文学はなぜ衰退するのか本気で考えて見れ!【5】

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404美香 ◆FE5qBZxQnw
>>391
ひと晩、考えてみた。このスレのどこが嫌いなのか。
答え。嫌悪しているのは終始一貫する、ここのワイドショー的なふいんき(←なぜか変換できない
たとえば少年犯罪が起こる。これは大変なことである。
被害者の家族にとっても、加害者の家族にとっても。
しかしそれとはまったく関係のないコメンテーターがわかったようなことを言う。
やれ教育が悪い、やれ親の子育てが悪い、やれ地域社会が悪い、
ひどいものには被害者本人の用心不足を責めるものまでいる。
どこから? まったく事件とは関係のない高台から、無痛の自己満足とともに。
自らはなんの責任も引き受けていないものがその事件についてわかったことをいう。
それだけならまだしも、コメンテーター本人は自分が何かしら良いことをしたつもり
なのだから始末が悪い。コメンテーターだけではない。
町のひとのコメントを聞いてみましょうというあれ。
街頭インタビュー。これもおんなじ。虫唾がはしる。
いまの子って怖いと思います、ほんと危なくて外にも出られない、ほんとに警察は……。
まったく痛みのともなわないこの自慰的(>>394)な論議はある言葉とともに終わる。
「このごろの日本はどうなってしまったのでしょう」
(にっこり笑顔で)「それでは次の事件にいきましょう。次は大阪で幼児が……」。
このように無限ループしていくわけである。
さて、何が言いたいのかもうわかっているでしょう。
このスレはワイドショーとおなじなのである。
めいめいがそれぞれの高台から実に気持ちの良さそうこと。
どこか痛い? 苦しい? そんなはずがない。
ワイドショーとおなじようにこのスレも半永久的に続くのでしょう。
(にやりと嘲笑して)「それでは次の話題へ。さて今回の芥川賞は――」。
このスレが嫌いである。ワイドショーが嫌いである。でもたまに見てしまう(w
405美香 ◆FE5qBZxQnw :04/02/04 08:03
訂正)→めいめいがそれぞれの高台から実に気持ちの良さそうなこと。

ワイドショーは嫌いだけどおもしろかったりする。
このスレはおもしろくない。なぜか。問う。
406美香 ◆FE5qBZxQnw :04/02/04 09:32
粘着してみよう。このスレにとどめをさすときがきた。

文学作品について語るのはいい(作品は書籍として存在するから)。
文学者について語るのもいい(いま存在しているから、かつて存在していたから)。
けれどもあなたの脳内文学について語るのはやめなさい(それはきみの頭の中にしかないから)。

「ノルウェイの森」と「ロミオとジュリエット」を比べるのはいい。
村上龍とドストエフスキーを比較考察するのもいい(どちらもおもしろくはないが)。
だけど、漠然と「今の文学」(脳内文学)と「かつての文学」(これもきみの脳内文学)
について何か論じるのはおやめなさい。わたしはそう言っているのです。

しかしどれだけ本を読んだらみなさんのように「今の文学は」うんぬんと語れるのか。
戯曲も詩も短歌も俳句も批評も、まあ、文学と言われている。
「今の文学」を網羅することでさえ難しいのに、
このスレの住人はこともあろうか比較しようとしている。
となると、「かつての文学」も読まなければ比べられないけど、
それがどれほどの量かほんとうにわかっているのか疑問である。
もはや無知のなせるわざとしか言いようがない。