1 :
吾輩は名無しである:
おまえらはどうせ、
芥川賞だからとか、
有名な作品だからとか、
前に読んで良い作品だった記憶があるから
同じ人が書いた作品なら良いだろうとか、
偏見や先入観に支配されて読んでいるだけなんだろう?
例えばの話、近所の名も無い大学生が「車輪の下」を書いて、
読書家のおまえらのところに感想を聞きに原稿を持ち込んだら、
おまえらはしたり顔で「ここはどうかな」「まだまだだなぁ」なぞと
恥ずかしげも無く言っちゃったりするのだろう?
ああ情けない。
作家の「名前」を隠し、「タイトル」を伏せ、
はたしておまえらは、作品をそのままに読めたのだろうか。
胸に手をあてて考えてみたまえよ!
綿矢りさの例を出すまでもなく、作品の評価なんて人それぞれじゃないのか?
3 :
>>1は19歳ぐらい:04/02/27 05:16
2ゲット!
作品の連続性というのもあるんじゃない?
何作か書いていって、その人の世界観を作り上げるというか。
他の作品を読んでいくことによって補完されるという部分もあると思うよ。
作品を読むと同時に人も読んでるからね。完全に切り離して読める人はいないでしょ。
4 :
>>1は19歳ぐらい :04/02/27 05:17
失敗した…
5 :
吾輩は名無しである:04/02/27 05:33
>>1 「だからどうなんだ?」という言葉にはなんと答える用意がありますか?
おそらく釣りかネタであろうと思われたらしく、この板の質問スレで放置されたんだが。
高校生のとき図書館から「装丁ぶっこわれ」本を興味本位で借り、読んだことがある。
まさしく1の言うような状態の本だったよ。
背に糊付けするときの網が見えててさ、表紙もなければ冒頭もちぎれてるし、最悪の状態。
面白かった。ずるずる引き込まれた。でも表題もわからない、作者もわからない。
仕方ないから読了してそのまんまにするしかなかったよ。
田久保英夫の触媒だった。最近になってやっと知った。再読はしていない。
でも、なんで『車輪の下』?
8 :
35歳主婦 ◆baeGuFHffI :04/02/27 20:05
近所の名も無い大学生が「車輪の下」みたいな作品書いたら
尊敬するよ。
9 :
吾輩は名無しである:
しかし、名前で読む本もある。でも、それと作品の解釈とはまた
別のものだよ。