綿谷りさ二作品を真剣に評論するスレ

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167吾輩は名無しである
蹴りたい背中
現在4周目。小説で3周以上いったのは初めてかも。
面白いところ
ハツのちょっと危ない感情と奇行 ハツの例え方など面白い言葉 にな川の変なオタクっぽいところ ハツとにな川のささやかな交流
ここらへんがさらっと読んで一番楽しい。そして、一番うけた理由だと思う。
見事なところは、実に人間が人間らしく書かれていること。一人の人間の人生が小説という枠を超えて貫かれていること。誰も見ないようなところまで、丹念に極限まで妥協なく精緻化されている。
上の目立つところに目を奪われて気づかなかったけど2周目以降に唖然とさせられた。人間が深い。感想を書いたノートのページは15ページぐらいに達し、10時間以上書いたと思う。
本当の人間の人生を環境を洞察すればそれぐらい短い小説からでてくる。
168167続き:04/02/23 12:48

普通、小説というのはフィクションとして物語として読む。現実とは違うという了解。だから、人間として変なところがあってもあまり気にしない。マンガの絵が現実と違っても気にしないのと似てる。
それがこの小説では人間になっている。これほどの小説は記憶にない。あまり小説読まないし、とくに古典といわれるのを読んだのは昔の話で、よく考えないで読んでたから、
実際はそういう小説に出会ってたのかもしれないけれど。とにかく記憶にはない。どんな名作にも。
確かに、この作品は高校生が日常の高校生活を書いたという点で、現実の大人が、魔法学校の子供を書いたり、新聞記者が大学病院の人間模様を書いたりするのとは異なる。
つまり、著者の力量がどうとかというより、題材が簡単だったという面はある。そして、短いストーリーに1年という期間をかけて推敲して仕上げられているということ。力量というより、慎重さみたいなもので生み出されたのかもしれない。
ハツの一人称の視点で全て書かれているが、ハツが自分にはわかってない感情、そして、ハツに見えてなく、それゆえ読者にも普通の小説のように読んでいたのではわからないあるいはとんでもない勘違いすることになるまわりの人間の様子。
そして、99%の読者がわからなかったり、全てハツ視点にしてしまったがゆえに勘違いしたりするようなところまで、手を抜かず極限まで精緻化されている。
これはあたかも人間国宝のパン職人が捨てられるパンの耳にまで、絶対に妥協せず、それゆえ1日3斤しかつくれないというような感じをうける。
職人とか芸術とかいうレベルじゃない。求道者の姿勢。、

169167続き:04/02/23 12:48
ハツが勘違いする。ハツが気づかない。そして、ハツ視点なので、読者も気づかない。そこまで一人の人生というのが徹底されている。神の目もない。自分の様子も見えない。都合のいい説明もない。
まさに、氷山の一角しか見えない見えてない人生。その下に巨大な氷が広がっている。深遠な海が広がっている。
普通の小説はそうじゃない。まさにまわりの人間の感情も行動もだいたい見える。底が浅い。単純。
小説が他人の人生を体験するだと阿刀田高氏のようにいうのなら、この作品を通してそれを体験させてもらった。深い意味でなら初めて。
分野にもよるけれどこのような誰も見ないようなところまで、絶対手を抜かないような人間は必ず大成する。
ていうかすでに大成してる。人間国宝、オレの中で。
ハツの特性を見てみると、まとめると、「いつも鋭い目をしてるけど、何も見えてない」(陸部の先輩の言葉より)。
これは、ハツ視点によるハツ世界を乗り出して、自分だったらどう考えるか、自分がまわりの人間だったら、どう思うかというような視点から見ていくと、実はハツの考えというのがはしからおかしいことに気づく。
まず、人間の表面しか見ていない。
同じ班の人が実験中に、プリントを千切っているという行為がどれだけ耳障りで目障りな行為かわかってない。
無邪気に観察を楽しんでると表面だけ見て思っている。同じ部活の仲間で話しているときに一緒に遊ばないと1人いる子に声をかけたら、その子が赤くなってパクパクしてるという様子がどれだけのものかわかってない。
みんなは私に声をかけたことを忘れてる?忘れられないよ。とてもじゃないけど。にな川への観察でこれは頂点に達している。
170167続き:04/02/23 12:49
基本的に無礼な人間である。
クーラーつけて涼しい部屋で、一人窓を開けてるクラスメート。しかもカーテンの中入ってるよ。早く気づかないかな。暑いんだよ。ようやく意を決して、そいつに気づいてもらえるよう近づく一人の男子。
注意したら、なんかふてくされてる。というような光景がその人間の中ではどのように正当化されているか、とらえられているのかというのがわかる。逆ギレして、あやまりもしないで、なんかとんちんかんなこと考えている。
放送委員に注意されたときもそう。にな川母との対面時もそうか。
他人をばかにしたり、見下したりするのが癖。心の中でもそうだし、絹代のグループへの評にも伺える。

衝動的な行動が多い。
他人を否定的にとらえすぎている。たとえば、陸部の男子が先生に甘えないのは女子だけのほうが手際がいいという打算からだろうとかよく考えてみるととんでもなくズレてること考えてる。
その一方、悲観的な考えが多い。見下されてるとか考えがち。うるさい、つば本と突然いったときのまわりの人間の様子の読み取りがそこに伺える。
塚本だったら、あ、オレ今まずいこといった。と考えるかもとか、みんなで仲良く話していたのに、突然冷たい発言をして、まわりがしらけてしまったとか今日は機嫌悪いと思って退散したのかもとか考えてない。
うるさい、つば本ってうちのグループで、はやってるよとか、クラスの派手な子はみんな呼んでいるあだ名だとかそういう情報もあまり考慮されていない。
おまけに、気にしてるあだ名を地位の低い子に突然呼ばれながらもうまく取り繕った塚本は自分と比べてどうだろうとかも考えてない。
窓閉めてといわれたときもそう。