【蓮實>>】糸圭秀実 4【<<柄谷】

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265吾輩は名無しである
スガ論と大杉論については以下に同意した覚えがあるですよ。

だが両者の観点は「逆」というより論理的に位相が異なっ
ていると言うべきである。糸圭の論考が圧巻だとしたら、
それは前半「思ひ出すことなど」の精緻な読解を通して
「修善寺の大患」と「大逆事件」の関連を明らかにした点
もさることながら、後半それを『彼岸過迄』『道草』の読解
へと接続していった点にある。そのことによって糸圭の射
程は、「明治期の『死すべき者』たる『王』」のみならず「大
正期の不死の身体をもった『王』」へのプロセス全体(=
『王の二つの身体』カントロヴィッチ)に及んでいるのだ。
一方漱石自身を「天皇」と見たてる大杉論においてはこの
「プロセス」を、言いかえれば「天皇」ではなく「天皇制」を
とらえることはついに不可能である。
(「「無名」としての「非匿名」」中島一夫)

うーんこれは大杉スレでやるべきかもね。横道スマソ