1 :
吾輩は名無しである:
以前あったスレはdat落ち。
でもやっぱり2ちゃんの文学板にはあって欲しいので立てました。
【現在入手可能な作品】
「田紳有楽/空気頭」講談社文芸文庫 ¥951
「悲しいだけ/ごん求浄土」講談社文芸文庫 ¥1100
2 :
吾輩は名無しである :04/08/27 22:25
2
いい作家だよね
3 :
吾輩は名無しである:04/08/27 22:40
でも知名度が低いからなかなか知るきっかけが無いよね。
前に文学板に立ってた藤枝静男スレがきっかけで作品を読みはじめたので、
需要はあまり無いかもしれませんが立てました。
4 :
吾輩は名無しである:04/08/27 22:49
前スレのリンクはどこ?
5 :
吾輩は名無しである:04/08/28 00:01
スレタイどういう意味?
6 :
吾輩は名無しである:04/08/28 00:38
「私々小説」ってなかったっけ?
7 :
吾輩は名無しである:04/08/28 03:26
藤枝の文芸文庫を三冊もってるんですが、どの作品から入るの?
8 :
吾輩は名無しである:04/08/28 16:25
蓮実の「私小説を読む」の藤枝静男論で見ただけで、実際の作品は
読んだことはなかったんですが、このスレに触発されて読んでみようかと。
文芸文庫かあ。
9 :
吾輩は名無しである:04/08/28 20:09
>>4 パソコンの調子が悪くて携帯電話からスレ立てしたので貼れませんでした。
すみません。
>>5 スレタイの【】の中は田紳有楽と空気頭を読んでもらえばわかります。
坪内祐三 小西康陽 笙野頼子なんかが褒めたんで読んだが、ふりかけしか
印象が残らなかった
藤枝スレ復活に欣喜雀躍。
>>10の人のほかに、川上弘美、筒井康隆も好きらしい。
ちくまが全集文庫出してくれることを熱望します。
娘のエッセイがwebで読めたはずだけど、よかったです。おすすめ。
なんか藤枝の本って、あんま出てないみたいだから、早めに探して
読んでみるかな。
著作集が3万前後で売ってるみたいだけど、金額的に難しいからね。
読んだらまた感想でも書きます。
蓮実の藤枝論ってどんな感じの内容だったんですか?
柄谷は『反文学論』で藤枝の「悲しいだけ」をけっこう評価してましたね。
私も三万弱の著作集は躊躇しますねw
持っておられる方に内容を伺いたい。
スレタイから見るに1氏は「空気頭」「田紳有楽」がお好きなのでしょうか。
私は「悲しいだけ」も大変愛読しておりますが。
藤枝の全著作を網羅したわけではないのですが、「田紳有楽」は
彼の著作のなかでもちょっと変り種な気がしますけれどいかがでしょうか。
13氏情報の柄谷による評価も、もしよろしければぜひご紹介いただきたいものです。
15 :
吾輩は名無しである:04/08/30 15:08
私は一昨年、エッセイ集も対談集も含め、全ての藤枝本を買い揃えることに成功し
ました。なおかつ、読了もしました。
高くついたけれども、うれしかったです。
顧みられるべき素晴らしい、また奇妙な作家です。
>>10 笙野の著作一冊だけ読んだけど
確かに爆裂的な妄想描写は
影響を受けたんだろね。
>>16 確か編集者に薦められて読んで、
「これでも私小説か」とカルチャーショックを受けたらしい。
>>13 読んでもない藤枝の、藤枝論の感じを説明するのも恥ずかしいのでw
一冊二冊読んでから何か感想めいたものを言わせてもらましょうか。
目に付いたところをいうと、副題が「分岐と彷徨」となっていて
「欣求浄土」における「大地隆起」「陥没」そして「彷徨」することにおける
藤枝的「存在」についてとなっていますが、作品を読まないとわからないですねw。
『「私小説」を読む』中公叢書に所収されていますので、読んでみてください。
100ページをこえる長い論ですから、読み応えあります。
私は今日、上記文芸文庫2冊と「今ここ」を予約し、近々手に入る予定です。
すでに全部読まれた方から、猛者ぞろいのようですので、教えを請いたいと思います。
では。
19 :
吾輩は名無しである:04/08/30 21:24
>>14 どうも1です。
スレタイは藤枝静男を知らない人にも興味を持ってもらえるようにつけました。
知らない作家でも、思わずクリックしたくなるスレタイにしたつもりですW
柄谷氏の藤枝静男論があるなんて知りませんでした。
スレを立てておきながら、それほど藤枝静男を読み込んでいるわけでもないので、
色々と参考になります。
桶谷秀昭が目の具合が悪いと藤枝に相談したら、電話だったのに網膜剥離の初期
症状だと断言して病院に行かせたそうですね。地元では「勝見先生」の方でお名
前が知られる名眼科医でした。うちは死んだばあちゃん、お袋、ガキの頃の俺の
三代で世話になりました。
しかし俺が中学生になった頃には勝見先生の病院はもう閉まっていた。「先生お体
の具合が悪いみたい…」とばあちゃんが言ってたが、実は勝見先生は痴呆症で、自
分が誰だか分からない状態だったらしい。「藤枝静男」のペンネームで小説を書い
ていたのを知ったのは、大学生になってからだった。お袋は「先生、一年に一度、
文学のお仲間とご旅行されるから、何日か病院休みにしていた」と話していた。
15さんの書き込みに俄然著作集欲しくなりました。
買ってしまいそうです。
実は出物も見つけてあったりw
というわけで買いました。
21000円なり。
>>21 藤枝については、どういう人かもまったく知らなかったので、医者だったとはしらなかった。
>>23 な、なんだってーって、いいなあ。しかも安いね。ネットで見る限り3万弱だな。
足で見ないといけないのかも。今日前述の本が届くはずなんだけど。
>8
easyseekで藤枝静男で検索してみて。
最後に21000円の著作集あるよん。
26 :
吾輩は名無しである:04/08/31 11:57
>>21さん
作品社より刊行されていた『作家の姿勢』という対談集を古本で購入したところ、
以前の持ち主の方が受け取った葉書が混入していました。
差出人は藤枝氏の息子さんで、当時体調を崩していた作者の代わりに返事の書け
ない折を詫びた内容になっています。
最後の作品集となった『虚懐』を読み渡すと、初期の痴呆の様子が深刻であると
同時に、ユーモラスにも滑稽なトーンで記述されていますね。
>>23さん
著作集には確か上記の『虚懐』が入っていなかったはずなので、探したほうが
よいです。
>>26さん、ありがとうございます。
著作集以外もぼつぼつそろえてはいますので、
スレ復活がいい機会かと思い、購入しました。
『虚懐』は未所持・未読なので探してみます。
>>25 いじーしーくでは、名前の通りその価格で簡単に見つけることが出来ましたが、
財布の中身があんいーじーなので今回は見送りに
・・・
それはともかく、文芸文庫が二冊きましたので、「欣求浄土」から読み始め
ました。「今ここ」は台風のせいなんでしょう、今ここには届いてません。
・・・
読み終えたらまたきます。
著作集キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
修羅場な職場に……
8氏にならって「欣求浄土」から読み返そうかな。
みろく
>>29 「今ここ」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
なんだけど、まだ「欣求浄土」の途中です。遅読なので。
そういえば「昭和新山」の話の中で、盛り上がって来た土の塊に
杭を差し込むと真っ赤に火がついて、それでタバコを吸ったという
回想がありますが、何であそこで章は、頬を赤らめずにはいられ
なかったんでしょうかね。ちょっと考えたんですが、よくわかんなかったですね。
あれってなんかの隠喩なんでしょうかね?
>30
あなたは妙見?w
しかし、妙見の背中はえげつないですな。
あそこは何度読んでも、もぞもぞします。
>31
「木と虫と山」のなかのくだりですね。
藤枝が性に拘泥していたことと併せて考えると
やはり性交を指すのではないかと思いますが、安易?
また、ささいなことですら性に結びつけてしまう己に
羞恥し、赤面したとも読める気もします。
「生きている/死んでいる」のところから、なんとなく
そう思ったのですが、我ながらスリルの欠片もない
読みとりだ。もっと妄想してかないとだめですかねw
>>15 すごいですね。エッセイ集では何が良かったですか?
>>32 なるほど性行為の隠喩ですか。そうすると確かに頬を赤らめたっていうのがわかる。
そうするとその性行為がどういう役割かですよね。
巨木も好きみたいだし。ああべつに、隠喩的に考えるのがいいってわけじゃなく、
その隠喩を壊しちゃうかもしれないってのも含めてね。
もう少し読み進めます
お住まいのあった場所も区画整理されちゃったねえ。
どこがどう私小説なのか
37 :
吾輩は名無しである:04/09/08 15:00
藤枝文学は、立派に私小説の系譜の上に則っています。
ただ時代の流れからいって、私小説のいったんの終焉の体現者として、
私小説的マニエリスムに至ったと云えるのではないでしょうか。
その意味で自己を忠実なまでに、我執や妄想おもリアリズムとして受
け止め素描することで、矛盾したままの自己、答えを求めない(求め
られない)自己、根拠や意味の皆無な空間を、そのままあるがままに
作品の中に置き去りにしたと感じられます。
徹底的にどこまでも生真面目な観察者といった印象が深いです。
38 :
吾輩は名無しである:04/09/08 15:23
>37
しかし、田紳有楽なんかはどうなんでしょう?
もはや幻想文学の領域なのでは?
39 :
吾輩は名無しである:04/09/08 15:50
>>38 ですから、自己の内から湧いて出る意味不明で脈絡のない一種デタラメなものも、
本来実体と同一のベクトルに捉えている感覚が、藤枝調なのだと考えられます。
藤枝氏は多分あれらの幻想を、幻想と言う言葉と概念では捉えていなかったと思
います。
そういうこといっちゃえばなんだって私小説だわね
41 :
吾輩は名無しである:04/09/10 19:14:11
自己というものを掘り下げてゆくと、結局自分というものが自分ではなかったり、また
制御不可能なものであったり、理解不能なものであったりするということを、ポスト・
モダニズムなどよりも先んじて、密かに描くことに成功した貴重な作家だと思う。
直接的な関連はないが、その系譜に後藤明生を置いてもよいと感じます。
この二者に共通していえることは、どちらもその不安定さを文学的行為を通じて十分に、
自由なまでに楽しんだところでしょう。
読んでいて今でも新鮮味が感じられるのは、その爽快感ゆえではないでしょうか。
エッセイとか読むととぼけた爺さんって感じでおもろい。
俺的には耕治人とペアで好きという感じ。
せっかく著作集が来たのになかなか手にも取れず。
ふがいない限り。
>>37 >>39 それは「あの子って天然だねー」といわれる子が
妙なもて方をするのと一緒ですか。
この場合、天然ぶりっ子(=養殖)はどうしようも
なく鼻につきますが。
さて藤枝はどっちでしょうか。
アンコンシャスライティングに見せかけた、緻密な
計算に基づくコンシャスライティング?
そもそも「私小説」ってなに?
わからなくなってきました。
章のように大きな木でも見に行きますかね。
しぶい
45 :
弧高の鬼才 ◆auSqARo302 :04/09/24 19:36:38
一家団欒という作品が一番好きですね。
46 :
吾輩は名無しである:04/09/24 19:41:08
「私々小説」だから>43
一家団欒のどこがいいんだい?>45
47 :
弧高の鬼才 ◆auSqARo302 :04/09/24 19:53:01
>>46 ちんこが右曲がりになるところ。いや、うそ。
機能し得ない家族に対して、なんら理想的な像を獲得できない不条理さが
情を誘うね。
48 :
37,39,41です。:04/09/24 21:02:46
思わず、「あずまんが大王」の大阪を思い出してしまいましたw。
僕はそうゆう趣味ではありませんが・・・ww。
冗談です、お許しください。
写実、自然主義を装いながらも、実は計算高く作品を、意味作用的にも構築してい
たのは、藤枝氏が師匠と仰いだ志賀直哉の方でしょうね。
藤枝氏のスタイル自体は師匠から譲り受けたものに負うところが大きいでしょうが、
中身が全くもって相反しています。随筆を読むと所々に散見できますが、藤枝氏は
志賀に好かれていません。可哀想なくらい・・。まー、志賀は誰にでも偏屈親父で
すが。
昔の人だから律儀なんですね。その無理しすぎたものが引き起こすアンヴァランス
さが、藤枝文学の底流を流れる魅力でもあり、云わば意味や象徴性を放棄した、他
の文学にあまり類をみない、狭くも広く深い、結果的に後世の読者に奇妙に開放さ
れた空間を提示するミニマルな世界観を築いたのでしょうね。
医者なのに、親族すらも救えなかった(眼医者だけど)、切ない、悔しい、でもし
ょうがない、生き物は皆死に物、あの世で踊れ、でもそれも医者だから信じられな
い・・・。
49 :
37,39,41です。:04/09/24 21:09:55
でも、踊れです。
ああ、上がってますね、しかし私はまだ「欣求浄土」で一休み。
しかし章っていうのは、私は、あほっていうか、馬鹿っていうかそんな人のような
気がして仕方ないんです(決してこれは抽象的な意味を含まず)。
「はあ、そうですかあ」ってかんじで、ひょこひょこ歩いている感じで。
あの大木に興味を持つとこは、まあ私の浅読みの範囲ですが、自然主義の残滓が
少なくとも認められるところではないかと、思ってしまいますね。
一体あの木は何なんだと。
抽象>>中傷のまちがいです。
抽象でも読めちゃいますねw
不当にけなすって意味ではなくって意味です。
52 :
グイ呑み:04/09/25 19:08:50
>>39 藤枝が何と言ってもあれは幻想文学だよ。
それじゃネルヴァルでも何でも私小説だ。
>>41 不安定さを自由なまでに楽しんだところってのは
藤枝にはないと思うよ。不安定さの中に沈んでった感じ。
それからやっぱ爽快感とは異質なものなんじゃないか?
あれはなんかズヴェラジュァァァンと粘りつく感じがするよ。
>>51 いや、「抽象」じゃ読めないから。
>>50 自然主義の残滓って白樺派っぽいってこと?
志賀直哉の影響はかなりあったみたいだけど。
>>53 章が見たいって思ってる巨木って、まあ実際見に行ったりすると、たいした
ことなかったり、切り株になってたりって場合がほとんどだから、残滓って書
いたんだけど、でもその巨木の跡は残ってるんだと思うんだよね。何であんなに巨木に
こだわるんだろうって。
なぜここから私小説の残滓って話になるかというと、大岡昇平の「姦通の記号学」の
なかに「出会い-ジル・ドゥルーズ」ってエッセイがあったって、大岡が「野火」にアカシア
の大木を登場させるんだけど、その大木は大きな「主体」を、それは国家を描いたんじゃ
ないだろうかって、ドゥルーズ引きながら自己批判してるんだよねw。自然主義的な「私」が
国家と通底してるっていうのは、言われてることだけど、浅読みの範囲でそれを移して考えて
考えてたんだ。
たいしたことなかったり、切り株になってた巨木だから、藤枝の場合その「私」は動揺したものなのかな
とも思うけど、「私」の痕跡もまた残ってるんだと思うんだよね。志賀の異端的弟子だったとしても、
そして「私」を色んな意味で動揺させて、切り株にしちゃってるとしても。後をとどめてるんじゃないかって
わたしは思ってるんだよ。
文芸文庫の 田紳有楽|空気頭 で初めて読んでいるのですが
むちゃくちゃおもしろいですね
と言うかこれ筒井康隆の虚構船団の元ネタですよね
ほとんど一緒と言ってもいい
田紳有楽のがすごいけど
ほかの作品もこういう感じなんでしょうか
57 :
グイ呑み:04/10/02 21:57:36
田紳有楽は藤枝の中でもかなり破天荒な作品だよ。
ほかのほとんどの作品はもっと日常的な事物を描写してる。
淡々としてるのに無気味なんだよなあ。
58 :
吾輩は名無しである:04/10/03 01:48:17
川上弘美もしょうのよりこもこの人には勝てない
え 勝つって何に???
59 :
吾輩は名無しである:04/10/03 02:50:08
ボルヘスのパクリだろ、所詮。
それにしても筒井はいいとこどりしやがるな。
「悲しいだけ」はとてもいいね。
>>59 どの辺がボルヘスなのか教えてくれたらうれしいですが
62 :
グイ呑み:04/10/06 23:28:31
「老いたる私小説家の私倍増小説」はみんな読んだ?
このタイトルはスゴイな。
>>62 タイトルからしてもう嬉しくなっちゃうね。
辻原登野『ザーサイの甕』は『田紳有楽』の影響を受けてるな。
独り言ですた。
65 :
吾輩は名無しである:04/10/09 23:13:46
>>62 にあった「老いたる〜」が気になって、
WEBの古本屋で『今ここ』を買ってしまいました。分厚いなこれ。
しかしちょっと気になったのが、後ろの見返し部分に、
薄い色の文字で陶淵明の「停雲」らしき漢詩が書かれていることなんです。
これって、もともとそうなんですか?
前に持っていた人が書き込んだものだったらやだなー。何かこわいし。
『今ここ』持ってる人いたら、教えてください!!
ついでに、藤枝が陶淵明を好きだったのかについても、
知ってる人がいませんかー。
66 :
吾輩は名無しである:04/10/14 16:24:17
全集とかでないんですかにい
67 :
吾輩は名無しである:04/10/15 00:13:27
しかしこれは私小説風の幻想文学ではないかな
とにかく文学用語としての私小説の範疇では区切れないのではないでしょうか
相当計算高い世界のような気もするが…… 著作集高いな
誰も持ってないのか・・・。
イヤなスレタイだな……
70 :
吾輩は名無しである:04/11/01 09:19:58
あげ
71 :
吾輩は名無しである:04/11/05 16:11:24
そういえば筒井康隆と柳瀬尚紀の対談本で初めて藤枝静男を知った。
72 :
吾輩は名無しである:04/11/06 12:25:00
「今ここ」には全部印刷してあるんじゃない?あの詩は。
>>72 やっぱりそうなのか! 教えてくれてありがとう
74 :
吾輩は名無しである:04/11/06 14:36:11
どういたしまして。ついでにいうと、表紙には
血のような赤いしみが・・・
>>74 あなたのにもついてるの? あれ。
俺のにもいっぱい血のような赤いしみがついてるよ・・・。
でも俺のは表紙だけじゃなくてページにもついてるから、確実に印刷じゃない。
たまたまですかね(苦笑)。まあいいけど。
76 :
吾輩は名無しである:04/11/09 17:33:48
俺のは表紙だけ。ああいう装丁なのでしょうね。
「今ここ」以降新刊は出てないのかな?
何という未来の明るさ
79 :
吾輩は名無しである:04/12/27 21:00:07
age
80 :
吾輩は名無しである:04/12/27 22:48:32
浜松の藤枝氏の自宅周辺は再開発が進んで今では見る影もないやね。
バブルの夢の跡と言うべきかしら。
81 :
セルジオ・チャン:04/12/27 23:00:45
藤枝静男でスレが立つなんて感激です。
僕の人生で数少ない自慢の一つが高校時代に藤枝静男にインタビューしたことです。
まぁ、よくも恐れもなく……。その時文化祭用に作った冊子が出てきて思わず読みふけったことがありました。
「高校生には僕の小説がわかるわけないよ。」みたいなことを言われましたが、今考えると当たり前ですね。
「田紳有楽」はなんとなく読んでいませんが、晩年の「みんな生きものみんな死にもの」とかは神がかった文章でした。ある意味、師匠の志賀直哉よりよいかも。
そういえば、なんだか顔つきが水木しげるに似ていましたっけ。
82 :
吾輩は名無しである:04/12/28 10:22:36
この先生、お医者さんだったんだっけ?
眼科医だよ。
84 :
吾輩は名無しである:04/12/28 13:14:05
>>81 藤枝氏にインタビューとは・・いやはや偏差値の高い高校ですなあ。
ひょっとして小柳ルミコの元旦那ダンサー氏の出身校ですかな?
85 :
吾輩は名無しである:04/12/28 13:50:00
>>81 羨ましいかぎりですなぁ。
印象に残ってるインタビューのやりとりなどがありましたら、
もっと詳しくお聞きしたいですね。
86 :
吾輩は名無しである:04/12/28 19:06:10
>>84 偏差値は低かったです。O澄さんの学校には足元にも及びません。
なのに無駄に燃えてましたね。今思い返すとそんな自分が恥ずかしくもあり可愛くもあり。
>>85 インタビューは1時間以上行っていたような気がします。
当時、わら半紙にガリ版で刷った冊子が残っています。
結構突っ込んだ話もしていて、今考えると貴重な資料といえるかも。
こんなところはどうでしょうか?
藤枝 僕は文学っていうのは個人のものだという考えが強いのでね。
万人に通じるとか、普遍的だとかって言うのは言葉にはいいけれど考えてみると曖昧だよね。
だから帰する所は結局だんだんおしつめてゆけば、自分の持っているイメージというのをその通り書くしかないっていうわけだよね。
だから僕の小説っていうのは非常に個人的であるっていうのは確かだよね。
いわゆる私小説で私の日常生活を描くっていっても、僕個人の受け取り方で書いているんですね。
だからもっと狭いんだろうな、僕のは。他人に通じないんだろうな。
そりゃ覚悟の上ですね。
それでなけりゃこんな医者なんかやりゃあしないよ。文学をやりますよ。
文学で食っていくというのなら人が気に入るよう、人に通ずるように、極端にいえば大衆小説を書かなくちゃならないんだから。
そうしなけりゃ人は読んでくれないから生活のために自然に妥協してくる。
でも、そういうことやるくらいなら書かない方がましだ、って思ったから。
だから生活の手段は他でとるわけだよ。今はあとを継がせて食わせてもらっているけど。
いや、偏差値の低い高校生相手によくもここまで誠実に答えてくれたもんだ。
改めて感動します。偉ぶったり自慢したりしない、媚びもしない、子供扱いもしない。
人間性にも感服でした。
現代の文学界から見れば、意識的には古いんでしょうか。
でも、大衆文学と純文学というカテゴリーが批判的に解体されたのをいいことにして、こういうことをまともに自問する態度さえ失ってしまった今の作家達に聞いて貰いたいものです。
まだ書きたいことは色々ありますが、長くなったので一応このへんで。
87 :
吾輩は名無しである:04/12/28 20:04:16
こういうのを読むと志賀直哉のお弟子さんだなあと思うよ。
ジャンルはどうであれ、
文学の基本的な姿勢だよな。
貴重ですよ、そのインタビューは。
88 :
吾輩は名無しである:04/12/28 20:27:29
最晩年は老人ホームに入っておられた
89 :
吾輩は名無しである:04/12/28 20:36:08
>>86 貴重なインタビューと経験談をありがとうございます。
『いわゆる私小説で私の日常生活を描くっていっても、
僕個人の受け止め方で書いているんですね』
ここなんて思わずうなってしまいますね。
90 :
セルジオ・チャン:04/12/28 22:25:10
通常、こんなことを言う人はオレ様くんなんだけど。
また、下手な作品を書いてこんなふうに開き直る人もよく見ます。
でも実際彼の小説を読むと、何より自分に対して最も容赦がない。辛いほど徹底している。
潔癖。まさに明治生まれの紳士です。
余計なサービスかもしれませんが、こんなことも言っていますので読んでください。
藤枝 僕の「空気頭」ってのを君、読んだっていうけどねえ。
豊橋と浜松の婦人読書会ってのがあるでしょう?
で、僕は小説なんかを書いたりして、その会長みたいなものをやったりしたもんだから、二百人以上の三十歳くらいの女の人が来るんだよ。
それが一つのテキストを選んで、それについていろんな意見をして、で、最期にそれを総括したやつを喋るんだよ。
そうして「空気頭」を書いた僕が喋る。そういうやり方だな。
そうしたらね、君、これは嘘じゃないよ。
「こんないやらしい小説はない」と言った人が97〜8%なんだよ。驚くだろう?
ひとつの小説を読んでね、あんないやらしいというのが97〜8%ってことは、この世にはないよね。
多少はそうじゃない人もいるんだよ。いる筈だよな。ところがあの小説に限ってそうだった。
僕はね、壇の上に座っていたけど答えようがない。
だからね、僕は非常に失望したね。つまりそうやって読まれちゃったら全然だね。
このあとちょっとユーモラスな「婦人批判」が続きます。
冊子には載せなかったけれど、「先生は本当に糞を飲んだんですか?」と聞かれたといって半ばあきれ、半ば腹をたてていらっしゃいましたっけ。
浜松は文化果つる地だからなぁ。しょうがないか。
藤枝さんも、この時、地元の印象に付いて聞かれて、「やくざと労働者の町。西部劇の町」だと言っています。
今でも変わりませんね。
「労働者」を差別してしまっているのかもしれないけど、体を使ってくたくたになるまで働いたあとに、なかなか文化へ手は伸びないのです。
それはそれでいいけど、上っ面の文化を欲しがってハコものばっかり作ってるのはいただけないな。
91 :
吾輩は名無しである:04/12/28 23:36:10
>上っ面の文化を欲しがってハコものばっかり作ってるのはいただけないな
それで藤枝の家の近辺が迷惑を被ったって訳か・・
気の毒に。
おいおい、激烈なまでに貴重な話をありがとう!興奮してしまったよ。
93 :
吾輩は名無しである:04/12/30 00:21:59
2chてばかにするけどほんのたまにこういう話があるんだよな。
94 :
吾輩は名無しである:04/12/30 00:58:42
goodjob!!!!!!
>>86 どうでもいいことだが、
大隈件やはそんなにかしこいのか?
96 :
吾輩は名無しである:04/12/30 15:04:13
>>90 面白いインタビューですね。
それにしても97%の夫人が空気頭をいやらしい小説だと評するなんて…
呆れてしまったでしょうね。
97 :
吾輩は名無しである:05/01/02 04:08:05
>90
僕は浜松出身で「空気頭」を実に上品な小説として読んだクチなので、
その話はとても面白い。貴重な話ですね。
藤枝の一ファンとして僕もお礼をいいたくて書きこみです。
みなさんに興味を持って読んでもらえてよかったです。
当時の冊子にはまだまだたくさんのインタビューが載せられています。
また機会があったら書き込んでみたいと思います。
丁寧にコメントをくださってありがとうございました。
100 :
吾輩は名無しである:05/01/19 22:02:44
100
志賀の末弟子の阿川弘之は藤枝が苦手でたまらなかったようだね。本を送っても、
痛いところをピシピシ突いてくるような手紙が届いて、後輩の才能を伸ばすような
ことをしてくれてもいいのでは、と思ったと追悼文で書いていた。それ以外にも、
藤枝が旧マルクス主義者の集まりである「近代文学」の連中と交流を持っていた
ことや、敗戦後、昭和天皇を激しく攻撃した中野重治を藤枝が高く評価していた
ことが気に食わなかったようで、師匠の伝記「志賀直哉」では藤枝の言葉を、否
定的なニュアンスで引用していた。
102 :
吾輩は名無しである:05/02/10 23:58:31
hoshu
103 :
吾輩は名無しである:05/03/03 01:31:07
>>101 格が違うだろ。
どっちが偉いかなんて、決まってるじゃん。
>>103 さあ、どうだろう。それは読む人によるだろう。
105 :
MJ ◆wonaVoLdpg :05/03/10 20:27:29
「欣求浄土」読了。
びびった。
色川とおなじくらい迫力の在る作家だな。
とくに「一家団欒」に脱帽。
h
107 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/02(土) 00:12:37
『私々小説』読了。これも凄いな。
108 :
吾輩は名無しである:2005/04/17(日) 00:15:42
誰かいないの?
語ろうよ…(´・ω・`)
109 :
吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:02:03
保守☆
110 :
吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 21:06:41
ぺいい〜っ☆保守
講談社文芸文庫で出ている二冊は読んだんですが、次は何がお薦めですか?
古本屋、図書館等で読み続けたいので。
112 :
吾輩は名無しである :2005/06/24(金) 00:04:59
114 :
吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 16:33:32
このスレで半年ほど前に話題になっていた「今ここ」の
血のような赤いしみ≠フことですが、
僕が買ったものにもページにまで染み渡っているのですが、
今日偶然古書店で「今ここ」を目撃して手にとってみると、
まったくそのしみがカバーにないことに気づきました。
なんだか蒸し返すようで悪いですが、怖くなって…
誰か真実を教えてください。
116 :
吾輩は名無しである:2005/08/30(火) 23:35:38
「怠惰な男」という短篇はどこに入っているんだろ?
117 :
吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 21:19:52
この人の函入本の装丁はどれも渋くていい感じ。
たまたま見つけたので保守ついでにカキコ。
てゆうかインタビュー話は貴重だな。
ソースの無いネットとはいえ、すげえ藤枝らしいし、
万一、捏造だとしたら捏造したヤシは天才だと思うのでそれも良し。
(いや疑ってませんよ)
個人的は『田神有楽』すげえ好き。
あれ雑誌初出を確かめたけど、最初の部分だけ読めば私小説かと思うんだよ
最初に読んだ人はいきなりのアレにびっくりしたろうな。
パラノイア患者の話かと思うかもしれん。
119 :
吾輩は名無しである:2005/09/22(木) 23:46:57
死去された時、本当に検体されたのですか?
ああ、これは非常に大事なスレだ。
末永く続いてくれますように。
121 :
名無し高生:2005/09/28(水) 23:43:26
静岡県藤○市立葉○中学校の3年1組八木○○乃
全国の皆さん↑の人はすごくムカつきますよ!!!!
嘘の噂をすごいながします。許せません。
そういう奴はこの世から消えてほしいです。
The end.
おっさんおばさんしかこないここでそんなこといわれてもなァ
123 :
吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 11:37:38
保守☆.。.:*・°
124 :
吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 19:09:27
怠惰な男は或る年の〜。
著作集5で読もう。ケータイから保守
125 :
65:2005/11/06(日) 09:45:36
>>114 亀レス失礼。まだ見てるかな?
あれ、本当にこわいよねw
でも私の友人も古本で買ったけど、赤いシミがついていたよ。
74さんの本もそうだし。だから安心していいと思う。
あなたが見た本に何でついてなかったのか不思議だけど。
まだ生きてるの?
ちーん。
顔がエッチなお爺さん
128 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/08(日) 18:19:33
はじめまして、
私の所持する「今ここ」も先日箱から出したら、
見事に赤い斑点が・・・買ったときには存在せず。
あの色のカビか、はたまた藤枝静男の血の轍か。
129 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/08(日) 18:27:03
n
130 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 20:15:38
川上弘美のファンなので、エッセイの中で絶賛されていた「田紳有楽」を読んでみましたが、
まったく話がわかりませんでした…。
夢野久作の「ドグラ・マグラ」のようだと思いました。
誰か解説してください。
131 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 10:08:26
>130
文芸文庫で読んだのかな。「空気頭」はどうでした?
これはかなりわかりやすい小説ですよ。未読でしたらこっちも是非。
「田紳有楽」に関していうと、悟り≠ニはどういうことかを考えながら読むと、
面白みは倍増するように思います。
いささかシュールな作品ですが、そこにある種の凄み≠感じとれたなら、
藤枝ワールドにすんなり突入できると思います。
もっと初期の頃とかは、リアリズムで普通の私小説のような感じですよ。
132 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 01:19:17
というか「ドグラ・マグラ」のように読めばいいんじゃない?
『ドグラ・マグラ』は理詰めの作品であって、全然シュールではない。
それを一緒くたにしとる時点で、まともに読める見込み無し。
>>130 「空気頭」はまだ読んでいません。
「田紳有楽」でグッタリしてしまい、今は保坂和志などを読んで休憩中です。
“悟り”…ですか。
どうもありがとうございます。「空気頭」読んでみます。
>>132-133 「田紳有楽」ももしかしたら「理詰めの作品」で正解の解釈があるのかなと思い質問しました。
136 :
131:2006/01/17(火) 06:31:25
>134
「田紳有楽」は予備知識が何もない人のほうが面白く読めると思うんです。
133さんがいっているように、これは理詰めの作品じゃないので、
アッパー系のドラッグをやっているような感じで、サイケデリックに堪能するのがコツです。
ただし、これはあくまで私小説であって、どのように読んでもいいと思いますけど、
藤枝ならではの偏屈な個性もあったりするんですよね。
「空気頭」を読めばそのことが少しわかると思います。
川上や保坂などを読むのなら、笙野頼子はどうでしょうか?
藤枝静男の資質を取り入れたいちばんの現代作家は彼女だと思いますよ。
>>134 >「田紳有楽」ももしかしたら「理詰めの作品」で正解の解釈があるのかなと思い
どこを読んだら、あれが理詰めで読解できると見えるんだ? どうかしてる。
献体しました。バラバラですよ。
139 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 14:50:09
私も今日、田紳有楽を読み終えました。
一発目がこれだったから辛かった。
わりと読書好きな方なのだが、全然、わからん。
登場人物すら、確実に認識できなかった。
空気頭いってみます。
140 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 14:58:24
>>139 「空気頭」には驚くよ。読んだら感想なんかを書いてくれたら嬉しいです。
141 :
139:2006/02/03(金) 15:41:31
>>140 わかりました。
横道にそれるけど、田紳有楽を読んで、
もしやと思ったら、やはり藤枝氏は医者だったのですね。
ステロイドに関する知識が正確でした。
142 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 00:55:06
>>133 「理詰めの作品」と「シュール」を分けている時点で問題外。
読み手としてお粗末。
143 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/05(日) 01:05:35
↑えっ、なんでよ?
144 :
139:2006/02/09(木) 23:05:55
空気頭、読みました。
これはさくっと読めた。
面白かったです。
率直に言って、ちょいとスタンドプレー気味かなと思いましたが、
読書の楽しさ改めて認識しました。
野暮な質問です。
どこまでがフィクションで、
どこまでが実体験なのでしょうか。
145 :
吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 21:29:00
ほんとに野暮な質問だなあ。
虚実が明確にわかったら面白みが半減しちゃうよ。
146 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 04:19:28
>>142 そもそも、「まともに読める見込み」が問題外では?
>>144 田紳有楽も空気頭も実体験でしょうね。
「スタンドプレー気味」ってのはどういうこと?
147 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 04:21:37
笙野の金毘羅は田紳有楽のインスパイア?
>>147 そう聞いたことがありますが
読んだことないんだけど面白い?
本が手元にないし忘れてしまったんですけど、
「空気頭」の一部分がインスパイヤーだったはずですが、
なんて人のなんて作品か、わかる方おられませんか?
>>148 つまんないけど、それでも高く評価しないと文学が読めない人というレッテルが貼られるから、
少なくない人が評価している、そんな小説ですね。
物体がしゃべくりまくるとか、
「虚航船団」はかなり
>>149 全集の6巻に書いてあった。
が、手元にない。文庫版は知らん
152 :
144:2006/02/20(月) 13:15:19
>>146 まだ読んでない人に対して、ネタばれになるから詳しくは書かないけど、
○○のノミクイのあたりは、故意に衝撃的にしているのかなと思った。
153 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 03:38:07
私小説を読んだ感想で
故意に衝撃的にすること、つまり読者意識がスタンドプレーとはこれいかに
ところで現在形の「空気頭」は、私にとってはひとつの発展であったと思っているが、佐々木基
一氏の小説中の一場面を氏の許諾を得て使った。今度この著作集の第六巻に初稿と現在形の双方が
収められたので、この「写し」部分の(原作)をそのままに引き写して掲げておきたい。この小説
は雑誌『近代文学』創刊号(昭和二十一年一月号)に埴谷雄高氏の「死霊」とならんで長編の第一
回として発表され、しかし何故か年末の十一月十二月合併号を最後として第五回をもって中絶して
しまった「停れる時の合間に」の冒頭部分で、主人公須永が敗戦直後の上野駅構内で突然の白昼夢
に似た瞬間を経験する場面である。
――それは恰度遠い過去が現在に蘇り、さうしてまた現在が、その時の流れの中から抜け出し
て、一つの思ひ出に似たものになってしまふやうな瞬間であつた。いままで雑多な物音が一緒に
なつてただわあんといふ喚きのやうに聴えてゐた騒音がぴたりと消えた。と同時に、あたりのも
のすべてが、待合室も、その隣りの人だかりのした案内所も、売店も、公衆電話室も、天井から
ぶら下つた時間表も、荷物や子供を背負つた男も女も、行列も、一切のものが夢の中の風景のや
うにそれらのもつ実質の重さを失つてしまつたかのやうだつた。そして須永はあらゆる意志から
解放されて、自分から抜け出して行く自分を感じた。抜け出した方の彼はフワフワと中空に昇つ
て行つて、斜め上から下を俯瞰した。するとそこに、すべて重さを失つた光景の中に、完全な点
景人物として溶けこんでしまつた自分が、リュック・サックを背負つたまま人々の雑踏の間にぽ
つねんと立つてゐた――。
私が〈初稿〉で女給のパリ子にモテている美青年の美学者の名を「須永」としたのは原作「停れ
る時の合間に」の主人公の姓が「須永」となつていたからで、引用個所がここであることを暗示す
るためであった。次手に云うと佐々木氏は本姓「永井」である。もひとつ次手に余計なことをつけ
加えると、私はこの場面で須永と同じカフェに坐って語りあっている四十過ぎの野暮天大学講師に
平形研、本堂春吾という名をつけたりした。――それにしても、この傑作を予感させる「停れる時
の合間に」が中絶したまま三十余年の現在に至っていることはかえすがえすも残念である。私は
佐々木氏が僚友埴谷氏の「死霊」のひそみにならって続編を書き継がれんことを熱望して已まぬも
のの一人であることをここに記しておきたい。またそうなればこんな場所にわざわざ長い引用を写
さなくとも済むということになるのである。…(以下略)… 一九七七年三月 藤枝静男
157 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 10:33:59
?
乙です。
159 :
149:2006/02/23(木) 05:45:22
>>154-156 おお、それです。ありがd、すっきりしますた。
佐々木基一「停れる時の合間に」。メモっておこう。
ちーん。
静男おじいちゃん、
セブンスターの線香だが、いま手持ちはこれしかない故勘弁してつかあさい
次郎さんの十三回忌が近いのですね。
藤枝さんには手製の紙巻煙草に点火しそこなった話しがありましたっけ
―・~~
162 :
吾輩は名無しである:2006/04/05(水) 15:17:41
保守
このスレタイは酷いな。
164 :
吾輩は名無しである:2006/04/28(金) 03:36:43
保守☆.。.:*・°
たしかにスレタイじゃ語る気なくすわな。
166 :
セルジオ・チャン :2006/04/30(日) 20:25:55
久しぶりに書き込みます。藤枝静男さんにお会いして30年近く経ってようやく「田紳有楽」を読了したので。
まったく凄まじい小説でした。藤枝さんの小説は全体的に重く読みにくい上に、プロットだけ紹介されているのを読むと薄気味悪くて。
薄気味悪いのは苦手です。昔の「ガロ」の漫画も苦手でしたから……。
暇つぶしに図書館に行って偶然著作集を見かけたのでその中から「田紳有楽」を立ち読み状態で読み始め、半分ほど読んで後は文芸文庫を買って読みました。
著作集は僕が高校生の時代にもう既に出ていて、夕暮れに旧浜北市の木造の図書館でインタビュー前の付け焼き刃に読んだことを思い出しました。
一冊一冊に自分の名前を押印してあるのですが、それも一文字一文字違う色で押し分けてあるのです。結構大変な作業であった、とご自身で書いています。(そのことを著作集に書けたのは、各巻が段々に出版されていったからでしょうか?)
藤枝さんは著作の出版部数も少なく、著者の検印を一冊一冊押していったようなので、しばらく前にここで話題になっていた「赤い染み」は、捺印の作業の時のものかもしれませんね。
167 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 20:53:06
長くなったので分けました。
僕の感想ですが、「田紳有楽」はやはり私小説ではないかと。
そして私小説としての凄みは、伝統的な、何というか文人的教養にあるのではないでしょうか。
特に最初の私小説的な部分の描写の緻密さ、植物や骨董への造形の深さが注目されます。
単なる知識ではない。肉体的知識。しかも肉体化されているから知識自体に肉体的嫌悪、つまり感情があります。
いや、その言い方ではまだ及ばないな。知識自体の存在感といえばいいのか?僕たち以後の世代には絶対にないものだと思います。
え〜と、たとえば骨董の知識は骨董を扱う山師のような怪しげな骨董屋との実際の交流抜きには語れないでしょう。
もちろん、その中には志賀直哉や、その周辺に集まる人物の体温と体臭も感じられます。知識も、作中の皮膚疾患の描写も同じ次元のものなのですね!……いや、たぶん。
「田紳有楽」の池は勝見邸に実在しました。藤枝さんは色々生き物も飼育されていたようです。高校生の時のインタビューの帰りに、玄関口の下駄箱か何かの上のプラスチックの鉢を指して、「君、ここにヘビがいるよ。」とおっしゃいました。
「ヘビの脱皮するところを孫に見せたくて飼っているんだ。」この後で「みんな生き物、みんな死にもの」という作品にそのへんのことを書いています。
この時僕は、「孫思いの好人物のおじいさんの一面がうかがわれるようで、おもしろく思えた」などと知った風なことを書いているのですが、そんな生やさしいものではなかったのですね。お孫さんはどんな人に育っているのでしょうか?
「田紳有楽」は夢の小説だけど、寝汗をかいて見る夢、心臓の動悸と直結した夢、全身の掻痒感が乗り移った夢、なんと重い夢なんだろう。
それが僕の感想です。
僕ら、いや僕にも重さがないわけじゃない、でもその種の重さはない。80年代に意識して捨てたんだったっけな。
>>167 どうでもいい感想ダラダラ書いてんじゃねーよ。
>>169 意地の悪いこと言うもんじゃないよ、生理か?
文庫の解説に書いてるようなこと言ってるだけじゃん。
すまん、168=170だが実は中は読んでないんだ…見た目読みにくいと
さっさとスルーが習慣なんで…。悪かった、
文庫の解説…じゃなお読む気しないな。ボツだ
>>167
気にしないでもっと書いてよ
文庫の解説に書いてるようなことすら書いてない
1行レスは無視してさ
だから書けないんだって。
175 :
吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 00:38:55
今日、明日、あさっては藤枝さんのお住まいだった場所の上を屋台と群集が練り歩いているわけですね
176 :
吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 11:28:50
うんちふりかけ、って何の作品に出てくるの?
177 :
l:2006/05/05(金) 07:20:27
『空気頭』ですね。
「近代文学」誌上に掲載された1952年版(初稿空気頭)から登場しています。
作品にふたつの版が存在することにかんしては、ちょっとここでは要約できませんけれども、
どちらも一読の価値はあります。
……彼は、一週に一回は、肥溜の上皮の乾燥した部分を採って来て、磨鉢でよく粉にして、
それを節に如露みたいな穴をあけた竹筒に入れて常用し、昼飯には弁当の上にふりかけて
食うとのことであった。」
以上が1952年版《散薬》の製法にかんする記述、
1967年版《人糞の粉》の製法にかんする記述は以下のとおりです。
……彼は週に一回くらいの割りで、夜にまぎれて郊外の畑の糞溜めの中からその上皮の
固まったところを盗んでくるのだということでした。
「自分のものを食うわけにも行かず、それにまあ別だん金目のもんというわけでもないしねえ」
と彼は云いました。それを更に蓆に干して、カラカラに乾いたところを乳鉢で細かく
磨り潰すのだとのことでした。」
わかりやすい自演ですね。
179 :
l:2006/05/05(金) 10:39:40
あげておきます。
>>159 没後出版『停れる時の合間に』の序文には埴谷が筆をとっていたと記憶しています。
時を経て「近代文学」誌の諸傾向について触れた文章にも興味ぶかいものがありますが、
藤枝の処女作となった「路」が書かれ、掲載されるにあたっての経緯等にも触れていたはずです。
2500円で古本屋で見かけましたが、わたしは電車賃をケチって買いませんでした。
ところで、メモ帳に著作集第六巻の「藤枝静男年譜」を打ってあります。
なにかと便利じゃないかと思いますが、貼付しましょうか。すこしレスの数をとりますけど。
180 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 20:54:10
返レス遅っ!
181 :
吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 10:59:31
藤枝静男も、小島信夫も、後藤明生も、皆変な感覚の持ち主
でいいよね。
あー、おれもこのラインの作家たちは好きだなあ
183 :
吾輩は名無しである:2006/05/11(木) 00:07:03
藤枝静男から見ると、小島信夫も後藤明生もガキっぽく見えてしまう。
藤枝静男は作品数少ないし、出来、不出来の落差があるから、そんなに凄くはないぞ。
185 :
吾輩は名無しである:2006/05/11(木) 00:30:42
どこが凄いのかよくわからないんだが、
とにかくブキミな凄みがあるんだよ。
小島や後藤あたりとは桁がちがう感じ。
『田紳有楽』作中には「偽倍増の」という思いきった形容が出てきます。
この倍増が遠く拾遺集『今ここ』所収の「老いたる私小説家の私倍増小説」という題にまで及ぶこと、
またこの倍増から発表当時の読者が当然連想したであろう1960年代の政策名《国民所得倍増計画》、
……国民所得の偽の私の……
「個人的なものだ」というインタビューに対しての断言は、つまり礼儀でしょうね。
[ちょっと思うところあるので一気に書き込んでおきます。]
迷った方もいらしたようですが、藤枝の小説群が私小説かどうかというのは難問です。
個人をめぐった時間の推移が他者に反映する映像を自己と見なすことにおいて得られるということを思えば、
何度でも問い直して飽きることのない質問だとも言えます。そこが野暮なのだとも言えるでしょう。
彼の小説や随筆を読んでいますと、自身の語彙への真摯さがうかがわれるだけあって、この難問はさらに袋小路です。
ファンは彼の文章を読むとき目を皿にして読みますし、資料としての蓄積が重なれば、自然と避けがたい同一化がはじまります。
その間、畏敬の念はつのるばかりです。文字通り、(各)私の私小説という事態に陥ることは目に見えているのです。
(そういった意味合いにおいて著作集第二巻月報での後藤の声明は、俄然興味ぶかさを帯びると言えます。)
おそらくは簡単なことなのです。作家は作品の所有になるものであって、作品は墓所であり、
作家は念入りに《焼き殺された》骨蔵器なのです。
西洋の小説観を引きあいに出せば、読者こそ彼の読書のうちでただひとり生きた登場人物だ(ロブ=グリエ)という具合で、
ここに私見をはさむなら藤枝の小説を読むというのは、墓参りをした先で頁を繰るごとに出会う墓碑を次々とフロッタージュする
ということになるのかもしれないなと思っています。
彼のきざみつけた一行が、なぜこんなにも明晰なのかとはよく思うことです。
あの異様な明かるさは塗りこめられることのない空白部分からのものであり、その明かるさを獲得するための方途、
あのくるしみの閉鎖なのだとも思っています。一言でいえば、それがわたしの感じる凄みです。
彼(私)の喪失のあとかたを潤色するのは容易であると言えます。
しかしそれは、白というその色が、無色の代名詞であるとともに何色にでも染められるということ、
しかし白という名をもつ固有の色でもあるということを看過してのことではないでしょうか。
透明であることとは異なり、あらゆるものを受容しうる可能性は、そのじつ、あるあらがいの追訴を秘めているということを、
この作家の愛読者は肌身をもって感じているのではないでしょうか。
彼の墓所の内外にいそうなひとの名前を挙げることもできそうですね。
「私は家の仏壇または寺の墓を見ると迷信的にそこに魂が存在しているような錯覚に陥るが、
反対に僧の読経がはじまると途端に「何もない」と悟る習慣がある。この習慣のせいで、
このときもすっかり白けて肉体オンリーとなったのであった。」(私々小説)
友だちいないのか?
痛いところ突くね。数えるほどもいないよ。留学、就職、結婚……
はー。勘弁しとくれ
「阿闍梨ケ池」のモデルとなった桜ヶ池は浜岡原子力発電所の近くにあります。
「御櫃収め」は秋分の日(秋彼岸の中日)に行われます。奇祭と知られているだけあって九州からバスでやって来るひとたちもいます。
地元では《ミロク》を待って蛇と化したといったものではなく、お姫様を待って、という伝承の仕方なんですけれど。
原子力発電所の見学もできますし、ポニーの乗馬場、御前崎の灯台などもあります。最近では漁獲量が減っていますけれど魚河岸もあります。
ご家族で連れだって行っても退屈しないはずです。ぜひお出かけください。
>>180 気のせいじゃないかな。
190 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 20:10:21
『空気頭』のふたつの版の異同についてもっと聞きたいですね。
感情移入がキツいので、比較しているうちにはりさけます。笑
2つの距離を固定することなく認めながらぽつぽつと話しあっていきたいなと、思うのですがどうでしょう。
「空気頭(Ver.2)」は3つのパートに分かれています。2つある間隙を埋めるのは「○」です。
なんのために書くのか、書いているのかは触れられていません。隠しているようでもない。一人称は《私》です。
(どこに記述があったか忘れましたが、藤枝は《悟達》した禅の高僧が、
いかにも悟ったかのように「○」とだけ描いたものを展示し、「これが空、無我の境地だ」と言わんばかりに
ふんぞり返っているのに対して嫌悪感をあらわにした文章を、一度ならず書いていたと記憶しています。)
「空気頭(初稿)」では東京医科大学中退の精神薄弱性インポテント患者A君が、
Schafkopfs Archivに自分の病状とその治療法の論文を寄稿した経緯を神経科の専門家に語るという体裁をとっています。
一人称は《己》です。《専門家》が聴取したものを起稿したと考えるのが自然でしょうね。
この己は、ちょっとしたはずみで二人称へと転換する危険がひそんでいるとも言えます。感染というか、伝染というかな。
あのくそ生意気な吉田知子も
藤枝静男には逆らえなかった。
リアルタイムで現場見たよw
つーか、年ばれるな
先週出先の古本屋で欣求浄土の単行本を見かけました。
初めて手に取ったのですが、スッカスカの、隙間だらけの文字組みに店頭でしばらく足がふるえました。
だいぶ函の日焼けした、ところどころに線の引かれた第五刷です。
それらは商品として古書の価値を減ずる要素しかないのでしょうが、決して悪い気持はしませんでした。
もちろん買いませんでしたけど。
>192
藤枝の肉声ってどんな響きだったのですか。
どういうシャガレ方をしていたかとか笑い方はどうだったのかとか、すごく気になるところだったり。
非チェインスモーキングのヘビースモーカーのイメージがあったりして。
194 :
吾輩は名無しである:2006/07/04(火) 14:39:11
保守
195 :
吾輩は名無しである:2006/08/07(月) 03:30:36
保守
196 :
吾輩は名無しである:2006/08/07(月) 15:59:45
>>114 >>124 遅レスだがコワい…
ほとんどの本についてるなら血ではないだろうね。
カビかなんかを発生させる物質が装丁に使ってあるんだろうか?
初めて知ったけど藤枝静男って面白そうだな。
197 :
吾輩は名無しである:2006/08/20(日) 15:40:27
空気頭だっけか?
あのタイトルはついつい空気嫁に見えてしまう。
198 :
吾輩は名無しである:2006/09/28(木) 00:42:09
保守
199 :
吾輩は名無しである:2006/10/29(日) 16:59:07
ホシュ
200 :
吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 01:14:25
文庫ももう出そうにない。。。
201 :
吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 01:28:43
浜岡原発の見学したーい
クソスレ。
203 :
吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 17:32:10
講談社から出た「海」の対談集に、藤枝静男の対談がありました。
204 :
吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 00:49:15
くそすれあげ
205 :
KEMANAI:2007/02/07(水) 23:56:00
嗚呼、スレタイがう○ちだけにクソスレとはこれいかに。
しかし、この作家の本の装丁はたいがいいいね。
『虚懐』の布張りの色って、函に比してどぎついじゃないですか。
褪色するなり古色が出てくるなりすると、どうなるんでしょうね。
207 :
:「KEMANAI」@タコシェ:2007/03/16(金) 01:03:21
『虚懐』のクロスは緑色のやつだっけ?
函はいいよね。
そう。いい函。緑地に墨のような薄めのインクで『虚懐 藤枝静男』です。
背をみるたびごとに黒い石、黒い石と合掌したくなる。
209 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 20:55:22
メモっておこう
メモらせるようなことではないでしょうに。どうもこう、妙な気分になりますから、
なけなしの情報を一つ提供。藤枝市郷土博物館内に、文学館創設の予定だそうです。
開館されれば興味深い資料公開があるかもしれませんね。
「 私は一対一の殺しあいでも人殺しには絶対
反対ですから、核装備など論外で留保の余地
はありません。」
アンケート特集 文学者の反核声明=私はこう考える
すばる 82年5月号からの抜萃
編集部からのアンケートへの藤枝静男の回答
*
参考
●質問 拝啓 時下益々御清祥のこととお慶び申しあげます。
さて、一月二十日「核戦争の危機を訴える文学者の声明」が発表され、
三月三日現在、四六五名の文学者の方々が署名されています。また、
科学者、音楽家の方々の間でも、同種類の声明が準備されるなど、核
問題がいかに焦眉の問題であるかを示しています。しかしながら、その
後報道されるところによりますと、署名にはっきり拒否の意志を表明さ
れた方、または署名はされたものの、留保をつけられた方もいらっしゃ
り、この問題が複雑な側面を持っていることを示しています。
そこで、おたずね申しあげます。
この声明に、あなたはどのようなお考えをお持ちでしょうか。腹蔵ない
御意見を賜わりますれば幸甚です。御意見は「すばる」五月号誌上に
特集「文学者反核声明について考える」(仮題)として掲載させていた
だきます。分量は四〇〇字を標準としますがそれ以上でも以下でも結
構です。
締切は三月十九日(金曜日)です。同封の封筒にて御送付いただけ
れば幸いです。
敬具
三月八日
すばる編集部
すんげーかっこいいな
かっこいい一節って、藤枝静男の作品には、かなりたくさんあると
思うんだけれど、上の回答は一瞬わが目を疑うようなかっこよさだ。
でも、これは作品だろうか?
文芸文庫はたけぇなぁ
自分のことは誰よりもよく知ってるはずだけど、それを小奇麗に活字にしたら他人がそこに現われる。
そもそも、自分で自分のことをどこまでわかっているかもわからないし・・・
だから、自分なんてこの世に存在していない。でも、あくまでも自分のことだけを書きたい。
日本ではここまで私小説に徹した人はいないだろな。自分への執着が凄すぎw
海外だとクロード・シモンが近い作家だな。
216 :
215:2007/08/23(木) 05:19:35
もちろん究極の私小説は精神病患者や幼児が書く。彼らは100%自分の頭の中のことを書くからな。
そこは藤枝もシモンも同じなんだが、一線を画するのは異様なまでの形式への美意識なんだな。
骨董マニアや絵画鑑賞家が精神病レベルの私小説を書くとこうなるんだろう。
蓮實の藤枝論にはなにか反応したんだろうか?
218 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 06:43:06
保守
『作家の姿勢』購入記念カキコ
220 :
吾輩は名無しである:2007/11/17(土) 22:18:15
なんで、この人の作品は売れなかったの?
価値がないから
222 :
吾輩は名無しである:2007/11/17(土) 22:32:12
具体的にお願いしますよ。読みにくいとか、地味だからとか
ストーリー的にありきたりとか。
詳しいことは知らないので教えていただけませんか?
223 :
吾輩は名無しである:2007/11/17(土) 23:37:34
「小説集十冊と随筆集三冊の初版各三千部そこそこの大部分が、
売れ残ったあげくに絶版になっているのも作者としてみれば
心残りの感がなくもなかったのである。」
上は「著作集を終えて」から。
こういうふうに物惜しげに洩らしている文章ならある。
予想されていた売上げに比べて売れなかったのかは知らない。
売れ残ったと思われる作品集(空気頭までだと思う)についていえば
221ではないが売れる小説集ではなかったからとしか言いようのないことだと思う。
>>86を見て手っ取り早くわかってくれ。
ただ、六巻からなる著作集の各二千七百部は全部売れたんだろう。
そのうちのいくらかは図書館にも行っているよ。
224 :
吾輩は名無しである:2007/12/12(水) 04:05:33
保守
225 :
吾輩は名無しである:2008/03/17(月) 23:23:36
チベット大変ですよチベット
田紳有楽/空気頭以外にブッ飛んだ小説書いているんですか?
227 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 13:30:30
小川国夫が亡くなりましたね。
藤枝市出身ですよね。
228 :
吾輩は名無しである:2008/04/22(火) 00:45:47
高橋のギャングは認めなかったんだよな。
高橋は嫌いだが、初期作品は好きなので、ちょっと気になった。
「読むには、あまりにも余生が惜しい」と言ったのって藤枝?
231 :
吾輩は名無しである:2008/06/27(金) 01:49:58
ギャングは最終章がしぼんでるよね
保守
眼がね、ギロリとして恐かったよ。
二十歳頃は平野なんかに「カラス」とか呼ばれてたらしいけど、
たしかにそんな感じ。いうならばカラス天狗。
「悲しいだけ」に「半僧坊」という短編が入ってるけど、
あれもいい作品だよ。きっと自画像みたいな共感があるんだろうな。
233 :
吾輩は名無しである:2008/07/19(土) 00:45:52
この人の小説は なぜ売れないんですか?
書評家みたいなのに牛耳られてるから
235 :
吾輩は名無しである:2008/07/19(土) 01:38:48
地味だからでしょ
POPな文体にできないのは
しょせん医者だから
236 :
吾輩は名無しである:2008/08/22(金) 00:22:53
ほしゅ
237 :
吾輩は名無しである:2008/10/23(木) 00:14:07
あげ
238 :
吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 10:20:54
入手できる作品すくね
■ペマ・ギャルポ氏の警告(2005年日本に帰化、桐蔭横浜大学法学部教授)
敬虔な仏教国チベットでは指導者である僧侶達が殺生を禁じ
「仏を拝んでいれば平和は保たれる」と主張し抵抗を禁じたがその結果チベットは地獄になってしまった。
中共軍が本格的に直入してきた時、チベット軍はすでに解体させられていた。
「インドに頼もう」とか「国連に訴えよう」とチベットは行動をおこしたがインドは動かなかった。
国連司法裁判所では「中国のチベット進攻は侵略である」と認定したがそれだけであった。
そして95%の僧院が破壊され、120万人のチベット人が虐殺された。
日本人に言いたい事は、自分でいくら平和宣言をしても他国を縛る事はできない。
泥棒を中に入れてから鍵をかけても遅いという事だ。
240 :
吾輩は名無しである:2009/01/26(月) 20:08:44
いま浜松文芸缶でやっている藤枝静男展いいですよ。
実際に所有していた李朝民画や、焼き物が出品されています。
ホントかどうかわからないけど、焼き物は「田紳有楽」の柿のヘタのモデルらしいとか。
藤枝静男本人が撮った8ミリをDVDに落としたのとかも流していました。
前回の展示より面白く見られました。
レポ乙
242 :
吾輩は名無しである:2009/03/06(金) 02:11:20
上げていこう。そして全集が出ることを祈ろう。
243 :
ぜっとん:2009/03/13(金) 01:21:31
全集出す出版社がいたら狂ってるで
この作家の本は装丁がええな
藤枝が注文つけてたんかな
244 :
吾輩は名無しである:2009/04/06(月) 21:55:02
245 :
吾輩は名無しである:2009/04/14(火) 12:22:29
ほしゅ
>>244 青木先生御自ら当スレ参上賜り恐縮至極にござりまする。
248 :
吾輩は名無しである:2009/08/16(日) 21:24:49
age
空気頭には唖然とした
250 :
吾輩は名無しである:2009/08/16(日) 21:59:00
文章がへたすぎて退屈きわまりない作家の一人
251 :
吾輩は名無しである:2009/11/22(日) 21:13:45
あ
252 :
吾輩は名無しである:2009/11/24(火) 01:00:25
げ
hosyu
254 :
ザ・スミス:2010/02/25(木) 23:39:32
いい作家やな〜
ほしゅ