<ファウスト×東浩紀 とその周辺>

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487吾輩は名無しである
 まず日本には、縄文期に母権的なフェミニズムがありました。それがしだいに変質し、
奪還されていった。奪還したのはもっぱら外来の男性中心社会団です。また、その
ようになったのは外からやってきた農耕民族が強くなったためです。ここに最も基層
的な対比である土着と外来との対比、いいかえれば「ここで」(here)の思考と「むこう
から」(there)の思考という社会的対比がおこります。
 弥生時代以降に海外からもたらされたものは何かというと、一九五四年に柳田国男
が堀一郎の質問に答えていっていることなのですが、一言でいえば「事大主義」といっ
たものです。日本の社会文化史はそれいらいえんえんこの事大主義を引っぱってき
た。それはごく最近まで、自民党や大企業、あるいは官僚やマスコミの体質に受け継
がれていました。
 こうした最初期の根本的な入れ替わりがあったものの、ついで日本は何とか国家シ
ステムを整え神話システムを作ります。しかし、このシステムの統一作業はもともと中
核の思想軸があってのことではなく、さまざまな事情を寄せ集めてできたものなので、
そこに中心となるべき「柱」を据えなければならなくなります。そこで上代、日本の初期
リーダーたちは「まこと」というコンセプトを作る。「まこと」とは真事であって真言です。
488吾輩は名無しである:04/11/18 15:45:43
 むろん「まこと」とはいえ、その実体は各所から寄せ集めた考え方や文物なので到底
はっきりしないものなのですが、日本の中心にはそうしたはっきりしない中心というもの
があるのです。そして、そのはっきりしない中心をもとにシステムを作る。これがウォル
フレンの「日本権力構造の謎によって批判的に指摘された「ザ・システム」としか呼びよ
うのないものの起源です。
 いったん集成された「まこと」は万葉期には大きな力をもちはじめます。またそれにと
もなう言霊思想も生まれていく。ただ、神々のシステムについてはアジアのかたがたか
ら借りてきた「神」の来歴によって、「物語」がつくられただけなので、なんら系統だった
順列をつくりえないままにおわります。日本の神々は寄せ集めなのですが(日本神々
に送り迎えが必要なおはこのためです)、だからといってそれが低俗であるということ
ではありません。アッサンブラージュが本質なのです。そしてそのかわりそうした神々
の来歴を含んだ「物語」そのものが真相を保存する唯一の情報様式になります。
(松岡正剛「花鳥風月の科学」)