♪♪♪金原ひとみさん芥川賞おめでとう♪♪♪

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316吾輩は名無しである
  芥川賞に選ばれて

  「何者か」でなくたっていい

  金原ひとみ 作家

自分が何者であるか、を定義できる人間はつまらない人間だ。
人は常々答えを求めているらしい。自分は何者であるか、
などと、何にでも結果を求めるらしい。
そのことで思い悩んでいた友達がいる。
しかし、自分を定義するのはおかしい、と私は思った。
そんなことに意味は無い。求めて何になるのか。手に入れたら、
金がもらえるわけでもなく、それはきっと自己満足だ。
ただ理由付けをしたいだけで、ハリウッド映画のようなものだ。
私はミニシアター系の映画が持つ、独特の色味やら、
わけのわからなさのユーモアとか、どうなったの?
みたいな濁りが持つ魅力という物があってもいいと思うし、
デビット・リンチが大好きだ。不条理だから面白いのに。
答えを求める人は、こぞってハリウッドばかり観る。
本当は答えなどないし、なくていいし、いらないし、バカバカしいのに。
誰も自分が何者かなんて分かっていない。分かっている、
という人は勝手に位置づけ定義づけをして自己満足しているだけなのだ。
友達に、そんな薄っぺらくてつまらない人間になってほしくない。
というようなことをメールで入れた。彼女もそんなこと分かっているのだ。
分かった上でそれでも憤りがあるのだろう。
今回の受賞で肩書きというものがつくようになった。
これからは芥川賞受賞者、という肩書きがついてくるから云々、
というようなことを誰かから言われた。それは本当に、真摯に受け止めたい。
とても名誉なことだ。
しかし、私は必ずしも世間が持っている芥川賞受賞者のイメージに重なっているかどうかは、分からない。
今回の受賞で、こんな奴が受賞するなんて、と思った人は少なからずいると思う。
若いし、バカっぽいし、みたいなことで軽くバカにされたり、そこを強調されたりことはままある。
まあ、私はそれに対してなんとも思わない、というか逆に面白いのだけど、
周りの人たちのほうがそれを気にしている。私からしてみればそんなことより祝杯あげよーぜ、って感じなのだけど。
私ってそんなにナイーブな人間に見えるのかしら、
なんて言ったら友達に「ナイーブっつーか精神病んでるよーに見えんじゃねえ?」
と言われた。まあ、別にどっちでもいいけどさ。

肩書きでも、何者であるという定義にも、動かせないもの、それが人間の魅力というものなのだと思う。
今の私にはまだ、魅力の欠片もないから、だからこれからも適当に生きて、自分を開拓していって、
どうにかこうにか魅力の一つでも携えていきたいと思う。

この間、適当である、ということは魅力か、
と彼氏に聞いたら「適当だということを魅力に仕立て上げようとする根性が汚い」と言われた。
そうそう、まず私は意地汚いから、魅力がないのだな。
というわけで、一生持ちつづけるであろう夢として「芥川賞受賞」を掲げていた私だけど、
それが叶った後に何が残るか若干不安であるから、一つ夢を発表しておこうと思う。
「魅力的な人間になる」です。これだったら、抽象的だからいつまでも持ち続けていられるし、
魅力の定義も曖昧だし、適当でいいんじゃない? て、やっぱり私は意地汚いなあ。
でも、長いレポートとか、すごく長い名称をたくさん使って文字数稼ごうとか、みんな思うでしょ?
ああ、これは、適当とか意地汚い、ではなくて怠惰かな。