アンチドストエフスキー総合スレッド

このエントリーをはてなブックマークに追加
226吾輩は名無しである
1883年11月28日付けのストラーホフから、レフ・トルストイ伯爵にあてた手紙の抜粋の続き。

「あまりにわれわれを知りすぎている人々は、自然、われわれを愛さない、とおっしゃったあなたの
言葉をいま思い出します。しかし、そうでないこともあります。親しい交わりを結んで、のちに
すべてを赦せるような特徴をその人に見いだすことさえあります。ちょっとした心からの親切、
ほんとうにあたたかな心のふれあい、ほんとうの悔悟の一瞬ですら──すべてをつぐなうことが
できます。もしもドストエフスキーに何かそんな思い出をもつことができるとすれば、わたしは
かれを赦しもし、かれのために喜びもしたことでしょう。ところが、なに一つとして自己をすばらしい
人間に高めることも、ひとかけらのすぐれた、文学的な人間性もなく──ああ、なんと逆である
ことでしょう。
彼こそ、自分を幸福な男、英雄だと信じこんで、自分だけをいとおしんでいたまことに不幸で
不快な人間だったのです。わたしは、自分が嫌悪を引きおこしかねないことを知っていて、また
他人のなかのこの感情を理解し許すことを学んでいるので、ドストエフスキーにたいしても
出口を見つけることができるだろうと思いました。しかしわたしはできません。見つけることが
できないのです。
これがわたしの伝記へのささやかな注釈です。ドストエフスキーのこの面を記録したり、語ったり
できたとしたら、いろいろな事件が、わたしの書いたものよりはるかに生き生きと描け、話が
はるかに真実性のあるものになったにちがいありません。けれども真相など消えてもかまいません。
あらゆるところ、あらゆることでわれわれがしているように、生活の表面だけを飾っておくことに
いたしましょう。」