――   希望の文学  ――― 

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男性語|女性語について。


男性語[統一]
1.無意識的自我(または普遍的無意識、または深層無意識と呼ぶもの)の論理的展開
2.理知(客観)の表現

女性語[恣意]
1.自意識(または意識的自我、または個別的無意識と呼ぶもの)の表現
2.感情(主観)の表現

 言語における表現やあらゆる探求は全てこの両者の範囲内で行われる。
普遍的無意識を意識的に外在化不可能なのが女性語の特徴であり、
それはあらゆる言語文化にもともと内在する不変的真理である。
[一方、あらゆる意識は無意識的自我から生ずる。
ただそれを意識化するのは女性語には不可能だと言うのだ]。
差延と破壊構築など文章語における諸矛盾は新しい概念において止揚され得る。
何故なら両者の関係は常に[永遠に]不変であるから。
これを証明されたければあらゆる文章語に内在する「意味」を参照されたし。
それは相対的あるいは絶対的に「対立」に緻密化され得るのである。
 つまり。差延は関係において不変的に決定され、
また破壊構築は読み手書き手の両者において関係によって実現されてきたのだ。
破壊構築は恒常的にあらゆる言語的側面で継続、実行されることで、
融合し混濁し合った両者を不変的に、
また普遍的な関係へと厳密化・純化し止揚せしめる働きを永遠に担っているのである。
だから真に現代的になった我々[哲学者達]がやるべきことと言えば、
言語におけるこのような諸原理をより社会的に民主的な形式で実行することに違いないのである。
すなわち、両性語を均衡状態で構成することだ。

 こうして彼は古い哲学を超え、「実在」として自らの生をあらゆる社会的諸分野と同等か
それ以上に──むしろ我々が称揚してきたあの「芸術」として──完全な方法で
関係化できる。だから彼は新しい哲学者となったのである。
哲学について永久の欠乏と思われた口語による展開も、
彼が関係を自らの道具として利用し得るなら、同じように
彼の実在の[現実性の]証明、仕事となっている。


 これらが新しい哲学論の概要である。
我々は新しい概念を見出したのだ。後は、こうして明快に示された我々の新概念に、全ては従うであろう。
我々の新しい哲学は、自ずから芸術となり、
我々の実在の完成された「現れ」となる。つまり
古い概念が探した 存 在 はこのようにしてのみはじめて目に見え
耳に聴こえるものとなるのだ。
それは矛盾する両者を均衡・中庸・止揚状態で構成することなのである。