【虚体】埴谷雄高=般若豊スレッド第三章【死靈】

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896吾輩は名無しである:2010/02/27(土) 13:21:03
思索は、宇宙自体の内省活動(主観でスマンが)。

みたいなもんだとして、
脳科学と宇宙論に関する認識進展が、埴谷氏言う精神リレーに及ぼす役割は計り知れないと見る。

と、常識的な事を書いて此の板の様子を窺う。

897吾輩は名無しである:2010/02/27(土) 23:18:00
ネットの匿名とかも今から考えると
衒学と言われることもあるが、的を射ている問題提起は多い
898吾輩は名無しである:2010/02/28(日) 00:32:43
>と、常識的な事を書いて此の板の様子を窺う。
   ↓
 と、常識的な事を書いて此のスレの様子を窺う。
899吾輩は名無しである:2010/02/28(日) 16:32:03
>>895
その喝破部分、教えてくれ。
http://www.youtube.com/watch?v=WcocT9RmgXM
900吾輩は名無しである:2010/03/01(月) 00:28:05
仏陀は大雄に負けるんだ。どうでも良くね。
901吾輩は名無しである:2010/03/01(月) 03:12:10
他人の観念宇宙で、どうなろうと大した意味ないかもね。
902吾輩は名無しである:2010/03/01(月) 03:42:04
そんなこと言ったら小説なんてみんなそうだろうが
903吾輩は名無しである:2010/03/03(水) 15:29:05
そういうこと以外のなにものでもない。

サイバー攻撃関連スレ見たあと、立ち寄ってみますた。
904吾輩は名無しである:2010/03/03(水) 23:52:01
ブッダ(覚者)の核心部分謎は埴谷本を読破すれば解ることでは無いで消化ねぇ〜(笑) ついでに革命者とは誰か、革命の期限謎に憑いても読み解かれ足し〜(笑) 正解すればお答え痛し魔性〜(笑)
905吾輩は名無しである:2010/03/04(木) 06:56:08
過疎スレ6年柿8年
埴谷本を読破するとかその前に
埴谷は文学がこれほどまでに落ちぶれるとは思っていなかっただろうねぇ
906吾輩は名無しである:2010/03/04(木) 08:03:09
落ちぶれたら落ちぶれたで受け入れそうだけどな
この流れは埴谷の思想に反しない気がする
今までは未出現だった人たちが文字書き込みまくってるわけだし
907吾輩は名無しである:2010/03/05(金) 00:45:05
未出現てドゥルーズの潜在性みたいな概念なんですか?
908吾輩は名無しである:2010/03/05(金) 01:49:01
>>904

(笑)
909吾輩は名無しである:2010/03/05(金) 01:51:16
( ´,_ゝ`) プッ
910吾輩は名無しである:2010/03/05(金) 02:02:45
流行んない変換やってんのが居て、痛いす。
911吾輩は名無しである:2010/03/05(金) 02:07:20
頭の悪さ、笑いで隠す。 判ります。
912吾輩は名無しである:2010/03/07(日) 21:44:08
ブクオフ105円文庫棚で死霊Tを発見・救出
913吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 21:54:21
埴谷全集もってる人いる?
914FFF:2010/03/08(月) 22:16:55
>>913 ここにおるぞ〜。
揃でもっとるぞ〜、新本で買ってやったぞ〜。
でもはっきし言って、埴谷って雑文が多過ぎ。まともなのが入ってるのは、最初の数巻だけで、
あと皆対談とかばっかだもんな。これじゃ未来社のやつ買いためたって良いじゃないか、という感じだよ。
ただし、背表紙効果だけは抜群。真黒のがわ――って並んでると圧巻。
915吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 22:43:56
>914
まあ、「カント体験」で停まった人ですからね
対談等は気さくな一面が伺えて面白いですけど、「帰還宣言」が未収録なのは惜しい気がしました
全集完結後に発掘された資料、ETV特集や音源を収めた、増補版を気長に待っていますよ
916吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 23:02:56
雑文馬鹿りでは〜(笑) 小説は二巻(1、3巻)だけで笑止、よくもこのような糞が全集で出た者ですねぇ〜(笑) 講談社が赤字なのも頷け増すよ〜(笑)
917吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 23:08:26
そうそう、雑文で済む人には読む価値も全集揃える意味なんて、無いんですよ
そういう人には読んで欲しくないんですから
918吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 23:11:27
全集揃いの事故満足の世界では埴谷謎は読み解けないです殻ねぇ〜(笑)
919FFF:2010/03/09(火) 00:02:20
自己満足といわれればそれまでですが、
腰をすえて書いた文章は深いですよ、そりゃあ。
推薦文とかアンケート程度のエッセイが大量にあって、
それを雑文といってるんです。
泰淳の娘の写真集の帯に義理で書いてやった文章とか。
920吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 00:34:07
埴谷は『死霊』『虚空』『闇のなかの黒い馬』
の3冊持っていればそれでいいんだよ。
921FFF:2010/03/09(火) 00:43:45
>>920
本質的にその三冊が理解できれば、他は買う必要なし。
だが、一般人にはそれができない。
だから、全集買って色々読みあさらねばならんのです。
922吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 00:50:40
初期の文学論はかなり本音で罵倒しているから、面白い
923FFF:2010/03/09(火) 00:56:05
面白いことは面白いな。
それをいえば、死霊だって相当面白いよ、今の小説なんか比べ物にならん。
知的刺激とかそんなんじゃなくて、あの熱気というか何かね、
あの雰囲気好きだ==カッコイイは、あれは。
当時の青年が憧れるのも無理はないわな。っていって、俺も含まれてるけど。
924吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 01:30:50
漏れは何時まで経っても追い付けないでいるけど
925920:2010/03/09(火) 01:48:20
かつてエッセイやら対談集やら評論やらの単行本を買っては読んだが、
結局埴谷は同じことの繰り返ししか言ってない。だから、ある時期
から、きっぱりと彼の本を買うのをやめた。全集も一冊も買っていない。
彼が戦後文学最大のモンスターとの評価は揺るがないけれど。
926吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 04:26:07
最近元気いいなこのスレ
927吾輩は名無しである:2010/03/09(火) 09:00:03
>>925
一人の人間の考えることは、そんなに多様であることはないよ。
いいかげんに書き散らしてるやつは別だけど。
たいがい一生かかって同じ思索を、すこうしずつ深めてゆく。
928FFF:2010/03/09(火) 22:28:05
>>927
正論ですネ。
すこうしずつ って表現が気に入った。
929吾輩は名無しである:2010/03/10(水) 00:55:35
すこうしずつ書いたゆえの 『死霊』未完とは 藁貸し増すねぇ〜(笑)
930吾輩は名無しである:2010/03/11(木) 01:17:07
>>929

なんにも書けないのが藁貸し増すねぇ〜
板には書けるが紙には書けぬ。w
931吾輩は名無しである:2010/03/11(木) 19:07:15
白紙の部分がどうこうなんだよ
932吾輩は名無しである:2010/03/12(金) 00:11:53
はあ?
933吾輩は名無しである:2010/03/12(金) 18:10:56
『死霊』第9章まだ読んでない。
934吾輩は名無しである:2010/03/19(金) 20:02:57
>869 続き(>468の補足)

深夜の三輪家で、その「圧服と屈従」の関係を
目の当たりにした津田夫人の前に、三輪広志が帰宅する


  三輪家の祖母に似て意志的な角張つた彼の顎を眺めてゐると、津田夫人は一種生理的とも名づけるべき惡寒をともなつた
 異様な反發を、昔から覺えるのであつた。けれども、三輪家の祖母同様、この物語に於いては影の人物である彼について、
 詳細に記述する必要もないだらう。私逹と同年代の底意も知れぬ、偏奇的な人々を準備し、育んだ一人物として、
 彼の拐~構造を僅かばかり素描すれば足りるのである。彼から漂つてくる洋酒らしい乾いた薄荷の匂ひをかぐと、津田夫人は
 ふと十數年前の婦人關係はどうなつただらうかと考へた。挨拶もぬきに二三語續けさまに訴へた彼女が直ちに悟つたことは、
 好んで政治的陰謀のみに全身を傾倒してゐる彼にとつて、二人の息子逹が彼より遲く歸宅することなど議論の枠外にある
 らしいことだつた。


いま一度読み直して頂きたい
著者はココで、登場人物の一群が自分と同一ジェネレーションに属する旨を表明している
逆言すれば、その父祖達は先行する世代と規定された

この「自伝層」に接触する記述も「三つの方法」の基き、書き改められる
この方面からの考察を無にするコトが、埴谷本人にとって如何なる意味を持つかは
『死霊』構想ノートにより、その傍証が得られている


  ――はつは・・・・二度云つたつて解りはせんです。まあ、津田にでも聞いてみるんですね。歴史的課題を負つた僕逹が――
 ちよつと早く生まれ過ぎたことを、津田は巧く説明してくれる筈です。はつは・・・・壓服と屈從、この二つしか僕の前に認めない
 新聞記者共には、てんで何も理解出來ないのだ。
  (中略)
 安壽子さんと與志のことは――まあ、この頃流行文句のリビドーのおもむくままに任せておけば好いんです。尤も、與志には
 後から云つときませう――こんな遲くまでうろついてゐるなら、安壽子さんの傍にへばりついてゐろ、とね、はつは・・・・。

   長編 死靈 (九) 「近代文學」
935吾輩は名無しである:2010/03/19(金) 20:04:33
>934 続き

一切の説明を夫に丸投げされて憤怒する津田夫人を階下に残し、
三輪広志は「物語層」から退場する
その死もまた「必要以上に隠された或るもの」として語られぬまま

この夜、未来の婿殿の「魂の病気」への処方箋を見出す事は叶わなかった


  ――ぷふい、それを知ったときの俺の胸のなかに、何が浮かんだと思う・・・・・・?素晴らしい祝辞が、そのとき、俺に思い
 浮んだのだぜ。結婚半年目ぐらいの或る麗らかな日に、君が必ず忽然として思いあたるべき見事な言葉がね。ふむ、その
 祝辞とはこうなのだ。女房には編物棒を持たせて置け、そして、退屈な亭主をその脇に――。
  ――それは、何です・・・・・・?

   三章 「死霊T」
936吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 21:44:28
>935 続き

さて、蛸である


  ――中學へ入つた頃だつたかしら・・・・與志さんは急に食事をとらなくなつたことがあつたのよ。
  ――それは確かに風變りだわ。何故だつたのでせう?
  ――どうしてなのか、私には解らなかつたけれど――。
  ――まあ、貴方には何も理解出來ないのね。そんな風で子供を育てれば、必らず子供に馬鹿にされてしまふんですよ。
 そして、與志さんはどうしたの?
  ――また食べるやうになつたけれど、食卓の上の食物を凝つと見てゐる眼付は氣味が惡かつたと憶えてゐるのよ。
  ――ふーむ。
  と、津田夫人は譯も解らず大きく溜息をついた。
  謎をかけあつたやうに默りこんで目前の空間へ氣もない視線を投げてゐる二人の夫人は、彼女逹の對話からもはや
 何も生れ出てこぬことを感じてゐた。


深夜の化物屋敷で、青い印しを押され「この世の屈辱」を悟ったのか、
徒労に沈む津田夫人の前に、三輪高志が帰宅する

937吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 21:45:24
>936 続き

  ――中學時代・・・・與志さんが食事をしなくなつたつて、本當ですの?
  ――さう、そんなこともあつたが――どうしてです?
  ――どうしてつて――何故、食事をしなくなつたのでせう?
  さう訊き返しながら、彼女は、ぎくりと相手を見上げた。三輪高志の口邊に確かに薄笑ひがかすめたのであつた。
  (中略)
  ――あいつは、時々、馬鹿げた考へにとらはれたがる。あいつがそれから、到逹したのは、自身の手は自己ではない
 といふ意見だつたらしい。
  ――なんですつて?いま、なんと云はれたのですの?
  ――それは古い哲學の繰返しです。まつたく古ぼけた繰返しに過ぎんのです。古ぼけた陳腐なものを一つの發見だと
 思ひこむのが、あいつの惡い癖です。
  何時の間にか、彼は津田夫人の横顏を探るやうに見てゐた。

   長編 死靈 (九) 「近代文學」


津田夫人の詰問に、三輪高志は「古ぼけた陳腐なもの」と一蹴するが、
具体的に何を指すのかは判然としない
一般にこの挿話は、サルトルとの同時代性を指摘されるけど
埴谷の思索とサルトルのそれが合致する筈もない
その差異について検証するのも一興かとは思いますけどねぇ〜

つ「あま近」
938吾輩は名無しである:2010/03/23(火) 21:46:43
>937 続き

人のコトはともかく、漏れはサルトルの小説を読んだ事は無いので、
ココでは四半世紀後の深夜の三輪家の一室で、矢場徹吾同様に
『自らを恥じながら』病臥する三輪高志本人に丸投げしちゃいます


  ――いいかな、確かにそれは俺の内心の深い暗い奥でぎくりとするようなゆっくりとした問いかけだった。
 やつはいったのだ。
 「お前はほんとうに《自分自身》についてこれまで考えたことがあるのかな。
  (中略)
 お前の《自分自身》は、さて、いったい、そのとき、どのあたりでどんなふうに主張されるのかな。ぷふい、
 お前がこんなにまで愚かしく単純で、こんなにまで初歩的な最初の問いかけだけで、すでにへどもどするほど
 口ごもりはじめて躓くのは、まあ、考えてもみろ、そのはじめからお前達のおちこむ深い陥し穴が目に見えず
 そこにあるからだ。ぷふい、それはいったいどういう種類の陥し穴だろう!(後略)」

   五章 「死霊U」
939吾輩は名無しである:2010/03/31(水) 15:18:31
>>904

結局、判らないのね。
940吾輩は名無しである:2010/04/08(木) 14:24:28
抑制と乖離が統合されれば、この小説も身体(頭にではない)に
入ってくるのかもしれない。
941吾輩は名無しである:2010/04/10(土) 13:17:53
『闇のなかの黒い馬』絶版なんだね。
漱石の『夢十夜』に比肩する夢の小説化に挑んだ傑作だ。
942吾輩は名無しである:2010/04/22(木) 01:06:33
>>941
あれは装丁がよい。木と本を区別する一本の線の如き存在感がある。おお!
943吾輩は名無しである:2010/04/26(月) 20:01:45
>938 続き

他方、先行するジェネレーションからは、
考えてはならぬ考えにはまりこむ、永遠の食客的意見、私達の何処かを見ている、訳の解らぬ……と、
各様の受けとめ方が提出された
「歴史の流れを斷絶せしめなかつた男女逹」の諦観、と云えそうだが
はたして三輪与志の内面に閃いた想念をどこまで捉え得たであろうか


  私は、後年、人間を、あらゆる生物をとつて食べ、ただ娯楽のためにだけでも他の生物を殺すところの生物のなかで
 最も兇悪な存在として弾劾していますが、その弾劾の暗い奥底には、その当時には自分でもよく説明もできず、はつきりせず、
 漠としていたものの、しかも拭いきれぬ自己呵責が潜んでいるのですね。
  (中略)
 単に人間同志で殺しあう事態を克服するために社会革命をおこなうだけで済まずに、私の作品の主人公達が、人間自体の超克、
 自然の法則の超克を目指す「存在の革命」といつた大それたことを口走つたりするのは、はじめは自分の中にあつた
 小さな小さな自己呵責が、次第に、いわば自己増殖するかのごとく大きなかたちとなつて、感覚としてもとうてい逃れられぬ
 ほど重くなり、理屈としても果てが見尽せないほど大きな幅となつて積みあげられてきたからですね。
  (中略)
 つまり、私達はそれまでにいろいろな胚珠を重ね積みあげてきた精神の幅に応じて、事実の意味をうけとり、そして、
 何かを「発見」する。逆にいえば、自分の心の幅だけしか事物の精髄をうけとれず、また「発見」もできない。
 芸術は、すべて個性的な自己表現ですが、各人の心の幅が違うだけ、受けとり方も違い、「発見」も違う。
 数学の一プラス一が二と万人に通用するようには、芸術における一つの作品は通用しない。

   「薄明のなかの思想 芸術について」


「拒食」という一時的なタコつぼ状態を脱し、再び食客の地位に復帰した
三輪与志に如何なるリビドーが「胚珠」したのか興味が尽きないけれども、
試みにこの時期の三輪与志の内面を「他のものから表白」してみよう
944吾輩は名無しである:2010/07/24(土) 01:00:08
歌舞伎の世界というのは、名優は自分は死なないで、死の演技をする。それで芸術の最高潮に
達するわけですね。しかし武士社会で、なぜ河原乞食と卑しめられたかというと、あれは
ほんとうに死なないではないか、それだけですよ。そのひと言だけで芸術はペッチャンコですよ。

三島由紀夫
埴谷雄高との対談「デカダンス意識と死生観」より
945吾輩は名無しである
今日、蛸を噛みました