【夷狄を】J・M・クッツェー【待ちながら】

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1吾輩は名無しである
J.M.クッツェー(1940-)。
南アフリカのケープタウンに生まれる。
『夷狄を待ちながら』(1980)で国際的な注目を浴び、
『マイケル K』(1983)と『恥辱』(1999)で、ブッカー賞を二度も受賞した。

2003年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由↓
「さまざまな手法をつかって外部の者が巻き込まれていく様を
 驚くべき物語として描いている。」
2:04/12/31 08:56:01
<著作>
Dusklands/ダスクランド(1974)
In the Heart of the Country/石の女(1977)
Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら(1980)
Life and Times of Michael K /マイケル K(1983):ブッカー賞受賞
Foe /敵、あるいはフォー(1986)
White Writing(1988):エッセイ
Age of Iron (1990)
Doubling the Point(1992):エッセイ、インタビュー
The Master of Petersburg/ペテルブルグの文豪(1994)
Giving Offense (1996):検閲に関するエッセイ
Boyhood /少年時代(1997)
What is Realism?(1997)
Disgrace/恥辱(1999):ブッカー賞受賞
The Lives of Animals / 動物のいのち.(1999)
The Humanities in Africa (2001)
Stranger Shores(2001)Essays, 1986-1999. (2001):エッセイ
Youth. (2002)
Elizabeth Costello : Eight Lessons. (2003)
3:04/12/31 08:57:59
ちなみに、ブッカー賞を二度も受賞したのは
クッツェーが初めて。1である私は、実はあまり詳しくない。
今、『夷狄を待ちながら』を読んでいる。

来たれ、クッツェーマニア!
4吾輩は名無しである:04/12/31 09:25:38
じゃあ「ペテルブルグの文豪」読んでみるよ
たしかうちにあった
5吾輩は名無しである:04/12/31 10:32:47
おお、乙です。>>1
大江スレではどうも。
今、自分はstranger shores読んでます。
このスレがまったり続きますように・・・
6民政官:04/12/31 16:09:22
前スレはノーベル賞を受賞した年にもかかわらず、
倉庫に逝ったらしいので、みんなの協力が必要です。

>>4
途中経過でもいいので、暇だったらレスお願いします!
ちなみに、ドストなど、他の作家に絡んだネタも大歓迎。

>>5
大江スレでもどうも!
すっかりあなたに感化されてしまった>>1(以後「民政官」)です。
できたら、コテハンをつけてもらえますか?
ジョル大佐でもいいですよw

年末年始は休みなので、
『夷狄を待ちながら』を読了したいです。
7我輩は名無しである:04/12/31 17:06:06
僕は昨年いてきを待ちながらを読んでいい気分を味わいましたね。
あれはとても素敵な作品だと思いました。
他のはなんか手が出なかったな。
誰か勧めてくれれば読みますが。
8民政官:04/12/31 20:10:11
>>7
私は最初、クッツェーマニアさんに『恥辱』を勧められました。
(文庫が出てるので、『夷狄を待ちながら』を先に読んでいますが・・・。)
9クッツェ好き:05/01/01 14:26:02
>>7
薦めてみます。「恥辱」は主人公の大学教授がセクハラで職を追われます。不倫の場面等やたら淡々とした描写で反省の色すら見せません。
平然と辞職して、別れた妻との娘が奥地で自然と暮らしている村に身を寄せます。
楽しそうにしてるんですが突然「夷狄」に出てくるような凄惨な暴力を娘ともども被ります。
問題はその後で、娘は被害を訴えることを拒みます。それどころか加害者の叔父と結婚すら考えています。
加害者もその辺歩いています。この辺から主人公の混乱と共に描写も崩れはじめて・・・
落差がかなり好きです。
10クッツェ好き:05/01/01 14:35:45
>>4
知っているかも知れませんが今やかなり貴重です。
僕も古本屋で見つけて歓喜して以来見たことないです。個人的には非常に好きな作品です。
>>民政官
自分が薦めて興味持って頂けたとはすごく嬉しいです。マニアはちょっとおこがましいかと格下げw
実は去年、オランダの忘れられた詩人の翻訳とか出してたみたいです。
11民政官:05/01/01 16:06:14
>>クッツェー好き

お、サンクス!
『夷狄』まだ読んでないけど、自分も次は
やっぱ『恥辱』だなあと思ってみたり。

今日は、あたらしいリンクを貼り付けてみます。

クッツェーの「ノーベル賞受賞講演」(英語)
ttp://nobelprize.org/literature/laureates/2003/coetzee-lecture-e.html

↑これを翻訳したいのだが、英語力に自信がないので、
 誰か一緒にやりませんか?
12民政官:05/01/02 22:07:29
リアクションがないのでw
勝手に訳していくことにする。
間違っていたら突っ込むように。
乞うご期待!(ってだれも期待なんてしてねえかw)

それより、休みが終わるのに、読み終わらなかったよ、いてき・・・・。
13吾輩は名無しである:05/01/03 02:23:53
イテキを待ちながら
ってクッツェー作品ではどんな位置付けなの?
14吾輩は名無しである:05/01/03 03:17:02
ごどーをまちながら
15吾輩は名無しである:05/01/03 11:53:16
>>13
代表作ではあるんじゃない?読みづらいけど。ってか読みやすい作品無いけど。
16吾輩は名無しである:05/01/04 03:17:43
おお、結構ファンがいるんだな。
>>15
俺は今まで英語でイテキ、恥辱、youth、マイケルKをよんだのだけれど、原文は結構読みやすいぞ。イテキはやや読みにくかったけど。

暫定的に恥辱("disgrace")がベスト。
17吾輩は名無しである:05/01/04 21:38:42
>>16
確かにクッツェの文章は現在形を多用していて読みやすい。
僕も『恥辱』がベスト。ただ、メタフィクション系も捨てがたい。
描写自体に入り組んだ仕掛けのある『石の女』、
描写自体はまっとうなのに作品外テキストの関係考えると凄まじい仕掛けのある『ペテルブルクの文豪』、
『敵或いはフォー』。
接点が無さそうでその実細部で響き合う二つのテキストを並べた『ダスクランド』。
そして虚構の作家エリザベスコステロ・・・
18吾輩は名無しである:05/01/05 21:41:26
私は、エリザベス・コステロは大変面白いと思った。
ただ、カフカに比べると、小説家としての才能はやや劣るのかもしれない。
19吾輩は名無しである:05/01/05 21:56:20
実は私はクッツェーファンなのでこういうスレが出来たのは嬉しいよ。

クッツェーは正直言って、小説家としては堅すぎて、安部公房やカフカには勝てない
かなあとは思うんだけれども、我々の時代の抱える問題を提示してくれる作家なんだと
思う。(ちなみに、安部公房も『死に急ぐ鯨たち』で、ロンビンソン・クルーソー問題
について触れている)。

ちなみに私が読んだのは、英語では『エリザベスコステロ』『動物のいのち』『青年期』
『白人の書き物』「ノーベル賞講演」あと、評論の一部(ネットでも一部読めるよ!)
日本語では、『恥辱』『動物のいのち』『ダスクランド』『マイケル・K』『敵あるいはフォー』
『子供時代』『夷狄を待ちながら』
20吾輩は名無しである:05/01/05 22:02:08
>>19
ネットで読めるの、教えて教えて!
21吾輩は名無しである:05/01/05 22:12:17
>>20最近では、The New York Review of Books: What Philip Knew
なんてのがある。このフィリップロスのWhite Stein(映画化された作品)
というのは、クッツェーの恥辱とかなり似た設定ですよね。もっとも
それを論じたのではない。(National public radio かなにかで、
ロスのこの作品についてのインタビューを聞いたよ)。

なおナイポールの書評や、ゴーディマの書評が
印象的だった。それから、ノーベル賞講演は読みましたか。南ア系のHP
と、ノーベル賞のHPで読んだよ。ロビンソンのパロディーだった。
22クッツェ好き:05/01/05 23:52:20
少しずつ好きな人が集まっているようで嬉しい限り。
>>19
彼はWorld's classicのロビンソンクルーソーの巻の序文を書いていたりもしますね。
デフォーは第二部、第三部では序文でこの主人公は虚構ではないと書いている。
それはなぜか?という問から書かれていてなかなか面白い。
ついつられて、ロビンソンクルーソーの第二部読んでしまったw
エリザベスコステロは、最後の短篇で彼女が「何を信じるのか=何故書くのか」を要求されて最後に出す「答え」が痛快極まりないと思ったよ。
あれは小説にしか出来ない。

23民政官:05/01/06 00:06:50
>>19
少なくとも公房よりは上だと思うのはおれだけか?
カフカと比べちゃ可哀想。
24クッツェ好き:05/01/06 00:19:23
>>21
ゴーディマの書評ってツルゲーネフと並べて論じているのとは別ですか?
25吾輩は名無しである:05/01/06 00:25:05
でも、みんな、どうしてクッツェーをよむの?
ぼくは、途上国だとか植民地だとかの問題に関わった経緯があるので、
南ア白人の文学というのに興味を覚えたのです。

ところで、クッツェーのレスが短期の間に集中していてうれしいな。
でも、かなりマイナーな人同士なんでしょうね。どっかであってもオカシク
ないような...。
26クッツェ好き:05/01/06 00:25:17
>>23
おお久しぶり。
クッツェの受賞講演読んだ?
上で別の人書いてるけど講演素直にしてくれない人なんで大変だと思うけどw
ちなみに、動物の命も大学の記念講演で読み上げた小説が元になってる。
27吾輩は名無しである:05/01/06 00:38:45
ところで、私は山形造生のクッツェーに対する文章には腹が立っている。
クッツェーを小馬鹿にして、私たちはもっとよい方法を知っているとか書いていた。
なんで黒人が怖いと正直に書けないんだよとか、小説の意義がわかっていないとかね
そうそう『夷狄』の書評だよ。

はっきり言って、山形のような小賢しい輩が偉そうなことをぬかすなよと思うよ。
山形が21世紀になって書いた書評は、エリザベスコステロを読めば、すべてダメダメの
的外れだと分かるんだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで、Landscape With Rowers: Poetry from the Netherlands (Facing Pages)
読んだ人いますか? 私は、当分読む気力きはありません。誰か紹介してほしい。

28吾輩は名無しである:05/01/06 00:47:06
>>24 ツルゲーネフとならべているのは、本になっているやつでしょ。
Stranger Shores かなにかの。それ以外にも、NYtimesで書評があって、
ネットで読めた。イスラムの人と結婚する話だったような、
原理主義の時代に面白げな小説だったような。。。記憶はおぼろげで、すみません。
29クッツェ好き:05/01/06 00:48:32
>>25
僕は多分かなり遠いです・・・
周りに本読むやつなんて数えるほどだし・・・
クッツェという単語が通じるだけで嬉しい・・・


ノーベル賞取るまでは気にかけたこともなかったミーハーです。「恥辱」がツボにはまったから、ですかね〜
完全に25さんと逆で、クッツェ読んでからポスト植民地とかに興味持つようになりました。
お仕事どんな事されてたんですか?
>>27
朝日の書評でしょ?勘に触るよね〜
他の小説読めば彼の引用する「第二種芸術」の問題なんぞ受け入れた上でクッツェが書いているんだって分かるとおもうが。
3025:05/01/06 01:05:12
>>29 なんか、クッツェーがこんなに通じるなんて嬉しいです。
実は私は近年まで小説なんて読まなかった。昔、クンデーラを一冊読んだ
くらい。映画に感動したもんですから。

私自身のリアリティとしては、むしろ、ナイポールに近いんだが、
これは、ちょっとやばいなあという感じ。もっとも私はアフリカは
知りません。東南アジアのほうです。NGOだとか、odaとか、農村開発とか
(なんだか山形と近いような。。。)

ポストコロニアルは勉強しています。サイードも文芸批評家としては
よいと思う。でも、政治批評家としては、あまり買わない。チョムスキー
みたいのがすっきりしてよいし(といっってチョムスキー好きというわけ
ではない)。サイードに戻ると、文学というのは、アルキメデスの支点から
文章を書くわけにはいかないのだというのがあって、だから、帝国主義の
作家は批判しつつ、褒めるしかないだろうという議論がある。そういう意味じゃ、
南アで文学をやるなんて、立派です。クッツェー嫌い、南ア黒人文学なんてのは、
ちょっと違うなと思う。

あ、それから黒人コワイという話はYOUTHにちゃんと書いているね。
31吾輩は名無しである:05/01/06 01:05:50
>>28
ありがとうございます!
やっぱり別物ですよね。是非探して読んでみます。
32民政官:05/01/06 01:08:41
閑古鳥を覚悟して立てたスレだけど、
少しずつ人が増えているみたいで凄く嬉しい。
クッツェー好きの自作自演じゃないよねw

受賞講演まだ読んでないよ。
ていうか、みんな英語の原書をそんな簡単に読むなよ。鬱だ。

ちなみに、自分がクッツェーに興味を持ったのは
大江が最新作でクッツェーの影響がモロだと聞いたことと、
ポスコロ関連(サイードとか)の思想に前から興味あったから。

忙しくて、いてき読めん。連休が頼みだよ。
それと、『ペテルブルクの文豪』をネットの古本屋で手に入れました。
33民政官:05/01/06 01:12:59
>>30
クンデラの『存在の耐えられない軽さ』は
映画の出来もいいよね。

でも、エッセイも面白い。
『裏切られた遺言』はお奨めです。
34クッツェ好き:05/01/06 01:15:14
なんで書き込む度にかぶるんだろう(;_;)
サイード、ナイポール、チョムスキーそれほど読んではいませんが僕も好きです。
チョムスキーは生成文法の理論家としての方が全然好きですがw
3525:05/01/06 01:32:38
ああ! 酒を買いに行って帰ったら、また増えている!
クッツェーと違って酒を飲む私です。

ところで、安部公房の闖入者だとか人間そっくりというのは、
ある意味でクッツェーの恥辱と似た位相の作品だと思うんですよね。
中学か高校の時には安部公房に満州のことなんて何にも考えなかったけれど、
ポストコロニアル文学という補助線をひくと、
安部とクッツェーは、近いと思う。

>>31
NY review of books
Volume 50, Number 16 · October 23, 2003
Review
Awakening
By J. M. Coetzee

でした。
3625:05/01/06 15:24:20
>> 34 私は、笙野頼子も好きですが。。。ベン・オクリもすごく良いです。
 クッツェーのコステロにもでています。
 Spivakのpostcolonial reasonクッツェーのところだとかジーン・リースのところは良く読みました。

>>33 民政官さん、『裏切られた遺言』も読んでみたいです。
あと、大江はどこでクッツェーについて言及しているのでしょうか?
まあ、あの人は、サイードもスレーリもラシュディもなんでも言及しているので
驚きませが。でも、気になります。
37クッツェ好き:05/01/06 17:13:49
>>36
ベン・オクリの名前が出るとは・・・
僕もコステロでオクリの名前に興奮した口です。
「見えざる神々の島 」しか知らないんですが、かなり思い入れがあります。

ガヤトリ・スピヴァクのクッツェ評もとても興味があります。
読んでみたいんですがやっぱ原書のみでしょうか?

大江は言及はしていません。
多分、僕がクッツェを読んでいるのかなぁと書き込んだのが原因です。

38土曜日:05/01/06 17:41:17
また書くことも多いでしょうから、25はやめて土曜日にします。

>>37 「見えざる神々」すごかったですね。ただ世間的には、
 「満たされぬ道」のほうが良かったようです。
こちらは、ちょっと長くてしんどかったけど、大事な作品でしょう。
私は貧困問題とかに関心あるので、貧困をどう文学にするのか、面白い
一例だと思ったのです。こんなのを文学というか芸術にできるのは、他には
ブニュエル監督の「見捨てられた人々」「ナザリン」くらいなものでしょう、
ちょっと大げさすぎましたか?
(ぼくは、ブニュエルファンですが、このスレを読む人も、ぜったに好き
だと思う)。 

postcolonial reasonは翻訳でもありますよ。でも、英語のほうが
分かり易いと思う。それに邦訳本は高いし。
39クッツェ好き:05/01/06 17:52:54
>土曜日
安部公房、そうかと思って「人間そっくり」読み返してみました。
火星人を名乗る男達との徹底的に噛み合わない会話などは、
恥辱の後半の娘とのやり取りを思わせるところは感じましたが、
しかし、あれを満州という補助線を引いて読み込むとどうなってくるかは
まだつかめていません。何にせよ楽しみが増えましたw
むしろ僕は「終わりし道の標に」の方がそのような読解しやすかったです。

土曜日さんの読解も安部も理解できていないだろうこと承知の上で暴論かいてみると、
安部の「満州」は失われてしまいますよね。しかし、クッツェは南アフリカに戻るわけです。
クッツェには、(というか恥辱などの作品には)植民地と否応なく接している印象が僕には強いのです。
「人間そっくり」にしても、現われるのは見知らぬ男であり、異常が外から中に侵入してくる
印象があります。「終わりし道の標に」では逆に主人公が異物として中国へ侵入しますが、
どちらにしても能動と受動がはっきりしている。(それが箱男のように転倒され撹乱されるとはいえ)
しかしクッツェにおいてはどうしても被植民者を切り離すことのできないものとして束縛している、
奇妙な糊のような力(自分と同質であるはずの娘など)が重要なのではないかと思えます。
主人公も暴漢たちも闖入することはなくただ同じ場所に重なる、というか最初からいる、というか・・・
「ペテルブルグ」でもネチャーエフにとっては同士の家、ドストエフスキーにとっては息子の家で、
どちらにとっても異界ではなくて、ただそれが重なることによって事件が生まれる・・・

・・・グダグダですね。慣れない事はするものでないやw
もしよかったらいつでもいいんで安部公房についても語ってくれると嬉しいです。
40吾輩は名無しである:05/01/06 18:06:02
恥辱はブックオフで100円で買ったけど
まだ読んでないので
もう少し待ってくれ
41クッツェ好き:05/01/06 18:15:58
>>38
見たされぬ道はブックオフで「神々の島」偶々見つけてからしばらくして読んで、
歓喜してから探してるけど見たことないんです。
スピヴァクはクンデラと一緒で「いつか絶対読みたい作家」。(つまりあんまり読んでない)
サヴァルタンの問題とか非常に興味あるんですけど。。。

あと>>27で、
Landscape With Rowers: Poetry from the Netherlands (Facing Pages) ですが、
14日に届く予定なんでまぁしばらく待ってもらえれば・・・
42土曜日:05/01/06 18:17:22
> 「人間そっくり」にしても、現われるのは見知らぬ男であり、異常が外から中
> に侵入してくる 印象があります

ぼくの解釈では、安部公房のような植民地人の抱える不安は、本当は自分たち
が侵入者だというところに由来する。ところがそういうときに、外部のものを
宇宙人だとかドラキュラ伯爵といったエイリアンとして表象させてしまう。学
者の解釈を借りると、モルグ街の殺人事件のオラウータンとは、実は南部アメ
リカ貴族ポーにとっての黒人である。あるいは、「寄生虫」のようなマンガも
、そういうエイリアン恐怖だと解釈できる。「人間そっくり」も、そういう類
なのではないのか。彼の満州体験なのではないのか。

とすると、クッツェーの「夷狄(野蛮人)」や「恥辱」にでてくる非西欧人
の来襲の恐怖も、構図として同じなのではないのか。バイロンを読みながら
、黒人の若い女の子にセクハラしちゃうなんて、典型的な西欧文明なんだか
ら。続く
43吾輩は名無しである:05/01/06 21:09:14
やっぱクッツェーはポスコロの文脈で語られることが多いんだな。
44吾輩は名無しである:05/01/06 22:34:43
俺もそれで閉口してた・・
45土曜日:05/01/06 23:07:36
>>43, 44 クッツェーはいろいろな読み方ができるかといえば、
 たぶんある種の作品は可能だと思う。「ダスクランド」「夷狄」とかは、
ちょっと無理だと思うが、「コステロ」(「動物のいのち」を含む)だとかだ。
あるいは、ベケット等と比較されて論じられうるのだろう。(私は、ベケット
読んだこと無いので、もちろんできないが)。東大の大学院の授業でも、そういう
読み方がされているらしい。 

だが、南アフリカの作家を読むとなると、ゴーディマ
だろうとクッツェーだろうと植民地問題から切り離すことは、少々無理があるだろう。
また、カフカに比べると、小説家としての天性の才能が落ちるというのが私の説で、
本当の多様な読み方が可能ではない。(安部と比べてもストーリー的な面白いさは、
落ちると思う)。彼は、やはりお勉強したうえで小説にしました、あとはみなで考えてくれ
みたいな感じになってしまう。
46:05/01/06 23:42:50
おおっ、大江スレからの流れでクッツェースレ伸びてるね。
しかしまだ1冊しか読んだことがないのでたいしたことは書けず。
で、ベケットと比較してる論があるの?
当方はベケット作品の大半は読んでるから興味有。
47土曜日:05/01/07 00:22:54
小説としての作品として考えると、私は『エリザベス・コステロ』と『恥辱』が
良いと思う。サイードやイーグルトンのような議論を読んでも、決して、このよ
うな小説を読んで得られるような宙ぶらりん感覚を得ることはできない。そうい
う世界に私たちを巻き込ませてくれる点で、この二冊が好き

(そういえば、安部公房の本の解説に、大江が宙ぶらりんみたいなことを書い
ていたような記憶がある)
48民政官:05/01/07 00:25:01
おいおい、良スレになってるじゃないの!
2ちゃんもまだ捨てたもんじゃないと思った。
打倒、電車男。「クッツェースレ」の文庫化を待ちながらw

外部との噛み合わないコミュニケーションということでいけば、
自分は筒井の『最悪の接触』という短編を思い出したなあ。
・・・あ、なんかスレのレベル下げてる?

仕切りなおし。
クンデラは、『小説の精神』&『裏切られた遺言』是非、読んでみて!
彼は「小説にしか思考できないこと」を考え続けている人だから。
クッツェーの本を読んでても、そういう「小説の精神」を感じるよ。

気が早いけど、1000まで逝ったら、おふ会でもするか。
このスレの人たち、面白そうだしw
49民政官:05/01/07 00:30:20
>>46
>当方はベケット作品の大半は読んでるから興味有。

うひゃ〜! 何者ですか?
やっぱ、オフ会やめるか。
怖いからw
50土曜日:05/01/07 00:57:58
アマゾンかなにかのクッツェーの書評でちょっとケシカランと思ったのがひと
つあって、女性の手による者なんだが、男性のスケベな眼差しが描かれている
から嫌いと書いていたんだよ。こんなこと言われたら、小説家の立つ瀬がない
無いじゃないか。

帝国側の紳士というのが弱者の女性に関わるときは、いつもスケベな気持ちが
あるんだよね。それはダスクランドでも、夷狄の初老の男性でも、恥辱でも、
みんなそう。男と女の、帝国側と被支配者との対等な関係を築こうなんてこと
は口では言えても、現実には無理なんだから、やっぱりレープとか、お金払っ
たり、セクハラしたり、妾にするするのが普通でしょ。良くも悪くもそれを否
定したら、被支配者の弱者の女性を描けなくてなってしまう。ちなみに『恥辱
』で最初に出てくる売春婦は、インド人だよね、ついで教授は、黒人の女学生
に手を出す。日本でもよく言う「異文化交流」と言うやつだよね。そんなこと
は、芥川の「南京の基督」も同じ。いや、「蝶々夫人」も、そうではないか。

大事なのは、そういうセクハラ的強姦的関係のあり方にたいして批判的視線が
働いているかどうかという点にかかっている。「南京の基督」の場合は、帝国
主義の時代だからそんなのはほとんど無いが、映画のほうでは、香港人の映像
派の監督の主導のもとで、富田靖子を中国人役にしてしかも裸まで見せくれち
ゃってくれて、帝国主義的ノスタルジアを批判することに成功した[かもしれ
ない]。(もっとも、アマゾンで調べてみると、そういうことに自覚的な日本
人の映画評がないんだよね。もうすこしポストコロニアル批評でも勉強しろよ
なと思う私)

そういうわけでクッツェーのスケベ男というのは、馬鹿になランのだよ。これ
こそが帝国主義的異文化交流なんだからね。ええと、でも、動物との異文化交
流は、コステロでは出ませんでしたね。(ダスクランドでは牛との異文化交流
あったんでしたっけ?)
51土曜日:05/01/07 01:01:37
>>46
クッツェーの博士論文は、たしかコンピュータをつかったベケットの分析じゃ
無かったかしら。影響とかもあるんでしょ。たぶん。でも私はまったく分から
ない。ぜひ、ベケットを分かる人が調べてちょうだい。
52吾輩は名無しである:05/01/07 01:46:28
>>50
恥辱ではメラニー、ソラヤが何系かは実ははっきり出ていないよ。
名前からの判断?
アイザックってユダヤ系かと思ってた。ソラヤに至っては偽名だし。
あと、「牛との交流」はもしかしたらトニモリスンじゃあなかろうか。
53民政官:05/01/07 01:56:50
>>50
ふむふむ。
アマゾンの批評はぴんきりだからねえ。
そのために投票制になってるんだし。
「参考にならなかった」の方に投票しとこう。

「帝国主義=男性中心主義の産物」という視点が
クッツェーにはあると思う。今読んでる、
『夷狄を待ちながら』の女性の描き方は、女性蔑視ではなく、
そういう風にしか女性と接することが出来ない「男」という
システムをも逆に描いていると思う。
ベケットとの関連で言えば、これって『ゴドーを待ちながら』の
パロディだよね。あ、そんなレベルのことなら誰でも知ってるか?
54民政官:05/01/07 02:02:00
>>50
>アマゾンで調べてみると、そういうことに自覚的な日本
>人の映画評がないんだよね。


日本の映画批評はひどいもんだよ。
蓮実の影響力が未だに衰えないけど、
彼の表層批評は政治的に弱いし。
四方田が、そっち方面(ポスコロ関連)では頑張ってると思うけど、
肝心の美学的な感性が蓮実には及ばない。

でも、この二人はまだいい方。
あとはほとんどが、悪い意味での印象批評だもんね。
55土曜日:05/01/07 02:07:30
>>53 いや、
 全体としては、そんなにヒドイ書評ではないのです。
それなのに何故???という感じ。

>>50 恥辱の女性は、インド系だと思ったんだが、
本を取り出してみると、インド人?マレー人?と私のメモが。
南アのイスラムなので、インド人かマレー人だと判断したのだった
ような記憶
56民政官:05/01/07 02:12:03
>>38
あ、それと遅レスになったけど、
ブニュエルは好きだよ。
土曜日氏は映画が好きみたいだね。
映画の話もばんばんしようや。

土曜日氏はカルロス・フェンテスとか好きになると思うけど。
読んだことある?
57民政官:05/01/07 02:16:19
>>55
なんというか、自分が女性であることに被害者意識「だけ」を
持ってる人っているんだよね。そういう人と飲むと、
酔いが回った頃に「谷崎けしからんっ」と言い出しますw

そういう人には筒井の「傾いた世界」を贈りましょう。
また、筒井の名前が・・・・・。寝ます。
58吾輩は名無しである:05/01/07 04:28:04
2月下旬 
『エリザベス・コステロ』
J・M・クッツェー/鴻巣友季子訳

   世界的作家エリザベス・コステロとはいったい何者か? 文学賞授
   賞式や疎遠な姉とのぎごちない再会を通し、架空の作家の「書くこ
   と」へのあくなき探求を描く、ノーベル文学賞受賞作家の問題作。
http://www.hayakawa-online.co.jp/newsbody.asp?newsid=000749
59土曜日:05/01/07 16:04:54
>土曜日氏はカルロス・フェンテスとか好きになると思うけど。

民政官さん
いや、ありません。メキシコの人ですね。全然知りませんでした。
機会を設けて読みたいな。

あ、ちなみに私の名前はもちろんフライデーからとったのです。
ロビンソン・フライデーのパロディーとして、トゥルニエの少年向けの本がでている
のを知っていますか。大人版もあるようですが、私が読んだのは子供版。
こちらでは、確か木曜日という名前だったような記憶が。だから、私は木金じゃなくて、
土曜日にしたのです。

>>58 驚き! もう出版されるの。
 鴻巣友季子という翻訳者も、ドンドン話題作を訳しています。
かなりハイペースですね。
60:05/01/07 20:12:35
>>49
>何者ですか?
前略 民政官殿
何者でも御座いませんよ。
ただの通りすがりの者で。

クンデラならば当方も読んだこと有。
(『小説の精神』『裏切られた遺言』)
61:05/01/07 20:13:10
>>51
>クッツェーの博士論文は、
>たしかコンピュータをつかったベケットの分析
前略 土曜日殿
むむむ、これはますます興味が!
『エリザベス・コステロ』が出たら是非読みたいな。

トゥルニエの大人版ならば読んだこと有。
(ドゥルーズのトゥルニエ論の影響から)
62吾輩は名無しである:05/01/07 20:23:20
>>61
それは間違い。
ベケットの文体研究だそうな。
コンピュータと言語学について学んだっていうのと
多分混同されているかと。
63土曜日:05/01/08 09:47:13
上野千鶴子は以下のような文章を書いている。

「慰安婦」とのの「交情」をなつかしげに語る元日本兵ににとっての
「現実」と、「慰安婦」経験を恐怖と抑圧として語る被害者の女性に
とっての「現実」とのあいだには、埋めがたい落差がある。関係の当
時者の一方が、他方とこれほど落差のある「経験」を持っているとき
、両者が「一つの経験」を共有しているといえるだろうか。だが、そ
う考えれば、真実をめぐる闘いは、永遠に決着のつかない「神々の闘
争」(ウェーバー)にしかならないのだろうか。(『ナショナリズム
とジェンダー』 「慰安婦問題をめぐって」、143ページ)

興味深いテーマであるのにも関わらず、上野の文章はこのあたりで終わ
っている。おそらく、その理由は上野がJ.M.クッツェーを読んだことが
ないからではないだろうか。潔癖であるが決して弱者と交わることない
、交わろうとはしないエリート・フェミニストとは、この問題について
深く考察することができない。帝国側のエロオヤジの「異文化交流」を
こちらから打破することによって、新しい姿が見えてくるのでないだろ
うか。もちろんわれわれは、「弱者への愛には、いつだって殺意がこめ
られている」(安部公房)
64土曜日:05/01/08 10:27:18
加筆修正
上野千鶴子は以下のような文章を書いている。

「慰安婦」とのの「交情」をなつかしげに語る元日本兵ににとっての「現実」
と、「慰安婦」経験を恐怖と抑圧として語る被害者の女性にとっての「現実」
とのあいだには、埋めがたい落差がある。関係の当時者の一方が、他方とこれ
ほど落差のある「経験」を持っているとき、両者が「一つの経験」を共有して
いるといえるだろうか。だが、そう考えれば、真実をめぐる闘いは、永遠に決
着のつかない「神々の闘争」(ウェーバー)にしかならないのだろうか。
(『ナショナリズムとジェンダー』 「慰安婦問題をめぐって」、143ページ)

興味深いテーマであるのにも関わらず、上野の文章はこのあたりで終わってい
る。おそらく、その理由は上野がJ.M.クッツェーを読んだことがないからでは
ないだろうか。潔癖であるが決して弱者と交わることない、交わろうとはしな
いエリート・フェミニストとは、この問題について深く考察することができな
い。帝国側のエロオヤジの「異文化交流」をこちらから打破することによって
のみ、新しい姿が見えてくるのでないだろうか。もちろんわれわれは、「弱者
への愛には、いつだって殺意がこめられている」(安部公房)と言うことを知っ
ている。また、弱者にたいして黙殺で応答してきたことも知っているのだ。

「あそこに象[=弱者]がいることは、誰もが知っていた。いわば公然の秘密で
したね。しかし、いないも同然だと信じていたからこそ、許せもしたんだ」 
(『公然の秘密』143ページ、新潮文庫)
65土曜日:05/01/08 10:34:31
私の引用した上野千鶴子と安部公房の本が、同じ143ページなっている。私の
勘違いかなと思ったが、そうではない。本当にどちらも143ページなのだ。こ
れは偶然なのだろうが、偶然だとなかなか思えない。必然なのではなかろうか。

ちなみに、ちょっと面白いことも付け加えておきたい。
私はこの文章を、音声認識で書いているのだが、「帝国側」とかこうすると、
「米国側」となってしまうのだ。

もう一つ。私は、在日フィリピン人のリサ・ゴウの文書を読み返しているのだ
が、上野千鶴子と全く同じような文章を書いているので、驚いてしまう。しか
し、これはある意味で必然的である。上野も、リサも、「腐った象」を公然と
無視してきた、エリートのコスモポリタン・フェミニストだからである。

やっぱり、クッツェーと安部公房だね、と思う。
66土曜日:05/01/08 10:35:28
今日は本当に土曜日だ。
67土曜日:05/01/08 10:42:57
>>62 そうなんですか。もっとも私は、文体論と言われても、
残念ながらわかりません。

ネットでと調べてみると、次のような文献がありました。
Cantor, Paul A. "Happy Days in the Veld: Beckett and Coetzee's In the Heart of the Country." South Atlantic Quarterly, Durham, NC. 1994 Winter, 93:1, 83-110

Coetzee, J. M. "Samuel Beckett's Lessness: Eine Aufgabe in Dekomposition." Samuel Beckett. Ed. Hartmut Engelhardt. Frankfort : Suhrkamp, 1984. 235-242
68吾輩は名無しである:05/01/08 15:34:55
ジェンダー論なら瀬地山 角がおすすめ。俺の教養時代の語学の教官。
何故か中国語を教えていた。
69吾輩は名無しである:05/01/08 16:12:21
>>68
俺駒場でセッチーの自主ゼミ受けてたよ。
ゲイ雑誌を大量に買わされた。なんだありゃ。
70吾輩は名無しである:05/01/08 16:14:06
駒場だってさ。だせーーー。
7168:05/01/08 16:19:14
>>69
本人はエロ本の大量コレクション持ってるらしいしな。でも、「東アジアの家父長制」は名著だ。
中国語では不可を食らったが。
72吾輩は名無しである:05/01/08 16:19:53
土曜日って決め付けがひどいな・・

逆にクッツェー出さないと慰安婦問題は語れないと言ってるの?

・・客観的に関係ないべ?
73吾輩は名無しである:05/01/08 16:24:50
とても素朴な疑問なのだが、
戦勝国ないし占領国の男性が敗戦国ないし被占領国の女性をレイプするのと、
慰安婦問題って本質的に差異があるの?
74吾輩は名無しである:05/01/08 16:34:49
ありまくりだろ。
慰安婦はレイプ被害者とは違う。
正しくは、違うかどうか、が問題なのだ、
75吾輩は名無しである:05/01/08 16:42:28
うーん、土曜日はきっと慰安婦は敗戦国・被占領国の女性だけだと
思っている・・間違いない。
76吾輩は名無しである:05/01/08 16:46:07
>>73
差異はあるが本質的かどうかはあなたが決める事。
前者は個人が、後者は国家が行う。
共に被占領側を劣ったものと見なして行われるが、
それが前者に於いては潜在的、後者では権力によって顕在化されている。
この共同体の外の存在を貶める意識が背景にある、という一点のみ取り出せば
重なるだろうが、それは一つの視点でしかない。
77吾輩は名無しである:05/01/08 16:58:49
あれ?ちょっとまてよ?
>戦勝国ないし占領国の男性が敗戦国ないし被占領国の女性をレイプ
『恥辱』は逆じゃなかったかな?
78土曜日:05/01/08 17:02:11
>72
>逆にクッツェー出さないと慰安婦問題は語れないと言ってるの?
>・・客観的に関係ないべ?

大馬鹿である。ここは、クッツェーについて語るスレである。
あるいは、クッツェー的視点について語っているのである。
上野にはクッツェー的視点が必要なのだ。別にコンラッドやサイードでも
良いが。



>75
>土曜日はきっと慰安婦は敗戦国・被占領国の女性だけだと

なんで、こういう議論が出るんだろうね。
そもそも、大日本帝国の時代には、朝鮮人は敵国の女ではない。
日本帝国の第二市民の女である。
だとしたら、南アの白人大学教授が、同国のイスラムの女を買うのと、
同じ構図ではないか。
79土曜日:05/01/08 17:05:05
>>77
>戦勝国ないし占領国の男性が敗戦国ないし被占領国の女性をレイプ
『恥辱』は逆じゃなかったかな?

南アは最後の民族解放の例であるが、解放後も貧富の格差は残った。
したがって大学教授の地位を得ている間は、実はまだまだ安泰です。
恥辱の前半部ね。

ところが大学を追放されると、事情が異なってくる。これが後半部
80吾輩は名無しである:05/01/08 17:09:41
>>78
その乱暴な意見に百歩譲っても中国人慰安婦は?
81吾輩は名無しである:05/01/08 17:12:01
>>76
>それが前者に於いては潜在的、後者では権力によって顕在化されている。

背伸びする前に日本語をきちんと使えるようにしようね。
82吾輩は名無しである:05/01/08 17:14:21
>>79
セクハラ相手は黒人では無いし、イスラム系の女性は移民であって植民地とは関係ない。
少なくともあなたが語ろうとしている占領者、被占領者の物語には。
83土曜日:05/01/08 17:17:44
素朴に言って、なぜレイプと慰安婦との違いを論じたがるのだろうか。
どういう文脈なのだろうか? 私には、慰安婦はレイプじゃないから、
そんなに大問題じゃないよと言いたいのかなと思われる。

こういう輩がクッツェーの『恥辱』を読むと、
レイプの悪人=解放された黒人 vs レイプされた被害者=善良な白人女性、インテリ
という構図で読むことになるのではないか。
(アマゾンの書評で、そういうふうに書いていた人がいた)
はっきり言って、最悪のクッツェー受容が、ここにある。

84吾輩は名無しである:05/01/08 17:18:52
>>81
一方ではそれ(意識)が潜在的である、もう一方ではそれが顕在化している。

書き込んだときにもちと迷ったがまぁ通じるだろうと判断した。
通じなかったなら謝ろう。
85土曜日:05/01/08 17:22:04
>>セクハラ相手は黒人では無いし、イスラム系の女性は移民であって植民地とは関係ない。
セクハラ相手は黒人の女子大生です。
ちなみに、この女子大生は、alice walker,toni morrisonを読んだり、
黒人系の演劇をやっているみたいです。英語の書評を読んでも、
黒人女性ということで見解が一致している。

イスラム系といっても、インド人かマレー人だとしたら、大英帝国の
植民地経営と関連があるのは明白。
また、南アの秩序において、インド人の位置が重要なのは、貴方も
ご存知ではないのですか。
86吾輩は名無しである:05/01/08 17:44:35
黒人系の本、演劇をやっているから黒人とはならない。
問題は何故一言黒人と書かずにぼかしたのかでは?
そこを断定した議論を積み重ねてしまっていると思う。
特に決定不能性について自覚的な現代作家について語るならば。
イスラムの女性にしても、情事の相手は色々いる訳で、
大英帝国の植民地云々の話に過剰な意味つけしすぎでは?
87吾輩は名無しである:05/01/08 17:59:37
土曜日・・おまえが論点をずらしてるの、わかってるよね?w
88土曜日:05/01/08 18:01:46
>>85
>>問題は何故一言黒人と書かずにぼかしたのかでは?

なぜぼかしたのか?『マイケル』だって、黒人とは書いていない。
たしかに重要な問題だと思う。
しかし、文学の解釈なんだから、わかりやすく黒人だと解釈
しても構わないだろう。

問題は、決定不能を重視する貴方は、どんな解釈をするか
ではないのか。決定不能が大事ならば、そのことについて、
その意義について講釈していただけないか。単にケチをつけたい
だけではないのならば。。。
89土曜日:05/01/08 18:08:12
常識的に言えば、黒人女性文学を読む女子学生は、
どうみても黒人だよね。仮に、白人だとかインド人だとしたら
かなり変わった女性学生だよね。ラウリー教授の娘なみに
変わった子ということになる。そして、そのこと自体が小説の
テーマになるはずだ。ところが、彼女のユニークな思想や生い立ちは
全然語られていないというふうになってしまう。我々は欲求不満
になってしまうよね。

やはり、黒人女子学生としか考えられないよ。
90土曜日:05/01/08 18:11:38
>>86
>>イスラムの女性にしても、情事の相手は色々いる訳で、

金で買った女、援助交際ですらない女、
そういう女との関係を「情事」と呼ぶのはいかがなものか。
日本語として不適切だと思うんだが、どうでしょう?
91吾輩は名無しである:05/01/08 18:19:28
>>89
そこまで変?文学部の学生がトニモリスンにはまるのが?
で、文学だから分かりやすく素直に受け取るってのは何が言いたいんだろうか。
逆でしょうに。
92tarbaby ◆7pcTvobAhE :05/01/08 18:20:17
>黒人女性文学を読む女子学生は、
>どうみても黒人だよね。仮に、白人だとかインド人だとしたら
>かなり変わった女性学生だよね。

そんなことないよ。
共通意識を持っているということで、アメリカ黒人、南ア人、
インド人、他の国の奴隷制度・・ちょっと違うか、抑圧された
歴史を持つ国の女性同士が自分たちの地位的のみの向上
ではなく、知識(認知か)の向上を目指して協力しあってる。

ま、これだけです。では。
93吾輩は名無しである:05/01/08 18:24:02
>>90
くだらんこと突くなぁ…
じゃあ性交渉の相手でいいよ。
で、俺にはレイプと慰安婦の違いよりは小さく感じるんだが
この訂正にどれだけの意味があるんだ?
94土曜日:05/01/08 18:32:18
>>93 あのさあ、90のコメントは戯れで書いただけなんだから、
 コメントしなくても良いんだよ。

>>91 変だよ。南アの白人女性で黒人女性文学に興味を持つとしたら
 かなり意識の高い人ということになる。もしかしたら、共産党員の
家で生まれたんじゃないのかとまで私は思うよ。

イスラエルでアラブ文学を読む人も、たぶん共産党とかじゃないのか?
少なくともラディカル派でしょう。
95吾輩は名無しである:05/01/08 18:47:04
>>94
本気で言ってるの?94は戯れでは無いんだよね?
91年にアパルトヘイトが終わった。その事に無関心でいられた白人がいたと思う?
黒人文学に興味を持つのが共産党っていう決めつけも気持ち悪い。
96土曜日:05/01/08 19:15:56
>>95 自分でも分かっていると思うんだけれど、屁理屈ですよね。
 そういうのって、格好悪いから、やめようよ。頭の悪い大学生
 みたいな人には、もうレスしませんから、ご安心を。
 
97&rlo; ♪:05/01/08 19:24:13
98吾輩は名無しである:05/01/08 19:28:16
屁理屈ね・・・
自分が相当偏った意見の持ち主だってことは自覚しとけ。
99吾輩は名無しである:05/01/08 20:12:51
>96
そうか・・ちょっと優しくしてやってたけど、こいつ相当な
バカ以外何者でもないんだな・・・

何いばってんの?
訳のわからんとこ(千鶴子)出してきて、その言い草はねーだろ。

まず何故引っ張り出してきたか、理由を言え
100吾輩は名無しである:05/01/08 20:14:43
てか、土曜日ってどっちかに傾いてね?

キモイな・・
101吾輩は名無しである:05/01/08 20:18:07
さて、殺伐として参りましたが、これがにちゃんですね、そうですね?w
102土曜日:05/01/08 22:27:09
>>101 ううむ、そうですね。レベルが低い大学生が多いのでしょうね。
 私が慶應高校2年生だとしたら、ケチをつける人の気持ちわかるよ。
 高校生のくせに生意気だ!とかね。

 幸か不幸か、私は大学はとっくに卒業している。
 「恥辱」でセクハラするのが黒人女子学生だと気が付いたのは、私の読解力
 じゃなくて、英語のreviewに書いてあったから、なるほどと思って読み直した
 だけなんだけれどね・・・。
103吾輩は名無しである:05/01/08 23:33:52
厨が大暴れ
104吾輩は名無しである:05/01/08 23:36:58
土曜日ヒマなんだな。可愛そう。週末なのに。
105吾輩は名無しである:05/01/08 23:58:26
英語のreview読めるのはうらやましいな。
106民政官:05/01/09 00:25:50
凄い伸び・・・。
ここ本当にクッツェースレだよな?

本当に「夷狄」がやってきたようだなw
107土曜日:05/01/09 01:13:13
歴史や社会状況に左右されない客観的で超越的視点から物事や認識したり体験を解釈
したりしてはいけないと何度も戒めたのは、サイードの『文化と帝国主義』である。
私は、このことの意味が最初はよく分からなかった。というのは文学を読み慣れてい
なかったからだ。だが、いまは違う。大衆小説というのは、知りもしないことを想像
力で書いてしまうのだが、いわゆるシリアスな文学者というのは、そういうことをし
ないということが分かったからだ。キプリングの『キム』が高く評価されるのは、一
つにはキプリングがインドをよく知っているからなのだ。純文学の世界では、作家の
知る世界と近いものしか書かないようだ。骨董無形の創作は存在しない。つまり、白
人作家は言葉も知らない黒人の内面を簡単に描写したりはしない。日本人作家は、パ
キスタン人やフィリピン人の内面性を簡単に描いたりはしない。従って、クッツエー
のような南アフリカの白人作家は、白人の視点に拘らざるを得ないことになる。クッ
ツェーは白人のエロオヤジを描くことができても、黒人女性の内面は描けないのだ。
植民地帝国を描くにしても、原則的に、あくまでも白人的限定に修めておく必要があ
る。アパルトヘイト下の白人は、存在自体問題だとしても、やはり白人的観点を守る
必要があるのだ。この限界をどう考えるのか?それがクッツェーの問では無かろうか


クッツェーがこの限界を大きく踏み越えたのは、二つないし三つある。一つは、
『マイケルK』。主人公のマイケルは黒人とは決められていないが、黒人的存在
だ。しかし、この小説の中で、マイケルに同情的なリベラルな白人の医者かなん
かが現れてくる。彼はマイケルを理解できない。私は、この医者こそ、クッツェ
ーの位置なのだと思うのだ。もう一つは、女性。未読だが白人老女の女性を主人
公にしたものと、『コステロ』がそうだ。さらに、動物への共感の問題にまで取
り組んだ。『動物のいのち』と『コステロ』がそうである。
108土曜日:05/01/09 01:24:07
なぜ上野千鶴子がここに出てくるのかという問に答えよう。上野は、あるいは、
インテリの韓国女は、あまりにも慰安婦から遠い存在である。彼女らのことを
代弁できない存在である。彼女らが、元慰安婦のことを語るのは、彼女らを引
き回すことにはなりはしないのか。それが上野の発する疑問である。しかし、
韓国人のインテリ女が代弁しなかったら、彼女らは発話のポジションを確保で
きなかったであろう。ここに上野の弱点や矛盾があろう。ポストコロニアル理
論家達は、自らは語ることができない人々がいることを知っている。彼女らは、
ある意味では、代弁者が必要なのだ。しかし、上野が危惧するとおり、代弁す
ることは彼女らへの権力行使であり、引き回しなのだ。

さらに上野には、もう一つ弱点がある。彼女は、自分からは決して弱者(=慰
安婦)とは関わりを持とうとしなかったのだ。関わりたいと思ったのは、帝国
側のエロオヤジだけだったのである。

そこで、別の解が生まれる。エロオヤジの観点を批判的に見つめ直すことによっ
て、自ら語ることのない慰安婦のような存在、あるいは「舌のない金曜日」や
大量虐殺される動物たちを語ることができるのではないか。金曜日くんは語る
ことができない。しかし、エロオヤジの視点から描写することはできる。私は、
それがクッツェー文学だと思う。
109吾輩は名無しである:05/01/09 11:53:00
実は上野は嫌い。何故なら社会学から文学を利用してるから。
でもひとつの視点だから、それはそれで背景の知識として
理解する。共感はしない。

・・思うに、上野は上野自身を利用させようとしてると思うんだよね。
土曜日がそれをわかってて、理論?を繰り広げてるならいいけど。

でだ、おまえは批判・・しかも有る物を見せてるだけ。

おまえ個人の発展的な意見がない。そこが読んでて頭打ちで
面白くもなんともない。

ま、2ちゃんだし、しょうがないのかもしれないけどね
110土曜日:05/01/09 14:51:54
>>109 上野が主題ではなく、あくまでもクッツェーの引き立て役にすぎないん
 ですが、わかっていますか?
111吾輩は名無しである:05/01/09 15:33:01
>>107-108は誰でも知ってるあたり前のこと
しか言ってないからダメ
112吾輩は名無しである:05/01/09 15:38:59
上野じゃあクッツェが引き立て役にならんだろ。
単に土曜日が上野をけなしたいって事しか伝わって来ない。
113土曜日:05/01/09 15:58:30
>>112 なるほど、当たり前のことしか書いていないのか?
 ところで、偏った意見だとか、根拠のない断定を積み重ねている
 という意見も多かったな。

 だとしたら、私の書いた文章について、大きく解釈が割れているとみること
 できる。しかし、たんに他人の文章にケチをつけたいだけの、2ch的な性悪な
 劣等大学生がいるだけとも解釈できる。普通は、後者の解釈が正しい。
 もし、前者ならば、ぜひ皆さん議論してみてください。

それから、セクハラ相手が黒人女子学生だと知って、ちょっと感謝する奴
いないの。素直さが足りないね。俺は高校生じゃないんだから、見栄を張るなよ。

114土曜日:05/01/09 18:13:29
「わたし」の利害が国家によって代弁されない、「わたし」の身体
や権利が国家に属さない、ということを意味している。元「慰安婦
」の闘い―「わたし」の尊厳を回復したい―という思いは、日本と
いう国家に対峙するだけでなく、韓国という国家に対しても権利の
「代表=代弁」を拒否する性格を持っている。(中略) 「わたし
」の身体と権利は国家に属さない。
(上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』198−199頁)

こういった上野の議論がナイーブなのは明らかである。慰安婦たちは、中産階級
のインテリ女たちとは異なって、個人として単独で国家や社会に対峙することは
できないからである。上野はいつの間にか、上野たちのコスモポリタンワールド
を語ってしまっているのである。上野は、「フェミニズムは国境を超えるべきだ
」と主張するが、被抑圧者(サバルタン)のためのフェミニズムではなくなって
しまっているのである。

しかし、我々は容易に被抑圧者を代弁することはできない。そこで我々ができる
一つの戦略は、帝国の眼差しで彼女らを見ることである。そして、それを内側か
ら解体していく戦略である。それがJMクッツェーの戦略である。もう一つの戦略
は、ベン・オクリのようなシュールな表現方法である。わたしにはそれらの戦略
の優劣をつけることはできない。どちらもポストコロニアル文学の非情な重要な
表現方法であると思う。

ただし、いわゆる被抑圧者について、あまり表象しないようなポストコロニアル
作家もいる。代表的なのが、インド系のラシディとスリランカ系カナダ人のオン
ダーチェである。彼らの描くのは特権的な専門職たちの植民地人のコスモポリタ
ン世界だからである。彼らの描く世界は、ある意味で、上野千鶴子のようなコスモ
ポリタン・フェミニストに近いのではないだろうか。
115吾輩は名無しである:05/01/09 22:47:09
>>113
とりあえず、あんまりあんたにここにいて欲しくないっていう点は共通していると思う。
116通行人:05/01/09 22:52:15
>>115
んな〜こたないw
117吾輩は名無しである:05/01/09 23:19:13
このままだと>>113がスレの半分以上消費しそう。迷惑。次いつ立つかわかんないのに
118土曜日:05/01/10 01:01:42
『恥辱』を読んで、その50年以上前に書かれた、カミュの『異邦人
』(1942)を思い出した。白人のムルソーはアフリカの原住民を殺しただけなの
に、死刑になった。何故かと言えば、母親の葬儀で涙を流すような演技を拒む
人間だったからだ。だが、読書家にとっての彼は英雄になることができた。絶
対と真理に対する情熱を持った男として、読み手の共感と感動を誘った。彼の
処刑は、キリストの磔刑死と同様に、「無実の罪」によるものにすぎないと考
えられた。

ムルソー同様に潔かった英文学ラウリー教授は、アフリカの原住民の学生と
寝ただけなのに、大学の職を追われてしまう。査問会で積極的に罪を告白し
、懺悔することを拒否したからだ。必要以上のことを何も語ろうとしなかっ
たからである。ここまでは、カミュのムルソーと似ている。しかし、ムルソ
ーとは違って、美しく世の中から抹消されたりはしない。娘の小さな農場へ
転がり込み、恥辱の自己解体の日々を送るのである。高尚な西欧文化を愛す
る大学教授が、農村のアフリカ人の「奴ら」の論理に屈服するのだ。ラウリ
ーは、読者の英雄としてではなく、植民地主義者の末裔のセクハラ男として
、受け止められる。

もう一つ、カミュとクッツェーには違う点がある。カミュの小説ではミルク
コーヒーばかり飲んでいるのに、クッツェーでは紅茶ばっかりだということ
だ。これは、英国系紳士とフランス系紳士の違いなのでしょうか?
119吾輩は名無しである:05/01/10 01:58:53
ミルクコーヒー・・・・・フランス云々ゆうならカフェオレだろ。
120吾輩は名無しである:05/01/10 10:41:51
糞スレになりつつある・・・
121吾輩は名無しである:05/01/10 10:58:06
もう帰れよ 失業者 きもいオッサン
122吾輩は名無しである:05/01/10 11:09:59
土曜日はなかなかいい奴だよ
だから帰れとか言うな
123吾輩は名無しである:05/01/10 12:19:08
無茶苦茶自演臭いやつが湧いてる
124吾輩は名無しである:05/01/10 16:39:55
慰安婦ってさぁ、軍と慰安婦の間に業者がいて募集をしていたわけだよね?
軍票が支払われていたし。ポスコロ云々の前に大半は日本人だったわけですよ
慰安婦は。

「何百人もの娘でいっぱいのホールになだれ込んでくる男たちを、恐怖のあまり
ミニーは両手を組み合わせてみていた。一人だって引き渡すもんですか。それくら
いならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが
起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍会のメンバーがなみいる娘たちに二言
三言やさしく話しかけた。すると驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。
売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にはしていないよう
だった。ミニーは言葉を失った。」『ラーべの日記』

南京にいた外国人ジャーナリストが書いてますよ。「抑圧」なんて無かったみたいですが。
125クッツェ好き:05/01/10 16:53:40
なんかものすごく嫌な流れに成ってるね・・・
一応、ベケットが好きな人に「石の女」薦めて去ります。
細かく章分けされた一人称の語りが少しずつ微妙に、時には決定的にずれて反復されていき、
物語らしきものを形作ったかと思いきや壊されていきます。クッツェの「様々な手法」の真骨頂。

あとコステロが日本語で読めるのがすごく嬉しい。
126吾輩は名無しである:05/01/10 17:59:44
>細かく章分けされた一人称の語りが少しずつ微妙に、時には決定的にずれて反復されていき、
>物語らしきものを形作ったかと思いきや壊されていきます。クッツェの「様々な手法」の真骨頂。

こういういい加減な印象批評は「土曜日」の自演だってみんなわかってるYO!

>なんかものすごく嫌な流れ

君が歴史をでっち上げるんだからしょうがないYO!
127クッツェ好き:05/01/10 18:09:55
>>126
別人だよ・・・
ちょっとしょっく。
128民政官:05/01/10 19:44:27
土曜日もクッツェーと離れた話をしてる
わけじゃないからいいと思うけどな。
ただ、もう少し空気読んでくれよ、と思う時はあるけど。

もっとみんなが参加しやすい話をしよう。
「思想」ではなく「文学」のスレなのだから。
これまでの流れをみると、フェミニズム批評批判とか
ポスコロに偏りすぎかなあと思う。

もっと文体や構成があーだ、こーだとか
他の作家や作品との影響関係なんかを
突っ込んで話したいと思うのはおれだけ?

あと、クッツェ好きにはいて欲しいよ。
129民政官:05/01/10 20:04:18
といいつつ、土曜日に突っ込んでしまうおれ。

>>107
>大衆小説というのは、知りもしないことを想像
>力で書いてしまうのだが、いわゆるシリアスな文学者というのは、そういうことをし
>ないということが分かったからだ。

シリアスな文学ですら、歴史の洗礼は受けると思うんだが。
>>118で挙げてるカミュの『異邦人』のアラビア人の描かれ方なんて
まさにそうじゃないのよ。
無色透明で、人形にように描かれた顔のない「夷狄たち」。

さらにいえば、「シリアスな文学=純文学」というジャンルは
ほぼ解体してると思う。
130民政官:05/01/10 20:06:57
あ、>>128で「クッツェ好きにはいて欲しいよ。」 と書いたが
もちろん土曜日にもいて欲しいからな。勘違いしないくれ。
では、3連ちゃんでレスしたのでしばらく潜ります。
131土曜日:05/01/11 00:53:50
>>128 空気読んでくれというのは、わかる。
 実は、文学とは関係ない仕事で文章を書かなくてはいけなくて、
 そのためのブレインストーミングに、この掲示板を使ってしまったのだ。

>>129 別に歴史の洗礼という意味ではなくてです。たとえば、カミュは
アルジェリア育ちだから、アラビア人について描写することはできると思うのです。
生活体験で知っているんだから。だが、たとえば、ゴルゴ13のマンガなんかは、
世界の様々な場所が舞台になるが、作者はその場所で暮らしていたかというと、
そんなことはないだろう。ゴルゴ13とカミュというと、かけ離れちゃうかもしれないが、
そういうイメージなのです。

>他の作家や作品との影響関係なんかを
>突っ込んで話したいと思うのはおれだけ?

カミュのムルソーとラウリー教授の比較は、どう思った?
132土曜日:05/01/11 00:58:18
ラウリー教授の気になる言葉

「もうよくわかった。この男は好きにならない。この男のトリックが気に入らない」(226頁)
「こういう餌には食いつかない」(245頁)
「そう、これはそんなものになりつつある。バカで、愚かな、頑固者」(191)
133土曜日:05/01/11 01:28:14
>>124 。>「抑圧」なんて無かったみたいですが。
これは、違うと思う。ある意味では、ほとんどすべての人が抑圧されていた。
兵士も、慰安婦も。

ところで慰安婦ならば、私は水木しげるの南方もののマンガが面白いと思う。
よく描けていた。どちらかというと、こういうのは、クッツェーでいえば、ダスクランドと
にている感じ。
134吾輩は名無しである:05/01/11 13:50:49
文学とは関係ない仕事で文章を書かなくてはいけなくて、
 そのためのブレインストーミングに、この掲示板を使ってしまったのだ。
文学とは関係ない仕事で文章を書かなくてはいけなくて、
 そのためのブレインストーミングに、この掲示板を使ってしまったのだ。
文学とは関係ない仕事で文章を書かなくてはいけなくて、
 そのためのブレインストーミングに、この掲示板を使ってしまったのだ。
135土曜日:05/01/13 01:10:53
俺が書かないと、書くヒトは少ない。
136土曜日:05/01/13 23:41:39
山形造生は、『夷狄』についての朝日の書評でくだらないことをクッツェー論を書いた。

これは、一度どこかで書いておかなければならなかったことだ。山形はどこが間違っているのか。

> その視点が小説として抽象化されることで、ただの上品な知的意匠になり下が
> っている。ぼくたちはすでにここに描かれた「問題」を知っているし、それに対し
> てどういう顔をするのがファッショナブルかも知っている

アパルトヘイト下でどんな顔をすればファッショナブルなのだろうか? 私は分
からない。山形は分かっているなら、それを言う義務がある。少なくとも、ゴー
ディマ論まで展開しなくてはならない筈だ。

> 小説というジャンル自体の問題でもある。いま小説を書くとはどういうことな
> のか? テレビも、映画も、ノンフィクションもある時に、小説が持つ比較優位と
> はなんだろう。それはできあいの「問題」を上品に優柔不断化して安心させる仕掛
> け、ではなかったはずなのだ。

> クッツェーって久々に読んだけれど、器用なのに深みのない作家。さらに、なぜ小説
> でなければいけないか、という必然性がまったくなくて、現代において小説を書くと
> いうことについての自覚が全然ないのが致命的。

これも、アパルトヘイト小説論まで書かなくては、無意味。


> ならば今日の文学や小説の比較優位とは何だろう。本書は実に過不足なくおもしろい
> し、読んで決して損はしない。でもたぶん重要なのはそこであなたが何を感じないか

「今日」と山形は言うが、何時なのだ? 80年以降か?90年代か? 南アの民族
解放はたしか92年なのだぞ。それを分かっているのだろうか?
137土曜日:05/01/13 23:45:33
> ならば今日の文学や小説の比較優位とは何だろう。本書は実に過不足なくおもしろい
> し、読んで決して損はしない。でもたぶん重要なのはそこであなたが何を感じないか

「今日」と山形は言うが、何時なのだ? 80年以降か?90年代か? 南アの民族
解放はたしか92年なのだぞ。それを分かっているのだろうか?

実は山形が欲するモノは、最近のクッツェーには書かれている。
曰く「なぜ黒人が怖いといわないんだ?」ーーyouthに書いてある。
文学の意義?ーー『恥辱』と『コステロ』を読め。
 特に、現代何故文学なのか問を意識したのが、『コステロ』だと思うのだ。
138土曜日:05/01/13 23:52:06
年をとって良い作品を撮るようになった映画監督は少ないのだそうだ。
その少ない例外が、たぶん、ルイス・ブニュエルであろう。若い頃は、ダリと
一緒にシュールリアリズムだが、正直言って、もっと後のほうが面白いぞ。
メキシコ時代も面白いが、やはり、フランス時代だろう。

「夷狄」「Foe」よりも「コステロ」「恥辱」のほうがずっと良くなっているじゃ
ないか。
139民政官:05/01/22 01:28:39
嗚呼。
まあ、盛り上がったのが間違いだっと思って、あきらめるとするか。
140吾輩は名無しである:05/01/23 17:15:29
このスレの人は他にどこら辺の地域の小説を読んでるの?
おれはもっぱらインド、ラテンアメリカ、英連邦
141吾輩は名無しである:05/01/23 17:20:08
チラシ、ないんですか?
142吾輩は名無しである:05/01/23 17:34:25
チラシより楽だろ
143クッツェ好き:05/01/24 14:25:10
新刊出たらまた書き込み増えるでしょうか。
トゥルニエの「フライデー或いは太平洋の冥界」をば入手。
144土曜日:05/01/26 22:35:11
ようやく、書き込めるようになった。
ところで、Age of Iron 読んだ人はいますか?
145吾輩は名無しである:05/02/19 13:53:32
age
146吾輩は名無しである:05/02/25 08:58:58
エリザベス・コステロの翻訳出てました
147クッツェ好き:05/02/25 19:58:49
>>146
読んだよ〜(^.^)やっぱすげー面白い!
やっぱり日本語で読めるのは有難いし注釈も助かる。

特に作家の「代理=表象」を批判する『アフリカの小説』、
「悪」を書く事を巡る『悪の問題』など、
コステロの発言だけだとありきたりに見えてしまうのが、対立者の発言、
彼女の内省経由することで何か弁証法的な効果出してる気がする。
『門前にて』はコステロとクッツェが別の人間である、
という当たり前の事が決定的な意味を持って来る。
メタフィクションでなくては出来ないという仕掛けが素晴らしい。
148土曜日:05/02/25 22:42:20
>>147 山形のクダナライが批判(今日、文学をやることに意味をわかっていない)
  がまったくナンセンスだということですね。

 
149クッツェ好き:05/02/25 23:37:31
>>148
まぁ山形ってどーでもいいしね。
ところでコステロ物の新作発表してるっていうのはどっかの講演なんだろうか?
読みたい・・・
150土曜日:05/02/26 22:54:41
>>149 私は、3年くらい前か高い値段を出して、What is realism?
という薄い講演のパンフレットを購入した。そうしたら、今回の
エリザベスコステロの入っていた。

ところで、コステロと、動物のいのちの関係はどうなっているのですか。
重複部分は、わざわざ別の人が再翻訳しているわけでしょうか。

ついでだが、Economistをみると、次のような記事がある。
もしかして、くっつぇーの作品の影響力があるのかな?

Animal behaviour
Are dogs people too?
Feb 24th 2005 | WASHINGTON, DC
From The Economist print edition
Animal personalities are as clear-cut and distinctive as human ones
151クッツェ好き:05/02/27 10:39:03
していません。
そもそもストーリー的にはつながりの全くないものだし。
クッツェによる講演の中にコステロの講演が埋め込まれ、
時にクッツェがコステロを、コステロがクッツェを痛烈に批判する。
方法としてものすごく面白いが、
コステロ物でない小説を書くとしたらどんな形式を出してくるのか。
「暴力」も「リアリズム」も「アフリカ」も「信念」も廃棄されて、
しかもそれらの全てが読もうとすれば読めてしまう小説群の次に。
ぜひコステロ以外の人物にそれを支える「知性」批判やって欲しい。
もちろんこの上なく知的に。
152土曜日:05/02/27 14:35:39
今日、本屋で「コステロ」の翻訳を確認したよ。薄い本だったので、ちょっと
驚いたが、要するに、「動物のいのち」の部分は訳出されていなかった。
買おうか迷ったが、今回は見送った。訳者解説が詳しい感じですね。
153吾輩は名無しである:05/02/28 00:40:44
コステロ入手age
154吾輩は名無しである:05/03/04 11:04:04
このスレも終わりかね。
155土曜日:05/03/06 20:50:02
ラシュディの「恥辱」評。登場人物は誰もが他者を理解する
ことが出来ない。しかし、それならば、作者が問題解決のヒントを
出すべきではないのか。 

クッツェーは、小説をそういう方向で考えてはいないということが、
エリザベス・コステロでは、明確になる。
156土曜日:05/03/09 11:35:45
エリザベス・コステロの書評を読もう。

http://www.complete-review.com/reviews/coetzeej/elizacos.htm
157土曜日:05/03/09 12:04:44
おい、おい、上のリンクをたどっていくと、すごいのを見つけたぞ。
As a woman grows older, by J.M.Coetzee
(another Elizabeth Costello?)

http://www.nybooks.com/articles/16872

158吾輩は名無しである:05/03/20 01:34:28
3月18日のシンポどうだった?
159土曜日:2005/03/22(火) 23:35:45
bk1で中村びわが、とんちんかんな『エリザベスコステロ』論を書いている。

とくに、何だ、これは。
> だが、本作には、その山形評で指摘されていた「小説であることの必然性が
> 感じられない」という点がまさにしっくりくるように思う。


こういう勘違いはちょっと酷いなあと思う。これでも、プロ(?)の書評書きなの?

> 豪華船クルーズの洋上娯楽でアフリカーナー作家とともにセミナーを行ったり

アフリカーナー系作家なんて、あの小説には出てきていないと思うンだが。
黒人アフリカ人作家とアフリカーナー系作家(普通、オランダ系白人だろう)との
区別が出来ていないのかな・


> 本式の評論のように規範が明示された上で、現状の分析、考察がなされ、最後にヴィジョンが提示されるかというと、どうもそのヴィジョンのところが欠落しているように取れる。

いわゆるヴィジョンをだすのならば、評論の方が適切ではないのか。
160土曜日:2005/03/24(木) 00:05:01
Coetzeeの書評

The Making of William Faulkner
By J. M. Coetzee
William Faulkner
(click for larger image)
One Matchless Time: A Life of William Faulkner
by Jay Parini
HarperCollins, 492 pp., $29.95

http://www.nybooks.com/articles/17895

161吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 02:23:33
中村びわって、信奉者多いから迷惑だなあ。
162吾輩は名無しである:2005/03/24(木) 16:39:34
>>土曜日
Coetzeeの書く文章は、Faulknerの書く文章と同じくらい
難解だと思わない?
どっちも大好きだけどw
163土曜日:2005/03/27(日) 21:46:12
>だが、エピソードの積み重ね方が弱いし、
>小説としてのまとまりに欠けている。それは著者自身が大学で講演した際の原稿を「小説として」まとめなおしたものという本書の生い立ちにあるのかもしれない。

アマゾンの書評だ。はっきりいって、不愉快!!!
いわゆる小説というスタイルを破壊しているのが、エリザベス・シリーズなのに、
なんでこういう評価をするのか、まったく理解できないね。
164吾輩は名無しである:2005/04/19(火) 19:08:10
>>163
このスレ、まだあったのかw
「恥辱」を今から読むぞ。
165吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 19:59:03
今月の文学界にエリザベスコステロの書評あったけどどうですか?
166土曜日:2005/04/25(月) 00:47:47
クッツェーのテーマの一つは、異文化を理解することができないという問題で
はないかと思います。それは単に彼の小説の登場人物が異文化の他者を理解で
きないというばかりではなく、おそらくクッツェー自身も、思い悩ん
でいるのでないでしょうか。

エリザベス・コステロの翻訳を読んでみますと、次の文章に気がつきました。
「そのころのエグドゥは声が大きく、火のごとく烈しく、政治的で、ずいぶん
虚勢をはる男だ、というのか彼女の第一印象だった。(中略)アフリカでは事
情も異なるだろう。アフリカでは”虚勢”とされるもの、”見栄っぱり”とさ
れるものは、まさに男らしさの証かもしれない。私にわかるものか。(48頁)

ここに出てくるアフリカ人作家の特徴は、まさに、同じくアフリカ人作家のクッ
ツェーの性格とは正反対ではないか。そして、そしてクッツェーの分身である
女性のポストコロニアル作家エリザベスは「私にわかるものか」と発言する。
もちろんこれがクッツェーの本で本音というわけではあるまい。だが、距離が
あることには変わりない。

興味深いのは、この小説の中では、二人の作家は若いころ、ちゃんとちゃんと
「異文化交流」をしているのである。これは、白人男性による黒人レイプとは
ちょっと違う。エリザベスはクッツェーの分身ではあるが、どうしてもクッ
ツェーとは違ってしまう。
167吾輩は名無しである:2005/04/29(金) 17:04:23
このスレッドを「はてなアンテナ」してるやつ、発見。
おまいだろ?w >土曜日
168土曜日:2005/04/30(土) 20:21:25
Slow Man J.M. Coetzee
amazon.co.uk (sept. 2005予定)

A masterful new novel from one of the greatest writers alive. Paul Rayment is
on the threshold of a comfortable old age when a calamitous cycling accident
results in the amputation of a leg. Humiliated, his body truncated, his life
circumscribed, he turns away from his friends. He hires a nurse named Marijan
a, with whom he has a European childhood in common: hers in Croatia, his in F
rance. Tactfully and efficiently she ministers to his needs. But his feelings
for her, and for her handsome teenage son, are complicated by the sudden arri
val on his doorstep of the celebrated Australian novelist Elizabeth Costello,
who threatens to take over the direction of his life and the affairs of his h
eart. Unflinching in its vision of suffering and generous in its portrayal of
the spirit of care, Slow Man is a masterful work of fiction by one of the wor
ld's greatest writers.


169土曜日:2005/04/30(土) 20:22:48
>>167 すまんが、「はてなアンテナ」というのは、知らなかった。
170土曜日:2005/04/30(土) 22:59:25
アマゾンの新古書で、ゴーディマの『いつか月曜日に、きっと』
を購入してしまった。ゴーディマとクッツェーの違いとかを、誰か日本語で
論じて欲しいと思う。
171吾輩は名無しである:2005/05/07(土) 14:35:27
『文学界』(2005年5月)の森孝雅「エリザベス・コステロ」評を読んだ。残念
ながら、私には同意しかねる議論だった。これは、訳者の鴻巣友希子の感想文に
も共通することなのだが、たとえば、コステロのアフリカ文学批判を真に受けて
いるように見えることだ。たとえば、次のようなコステロの言葉を森は挙げてい
る。

「そんなものは結局、アフリカ人の神秘を盛り返そうと言うものにすぎない。人
間の原始エネルギーの最後の宝庫であるとかいって。西欧の出版社と西欧の読者
のせいでアフリカをエキゾチックに描くはめになったと、エマニュエルは言うけ
れど、みずから自分をエキゾチック化しているではないか」この種の歯に衣せぬ
批判が、アフリカ文学のみならず、キリスト教に対しても、手法としてのリアリ
ズムに対しても、(以下略)

同じような議論は、鴻巣も書いている。「アフリカ文学が植民地文化の中で、欧
米に向けての“通訳文学”にならざるを得なかったという指摘には一理あるので
はないか。(中略)コステロの指摘は厳しいが、彼女の生まれたオーストラリア
も似たような文学的状況を通り抜けてきたのだ」
172土曜日:2005/05/07(土) 14:36:11
彼らの議論が的をはずしているというのは、コステロの議論が、決して「鋭い指
摘」ではないということをよく理解していないからである。むしろ、コステロの
指摘は、あまりに「陳腐な正論」なのである。たとえば、コステロは、オースト
ラリア文学も最初は植民地文学(あるいはポストコロニアル文学)だったが、今
ではオーストラリアの民族読者市場が成熟し、民族文学が可能になった65-66頁
)、そして、それはアフリカ文学に対する良い「教訓」(66頁)になるだろうと
述べる。だが、白人の開拓植民地の文化的経験に基づく教訓は、アフリカ人作家
のためにならないと言うのも、また自明なこではないか。西欧近代的な民族国家
や民族文学の展望を彼らが持ち得ないのは、誰もが承知していることではないの
か。それとも、植民地化され黒人文化と作家たちを、冷笑し見下したいのかと皮
肉でも言いたくなるくらいだ。むろん、クッツェーがそのような陳腐な正論を主
張したいのでは、あるまい。

我々は、陳腐な正論ではダメだと言うことを知っている。(だからポストコロニ
アル文学だとかラシュディ流の英語文学論が重要視されているのだ)。しかし、
この陳腐な議論を真に乗り越える途が見えてこない。そこが大問題なのだ。山形
の認識とは正反対に、道が開かれていないからこそ、問が問われてしまう。我が
ドンキホーテたるエリザベス・コステロの発する様々な問に対して、読者自身が
自分なりの答えを模索しなければならないということではないのか。
173吾輩は名無しである:2005/05/07(土) 20:38:35
で?
174吾輩は名無しである:2005/05/07(土) 20:43:33
わからない。

あたりまえのことを「でしょ?」と言っても進歩はない。
おまえがここで偉そうに二番煎じして書き込む理由がわからない。
175吾輩は名無しである:2005/05/07(土) 20:45:46
日本人の話をそのまま鵜呑みにして井の中の蛙でいろよ、土曜日
176土曜日:2005/05/07(土) 21:58:35
私が気になるのは、ラシュディ流のポストコロニアルな移民文学、
あるいは、アシュクラフトらのポストコロニアル文学の思想とは正反対の、
オーソドックスな民族文学の思想を、架空のオーストラリア作家に語らせていた
ことである。この旧植民地出身の民族的白人作家(コステロ)は、かつては同じく旧植
民地出身のポストコロニアル文学者の有色人種の男性と睦まじい関係にあった
わけだから、なんだかの「決別」があったことすら示唆されている。決別後の
再会が、陳腐な二項対立だったのである。それを我々は、どのように受けとめたら
良いのか? クッツェー自身は、もちろん、民族文学に与しているわけではない
のはない。南ア民族文学者だとかオーストラリア文学者にはなりえない。
そもそも、ラシュディ以上に出身国の読者に受け入れられていないのだ。

強いて言えば、孤立と孤独か。



http://www.africanreviewofbooks.com/Reviews/coetzee1.html
177土曜日:2005/05/07(土) 22:00:50
>>173-175 私に関わらないでください。
178吾輩は名無しである:2005/05/08(日) 20:41:08
書物だけに頼ってわかる分野じゃねーよ
179吾輩は名無しである:2005/05/08(日) 20:42:42
もしおまえが行き詰まりを感じていないならそれでいいけどな
180吾輩は名無しである:2005/05/24(火) 21:08:17
全然関係ないけど、最近グレアム・グリーンのヒューマン・ファクターを読みました。
良かったよ。
後アパルトヘイトものといったらやっぱ「サラフィナ」とか「遠い夜明け」とか思い出すなあ。
クッツェで一番すきなのはDisgraceです。
181ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :2005/06/09(木) 22:38:22
「夷狄を待ちながら」を読んだ。うーん、今ひとつ「テーマと主張」が見えて来ない
感じだな。何かのヒントになればと、2ちゃんのこのスレに期待大だったのだが、
正直言って期待外れでした。これではミステリ板といくらも変らないレベルだと思う。
上記作品は、漢代中国の辺境の物語に見えて仕方ない。すると夷狄は歴史上名高い匈奴
ということになると、紅毛碧眼の白色人種ということになってしまうわけだが。
日本文学に目を転じてみると、中国戦線における「夷狄を…」のような作品が書かれな
かったのが、本邦における「文学」の限界ということが言い得るかと思う。
182吾輩は名無しである:2005/06/09(木) 22:41:12
>>181
きっとあなたのレベルが高すぎるんですよ
183ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :2005/06/10(金) 22:03:17
ヒューマンな地方行政官(老人=私)、コンサバな若い軍人(ジョルやマンデル)という
構図の物語である「夷狄を…」だが、エンタメとして書かれていれば、逆の構図に
なったと思われる。老人→保守的、若者→柔軟という通念が存するし、
この方がヘビーユーザーである腐女子にウケるということもある。
ただし、文学としては老人をリベラルに、若者を保守的という構図を取る必然性が
あったのだろうか?
184吾輩は名無しである:2005/06/18(土) 21:09:24
ブクオフで『恥辱』購入。
105円!!!

記念あげ
185吾輩は名無しである:2005/06/18(土) 22:00:16
おめでとー!
186吾輩は名無しである:2005/06/20(月) 06:56:35
>>文学としては老人をリベラルに、若者を保守的という構図を取る必然性が
あったのだろうか?

これがSF映画ならば、最後に野蛮人と文明人との混血の赤ん坊の誕生のシーンを
挿入するのではないでしょうか。
187吾輩は名無しである:2005/06/20(月) 21:03:05
ホントに通俗的だ……。
188吾輩は名無しである:2005/06/21(火) 00:24:29
いやあ、死にかけた老人が、死ぬ間際に夷狄がやってくる様子を幻視して
微笑むシーンで終り。

というのも捨てがたい。
189吾輩は名無しである:2005/06/21(火) 11:33:17
>>188 disgraceのシーンが浮かんでくるのも、捨てがたい
190吾輩は名無しである:2005/08/13(土) 21:01:45
クッツェの新作、"Slow Man",ブッカー賞候補になったな。もう二回受賞してるから
いらないとおもうけど。今住んでるアデレードが舞台らしいな。
191吾輩は名無しである:2005/08/18(木) 00:50:38
slow man いつ出版されるんだろうね。今度も、ハードカバーで買うよ。
192土曜日:2005/09/19(月) 22:35:14
明日にでも届きます。
193SI:2005/09/25(日) 17:36:43
クッツェーの Waiting for Barbariansがオペラになりました。
作曲はアメリカのPhilip Glass (1937- ).
ドイツのErfurt Theaterの委嘱作品です。9月10日に世界初演されました。
私は、9月17日の公演を見ました。
ドイツのYahooにして、Erfurt Oper(スペルに注意)でプログラムがのぞけます。
11月まではやっているようです。
194吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 17:50:17
>>193
写真もうPされてる・・・いいなぁ・・ttp://www.theater-erfurt.de/

195吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 18:13:36
グラスのオペラか。
ミニマムミュージックの作曲家だよね。
いいなあ、俺も聴いてみたい。
196吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 13:14:13
クッツェー、まんせーあげ。
197吾輩は名無しである:2005/10/06(木) 20:34:27
閉塞と寂漠。老人の心象風景なのかな。あの物語全体に包む冷たい空気。
198吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 01:01:44
夷狄を待ちながら〜乾ききったアフリカの砂漠

シルトの岸辺〜じめじめした地中海の片隅

行けといわれたらどっちがいい?
199土曜日:2005/10/14(金) 00:54:48
おまえら、slow man読んだか? 俺は、まだだ。
でも最初に、「猫のように」という台詞があることだけは、言っておこう
犬のようにから猫のようにだ。さらに、いつも登場人物、とくに有色人種の
登場人物が身体に暴力の後がみられるが、ついに白人の主人公が暴力に被る
ことになる。

文章は、2万語くらいの語彙がある人間ならば、簡単だ。
200吾輩は名無しである:2005/11/18(金) 06:43:56
>>181
俺は日帝時代の朝鮮や満州を重ね合わせて読んだ。
京城、新京の支配力が及ばない辺境にあって、最後は抗日ゲリラに乗っ取られる日本人移住者の集落。
201吾輩は名無しである:2005/11/18(金) 11:27:04
さみしいな
202土曜日:2005/11/26(土) 23:46:13
>>200 いいね、俺は安部公房とクッツェー(と笙野頼子)のファンだぜ。
 安部公房もサイードのオリエンタリズムを読んで、同じようなことを書いていた。

昔の映画『モロッコ』はオリエンタリズムの典型で、もしそれを別の国が作るとしたら、
日本が満州を舞台にやるしかないだろうと。

そして、安部『闖入者』とクッツェー『恥辱』を重ね合わせて読んでいる。
203土曜日
Derek Attridge, J.M.Coetzee and the ethics of readingが届く。
初期からコステロまで網羅している。未読なのでコメントはできない