>328
 おお、有難う(うるうる)。ま、「無根拠云々」はそういう部分もある、と
いうことですね。ただ、そんだけ。
330吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:43:53
>>323
無根拠性と決定不可能性には密接な関係がある。
そこから「はみだす部分」を問題にすることは表象=代行機能それ自体を問題にすることになる気が。
またもやマジカルスペースのループに突入しちゃわない?
どうも47さんの関心は実のところ表象機能にあるのだが、それを物語批判やその他の文脈に投影して語ってしまっているんじゃないかという気がするけど。
そこに混同やループの原因があるのでは?

「形式化」の時期の柄谷が、47さんのいうはみだす部分を考えなかったとは思わないが、考えた末『内省とそこう』で行き詰まってしまい、『探究』において新たな方法論のもとで「他者」を問題にしはじめたわけでしょう?
331吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 23:54:34
>>327
このスレを(前スレを含む)読んだ上でそういう質問してる?
それから蓮實と柄谷の著作を読んだことはあるのか?
332吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:02:31
ロマン主義ループはよしましょうや
33347:2005/03/25(金) 00:09:37
>>330
 私としては444さん(或は174さんも?)の方がはみだす部分で語ってるよ
うに感じるんだけど・・。
 まるで精神分析を受けてるようだ。否定すれば否定するほど330さんの指摘
が正解のような気もしてきた。これが生きられる現象学的還元(だっけ?)と
いうものであろうか・・・。違うか。  
33447:2005/03/25(金) 00:11:15
>>332
 はい、ごめんなさい・・・。
335吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:26:08
被差別部落の少女が書いた作文があった。彼女の感じたことが、どろどろになり、
異様な迫力があったそうな。でも、左巻き教師が、修正を加えたら、きれいな
反差別イデオロギー作文になりました。で、反差別団体から賞をもらったそう
です。前者が、うめきの言語。後者が制度に取り込まれた似非物語。
前者のうめきを大切にして物語に形成する意思が大切である。
また、物語はどうしても理性で構築するから、うめきから離れることを
自覚することが作家にとっては勘所である。
まあ、自覚している作家はすくないけどなあ。
蓮見や柄谷のように、人を見下さないためにもね。
ただ、似非物語はいたるところで転がってる
(新聞の論調、政治家の言説、また、教師の説教、親の説教など)から、
物語とは何かを問うていくことは、昨今はやりのメディアリテラシーより
物の善し悪し、真か偽かに迫ると思うよ。
他人や制度に騙されないためにもね。
336吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:28:09
>>335
蓮實や柄谷こそがその教師のイデオロギーを批判しているのだが。
ウヨはマジで知性が低いな
337吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:33:43
>>336
知ってるよ。
338吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:42:59
>>335は抽象的な言葉が少なくわかりやすい。
339吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:45:17
>>335
つまり、私小説を謳歌せよということですか?
340吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:46:11
>>338
335です。サンクス。
341吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:52:49
>>330
決定不可能性と無根拠性ってそんなに密接なのか?
柄谷の無根拠性は結局貨幣が想像的な人工物だけど、
それは超越論的仮象であり、認識したからといって無くなる物でない。
無根拠故に覆せないという意味だよね。
物語にしても言語自体に食い込んでいる分錯覚と指摘してもなくならない。
決定不可能性はここ30年位の流行りだけど、
「曖昧さ」から出てきた概念でしょう?
確かに脱構築派によって擁護されてはいるみたいだけど。
その違いを表象作用に還元してしまうのはもう少し説明が欲しい。
342吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 00:57:11
脱構築は曖昧さambiguityを批判していますよ。
それは英米の新批評のキータームですね。
デリダがその代わりに提唱したのが散種dissemination。

決定不可能性は、決断不可能性なのですから、
判断のレベルに関わります。

他方意味の多義性は、あくまでも意味論の範囲内で繰り広げられるべきでしょう。
343吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 01:03:40
>>339
335です。たとえば、車谷さんは、うめきに近い。
らもさんは、うめきも書けるけど、照れてるから
「ガダラの豚」のような物語を書いてます。
私小説も、物語も「うめき」に、根ざしていなければ
私には伝わってきません。中上さんは、そのことを
深く自覚した作家だったと思います。それでも、路地
(聖と賤が、ごったになったところ)を舞台にして、
父と子という物語の起源のようなテーマで
書こうとした作家です。言葉になる前の混沌を
言葉にしていく矛盾の中に自らを置いていたと思います。
また、彼の出自と周りの人々を書くといった、
日本文学の伝統でもある私小説でもあったことが、
彼の凄みのような気がします。だから、柄谷や蓮見のような口舌の徒が
嫉妬するのでしょう。
で、町田康のパンクは本物。小説も本物。モブはニセモンです。
うめきを自覚してるかどうかは、この二人の作品でよくわかると
思います。
明日、早いので。また。
344吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 01:06:02
>>335がイメージに寄りかかった物語である件について
345吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 01:06:23
決定不可能性についてもう少し。
大まかに言って、
意図が読めない解釈の不可能なもの。
意図から離れた(或いは複数の)文脈で読みうるもの。
言語自体に問題がある場合。があって、
「曖昧さ」では解釈は難しいけれど解釈自体は曖昧でないと考えられていた。
そこに解釈は不可能なのだという決定不可能性が出てきた。
解釈が不可能だという認識が仮象の認識に当たるなら
無根拠性に結びつける事は可能だし、正当だと思う。
ただ問題になっているのは無根拠「故の根拠」だと思うが、
ここに当たるのは全て表象の問題なの?
346吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 01:09:09
>>343
やばいなホンモノが現れた
34747:2005/03/25(金) 01:55:17
 思う→書く/書かれた物(テキスト)→思う(解釈)/左の過程を踏まえて書く

この一連の過程の→が表象代行の問題。決定不可能性は2番目の→における
メンバーとクラスの混交・逆転に伴う問題。「故の根拠」は最後の「踏まえて書く」
の問題で、表象代行の問題といえば確かにそうだが、その一語では片付かない部分
があるのでは?

 で、このスレは(私のせいなのでしょうか)→解釈の過程で絶えずメンバーとクラ
スの混交・逆転がそこらじゅうで起きている為ループしてしまっている、と。
 そういうことで良いでしょうか?
348吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 02:22:02
このスレ通して読んだんだけどさあ。。。

「悟った!」
「フフフ、おぬし今『悟った!』と思ったじゃろう? それが悟って
 おらんということなのじゃよ」
「いや、そのことも含めてわたしは悟ったのです」
「フォフォ。だから、それがまた悟っとらん証拠じゃよ」
「いや(ry」

みたいなかんじじゃない? つうかもう違う話したほうがよくね?
349吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 02:55:40
>>348
一応訊ねてみるが、
違う話とはどんな話だ?

議論する人、これまでの流れをずっと追ってきた人、途中で飽きてしまった人、
関心しながら読んでいる人、笑いながら読んでいる人、嘲笑している人、
ネタをふる人、それにのる人、軌道修正する人、質問する人、それに答える人、
荒らそうとする人、蓮實や柄谷を読んでいる人、どうやら読んでいない人、
新たに参加する人、頓珍漢、馬鹿、阿呆.......

どんな話になるのか楽しみにしている。
350吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 04:30:24
でも348のたとえは面白い。そんな感じだよ。ほんとに。
351吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 08:26:06
みんな頭良いなぁと感心しますが、335さんは別格ですね。
浅田彰さんとお見受けしました。
352 :2005/03/25(金) 08:50:12
>>347
47さんのレスはいつも具体的な文脈への参照が抜けているから
抽象的な言葉だけで意見を述べてもループというか横滑りするだけ。
その点、>>343のように具体例があるといいと思われ。
353吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 09:13:12
>>351>>352
朝鮮人乙
354吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 10:23:52
場の空気を読まない俺が来ましたよ…

曖昧さってvagueness?ambiguity?
普通、後者って多義性って訳される気が…

で、前者が単語の多義性、後者が真理条件
(ある文が真である条件)の解釈において
その解釈がどうも弱いぞ(早い話が一意じゃ
ねーぞ)という意味では。

>意味の多義性は、あくまでも意味論の範囲内で繰り広げられるべきでしょう。

悪意でも不親切でもなんでもないんだが、ここで想定されている
「意味の多義性」って何?単語の多義性?
文が真であるために満たす条件の多義性?
当然、前者は後者に包含されるわけだけど。
意味論てsemanticsのこと?
それともtheory of meaing?

あと、『判断のレベル』って語用論の立場でしか論じる
意味が無いわけだが。色々なレベルが闇鍋になってて
アホな俺には判断できないw。

スレ違いですまそ。
355騙された人 ◆Mr9V2vK5bw :2005/03/25(金) 12:04:57
>>335>>343は美香臭いな。
具体例を書いて分かりやすいという意見もあるが、
取り上げた例を「物の善し悪し、真か偽か」に、
主観的に分別してるだけであって、批評性はまるっきりないわけだ。
そういった詐術に対して盲目的に「わかりやすい」とレスする前に、
自分の知性を疑うべきであります。
356吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 12:44:54
もっと読んでない人登場(制度とはなんだ?)の巻

「私小説も、物語も「うめき」に、根ざしていなければ私には伝わってきません。」
という>>343から感じられる、新聞の論調、政治家の言説、また、教師の説教、
親の説教などのような口当たりの良さはなんだ?
会ったこともない>>343がいい人なんだろうなってのは、なんとなく伝わってくるね
「らもさんは、うめきも書けるけど、照れてるから「ガダラの豚」のような物語を書いてます。」
う〜ん、マイルド。で、なんで照れるの?
「路地(聖と賤が、ごったになったところ)」
そいつは、すげえ
「彼の出自と周りの人々を書くといった、日本文学の伝統でもある私小説でもあったことが、
彼の凄みのような気がします。」
凄みですか
「柄谷や蓮見のような口舌の徒が嫉妬するのでしょう。」
蓮見って誰ですのん?
「町田康のパンクは本物。」、「小説も本物。」、「モブはニセモンです。」(モブ、大爆笑)

ところであなたは、蓮實を知っているか
357吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 14:03:14
場の空気を読まない英語のできるあなたへ。
僕が最初に出した曖昧さはambiguityの訳語っぽいですな。
科学と違って文学(特に詩)は多様な解釈がしうるから優れている。
という主張ですね。(要は一意じゃねぇの件ですな。)
確かにおっしゃる通り多義性と訳した方が
分かりやすいけど定訳になっちゃったんでしょうね。
後半は僕も分からないのでパス(笑)

こうゆう文学史物語が始まらざるを得ないから
固有名詞出すのとかやーなんですけどね。
毒皿。
大江健三郎は柄谷と「曖昧」について対談してますね。
358 :2005/03/25(金) 16:21:41
>>355
>>335>>343が具体例があって「わかりやすい」と書くとなんか都合が悪いのかな?
少なくともそれによって抽象的概念を振り回してるだけの人に対しての批評になるでしょ?
もちろんただ単に「わかりやすい」という点で評価しただけであって
内容については穴だらけだとは思うけれどね。
359ホネッコゴンタ:2005/03/25(金) 16:30:21
335,334です。
帰宅しました。>>蓮見は変換間違い。でも一太郎でパンとでないので
ハスにしますわ。20年前ぐらいにこの人の本、よく読みました。
今は、たまに映画評や、スポーツ評論ぐらい。映画評は淀長さんの方が、好きだし、
スポーツ評論にいたっては、弟子ッコのスガに、よいしょこらしょされて、
高貴なお方が、絹ハンカチを口に当てながら、戯れ言をいってるなあ、と言う印象ですな。
サッカーもなんか、野球に対するアンチ、日本土人に対するアンチに利用してるような・・・。
360ホネッコゴンタ:2005/03/25(金) 16:33:54
ごめん、抜けてました。359は、>>359への返答です。
361吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 17:08:42
>>358
無限ループ。
362吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 18:57:41
>>327
>蓮見の好きな映画だって、物語ものばかりじゃないですか。

蓮實の本どころかこのスレすら読み返してないな。

>>149−150は『監督小津安二郎』(蓮實著)からの引用コピペだが、まずこれを読め。
ここで言われている「ごく限られた意味」というのがこのスレのテーマであるストーリーの事。

映画の画面の中には「無限に織りあげられては解きほぐされてゆく複数の意味」が豊かに存在しているにも関わらず、人はその画面の快楽を無視し、「ごく貧しい組み合わせ(ストーリー、ストーリーから表されるテーマ等)に還元し」ている事を批判している。
たとえば佐藤忠雄、宮台真司、松本人志などの映画評論は、ストーリーだけで映画の善し悪しの大半を決めている(要するに映画そのものを観ずに脚本を読んで書いても変わらない感想ってことね)

あと「漱石を評価して、村上春樹を却下するのは、どういう理由で」かは、蓮實よりも渡部直巳が粘着質に分析しているので、大きな本屋さん行って奴の本買って読め。
363444:2005/03/25(金) 22:38:40
>>318
>ンナコタア無い、というなら別に良いのですが。
いかにも根拠ありげに「んなあこたないよ」と無根拠に答えておきましょう。
で、「物語」というものが「排除すべきもの」だとはひと言も言ってないんで
そこんとこヨロシク。仮に排除しようとしてもしきれるものじゃないと思うな。

>ほんとに蓮實氏がそう言ってるのかな、ってのが疑問なんです。
前に参照文献の名前も出したけど、『文学批判序説』の中上論を読まれたし。
364吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 23:30:13
物語を脱臼するのがいいんでしょう。
36547:2005/03/25(金) 23:35:52
>>444
>>「物語」というものが「排除すべきもの」だとはひと言も言ってないんで
そこんとこヨロシク。

 「物語が勝利する」と仰ってるわけですが、では、「物語が敗北する」とい
うのはどういう事態なのだ?
366444:2005/03/25(金) 23:45:45
>>364
脱臼した物語は気持ちいいです。はい。

>>365
ん? 「物語が敗北する」ってどこで誰が言ったの?
物語に敗北するっていうのなら話はわかるけど。
367吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 00:43:52
そこで脱構築ですな。
36847:2005/03/26(土) 01:02:58
>>366
 では、物語に敗北するのは誰?或は何?「物語が勝利する」事態がある
のなら、「物語が敗北する」事態も(それは有り得ないとしても)想定さ
れるのではないの? 
369444:2005/03/26(土) 01:06:06
繰り返しになるけど、ちょっと付言しとこうかな。
(以下、蓮實の中上論を文脈にしてるんでヨロシク)

物語は常に勝利する。
物語(説話論的磁場)を排除する事はできない。
では、物語を脱臼するにはどういう戦略があるのか、
物語に聡明に抗うにはどうすればよいのか、
物語をいかに「作品」にできるか、といえば、
それは物語の内部にどっぷり入り込んで物語をなぞり
物語の恐ろしさを浮かび上がらせることだろう。
『枯木灘』とは物語への敗北の物語であって、
その戦略的倒錯性において初めて物語に亀裂が走り、
物語を垂直に貫く事件が起こり、説話論的な場所が陥没する。

この戦略的倒錯性は>>367にある「脱構築」だといえるでしょう。
37047:2005/03/26(土) 01:11:59
>>369
 だから、物語がディコンストラクションされたらどうなるの?
371444:2005/03/26(土) 01:13:53
物語は書き手や読み手に対して常に勝利する。
「物語が敗北する」事態を想定するというのは、
単に言葉の上だけの空虚なイメージにすぎないし、
それは物語の恐るべき呪縛に対する無感覚の証。
「物語は常に勝利する」という自覚を持たないことには、
物語に聡明に倒錯的に抗うことはできないだろうね。
372444:2005/03/26(土) 01:23:21
物語に勝利することは不可能だということ。
その不可能性は文学の不可能性にもパラフレーズできる。
(以下は蓮實の対談の中での言葉)

「文学は自明なものではなく、その不可能性と向かいあうことだけが
かろうじて文学的なことなのだということを知らないんだな。」

「ところが、必ずしも日本ばかりでなく、世界的に文学の自明性は消滅したはず
なんです。大岡昇平が『俘虜記』を書いたのは、野間宏や椎名麟三らが曖昧に
信じている「文学」に対する反措定のためであり、(中略)
あの分析的なスタイルと反ロマネスクな姿勢は「文学」の自明性を信じまいとする
者だけに可能なものでしょう」
37347:2005/03/26(土) 01:27:40
>>371
 何故、どのようにして「物語は常に勝利する」ということがわかったの?
374吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:29:26
世の中美香みたいなのばっかりだからじゃね?
375吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:31:41
文学は自明なものではなく、その不可能性と向かいあうことだけが
かろうじて文学的なことなのだということを知ってる奴ってハスミ以外にどこにいるの?
376444:2005/03/26(土) 01:43:25
>>373
物語の呪縛っていうのは強力だからね。
47氏は自分の思考が「物語」から解放されてると感じるのかな?
さて、みなさんはどうですか?
蓮實の批評もまたひとつの「物語」だと感じるのだろうか?

我々は日常生活の至るところで物語に浸透されてるのでは?
恋人に愛の言葉をささやく、将来のビジョンを友人に話す、
部下に仕事への取り組み方を語る、
人が言葉を使って誰かに何かを伝えようとするとき、
そこには物語の呪縛があるんじゃなかろうか。
377吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:46:02
文学って何?
378444:2005/03/26(土) 01:46:30
>>375
蓮實だけってことはまずない。
蓮實の批評を可能にしたのは、中上なり後藤なりの小説があったからで、
前にも書いたように「物語批判」は批評家の特権じゃなく、
小説家がその自覚のもとに実践しているものだと思うよ。
379吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:47:29
ネタがなくて困ってます!http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1110985913/
380C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 01:49:58
なんか444さんは47さんの疑問に正面から答えていないような。
何故物語は勝利するのか。何に勝利するのか。何をもって勝利とするのか。
敗北ってのと同じように勝利ってやつも「単に言葉の上だけの空虚なイメージにすぎない」ってことかな。

381吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:51:48
>>380

バカと糞コテはこちらへ

「物語」「批評」「うめき」
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/

頑張ってこっちのスレ伸ばしとけw
382C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 01:52:41
そもそも「空虚」だとかそういう恣意的な言葉を評価の中に組み込んで
それで「片付ける」ような言い方が正しい批評の記述もしくは読み方として成立するのか非常に疑問だな。

「どんな思想の内部にも必ずあるはずの矛盾について自覚的」ではないというか。
383C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 01:53:59
くだらない煽りや粘着につきまとわれたらこのスレに書き込むことにしていますので
くだらない煽りや粘着がいなくなるといいですね。

みんなのためにね。
384ごんた:2005/03/26(土) 01:55:15
>>375
いっぱいいると思うよ。読んだ範囲では、ヘミングウエイ、フォークナー、
カミュ、マルケス、マンディアルグ、ボリスビアン、
谷崎、川端、三島、坂口、太宰、三島、中上などなど。
最近なら、エルロイやブロック、マイョウやらもさん。原りょう、東直巳、
藤沢周平など。批評家なら関川や加藤、内田もそうだし。吉本や小林も
ずっと昔から、そんなことは書いてるしね。
ハスミノえらいところは、フランス言葉交えて、さも現在(バブル期ね)の最前線のように
書ける才能だよ。

昔から
38547:2005/03/26(土) 01:56:43
>>376
 ええっと、私はあなたの思考がよくわかりません。悪意全開なの?
386吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 01:58:19
蓮実の読者を煙に巻く技術は素晴らしいな。
387444:2005/03/26(土) 02:06:18
「物語」は至るところで我々を侵食してると自分は感じるけどね。
まあそう感じない人もいるんだろうなあ。
それはそれでおかしくないと思うよ。
蓮實は、中上は「物語そのものの暴力性を物語ろうとした最初の作家」
だといい、 中上の文学は「物語に聡明に抗う力学的な試み」だという。
それに同意するにしろしないにしろ、その批評に対する批評は、
各人で蓮實『文学批判序説(小説論=批評論』所収の論考を読み、
ここに書いて欲しいと思うな。
あとは>>58>>184>>208で既に書いたことを
まるで物語を反復するように繰り返す気はないんで
そこんとこヨロシク。
388C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 02:29:01
>>387

まあ誰が何をどう「感じ」ようとそんなことは自由だし感想文を書きあってもしょうがないんでね。

気になるのは「あれは物語じゃないか。どう見ても物語じゃないか」みたいなことを
言い合うことに何の意味があるのかってことなんですよ。
「あれは物語じゃないじゃないか。どう見ても物語じゃないじゃないか」って答えればいいんですかね。

もし蓮實が定義し語ったとおりそれがあなたにとっても真実なら引用だけでいいわけだし。感想文はいらないっていうか。
あとはそれについて批評的に語る人たちだけがいればいいのであって。

あなたのやっていることを批評と仰るのなら、ですよ。雑談なら、構わないんです。もしくはガイドのつもりなんですかね。

僕が考える蓮實のぺてんは
「自明ではなく不可能性そのものなのは物語や文学というよりまず何よりも思想とその共有」だという
部分をぼやかしていることですかね。物語や文学は思想の不可能性に対する一つの方策であって
自明ではないのも不可能性を孕んでいるのも当たり前なんですよ。当たり前のことを物語風に誇張して
上の人の言葉を借りるなら「煙に巻いて」いるわけです。

「物語の暴力性」とか非常に恣意的で(つまり論理的ではない)言葉でごまかして
疑似科学を成立させようとしている傾向があるように思う。だから宗教がかってくるんですよね。信者を獲得してしまう。

力学的、みたいなタームを入れて印象の部分でごまかしているだけなんですよ。
389C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 02:44:16
だから蓮實そのものはともかく彼の言論に従うだけの批評ごっこにおいては物語の暴力性を感じるでしょう。

それはそれは感じるんじゃないですか?

だって物語になりきれなかった物語なんですから。いわば。
390吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 02:45:37
>>388
なんで思想とその共有は不可能なの?
391C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 02:48:29
>>390

あなたのクエスチョンマーク一つで充分証明されているんじゃないですか?ついでにいえば僕のクエスチョンマークでも。
392吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 02:52:06
>>390
いや、そうじゃなくてね。

たとえば一般的には思想の共有は可能だと思われてるわけです。
「あ、俺もそう思った」とか「私もコミュニストだ」とかね。

でも厳密?には不可能ということもできるわけです。
あんたのレスみたいにわかんないのもある。

で、問題は、誰かが誰かに同意したり、誰かの発言を踏まえて
更に何かをいうばあいに「おまえはあいつじゃないだろ」みたいな
ことをいうのはくだらないということなんです。
393C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 02:59:45
物語というのは「枠」を設定することで(もしくはぼやかすことで)
思想の幅を狭めて(逆に広げて)共有に近づいていく作業ですかね。味気なく言えば。

ここでおこなわれている批評ごっこも全く同じで「まず読んだ結果」という枠を設定しないと話にならないという
雰囲気があるわけです。僕はそれこそくだらない物語だと思っているわけですが。

つまり「蓮實によれば」という物語について語る構図になっている。
「イエスは言われた」だの「子曰く」だのと同じです。

そこに思考の断絶がある。自分でスタートして気がついたら蓮實とゴールで出会っていた
(もしくは蓮實の向かったものとは違うゴールがあった)という形ではなく
ゴールで待ち構えている蓮實のもとへいかに辿り着くか、という回路になっている。

その構図が批評的ではないなあと思うのです。

なんとなく「こんなことについて考えるならAやBは不可避だろう」みたいな共有がある。
つまりそこに物語もしくは信仰がある。そこで「なぜ不可避なのか」について考えようとすることも大切じゃないかな。
394吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 03:05:27
>>392
ところどころABONEされて空白になったレスがあるので
C君が来ているのかな思いますが、とりあえず、スルー
してください。あるいはNG登録という方向で。
395吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 03:08:49
>>393
> なんとなく「こんなことについて考えるならAやBは不可避だろう」みたいな共有がある。
> つまりそこに物語もしくは信仰がある。そこで「なぜ不可避なのか」について考えようと
> することも大切じゃないかな。

場合によっては同意します。しかし、今はそのときではない。
このスレの趣旨からして「蓮實」や「柄谷」が「ストーリー」(物語)なるものに
どのような「態度」をとっているかを語らずにすますわけにはいかないでしょう。

それをふまえたうえで彼らの態度が妥当であるか否かが問われるべきです。
396C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 03:10:38
小説を読んでそれを批評することは可能だけど批評については受け入れるか受け入れないかで二極化してしまう。
それはまず何よりも思想の共有が不可能なこと、思想が自明ではないことの端的な証明なんだけど、
その部分の責任を物語や文学にばかり押し着せようとするのは
思想そのものを売り物にしている人たちの詐欺行為なんですよ。

もっと牽引して欲しいんだよな。批評を好む人たちには。
397C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 03:16:13
>>395

そうですけど、自明だとか不可能性というような言葉を使っていく以上、
そもそものスタンスに対しても自明なのかどうか、不可能性についてはどうなのか、を考えなければ
都合のいい言葉遊びになってしまうわけです。

つまり「ある思想の矛盾に対する自覚」を求めるか求めないかという部分で
求めないというのなら「学問的」だの何だのの評価は外すべきです。

遊びだと言うのなら「馬鹿はあっちいけ」は無しですね。遊びを馬鹿にしているわけじゃないですよ、念のため。
398吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 04:06:10
隔離スレでお願いできないもんでしょうか?
399吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 05:33:15
444さんのその性急さは読んでいると危ういと感じてしまうのですが。
それとは知らず底なし沼の中に入り込んでいる様なとでも言えばいいのか。
400吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 08:29:22
>>399
このスレの中でこの手のレスが何度繰り返されたことか。444氏が長文の弁明を
繰り返すたびに、ただ不満や違和感を表明するだけの一行レスが叩きつけられる。
これではあまりにも不毛というものだろう。「危ういと感じてしまう」のであれば444氏
のどこがどう性急なのか、必要であるにもかかわらず彼が飛ばしてしまっている
プロセスとはどのようなものなのか、444氏はどこをどう正せば適切な展望を得る
ことができるのかを具体的かつ丁寧に示し、彼を底なし沼から引き上げてやれば
いいではないか。
401 ◆Mr9V2vK5bw :2005/03/26(土) 11:05:24
Test
402吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 11:30:51
モンテーニュの随想録は物語に勝利したんじゃない?
403吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 12:28:08
>>400
不満なのは444氏が、言い方悪いけど最終的に物語に逃げようとすることかな。
「物語から逃げられない」という認識を
(自ら言う通り何度も)繰り返している。
それに反対してる人はあんまりいないと思うんだけど。
色即是空を語るためには空即是色、空是即色を全て知らねばならない
と道元が言うんだけど、これって差異による分節化した認識だよね。
で、差異による分節化を探ろうとする47氏に444氏は
物語外の可能性はないと切捨ててしまう。
でも蓮實が思考し書いていた時にはその可能性はあったのだよね。
それを忘れてないかな。
404403:2005/03/26(土) 12:41:28
追加。
こう言うと結局蓮實的に語れということかと言われそうなんだけど、
別に蓮實や柄谷の見い出した認識を語るのは構わないし、
敢えて蓮實的に語らなければならない事もない。
でも非蓮實的物語で蓮實的たらんとする質問圧殺しちゃまずいと思う。
例:2ちゃんだから。蓮實参照。
  じゃあ何があるんですか(強引な二分割)。


あとなんか444氏が無根拠に肯定って言うのが
柄谷の意味からもズレてる気がする・・・
405吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 14:18:20
なんか蓮實や柄谷より444さんの意見が話題の中心になってるね(笑
小説に対する批評という図式をあてはめるとすると
444さんが小説家でみなさんが批評家みたいな流れになってるんじゃ?
406405:2005/03/26(土) 14:23:49
その点で400さんの指摘はうなづけますね。
みなさんの批判に具体性がなくイメージ的なところが強いので
詠んでてもよくわからないんですよ。
407吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 14:41:59
蓮實を読めてないくせに分かったようなことを書いちゃってるからね。
408吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 15:24:18
>>405
444がイメージ的にわかりやすく物語ってる事が
批判されてるんだけどね。で、批判≠否定ね。
あなたの比喩だと小説たりえていない小説家になると思うけど。
409吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 15:33:05
つーか444氏の言ってる文章はわりに読めるんだが
物語を批判してるのか認めてるのかがわからん。
410吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 15:53:20
>>409
批判が否定じゃないっていうの理解してない人は
このスレある限り湧き続けるだろね。
411吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 16:11:07
物語批判っていうのは物語の否定だけどね。
412吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 16:16:43
>>411
物語批判から物語の否定という結論(物語)
だしてしまう事は物語批判によって批判されるのだけどね。
413吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 16:44:50
>>411
物語批判序説読んでないね、正直に言って御覧なさい
414吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 17:09:27
ここらで、「物語批判」に対する簡潔でいい感じな文章を見つけたので引用する。

 小谷野敦『バカのための読書術』pp186-187より

フランス語では、歴史も物語りも、同じ「イストワール」であり、歴史叙述もまた物語だ、という言い方がされる。

だから「物語批判」は、かつての左翼陣営による歴史小説批判の流れを汲んでいると考えられる。

なぜ物語が批判されるのか。この源流にあるのは、ロシア・フォルマリズムの文藝学者ヴラディミール・プロップの昔話研究だろう。

プロップは、ロシアの昔話を分析して、形態学的に還元していくと、みな同じ物語になる、と論じた。

「物語批判派」は、人々が、多くの物語を、実は同じものであるのに、繰り返し読み、消費してゆくところに、知性の怠惰を見たのだといってもよかろう。
(〜中略〜)
しかし実のところ、「大文字の歴史」とかそういった議論に、私は興味がない。「物語批判」にも、さほど関心はない。
むしろ、『水戸黄門』のような、明らかに毎回同じ物語であるものを毎週見て倦むことのない人々に、羨ましささえ感じる。
415吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 17:11:27
小谷野敦『バカのための読書術』pp187-188より

中学生・高校生、あるいは学力のない大学生といったレベルの読者に、意味を付与せず、物語も拒否して何かを教えようというのは、ほとんど無謀に近いのではないかと私は思うのである。

(〜中略〜) 私は、司馬遼太郎その他の歴史小説を薦めたが、これらは「物語」を構成しているし、「意味」が与えられている。しかし、私はそういった物語や意味を、ヴィークル(乗り物)として捉えているのだ。

たとえば織田信長の登場から豊臣家の滅亡にまで至る歴史を、まったく意味や物語を用いずに記述したとしても、それはほとんど読者の記憶に残らないだろう。
416吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 17:11:46
イストワール批判じゃなくてロマン批判じゃないのか?
417吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 18:57:31
ここらでもそこらでもいいが小谷野敦なんぞをもって来ないでくれ。
418吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 19:20:33
ロブ=グリエ 『新しい小説のために』 は必読だよ。
419吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 20:27:06
前から思ってたんだけどさ、『批評あるいは仮死の祭典』って


  誤 植 多 す ぎ ま せ ん か ?


あの文体アンド言葉づかいだけでも読みにくいのに
・てにをは、がのにをが明らかにおかしい箇所がある
・「もの」が「のも」になってる箇所がある
・括弧が閉じてない箇所がある
・誤植じゃないけど存在者といえばよさそうなところを
 あるものと書いてる。有ると或るどっちなんだよー(涙
好きな本だけになおさら残念なんだよね。
1974年に第一刷発行で漏れがブクオフでゲットしたのが
1994年の第七刷なんだけど、せりか書房!


  2 0 年 間 何 や っ て た ん で す か ?
420吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 20:34:51
誤植の指摘というマニアックネタなら蓮實スレでやってくれ。
421吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 21:33:17
>>415
つまりそれは物語批判を理解できない奴は中高生レベルってことか
「うめき」スレ読めばたしかに納得できる
422吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 22:06:12
>>421
>>415に引用されている物語批判は>>416の指摘の通り、
このスレで言われる物語批判と別物なんだが。
重なる部分が皆無とは言わんけど・・・
423444:2005/03/26(土) 22:18:12
未だに「物語批判」を「物語否定」として把握してる人がいるらしい。
まァそういう人のために、蓮實の中上論を参照しながら=文脈におき、
「物語は常に勝利する」という言葉をあえて反復してきたんだけどなァ。

で、なんか444という数字に関するレスが結構あるようなんだけど、
今は時間がないんでまた後で。そこんとこヨロシク。
424吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 22:29:04
新しい小説を読んでない人がいるらしいね。
425444:2005/03/26(土) 23:02:04
>>388-409あたりの中で出てきた444批判・非難にざっと目を通したところ、
だいたい2つのタイプに分かれると思った。
@蓮實を参照するのはいいが蓮實に寄りかかりすぎてる。
A蓮實を参照するのはいいが充分に蓮實的でない。
なぜこうした相異なる批判/非難があるかといえば、
それぞれが、444の意見を全体的に捉えず一面的になってるからだと思うな。
というのも、不特定多数の人に向けてレスする場合、
同じモチーフであっても、その都度トーンやスタイルは違うから。
時には蓮實寄りに擬似ガイドをし、時には蓮實から距離をとり、
時には阿部を、時には中上を、時には後藤を念頭におき、というふうに。

そうしたコンテクストを把握してもらえれば批判の多くは意味がないし、
自分の書いてない言葉をあたかもそう書いたかのように勝手に捏造されてる
>>388>>403-404の批判/非難にはレスしようがないわけで。
426444:2005/03/26(土) 23:06:51
で、全体的にあまりピンとくる批判ないし非難はなかったんだけど、
最も気になったのは>>399のレス↓
>444さんのその性急さは読んでいると危ういと感じてしまうのですが。
>それとは知らず底なし沼の中に入り込んでいる様なとでも言えばいいのか。

性急さと危うさがどこにあるのか、底なし沼の中に入り込んでるのかどうか、
これは自分ではなんともいえない。
しかしこのレスが最も気になったのには理由があるような気もする。
是非>>399氏にもう少し補足してもらいたいなと。

他にレスすべきものがあるかな? あれば指摘を是非。
427444:2005/03/26(土) 23:11:08
>>402
モンテーニュの『随想録』はどういう点で物語に勝利したんですかね?

>>418
ロブ=グリエは 『新しい小説のために』という評論以前に
『嫉妬』などの小説において物語批判をしていたともいえると思います。

今日はこれで。
428吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 00:26:46
どうやら読んでねぇな。
429吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 01:57:18
444は主観が先走りすぎて駄目だな。
430吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 02:02:59
>なぜこうした相異なる批判/非難があるかといえば、

わたしは単純に444氏の言っていることが相互矛盾しているからだと思う。
おそらく柄谷の初期論文を踏まえて
思想こそ不可能性と指摘したC氏は珍しく(失礼)
鋭い指摘をしているのだけどそれにも触れようとしていないし。
403さんは議論にバランス持たせようとしていて好感かんじるけど
それについてもただ切り捨てているだけだし。
ぴんとくる、とかはどうでもいいから言葉の交換から
相互の矛盾を浮き彫りにしていって欲しいし
そういうことこそこういう場所でやるべきことなんじゃ?

わたしたちは「蓮實学派」の論文発表大会を見に来ているわけじゃないんだ。
431吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 08:42:37
そんないいもんでもないよ(笑)
432吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 10:24:26
「レスすべきものがあれば指摘を」と444さんは書いているんだから
430さんのように指摘してあげればいいと思います。
433吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 21:04:16
実験がすべてだとは思わないし、それがある種の袋小路に入ってしまったことは
認めるにせよ、今度はものすごくナイーブな物語性に戻ってしまうというのは
どういうことか。
434吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 21:18:07
文学史を学べば、そういう現象は良くあると気付くはずだよ。
435吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 22:12:44
>>434
その陳腐な物語を信じてしまいそうになるよ。
436吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 23:23:50
>>430
@蓮實を参照するのはいいが蓮實に寄りかかりすぎてる。
A蓮實を参照するのはいいが充分に蓮實的でない。
この相矛盾する2つの批判的イメージに対して
>444氏の言っていることが相互矛盾しているからだと思う。
との批判的イメージを持ち出されているわけですが、
具体的に文Aと文Bが矛盾していると指摘されなければ、
理解できないし、レスしようがないわけです。
437436:2005/03/27(日) 23:25:21
(つづき)
>思想こそ不可能性と指摘したC氏は珍しく(失礼)
>鋭い指摘をしているのだけどそれにも触れようとしていないし。
>>388ほかのC氏の意見に触れるべきとの指摘ですが、
それは「鋭い指摘」だと思われる人が触れるべきで
不可能性は、文学だけでなく思想にも言われるべき、というのは
批評家は「自己批評性」を持つべきではないか、ということでしょうが、
当然ながら蓮實は自身の批評に対して言葉を費やしてるわけで、
批評を「仮死の祭典」として語ったことに触れなくてはしょうがありません。
また、文学と思想を対立させてみせる二項対立図式は素朴すぎるでしょう。

>>388では
>感想文を書きあってもしょうがないんでね。
>感想文はいらないっていうか。
と書いてあるわけですが、
>僕が考える蓮實のぺてんは・・・
で始まる文章は「感想文」以外には思われないわけで、
そこに上記の「自己批評性」を見出すことは困難です。
438436:2005/03/27(日) 23:26:11
(つづき)
また、
>あなたのやっていることを批評と仰るのなら、ですよ。
という仮定を前提にして言葉が費やされてるわけですが、
わたしは自分の書いたものを「批評」だとは思わないし、
逆にそれが「物語」「イメージ」「感想文」であることを
否定できないと考えているわけです。
「物語は常に勝利する」と書いてきたわけですから。
439436:2005/03/27(日) 23:29:13
(つづき)
430氏によれば
>403さんは議論にバランス持たせようとしていて好感かんじるけど
とのことですが、>>403-404で書かれていることにバランスを感じませんでした。

>「物語から逃げられない」という認識(A)
についてわたしはそう語ったものの
>物語外の可能性はないと切捨ててしまう。(B)
と書いたことはないわけです。
AをBに結びつけてしまっているのはどうでしょうか?
440436:2005/03/27(日) 23:30:25
(つづき)
「物語外」を「物語ならざるもの」という言い方で語ったこともあれば、
「物語を脱臼させる亀裂」についても語ったわけですから、
ただ、その亀裂は「物語の外部」からやってくるのではなくて
「物語の内部」で見出されるべきじゃないのかという視点を
あくまでも蓮實と中上を結ぶ線上で書いきたわけで、
とりわけ『枯木灘』を参照して書いたことなのです。
異なる文脈においては違った表現になると思います。
文脈を外して、一般化して述べることはわたしにはできません。

そうした意味で、文脈を参照して欲しいということは書きましたが、
それは>>403-404で書かれている(さもわたしの言葉であるかのように)
>2ちゃんだから。蓮實参照。
という言葉とは無縁のものです。以上。連投深謝。
441ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/27(日) 23:36:33
ってゆうか、互いのレスにツッコミ合うより、
各自自分の説を展開する方が面白くない?
現在、他人へのレスポンス98%、自説の展開2%みたいな感じだけど、
他人へのレスポンス30%、自説70%くらいでないと、こういうやりとりは
面白くならない。
他人の発言は、インスピレーションのきかっけくらいに無責任に思った方が良い。
442吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 23:37:35
>>438
そもそもその@とAって矛盾するの?
@蓮實の言葉を繰り返してるだけ。
A引用は蓮實的批評から遠い。

つうかもう一つだけ。
>>440でさ、物語に最終的に勝てない「から」物語で
語るんだみたいに言ってるように読めるんだけど。
それは認めてくれますか?だったら否定しなきゃいけないんだけど。
443442:2005/03/27(日) 23:39:01
間違えた。
438→436
440→438
444436:2005/03/27(日) 23:40:34
>>441
賛成。各人の読みをもっとわたしも知りたいな。

P.S.
444という番号は前スレのものなので変更しました。そこんとこヨロシク。
445436:2005/03/27(日) 23:41:52
あっ、またもや444を踏んでしまった。。。
446ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/27(日) 23:55:27
結局、物語を生み、同時にその只中で、物語に亀裂を生じさせるのは、
欲望と倫理ではないのか。(大宰ふうに言えば「恋と革命」)
「自己批評」は、倫理としての、欲望としての「いらだち」というか、
ある絶対的な運動、ここでもあそこでもない「外部」への衝動なくしては
単なる倦怠した知性の暇つぶしになってしまう。
どうも、このスレには本当にいらだっている人がいないようなので、
俺はいらだつ。
447436=444:2005/03/27(日) 23:55:36
>>442
>物語に最終的に勝てない「から」物語で
>語るんだみたいに言ってるように読めるんだけど。
とのことですが、そうではありません。
物語に忠実になぞり過剰に反復する事によって
逆に物語に亀裂を走らせるという倒錯的な戦略があるということです。
>>369も参照してください。)
448442:2005/03/27(日) 23:56:00
ポストモダニズムっていうのを80年代に導入した人はいっぱいいたけど
実践したのは蓮實含め数人だったと言われる訳だ。

また、
ポスト・モダンは何らかのモダンの後に来る「状態」「段階」でなくて
超越論的な「姿勢」である限りにおいて、それは「状態」としての
ポスト・モダンにも向けられなくてはならない。
(出典「闘争のエチカ」)
で、436の人がやってるのは啓蒙的ポスト・モダンに過ぎんと言いたいんです。
つうか444氏を便宜上叩き台にしてるだけで批判は可能だと思うがね。
449436=444:2005/03/28(月) 00:00:19
>>447訂正
物語に忠実になぞり→物語を忠実になぞり

>>446
ふむふむ。
>倫理としての、欲望としての「いらだち」
を持った作家とは例えば誰?
450442:2005/03/28(月) 00:01:20
>>447
あー誤解招いたな。
中上じゃなくてあなたの話。
あなたは感想文を書いているけどそれは物語に敗北する「から」なの?
451ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 00:10:42
>>449
読むに価する作家であれば、誰でも。
と言ってはそれっきり会話が続かないので、
倫理的な作家として大岡昇平を
欲望の作家として、例えば安吾とか岡本かな子とか挙げとこうかな。
まあ、てきとー。
もとより、欲望と倫理は、はっきり分離することが難しい。
452436=444:2005/03/28(月) 00:17:34
>>450
436=444についてはまあどうでもいいでしょう。
あなたが興味をもつに値するもんでなし。

>>451
岡本かの子じゃ?
大岡昇平や島尾敏雄の作品を読むときに感じるのは
語ることの不可能性を意識しながら書いてるところだね。

今日はこれで。あと、しばらく留守にします。
453ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 00:19:13
あるいは、批評は、作品のもつ欲望の言葉を、倫理の言葉に置きかえる
作業だとも言える(断じて「論理」ではなく)。
「俘虜記」の言葉に対するハスミの言葉。「アンチロマン」とは
美学的である以前に、倫理的な態度として言われた言葉ではないか。
454ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 00:20:13
失礼、かの子でした。
おやふみ。
455450:2005/03/28(月) 00:30:42
>>447
その倒錯は一回しかやるべきでないと思うんだがどうなんだろう。
倒錯というイメージ自体が評価される訳でも、
反復しなかったというテキスト自体が評価される訳でもない。
有るとしたら物語に対峙して苦しみ、過剰反復を選びとった思考の運動
そして批評家がそのような苦悩を読み取った思考の運動にあるのみ。

それって僕らが安易に「戦略としてある」って言っていいのだろうか?
感想文には感想文なりの物語への抵抗とか姿勢あってもいいのでは?

・・・ってどうも相手にされなさそうなんだけども。
別に悪意ないのですがね。
456吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 00:58:19
ムー大陸は「欲望」「倫理」「いらだち」「ある絶対的な運動」「外部」
だの意味ありげな言葉をもてあそぶ自分に酔ってるだけに見える。
そうではないというなら上記の言葉が何をさすのか説明してほしい。
せっかくそれなりに対話が続いているところに、何を勘違いしたのか
馬鹿が上から見下ろしたつもりで尊大な言葉を吐いてしまうのは見苦しい。

物語批判について語られている場で何の疑いもなく「インスピレーション」
などという言葉を書き付けてしまえるムーの粗雑かつ無神経な知性に対して
確かにうらまやしさを感じないこともないが、自分の「説」を展開したい
というだけなら日記帳か広告の裏にでも書いといてほしい。

邪魔。
457美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/03/28(月) 01:09:21
ムー大陸の中の人って、だーれ?
ちょっとわかんなくなった……。
458ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 01:11:21
>>456
つーか、俺は正直、君みたいのが、一体何が面白くて生きているのか、
よくわからないんだけどね。
あたしが粗雑で無神経なのは確かだがw
459ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 01:24:13
>>457
だーれだ♪
460美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/03/28(月) 01:33:42
覚えてない?
以前、わたしが書いたこと。
批評なんて読んでいない作品を、
さも読んでなおかつ十全に理解しているように語るかという、
芸の問題なんだと、つまり評論=芸なんだというレス。
あれ、ixionへの苦し紛れの弁明じゃーないんだ。
だって考えてもごらんよ。
いくら読書量が多い評論家だって全世界の古典から現代文学まで読みきれるものではない。
そのくせ、さもぜんぶ読んだかのように語るというのが評論でしょう。
それって芸以外の何者でもない。
たとえばさ、柄谷の講演会に行くとする。
質問コーナーがRとする。
そのときじぶんで作ったカタカナの名前の作家について聞いてごらん。
あんがい実在しない作家について饒舌に語ってくれるかもよ。
461ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 01:38:07
ほーら、輪をかけて粗雑で無神経な人が現れた。
俺なんてカワイイ方だよね。
462ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 01:40:23
っていうか、さすがにこの流れは俺もどうかと思うぞ。
続きは「うめき」スレの方がいいんじゃない。
これじゃ単なる荒しだしw
463吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 01:42:21
はぁ …



コテハンってなんでこんなんばっかなの?
464美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/03/28(月) 01:48:20
今日もフジテレビの「ザ・ノンフィクション」見て泣いちゃった。
山村留学の恒例のあれ。
都会の子が親元から離れ1年のホームステイ。
都会=有害、田舎=自然・人情という安易な構図のもと。
頭じゃわかってるんだよねえ。
どういうストーリーになるのか。
たとえ現実はそうでなくてもテレビだからそういう枠組みを押し付けると。
雑誌見ながら、テレビを見てたけど、いつの間にか引き込まれ、ついには落涙。
やっぱいいよねえ。
健康なものはいい。
善意の人間がいて、子供が成長していく。
前向きで、明るくて、伸びていくもの。
「空に若竹の悩みなし」。
そういうものはやはりよろしいと。
わたし精神がどろどろだからとくに。
物語批判は「生」を無視した思想だよ。
それは人間が生きることには結びつかない。

わたし映画「がんばっていきまっしょい」とか大好きだもん。
蓮實先生はなんとおっしゃっているのでしょうか(w
465ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 01:49:41
スンマセン!
ホントスンマセン!

で、最後っ屁。
皆さんは物語批判に「インスピレーション」は不要だとお考えかな?
知性とは何ぞや?
ムフフ。
466吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 06:04:33
「インスピレーション」は、物語の批判を選ぶ散文的な知性の対極
にある「芸術家」の言葉であり、このスレでも散々物語批判との違
いを指摘されているロマン趣味の手垢にまみれすぎている。
芸術の作り手、という意味内容を超えた通俗的なロマンあふれる「
芸術家」の歴史的な出現を指摘したのが蓮実のどの著作だったかは
忘れてしまったが、その蓮実による物語批判について語られている
場で芸術家の言葉である「インスピレーション」を無邪気に賛美で
きてしまう人間は馬鹿だと思う。
467吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 06:56:12
>>466
前もいなかったっけ・・・霊感云々。あほくさ。
そういう単語に神経使うべきだと思うんだけどな。
誇らしげに「自説開陳」する前に。
468ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 12:57:01
。。。ツマンネ
469吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 14:00:21
>>468
なんだ。
単なる倦怠した知性の暇つぶしではないある絶対的な衝動、とかなんとか
大きなこといっときながらそんなよくある一行レスしか返せないのか。
俺の言葉に腹立てて反射的に言い返してるだけなのはまあ理解できるが、
無駄に饒舌だったのが言葉少なくなっちゃって、
君が口ほどにもない奴だったってのが早々に判明しちゃったね。
早くその自分の「説」ってのを展開してみてほしいけどまあ無理なんだろうな。
馬鹿だから。
470吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 14:03:53
>>467
霊感云々とは?
そういう単語ってのはどの単語?
インスピレーションを指してるの?
言ってることの意味も意図も良く理解できないが。
471吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 14:35:23
とムーを挑発してしまっているが、さまざまな説が展開することにはもちろん賛成。
ただ、444がそれなりに検討している(2ちゃんにおいて「それなりに検討」というのは誉め言葉)のが、
「インスピレーション」なんて粗雑な言葉をこれといった戦略もなく振り回してしまう
自己陶酔的文学趣味の場違いなモノローグでまたもやループ化&糞スレ化しちゃうのは勿体ないな、
と思って少々釘を刺してしまいました。
ので、ムーも自説があるなら展開してちょうだい。
ただ、それなりに議論は踏まえてね。
472吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 17:54:48
>>470
>>471参照。
そういう単語っていうのはそういう単語ってどうゆうの?
っていう質問を誘発することぐらい分かるでしょ
っていうツッコミがされるであろう事に
無自覚に、あるいは自覚しただけで
放り出していいと勘違いしているかに読まれてしまう類の単語。
あるいは問い返されるにしても誤解されるにしても
生産的に返答訂正しうる位にも考えずに使われる単語。
あるいは自分が何をその単語に求めているのか考えていない単語。
自分固有の物語貼り付けておいて他者との共有のための覚悟亡き単語。
物語貼っただけの単語。
473C ◆7sqafLs07s :2005/03/28(月) 18:16:41
ちょっと自分が引き合いに出されているところだけ。444さんの文章が批評ではなくただの感想文だったこと、
今の流れも感想文発表会になりつつあること、二つとも承知しつつ。

>>437

多分444さんみたいにご自分を高く高く評価されている人は相手の文章を読まないわけです。
だから
>不可能性は、文学だけでなく思想にも言われるべき
なんてことはちょっとした曲解だということにも気づくはずがないのですね。ただ
>>430さんはちゃんと読んでくれていて僕の考えを「思想こそ不可能性」と表現してくれている。
444さんとのディスコミュニケートで自説「思想やその共有こそ不可能性そのもの」に邁進せざるを得なかった僕は
430さんの理解を得てここでやっと思想の可能性についても信じることが出来そうです(笑)

文学と思想を対立などさせていないのですよ。多分あなたのほうなんでしょう、対立させているのは。
僕はある思想を表現する文学というものを考えたときに
不可能性云々は文学にではなく思想に「こそ」当て嵌めるべき観点だと書いているわけです。

二項対立は素朴だ、と言う言い方こそ未熟なんですよ。自分で対置させて語っているわけだから。
あなた自身ではなくあなたの神が、ですけど。
474C ◆7sqafLs07s :2005/03/28(月) 18:22:24
>>437

それと自己批評性についてですが、これもなんだか感情論すぎてバランス悪いんですけど
僕は「雑談なら、構わないんです」って断っているわけです。そして雑談として自分の見たところを書いた。

批判されれば批評ではないと言い、雑談扱いされると反論してくるというその構造が疑問ですな。
しかも自分自身を蓮實の言葉の裏に隠しているわけで、蓮實も迷惑だと思われます(笑)
444さんのような行動をまさに「虎の威を借りる」と言うのではないでしょうか。物語においては。

感想文に感想文をぶつける構図にしたがったのは貴方なんだから
その結果つまらなくなっていく責任を僕に問わないでくださいな。

>>438

つまり蓮實とは関係なくあなたの物語論を言いたかっただけなんですよね。やっと理解できました。
475吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 18:41:42
>>472

>>466のレスがまさに、あなたが言いたいのであろう「そういう単語」である
インスピレーションという語を無自覚に使うことをいましめているんだが。

> そういう単語っていうのはそういう単語ってどうゆうの?
> っていう質問を誘発することぐらい分かるでしょ

とあるが、こちらの質問は、

> そういう単語ってのはどの単語?

で、「そういう単語」って>>466にある「どの」単語なの?と単に指示代名詞の対象を質問
しているだけなんだが…。君の文章が悪文で意味を読み取りにくいため。
指示を求めているだけで、「どういう」という「説明」を求めているわけではない。
「そういう単語っていうのはそういう単語ってどうゆうの?」(これも悪文)と
一人で勝手に質問を誘発されて自己言及しているのは君なのだが。

最低限の読解力は身に付けてくれ。

てか、釣り…、ではないんだよね?

それともムーと>>466を混同してんの?
476吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 20:26:48
バカと糞コテはこちらへ

「物語」「批評」「うめき」  
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1111150923/
477ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/28(月) 22:59:10
なんかみんなギスギスしてるなあ。
自分の生き死にがかかってるわけでもなし。

みんなもっとこう、世界の平和とか、そういうことも考えろよなっ
478吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 00:05:22
>>475
だから466の意味程度で使ってんだけど?具体的にクズレスあげる気はない。
>ムー
つまらないなら自分で面白くできる程度には自分で考えれ。
自分のレスが不評=ギスギスしてるというのはバカクサ。
とりあえず反論書いたら?
479吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 01:12:40
ムーに比べたら美香のがまだましだな
彼女の場合、自分の理解を超えたり反論できなくなるとすぐ
「死ね」「意味がわからない」「つまらない」等と
子供のように逆上し始めるのは困ったものだが、
理解できないなりに真剣なのは伝わってくる

デリダだ、ハスミだ、とインテリ志望のオトコノコたち(?)が
やり合っている中、相手にされていないことに気付かず、
いやもしかしたら気付いていても書かざるを得ない程の何かに
強いられてのものなのかもしれないが、愚直に自分の思いを
言葉にするその姿は実にけなげじゃないか
480吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 02:45:10
>>479
「インテリ志望のオトコノコ」?
今は懐かしきネカマブログの、ヘルシー女子大生さんですか?
481吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 12:08:21
>>479
美香と自分以外は全部男だとw
482ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/29(火) 23:21:07
もっとみんな愚鈍になりましょう。
もっとみんな面白くなりましょう。
483ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/29(火) 23:22:58
ちなみにCが一番イカンねw
484C ◆7sqafLs07s :2005/03/29(火) 23:32:03
面白さって誰かが独善的に言い始めた時点で壊れるんだよな。
そういうことがわかってないから
駄目なんじゃないの。

485美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/03/29(火) 23:32:43
>>479
レスありがとう……。まさかこっち(のスレ)でいただけるとはレスを♪
486ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/29(火) 23:47:53
ところで、私も適当に茶々入れてるだけじゃ飽き足らなくなって、しばらくぶりに
「物語批判序説」ちゃんと読もうと思って図書館行ったらないのだよね。
かわりに対談集「魂の唯物論的擁護のために」を借りて、今パラパラめくってる。
ちょっと引用

 みんなは、天皇制の危機については言うけれども、大統領制の危機については
言わないわけでしょう。これは全部、表象の問題だと思うんです。表象空間は
表象だけでは成り立ち得ない。大統領空間というのは、大統領を成立させている
ところの民主主義だけでは絶対に成立し得ないもので、そこに底があり、ぬける
天がある。ところが誰もそれを見ていないというところが、文藝春秋的な限界
なんですね(笑)。そして、その文藝春秋的な限界を、文学が今ほとんど背負って
しまっていると思うんです。文学だけでは文学が成立しないというのは当然の
ことなんだけれども。

(金井美恵子との対談「反動装置としての文学」より)
487ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/29(火) 23:57:17
で、やはりハスミの批評活動の根底にあるのは、常に、「底があり、
ぬける天がある」のに、なぜそこに視線が行かないのかという苛立ちだと
思うのだよね。何度も言うけど、そういう苛立ちが希薄なんだよね。
このスレには。
確かに俺の言葉遣いは粗雑だし、こういうことを論ずるのには、
言葉使いに注意を払うべきだというのは、間違っちゃいない。
でも、ツッコむのはそこだけなの?他にないの?
って言いたいのだよね。
まるで言葉狩りをすれば差別がなくなるがごとき幻想が支配する
閉ざされた「表象空間」になってしまっている。
俺は「ぬける天」が見たいのだけどね。
488ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/30(水) 00:01:39
>>485
それ誉めてないってw
喜んでどうする。
489吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 00:04:39

なんで糞コテが集結してるの?
490吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 00:06:56
>>485>>488
ワロス!
491吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 01:25:12
>>488
相対的におまいよりは褒められているわけだ。w
492C ◆7sqafLs07s :2005/03/30(水) 01:31:03
>>487

そういう蓮實に批評を加えることが許されないのは自ら天を閉じているようなものだろ。

「批評を加えてもいいのだよ」とか言いそうだから先に書いておけば

まずおまえがやれ馬鹿。

おまえが天を抜け馬鹿。
493C ◆7sqafLs07s :2005/03/30(水) 01:39:38
天を抜いて欲しいのですがお願いできますか、だろ。正しい批評ってやつは。
494ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/30(水) 02:05:46
Cがまだ高校生のメガネ美少女だと仮定する。
早熟で、プライドが高く、恐いもの知らずだけど純真。
それが、PCの前で、涙目になって

まずおまえがやれぇ!バカぁ!

と、叫ぶ。
これぞ浪漫主義。
495ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/03/30(水) 02:12:19

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。。。

(再び千尋の深淵へと没して行くムー大陸)
496C ◆7sqafLs07s :2005/03/30(水) 02:50:09
>>494

貧弱な想像力の所産。ありがちな妄想。浪漫と騙るのは知的詐称ではなく痴的詐称と名づけよう。
497吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 22:22:10
おそらく「物語ること」は人間のもつ根本的な欲望の一つであり、それは様々な神話的パターンを古代から連綿と保ち、変装しながら、現代でも様々な形をとって現れ、しばしば小説の中にも忍び込んでくる。
かくして出生の秘密を背負った主人公の試練の物語は『ハリー・ポッター』という化物的なベストセラーとなって大衆の想像力を楽しませ、オイディプスの神話は村上春樹の最新作『海辺のカフカ』の枠組みとなる。

このように考えた場合、「物語」と「小説」は対立するものではもはやない。物語はむしろ小説の原動力となり得る普遍的な原理であるにもかかわらず、小説のほうが物語を抑圧することによって自己の衰退を招いた、という構図が見えてくるのではないのだろうか。

『岩波講座文学3 物語から小説へ』(2002)沼野充義 まえがき より
498吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 22:35:47
ごごごってのは笑える。
499吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 23:10:04
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/topics/index.html

また、どこかで、これ、やってくんないかなぁ。。
蓮見も加わって。
500吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 23:17:12
お前らは反動的だ。
501吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 11:14:02
age
502吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 17:00:00
>>460
作品を読まずに語っていた(事実)をixionにばらされ、苦し紛れに「芸」として己の行動を
擁護しつつ、あれほど「芸」が無いと美香が批判していた筈の柄谷も、同じように作品を読
まなくても語るかも知れない(希望的予想)と、彼の行動(「芸」)を貶める。

さすが美香、本をたくさん読めばこんなに素晴らしい批評(「芸」)を展開する事が出来るんですかね?
503美香:2005/03/31(木) 20:59:46
>>502
誉めてくれてありがとう
504吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 21:10:56
定期的にコテ達が仲良く集合しますね。罵倒しあいながら。
505吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 21:35:43
そういうのを見つけたら、どこかへ誘導してあげてね。
506美香 ◆FE5qBZxQnw :皇紀2665/04/01(金) 22:36:24
>>502
うん、確かにきみの指摘のとおりだね。
気づかなかったや、そういうこと。
でもね、わたしのなかでは矛盾してないんだなぁ、ええ今でも!

「物語批判序節」どこにもなーい。
500円までなら払ってやろうと太っ腹にも思っているのに、そもそも見かけない。
神保町、高田馬場とけっこう回ってるんですけど。
そりゃあ、ネット書店にはあります。
でもさ、面倒なわけ。そこまでして読みたくないというのか。
じぶんで確認したいというのか。
変な汚れのついた古本を送りつけられるのもいやだし。
それに被害妄想だとは知りつつも、他人にじぶんの住所を教えたくない。

ところで、です。
なに? ないを読めばいい?
これまで争ってきたからわたしの知能レベルはわかってるでしょ?
なにを読めば、その、物語批判とやらがわかる?
わかりやすいのがいい。
えーと、そのハスミの「物語批判序節」と?
それよりもわかりやすいのってなーい?

わたしもさ、「物語」には興味しんしんなわけです。
物語を極めたい。感動する物語を作りたい。
507吾輩は名無しである:皇紀2665/04/02(土) 00:37:51
美香ってただの反知性主義じゃん
この年でババア化しちゃって、この先どうするの?
508436=444:2005/04/02(土) 20:38:20
>>506
無理して読む必要などない。それは読者にとって不幸なばかりでなく
書物にとっても不幸。
509436=444:2005/04/02(土) 20:39:10
ちょっと留守にしてたんで遅レスながら、不毛だと思われない部分だけレスを。
>>455
>それって僕らが安易に「戦略としてある」って言っていいのだろうか?
>感想文には感想文なりの物語への抵抗とか姿勢あってもいいのでは?
これは、「A蓮實を参照するのはいいが充分に蓮實的でない。」に分類できる意見ながら、
ほかの、「@蓮實を参照するのはいいが蓮實に寄りかかりすぎてる。」よりは正しい。
言いたいことは、まあわからなくはないですが、
感想文を「作品」にしろ、ということになるんでしょうか。
「〜ではなく〜でもなく」という慎重な蓮實の戦略的批評を安易に語ること。
それはそれで蓮實の批評を物語化=神話化しないためのひとつの戦略だと
考えているわけです。
正直なところ、蓮實の言葉はちょっと大げさだと思ってるわけですよ。
510436=444:2005/04/02(土) 20:39:49
>>482
>もっとみんな愚鈍になりましょう。
>もっとみんな面白くなりましょう。
このスレでは「愚鈍さ」と「凡庸さ」は違うんだよなあ。
しかしながら「ムー大陸」と名乗るセンスそして/あるいはノンセンスは
このスレでひとつの批評的スタイルになりうるし、もっと書いて欲しい。
511436=444:2005/04/02(土) 20:41:05
>>497
>「物語」と「小説」は対立するものではもはやない。
>物語はむしろ小説の原動力となり得る普遍的な原理であるにもかかわらず、
>小説のほうが物語を抑圧することによって自己の衰退を招いた、という構図が
>見えてくるのではないのだろうか。
沼野充義のその意見はよく理解できるし、一面ではおそらく正しい。
しかし、別の一面では、
「小説は未だに物語に依存することにおいて自己の衰退を招いた」
という構図があるともいえないだろうか。
512436=444:2005/04/02(土) 21:04:53
もう一度、中上の『枯木灘』を例にしてみます。
中上の『枯木灘』を最初に読んだ時、かなり熱中したわけですが、
「これは物語=神話を復活させた小説じゃないだろうか?」と思いました。
龍造と秋幸の関係に「父殺し」「王殺し」の物語=神話を見るのは簡単ですからね。
おそらく中上にも沼野充義と同じ認識があったのではないか、と思うわけです。
>小説のほうが物語を抑圧することによって自己の衰退を招いた、
それならば、「物語を解放する小説を書いてやろうじゃないか」と。

しかし、蓮實の中上論ではもっと複雑な戦略について書いてあって、
「ああこういう読み方もあるのか!」とかなり刺激を受けた。
ただそれは、蓮實の批評が的確かどうかということとは別の次元であって、
蓮實自身の考えを中上をダシにして表現した面も大きいと思う。
513ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/02(土) 21:59:01
>>506
俺もここ数日、仕事帰りにあちこちの古本屋を回っているんだけど空振り。
「物語批判序説」も「批評あるいは仮死の祭典」も、今までちょくちょく
見かけていたんだけどね。いざ探すとない。そんなもん。
で、今日はわざわざ隣の市の大きな図書館まで行ったのに、やはり2冊ともない。
しょうがなく『小説論=批評論』『「私小説」を読む』『闘争のエチカ』
を借りる。いずれも10年くらい前に、ざっとナナメ読みしたっきりのもの。
でもまあ、これで多少はネタは仕込めるのかな。これから読みます。

>なにを読めば、その、物語批判とやらがわかる?
>わかりやすいのがいい。

美香の趣味から言えば、蓮實の文章は、1行目から拒否反応を呼び起こす
気がするけどw、純理論的な著作よりも、個々の作家論や作品論の方が、
比較的入りやすいかもしれない。
『小説論=批評論』に中上健次論がある。あと、『小説から遠く離れて』
でも、たしか中上を論じていたような。。。うろ覚えだけど。

ところで美香は図書館は利用しないの?
俺も普段はほとんど利用しないんだが。

>>512
あたしゃ「的確な批評」なんて読みたくないし、そもそもそんなものが
ありうるのか疑問だと思っていますが。
514吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 22:37:17
蓮實も柄谷もいわゆる「物語批判」の人じゃないよ
むしろ、滅茶苦茶すごい物語が読みたい人なわけ

現代文学でそういう人がいないってことが問題
515吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 22:53:54
>>512
蓮實自身の考えを中上ダシにして語るって事から
もっとも遠いのが蓮實や柄谷なわけなんだが。
蓮實の中上論読んで感心するのはいいんだが、
中上をその解釈で読むのもダメ。
結局イメージを前提に小説読むことは事件は生まない。
ここでお喋りするために蓮實を読むお兄さんもダメ。
むしろここでお喋りしない為に蓮實を読んでください。
せめてカント、ヘーゲル、あとスピノザとかなんか読んでないと、
蓮實、柄谷だけ読んで何か言おうとするのは馬鹿だと思う。
まぁ、そういう勘違いさせたのも彼らなんだよね・・・
516ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/02(土) 23:04:13
だってさ。
どうするよ、美香さん。
517吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:05:08
>>514
「批判」っていうのはその対象を魅力的に見せてしまう面がある。
あんたの言う「凄い物語を読みたい」というのは
ポストモダン批判が逆説的にポストモダンを魅力的に見せてしまうように、
批判に魅せられただけではないと言う自信はある?
彼らは物語のつまんない解釈見ると、「もっといい解釈あるだろう」と
言いたくなると書いているが。
518吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:14:05
>>516
まぁ頑張って生きてくれ。
別に「感想文」垂れ流すのを止めるわけでもなし。
ただ、「感想文」書きたいならわざわざ当の「感想文」
批判してるようなやつらじゃなくてもいいと言いたくなるんだけどね。
519514:2005/04/02(土) 23:16:58
凄い物語ってあるんだよ

20世紀でも、カフカ、ジョイス、ピンチョン
日本でも谷崎、中上はいい線いってると思う。

物語的認識はいわゆる哲学なんかより優越してると思う。
520美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/04/02(土) 23:22:11
>>516
わかんないんだ。
だってさ、よく聞いて。
いまわたしぐでんぐでんお酒、だから本音?
あなた、あなたに言っているのでR
人生なんて無意味でしょ、不条理でしょ、生きていてもなんにもない、
悪いものが栄える、善良なあなたは現状維持か負組か(w
なにもないんだ、そんなこと、だれもがわかっている。
そんな今、2005年、どーして物語批判なわけ?
どーせお金を払うのなら、現実とは違うものを見たくはないかい?
うねりくるう物語、本音で傷つけあう劇的シーン。
なんで大切なお金を払ってまで不条理・無意味を欲するものがいるのか。
そんなもの、あなたのすぐ横にあるいではありませんか?
無意味な生活に疲れきっていたら物語を欲する、そのどこが悪いもんか!

ムー♪ ムー♪ ムー♪ ムー♪
521519:2005/04/02(土) 23:22:26
しまった!
プルーストとブロッホを書き忘れた。
522吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:28:10
>>514
カフカ、ジョイスを物語として読むとは前衛的な定義ですね。
中上は物語の回復とか言ってました。柄谷は中上誉めてました。
でも、柄谷は自分の言う物語と中上の言う物語って違うと言ってました。
このスレでは多分前者の物語を使ってます。
あなたはどっちを肯定してますか?僕には後者に見えます。
523ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/02(土) 23:32:06
>どーせお金を払うのなら、

だから図書館行けと。
524519:2005/04/02(土) 23:33:48
俺は美香 ◆FE5qBZxQnwちゃん支持派

凄い物語書いてね。
525吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:45:43
>>515
それこそ批評からほど遠い具体性を欠いた感想文だろ。
526ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/02(土) 23:51:12
>>520

うーん、マジレスしようとしているんだが。。。
ムズカシイな。。。
527吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:57:41
>>520
>人生なんて無意味でしょ、不条理でしょ、生きていてもなんにもない
↑もシニシズム的な「物語」ではないんでしょうか?
528吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 00:12:04
>>515
> せめてカント、ヘーゲル、あとスピノザとかなんか読んでないと

なんという馬鹿なんだろう。一体何のために? それを読んで何をしろと? 
それを読まなければ何ができないと?

あと上に挙げた人だけでも相当一杯著作あるんですけど。特にヘーゲル。
『精神の現象学』も『エンチュクロペディー』も『大論理学』も『歴史哲学講義』も
『美学講義』も『哲学史講義』も『宗教哲学講義』もその他も全部読むの?

カントの三批判書も全部読むの? 『オプス・ポストゥムム』も読むの?
よりよく理解するためにライプニッツとヒュームも読むの?(「せめて」だもんなw)

あんたが青春のすべてを費やして読破したのはわかったけど、物語うんぬんの
話をするのには全く必要ありませんから。残念!
529吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 00:20:05
トニ・モリスンってどうよ?
530524:2005/04/03(日) 00:23:15
>>522
柄谷と中上の物語認識について、そんなに差異があるとは
思わないけど?

結局みんな物語なんじゃないのか、ドマンに言わせれば
皆アレゴリーだ。

カフカもジョイスもピンチョンもプルーストもブロッホも。
531吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 02:15:38
まあたしかに、蓮實と柄谷はド・マン一人で足りるよな。
532ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 02:36:12
>無意味な生活に疲れきっていたら物語を欲する、そのどこが悪いもんか!

もちろん、悪いはずがない。
ただ、正確には、「無意味な生活」などは存在しない。
ほんとうに無意味なもの、例えば視界の隅を横切る路傍の石ころ、
そんなものは人を傷つけたりはしないだろう。
君は傷ついている。何によって?諸々の「意味」によってだ。
屈辱や、孤独や、焦燥や、不安や、倦怠や。。。それらは「意味」だ。
頭痛すらも。ただ、それらは「悪い」意味なのだ。
つまり君は、君自身の人生という悪い物語に苦しめられていて、
他の良い物語を渇望している、ということなのだ。
533ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 02:54:40
ただね、悪い物語への対処法は、もう一つあるのだと思う。
つまり、暖かくて安全で、親密なものだけで満たされた部屋で、
良い物語を読むかわりに、悪い物語を(良い物語もいっしょに)
冷たく澄んだ「外の風」に当ててやるのだ。
それが「批評」なのだと思う。
私はどちらかといえば、そっちのやり方の方が性に合っている。
もちろん良い物語は大好きだけどね。
534ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 03:06:36

蓮實 (…)批評というのは、なにもむつかしい話ではなく、相対的な差異には
おさまりがつかぬ何かの到来を予感し、その何かに向けて自分をおし拡げるべく
存在を組織しておくことだと思う。その何かを、絶対的な差異とよんでもいいし、
他者と呼んでもいいのだけれど、それをどのように受け入れるのかという姿勢が
批評だとするなら、批評は、とうぜん倫理的な生の姿勢ともなれば、その姿勢の
はらむ美醜の問題にもなってくるわけで、(…)

『闘争のエチカ』22頁
535ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 03:17:36

まあ、これはこれで大層疲れそうだけど。。。

では。
536ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 03:32:30

つーか、なんかイイことないかねー。

おやすみ。
537吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 06:00:32
>>528
うん。別にしていいよ。物語の話。
ただ、柄谷蓮實の物語を理解できるとか勘違いしてるやつが多すぎる。
少なくとも彼らが、特に柄谷がヒュームという時ヒューム的なものと
イメージで捉えてしまえば意味がない訳よ。
で、なんでそんなに柄谷蓮實について語りたがるの?
しかも引用ばっかりで。
当たり前だけど彼らの発言を任意に持ってくれば、
自分の言いたい事彼らに代弁させる事は簡単なの。
でもそれは「対象をダシにして自分を語る」事に過ぎず、
「自分をダシにして対象を語る」事からほど遠いんですよ。
538吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 06:11:21
例えば竹田青嗣とか柄谷に哲学のガイドブックなんて
書くやつらは馬鹿だとか言われる。
で、何故か柄谷読者はそれ読んで喜ぶ訳よ。
自分が柄谷をガイドブックとして読む事実は棚に上げて。
竹田青嗣より自分の方が柄谷読んでる分マシだ、
柄谷に馬鹿にされないよう柄谷とか読もうっていうのが
彼らの馬鹿にする若手批評家なんだが、
そういうある種の抑圧外したのが柄谷蓮實でもあるんだよ。
例えばここで馬鹿にされない為に柄谷蓮實を
紐解こうとするお兄さん&お姉さんも全く同じです。
539吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 06:14:23
>>530>>531
素朴で羨ましいね。
540吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 09:29:47
>>538
要するに>>532-538はみんなに勉強しろといってるように読める。
柄谷蓮實だけ読んでわかった気になるなってことだろ。
それもわからないでもないけど、そういう抑圧の行き着く果ては
結局のところ原典精読主義だと思う。安易な図式化に甘んじる
ことなくひたすらテクストに付き合う態度というのもたまには悪く
ないんだけど、でも柄谷や蓮實が挙げる固有名をいちいちフォロー
するのはかなり大変なんじゃないかな。それにきちんとフォロー
してみると、今度は専門分野ではこの二人ってまともに相手にされて
ないことがわかってくる。ドゥルーズについて論文書いて蓮實引用したら
舐められるでしょ。柄谷のマルクスであり蓮實のドゥルーズだと思って
ればいいんじゃないかと思うけど。けっきょく彼らだって「対象をダシにして
自分を語」ってるだけだと思うし。これは日本だからとかそんな話じゃないよ。
ギリシャ哲学研究者はハイデガーの本読んでナニコレ?って思ってる
わけだし。イギリス経験論を研究してるひとがドゥルーズのヒューム論を
さして重要な文献と認めないことだっておおいにあると思うよ。
何か面白いことやるひとっていうのはかなり勝手に壮大なお話をこしらえる
ところがあるんじゃないの? イメージ持っちゃイカンというのならカント業界に
おけるカント像(仮にそんなものがあるとして)だって柄谷カントだってそれを
読む読者のカント像だって全部怪しいわけでしょ。カント業界の人が相対的に
一番丹念にカントのテクストを読んでそうだから、彼らが信頼されるのは
当然だと思うけど。
541吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 11:00:19
カント業界の人は、あれはあれで病が深い。
必ずしも全体像に詳しいとは限らない。
それでも平気だったりする。
例えば実践理性批判を中心に研究している香具師が、
ほとんど判断力批判を読まなくてもなんとかなってしまう。

これは精読研究者一般に当てはまる。
542吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 11:21:47
>>540
うん。そのようなアカデミズムって柄谷蓮實も批判してるし、
原典精読に対しぽつぽつ読めるような
小説的な読み方ができるテキストを賞揚してたりするわけ。
だけど彼らにはまだアカデミズムへの緊張感ってのがあると思う。
で、彼らがアカデミズムを括弧に入れて対象に没入したテキスト書いた。
それを引用したらそりゃアカデミズムには相手にはされない。
でも、じゃあってアカデミズム考慮しなくても
いいんだと考える輩増えた事も事実。
見た目一緒でも括弧に入れたのか元から無いのかは、
かなりでっかく違うんじゃない?
543538:2005/04/03(日) 11:33:45
>>540
あー、また抑圧→アカデミズムに戻せってんじゃないよ。
抑圧を柄谷蓮實が外した結果、抑圧を意識しないで
語るのが多い。アカデミズムもダメだけど
反アカデミズムもダメなんじゃなかろうか。
それこそ必読書じゃないけど、括弧に
入れられるくらいに無駄な読書しておこうよと。
勉強しましょうよっていうのが言いたいという指摘当にそのとおり。
544ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 12:11:41
>>537-543

なんだい、結局自意識の問題かい。
延々「いかに馬鹿にされないか」ってだけじゃん。

馬鹿でいいですよ、あたしゃ。
さて、知ったかぶりのネタ仕込むために『闘争のエチカ』読みますか。。。
545吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 12:17:31
>>544
ちなみに、『闘争のエチカ』でまさにこんな話してるよ。
546吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 12:45:47
「構造と力」の序文を読めばいい。
547吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:27:29
勉強しましょうよって教師面して訳知り顔で語る人間、
この本も読まなきゃこの人も読まなきゃと語る人間、
そういうのは俺はまったく信用しないぞ。
その人間が本当に勉強してるとも思えないしな。
548吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:34:16
そういうのを信用しないで、
何も読まずに俺様っぷりを発揮するのもどうよ?
549吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:37:29
というか>>1が蓮実や柄谷にとらわれすぎてるだけじゃないか?
批評はあくまで批評でしかないよ。
550吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:39:27
>>540からは知性が感じられる。
しかしそのほかの教師面してるレスからは
知性が感じられないな。
知性が感じられるレスは信用するよ。
551吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:41:54
2ちゃんの一行レスにわざわざ知性動員しない人間も多いぞ。
特に本職ほど、こういう場所だと幼稚な煽りに終始する。
552吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:54:19
本職のやつらは幼稚だからな。
553吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 13:59:17
柄谷にも蓮實にも、どこか幼稚な部分があるよ。
じゃないと論争のための論争のような馬鹿なことにエネルギーを割かない。
554吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 14:11:30
本職って一体何の本職?>551
まさか2ちゃんねるの本職っていうんじゃないだろうが(笑)
555吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 14:20:06
>>537-543で耳を傾けたいと思わせるレスは>>540だけだな。
556吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 14:22:02
痴性なら溢れているんだけどな。
557吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 14:31:04
>>554
批評家とか学者とか。
何人か知り合いのプロと思える(しかも幼稚な)書き込みを見る。
558吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 14:56:20
なんで知り合いのプロだと確信できるの?
>557
559吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 15:00:03
幼稚な書き込みが続いてるね。
560吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 15:36:18
>>555
そっか?
「いちいちフォローするのは大変」
「ドゥルーズについての論文で蓮実引用したら舐められる」
とか、>>540はなんかえらいちっさいこと言ってるなーって気がするけど。
今って論文作法の話ではないよね?

蓮実出したら舐められる、と身構えちゃってる時点で負けてる。何かに。
だからこそ舐められるとも言える。
561吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 15:37:01
>>558
披露されているネタから。
本人に確認もとった。
562吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 15:38:01
リシャールについての論文なら、蓮實引用しても舐められないと思う。
彼は仏文学者ですよ
563吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 15:50:21
>>528
515は、文体や自分を棚にあげた大上段に構えた物言いからすると、
倒置法やてにをはがおかしいと何度も指摘されてた少年だからほっ
とくがよろしいよ。
ロマン主義は「A=B」のことだという本人以外にはまったく意味
のわからない主張を振り回して議論を混乱させたこまったちゃん。
しかも混乱させてるのをまったくわかってないとこがまたタチ悪し。
564吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 17:19:17
>>563
あー、しつこく小学生?レスしてたね。キミ。
混乱っていうかキミが粘着しとったような。>>174
565吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 17:57:08
>>564
小学生で悪かったな。
ていうか粘着してるつもりはないんだけど、なんかイライラしてくんだよねA=Bくんの文章って。
今回もなんか良く分かんない流れになってるし。
566吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 18:27:48
>>565
てにをは云々は三時とかに書き込んでたから悪文謝ったと思うがね。
ひたすら悪文指摘する割に内容に触れないし、
ただムカつくとか言われてもなあ。
内容の弁明は無視されるし、この流れも俺の責なん?
別にあんた宛てのレスでないのにやたら興奮して小学生か?とか
罵倒されるのが粘着でないなら何してたつもりなの?
あんたをムカつかせるレス書いてごめんっていうのもキレるんでしょ?
読まないでって言ってもキレるし。
567吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 18:54:31
>>566
よく知らないけど、あんたも挑発しまくりなんだよね。
それに、ロマン主義についての勝手な定義が間違っていることは事実でしょう。
568吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 19:04:44
>>567
だから勝手な定義だとも言っているし
そもそもロマン主義はA=Bではないとか
弁明してるのに全部無視してんだもんよ。
引用するのも恣意的にやられたらそりゃ間違ってるだろうさ。
そんなレスばっかりだから粘着と言ってんです。
自分の発言にこだわるつもりはないけど曲解されて、(これはいいが)
その曲解で弁明聞かずに延々と非難されるのどうなん?
569吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 19:07:53
>>568
君、批判者が複数いるのに一人に粘着されていると思っていない?
俺は567=569だけど、それ以前の叩き書き込み者ではない。
570吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 19:12:03
粘着乙
571吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 19:13:08
>>567

別にあなたに粘着されてると思ってないけど?
572568:2005/04/03(日) 19:16:27
565はとりあえず何回かレスしてきた人間だと思ったんだが。
別に全部一人かは知らないけど、単に
>>568みたいに言いたくなる人がいたってだけ。
573吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 20:39:27
>>568

>そもそもロマン主義はA=Bではないとか弁明してるのに

おいおい
ロマン主義はA=Bだって思いっきり言い張ってただろ
君一人で
その君の弁明、というのがどのレスか教えてよ
574吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 20:44:01
定義や弁明はどうでもいいんだが、
ロマン主義なら叩いておけば良し、という姿勢の通俗性は非難されるべきだ。
575吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:01:20
このスレではロマン主義を物語批判と混同することが批判されていたのであって
ロマン主義それ自体が批判されてたのではないよ
576美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/04/03(日) 21:06:40
>>532
酔っ払いのたわごとにマジレスしてくれて、うれしいのはうれしいわけです。
ムーの言いたいことは、こういうことでしょ。
思いきって自己啓発本レベルにひきずりおろすと(そーゆーの得意♪)、
すべては価値判断をする(=出来事に意味を付加する)主体の問題だと。
じぶんのつらさを文字に書いてみる、
するとその書かれたものはある何かの意味を与えられているにすぎない。
もちろんかつてこれと似たような意味内容を有する文字列が書かれたことがあった。
すべては意味にすぎないのである。
今までも似たような意味内容の文字列が表出されつづけ、
おそらくこれからも絶え間なく同内容の意味が生産されるであろう。

上記の内容を八百屋の清八さんにもわかるように書くと
「つらいのはあなただけじゃない(すべては意味だ)」
「マイナス思考をしてもプラス思考をしてもよし(意味づけするのはあなただ)」
というふうになります。

んで、ここからがわたしの意見。やってごらんなさいと。
何べんでも言う、それができるのかと。
またタイで地震があった。じぶん以外の家族すべてを失って慟哭している少年。
ぽんと肩をたたく。ノンノン、悩まなーい、こう考えなさい、すべては意味だと。
きみが悲しいのは、意味だ。日本の評論家はそういっている。
ほんとはフランス(だっけ?)からのぱくりなんだけど、それは脇へおいて。
意味だよ、意味。哀しさも涙も意味なんだ、意味は意味でしかない、きみが泣くのはおかしい。
これをできますかあなたは?

なにさ頭痛が意味だと? そんなこと言われたって痛みはひかねえんだ!
577吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:08:41
だから「ロマン主義」って言葉だけで何かを言おうとするその姿勢が
批評から最も遠い具体性に欠けたおしゃべりにしかすぎないってことで終了。
578美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/04/03(日) 21:14:42
でさあ、いい現代思想(哲学?)入門書を教えてよ。
竹田青嗣? どの本がいいの?
あ、このひとの「ニーチェ入門」ヨンダことR
さっぱりわからなかった。
いやね、そのまえに原典の「悲劇の誕生」を読んで脳内崩壊したから。
ここは入門書でもと。

> せめてカント、ヘーゲル、あとスピノザとかなんか読んでないと
だからさ、ヨンダからといって、わかってるとは限らないでしょ。
悔しかったら、わたしにその内容をわかりやすく説明してみて。
なに、できないの? とにかく原典を読めと?
だったら、あなたもわかっていることにはならないじゃない……。
最近、思うのはさ、じぶんの言ったことを相手がわかってくれないとき、
それを相手のせいにするのって、なんかすんごい傲慢じゃない?
579吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:18:15
傲慢というか何というか、
「せめてカント、ヘーゲル、あとスピノザとかなんか読んでないと」
という言葉を吐いた奴は誰がどう見ても低脳だろうね。
580美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/04/03(日) 21:19:40
ディスカッションのやり方に書いてあった。
まず相手の主張を理解しているということを示すといいらしい。
きみの主張はこうだねと。
それからじぶんの意見を言うと相手にも好感をもたれるらしい。
そのプチまとめが間違っていたら、そこから議論が発展するし。
なんかホームルームみたい。
ひとの話はよく聴きましょう♪♪♪♪
581美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/04/03(日) 21:34:00
>>534
こんな悪文、読んだことなーい。
これが何かしらの真理が開示されうる予感をはらんだ文体なわけ?
あ、やば、ハスミ先生の悪文がちょっとうつってる?

>つーか、なんかイイことないかねー。
わたしの言いたいのはそれなんですよ。そのレベル。
なーに、ブックオフで長年ほしかった本が105円で買えれば幸せでしょう?
こむつかしい顔をしなさんな。
582吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:44:36
だからロマン主義って言葉だけで何かを言おうとしてたんじゃなくてさ
「物語批判はあらかじめ想定された「外部」や「現実」をただひたすら目指す、
といようなロマン主義/ロマン趣味的なものではないよ」
という形で、さしあたりロマン主義という言葉のイメージを借りてではあっても
具体的に物語批判の輪郭を描こうとはしてたんだから、誰もロマン主義って言葉だけで
何かを言おうとしていたわけではないし何かを言ったつもりになっていたわけでもない

「ロマン主義と物語批判どう違うの?」という疑問に対しての流れだったわけだからさ
ちゃんと読めよ

大口叩くんなら、じゃあ「ロマン主義と物語批判どう違うの?」って疑問出た時に
君がスマートに説明してくれれば良かったじゃないか
そしたらそうやって大口叩くのも認めるよ

具体性に欠けてるのは574&577
583ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 21:51:06

>>576

なんか爽快なまでにすれ違ってるねー
君こそ「相対的な差異には おさまりがつかぬ何かの到来」だーっ
カラカラ(高笑い

>ひとの話はよく聴きましょう♪♪♪♪

オマエモナー

>こむつかしい顔をしなさんな。

してません。

さて、どうしたものか。。。
584吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:52:52
で、ジョイスを乗り越えるにはどうすればいいの?
585吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 21:54:25
まあなんだ、浅田彰のように、
物語批判とロマン主義批判(そして表現主義批判)を、
同じような物として捉える香具師が後を絶たないのが、混同の原因だな。
586吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:15:43
>>585
詳しく
587吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:18:41
もちろん浅田自身は、
これらの歴史的な経緯について知っているので、
別物だと理解しているのだけれど、
彼自身が標榜している名作基準によって、
いずれも「正統モダニズム」から外れたものとされてしまいがちだ。

実際には浅田本人はロマン主義が好きだったりするので、
事態はややこしくなる。
588436=444:2005/04/03(日) 22:34:15
>>513
『小説論=批評論』『「私小説」を読む』『闘争のエチカ』 を借りてきたとのことで
>>532-534もなかなか読ませるレスだったけれども、より具体的なレスを希望できそうだ。

具体的といえば、>>576のように
>なにさ頭痛が意味だと? そんなこと言われたって痛みはひかねえんだ!
というのもあまりにも具体的ではあるけれども、
さて、その「痛み」(あるいは「うめき」「叫び」「狂気」何でもいい) ってのは
物語ることができるのかどうか。
589436=444:2005/04/03(日) 22:37:28
>>515
>せめてカント、ヘーゲル、あとスピノザとかなんか読んでないと、
という部分にはいろんな人がコメントしてるんであえてスルーね。
(どうせ名前を出すならソクラテスからデリダまで出せばいい)

で、「蓮實自身の考えを中上ダシにして語るって事からもっとも遠いのが」云々
に関しては、もう少し問い=ツッコミを入れてみたい。
たとえば、蓮實の中上論と柄谷の中上論との差異をここで念頭におきたいけれど、
どっちのほうが中上により忠実だろうか?
590436=444:2005/04/03(日) 22:50:19
>>519
>物語的認識はいわゆる哲学なんかより優越してると思う。
この意見を小説と批評の関係で考えた場合、
前にも書いたけれども、「物語批判」は批評の特権ではないし、
小説が、批評よりも先行し、数的にも勝ってる点では同意。
ただ、数々の小説において実践されている「物語批判」を
浮き彫りにしてくれるのが批評だろうし、
批評によってしか我々の眼に見えてこないものもあると思う。

たとえば、柄谷が『日本近代文学の起源』で示した
「内面」や「風景」ということなんかはそうだろうと。
591吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:54:18
柄谷は「内面」や「風景」をどういう意味で使ってるの?
592568:2005/04/03(日) 22:56:36
>>573
A=Bを捏造するものがって何度か訂正したが?
胡桃の殻と無限の宇宙、一瞬の美と永遠、
混同のないところにロマン主義は生まれないと思うんだよ。
で、肝心なのはそもそも物語とロマン主義の違いを
指摘するために勝手に自分が捏造したものだって事。
あくまで物語批判との差異際立たせるため持ちだしたってこと。
それだけ延々と引きずりだして非難されたら
それは反論くらいさせて欲しい訳よ。

569みたいな人の意見は当たり前だとは思う。
ずさんな引用から真意読み取ってくれとは言わないし。
593吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:58:41
中上に対するハスミとカラタニの差異って?
594吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 22:59:54
蓮實は差別問題を迂回する
595吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:06:36
>>592

「A=Bを捏造」それがすなわちロマン主義!?
それあまりにも意味不明だし自己流すぎる定義だわ

君の定義によると、

1+1=2ならロマン主義ではないが
1+1=3、はロマン主義(等しくないものを結びつきを捏造している)

ってことになってしまうが?
596吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:09:30
ロマン主義うんぬんはつまんないからもういいよ。
やるなら別の場所でやってくれ。
597吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:10:21
ひさしぶりにDQNという言葉を使いたくなった
しかもかなり天然物だな
598吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:10:46
>>579
それは謝ります。単に柄谷蓮實だけを読んで
何かを言える(言っていい)気になってしまった人間が、
他ならぬ蓮實柄谷によって生み出された、その事を彼ら自身が
「闘争のエチカ」で嘆いているってことだけ言いたかった。

彼らの直面する難しさを括弧に入れて恥じない人、
或いは外さないだけだと言う人は本当に彼らの事語ってるのか?
っていう気が拭えないんです。

>>595
前の人と別人なんだろね。それも出たし反論した。
A=Bがロマン主義じゃなくてロマン主義がA=B捏造。
しかも定義じゃあねぇって言ってるだろうが。
599吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:11:32
レベル低い。
600ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/03(日) 23:12:24
ixionのブログが久々に更新されているね。
ちょっと面白いことを言っている。
では。
601吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:14:26 BE:38928285-#
しかしさ、桃太郎や浦島太郎はストーリー偏重主義じゃん。
もう文章のディテールなんかどうでもいい。
きっと蓮見や柄谷にとって全ての小説は昔話と同じようなものなんだ。
602吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:20:05 BE:24330555-#
>>601
ていうか逆でしょ。じゃあ蓮見や柄谷はディテールばっかり
追っているということなんかな?
だったら対抗策として小説はストーリーだけにしちゃえばいいんだね。
603436=444:2005/04/03(日) 23:34:57
>>598を読んで思ったことを書きます。
物語批判っていうのは柄谷や蓮實だけがやったわけではないことを
まず前提として考えなくてはならないと思います。
だから、>>598のいうまさに「単に柄谷蓮實だけを読んで」ないからこそ
必然的に柄谷や蓮實とは距離ができるわけです。
物語批判は柄谷や蓮實が提示したスタイルだけではないわけです。
レムしかり、ボルヘスしかり、カルヴィーノしかり。
(お望みとあれば、個々の作家について具体的に書きましょう)
柄谷や蓮實は海外の作家については充分に言及してませんからね。
彼らが「闘争のエチカ」で嘆いていることを鵜呑みにする必要はないでしょう。
604吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:41:59
で、598はカントやヘーゲルやスピノザは全て読んだの?
まさか一冊も読んだことないってことはないよね?
605元929=568:2005/04/03(日) 23:46:18
>>603
ところで、彼ら三人の批判する物語は貴方が
柄谷や蓮實の引用して語る物語批判の物語と同じなの?
違うなら、彼らのスタイル真似ても意味ないよね。
貴方が柄谷や蓮實ダシにして彼ら三人の物語批判語ってたなら別だけど。
そして貴方のここでのスタイルは彼らを真似たものなの?
自分は前スレから一貫して阿部和重のメタ性のような、
内容とスタイルの不一致について疑問を呈しているんだけど。
(阿部のその部分のみに対してで、あの作品は肯定している)
606吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:49:46
>>603
レムとベケットについて書いて欲しいです。
607吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 23:56:12
>>598
「対象をダシに自分を語るな」
「彼らの発言を任意に持ってきて自分の考えを代弁させるのは簡単」
等と言っときながら貴方思いっきり「闘争のエチカ」の柄谷蓮實
ダシにして語ってますが。

彼らの直面する難しさ、って
なんでそこまで柄谷蓮實に同一化できるのか
不思議で仕方ありません。
608吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:00:00
609元929:2005/04/04(月) 00:07:15
>>607
例えば、柄谷の宙吊り概念とかカント読むと出てきたりするわけです。
そういうのに出会うと柄谷や蓮實が語っていないが
暗黙に前提としてることなんか在ること位は分かるわけ。
それ全部知れっていうんじゃなくて意識しろってこと。
その程度には同一化?したい。
>>604
行きがかり上、答えますが。
ヘーゲルは精神現象学と歴史哲学講義と法権利の哲学のみ。
カントは永久平和のためにと
道徳形而上学原論と批判書興味牽かれたとこだけ。
スピノザはエチカと知性改善論だけだな。
哲学にあんまり興味無いので大して読んでない。
610吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:10:08
物語批判って哲学の問題じゃないの?
611吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:12:55
>>608
頼むから全部読んでないんだからみたいな事言うの止めてね。
要は、蓮實はまだ教師的に振る舞うとこあるけど、柄谷は
読者がカントの該当部分読んでる事前提にしてるような文章書く。
だけど、読んでなくても分かるって
錯覚起こさせる程度にサービスいいんだよ。
その辺の錯覚に自覚的になりましょうって話。
>>609
小説が好きな人間が読んだっていいでしょ。
612436=444:2005/04/04(月) 00:15:27
>>605
「物語」はひとつの言葉ではあっても、そこにはいろんな要素がある。
「語り手の信頼性」「直線的な時間」「定型的プロット」など。
だから、「物語批判」は常に複数形で考える必要があるわけです。
柄谷や蓮實には彼らのスタイルがあり、それを尊重しつつも
ほかのスタイルで物語を脱臼する事も可能なわけですよ。
阿部『アメリカの夜』には阿部のスタイルがあり、
中上『枯木灘』には中上の、後藤『挟み撃ち』には後藤のスタイルがあり、
レム、ボルヘス、カルヴィーノ、ベケット、バーセルミにも
それぞれのスタイルがある。
柄谷や蓮實を援用できるところはそうすればいいし、
もちろん彼らを援用しても役に立たないこともある。
わたしのスタイルといえば、多種多様性になるでしょう。
613436=444:2005/04/04(月) 00:22:52
>>591
>柄谷は「内面」や「風景」をどういう意味で使ってるの?

>>606
>レムとベケットについて書いて欲しいです。

お望みとあれば、今度時間のあるときにレスします。
同じ1行レスでも心情的には>>606のほうにレスしたいですが。
614吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 00:32:09
>>609

カントやヘーゲル読んだだけであたかも自分が柄谷蓮實の代弁者と言わんばかりの思い入れを
持って過剰に同一化しちゃってるようなのはか端からみたらかなり滑稽だしなんか
「この人ヤバい人?」って感じなんだけど…。

「俺以外の奴が柄谷蓮實を引き合いに出すことは許さん!」
「え!なんで?根拠は?」
「なぜなら俺は柄谷蓮實を真に理解してるから」
でもそんな「真の」柄谷蓮實なんてのも結局君の中のイメージでしかないわけでさ。
他者には共有されてないんだよ。

で、カントやヘーゲル読んでるから君が蓮實柄谷をダシにして語るのは許されるの?
他人が蓮實柄谷を引き合いに出すことは激烈な調子で非難してるけど
自分が「闘争のエチカ」を持ち出すのはオッケーなの?
615元929:2005/04/04(月) 00:40:09
>>444
自分はボルヘスやレムは今いちわからない。小説読むのはともかく。
カルウィーノ、ベケットも大好きだ。
よければ癪に触った部分は謝るから
一行レスへのレスをお願いできまいか?
邪魔だと言うのなら黙るから。
61647:2005/04/04(月) 00:49:22
 「カント、ヘーゲル、スピノザ読んでないと」というのは確かに問題だが、少なく
とも柄谷読んで、その時カント、ヘーゲル、スピノザ読んでなければ、「読まなく
ちゃ」と思うのは至って普通と思われ。
 何故に元929氏がそんなに噛み付かれなければならないのかワタシにゃ不明。
617436=444:2005/04/04(月) 00:56:56
>>609>>616
カント、ヘーゲル、スピノザ、
あるいはマルクス、キルケゴール、ウィトゲンシュタインについて、
もし元929=568氏あるいは47氏が語りたい聞きたいというのであれば、
該当の哲学板スレッドに赴きますよ。お望みとあればですが。

ついでながら聞きますが、元929=568氏と47氏はドゥルーズを読んでますか?
蓮實の「事件」というのもドゥルーズの「エヴェヌマン(出来事)」のことだし、
柄谷がいう単独性・普遍性/特殊性・一般性というのも『差異と反復』にあるし、
柄谷も蓮實もドゥルーズからかなりのものを借用=援用してるわけです。
その援用の仕方が「ドゥルーズをダシにしてない」といえるでしょうか?

>>615
>一行レスへのレスをお願いできまいか?
それでは明日書きましょう。で、どっちの一行レス?

今日はこれで。
61847:2005/04/04(月) 01:09:37
>>617
 私はダシにして自らを語るのは別に構わないと思っている。ダシにして
語ってますよ、というアナウンスがあればね。
 で、柄谷さんも蓮實さんもそういうアナウンスはしてるでしょ?
619元929:2005/04/04(月) 01:21:02
>>617
出来ればベケットやレム、ボルヘスの物語批判スタイルについて。
ドゥルーズの援用の仕方は浅田ほどではないにしろ、
確かにダシにしてと言いうる面はある気がするけど、
同列に語れるの?彼らは自覚的にいろいろやってると思うけど。
それこそスタイルを持って。

哲学者について語ってくれるなら大歓迎。
自分で彼らの物語でっちあげることは出来ないけど。
620元929:2005/04/04(月) 01:33:46
>>618
あと自分をダシにして彼らを語る事もやってますね。
そう簡単に彼らも誰かをダシに自分を語ってるから
駄目とか言いづらいと思います。
それこそカントが人間の行動原理について理論と実践分けて、
更にいくつもに分割して考察したように矛盾は擁護されうる訳で。

などと物語語り出してもしょうがないですが、
ドゥルーズの言う通り、微分的な目に見えない差異が
問題になると思います。
(これはベルクソンをダシに語っているのか、
自分をダシにベルクソンを語っているのか?)
621吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 02:18:03
蓮實ってドゥルーズとか海外産の思想を流用してるにもかかわらず、さも自分で考えついたみたいにして、影響元の名前をなるだけ直接には出さないようにしている。
 そういうわけで現代思想の翻訳が整ってきた90年代以降、蓮實といえば80年代にフランス産思想のパクリ・知の密輸をした人というイメージが付いて、そもそも読む気も起こらない人が多いと思うんだが。
 で、そんなイメージの付いた蓮實の物語批判をなぜ今論じているのか、その蓮實への優しさが不思議でならない。

622吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 02:19:34
蓮實はオリジナルな仕事もしているだろうが。特に映画関係で。
今は単なるアンチの時代も過ぎて、再検証の時期だろう。
62347:2005/04/04(月) 03:17:20
 蓮實さんは自ら「私は輸入業者であり、そしてそのことは何事をも意味し
ない」といい、柄谷さんは「自分は学者ではない」とか「輸入なしでやれる
とでも思ってんですかね」というようなことを言っている。
 そう言ってる人達に「流用」とか「パクリ」とか「オリジナル」とか「ダ
シにして」とかいってもしゃーないのではないのかね、と思う。
 むしろ、さも他人が考えついたみたいにして自分を語り、そのことを隠蔽
する方が性質が悪いと思う。
624吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 11:18:42
アンニヒきもい。はよ働け
625吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 11:20:40
え?ここにアンニヒいるの?どれですか?
626吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 13:45:32
三十過ぎのニートは臭いな
627\                   /:2005/04/04(月) 14:20:20
         V
       ,,-―--、
      |:::::::::::::;;;ノ
      |::::::::::( 」
      ノノノ ヽ_l
     ,,-┴―┴- 、    ∩_
   /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
   / ヽ| | 病  | '、/\ / /
  / `./| | 人  |  |\   /
  \ ヽ| lゝ   |  |  \__/
   .\|  ̄ ̄ ̄   |
628吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 19:01:47
>623
それは蓮實柄谷マンセーの意見。
蓮實柄谷を「さん」づけしてる時点でアウトだけどねw
柄谷なんか、独自に道を歩いてたら
ポストモダンと同じゴールにたどり着いたなんて言ってるし。
629吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 20:24:40
「内面」がなければ小説じゃないよね。
630436=444:2005/04/04(月) 23:39:55
>>619
>出来ればベケットやレム、ボルヘスの物語批判スタイルについて。
3人となるとかなりヘビーだから、ごく簡単にスケッチのみを。

まず、ベケットは沈黙に近づく言葉を語り続けていく。
それは小説三部作以降顕著になっていくけれども
『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけられないもの』においても
「語り手の信頼性喪失」「プロットの破綻」「他の自作品の侵入」他が見られる。
まはや語ることが何もないのに語り続けなければならない語り手。
もはや自分が誰なのかわからない語り手(モロイ、マロウン、それとも・・・)。
「今度はいつだ?どこだ?だれだ?」という始まり。
「誰がしゃべろうがかまいやしない」という声。
言葉でも沈黙でもないざわめき。
631吾輩は名無しである:2005/04/04(月) 23:41:52
632436=444:2005/04/04(月) 23:42:27
(630のつづき)

レムは『完全な真空』『虚数』において
架空の書評集、架空の序文集という形で
批評(似非批評)によって小説を紡ぎ出した。
批評をパロディにすることで成り立つ非物語としての小説。

ボルヘスの小説はストーリーのないプロットのみで成り立ってる。
骨組みだけの家、もしくは設計図だけの家のように。
それは流産した物語であり、あるいは前物語的スケッチ。
しかし、『伝奇集』『エル・アレフ』『砂の本』などの諸短篇から与えられるその幻想性は
凡百の物語を凌駕し、不可能な物語を夢みさせてくれる。

とりあえずこんなとこで。
633吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 07:40:49
ウディ・アレンの小説もストーリーがなかったりするね。
634ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/05(火) 15:12:58
>なにさ頭痛が意味だと? そんなこと言われたって痛みはひかねえんだ!

そんな風に恫喝したって、俺もひかねえんだぞ!
確かに「デコンストラクション」で頭痛は消えないし、死者は生き返らないし、
悲しみも消えはしないんだけどね。
美香様の最大の誤解は、「意味」や「物語」を、それこそ単に机上のこしらえごと
だと思っていることだと思う。俺が「頭痛も意味だ」と言ったとき、別に俺は
頭痛がおフランス風の知的心頭滅却でなんとかなる、なんて言おうとしたわけじゃない。
ただ、全ての現象は、自分の身体的、社会的関係性の網の中に捕らえられた瞬間に、
何がしかの意味になるんだな。
猫の目の前を通りすぎる鼠。これは猫にとっては「きわめて近い未来において、
自分の食物になるであろう」という意味を持つ。
ただ、猫がいかに「イメージ」しようと、具体的に前足を突き出さない限り、
鼠はピンピンしている。当たり前の話。
もちろん鼠が一個の生物であるのと同様に、頭痛も一個の生理現象である。
君はうめく。

「嗚呼、頭が痛い」

で、その後にこう付け加える。

「嗚呼、私って、なんて不幸なのっ」
「嗚呼、死にたい」
「どうせあたしの不幸なんて、誰も分かってくれやしないしね」
「っていうか、誰かわかってっ」
635ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/05(火) 15:13:31
単なる肉体的苦痛=信号が、「不幸」としての「意味」をまとって
「記号」となるのは、この瞬間である。
(あ、でも美香様、だから不幸なんてたいしたことない、なんてニュアンスは
まったくありませんからね。誤解なきよう)
頭痛は、君の人生の諸々の「不幸」の項目リストに加えられ(パラグマティック?)
同時に、君の不幸な歴史の連なりの中で、一つの期間を持った「エピソード」にも
なる(サンタグマティック?)。
さらに、君はこの不幸の記号を、ネット空間にばら撒いている、と。
その行為がまた、君の「アイデンティティー」を再構成して行く。
「かくも不幸な私」と。
このようにして、君の、自分の人生に対するイメージの総体が構成されるわけだ。
で、このイメージの体系を「物語」と呼んだりするのである。
ここでの「物語」には、机上の絵空事とか、そういうニュアンスはない。
むしろ、現実の物事の「切り取り方」のこと。
頭痛は何ともならんけどね。この「切り取り方」に対して批評を加えることはできる。
もちろん、その力は、「量」においては微々たるものである。

>じぶん以外の家族すべてを失って慟哭している少年。

もちろん、こういう事態に対して、批評は、小説は、決して即効薬にはなり得ない。
ただ、その少年が、その何年、何十年かのスパンで、自らの人生を捉えなおそうと
する時に、小説や批評が何かの助けになる、ということはありうると思う。

まあとにかく今は、美香様の頭痛の快癒と幸せをお祈り申し上げますですよ。
では。
636吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 15:30:03
柄谷房とつげき
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/

稲葉振一郎の返事キタ
637吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 15:41:18
>>636
返事っていうか、このコメントはどう解釈すればいいんだろう。

昔は憧れの存在でした、今でもほんのりリスペクトしてます

ってことなのかな。
638ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/05(火) 15:59:53
と、再び美香を怒らせる以外、何の役にも立たない書きこみに、小一時間ほども
かけてしまった直後、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴ったのであった。
新聞の勧誘であろうと、不機嫌そうな顔を繕って(これは得意だ)ドアをあけると、
スーツ姿も初々しい、素直げな若者。後ろには両親と思しき上品な中年男女。
隣に新入学した大学生が越してきて、その挨拶に来たのだった。
「どうぞ、よろしくおねがいします」と挨拶もイイ感じでたどたどしく、
なんと菓子折りまで差し出すではないか。うしろでは、ご両親がそれを
にこにこしながら見守っている。
私はアパート暮らしは長いが、隣人からこんな風に挨拶されたのは初めてである。
春の日を斜めに浴びて、どこまでも爽やかで初々しい親子。
対する私は、昼日中からこんなことやってるオッサン(ニートじゃないぜ。
たまたま今日は代休なのっ)。髪、ボサボサです。ヒゲ、剃ってません。
チャンチャンコ、着てます。着古したスエットの膝、両方穴が空いてます。
不機嫌そうな顔、解除するタイミング失いました。
不意打ちで「ア、ドウモ」としか言えませんでした。
ダメです、俺。不幸です、俺。
さあ、この物語をデコンストラクションせねば。
とにかく「闘争のエチカ」を読み終えよう。
639吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 16:03:48
>>638
そゆことは雑談スレに書いてね。
誰もあんたの日常生活に興味ないし。
640吾輩は名無しである:2005/04/05(火) 16:21:23
21世紀の人口国際言語であるノシロ語について語り合いましょう!

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1109756541/l50

応援よろしくお願い申し上げます!
641436=444:2005/04/05(火) 23:50:56
>>633
『これでおあいこ』『羽根むしられて』の2作しか読んでないけど
ウディ・アレン、実は当方も大好きな作家だなぁ!

>>635
ムー大陸の635はわかりやすくてかなりいいけど、
639の指摘通り638はまったくつまらない凡庸な物語。

>>593にある「中上に対するハスミとカラタニの差異って?」の前に
>>589でそうした問いを投げ出したのは実は当方ではあるんだけど、
私見を述べておくとすれば、
中上を「その可能性の中心」で読んでるのは蓮實で、刺激的で面白かった。
いいダシの取り方をしてるなぁと。
で、柄谷のほうが中上に忠実であろうとしている分刺激が少ない。
蓮實ほどの芸もなし。
また、「中上文学は戦略とは無縁」といった言葉で暗に蓮實を揶揄。
ただ、語りにくそうなぎこちなさを美点と見る人もいるかもしれない。
642ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/06(水) 00:08:33
>639の指摘通り638はまったくつまらない凡庸な物語。

書いてるときは、そのつまらない凡庸さが面白い気がしたのです。
でも、読み返してみるとホントにクソつまらね―。
あー死にたい。
643吾輩は名無しである:2005/04/06(水) 00:49:30
>>642
しんじゃダメだお?
644吾輩は名無しである:2005/04/06(水) 02:24:30
桜そういえばみてないなあ
645吾輩は名無しである:2005/04/06(水) 20:13:40
ハスミよりカラタニのほうがマジメ。
646吾輩は名無しである:2005/04/06(水) 20:22:49
「風景」ってなんなの?
647吾輩は名無しである:2005/04/07(木) 13:32:30
なぜ柄谷スレは荒れるのか。
そういえば、ひらがなのさるって今どうしてるんだろう?
648吾輩は名無しである:2005/04/07(木) 14:49:50
柄谷スレと大江スレには変なのが住みついてる。
ここは避難所。
649吾輩は名無しである:2005/04/07(木) 16:10:09

「群像」5月号

Q 物語ってなんですか エッセイ
「えくりちゅーる」というやつ……………………青山真治(p228)
650吾輩は名無しである:2005/04/07(木) 21:17:23
結局、中上のテクストの解読が難しいのが問題
物語=ロマン主義なのか?アレゴリーなのか?小説なのか?

蓮實も柄谷も色々使い分けてる。
651吾輩は名無しである:2005/04/07(木) 23:38:12
アレゴリックでもなくシンボリックでもなく、反ロマネスクなもの。
652吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 15:49:52
>>647
美香とその一派が名無しで生息しているから
653436=444:2005/04/09(土) 01:18:31
>>642
でも>>635はとてもチャームされるところがあった。

>>650
蓮實がいうように、戦略的かつ聡明に物語に抗ったのか、
柄谷がいうように、試行錯誤のなかで物語に血を流させたのか、
実は当方も、「物語」に対する中上文学というのが
いまひとつ「こうだ」という方向性を見出せていない。
あるいは2つの方向に引き裂かれた彷徨なのだろうか。
物語を復活させつつ脱臼するというような。
654吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 23:39:22
大江と中上だったら、どっちが物語を脱臼してたことになるんだろう?
655吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 00:11:36
大江と中上の共通点
1)フォークナーを意識
2)村と路地という宇宙=トポス
3)作品間の交流(間テクスト性)
656吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 23:38:01
大江は知>情で方法意識が強すぎるんだと思うけど。
中上は情>知でそれほど形式にこだわらなかったんじゃない?
657吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 23:45:34
ここ、柄谷の話が少ないよ。
658ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/11(月) 23:48:32
>>656
「路地」が「方法意識」でなくて何だというのか。
そういうイメージ的なくくりかたはイクナイ。
659吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 23:54:16
>>657
では柄谷の話をふってください。
>>658
中上は大江以上に方法意識があったと?
660吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 00:00:22
>>659
誰が中上は大江「以上」になんて書いたんだ
馬鹿
661吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 13:05:52
蓮實と柄谷
この二人を一緒にしているバカスレはここか?

柄谷はクズだが、蓮實はクズではない
基本的に蓮實ほどストーリーを愛している人間はいない
蓮實はコメディアンだから、物語に対する距離感が複雑なんだよ
思想・哲学や文学だけで蓮實を語るなっての

いっとくが、別に漏れは蓮實マンセーではない
662吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 14:43:28
プッ 晒しage
663吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 15:04:00
>>661
蓮實はコメディアンだから、物語に対する距離感が複雑なんだよ

まあ、蓮實のゴダールマンセーっぷりを見りゃ、それは判ることだ
蓮實の中上に対する態度も、コメディ的共感だ
柄谷にはそういう部分が理解できないから、いまいち薄っぺらい
蓮實には身体論があるけど、柄谷にはないのが要因だ
664ラ・ムー ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/12(火) 17:35:27
いや、蓮實はとことん生真面目だよ。
アクロバティックな身振りを、非常に生真面目に行っている。
本人がコメディアンたろうと努めている節もあるが、
それはうまく行っていないと思う。
コメディアンたるには、ある種の品性が必要とされるが、
蓮實にはそれが欠けていると思う。
665C ◆7sqafLs07s :2005/04/12(火) 18:32:53
なんだか

井伏に対する他の作家や評論家たちの評を
「井伏の将棋は香車を一歩ずつ進めるのに似ている」なんてのを
ちょっと馬鹿にするように記していた太宰と

同じような気分をここで感じました。

666吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 19:09:04
暇人485
667吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 19:32:46
>>664
アクロバティックな身振りを、非常に生真面目に行っている。

この方法論は、まさしくコメディの方法論では?
映画人の名が出ているので言わせてもらえば、バスター・キートン的な方法論と同じ
ゴダールも同じ方法論だ(メタか非メタ程度の違いだ)
さらに文学においては、後藤明生のユーモワに対する蓮實が指摘した方法論でもあるが

結局、蓮實は品性を嘲笑する行為こそ品性だと思っている気が・・・
その嘲笑は、あくまで生真面目でないと成立しないと
そんな信念が彼にはあるように伺える
まあ、それに酔いしれるとこがあるのは事実だが・・・
それが品性ないと言ってるのかな?
668吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 20:19:19
オナニー過多で、亀頭が鈍感になっていらっしゃるお客さんは
ある意味、手でこするのと同じ感覚の方が、快感を得ていただけるので
括約筋を締めた状態でお相手しますから、イクことは殆ど無いです。

遊びなれたお客様は、S越しであってても、内部の襞と会話をしながら
高まっていくわけですから、こちらが感じないと、先に進めません。
子宮底が降りてきて、まったりと亀頭を包み込み、蠕動が起こってこそ、
最大の快楽を差し上げられるのですから、イクのは前提になりますよね。
669吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 21:50:30
>>665
その言葉どういう意味なのか教えていただけませんか?
670吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 22:14:26
ハスミは生真面目でもコメディアンでもないと思うぞ。
単にバカが嫌いなナルシスティックなエピュキュリアン。
生真面目だったらカラタニのように神経を病むだろう。
671吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 22:29:57
>>670
確かにそうかもしれんな・・・
もし奴がコメディアンだったら、それはそれで神経病むだろうし
(笑いに真剣な奴は、ほとんど神経症・躁鬱患者になってるから)
でも漏れ、ナルシーな奴って大好きだから蓮實好き・・・・
柄谷って神経病んでるの???
病んでるのにNAM????
ってか、病んでるからNAM?????
672吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:04:46
383 :C ◆7sqafLs07s :2005/03/26(土) 01:53:59
くだらない煽りや粘着につきまとわれたらこのスレに書き込むことにしていますので
くだらない煽りや粘着がいなくなるといいですね。
673ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/12(火) 23:12:40
>>670-670
たしかに「生真面目」という表現は外れているかもね。
俺が言いたかったのは、無責任の振りをしながら、
結局、ある種の共同体に対して責任をとってしまっているということ。
これは文学批評よりも映画批評の方に顕著だけど。
674吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:15:30
>>671
>(笑いに真剣な奴は、ほとんど神経症・躁鬱患者になってるから)

これってホント?
具体例示せますか
675吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:15:48
>>671
ストイックカラタニはゲーデルをやってた頃
相当神経を痛めてたようで、リハビリのためもあって渡米。
最近は図々しさを身に付けたから神経症になることはないだろう。
エピキュリアンハスミが凡百のナルシストとは一線を画すのは
野暮で馬鹿にはなるまいとする頑固な慎み深さがあるところ。
676吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:19:49
>>673
ハスミは責任感は強いよ。
誰もまともに大江も中上も藤枝も論じないから
「フローベール研究者のわたしがやるしかないな」
という感じで日本文学を批評してるわけで。
677吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:19:55
結果的に野暮だと思うけど。馬鹿は免れているが。
678吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:27:21
>>677
ハスミ的にいう「愚鈍さ」は意識してるとは思うが、
「野暮」であることは自分では拒絶してるんじゃないか。
もしハスミが本当に野暮だったら
クロード・シモン論でも何でも書いてたんじゃないかな。
679吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:31:39
買いかぶりすぎだよ。蓮實は単なるアンチを言えばいい時代も過ぎて、
もはや普通に収支決算すべき時期が来ている。
680吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:32:09
柄谷は蓮実のように小説を書くことは生涯ないだろうな。
681吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:33:35
「単なるアンチを言えばいい時代」って何のことだ>679
682吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:35:09
>>681
90年代の映画批評家たち。
683ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/12(火) 23:35:19
意識はしていても、ついに「愚鈍」に達することのないハスミンなのでした。
それは自分で重々知っていることだと思うんだけどね。
『闘争のエチカ』では、図々しくも挑発的に、「自分は共同体の内部に留まる」
と宣言しちゃってる。これでは愚鈍にも神経症にもなりようがない。
684吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:44:51
蓮實本人によれば常に正統派の立ち位置にいたわけで
実際にそれはそうだろう。
こねくりまわした文体は別にして。
685吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:45:21
共同体の外部に出るのが物語だったよな。
686吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:51:18
「共同体の内部」も「物語の内部」もパラレルで
外部なんてないというところから出発しないといけないということだろう。
687吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 23:58:10
東大総長狙っていたから、あとで突っ込まれないように先手打った。
688吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:05:00
>>686
外部なんてないというのは蓮實の基本姿勢だな
映画における「フィルムそのものに萌えろ」という蓮實理論の骨格と重なる姿勢だ
その姿勢は、このスレの提起であるストーリー軽視とも関係する
外部のなさが、ストーリー軽視と映ってしまう
まぁ、ここが蓮實のオイシイ部分なんだが・・・


689吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:05:08
正統派で責任感もあるから東大総長にもなれたんであって
あの文体から「斜に構えた」とか「アンチ」というイメージを持ってはいけないよ。
そしてなおかつ小説を書ける芸の巾と余裕。
残念ながら、良い悪いは別にして柄谷にはそれがない。
690吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:15:33
>.674
>(笑いに真剣な奴は、ほとんど神経症・躁鬱患者になってるから)
>これってホント?
>具体例示せますか

全部が全部とはもちろん言えないだろうが、大体そうだろうな
笑いという表現の性質上、精神にかかる負担は大きいから
芸人で例を出すのもなんだか、ビートたけしや松本人志は自ら病気を告白してるね
漫画の赤塚不二夫も、明らかに精神病んでるっしょ?
691吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:17:38
そういや蓮實が映画撮ってるってホントか??
692ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/13(水) 00:24:32
もちろん、外部も内部も物語にすぎないし、蓮實自身、「陥没点」や
「亀裂」といった言葉で、延々共同体=物語批判を行って来ている。
で、特徴的なのは、柄谷が「世界宗教」を持ち出す一方で、蓮實はそうした
陥没点を見出すのは、何も共同体の外部に出なくても、「ブルジョア」によって
十分可能なのだと述べていること。もちろん、これは「思想」として、権利上
非の打ち所がないのだけれども、一方でそれは、蓮實自身が置かれている立場を
強化させこそすれ、裸で投げ出したりはしないことも確かなのだ。
693吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:31:34
>>692
権利上、裸で投げ出す必要がないと同時に
事実上、裸で投げ出したところで起きる変化など大したことがないから。
喪失によって新しい地平を見出すという幻想=物語があるだけ。
694ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/13(水) 00:42:43
で、さっきまで『批評論=小説論』の頭の方を読んでたんだけど、
まあネチネチと小林秀雄を批判してるわけ。
一言で言えば、小林は絶対的な差異を肯定するのに否定的媒介を用いてる。
その通俗性がハナモチならんっっ、ということなんだけど、
このネチネチさ加減は、結局同族嫌悪なのだね。
蓮實自身、特にジャーナリスティックな映画批評の分野で、同じレトリックを
「反復」している。
ロッセリーニを持ち上げるために、「フェリーニやビスコンティの最良のフィルムを
火にくべてもかまわない」とか、ヴェンダースを持ち上げるためにヘルツォークを
こき下ろしたりとか。
もちろん、そこに両者に横たわるのは比較を超えた絶対的差異である、と必ず
付け加えるのを忘れないあたり、やらしい、やらしい。
蓮實がトッポイ一助教授から、共同体に受け入れられるようになってから、
こういう言辞が極端に増えてくる。むしろ、こういう「わかりやすさ」ゆえに
共同体から喝采されたということなのだろうが。
695吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:47:01
「絶対的」という言葉は好きだね、ハスミは。
そのあたりに愚鈍さがある。
696ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/13(水) 00:47:09
もちろん、喪失によって何かが見えるというのは「物語」でしかないが、
喪失によっても何も見えない、というのも、一つのイデオロギッシュな
「物語」なのでR。
697吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:48:52
「でR」はやめろよ
698吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 00:50:53
>>696
だからその「物語」「共同体」の内部でしか「事件」は起きないわけでね。
699ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/13(水) 00:51:28
>>697
やだよー。

では、おやふみ。
700吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 02:10:12
>>694
ロッセリーニを持ち上げるために、「フェリーニやビスコンティの最良のフィルムを
火にくべてもかまわない」とか、ヴェンダースを持ち上げるためにヘルツォークを
こき下ろしたりとか。
もちろん、そこに両者に横たわるのは比較を超えた絶対的差異である、と必ず
付け加えるのを忘れないあたり、やらしい、やらしい。

やらしい、っていうかさ・・・
明らかに、その言い回しって蓮實の大好きな一発ギャグでしょ?
このギャグの面白さをわかってぇ〜、っていう蓮實流オヤジギャグだ
個人的に嫌いではないが……
まぁ、蓮實のことだ
おそらく寒いことによって、共同体に受け入れられる事を狙った蓮實流自虐ネタ戦略だ・・・・
701吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 02:26:28
>>700
そのせいでヘルツォークとパゾリーニの紹介が遅れまくりんぐ
シャレにならん。
702吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 13:22:23
ヴィスコンティも貶してたんだ。
なんかゴダールの為ならストローブ=ユイレの最良の…、とか
小津の為なら溝口の最良の…
って感じで違和感あるな。

パゾリーニは蓮実以外にすごく愛されてたから良いじゃん。
LDの解説が白井とかだったのが萎えたけど。
まあ見れれば良いし。
703吾輩は名無しである:2005/04/13(水) 23:53:12
まあ、そうはいっても・・・
蓮實ギャグのおかげで出会えた作家(映画)も多いわけで・・・
漏れは蓮實に感謝してるぜ
ありがとうハスミン
おいら、アホの蓮實マンセーですから、惨殺!!!
704ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/14(木) 22:29:15
しかし、問題は、かくかくの作家の名前が称揚され、かくかくの作家の名前が
抑圧された、ということ自体にあるのではない。
したり顔で、または幾分恨みがましそうに、蓮實のそうした「功罪」を問う、
という姿勢こそが、一層「責任者」蓮實という物語を強化させることは明らか
だろう。
第一、あらゆる作家に満遍なく視線を注ぐ、というか、平たく言えば「何でもアリ」
という態度は、弛緩した悪しき「ポストモダニズム」に過ぎまい。
っていうかキモイ。
ってゆうか結局それはムリである。
705吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 22:43:29
蓮實の小説についてのまともな批評ってないね。
小説家蓮實重彦論を誰か書かないものか。
706吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 22:43:38
ハスミ=カラタニはジョン・バースとかをどう評価してるの?
707444:2005/04/14(木) 22:51:45
ドゥルーズ=ガタリじゃないんだから「ハスミ=カラタニ」はやめてくれヨ。
柄谷は海外文学はまともには語れないじゃないかな。
蓮實はピンチョンは評価してたが、バースはどうだったか。
『ストーリーを続けよう』の作者への言及はないと思うが。
708吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 22:53:32
使うんなら、柄谷=浅田だよね。
709444:2005/04/14(木) 22:57:53
蓮實の小説『陥没地帯』を読んでて脳裏に浮かんだのは
三枝和子の『思いがけず風の蝶』だった。
その中の一篇に「物語の消滅」というのがあって
これだけ独立して確か1973年頃に本になってた。
同じフレーズが作中で何度も反復されるのが印象的だったヨ。
710吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 23:01:13
>>704
一層「責任者」蓮實という物語を強化させることは明らか
だろう。

でも他のバカが「責任者」になるくらいなら、蓮實がなってるほうがマシだと思うぞ
漏れは、もっと蓮實という物語が強化されることを望む
彼を伝説化・英雄化することは日本にとってマイナスにはならない
むろん蓮實のみ、では困るが蓮實なしでは、もっと困る
蓮實マンセーではないが、そう思う次第

711吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 23:01:37
スレタイに戻るなら
いかに描写でストーリーを消すかだ

陥没地帯はその挑戦。
712吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 23:06:24
描写でストーリーを消すことの意義はなんなの?
713ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/14(木) 23:33:13
>>710
ちなみに俺はアンチじゃないよ。
ただ蓮實の「伝説化・英雄化」は、
いかなる局面でも、
―「映画を見る」ということにおいては特に―
決して好ましいことではない。

ちなみに今は取っ掛かりとして映画批評よりの話をしているけど、
最終的には蓮實が提示する「絶対的差異」や「陥没点」といった概念に、
私が漠然と感じている物足りなさというか、もどかしさのようなものが
言語化できればなあ、と思っています。
まあ、ボチボチ書いていきますので、よろしく。
714444:2005/04/14(木) 23:59:07
>>711
>スレタイに戻るなら
とのことでついでに付け加えておくならば
この2人は決してストーリー(物語)を単に軽視してるわけじゃない。
むしろ物語(ストーリー、ナラティヴ、ロマネスク、レシ)の恐るべき力、
つまり「説話論的磁場」の引力というものをかなり重視してるからこそ、
それにクリティカルであろうとしてるわけであってネ。

「物語(レシ)? いや物語(レシ)はなしだ。二度と決して。」parブランショ
715444:2005/04/15(金) 00:06:59
>>713
>「絶対的差異」や「陥没点」といった概念に、 私が漠然と感じている
>物足りなさ、というかもどかしさのようなもの
それをどう言語化してくれるのか楽しみ。

蓮實はそれらの特権的タームを
「イメージ」として確信犯的に使ってるのかどうか、か。
716吾輩は名無しである:2005/04/15(金) 02:49:55
自分語りキモイ
717吾輩は名無しである:2005/04/15(金) 19:34:09
蓮實は哲学者じゃないから、陥没地帯という言葉を概念化してないんじゃない?
718吾輩は名無しである:2005/04/16(土) 23:40:48
蓮實マンセーの人はあの文体が心地いいわけ?
719吾輩は名無しである:2005/04/16(土) 23:47:31
あの文体がいいのさ
720吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 09:25:04
今日の朝日新聞で柄谷が、今村の本について書評書いてるね。
721吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 12:53:31
今村本けなすより(けなすのはもっともだが)
評価できる本を紹介しろってーの>柄谷
722吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 13:30:52
マーク・ブキャナンを読んどけ。
723吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 14:46:35
今村くらい応用性のないパクリ思想家も珍しい。
724吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 18:28:55
a
725吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 23:51:26
>>713
ムーちゃんボチボチ書くのマダ?
726吾輩は名無しである:2005/04/21(木) 19:27:32
しかし、ハスミもカラタニも最近は文学を読んでるのだろうか。
もはや文芸批評に戻ってこないんじゃ。。。
727吾輩は名無しである:2005/04/21(木) 21:00:18
蓮実はわりと読んでるよ。
柄谷はよくわからん
728444:2005/04/24(日) 00:51:19
三枝和子の「物語の消滅」を読んだ人はいないのかな?
蓮實『陥没地帯』を読んでる人からの感想が聞きたいんだが。
あるいはロブ=グリエ読者でもいいんだが。
729吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 01:06:26
クロード・シモン読者は駄目ですか?
730444:2005/04/24(日) 01:11:44
>>729
C・シモン読者大歓迎!
シモンにおける物語の脱臼の仕方ってどうです?
731吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 01:23:28
後背位に対する執着心がいい
732444:2005/04/24(日) 01:28:27
つい最近C・シモン『アカシア』を読み終えた。
再読しないと多くのことは語れないけど
的確で鮮烈な描写とパッチワークされた複数のプロット。
そしてラストで『失われた時を求めて』を彷彿。
やっぱりシモンはスゴイね。
733吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 03:07:28
ヌーヴォーロマンって脱臼っていうより、アンチって感じじゃない?
734ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/27(水) 00:08:20
「物語批判序説」読了。
何年か前に読んだときにも漠然と感じた陰険な気配の正体を知る。
この完璧なまでに誤読を許さぬ馬鹿丁寧さは、もっぱらこの書物が
馬鹿のために書かれている、という一事を証明しているのである。
で、その馬鹿どもへの蓮實のメッセージは、一言

「馬鹿は黙れ」

まったくもって倒錯的な書物である。
最終章のバルトへの言及など、自己欺瞞を通り越して
悪い冗談なんじゃないかと思える。
735吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 16:03:19
蓮實ってそういや、講義でつまらない質問をしてきた学生にすごい剣幕で怒鳴りまくったらしいな。
736ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/29(金) 01:02:00
「肯定すべきものに否定的な身振りを介して接近すること」
に対する批判が、蓮實の小林秀雄『本居宣長』論で、執拗になされている、
ということは以前にも書いたが、これは近親憎悪なのではなく、意図された
自己パロディなのではないか、と今は思うのである。

『物語批判序説』にせよ、今読み進めている『表層批評宣言』にせよ、
蓮實が最も多くの頁を割いて考察するのは、「否定的な身振り」、
つまり「制度」に対する畏れを知らぬ馬鹿、「自由と不自由とを
取り違えている」馬鹿、つまり「消極的な馬鹿」についてであるからだ。

で、蓮實の「戦略」とは、いかにこの消極的な馬鹿を馬鹿のふりをしながらも
回避し、利巧になるか、ということなのだが、馬鹿を言うない。
要は蓮實のやっていることは、例えば意中の女の子に告白する時に、「好きだ」
と一言言えばいいものを、ぐだぐだと他の女の子の欠点をあげつらったあげくに、
「でもそういうこととは関係なしに君は好きだ」なんぞと付け加えるようなもの
である。

肯定の身振りは、愛の告白は、つねにごく単純でなければならない。
さらに言えば、肯定の身振りとは、ある種の積極的な馬鹿にしかなし得ないものである。
蓮實の批評の欠点は、結局この積極的馬鹿の称揚を欠いている点にあり、あの全ての
「迂回」の原因もここにある。

ここでいわれる積極的馬鹿とは「いつも神様の国に行こうとしながら地獄の門を
潜ってしまう人間」(坂口安吾「私は海をだきしめていたい」)のようなものであり、
没落するものであり、寛容なものであり、愛するものなのだ。

文学はそういう馬鹿によって創造されるのであり、
そういう馬鹿のために存在するのである。
737吾輩は名無しである:2005/04/29(金) 01:09:52
馬鹿って言う方が馬鹿
738ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/29(金) 01:14:07
今日は酔いに任せて敢えて暴言っぽいことを書きはしたが、
蓮實に対する罵詈雑言が私の本来の目的ではないのである。

映画批評にしろ、文藝批評にしろ、蓮實の「エクリチュール」は
大体80年代前半を境にして、大きな質的変動を起こしている。

例えば『表層批評宣言』は、たしかに「どこから読みはじめても、
どこで読みおえてもかまわない書物」たりており、一方
『物語批評序説』はそうありえない醜悪さに纏われている。
両者で語られていることは、ほとんど一緒であるにも関わらず。

その醜悪さの正体が何なのか、「倒錯」と「退廃」を隔てるものが
何なのか、というのが最終的な問題意識である。
739ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/04/29(金) 01:17:33
>>737
ところで、蓮實自身は(おそらく)馬鹿という言葉は一度も使っていないのでR。
それは重要な点でR。

では。
740吾輩は名無しである:2005/04/29(金) 01:18:22
髪型の問題じゃないの?蓮實の。
741ミカロン5さい ◆jRmFc4fTS6 :2005/04/29(金) 08:38:33
>>740
ピンポンダッシュ♪
742吾輩は名無しである:2005/04/29(金) 19:37:11
蓮実と東大OBの日ハム遠藤が肩を組んだ写真は
蓮実の「素」の表情が出てる気がする…
743文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o :2005/04/29(金) 20:01:45

>>741
ONE!ONE!

それにつけても、ころ恐るべしなんだONE!
744吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 00:51:41
>>736
半分だけ同意。
あなたは「積極的馬鹿」ですか?
745吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 13:39:40
近ごろ小説の「物語」を追うってことに疲れてきた、というかあほらしく
なった。
言葉をもっと楽しみたい。理想的には、エイヤで開いたページが常に
小説的におもしろい、そんな小説があればそれでいい。
でも、そんな小説は存在しえないから、物語が言葉の添え物になってる
ような小説、アンチ・ロマンとかを読んでる。
そういう物語に意識過剰なものではなくても、言葉の強度を誇っている作品、
例えば古井由吉とかは良いな。てゆーかあーゆーのが理想かな。
本当に強い言葉を持っていれば、「物語」の政治性なんてこと意識しなくても
いいんだろな。
746吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 14:10:14
>本当に強い言葉を持っていれば、「物語」の政治性なんてこと意識しなくても
>いいんだろな。

正解。
蓮実もホントはそれが言いたいんでしょう。だけどそれをいっちゃあ
おしまいだし、それをいう資格もないから、物語は全て書かれてしまった
とか前置きしてから、ああだこうだと始めるw
まあ、芸術に対しての批評の限界ってやつですかね。
絵の素人が絵描きに筆使いを教えることはできないですからね。
747吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 14:54:33
そんなときは保坂一志だな。
748吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 15:20:55
保坂は小説よりエッセイのほうが面白いという感じ。
749吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 21:29:42
>>746
こういう絵を描けとはいえるけど、こう描けとは言えないんだな、批評家は。
自分が描けないんだから。
そういうことをいう人種も必要ではあるはずだけど、それ以上でもそれ以下
でもない存在。
750吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 22:56:10
でも、

物語と言葉の強さは反比例している、という仮説を立てる。
物語を批判する。批判が有効なら、
言葉の強さを有する作品が書かれるようになる。

というものなのかな。

物語の有無を問わず、言葉の強さを持つ作品は
自然発生的にしか登場しないんじゃない?

とするならば、物語批判は有効でないのでは?
751吾輩は名無しである:2005/04/30(土) 23:28:43
もうちょいわかりやすく書いてくれ>750
752吾輩は名無しである:2005/05/01(日) 13:09:30
柄谷は自分の髪型に迷いがある
753吾輩は名無しである:2005/05/01(日) 13:11:16
髪型における決定不能性
754吾輩は名無しである:2005/05/01(日) 20:32:01
保坂一志の糞小説と比べれば、蓮見翁の若々しさに漲る二作のほうが
よっぽどおもしろい。
755吾輩は名無しである:2005/05/01(日) 20:46:40
お前の意見なんか聞いてねえよ
756吾輩は名無しである:2005/05/01(日) 22:16:07
>>754
結果論的に同意。
あの「若書き」なところが微笑ましくてよい。
757 :2005/05/01(日) 23:27:18
ハスミンは批評だけじゃなく小説も書いたところがエロイしエライ!
中村光夫を模範としたのかな。
758吾輩は名無しである:2005/05/02(月) 17:42:18
>>743
意味不明なレスはやめてください。
759吾輩は名無しである:2005/05/02(月) 22:07:33
蓮実監督による「草枕」映画化の話はどうなったんだろうな?
それはそれで楽しみ。サッカーの無観客試合ってどういうもんなんだろう?
ってのと同じくらい楽しみだ。
760美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/05/02(月) 22:54:37
うちのバカ犬、なんかここでは評価高いみたい。
よろしい? ないんだからね血統書なんて……。
761吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 16:16:15
蓮實重彦が選ぶ、プロ野球に向けて書かれている書物

中沢 新一『チベットのモーツァルト』
ドゥルーズ=ガタリ『リゾーム』
フーコー『監獄の誕生』
『フロイト著作集』
ブニュエル『映画、わが自由の幻想』
M・プイグ『リタ・ヘイワースの背信』
浅田彰編集『森毅対談集 世話噺数理巷談』
蓮實重彦『監督 小津安二郎』
中上健次『熊野集』
柄谷行人『内省と遡行』
山口昌男『道化の民俗学』
762吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 16:21:11
蓮實重彦が選ぶ、プロ野球に向けて書かれていない書物

デリタ『根源の彼方へ』
ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』
『ユング著作集』
黒澤明『蝦蟇の油―自伝のようなもの』
バルガス=リョサ『ラ・カテドラルでの対話』
栗本慎一郎『鉄の処女』
佐藤忠雄『溝口健二の世界』
大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』
山崎正和『やわらかい個人主義』
中村雄二郎『述語集』
763吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 16:22:34
プロ野球の退屈さを超えた書物

ロラン・バルト『明るい部屋』
『藤枝静男著作集』
764吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 16:24:53
判断停止せざるをえない書物

吉本隆明『世界認識の方法』
ラカン『エクリ』
宮武外骨『骨稽新聞』
ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』
マンデルブロート『フラクタル幾何学』
765吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 16:27:50
『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』からの引用。
最近スレで話題がなくなったので書き込んでみました。


あと、「プロ野球に向けて書かれていない書物 」での書き忘れ

浅田彰『構造と力』
766吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 18:40:56
んなもんプロ野球選手が読んでも1_も理解できん
767吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 18:22:36
「プロ野球に向けて書かれている」ってどうゆうこと?
768吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 18:39:49
蓮實重彦の書いた文章読んでオナニーが出来る奴らいる限り
どーにもならないよ。
769吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 19:02:06
>>767
ボールとかバットに文字がビッシリ書いてあるんじゃないかなぁ?
770吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 19:03:55
>>768
しかしオナニーしてもいいけど射精は禁止だよな蓮實的には。
771吾輩は名無しである:2005/05/18(水) 21:18:12
スペルマ
772 :2005/05/23(月) 01:06:50
むしろ精子を撒き散らす事が脱構築的なんだが>770
773吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:03:03
772はすみは脱構築なんて野暮なことはいわんと思うが
774吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:11:58
野暮って何? はすみが使いそうだね。

この人の一冊も読んでないけど。
775吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:23:57
>>773
マゾッホ的宙吊りってやつか?
776吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:44:18
マゾは体力がいるね
777吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:51:07
野暮って言葉は使ったことないのでは?
むしろ単純に「野暮」と言わないためにこそ書いてるという気が
778吾輩は名無しである:2005/05/24(火) 20:26:41
愚鈍とか鈍感とかは使うね・・・
野暮はどうかなあ
779444:2005/05/24(火) 20:55:15
「愚鈍さ」はドゥルーズからの引用で
「鈍感さ」と正反対の意味だけどね。
780吾輩は名無しである:2005/05/24(火) 23:07:53
ハスミンはバルト・ドゥルーズ派でデリダ派じゃないってことか・・・
781吾輩は名無しである:2005/05/25(水) 23:36:22
>>779
ドゥルーズの「愚鈍さ」の出典を教えて
あと、正反対ではないだろう?
説明してもらえまいか
782吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 02:13:29
ハスミせんせいの「愚鈍さ」といえば、
反日本語論だかに登場した、駅の改札口で最終的に勝利する
家畜めいた老婆が印象的でありました。
このときの「愚鈍さ」とは制度的に正しいとされる振舞いが
その皮膚にまで染み込んだかのような頑な姿勢のことで
あったように記憶しますが、はあ、思えば
よお忘れずに憶えているものだなあ
と横レス
783吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 02:40:48
このスレの内容がほとんど理解できないのだが、ブンガク部に逝くと、
こういうわけのわからない能書きが書けるようになるのか?
784C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 03:18:31
>>783

いや、解説書を丸写しにすればいいんだよ。そのまま写すとバレるから適当に言葉変えて。
ここにあるのは文学なんかじゃないよ。文学ごっこ。ママゴトみたいなもんだよ。
785吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 03:39:59
>>781
はっきりいって蓮實の曲解だけど、
ドゥルーズのBetise(アクサン記号はかんべんな)は、
ゾラの獣人をネタにしている。
『意味の論理学』に掲載。ただし訳が最悪。
786吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 04:41:10
そこそこの賢明さ発揮し己の無理解を手がかかりにその生産性をさらに高めようとする無償の善意を、
とりあえず「愚鈍」と呼んでみることにしよう。「愚鈍」なる彼は意味不明のスレを「誰に頼まれた訳
でない」のに検証し改めて理解できないと告白した上で、彼なりの文学的配慮からだからだろうかカタ
カナで表記された「ブンガク部に逝く」と、こうした意味不明の能書きが書ける可能性が開けるのだろ
うかと、いささか皮肉な調子で曰う。そこへ第二の「愚鈍」氏がまさに物語の登場人物のような親切さ
を発揮して現われ、いや、そうではない、これは「文学ごっこ」と呼ばれるゲームであって、ただ「解
説を書を丸写しにすれば」その類いのテキストは生産可能なのが、「そのまま写すと」何かが「バレ」
ので「適当に言葉変えて」写すと良いのだとアドバイスしてくれるのだが、さて何が「バレ」るのか。
ただひたすらに理解不能の「能書き」を書くことが目的な訳で、まさに「ママゴトみたいな」遊技性の
上に落ちる影のごとき何かは、ただ書き写すことを禁止する何かとして、ここに主題化され「愚鈍」の
意味を明らかにしようとしている一歩手前へと我々を誘う訳だが、その前に、つかれた
787C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 05:33:48
>>786

そこそこの小器用さがある故に文学や思想の深甚を這いずり回るような苦闘を乗り越えることもなく
思索の導く「狂気」など知らぬまま「文学的」なるものの上っ面をただべろべろと舐めることに
満足げな二重顎の輩をまとめて「うんこ」と呼んでみることにしよう。

「うんこ」臭い彼らはある文章に意味があるかどうかを自ら「検証」することもなくそのシグネチャーのみを信心し
「あの偉い先生が仰るんだから一部の隙なく正しいんだっぺ」という思考の語尾の部分だけを標準語に変え、
そのような形でまるでその「偉い先生」の思考の一端は自分が担っているのだと言わんばかりの横柄な顔で、
「うんこ」なりのエチケットからだろうか、それとも古臭いパソコン通信時代の慣習からだろうか
文字数を揃えてみせたりなどして、衒学的ですらないただの懐古文体を駆使してのたまう。

ただ「うんこ」たちには一種のサークルがあって、これこそ本当のミステリーサークルとでも言うべきものだが
31アイスクリームのトッピングに如かない彼らの「文学論」を貶そうものなら、
よってたかってグダグダ言う習性があるようで、相手の言葉を揶揄することで必死に真の不理解を覆い隠し
「あの偉い先生の追随者」たる自分に間違いなどあるはずがないのだ、と「批評」の存在自体を否定する。
この点において彼ら「うんこ」はまさに彼らの言うところの「愚鈍」そのものなのであって
それを「ママゴト」と言われていることにも思い当たらず、そもそも明らかにされるべき意味がそこにあるのかどうかを
問うという真の意味での「批評」にも「文学」にも全く接することのないまま「逝く」だろう「うんこ」たちは
平々凡々たる過ぎ去った「時代」のフォロアーに過ぎないことを自覚して恥じるべきではないかと思うわけだが

まあどうでもいいや、うんこだし。
788吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 09:27:10
かもね。
でもそれってさ。このスレの全体の雰囲気が言っていることと同じでしょう。
はやい話、蓮実センセイ、さようなら!

植え付けられた羞恥心から、もはや単純に青春と呼ぶことも出来ない
なんかグチャグチャした過ぎ去りし我が生涯の一時期を
あんたに返せーっ、と叫ぶことは
なるほど理にかなったことではないだろうが
ただ時代がかった衣装に別れを告げ
いま、という時を肯定の身振りのふりきるために
おれは叫ぶのだ、
う・ん・こー!

789吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 10:47:29
>>788
凡庸だな
790吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 11:31:26
>786-788
つまらん。邪魔だ。
791吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 13:03:50
いや>>786はちょっと面白いな。
あと「愚鈍さ」についてもうちょっと知りたい。>>779>>785
792吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 13:36:39
>>786は面白いけど、その後の駄文で台無し。
793C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 14:53:03
ほら見たまえ。愚鈍とは何なのか、そして愚鈍が何を支持し何に「批評的な言葉を持てず」反発するのか。
この様子を見れば、文学ごっこという評価の正しかったことは一層明白になる。

笑って、いいとも。
794文学二十日鼠 ◆tfT3ok3WmY :2005/05/26(木) 15:17:19

つまんないんでchu♪
795吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 15:59:11
793
お前もう少し自分の足元見て物言えよ
796吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 18:13:11
呆れたのでCはNGワードに入れました。遅まきながら。
797C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 19:54:35
つまらないのは、君たちの側に責任がある。
つまり、「読む」という行為「評する」という行為に対してあまりにも無自覚であるが故に
まさかその「読み」「評価」そのものが否定されるとは考えもしなかった
その無邪気な在り方にこそ問題がある。

だから「呆れた」だの「つまらん」だの、無思索な人間特有の思考停止言語で
不愉快の表明をするのが精一杯で、「うんこ」としての存在の仕方そのものを
最初から検討しなおすことは不可能なまま。

オウム真理教だってそうだったと思うんだよな。
途中で「あれ、この集団、この思想、なんかおかしいぞ、原理(この場合は真理か)から外れているぞ」
と思った人間はいたんだろう、
だけどそれを突き詰めて考えてしまうとそれはイコール自分の存在の全否定になる。
だから「引き返せ」なかった。

君たち文学ごっこの人たちもきっとそんな所にいる。

大切なのは、所詮うんこなんだから、あまり自己主張しないことだ。そう自覚すること。
間違っても、自分たちが高尚だなんて思わないこと。文学は、独自にクリエイトした人間に一次的な決定権がある。
それに追随することはジャニーズのおっかけと何ら変わらないのだ。
批評は追随ではなく創造です。創造のない文学ごっこは、うんこです。
うんこは、臭い。うんこは、汚い。うんこは、そういうものだ。
798吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:00:41
蓮見そのものを表す言葉としてもよく「愚鈍さ」という例えが持ち上げられるけど、実は柄谷の方がはるかに「愚鈍」なのではないか?
蓮見は「愚鈍さ」を装いつつも、何気に浅田より小器用な感じがする。
799吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:26:26
>>786は面白い
800吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:35:33
>>797

>「読み」「評価」そのものが否定されるとは考えもしなかった

自信満々なオナニー書き込みを嘲笑されたり無知を指摘されると脊椎反射でぶちギレちゃうのはいつもいつも自分じゃないか。
上で「愚鈍」についてトンチンカンなこと書いてるの見るとどうせまた蓮実も読んでないんだろ?
まあ読んでも理解できないと思うが。
理解できない妬みとそねみで躍起になって否定してるだけだもんな。
読みもせず勝手なイメージ当てはめて。
だからお前の書き込みには罵倒か嘲笑レスしか付かないんだよ。
だからお前の評価は芳しくないんだ。
自分でも内心気付いてるだろ?
お前のこと評価してるのって、理解もせずに表面的に
「マンガに演劇現代詩まで知ってるなんてスゴイんですね〜」って程度の奴しかいないからな。
「創造」がどうとか御託並べる前に少しは他人からレスされるような事書いて自ら「創造」してみろよ。
幼稚な自己陶酔オナニー文学論(?)やウンコウンコ連発の相も変わらず下らん煽り文句ばかりじゃなくてさ。
801C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 20:41:01
>>800

はいはい。凄い凄い。

で、ちゃんと反論できる人はいないの。
802C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 20:50:55
なんだもう逃げたのか。これだから創造に携われない阿呆は。
803C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 20:53:49
第一、なんでうんこ臭いジャニーズのおっかけにきゃあきゃあ言われることを人生の目的にせねばならんのか(笑)

なんで、自分たちに支持されることが真の創造である、などと恥ずかしく勘違いしているのか。

やはりアホだからか。
804吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:53:53
プッ
805C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 20:55:22
そうだ。君たちに残された手段は「プッ」なのだ。もう明白じゃないか。うんこ。

じゃあ飯なんで、うんこのことは忘れたいと思います。
806吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:58:09
はい釣れた!w
807吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 20:59:42
>>800
放置の方向でよろしく。
808吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 21:08:50
ど、どうしたC ◆7sqafLs07s 、恥じらいスレ厭きたか?
809吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 21:51:02
過疎化したんじゃね?
810C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 22:03:35
釣れるだの釣れないだの馬鹿な話だと思うが、そもそも「釣られて」いるのは常に君たちうんこであって。

君たちは僕の言葉に「釣られて」いるんだから、常に。
811吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 22:06:39
Cってスレの空気読めない人だなあ
812C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 22:08:01
そうやって馴れ合うから駄目なんだよ。衝突こそが文学ですよ。摩擦こそが文学なのだ。
813C ◆7sqafLs07s :2005/05/26(木) 22:10:41
君たちうんこが幾ら経っても文学に到達できないのは、
たとえば世の中なり自分の人生なり周囲の環境なりもしくは「今の文学」なりに不満を持っていても
その問題意識を先鋭化させることもなく、ただ安穏と、こんな糞ちゃんねるの過疎板で
同じようなうんこどもと馴れ合ってそういう最も避けなければならない形で
「文学ごっこ」してしまうからなんだよ。

ぬるま湯のせいなんだよ。
814吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 22:19:43
>衝突こそが文学ですよ。摩擦こそが文学なのだ。

単なる荒らしってことですね
815吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 22:25:33
フーコーでも読んで出直して来た方がよいんじゃね?
816吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 22:29:03
>ただ安穏と、こんな糞ちゃんねるの過疎板で同じようなうんこどもと馴れ合って

コミュニケーションしたいのかしたくないのか支離滅裂すぎwwwwナニガシタイノ?
自分が叩かれてるだけなのにそうじゃないやりとりは全て馴れ合い呼ばわりかね
情けなくて涙が出てくるなwwwww
817吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 22:32:12
>>814-816
粘着荒らしは放置で。
818吾輩は名無しである:2005/05/26(木) 23:22:43
むしろうんこ臭い書き込みしてるのはCで
放置出来ないでからかってるのが蠅
819444:2005/05/26(木) 23:41:39
ちょっと(?)コースアウトしてるようなんで軌道修正しとこう。

>>781
>ドゥルーズの「愚鈍さ」の出典を教えて
>あと、正反対ではないだろう?
>説明してもらえまいか
『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』と『凡庸な芸術家の肖像』では
少しニュアンスの違いはあるかもしれないけど、
「鈍感さ」というか「凡庸さ」、と対極にあるのが「愚鈍さ」。
対極というのは言いすぎかもしれないが、まあこの差異が大きい。
「凡庸さ」と「愚鈍さ」の差異こそ蓮實は主張し続けてきたわけで。
ただ、もともとはドゥルーズ用語のハスミカルカスタマイズ。
820444:2005/05/26(木) 23:42:10
>>785
>はっきりいって蓮實の曲解だけど、
>ドゥルーズのBetise(アクサン記号はかんべんな)は、
>ゾラの獣人をネタにしている。
>『意味の論理学』に掲載。ただし訳が最悪。
「曲解」って言うより、「原作ドゥルーズ、脚本蓮實」ぐらいの感じかな。
まあ原作者の意志はそこそこ反映されてると思う。
宇波の訳については言い出したらきりがないね。
法政大学出版局の編集体制も問題だけど。
821444:2005/05/26(木) 23:42:52
>>791
>あと「愚鈍さ」についてもうちょっと知りたい。
「Betiseベティーズ」は『差異と反復』にも出てくる。
ここでは「愚劣」と訳されてる(第三章《愚劣の問題》のところ)。
ドゥルーズにとってはゾラだけじゃなく
ドストエフスキーやフロベールも念頭においた言葉で、
私見では特に『ブヴァールとペキュシェ』への参照が強いんじゃないかな。
822C ◆7sqafLs07s :2005/05/27(金) 04:33:54
煽っておいて忘れてしまっている僕の邪悪さに君たちうんこの臭さは際立つ。

>>814
君は単なる2ちゃんねらで一生を終えてください。それが過不足なく君そのものです。

>>815
ウルリヒ・ベックでも読んで恥を知ったほうがいいんじゃね?

>>816
泣きたい時は泣けばいいんじゃないの。うんこの感情なんて、どうでもいいよ。

>>818
少しは真実に近づいたね。
823C ◆7sqafLs07s :2005/05/27(金) 04:55:31
30年も前の本をいまだに「理解できたのか/そうではないのか」なんてやってることが
不可思議なトリックの、――東浩紀風に言うなら

「巧妙な文体と批評家のパフォーマンスに対して読者の側が勝手に投影した幻想」
の中で繰り返されるドラッグパーティみたいなもんで、

蓮実自体がそういう性質を持っているから話はよけいに混雑してゆくわけだけど

聡明な凡庸、ではなく、愚鈍を、と言うとき、それはいわゆる「聡明な凡庸」そのものが選ばせた態度ではないのか、だとか

感動の対象としての書物、というものを語るときそこに「演じられた」愚鈍を見出すには
「凡庸」を備えていなければ不可能ではないのか、だとか

幾らでも反駁できるものを「対極」だの「こそを」だの大袈裟な言葉で虚飾すること、
そうやって「でもね、それもね、愚鈍ってやつでね」なんてどっかの偉い先生のパフォーマンスをミミックしてみたりして

そういう(ヲタク的・コスプレ的)対象同一性欲求の果てに何があるかといえば
つまるところ蓮実風に言うなら「動きを奪われ」「点や線の戯れへと還元されてしまった思考」

柄谷風に言うならば「生きられない批評」ってやつなんですよ。

君たちは引用と「分析ごっこ」しかできない。それは人間ではなくコンピュータの仕事です。
824791:2005/05/27(金) 09:45:33
>>819-821
おーサンクス。
ハスミはドウルーズをぱくったってことかいな。
825吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 15:27:59
またもやCの無知と無恥が明らかになっちゃって終了ということか。
荒らし認定されたことだし、あとは完全放置で。
826吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 17:56:10
>>819
うーん、やっぱり納得できない。
「凡庸さ」が「愚鈍さ」の反義語なのは蓮實も書いているとおりだよね。
でも、「凡庸さ」は「鈍感さ」的ではない。断じて違う。何故なら
「凡庸さ」とは、「愚鈍さ」に恵まれなかった者が恣意的に選択するものであり
「愚鈍さ」は御承知の通り、Inherentな才能のこと。
したがって、むしろ「鈍感さ」は「凡庸さ」とは全然違い「愚鈍さ」に近い
ニュアンスでもあるが、それとも違う、第三の定義なんだよね。
827吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 18:06:37
>>826
はあ?なにいってんの?

ちょー受けるんだけど、その解釈。

鈍感さというのは、愚鈍さや凡庸さとは決定的に異なる、
ハスミンのいよっしゃーー的なほめ言葉なの。
そこんところ分からないようじゃ、駄目だし、終わってるくさいよ、おめ。

828吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 18:21:32
>>827
ん?別にケンカ売ってるつもりはないよ。あんた819?
そうだとしたら、きちんと答えてほしいだけなんだけど。
違う人だったらそもそもレス必要ない。

>少しニュアンスの違いはあるかもしれないけど、
>「鈍感さ」というか「凡庸さ」、と対極にあるのが「愚鈍さ」。
>対極というのは言いすぎかもしれないが、まあこの差異が大きい。
>「凡庸さ」と「愚鈍さ」の差異こそ蓮實は主張し続けてきたわけで。
>ただ、もともとはドゥルーズ用語のハスミカルカスタマイズ。

この説明と
>鈍感さというのは、愚鈍さや凡庸さとは決定的に異なる、
>ハスミンのいよっしゃーー的なほめ言葉なの。

この説明は全く繋がっていない。自分でおかしいと思わんのか?
829吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 18:26:05
>>827
それと>>826をもう一度よく冷静に読み返してみてよ。
脳味噌沸騰させないで。
その上で、どこが間違っているのか、間違っている箇所を引用して訂正してほしい。
感情的になるばかりできちんと指摘できず、罵倒するのなら、君は論外だよ。
830吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 19:11:51
ハスミは鈍感って言葉使ってるの?
831827:2005/05/27(金) 19:21:40
>>828
脳内解釈乙!!!
勝手に同一視すんな。
>>829
>「凡庸さ」が「愚鈍さ」の反義語なのは蓮實も書いているとおりだよね
書いてません。きちんと典拠を示してください。
愚鈍の反対は、聡明です。

>「凡庸さ」とは、「愚鈍さ」に恵まれなかった者が恣意的に選択するものであり
脳内解釈乙!!!

凡庸の反対が、鈍感です。

∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧(頭おかしいのは、君のほうです)




832吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 20:51:06
まったくお前らは馬鹿ばっかだなw
Cの言ってること何にも理解してないじゃんw
凡庸とか鈍感とかそれくらい分かれよ!!
833吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 21:06:00
では>>832さんがCのいってることを説明してください。
>>832さん以外はC=単なる荒らしとしか見ていないようですが?
834吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 21:09:15
>>833
バーカ
名無しのコテハンがなにいきがってんだよw
くやしかったらちゃんとCみたいに名前のコテハンで勝負しろよ!!
単なる荒らしはお前だろww
まったく、低レベルな奴ばかりで話を合わせるのにCも大変だなあ
835吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 21:16:54
名無しで低レベルな煽りごくろうさん。
馬鹿な俺に早くCのいってることを解説してほしいのですが?
836注意報:2005/05/27(金) 21:31:41
※煽り屋=蝿に注意>ALL
特徴/ときにはコテや名無しを挑発しときには擁護したりもし
   知ったかとハッタリで悪臭をまきちらす蝿。
生態/いつもはウンコ(クソコテ)にたかってる。
837吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 21:33:14
>>827
君はやっぱり部外者か。
あのね、君は本当に何も分かっていないからもう、何も書かなくていいよ。

>書いてません。きちんと典拠を示してください。
>愚鈍の反対は、聡明です。

典拠を示すね。
出典は蓮實の「ドゥルーズに逢う」というエッセイ。
少し引用すると、<・・・・つまり、凡庸さの反義語ってのは、愚鈍さだってことですね。
ふーん、わかってきたわかってきた。・・・・>

>>「凡庸さ」とは、「愚鈍さ」に恵まれなかった者が恣意的に選択するものであり
>脳内解釈乙!!!

脳内なわけないでしょう。あんたと違う。
<・・・・愚鈍さに恵まれなかったものが、凡庸さを選択するんですね、たとえば・・・・>

どうです?ここまではっきり書かれていますよ。
匿名掲示板でカラ威張りするのは勝手だけれども。
いい加減な嘘を書くと、あんた自身が恥をかくことになるよ。
838文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o :2005/05/27(金) 21:45:49

横槍なんだONE!

ハスミセンセのいう凡庸さは、むしろある種の敏感さを伴っているんだONE!

鈍感さとは別なんだONE!

たしかハスミセンセも「鈍感」ってコトバは使ってないと思うんだONE!

失敬したんだONE!

どうぞお続けになってくださいなんだONE!
839吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 21:51:44
>>834さん早く解説は?
840吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 22:19:20
凡庸さが敏感さを伴っているってどういうこと?>838
841吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 22:26:17
>違う人だったらそもそもレス必要ない。
って書いてるのにしゃしゃり出てくるとは、よっぽど暇人なんだな。
842文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o :2005/05/27(金) 22:32:12

>>840
『凡庸な芸術家の肖像』を読んでみるんだONE!

もっとも拙者はそれ読んだことないんだONE!

ナハハ、なんだONE!
843吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:01:24
Cは読んでいなければ出来ない引用を、
しかも東、蓮実、柄谷の三者からしてるわけで・・
でもこの流れじゃ無理だろうな、
無視するしか手がないもんな
844吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:08:23
馬鹿だから教えて、みたいな逃げもそろそろみっともないな。
そうやって戦う前から守ってしまうことをこそ
Cは文学ごっこと呼んでいるわけだろうし
批評は対象を選ばないものだ、
つまり自分に批評の刃が向くこともある
それに向き合えないのならばCの言葉は真実を突いていると言える
・・・かも
845吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:10:13
C擁護ばかりしているとまたお決まりの「自演祭り」がはじまるだろうから
一言つけくわえておくならば
「生きられる批評」「生きられない批評」という地平は
柄谷ではなく小林秀雄の発明ではなかったか?
846吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:15:03
ここはコテハンスレじゃないので、コテハン話がしたけりゃ
他所でどうぞ。

あと、議論に参加したいなら、ただ引用したものを
(まあ、引用した文章が正確なもので、実在すればの話だけど)
適当に書き散らすだけじゃなくて、会話を成立させなさいよ。
ただ書いたって何の意味もないよ。
847吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:34:19
これだからなあ・・
846君、君はまずこのスレの1を見返してみることだ。
いいかい、このスレは蓮実の思想についてQAするスレではない。
むしろ蓮実や柄谷にアンチな立場を謳っているスレだ。
その点で何がスレ違いなのかを考え直したらどうか。
実際、蓮実スレも柄谷スレも単独であるはずだ。

更に言えば、Cが引用した「東浩紀」は
東と笠井の対談の中に、
「蓮実」はまさに上で語られている書物の中に
「柄谷」はおそらく「批評とポスト・モダン」の中に
それぞれ「実在」します。

これらをタームごとにネットから拾うことは可能かもしれないが
それらを意味内容のある文章の中に組み込むことは
「読んでいない」人間には不可能なことです。
そのような批判はことCに関してよく見るが、それこそ無意味です。

では、アンチ蓮実・柄谷スレであるこのスレにおいて
「無視されるべき」発言とそうではない発言との差異はなんだろう。
848吾輩は名無しである:2005/05/27(金) 23:41:06
ただし繰り返しになるけど、
「生きられる批評」「生きられない批評」は小林の発明だったと思う。
そこはCの勘違いではなかろうか。
849吾輩は名無しである:2005/05/28(土) 00:17:39
と名無しコテハンが申しておりますw
850C ◆7sqafLs07s :2005/05/29(日) 18:19:11
>>845

「生きられる批評」に関してはそうかもしれないけど、
「生きられない批評」みたいな無茶苦茶な言い分をはじめたのは
柄谷(というよりそのフォロアー)じゃないかな。

第一「発明」というのは僕の言い方ではありません。

>>847

無駄だよ、そういうのは。
ここの人たちって自分だけは絶対正しいと思い込んでいる、
哲学にしろ文学にしろ
ごっこ遊びしか出来ない可哀想な人達だから。
いわば想像力の足らない機械的な、
つまり貴方風に言えば「QA」マシーンだから。
851吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 18:37:43
Cの上手いところは、人称の複数形だよな
「おまえたち」「きみたち」「ここの人たち」……。
だからオレみたいに「釣られる」人が出続けるw

>>787の方の「うんこ」のところも「うんこ」を定義してすぐ「うんこ臭い彼ら」と複数にするし、
>>797「君たちの側」、>>813「君たちうんこ」とか
>>850の「ここの人たち」とかね

自分以外をすぐさま複数にして自分の言説の独自性みたいのを、
それなりに確保するのが上手い
852C ◆7sqafLs07s :2005/05/29(日) 18:43:50
>>851

そのへんはヒトラーから学びました。
853吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 19:03:44
雑談しかできんウンココテは不要。雑談スレでやれ。
854C ◆7sqafLs07s :2005/05/29(日) 19:07:34
>>853

蓮實や柄谷の言葉を引用しても「実在するかどうかわからないし調べようもない」人たちを相手に
どんな議論が可能なんだろうか?

もしくは各タームに関してそこまで厳密を求めないとするならば「読んでもいないくせに」のような
小学生的反論に対してどのように対処すればよいのだろうか。

更に、雑談しかできない名無しであるおまえはまず真っ先に去るべきではないのか?
855吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 21:42:32
雑談ならこっちで。Cさんの恥ずかしいホームページ
http://gekokujo.jp/~zanshi/cgi-bin/ura/cbbs.cgi
856444:2005/05/29(日) 23:03:15
>>824
 >ハスミはドウルーズをぱくったってことかいな。
まあそういうこと(蓮實自身は「引用/翻案」と言うかもしれないが)。
というか、そういうことは蓮實自身隠してるわけじゃなく、
『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』を読めば明らかであって
さらにいえば、蓮實に深い関心のある人だったら
最低ドゥルーズ『差異と反復』は読むべきだと思う。
ちなみに当方は蓮實よりドゥルーズのほうを好むけどね。
857444:2005/05/29(日) 23:03:46
>>826
 >「鈍感さ」は「凡庸さ」とは全然違い「愚鈍さ」に近い
 >ニュアンスでもあるが、それとも違う、第三の定義
まあそもそも>>779で「鈍感さ」という言葉を書いたのは
>>778
 >愚鈍とか鈍感とかは使うね・・・
 >野暮はどうかなあ
という表現があったからであって、
その「愚鈍」と「鈍感」を引き離すために、
またドゥルーズというコンテクストを出すために
>>779を書いたまでであって、
話のコアは『差異と反復』で「愚劣」と訳されてる「Betiseベティーズ」を
蓮實は「愚鈍さ」として使用してることを言いたかったんだけどね。
858吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 00:28:20
蓮実やドゥルーズに詳しいCさんは444さんに絡んでください。
え?ハッタリだけで実は読んでないから無理?そうですかそれはすいません。
859吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 00:34:14
>>857
ええと
>>愚鈍とか鈍感とかは使うね・・・
>>野暮はどうかなあ
>という表現があったからであって、

>愚鈍とか鈍感とかは使うね・・・
>野暮はどうかなあ
と書いてあるからといって、それらの意味を混同している
とは限らないでしょう。単に単語を並列してあるだけだよ。

まあ、それを考慮に入れなかったとしても
>少しニュアンスの違いはあるかもしれないけど、
>「鈍感さ」というか「凡庸さ」、
この説明は、ちょっと不適切ではないかと思うことは事実だな。
特に<>「鈍感さ」というか「凡庸さ」>
と、ひとくくりにしてしまっているところは問題だと思う。
860吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 03:00:09
鈍感なのは愚鈍な奴のほうなんじゃないの?

蓮實本人の言葉じゃないけど、『批評空間』の座談会で
西部に「なんで書かないのか?」みたいなことを問われた
浅田彰が、自分は小器用で変に目先が利くがゆえに
「大いなる盲目」を持てず、クレイジーに書くことに没頭
できないんですよ(大意)と答えてた。

これって、鋭敏ゆえの凡庸さを自虐的に認めてるんじゃないかと。

まあ、鈍感にしても敏感にしても、何に関してそうなのかって
ことによるけど。
861吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 09:51:45
「鋭敏」「敏感」よりも
たぶん「聡明」というのがハスミン的にはよく使われる言葉
鈍感さ、というのは蓮実的にそれほど重要な言葉なのかなあ。というか、たぶんそんな厳密に定義されてないと思うんだけど。

凡庸というのは、説話論的磁場にどっぷりはまってる状態でないの
今、どんな言葉を言えば受けるのかとか、どんな物語を語ることを時代の
言説から要求されているかとかを敏感に察知して、その通りにやってしまう。
これは馬鹿ではできないでしょう。
ただ、この聡明さというのは、自分が物語に囚われていることに気づかない鈍感さと同じことでもありますね。
一方で物語が語ることを要求していることに気づかなかったり、気づいても平然と無視しちゃうようなのも、鈍感さとしか言いようがないですね。
862吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 12:41:19
馬鹿=鈍感ってことでいいんじゃないかと思うんだけど。
863吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 13:03:14
聡明=かならずしも知性を欠いているわけではない馬鹿
864C ◆7sqafLs07s :2005/05/30(月) 15:50:23
>>858

一人ボケ一人突っ込みっていうのは大概恥ずかしいものだけど、
恥ずかしい顔の人がやると逆に笑えることもある。

そういう意味で残念だ。君の顔がここに登場すれば完璧だったのに。
865C ◆7sqafLs07s :2005/05/30(月) 15:52:09
で、上で名無しさんも書いていたけど、ここは蓮實スレじゃないわけで、
「蓮實や柄谷と日本文学との関係における諸問題」を特に否定的な観点から考察するスレなんだから
444みたいなのは蓮實スレでやればいいんじゃないの。
866C ◆7sqafLs07s :2005/05/30(月) 16:05:29
444みたいなのがスレ違いだという指摘は正しいからこそ反論できないわけで、
その時点でこのスレの存在意義はもうあやふやなものになっている。

さて444さんがどんな修正をするのか楽しみですな。
867吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 19:02:11
>正しいからこそ反論できないわけで

それが真だとすれば無視するしかないな444氏は
868吾輩は名無しである
雑談コテイラネ