読了報告スレッド♪3冊目

このエントリーをはてなブックマークに追加
400美香 ◆FE5qBZxQnw
「アルトナの幽閉者」(サルトル/永戸多喜雄訳/「新潮世界文学47」)

→戯曲。ふと気づく。そういえば芝居の登場人物ってよく狂わない?
少なくともわたしたちが暮らしているこの世界よりもはるかにパーセンテージが高そう。
いま、さりげな〜く、書いているけど、これもしかして大発見じゃない?
なぜ芝居の世界の住人は精神病の罹患率(りかんりつ)が高いのか。
シェイクスピアのリア王、オフィーリア、マクベス夫人。
チェーホフ「かもめ」のトレープレフは典型的な鬱病で拳銃自殺。
答えは、ハムレットにあると思う。ハムレットはなぜ狂ったふりをするのか。
狂気を既存の関係性への反抗と取るのは間違いか。
芝居というものは(よほどの前衛劇は別として)登場人物の関係性を「せりふ」と「動き」であらわすものだ。
そのとき関係性の否定、組替え、変容を指向する狂気が頻出する意味はどこにある?

なんて、なんて。
めずらしく堅苦しいことを書いたのはこの「アルトナの幽閉者」がやたら退屈だったから。
つまらないとしか書きようがないんだもん。
戦争で心に傷を負ったひきこもりの青年が例によって狂うわけ。
サルトル信者なら、そのキチガイの意味不明なセリフにも感心するのかもしれないけど。
雑踏とかでたまにキチガイが吠えてるじゃん。
あーゆうのを盗み見るのって、けっこう楽しかったりしない?
それには及ばないけどテレビに登場するリアルなキチガイも見ごたえある。
周りの慌てぶりとか。じゃあ、なんで舞台で演じられるキチガイは退屈なのか。
いや、ちがう。キチガイを出しても成功している芝居は山とある。
劇空間に頻出するキチガイ。それが成功するか否かは何が関係しているのか。
そんなことをいま考えている。
401美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/05/22(日) 15:14:28
「嘔吐」(サルトル/白井浩司訳/「新潮世界文学47」)

→長編小説。まあ、だれでも名前くらいは知っている、いわゆる名作のひとつかと。
この全集の月報で、開高健が書いている。
「はじめて『嘔吐』を読んだときには文学はここで終わったと思った」。
ある時代のひとには強力なインパクトを与えた小説なのだと思う。
難解な小説をありがたがる時代がかつてあった。
知識人と大衆が分離していた時代。だれもが知識人の真似をしたかったのかどうか。
そして現代。アマゾンのレビューを見てみる。
はっきり書かれているわけね、赤面することもなく、
「気だるいストーリーは読み手にも吐き気を催させる」(無断引用)と。
わたしも最初のトライは10ページで放り出した。
二度目でなんとか読了。確かに吐き気がするほどつまらないわけ。
それを見越してサルトルは「嘔吐」というタイトルをつけたのかと笑っちゃうくらい。
こんな小説は大嫌いである。二度と読み返すことはないと思う。

……でもね、だけどなの、「嘔吐」なんか読まないほうがいいとはここに書けない。
嫌いだけど、これがすごい小説だというのはどうしたって認めざるをえない。
孤独、孤独、孤独――。
これほど孤独な小説は読んだことがない、だから退屈、だから嫌いなのだが。
ひとはここまで孤独になりえたのか。それはもう不快感に近いわけで。
サルトルが天才なのも、この「嘔吐」の破壊力も認める。十分に。
しかしそれでもこの小説を嫌いというのはどこか矛盾したことなのだろうか。

あ、情報。これ人文書院から単行本で出ている。おなじ訳者。
なんでも新潮版の訳を新しく(改訂)したとのこと。
まあ、わたしはそこまでのサルトル信者ではないから別に古いほうの訳でもいいかと。