牛の涎の如く雑談を垂れ流すが好い 30

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296淳一  ◆8kTRz46uUU
>>276
オレも大学時代メンズパブでバーテンをやっていた事があって、客層はそんな感じでした。
もっとも、うちは店の中だけで遊べば良く、ノルマもなくてぎりぎりホストではなかったけども。

店長は三回結婚して八人の子供がいるロクデナシで、夜の町でだけ生きていけるような男でした。
松っちゃん似で場を盛り上げるのが天才的に上手かったけども、一人の時の寂しい顔の方がオレは好きだった。
呑み帰りのおじさんと歌い、夜のお姉さんと馬鹿笑いをしてボトルの酒で潰れるのがオレ達の仕事で
昼頃目が覚めたら店のソファーだというのは日常茶飯事だったし、
知らない県の知らない駅で、課題作品の講評会まで一時間という事もあった。
あれはまさに乱痴気騒ぎだった。当時の彼女はよく許してたよなぁと思う。

そういうカオスの中で、呑んでる人たちを見てると女も男もないね。
精神は消えて、感情は失せて、純粋にそこにあるのは一個の肉だけになってしまう。
いくら綺麗な女に色目つかわれても、誘われても、ちっとも感じない。
携帯番号すら教えずに適当にかわしいたし、おじさんの愚痴や体験談を聞いてたほうが全然たのしかった。
フェミニズムというのが女性をいたずらに奉るという事でなく、男女の差を無くすという事ならば、
これはひょっとして永遠のフェミニズムなのかもしれないと、酒気と嬌声のまんなかで思っていました。

結局バーテンは、酔った店長と夜中の繁華街でストリートファイトしてやめてしまったけども
色んな事を教わったし、まぁおもしろい日々だったなあと今になればそうおもいます。
つい二、三年前の事ですが、レスを見て懐かしく思い出しました。

>>285
邪魔した事は一度もないが、やるなら雑談スレッドだけにしときなね。
作家スレとかに迷惑はかけんようにしなよ。
297淳一  ◆8kTRz46uUU :04/02/03 09:04
上記は>>285じゃなく、>>289さんへ。
レスにつられて久々の自分語り返信してしまいました。
お嫌いな方は、スルーしてやってください。
298吾輩は名無しである:04/02/03 23:13
>>296
いままで見たきた淳一のレスの中で一番面白く読めた。
何故、面白いと思ったのか自分なりに考えてみると
そこはリアリティがあり、ストーリーが有ったからだろう。

大学時代のバイトということにリアリティがあるし
まっちゃん似の店長てのもそこはかとなくリアリティがあるし
酒を飲んだ乱痴気騒ぎの中では性欲は減退するというのも
そうかもしれないと思わせるものがあった。
小説の面白さもそういう面に負うところも多いだろう。

でも淳一は嫌いだけどな。
299吾輩は名無しである:04/02/03 23:32
リアリティというものについて考えてみたい。
事実をそのまま書けばリアリティなのか。
たしかに事実は小説より奇なりという言葉の通り
現実が描く絵は個人の糞みたいな脳が作り出す
小説よりはるかに凌駕する感動をもたらすことが多い。

しかし現実が持ち得ないリアリティがあるからこそ
人は小説を読み、映画を見るのではないか。
いや、そうではない。私が言いたいのそうではない。
淳一のレスは事実であるとは限らない
しかし、彼のテキストからは確かに現実(リアル)の匂いがした。
テキストによって相手を信じ込ませること
確かにそうかもしれないと思わせることこそ小説の真髄ではないのか

酔っ払って自分でも脈絡のない文章を書いてしまった
ただ一つ、別に淳一をほめたわけではないということを強調しておきたい。
300鳥 ◆c0RZqMDFxs :04/02/04 01:30
俺も釣られま〜す。・・・で、やっぱそれは文章の力が大きいと思う。特に

>店長は三回結婚して八人の子供がいるロクデナシで、夜の町でだけ生きていけるような男でした。
>松っちゃん似で場を盛り上げるのが天才的に上手かったけども、一人の時の寂しい顔の方がオレは好きだった。
>呑み帰りのおじさんと歌い、夜のお姉さんと馬鹿笑いをしてボトルの酒で潰れるのがオレ達の仕事で

の辺り。流れにダイナミズムがあり、コンパクトにある「世界」の情感を伝えている。
「三回結婚して八人の子供がいる」という現実の事実を、強引に「ロクデナシ」という形容に繋げる。
「・・・ボトルの酒で潰れる」という具体的な状態を、端的に「俺の仕事」とまとめる。
そこでリズムが生まれる。事実の描写と、ある価値判断(の転倒)を感じさせる言葉との繋げ方がポイント。
「課題作品の講評会」は美大の話か?


301鳥 ◆c0RZqMDFxs :04/02/04 02:00
「確かにそうかもしれないと思わせること」
=Versimilitudeとかvresamblance(たぶん綴り違う)て奴だな

何が表現に「リアリティ」を与えるか、というのは
やっぱいわゆる「構造主義」で大きく出てきた問題ですね。
Jonathan CullerのStructuralist Poeticsに、“Naturalization and Convention”という章があります。
(日本語訳があると思う。日本語で書かないのは訳書を読んでなくてどういう訳語になってるか知らないから。)
文学の「リアル」とは、文学の外側にある「現実」から来るのではない。
ある表現を「リアル」と感じさせる=Naturalize(自然なものと感じさせる)するような
観念と発想の「慣習」=Conventionから来るのだ、ということですね。

で、この文章の場合、ある「デカダン」神話みたいなものが
読み手の側に共有されていることが、「リアル」と感じさせる前提条件になるのではないでしょうか。
魅力的な「ロクデナシ」の世界。普通は堅いマジメな行動をさす「仕事」という言葉が
全く逆の文脈で使われる・・・その空気感が「リアル」と感じられるのは、
なんかそういうものがカコイイと思う、文学的な「慣習」の作用と思われます。

・・・とか、不必要に薀蓄を傾けて、暇つぶしをしている、やるべきことは
たくさんあるのに手がつかない、自称文芸評論家の鳥インフルエンザさんでした。おじゃま〜☆