文壇BAR♪けつ毛一気食いの巻 

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 それは突然訪れた。ママに、「赤ちゃんはどうして生まれるの?」と尋ねた刹那である。
小さな僕の脳みそに、彫刻刀で皴を刻むような激痛を伴って、70年の人生が蘇った。

 「私は・・私だ。全て覚えているぞ」小さな両手をシクシクと動かし、私はママであった女に言った。

「おめでとうございます、会長。お帰りなさいませ」

「うむ。長い間世話になったな」まだ上手く回らない舌を押さえつけ、私は女へ礼を言う。

 「さっそく片桐へ連絡してくれ。7年ぶりの再会だ」

 女は、母としての笑顔の影を浮かべ、携帯電話を取った。

――「会長、ご気分はいかがですか? 」戸を開けて部屋へ入るなり、片桐は私を目
指して歩み寄ってきた。

「片桐、もう一度入って来い。ノックを忘れている。それに、私を見下ろすな」

「・・・申し訳ありませんでした」片桐は一連の動作をやり直すと、土下座をするような姿勢をした。
「では会長、予定通り、別室で細かいチェック。つまり質問をさせて頂きます」

「いらん。私の記憶は完全に戻っている。くだらん質問に答える位なら、わたしのほうから話してやろう」

私は、前世の私。つまり、革新製薬渇長、渋山一郎の人生を語った。

――「なるほど、お見事です。参考までに、最期については、いかがでしょうか?」

「今話すところだ。黙っていろ」子供の声で命令するのも悪くない。私はそう思った。

私は片桐に、例の実験の経緯と、私の病状について話して聞かせた。
あくまでも確認の為であって、片桐は十分承知している事である。
簡単に言えば、以下のような内容だ。
72歳であった私は、癌に侵された。まだまだ現役のつもりでいた私は、大きな
ショックを受けた。余命半年。私が会長を務める製薬会社でも、もちろん癌は治せな
い。だが一つ、極秘のプロジェクトが進んでいるのを、私は知って
いた。その名も、「リンネ」。発端は、社内での極秘臨床実験により、人間の死の瞬
間に、ある種の電磁的な波動の放出が発見された事から始まる。
研究は進み、その波動が、人間の生の瞬間――子宮への着床間際にもある事が確認された。
さらに、様々な検体を経て、データを蓄積した結果、驚くべき事が判明した。
生まれて間もない子供の、死の瞬間の放出と、その子供の、生の瞬間の放出は、『極めて酷似していた』
のだ。研究員あがりである専務の片桐は、ここで、ひとつの仮説を導いた。放射され
る波動とは、その人間たらしめる、濃縮された情報なのではあるまいか?
だからこそ、もって生まれた個性『生の波動』と、成長し変化した『死の波動』があるのでは? 
 ある人物Aの臨終の波動を、データとして機械に取り込み、子宮へ着床する間際の
母体へ照射する。自然に放出される波動を抑え、Aの臨終の波動へとコントロールできれば、生
まれてくる子供は、どのような存在なのか? クローン技術によって、遺伝子レベル
で近い環境を整えれば、一人の死を迎えた人間に、新しい人生を提供できるのでは?
 ・・しかし発育が進んでいない赤子が、すぐに大人の脳となりえる訳がない。倫理
を侵してまでする価値があるとは思えない。それが当時の片桐の、仮定的結論だっ
た。私は迷うことなく片桐へ命令した。「私で試してみろ」
――「会長、お見事です。そこまでご記憶されているとは。ただ・・・、この質問は
どうでしょうか?」片桐は、含んだように言った。

 「貴様、一体なにが言いたい? 」

 「大変申し上げにくいのですが、実験中にハプニングがありました。ある女性研究
員が、死亡したのです。若年性心不全でした」

 「・・・それがどうした。たいした問題ではないだろう」

 「亡くなった時刻が問題です。まさに、波動照射中に亡くなったのです。ご存知の
通り、実験には莫大な金がかかります。続行せざるをえませんでした」

 片桐の言葉は、冷たく、這うように聞こえた。

 「もう、お分かりですね? 今から私の質問に答えてください。・・・貴方の経営
哲学と、医療理念とのバランスについてです」

 ケイエイテツガク、イリョウリネン・・・。私は驚愕した。あるはずの記憶が、知
らない女の人生に邪魔されて、思い出せない。
 「やはり・・その部分を侵されていましたか。強烈な考えを持った女性でしたから
ね。会長、残念です。私が貴方の復活を願ったのは、他を寄せ付けない才覚と、自信
に溢れた信念があったからです。しかし今の貴方は、濁ってしまった」

 「待ってくれ!思い出した!たしか、金さえ貰えれば、なんでもOK・・だったな
!」

 「それは例の女の思考でしょう」

 「くっ・・! ああ・・・あ、あたしを抱いたくせに。しかもその抱き方ときたら
・・・あんな趣味ぃ・・・ぐあっ なんだ この記憶は」

 部屋には、二人の、悶絶する人間がいた。元大手製薬会社の会長の人格と、ある女
の人格を合わせ持った子供と、その子供に侮辱されている七十がらみの、老人であ
る。 了