【さようなら】大江健三郎☆最終部【私の本よ!】

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279その1
渡辺一夫経由でラブレーにおけるグロテスク・リアリズム(←バフチン)のイメージを基調としつつも、
初期は、渡辺一夫経由でサルトルにおける実存主義的意匠を吸収して作品を執筆。
中期以降は、山口昌男経由でレヴィ=ストロースにおける構造主義的意匠を吸収して作品を執筆(文化人類学、「中心と周縁」など)。
要するに、大江は、実存主義→構造主義というフランス現代思想の浅薄なブームに便乗して作品を執筆してきたにすぎない。
戦後は60年代頃まで、サルトルが当時の日本の知識人のアイドルだった。
大江や野間宏や加藤周一など、サルトルをもてはやした。
サルトルはマルクス主義者だったから、ソ連や中国の体制を賛美していた。
サルトルに追従していた大江も、当然、中国や北朝鮮を賛美していた。
共産党や労働党の独裁体制の実態を知りもせずに、だ。
中国も北朝鮮も、一党独裁体制だから、野党が存在しないし、当然、議会制民主主義も存在しない。
にもかかわらず、大江は、「民主主義者」を自認してきた。
このことは、大江が、民主主義というものを根本的に理解していなかったということの証左だろう。
本当の民主主義者ならば、独裁国家を賛美するはずがない。
政治オンチのくせに、サルトルのブームに乗せられていたにすぎない。
所が、レヴィ=ストロースの登場以降、サルトルは時代遅れとされてしまった。
ようやくその事に気付いた大江は、70年代に入り、実存主義から構造主義へと、乗り換える。
その「乗り換え」=転向の態度は、あまりにも、あからさまで醜悪なものだ。
作品における、その転向後の悪しき代表例が、『同時代ゲーム』だ。
280その2:2005/05/28(土) 03:57:08
周知の通り、70年代以降、大江は、徐々に読者を失っていく。
60年代までは、大江は、ベストセラー作家だったが、サルトルの退潮とともに、大江も退潮していく。
実際、サルトルのブームの時期と、大江のブームの時期は、ほぼ重なっている。
結局、大江は、サルトルのエピゴーネンにすぎなかったということだろう。
フランス現代思想では、フーコーやデリダやドゥルーズの登場により、日本では浅田彰の登場により、
サルトルの退潮は決定的なものとなる。
いわゆる構造主義→ポスト構造主義というブームの変遷だ。
70年代以降、大江は、ピアジェ、フォークナー、ブレイク、ダンテ、などの意匠を吸収・引用ながら作品を執筆する。
中国や北朝鮮を、過去に賛美していたことは、当時のエッセイなどを読めば明らかだけれども、
今現在、大江が、どう考えているのかは知らない。
今も肯定しているのか、今は否定しているのか。
思想の自由は認められてしかるべきだから、大江がどう考えるかは全くの自由だ。
政治的発言の内容を批判するのも自由だが、発言する権利そのものは奪われてはならない。
今の大江が、独裁体制を否定しているのならば、誤解を解くためにも、何らかの形で弁明した方がいいだろう。
そうしないと、必要以上の批判を浴び続けることになるし、言論人として不誠実だと言われても仕方がない。
とは言え、俺は、少なくとも初期の大江の文学作品には、サルトルやガスカールの影響を度外視しても、
評価できるものがあると思う。
特に、『芽むしり仔撃ち』や『万延元年のフットボール』は戦後文学の傑作だと思う。
大江の政治的発言には同意できないことも多いが、
大江の人間性とかは、どうでもいいし、特に嫌悪感もない。
偏執狂的なアンチのコピペもどうでもいい。