文壇BAR♪けつ毛一気食いの巻 

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人里をはなれて数十年にもなるだろうか? 俺はこの山を気に入っていたし、
ここに骨を埋めるのだと思っていた。穏やかに死を迎える木を眺め、生まれ
くる新芽の芳香に包まれながら、土に還る。それが俺の願いだった。だが、
俺の死に場所は、久しぶりに出会った人間に奪われた。――「この山一帯は
私の土地です。先日、亡き父から正式に相続しました。まさか人が住んでい
るとは・・・。早々に立ち去るよう、通告致します」 俺は世を捨てた身だ
が、ソイツの言っている言葉の意味は理解できる。半身を裂かれるような思
いで、俺はこの山を去る決心をした。 「風よ、教えてくれ。俺はどこへ行
ったら良い? わずらわしい人間のいない、できれば、毒を持つ蛇や、強暴
な動物もいない土地を教えてくれ」 風は何も答えない。俺はしばらく待っ
た。どうせ行く当てのない旅だ、最初に風が吹いた方向へ進むとしよう。 
一陣の、木の葉を巻き上げて渦を巻く風。なるほど、北か。俺は迷うことな
く北へと進路を取った。足取りは何故か軽い。今日この日の為に、俺は人の
世を捨てたのかもしれない。そんな予感を、背中を押す風に感じた。――も
う三日間歩き続けている。北へ行くと決めたのはいいが、このまま何処まで
も北へ進めば、人間の住む場所まで出てしまうだろう。 すると、草むらの
中から、一匹の大きなヒキガエルが現われた。 「そこのカエルよ、教えて
くれ。俺はどこへ行ったら良い? 」ヒキガエルは俺に答えるかのように、
西へ向かって大きく跳んだ。 俺は迷わず西へと進路を変えた。ほどなくし
て、左手の彼方に、静かに輝きを放つ、湖が見えてきた。眩しいほどにきら
めく水面。俺は、『早苗』のことを思い出した。俺が愛した唯一の存在。こ
の世でたった一人の、血を分けた妹。「早苗、お前は俺の全てだった。お前
に崖から突き落とされたとき、俺の全ては終わったんだ。・・・俺は、お前
を恨んでなどいない。手にした金で、幸せになってくれればいいと、心から
思っているよ。だから、もう謝らなくても大丈夫だよ」 頭の中には、早苗
の最後の台詞が、繰り返し鳴り響いた。『ごめんなさい、おにいちゃん』 
藁で編んだ草履は、泥と血で黒くなり、俺の足に食らいついている。汗はも
う、一適も出なくなっていた。あの山を出発して以来、俺は、少しづつ、食
べることをしなくなった。何かが、この旅の終わりに待っている。その予感
は、確信へと変わっていた。進路を変えようと思うたびに、俺の呼びかけに
答えて、自然が導いてくれているのを、感じたからである。僅かな睡眠の時
間でさえ、今は惜しい。 どこまでも続く木々の隙間を通り抜け、俺は、光
に向かって歩いた。ひたすら、歩きつづけた。もう、足は止まらない。突然
視界が開ける。その場所は、全く音のしない、一面の草原だった。「もうす
ぐ・・・だ」俺は、目をつむって歩きつづける。「無音の草原よ、俺を導い
てくれ。これが最後の頼みだ。お前の示す道へと進もう。もし、その先に人
間の世界があるなら、俺は、もう一度、捨てた世を拾い、人を、信じてみよ
うと思う」俺は全ての感覚を耳に集中した。最後の審判の、「答え」を待っ
て。草原に、音が響く。確かに、人間の発した音。俺は、全速力で走る。イ
ノシシのように速く。草原の先の、森へ向かって。身体を打つ枝を、もろと
もせず。早苗、と口走りながら。再び、人間の音が聞こえる。すぐ、耳元で。
「おい・・・やべぇぞ。こりゃあ、人間だ!!撃っちまった!!人間を!!」
赤い閃光の中に、あの時と同じ、早苗の残像が、たしかに・・・見え・・・
た。     了