28 :
吾輩は名無しである:
(
>>20-25の続き)
大江健三郎『政治少年死す』(「文學界」1961年2月号)
おれにむかってのしかかってくる群集の顔のクローズ・アップだ、
しかしそれはズーム装置の故障のように一瞬静止し、そして不意に
学生どもの顔の大群は溶暗してしまう、ああ天皇よ、ああ、ぼくは
殺されます、ああ天皇よ、再び明るくなるスクリーンはのぞきこむ
警官たちの顔の大群だ、それは近づきクローズ・アップは過度に進行し、
頬ずりされるほど近くの浅黒い顔が警官の声で《起きられるかい、
ひどくやられたなあ、暴力全学連どもめが!》という、スクリーン
すべてが警官の優しい同情にうるおった一つの眼だけでみたされる、
スクリーンの外でおれ自身の声のナラタージュ《天皇よ、あなたは
ぼくを見棄てませんでした、ああ天皇よ!》
(略)
「貴様はテレビで皇道党のことを愚達隊なみだといったなあ、暴力ざた
をつづけているといったなあ、その皇道党員として抗議に来たんだ、
責任をとってくれ」
29 :
吾輩は名無しである:04/04/09 18:12
「ぼくは取り消さない、皇道党は暴力ざたをひきおこした、これは
記録も証人もいる、それにぼくの使った愚連隊なみという言葉は、
よく考えての上だし、月並だがぴったりしていると思う」
おれはいつのまにか押しこめられてきていた、おれはかっと腹を
立てた。南原のふてぶてしさに始めておれはつきあたったように感じた
(略)
「確かにおれたちも暴力をふるったよ、だけど全学連だって暴力じゃ
ないか?」
南原の涙に汚れた赤い眼がほんの少し大きく見ひらき、おれを
見つめたおれはいたずらっぽい感情の一瞬のひらめきみたいなものを
そこに感じたと思ったが、うまくとらえられなかった。おれは自分が
頭の悪い、単純なセヴンティーンの生地をあらわしてしまったという
気がした、もうおれの右翼の鎧は威力を発揮できそうになかった、
(略)
「おれは貴様をいつか必ず刺す、左翼の売国奴どもを生かしてはおけない」
(略)
30 :
吾輩は名無しである:04/04/09 18:13
めざましく峻烈な汐の香が、一瞬おれの疲れた鼻孔をはじけるほど
緊張させた、おれは眼をひらき、窓いちめんにひろがる夕暮の海を見た、
そしておれは叫んだ、
「ああ! 天皇陛下!」
眞実、天皇を見たと信じた、黄金の眩ゆい縁かざりのついた眞紅の
十八世紀の王侯がヨーロッパでつけた大きいカラーをまき、燦然たる
紫の輝きが頬から耳、髪へとつらなる純白の天皇の顔を見たと信じた、
海にいま没しようとする太陽だ、しかし太陽すなわち、天皇ではないか、
絶対の、宇宙のように絶対の天皇の精髄ではないか! おれは啓示を
海にしずむ夏の太陽から、天皇そのものからあたえられたのだ、天皇よ、
天皇よ、どうすればいいのか教えてください、と祈った瞬間に!
《おれは啓示をえたのだ!》
おれの叫びで眼をさました党員たちが犯人を穿鑿してどよめき始めた、
おれは眼をつむって寝ているふりをした、そして歓喜にみちあふれて
啓示を心のなかにくりひろげ確かめた、《啓示、おれは自分の力で
この毒にみちた平和を破壊することによって、天皇にいたるのだ、
31 :
吾輩は名無しである:04/04/09 18:13
啓示、おれは自分の力で眞の右翼の魂をもっている選ばれた少年としての
証拠をつくりだすのだ、啓示、おれは自分の力でおれを祭る右翼の社、
おれを守る右翼の城をつくりだすのだ》おれは咋夜、酔っている自分が
豚の酔いどれにむかって投げつけた言葉がそれ自身で強制力と権威とを
もっておれに再び戻ってくるのを感じた、日本を最も毒するやつを、
おれの命を賭けて刺す、それがおれの使命だ!
この新しい言葉から始った思考がひとめぐりして再びその言葉に戻り、
円環は啓示をかこんで閉じた、そしておれは至福の昂揚のなかで優しく
甘い華やかな声を聴いたのである、《おまえの命を賭けて日本を毒する
ものを刺す、それは忠だ、私心なき忠だ、おまえは私心をすて肉体をすて、
眞の忠を果たして至福にいたるだろう、それは神々の結婚のようである
だろう》おれは満足と平安の眠りをねむりはじめた‥‥
(略)
《そうです、強いていえば天皇の幻影が私の唯一の共犯なんです、
いつも天皇の幻影に私はみちびかれます。幻影の天皇というとわかって
もらえても限度があるようなので、もっと思いきって、簡単にすると、
32 :
吾輩は名無しである:04/04/09 18:15
天皇が私の共犯です、私の背後関係の糸は天皇にだけつながっています》、
一瞬あと係官の猛烈に怒り狂っている大きい頭がぐっとおれの顔にせまり、
すんでのことで頭突きをくうところだと思っているおれに係官はどなり
はじめたのだ、《天皇が共犯? 天皇が背後関係? おまえ、天皇に
会ったことあるかよ? 天皇に金をもらったことあるかよ? 丁重に
あつかえば糞小僧がつけあがりやがる、カマトトおきやがれ、こん畜生》
(略)
《自殺しよう、おれは汚らしい大群集を最後に裏切ってやる、おれは
天皇陛下の永遠の大樹木の柔らかい水色の新芽の一枚だ、死は恐くない、
生を強制されることのほうが苦難だ、おれは自殺しよう、あと十分間、
眞の右翼の魂を威厳をもってもちこたえれば、それでおれは永遠に
選ばれた右翼の子として完成されるのだ。おれはいかなる強大な圧力、
いかなる激甚な恐怖にも、その十分間のあと揺らぐことがない、おれの
右翼の城、おれの右翼の社、それは永遠に崩れることがない、おれは
純粋天皇の、天皇陛下の胎内の広大な宇宙のような暗黒の海を、胎水の
海を無意識でゼロで、いまだ生れざる者として漂っているのだから、
33 :
吾輩は名無しである:04/04/09 18:15
ああ、おれの眼が黄金と薔薇色と古代紫の光でみたされる、千万ルクスの
光だ、天皇よ、天皇よ!》
(略)
純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する永久運動体が憂い顔の
セヴンティーンを捕獲した八時十八分に隣りの独序では幼女強制猥せつで
練鑑にきた若者がかすかにオルガスムの呻きを聞いて涙ぐんだという
ああ、なんていい‥‥
愛しい愛しいセヴンティーン
絞死体をひきずりおろした中年の警官は精液の匂いをかいだという‥‥
(完)
大江健三郎『政治少年死す』(「文學界」1961年2月号)