【新現実の】大塚英志 2【リハビリテーション】

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723吾輩は名無しである
>>717
みなさんは“おたく・オタク・ヲタク”という言葉を聴いて、どんな印象を持たれるでしょうか。 我が国では、ネガティブな、マニアックな印象を抱く人が、いまだに多いのではないでしょうか。

その大きな要因として、犯罪事件とオタクの関係性を報じたメディアがよく聞かれます。しかし ながら、近年【オタク】内部の要因も、挙げられるようになってきました。
それは、ライター・評論家を自称する、一部の偏ったオタクたちの存在です。彼らは、さも自分 たちがオタクの代表であるかのように、【オタク】という言葉を著書やホームページで使用して います。こうしたことも、【オタク】の矮小化に拍車をかけているように思います。

オタクの定義は現在までありません。不思議に思われる方もあるかもしれませんが、本当です。 それはこの言葉の意味が、先述した理由も含め、その時々によって、様々な用法・意味合いで用 いられてきたからに他なりません。
724吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 11:39:53
ところが、海外での【オタク】の定義はもっとシンプルです。「日本発の漫画・アニメ・ゲーム
といった商品・文化を受容する人、好む人」というのが大意となっています。そこには、
ネガティブで、 マニアックなイメージはなく、むしろポジティブな印象すら受けます。
海外の【オタク】にとって、 漫画・アニメ・ゲームは、日本の文化そのものであり、日本の
産業であり、尊敬に値するものなのです。

いまや日本が生み出した漫画・アニメ・ゲームは、【オタク】という名称で、世界から日本
文化・産業 として認識されています。そして世界に遅ればせながら、我が国でも【オタク】
は、“コンテンツビジネス” として、政界・教育界・経済界などからも認識されるようになり
ました。

資源が乏しいといわれる日本において、「無」から「有」を産むビジネスは魅力的です。
【オタク】を 文化としてだけでなく、コンテンツ産業として成立させることができれば、我が
国にとって【オタク】は 実に有益であり、21世紀は【オタク】の時代といえるのではないで
しょうか。

本書は、【オタク】を娯楽・文化として、産業として、捉えていこうとするものです。書名に
は、 その未来を担う、創造性と生産性を兼ね備えた人物【オタクエリート】が、一人でも
多く現れて 欲しいという願いが込められています。
725吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 11:40:40
[補説]
オタクという言葉は,1980年代に生まれたとされる。当初,犯罪との関連性を報じた
メディアや, ライター・評論家などを自称する偏ったオタクによる活動によって,
その意味が矮小化されてしまったため, ある一定の時期,日本ではネガティブな
意味合いの言葉として使用されていたことがある。 21世紀に入り,マニアックな
意味ではなく,一般に,広く漫画・アニメ・ゲームを楽しむ人々を指す総称となった。
726吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 12:22:35
>>720
専門学校がやってきた「クリエイター」教育を
大学が学生数確保のために必死こいて取り込もうとしているように
見えるけど。

岡田斗司夫が客員教授の大阪芸大も
大塚とササキバラが教員の神戸の芸大も
同じでしょ。

私大なら害は少ないかな。

で、必然的に「クリエイター」予備軍が多数生まれるから、
大塚の本はその層に読まれる。
競争率から考えて、プロになれない人が多数出てくるから
そういう人たちへの「癒し」として岡田はプチクリという概念を
提唱している、とw
727吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 13:26:14
ササキバラ・ゴウのサイト

2005.11.21■『オタクエリート』

ttp://www.otaken.jp/oe/about.htm
 面倒だから、この種の「いかにもありがちな出版企画」には、いちいち反応する気もなかったのですが、
ごく最近『「戦時下」のおたく』という本の編者としてクレジットされた者としては、
名指しこそされていないとはいえ、以下のような指摘は明らかな「売られた喧嘩」であると認識しますので、
この場で一言コメントしておきます。

「みなさんは“おたく・オタク・ヲタク”という言葉を聴いて、どんな印象を持たれるでしょうか。
我が国では、ネガティブな、マニアックな印象を抱く人が、いまだに多いのではないでしょうか。
その大きな要因として、犯罪事件とオタクの関係性を報じたメディアがよく聞かれます。
しかしながら、近年【オタク】内部の要因も、挙げられるようになってきました。
それは、ライター・評論家を自称する、一部の偏ったオタクたちの存在です。
彼らは、さも自分たちがオタクの代表であるかのように、【オタク】という言葉を著書やホームページで使用しています。
こうしたことも、【オタク】の矮小化に拍車をかけているように思います。」
(コンテンツ総合誌『オタクエリート』のサイトの上記URLから引用)

 「おたく」ということばをどう使おうと、それはまったく個人の自由だ。
が、このような、ことばの意味や使われ方をわざわざ問題にしている文章において、
その語の歴史性をあえて抹消して、架空の”本来性”を捏造しようとすることは、
この出版企画自体がどうしようもない大掛かりの冗談であるにしても、愚劣な行為以外のなにものでもない。
728吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 13:27:08
「【オタク】の矮小化」という表現は、
かつては矮小化されていなかった本来のすばらしい【オタク】というものがあり、
それが現在、偏った者たちによって貶められているということを意味する。
それは、明白な嘘である。矮小化されたのではなく、肥大化して祭り上げられたのだ。
その結果、ネガティブな出自がジャマもの扱いされているにすぎない。
 【オタク】ということばで商売をするために、ネガティブな要素を脱色して使いたいなら、
そんなことは偉そうな能書きなど垂れていないで勝手にすればいい。私は、ただ呆れて見ているだろう。
だが、彼らが明白に歴史を切断しようとし、その切断作業のために「ライター・評論家」を非難して
スケープゴートに利用し、ネガティブさやマニアックさの責任を押しつけ、
もっともらしく高邁な【オタク】を世に向けて語るならば、私は足蹴にされた者として黙ってはいない。
 この文を世に向けてさらしている株式会社ビブロスとOTAK運営委員会が行なっているのは、
明白な侮辱であり、きわめて愚かな行為である。