文学を───┨┝━ ◆m0yPyqc5MQ と語る
1 :
吾輩は名無しである:
>新しい文学を一般的な形で示すために自らスレッドを一度だけ立てたのだが、
>意味不明の)ひどいコピー荒らしにより、スレッドを埋められてしまった。
>そして私がスレッドを立てられない状態にさせられている。まったく意味がわからない。
(───┨┝━ ◆m0yPyqc5MQ 氏の意見)
私は特にこの問題には関心がありませんが、上の意見をそのまま受け止め、立てました。
それでもこのスレ、及び他のスレに、貴君に関連する荒らしが生じる場合は、自分のホーム
ページの開設(そしてアドレスのリンクを貼ればいい)その他、別の手段による表現を模索して下さい。
3 :
吾輩は名無しである:03/12/01 15:29
_,,.-'" ̄ヽ < や
/λ ヾj < っ
i:/ \ | < ち
l ` ' ヽ、_ノ < ま
| ‥ |ノ < い
i、 {ニ} ,i < な
>ー '",、 ∠ ァ
/ y'"/ ヽ VVVVV
4 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 15:32
これでもう逃げられないな(笑)じゃあ、質問、再びね。
まずは問い返そうか。君が言う「純粋」はなぜ正しいか?
そして君の語るシステムはどうして有効だと言えるんだ?
さらに「不均衡な表現」はいったい何処が悪いのだろう?
もう一つ。君の主張に根拠が内在しないのは何故なんだ?
以上、よろしく。
この板には、非常に悪質な荒らし犯が潜んでいることは明らかになったので、
その人物だと思われるような「悪意ある」レスには、今後一切応答しないことにする。
それがもっとも平和的な解決法だから。
6 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 15:39
>>5 それでいいと思うよ。うん。では語ってくださいな。
ここを美香隔離スレにしよう
>>4対話の過程をだれが見てもよく分かりやすくする為、ひとつひとつ解答してみる。
>君が言う「純粋」はなぜ正しいか?
不純なものと純粋なものを比べたとき、どちらが人間にとって生き生きしたものだろうか。
そう素直に考えれば、「純粋」を求めるのはごく当然のことに思える。
正しいものは、倫理的なものとも言えるだろうから、それは「純粋」とも一致するでしょう。
芸術[ここでは、文学]が他者に感動を与えるものだとすれば、より純粋で深い感動を目指すのは、
みんな言わずとも明らかなことじゃないだろうか。
9 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 15:54
>>8 あまりにも主観が勝ちすぎて議論にならないな、それじゃ。一応。
人に不純も純粋も同時に備わるっていうのが自然だと俺は思うな。
それに、誰がその「純粋」を決められるのかっていう問題もある。
君は君自身の価値観を述べたし、それは君の中で正しいだろうが、
それは他の多くの人にとってはただの感想文でしかないんだよな。
正しい、正しくない以前の感想文でしかないんだよ、無根拠だし。
なのに「当然」だの「絶対」だのそういう大仰な言葉を使うから、
君を叩こうとする奴らが登場するんじゃないかな。そう思うけど。
芸術が他者に感動を与えることは多いが、それだけが芸術の意味
だとは俺は思わないな。感動させるために書いたぜ、なんてのは
確実に「芸術」にならないんじゃないかな。さらに感動ってのは
意外性を含んでいないといけないだろう?感動を目的にしていて
それすら達成できていないような未熟な文章って多いけどさ昨今。
>>4 >君の語るシステムはどうして有効だと言えるんだ?
人間に知覚できるものは、肉体によって、限られている。
視覚で言えば、われわれの見えるものは色彩、光によって規定される。
だからこのような自然のシステムを、少しずつ人間らしいものに変えていくことが、
われわれ創造者には求められていく。
自然ではすべてが融合していて、その中で人間の秩序が生まれはしない。
これはたとえば、山奥と、道路のある町中。海底と、ビルの内部を比べればよく分かる。
人間は自然のアンバランスで不安定なシステムを、よりバランスが取れて、安定した
人間らしいものへと変えていくのである。
色彩を使って表現するものでは、『純色』。観念を使って表現するものでは『二元性』が、
このような「純粋で人間らしいもの」に当てはまる。
だからそれをきちんと適用して表現する場合、自然のアンバランスな状態が表れることは、
まずあり得ないということだ。
こうして「自然」とは正反対のものである「芸術」のシステムが確立される。これが有効なのは、
その造形物が『芸術』である場合だ。
>>4 >「不均衡な表現」はいったいどこが悪いのだろう?
不均衡=アンバランスなものは、われわれ人間の自然な状態である
「運動と休息のバランスよい状態での生活」を許さない。
だからその表れ方が悲劇的なもの=人間にとって不自然なものになってしまうのだ。
人間の文明は、それから仕事は、みんなこの人間にとっての不自然さ=不均衡な表現
を、バランスの取れた人間にとって自然なものに変えていくことだ。
だから不均衡な表現より、均衡の表現のほうが、より人間らしい理屈にかなっている。
だからより純粋に美しくて、みんなの役にたつものにもなれるのだ。
12 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 16:01
今から仕事なので返事は深夜か明日に。
>>1 1.荒らしには絶対にレスしないこと。
2.ポエムは絶対に書かないこと。
3.目立たないように下げること。
4.コテハン名がスレッドの名前に入っている。
板違い、という批判には答えないこと。
>>4 >君の主張に根拠が内在しないのは何故なんだ?
なぜ「根拠が内在しない」と決めつけてかかっているのだろう。
ちゃんと根拠は存在している。
『現実』は、バランスの取れた関係としてのみいつも在るのだ。
それがもっとも根本的な根拠だ。
人間は自然を抽象化して文明や芸術を築く。歴史を見れば明らかでしょう。
都心には、もう海や山は無く、それらをよりバランスよく抽象化した噴水やビルや道路がある。
したがって、このような抽象的システムをちゃんと意識的に持った、『新しい芸術』が、
今日、時代の進展とともに必要になっているということだ。
>>9 どこが「主観」なの?もしできるなら、具体的に指摘して欲しい。
私はつねにできる限りの客観的視点を目指そうと、努力しているのです。
人間は動物であるから、煩悩があって、その分いつも多かれ少なかれ理性が「不純」になります。
だからそれに対抗し、バランスを取るために「純粋」な仕事が必要になるのですよ。
>>9 >人に純粋も不純も同時に備わるっていうのが自然だと俺は思うな。
そのとおりでしょう。
それは私の主張とも、意見ともまったくに一致しています。
それを達成する為にこそ、『純粋』の基礎が確立されねばならないのです。
不純さと純粋さを曖昧に混ぜこぜにしたままでは、決して何も達成することはできない。
それ故、人間の自然さもそこからは生まれてはこないでしょう。
>>9 >誰がその「純粋」を決められるのか。
これは各個人のできる限りの客観的判断に依存する部分もあります。
しかし、いちばん重要なのは、『現実』こそが、何もかもを規定するということです。
従ってこの『現実』に適ったものこそが、誰から見ても[普遍的に]純粋なもの
ということになるはずです。
コテ名入りのスレタイはれっきとした削除対象なんだけどさ。
削除依頼もアホくさい。
人の意見に聞く耳を持たず、都合の悪い論旨は無視し、
詭弁を繰り返す人間は、自分でサイトを持った方がいい。
>>19 人の心の中に共通してある「何らかの思い」に対して、
『純粋』と名づけられるのではないか?
その「何らかの思い」を呼び起こす現実的な事象を
『純粋』を呼ぶのか?
スレッドを1つ立てたくらいで何で立てらんないの?
ああ、これまで全部立ててきたからですか。
立てられないから他のスレを荒らしたんですね。最低。
詭弁というよりも、固有な言語空間を持つあまりに、
その中で言葉が無意味に過剰に語られているだけのような気がする。
私の理解力がないというよりも、人の心に届く言葉を
この男は持っていないんじゃないのか?
2chのお約束。規則も知らずにやりたい放題。
スレッド
固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、
自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板以外では、原則として全て削除または移動対象にします。
詩を書き込んだことについての謝罪もなし。
言葉の選び方も杜撰なんだよね。
言いたいことがうまく伝わっていない。
それも独自の言語空間のなせる技なんだろうけど。
>>23 理解できないのは君が古い悲劇的な人間だからだ、
とか言うに決まってるさ。
>>9 >君は君自身の価値観を述べた。
>それは他の多くの人にとってはただの感想文でしかないんだよな。
>正しい正しくない以前の感想文でしかないんだよ、無根拠だし。
まず、私は自身の価値観から事物を思考し、感受しますが
[まさか他者の価値観をもって考感するなんて、誰にも不可能でしょう?]
でもその価値観を常に新しくて、もっと普遍的で、客観的なものにしていこうと常に努力しますし、
実際にしています。
次に、>感想文でしかない
ということですが、これは良く分かりません。
どこに「感想文」なんて書きましたか。
指摘して欲しいです。あるとすれば何に対する感想なんだろう、それは。
私は基本として、ここでは芸術と文学、現実と生活について
常に『事実』と、それにぴったり関係した『見解』を現してきたはずです。
最後に>正しい正しくない以前の感想文でしかないんだよ。無根拠だし。
ということですが、
正しい=公正で客観的な見解を目指そうとしている私には、あなたのこの判断が
なにを「根拠」にそして何に対して「感想文」と言いたいのか分かりませんが。
根拠については『現実』にあると書きました。
正しいかどうかは、歴史と、他者が決めることです。個人にできるのは「正しさ」へ向けて
努力し前進し続けることだけです。
なんか、雲をつかむような印象しかありません。
>>9 >「当然」だの「絶対」だのそういう大仰な言葉を使うから、
>君を叩くやつが登場するんじゃないかな。
まず、「当然」であれ「絶対」であれ、それが大仰であるとは思いません。
当然は当たり前=常識以前、考えるまでもなくという意味だろうし
絶対は「相対」の反対概念でしょう。それだけのことです。
当然の]戦いを避けてばかりいては、いつまでたっても前には進まないと思います。
少なくとも『新しいもの』と「それ以前のもの」が決定的に違っているとなれば、
そこに【両者の熾烈な対立】が生じるのは絶対でしょう。
大事なのは『新しいもの』の実現だから、多少の争いは避けるべきではない。
というかこれ=一時的不調和を避けることから、進歩が遅れてしまうのです。
そもそも──どちらにしても、古いものは自然に廃れていくのだから、
新しいものの登場の際の少しの摩擦は気にすることはありません。
新しいものを考えるならば、古いものは無きに等しいのです。
質問。
君の価値観のでどころは何?
生まれたときから備わっていたの?
>>9 >芸術が他者に感動を与えることは多いが、それだけが芸術の意味だとは俺は思わないな。
これは私と同じ意見です。
私は芸術の本質的意味は、
『美しいとともに社会の役に立つもの』を創り出すこと
にあると感考します。
よってそこには 純粋な人間らしさ=知的で社会的な生物としての生き方 が常に関係してきます。
だからこそ芸術には自然に『感動』が生じるのでしょう。
>感動ってのは意外性を含んでないといけないだろう?
この場合意外性とは、『新しさ』に依存するでしょう。
古ぼけ使い古されたものは「意外ではない」。
[古品に意外性を見つけるとすれば、その個人がなにか『新しさ』を、古品に見いだすからです。]
従って芸術について目下のところ重要なのは、この『新しさ』を常に何度でも
生み出すことが可能であるようなシステムの確立なのです。
>>17ありがとう
この板では前板での明らかな荒らしとの戦いを反省し、できる限り「無視」してきたのだが、
それが逆にその人物を調子づかせてしまったようだ。
彼らの考えはやはり基本的に理解不可能なので、どう対処すればいいのかとても困っている。
騙りも非常に多かった。
それはトリップを使うことで解決するだろう。
33 :
◆GiTmRUKFvw :03/12/01 17:22
何かを発信したいだけとゆう人間が多いのには驚かされるね
>>21 「何らかの思い」=感情が、
現実と関係することによってこそ、生じるものならば、
この『現実』の方にこそ、「決して変わらない純粋さ」の起点はある、と感考しているのです。
35 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 17:25
他スレを息つかせながら徹夜で荒らしてるヒキコモリだから許してあげろ。
俺はkagiが嫌いじゃないです。
>>30 違います。
人間は生まれた時はほぼ自然であり、ここから後に「自我」が生じ、
さらに自己との不均衡[自己同一性の危機]が生まれます。
そしてここから『肉体精神の均衡の取れた状態』へと除々に向かっていくのです。
出所は、だから『現実』あるいは『芸術』と言えるでしょう。
ピート・モンドリアンの思想に深く影響を受けたのは、確かです。
>>35 徹夜もしてないし、他スレも荒らしてないし、それに引きこもりでもないよ。
38 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 17:35
なぜ僕がkagiのことを言ってると思ったんです?
上の文はGさんへのレスで、下の文はkagiに対する好意の表れです。
芸術が社会に役立つものという場合、
どのように役立っているのかきかせてほしい。
>>37 絶対にレスしてはならない。
削除依頼されても文句は言えない立場なのはわかってるのか?
レス削除もコテハンスレだと通りにくい。気をつけることだ。
>>36 その出所が、偏っている、
あるいは
間違った受け止め方をしているのではと考えたことは?
基本的な素養の足りない馬鹿。
>>40 IP見たらあなたkagiだったんですけど。。
>>43 シーッ! 見て笑ってんだからやらせとけよ!
すいません。あまりにもこの人、自演多いので、、諫めた方がいいかな。と思いまして。
>>39 まず、「美しいもの」は人間にとってものすごく大事なもの、本質だ。
これが無ければ、人間らしさなんてものはどこにも無い。
だからこの 1.「美しいもの」を生み出す可能性を持っている という点で、
芸術は社会の役に立ち得る。
そして2.美とは、本質的には真とも同じものだから、それは自ずから倫理ともなる。
次に「芸術」は、人間にとって自然が意味する悲劇からの解放を求めていく。
だから、システムからの呪縛を好まない人間にとって「自由」を感じることのできる
社会における唯一の領域なのだ。この 3.解放[=感動] という点でも、
芸術は社会の、人々の役に立ち得る。
それから最後に芸術が新しい造形に進化する時、それは限りなく『純粋デザイン』に近づく。
文学においても同じ。
ここで、日常生活と美と芸術の一体化が実現する。
純粋デザインは社会の功利的要求とも一致する概念なので、
4.『実際役に立つもの』として、作品を造ることも可能になる。
基本的にこの4点が、芸術の社会の役に立ち得る側面だと感考できる。
>>40 OK
47 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 18:03
オタが俺のレスを無視した。俺は窓の外の暗闇をみつめる6時。
いえ別にあやまらないでください。
私のスレの楽しみ方が、絶対で正しいということはないですから。
人はそれぞれ価値観があり、何に美や喜びを見いだすかは違いますから。
同じモノを対象としても、甘受するものは人それぞれですし。
私はこのスレで、カギの頭の中が少しでも整理整頓されればいいかなと思っています。
でも自演ばかりで人の考え方をはねつけ、
根拠なく自分が正しいと言い続けている姿勢を緩めない限り、
そうはならないように思えてきました。
せっかく場所を与えられたのに、これではまたダメのレッテルが増えてしまいます。
>>41 それが正しいことを、嬉しいことに、都市が、文明が証明してくれているのです。
ビルは垂直線を示し、
アスファルトの灰上に横断歩道の白は水平線を示し、
赤青黄の信号が点滅する、都会。
これが私の主張する「新しい芸術」の基本であるとしても、もう間違いはありません。
>>46 なぜ、美しいものは人間にとってものすごく大事なもの、本質なのか?
また、なぜ、これが無ければ、人間らしさなんてものはどこにも無いのか?
そもそも『美しいとともに社会の役に立つもの』とあなたは言っているのだから、
これらは「美しい」に包有される要素。
質問の意図を理解していただきたい。
でもついでなので上記2点の質問には答えてほしい。
>「芸術」は、人間にとって自然が意味する悲劇からの解放を求めていく。
これはただ単に、君が考えている「新しい芸術」のかたちに過ぎないと思うが?
新しい芸術は、ひとつではないと思うが?
しつこく訊いていきますよw
>ビルは垂直線を示し、
>アスファルトの灰上に横断歩道の白は水平線を示し、
>赤青黄の信号が点滅する、都会。
>これが私の主張する「新しい芸術」の基本である
ビルは垂直だけではないし、
横断歩道は水平ではないし、
信号は田舎にもあるが?
これこそ、間違った受け止め方というもの。
そして、
それらがなぜ、君が主張する「新しい芸術」の基本なのか。
まずはそれらの要素が示すものを述べ、
それをどのように芸術へともっていくのかを説明願う。
しつこく訊いていきますよw
それに、垂直線ならビルを持ち出すまでもなく、
ただの垂直線が、最も垂直線的であり、
すべてを過不足なく備えていると思うが?
なぜわざわざビルや横断歩道や信号を持ち出すのか。
それらに何か特別な意味はあるのか?
あるとしたら、この世にあるすべてのモノから、
なぜそれら3つを選んだのか?
これは非常に重要なことなので丁寧な説明をお願いしたい。
しつこく訊いていきますよw
文明は5000年前からありますが?
>>50「あなたの個人的」質問の意図はよく分からないが、質問には答えていく。
>なぜ、美しいものは人間にとってすごく大事なもの、本質なのか?
真と美は本質的にひとつのものだ。
理知的生物である人間は、社会的倫理である「真」を求めることが好ましい。
また芸術の「美」は、多かれ少なかれわれわれの生活を普遍的なものに高めることができる。
人間の精神は普遍的社会秩序との統一を求めるのだから、人々が「美」を求めることは論理的だ。
また美は清潔とも決して切り離せないものだから、それは肉体的要求である「健康」をも
より生き生きしたものに高めることになるだろう。
>>55 人が質問するのはすべて個人的だと思いますが?
というより、個人的な理由でない、人間の行動はありえないと思いますが?
社会的倫理という言葉がよく分からないので説明求む。
>>50 >なぜ、これ(美しいもの)が無ければ、人間らしさなんてものはどこにも無いのか?
これは具体的には、糞尿にまみれた、汚い何も整わない環境で日々生活すればすぐ分かるはずだが。
一定の教養を獲得した現代人にとって、「美しいもの」は人間の知性とも関わっているのだから、
彼らの社会的環境に日常の美を見いだすことは「必要なこと」だ。
ある種の浮浪者の生活と、一般的社会人の生活を見比べたときに、どちらがより『美しいもの』
であるかは誰から見ても明らかだ。
もう人々は「美しいもの」無しには、文化人、現代人として自己を表現することはできない。
>>50 >悲劇からの解放は「新しい芸術」のかたちに過ぎないと思うが?
「過ぎない」の意味は分からないが、
その通りで、それこそ新しい芸術のスタイルだ。
>新しい芸術はひとつではないと思うが?
「新しい芸術」はその意味も含んでいる。
より進歩的な芸術という意味だ。
そして完璧に進歩的な芸術=未来の芸術があるとすれば、
それは多かれ少なかれ変化してきたシステムを、完全に抽象化したものにこそ、あるのだ。
>>58 人間の知性とは無関係に「美しいもの」もありますが?
また、糞尿を「美しいもの」ととられる人もいますが?
そもそも、質問の意図は「人間らしさ」であり、
美しいものの必要性を問うたわけではない。
もう一度説明を願う。
付け加えると、浮浪者は浮浪者で非常に人間らしいし、
発展途上国の人たちも、ある意味では我々日本人よりも人間らしいし、
彼らにも素晴らしい芸術があるが?
自分の言っていることをおかしいと思わないか?
>>59 >>悲劇からの解放は「新しい芸術」のかたちに過ぎないと思うが?
>「過ぎない」の意味は分からないが、
>その通りで、それこそ新しい芸術のスタイルだ。
だからそれは君の考えであって、
遍くものではないと言いたかったのだが。
>>51 文明化とはみな自然の抽象化なので、人間のもっとも抽象的な造形である「芸術」は、
都市=文明化の中心地にこそ、その本質が現れるのを見つけだす。
>>62 馬鹿ですか? 質問の答えになっていません。
>>52 都心=文明化された場所における誰にでも分かる基本的な造形例として、
その三者を挙げたまでだ。
垂直と水平のバランス関係は、人間に運動と休息の心地よいリズムを生み出す。
社会的なもの/ことから最も遠い位置にあるからこそ、
芸術は芸術として存在しうるという考え方もあるが、いかがか?
>>56 芸術は個人の利己を超えたものであり、普遍の統一を指向するものだという事実は、
改めて力説されねばならない。
よって自覚ある芸術家も、普遍的理由に沿って、行動・生活しなければならない。
>>57 人に不意に不快を与えるような、礼儀に反した行為を非社会的、倫理的でない行動と言える。
だから社会で生活する人間は「社会的倫理」が必要になる。
>>64 >垂直と水平のバランス関係は、人間に運動と休息の心地よいリズムを生み出す。
それは君ひとりの感じ方であって、人間という広い括りで断定できない。
むしろ垂直と水平だけの世界は心地よくない。
また、仮に、垂直と水平のバランス関係が美しさをもたらすなら、
それを生み出す人間の造形が、複雑な曲線から成り立っている。
であれば、君の言う、人間らしい=美しいモノだけに囲まれる
という仮定自体成立しない。
>>60 現代人が美的感動を覚えるという時に、
その人間の知性が働いていないということはまず、あり得ないだろう。
あなたは社会人であるならば、その社会的知性は意識されずとも常に働いているのだ。
>知性とは無関係に美しいものもありますが?
それだから、なにが言いたい?それはたとえば、なんだ?
──彼らは日々創造を必要とされる。
われわれは「現代」を出発点に添えなければならない。
>>66 質問の答えになっていないが、また問いを。
個人の利己を超えたモノを、個人が生み出すことなどできるのか?
その仮定が正しいとして、
普遍を指向すること自体、
また、普遍を指向する芸術家たらんとすること自体、
個人的な行動だと思うが?
全体的に、表現者と社会をきちんと区別できていない。
話が混濁する。
それが板違いの原因でもあるような気がする。
>>60 >糞尿を「美しいもの」ととられる人もいますが?
もし君が『糞尿を扱い生活できる』なら、その主張は筋が通るだろう。
──われわれは文明を必要としている。
>>60 「人間らしさ」と、「社会人としての美しさ」は、すでにほとんど同一のものなのだ。
>>69 >>60の「人間らしさ」についての答えがない。
>>知性とは無関係に美しいものもありますが?
>それだから、なにが言いたい?それはたとえば、なんだ?
何が言いたいかというと、あんたは間違ってるってこと。
たとえばなんだというと、本能的に美しいと感じるもの。または直感。
ちなみにデカルトが、君の言う知性すなわち認識を否定している。
>──彼らは日々創造を必要とされる。
まったく中身のない文ですが、
君は社会的社会的と何度も使うので、
その方向から言うと、
我々は「創造」ではなく「消費」を宿命づけられた存在だと思うが?
>>65 確かにその主張には正しい部分を見つけ出せる。
つまり精神生活と、俗世間での生活を分離して考える、ということだろうと思われる。
しかし新しい芸術は「文明社会」と非常に密接に関わるので、
その両者の生活にはもう区別がつけられない。
それは彼の都市生活の中でひとつの同じものに──つまり生のリズムに、統一されるのです。
>>71 >もし君が『糞尿を扱い生活できる』なら、
その前提が間違っている。
たとえば、糞尿を「観賞」すること。
それは絵画を鑑賞することと同じだと思うが?
>>68 >成立しない
しかしだからこそ、そこに向けて進歩することが可能なのです。
横断歩道の無い交差点と、荒れ道の交差点を見比べれば
どちらがより整理された人間的秩序を現しているかは明らかです。
あなたは水平ではないベッドで、ゆっくり休むことさえできないはずです。
>>74 なぜ、新しい芸術は「文明社会」と非常に密接に関わるのか?
>>77 >しかしだからこそ、そこに向けて進歩することが可能なのです。
では人間は水平線と垂直線でできたものに変わらなければならない。
無理。
横断歩道がなくても秩序だっていることが、
より高位の人間的秩序だと思うが?
>あなたは水平ではないベッドで、ゆっくり休むことさえできないはずです。
それについてはそうだが、すべてがそうではない。
私は四角い乳首を愛撫しようとは思わない。
さらに別の問い。
水平と垂直による秩序を目指したとしよう。
それはどのレベルまで実現されなければならないのか?
顕微鏡レベルか?
その程度でもかなりのナノテクが必要だ。
この世のモノを突き詰めていくと、
原子陽子中性子だが、
残念ながら君の希望とは違い、それらは球体だ。
となると、なんとなく近くで見て、水平と垂直であればいいのか?
>>70 >個人の利己を超えたもの
しかしそれを目指すことはできます。そして事実、新造形主義という新芸術において
個人的恣意=悲劇はそこを支配しなくなっています。
>普遍の芸術家たらんとすること自体、個人的な行動だと思うが?
それが恣意であるか、統一であるかを決めるのは、「造形」です。
>全体的に表現者と社会をきちんと区別できていない。
新しい人間は社会の一部としての存在・表現を望んでいるので、
その両者が一体化しているのはとても好ましく、また素晴らしいことです。
>それが板違いの原因である気がする。
新しい文学は個人の利益や名誉ではなく、社会の一部であることこそを目的とするのですよ。
だからこの『文学』板で新しい『文学』を論ずるのは、正しいことです。
>話が混濁する。
そうは思わない。
ただ、[目的ではない]新しい文学以外の質問をされれば、
私はそれにもやはり答えるしかないということでしょう。
何と何が混濁していると?
あなたは私の話に何を求めているのか?
>>73 「人間らしさ」については
>>72に書いた。
われわれは『現実』に即してこそ、あらゆる問題を考えなければならない。
>>76 馬鹿げている。
「糞尿を鑑賞」して、それで生活を支える収入を得れる訳がない。
>>78 文明化とは抽象化なので、もっとも抽象的な芸術は、
事実「文明化」とほとんど同じ意味を持つのです。
>>81 人間らしさという言葉とは違うことを言いたいように見える。
私には、浮浪者も非常に人間らしく映る。
>>82 ばかげていると思うのは君の価値観であり、
世の中にはさまざまな価値観があふれている。
事実、糞尿は観賞物として流通している。
だが、観賞して収入を得るというのはおかしくないか?
また、なぜ「美しいもの」が、生活を支える収入を得る手段とならなければならないのか?
>>83 事実であるなら証拠を提示していただきたい。
ちょっと出かけるので今日はもうレスは無理。
明日来ることができたら来る。
>>79 芸術は肉体と精神のバランスによって「造形」される。
われわれの環境はこの「バランスの取れた造形」に向かって除々に加工されていく。
芸術は抽象的で、自然の具対物(たとえば肉体)とは正反対のものである。
>横断歩道が無くても〜
これについては、「現実」に即して考えなくてはならない。
不可能なことを早期に実現することは、できない。
水平垂直は彼らのVISIONにのみ、反映されてくる。
したがって重要なのはこの「VISION」の純化なのだ。
「地球」自体を水平垂直に造形することはできないように。
>>84 「ある種の浮浪者=バランスの無い生活者」
という意味で書いたのだから、彼らの人権を非難したのではまっくない。
浮浪者を「(より)人間らしい」と見なすとは、驚きだ。
あなたは浮浪者を目指して生活するのだろうか。
>>84 芸術家[または美術家]という職業を選択した人間は
美しいもの、そうして鑑賞に耐え得るモノを造ることで、
生活を成り立たせているのですよ。
>>89 あんたさー、観賞して収入を得るって書いてんじゃん82で。
>>85 すぐに確認したいなら、
ピート・モンドリアン「ブロードウェイ・ブキウギ」を、教科書や図書館などの画集で、
見てみるといいでしょう。
そこには「自然」はもはや見あたらなく、『文明』の、『芸術』の美だけが、
彼のVISIONを通して確かに画布に打ちつけられているはずです。
>>90 じゃあ「脱糞」して、収入を得るとでも言うのか???
ますます馬鹿らしい!
糞尿小説が存在するのを知ってますか。
>>93 どんな小説でも、糞尿よりは価値があるように信じることはできます。
史上最も脳に良いと科学的に実証されてる、モーツァルト。
彼のケッヘル571は糞尿についての曲だよ。
パトロンが金を出して作らせて、現代でも金を出して聴いてんだよね。
ブロードウェイ・ブギウギって、
黄色い線と、交差するところが青かったり赤かったりするやつだよね。
でもあれって、グレーも使われてなかったっけ?
まあそんなこといいけど、
それはモンドリアンの手法であり自分の作品を説明しているだけのものでしょ。
それを普遍的なものにしても、超つまんないんだけど。
それに、モンドリアンって50年以上も前の人でしょ。変なの。
>>91に関して、補足。
>「自然」
というのは自然の具体物の痕跡という意味です。
色彩を使って表現される絵画においては、もっとも外面的なもの=純粋色を使って、
イメージは構成されていきます。
だからこの意味において、『色彩の自然さ』は、反対にいちばん純粋に表れ得るし、また
『自然で生き生きした人間のリズム』は、いちばん素直な状態で現れることができます。
新しい芸術は、自然と精神を美的に均衡させて、[すなわち、構成という形で]表現されるのです。
もちろんこれは『新しい文学』においても、同様です。
糞尿は便器に垂れて流すものとしか思ってないのですか。
ウンコを乾燥させて脱色させたものを飾ってる人っているよ。
名前出てこないけど、芸術家にも何人か。
それに、ウンコを自分の体に塗って快感を得る人もたくさんいるよね。
そんな人たちは、ウンコに「美」を見いだしてるからできるんじゃないの?
その「美」の感じ方は、スカトロ文学になっても、
音楽や映像になっても、同じ種類のものだと思うよ。
カギは清潔で整然としたものが好きっていうことは、
なんとなくわかった。
でも、それだけ、っていうこともないし、
そんなのばかりじゃ味気ないよね。
>>95 に関して、あなたが私に何を言いたいのかは分かりません。
新しい芸術においては、一者は他者を通して認識され、見られることになります。
視覚においてはもっとも外的なもの=純色、すなわち
a原色「赤青黄」
b非色彩「白黒灰」
を用いて表現される。
糞尿だってニンゲンが生み出すものだよ!
じゃあカギは死ぬしかないね!
生きてたら糞尿を生み出しちゃうんだもん。
>>100 あなたは誰が一生懸命育てたお米を食べてるのですか。
私は一生懸命美しい造形物を創り出そうとします。
それは純粋デザインに限りなく近い芸術なので、社会の役に立つことも、できるのです。
糞尿の魅力がわからないのは仕方のないことだが、
だからと言って、糞尿を否定するのはやり過ぎだ。
糞尿で生活できる。
あなたが垂れ流した糞尿の方が社会の役に立っています。
処理された糞尿がどのように使われているか知っていますか。
>>99 異なった場所でそれぞれに探求してるものの、
たったひとつのスタイルだけが正しい、
っていうのは間違いってこと。
「デ・ステイル」の中だけでも、
いろいろあるでしょ?
もし仮に、モンドリアンの方法論が絶対だったら、
かれこれ50年はあったわけだから、
今はもう何もかもがモドリアンチックになってんじゃないの?
いつの時代でも、いろんなものが同時に存在してんの。
あんたみたいに未だにモンドリアンモンドリアン言ってるのもいれば、
グッケンハイム美術館みたいな曲がりくねった建物もあんの。
便器を作品にした人もいれば、
渦巻きみたいな堤防を作品にした人だっていたでしょ?
あんたがただ単に、
「モンドリアンが僕の好み」ってだけじゃん。
なんだよ結局アートじゃなくてデザインかよ。
>>101 お米は四角くないよ! それでもいいの?
他人の言い分を認められない所に、荒らしを呼び寄せる要素があるのです。
カギは議論をしているではなく、拒絶反応を示しているのです。
要約すると
社会に役立つものは美しいものである。
美しいものは垂直線と水平線でできている。
ということになり、つまりそこから導き出されることは
1
垂直線と水平線でできていないものは美しくない。
つまり、社会に役立たない。
2
糞尿を立方体の容器に詰め込むと、垂直線と水平線で構成されるものになる。
垂直線と水平線でできているものは美しい。
美しいものは社会の役に立つ。
すなわち、立方体の容器に詰め込んだ糞尿は、社会の役に立つ。
わかる? これが「論理的」ってことだよ!
「真」「逆」「反対」「裏」をきっちり整理しようね!
「逆」「反対」「裏」はぜんぶ違うんだよ!
言葉の選び方がいい加減なカギ君!
自分の趣味を主張するのは、議論とは言いません。
宣伝です。
自分の趣味は自分一人で楽しめばいい。
他の趣味を否定する必要は全くない。
こいつの生み出す「詩」よりは、
こいつの排泄する「糞尿」の方が、
遙かに社会に役立ってる。
これは絶対で正しい事実なのです。
他の趣味を認めないのは仕方がないが、
積極的に否定することはないだろう。
やり過ぎでバランスが取れていない。
そのアンバランスさが荒らしを大量生産しているのです。
あなたの主張ではなく、態度が大きな問題となっているのです。
自分の趣味以外を認めないのはおかしいですよ。
>>110は論理的破綻がない。
それでもおかしい。
カギの主張とも異なる部分がある。
ってことはカギは自分でも何を言ってるのか解ってない。
答えが出ましたね。
──さて、私がここでやりたいこと=すべきことは、はじめから一つであって、
それは悲劇的小説に置き変わった「新しい文学」を
ここを見る人たちに知らせることです。
[……ここから先は特に創造者=作家さん宛に書くものですが]
それは完全に純化された芸術として新しいシステムを持っています。
『新しい文学の基本原則』
1.造形手段は対立する二元性である。同様のことは構図においても求められる。
すなわち、文字、文章は垂直と水平に構成される。
2.視覚的には、文字は純粋な色彩を用いて表現される。A+Bの均衡の取れた対立が求められる。
基本的に均衡は、Bの中に少数のAで達成される。
A原色「赤・青・黄」 B非色彩「白・黒・灰」
3.造形は拡大と縮小の関係を利用して、表現される。文字は拡大されたり、縮小されて構成される。
4.二元性の対立と拡大と縮小の関係は、構図ばかりではなく、内容においても求められる。
ひとつの同じことも、広い視点、近い視点双方から表現される。
またここに意識的なものと無意識的なものは等価関係で構成される。
5.これらから生まれ出す恒常的で均衡の取れた対立関係により、
造形は活き活きした『生のリズム』を 実在化する。
ここに文学=言語造形における悲劇は、消滅する。
そういう態度が荒らしを呼び寄せると言っているのです。
そうか! ウンコを重箱に詰めれば「新しい芸術」なわけだ!
そうだろカギ? ソウダロカギ? アカルイミライハウンコヲジューバコニ、ダロ?
何もわかっていないようですね。
さあ話を逸らそうと必死です!
>>105 文明は──芸術は、それゆえ人間は常に本当に少しずつだけ、前進するのです。
しかし、追求すればついには真理に到達するでしょう。
趣味の宣伝をする前に、何が荒らしを呼んでいるのか考えたらどうですか。
>>110 そんなことはまったく言っていない。
「新しいもの」を表面的に解釈することは、間違っています。
趣味の宣伝自体は悪いわけじゃない。
態度が問題なのです。
その当人には残念ですが、「悪意ある」荒らしには応答できません。
このスレにはまだ悪意ある荒らしは存在してませんよ。
>>126 お前の言ってたことをまとめたらそうなったんじゃねえか。
ひとつひとつ訊いていって、
やっと具体的にしたんだよ。
何一つ、お前の言ったことと異なっている箇所はない。
問題点を指摘されたら、悪意ある荒らしなのですか。
>>125 荒らしを呼ぶ原因は
「新しいもの」がそれ以前のものとはまったく違うので、
動物的性質の強い一部の人が短気を起こしているに過ぎません。
私には『主張』があってここにいるので、それを捨てることは本末転倒ですね。
悪意ある荒らしなら、このスレはすぐに埋め立てられますよ。
連続コピペがどこに存在しているのでしょうか。
「やりたいこと」を「すべきこと」と思いこむのって、
こういう人にありがち。
歪んだ使命感を持ってしまい、周囲に迷惑を撒き散らす。
あなたのすべきことは、さしあたって部屋の掃除です。
まあとにかく、四角くて排泄しない人間になってから言いたいこと言ってください。
そしたら説得力あるかもしれません。
あなたの主張内容ではなく態度が問題なのです。
空気を読めない者に、未来が見えるはずがない。
----吾輩は名無しである
>>110私の主張は
1|水平と垂直は「関係として」造形的にもっとも根本的なものであるが故に
その現れ方は非常に美的である。
2|美しいものは、本来、社会の役に立つものでもある。
というものです。
ただの駄々っ子です。
何でも思い通りになった幼児期から成長してません。
自分の主張を広める事にしか関心がないようですね。
あなたは、モンドリアン好きの、時代が止まったボクちゃんです。
荒らしは止めていただきたいものです。
私の主張に対し、何か意見があるなら、それをきちんとまとめて、冷静に書き込んで下さい。
主張内容ではなく、態度が問題なのです。
まだ悪意ある荒らしは実行されていませんよ。
>>138 急に間口を広げましたね。それがよくないところです。
とにかく平面的です。奥行きがありません。
これを荒らしというならば、この世は荒らしだけの世界です。
あなたは、反論を頑なに拒んでいるだけです。
それは議論とは言いません。
自分に都合の悪い意見は悪意ある荒らしだそうです。
質問にも答えていません。
>>145 フラットであることは、造形にとって、非常に本質的なことです。
それは奥行きから来る非現実的な圧迫を破壊します。
>間口を広げ
そんなことはないです。私はずっと同じひとつのことを言っていました。
おそらく、あなたが勘違いしていたのではないでしょうか。
>荒らしを呼ぶ原因は
>「新しいもの」がそれ以前のものとはまったく違うので、
>動物的性質の強い一部の人が短気を起こしているに過ぎません。
主張内容ではなく、態度が問題です。
一方的に主張したいなら自分のホームページを持つことを
おすすめします。
ここは意見を交換できる掲示板なのですよ。
一方的に主張を振り回す場所ではありません。
>>138 もういちいち論理的に証明しないけど、
それに逆らわずにいくと、
「うんこで四角いタイルを作ったら、美しいし、役立つ」
この時点であなたの主張に齟齬が生じてしまっています。
ここは意見を交換するための場所なのですよ。
一方的に主張を振り回す場所ではありません。
>>149 >奥行きから来る非現実
あなたは何次元にお住まいですか???
>>151 >一方的
そんなことはないでしょう。
だからこそ「こうして」、
礼儀正しいちゃんとした人の疑問に素早く応答できるように、
にちゃんねるに来ているんですよ。
何もわかっていないようですね。
平べったい、紙ほどの厚さもない薄っぺらな人間ってことでしょう。
>>153 それがにおいがせず、安定した容易には変化しない物質にまで変容させられており、
さらに色彩が施されれば、もちろん「美しくて社会の役に立つもの」にもなるでしょう。
そうなればリサイクルですね。
柔軟さがないですね。
年寄りではなく、頑固な若者だと思いますけど。
>礼儀正しいちゃんとした人の疑問に素早く応答できるように、
>にちゃんねるに来ているんですよ。
相変わらず偉そうですね。
私たちが、あなたの主張を、聞いてあげてるんですよ?
それはむしろ感謝すべきことである。
現実社会で聞いてくれる人がいればわざわざここに来る必要もないし、
誰にも相手にされなかったから来ているのですよ。あなたは。
あなたはネットでの議論に不向きです。
>それがにおいがせず、安定した容易には変化しない物質にまで変容させられており、
>さらに色彩が施されれば、
今さらそんな条件を追加されても困ります。
>>155 私は本来画家なので、「造形」はとても身近な概念なのです。
したがって三次元的奥行きを絵画平面に作り出す=デッサンも、
とても身近なものであり、
それが本質的に虚偽的なものであることを、身にしみて知っているのです。
自分に対する礼儀だけを要求し、他者に対する配慮は皆無ですね。
礼儀を求めるだけですか。
ネット上ではこのような人物は嫌われます。
いえ、現実でも嫌われます。
>>161 それは違います。
ここは日本最大の巨大掲示板であり、実に、ほんとうにたくさんの人が見ています。
だからこそ、ここで書いているのです。
すでに生まれた「新しいもの」をより速く正しく社会に示す為に。
たとえば実際、村上春樹本人と思われるレスを何度も僕は読んでいますし。
2chがあなたにとっての社会なのですか。
>>169 にちゃんねるが現実社会の一部であるのは、確かでしょうよ。
ひとつ突っ込みを。
>『新しい文学の基本原則』
>1.造形手段は対立する二元性である。同様のことは構図においても求められる。
> すなわち、文字、文章は垂直と水平に構成される。
これを論破したいと思います。
いちいち言葉尻をあげつらっても更にわけがわからなくなるので、
今回は方法を変えます。
つまり、上記に当てはまらない「新しい文学」は可能かどうかを考えてみます。
まず、小さな地球を想像してください。
北極点から、経度0度上に文章を書き連ねていきます。
(まずこの時点で、水平と垂直から脱しています)
そして、赤道上についたら、文章は赤道上を東に進みます。
さらに、どこでもいいのですが、例えば東経90度に来たら、
今度は文章は北に向かいます。
するといずれは北極点に戻ることになります。
90度に2回曲がって、元の場所に戻っているのです。
これは、水平と垂直だけでは不可能な世界です。
そのような文字配列がありえないことがあるでしょうか?
誰も「ない」とは言えないはずです。
そして、これは今までになかった、新しいスタイルです。
つまり、新しい文学です。
モンドリアンの方法論を今さら持ち出すよりも、新しいとさえ言えるでしょう。
同じように、メビウスの輪のような綴り方もありえます。
カギが想像できないとしたら、それは平面思考の弊害でしょう。
現実社会の一部と訂正したようですが、その訂正の仕方がまずいですね。
あたかも最初から、そのような言い方で主張していたように見せて
いる根性がまずいのです。
>村上春樹本人と思われるレスを何度も僕は読んでいますし。
すいません。煽りでもなんでもなく、例えばどんなレスが村上春樹が書いていると思われましたか?
引用してもらえないでしょうか?
>>171 カギのユークリッド幾何学に対して、非ユークリッド幾何学を出したようですね。
我々が実際に住んでいる世界は非ユークリッドの世界です。
カギはどのように思っているのでしょうかね。
175 :
ティンポコマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 21:29
>>171 それは私が初めて現れたときにkagiに突きつけた意見とほとんど同じものですね。
新聞に広告として掲載しろと言いたいところですが、
おそらくそんなお金は持ってないので非現実的です。
現実的な方法を考えてみましょう。
コピーしたものを製本して新宿駅で配るほうが、
「はやく」「多く」伝えることができます。
新宿駅は1日400万人の人が乗り降りしています。
文学板は、せいぜい10人というところです。
特にこのようなスレッドの場合。
それに、こんなところで垂れ流していても、
どんどん書き込みは消えていきます。
まあ同じ事ばかり何度も言ってるので、
その点は問題ないのかもしれません。
あとは自分でHPを作ることですね。
そしていろんなところで宣伝しなさい。
そうすれば、共感する人が出てくるかもしれません。
いずれにせよ、文学板住人は、
あなたの主張に新しさもレベルの高さも新鮮さも驚きも感じません。
それはここまでやってきて手応えのなさで感じているのではないですか?
>>171 あなたのいっていることは、非現実的です。
もしあなたがそのような「新しい芸術」を実際に造れるというのなら、
やってみたら如何でしょうか。
芸術の実現については、現実に即して考えなければならないはずですよ。
素人ならば知るかどうかは分かりませんが。
>>173 相手のプライベートに関することでもあるから、
ここでは言いません。言う必要も感じませんが。
レスお願いします。わたしはあなたの信者です
↑シネやブス
>>178 嘘ですね。そのような思わせぶりなことなら誰にでも言えます。
わたしはあなたを信じてきたのにあなたはいつもそれだ。
悲しいヒキオタですね。
あなたは言えないだけでしょう。
もうひとつ新しい文章配列を考えました。
文字が、フラクタル化しているような文章です。
ある最小単語要素から、それ自体を含んだより長い文章が枝分かれしているのです。
そしてその構成要素単位で、多くの枝分かれを成し、
かつそれらが繋がっているわけです。
そんな文章がこれまでにあったでしょうか?
なかったはずです。
新しい文学の、一つです。
こんどは平面的なのでカギ君も想像しやすいと思います。
>>176 素人=作家ではない人にとっては、悲劇的ではない未来に妥当する文学が生まれるという事実を。
芸術家=作家である人に対しては、新しいものの基本的スタイルと、また基本的システムを
ここで知らせたいのです。
>>180 彼をいじめないであげてください。
彼はかわいそうな人なのです。
現実では相手にされていない馬鹿なのです。
彼をいじめるのはよして下さい。
私は彼の気持ち悪い馬鹿面を知っています。
なぜなら私は彼の友人だからです。
↑爆笑!
イイ!
>>177 あなたにとって「非」現実的なだけです。
作れますよ。ビーチボールに文字を書いていけばいいだけだから。
>>182 アンバランスな造形は、それでも悲劇的なままに止まるでしょう。
その配列はまだ自然の外観に非常に近いものに止まるのだから。
>>183 なぜわざわざ非効率な手段をとるのですか?
「はやく」しなきゃいけないとあなたは言っていたはずです。
>>186 では頑張って下さい。
それが多くの人に日常的に読まれるものになると思うなら。
彼は小学校から高校までオタクにさえ相手にされない気持ちの悪い顔をした卑屈な醜男でした。
彼はヒキこもり、いつしか彼の頭のでは理解できない本を理解できていないのに読むようになりました。
そして、最近ではエロゲーの合間合間に2ちゃんにやってきては周りの人間を馬鹿にするレスをルサンチマンを垂れ流しながら
書き込む始末。誰か彼を助けてあげて。お願いします。本当に。
>>189 あっはっは! あんたの主張以外にもあったじゃねーか!
>>188 ?
これは私に考えられる限り、いちばん効率的で、素早く、確実な方法でした。
彼を助けるには2chに来ないようにするのが良いだろう。
>>189 やめて。あなたのものこそ日常的に読まれないわ。
あなたは頭が悪すぎます。
───┨┝━━ ◆m0yPyqc5MQ の主張が「絶対」で「正しい」ということはなくなりました。
時代遅れにモンドリっててください。
>>191 バランスの取れない造形を闇雲に「新しい」と言っても、
何一つ社会的説得力を持って迫っては来ないでしょうね。
>>193 それが彼のご両親も救いようがない馬鹿なのです。
パソコンを彼に与えたところで自分の自慰にふけるだけだから辞めたほうがいいとは言っていたのですが。。
>>192 >>176をもう一度読みましょう。
この状況が、なぜ率的で、素早く、確実な方法と言えるのですか?
あなたは疎外感を増す一方ではないですか。
>>196 あなたは自分が社会的説得力を持っていると考えているのですか?
あなたの自演レス以外、誰もあなたを馬鹿だと思っているだけなのに。。
>>196 バランスの取れない精神的奇形児が「新しい芸術」を主張しても、
何一つ社会的説得力を持って迫っては来ないでしょうね。
>>196 それはあなたが自分の主張に固執しているからそう思うだけです。
あなたのレスこそ、説得力を必要としているのではないでしょうか。
つまり、社会的に認められたい、自分の主張に沿った創作で収入を得たい、
という俗物なわけですね。
過去の様々な芸術家は、お金や名誉は二の次だったはずです。
>>198 冷静に考えて、本当に重要なのは本当に一部の、実際に日本文学をつくる「文学作家」に対し、
この悲劇からの脱却の鍵と『新しいもの』の基本形を示すことです。
それは直観的には、すでにある程度達成できたと思います。
>>203 その直観は間違っています。あなたの考えることや為すことと同じく。
173、荒れるからやめて。
ここは理詰めに行きませんか?
あなたの直観ほどあてにならないものはありません。
間もなく、『新しい文学』はより社会的な、一般文学カテゴリーにおいても
実際に現れてくるでしょう。
こうして文学においても、人間は悲劇から解放されていくのです。
今このスレに、カギ以外におそらく最低でも3名いると思われます。
>>199-201の通り。
あなたはその3人のうち、一人でも自分の主張に賛同させることができましたか?
こんなことを毎日毎日やっていることが効率的とは、
いったい今までどんな生活を送ってきたのでしょう。
まさか「話し相手がいる」というだけで前進とでも思っているのでしょうか。
人間が解放されるのではなく、あなたが解放されたいだけなのでは。
願望が拡大され過ぎています。アンバランスですね。
>>202 お金であれ名誉であれ、
そんなものは自由と芸術にとっての道具に過ぎません。
>>209 しかも願望が全人類への使命にすりかわっているようです。誇大妄想ですね。
>>210 その割には「収入」とか「社会的に」とかを気にしているようです。
>>208 安直な非難の発言をする人だけが、「読者」ではありませんよ。
>>205 だって、この人、煽る以外に使い道がないんだもの。
理詰めで忠告してもお得意の電波的な頭の悪さで
対話の姿勢を保ったままでアイロニーで刺激してくるだけなんだもん。
腹が立つだけ。
お前ら全部同類。なんでいちいち相手してるんだ?ギモン
>>213 あなたホント、救いようがない。。
内省って言葉がないのね。。
頭悪すぎます。。
>>213 まさかROMって「うんうん、そうだよカギの言うとおりだよ」
とか思ってる人がいるとでも!!!!!!!!!!!!!!!
>>212 「収入」に関してはとくに私は書いてはないでしょうね。勘違いです。
ただ新しいものを社会的に実現する為には、ある程度の物質的資本は必要になってきますから。
煽りの練習をするスレだからです。
221 :
吾輩は名無しである:03/12/01 22:02
お客さんを呼ぶためにageてみます。
俺の新文学の方がいいな。
>>220 あなたは荒らしっぽいですが、なかなか面白くて、魅力的な人のようですね。
224 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 22:02
この馬鹿に何言っても無駄。
煽られる玩具くらいしか使い道はありません。
↑あげるな、この目立ちたがりや!
あ、ごめん
煽りが増えそうなので、レスを少なくして、休みます。
228 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/01 22:04
>>223 あら、ありがとう。173は私なの、おほほ
例によって、糞スレ化してますね。
これは宿命です。
逃げたか。
完全なバランスを保った文章なんてありえないね。
だって漢字とひらがなとカタカナじゃ見た目の重量感が違うジャン。
外出から戻ってきたらこの有様ですか。
私の前半戦の粘着苦労の甲斐もなかったですね。
ボロが出まくってしまいましたね。
ホホウ ファルスマンは糞コテさんか
カギにとってはコピペ荒らしの方が、
相手をしなくて良い分、
楽で幸せだったのかもしれんな。
こいつに何を言っても無駄だ。
このスレに書き込むコテは全員糞コテです。
もちろんあいつが筆頭糞ですが。
爆撃による物量作戦から神経戦に切り替えたのか、お前ら。
なんでここまで「偏見による罵倒」が広まるのかな。
誰かわかる人は一行レスしてみて下さい。
新しい文学とはいったい!?
という興味を持って来てみたが、
碁盤の目のような文学って何www
あなたの態度が問題だからです。
>>238 読売巨人軍方式から野村ID方式へのドラスティックな転換です。
>>239 偏見を持たれているという認識自体間違っています。
むしろ寛い心と大きなまなざしであなたの相手をしていたのに、偏見とは何ごとぞ! 成敗するぞ!
>>240 違います。
イメージ的に言えば、
きらきらして色とりどりの、
新聞や広告雑誌の配列のようなさまざまな大きさの文字の、よりシンプルな構成に近いものです。
内容は素晴らしく飛躍的で、自由や喜びや、深い共感を呼び起こすものです。
>>241どこが。できる限り礼儀正しくしているんだけど。
あなたが、素晴らしく飛躍的で、自由や喜びや、深い共感を呼び起こされただけです。
全人類があなたの色に染まるとでも思っているのですか。
>>245 あなたが自分を客観視できないことが見て取れました。
たぶん彼は、語尾を敬語にすれば礼儀正しいとお思いになられていらっしゃるのでありましょうざます。
>>246 二元性から生まれる深い律動だけが、その宇宙的情感だけが、
われわれのもっとも深い「現実性」を外在化するのです。
>>249 ふぅん、すごいね。まあ頑張ってよ。文学板ではないどこかで。
>>249 「われわれ」ではなく「私」でしょう。
あなたは全人類の代弁者ですか。
>>249 会社に遅刻したときの言い訳に、その言葉を使わせてもらいます。
>>251 あなたが女性ならば男性との関係に、
あなたが男性ならば女性との関係に、
同じような「現実性」を見いだすことになるでしょう。
>>251 いいえ、彼は「非大便者」を指向しています。
可能性はあると、このスレでおっしゃっています。
彼は糞尿を美しくなく、役にたたないものだと思ってるので、
そんなものを自分が生み出すことに我慢がならないようです。
ケツのデカい女と結婚して、子供を作れ。
そしてそれらをお前の幸せにするんだ。
ぎりぎりで荒らしのようですが、ここでは特別に、答えておきます。
>>254 「糞尿」という自然の具体物は芸術ではありません。
そういうことです。
257 :
吾輩は名無しである:03/12/01 22:33
>>254 糞尿を否定するとはけしからん奴だ。
宇宙人にでもならない限り無理だろ。
ていうか、宇宙人も糞尿するんじゃないのか。
>>257 新しい人間は、自然を通り過ぎる[完全に抽象化する]ことになるので、
その意味で、「宇宙人」とは言えるでしょう。
彼のVISIONは、時間や空間から独立しているのです。
あなたは宇宙人なんですね?
>>257 彼はアニメの主人公になりたいのです。
そこでは彼は、新秩序の開拓者で、
全人類から信奉される絶対唯一の「知」であり、
唯一無比の芸術家として、その名を轟かすのです。
彼はそれを夢見ています。
いずれにせよ、
大体のこの板での目的も果たしたようですね。
「新しい文学」をさっき書いたような一般的なイメージで示すことは、できた訳ですから。
そろそろ、ここでレスする必要もなくなったようです。
どうやら時空を超えて主張を押しつけたいようです。
宇宙人宣言ととらえて問題ないでしょうか。
>>259 そのとおりです。
進化した人間は、宇宙人なのです。
>>261 それではさっそく創作に励んでください。
宇宙人なら、宇宙に帰ってください。
とっととモノリスの電波に導かれて宇宙に行って進化してください。
>>265 どうもありがとう。
もし、もう「新しいものへの質問」がないようなら、喜んでそうしましょう。
気がかりはCと名乗る人物のことだけですね。
>>266 あなたは忘れているようですが、「ここ」は宇宙ですよ。
病院、行け。
他人の声が頭の中で聞こえてるだろ?
271 :
吾輩は名無しである:03/12/01 22:44
大気圏外に出てください。
まああとは俺たちがこのスレを細く長く板にキープしとくので、
何も気にせず新しい別の場所で伝える旅に出かけてください。
>>269 ということは、
「進化」しなくても宇宙人ですね?
またやっちゃいましたね。
>>273 それに気がつく=悟ることこそ、人間の『進化』の内実なのです。
それを日常的に感考できるようになれば、
あなたは──人間は「進化を完成させた」と言えるでしょう。
>>274 そんな大げさな物言いしなくても、
宇宙人とか地球人とかって、
小学生の口喧嘩レベルです。
あとはC氏のレスが無ければ、これで基本的には「ここ」でやるべきことは終わりました。
こいつのイメージを「何か」にたとえて、もっと具象化するならいいんだけど、
よりによって文学論そのものをたとえに選んでしまっている。
彼が表現しようとしている「何か」を小説にでも書けば、多少の違和感を
抱きながらも作者のもくろみに近づく人は出て来るだろうし、
論理的破綻も感性の問題にすり替えることも可能。
でも、文学論として語ってしまっては、論理的なほころびは致命的なものとなる。
278 :
吾輩は名無しである:03/12/01 22:54
>>275 進化した人間は精神的に純粋なので、過去の動物的──悲劇的視点から見れば、
「子供っぽく」映ることもあるでしょう。
しかしそれこそが、成熟した人間存在本来の、混じりけない生き生きした精神なのです。
>>274 気づかなかったあなたはだめじゃないですか。
>>277 私はほかに優先してやるべきことがあり、
それゆえ「文学」に専念していることはできないので、
ほかの進歩的な芸術家=作家に、『新しいもの』を知らせることの方をここでは目的としました。
283 :
吾輩は名無しである:03/12/01 22:59
>>280 ?
時間や空間から独立したVISIONを手に入れているということは、
常に宇宙からの視点を持って事物を知覚しているということです。
>時間や空間から独立したVISIONを手に入れている
終わりだと思ったら、
ものすごいことになってきました!
>>283 ちらっと見たけど、対立がほとんどないかあるいは非常に弱いし、
叙情・叙述的部分や具体描写が散見されるので、真に新しい表現とはなっていない。
あなたに必要なのは、人と人とのコミュニケーションです。
そうしないと、社会的な活動など何もできません。
>>287 具体的コミュニケーションは、新しい人間には最低限しか必要ないでしょうね。
何故なら彼にとっては、自己と等価的な現実性を創造することが、彼の新しい人生の目的なのだから。
289 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:15
仕事中だから一部レス
>>10 君は肉体による制限を君の肉体のみで考えている。例えば色盲・色弱の人、
難聴の人、逆に絶対音感の持ち主、肉体と一言で言っても色んな条件があって、
それらを一まとめにして「人間らしいもの」などと語るのはよくある
優生学的な発想に直結してゆく幼稚な論理だと思う。
僕が知る限り、芸術は肉体に準拠しながらも肉体を凌駕させるものだ。
目が見えないからこそ素晴らしい音楽を奏でる人間もいれば、時には、
音そのものが聞こえないのに素晴らしい音楽を作る者もいる。
そして海を見たこともないのに海を表現することだって芸術には可能だ。
だから、君の「人間らしさ」は人間の持つ可能性を大幅に制限しかねず、
それゆえ芸術活動というものから最も遠いところにあると言える。
290 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:20
>>11 しかし君は一つ、明らかな思い違いをしていると思う。
君の言う「不均衡な表現」なるものが何を指すのか、
明示されていないのでいつまでも議論は不透明なままなのだが、
逆に裁量権はこちらにあるものとして推定してみよう。
君は「文学の新旧」について語っている。つまり、君にしてみれば
今までの文学の多くは「不均衡」であって、だからこそ
新しい文学が必要だということなのだろうと思う。
ここで最初に戻る。では、君の言うその不均衡な文学たちは、
どうして今まで多くの人間に必要とされてきたのだろうか。
ここでも僕は君の独善を見る。
つまりそれは「君にとって不均衡」なだけなのではないかと。
>>289 事実僕は色弱ですし、新しい造形の基本原則にある「純粋色」
[音楽や建築においては、純粋関係]は、
人間にとってもっとも『原初的な』ものなのだから、
それは肉体的制限からの最大の解放を指向することになるはずです。
新しい芸術はこうして、自然と精神、外的なものと内的なものは等価であるという基本に
乗っ取って『造形』します。
よってそれは健康の条件を広げる。
また新しい芸術はすべての芸術の統合を目指すのです。
>>290 芸術はどんなに自然に支配されていようと、常に均衡を目指します。
つまり意識されないものと意識されるものを(バランスの)造形として表現したものが、芸術なのです。
ようするに、今までの文学はそれ独自の力を「描写」により制限されていたということです。
C氏へ
描写は、「自然な関係」を洗練させたり、虚偽により隠蔽させたり、
性的なもの、あるいは具体物を叙述したり
または感情の移り気な曖昧な表現にまどろんだりしますね。
これを文学における悲劇と呼び、
また非現実で、不均衡な表現と[新しい芸術の側は]見なすのです。
それは人間の『自然な関係』を現さないからに他なりません。
この自然な関係こそ、悲劇ではない、われわれの現実性を現すのです。
294 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:34
>>14 しかし君の書くことには未だに根拠が内在していないのだ。
君は意見を言う。求められれば説明はする。しかしその説明は
みな独白で、理由や根拠を含めていないのだ。つまり論議ではなく
演説であり、論理が必要な話を修辞でごまかしている。
例えば
>『現実』は、バランスの取れた関係としてのみいつも在るのだ。
この文は「何も書いていない」ことに気づかないだろうか。
都会は自然の抽象化だ、と君は書く。しかし君は都合よく都市の話で
芸術の話をごまかしていないか? 原始人は自分の狩った動物達を
精密に描いた。戯画化した対象は「人間およびその生産物」が多かった。
戯画の手法が自然に対しておこなわれるようになった時代でも、
その場合の自然は「擬人」としての自然であって(鳥獣戯画しかり)
自然そのものを抽象化する手法は今でも少数だと思う。
都会の話をしよう。今、どこの国でも都市部は緑が増えている。
東京などは、街路樹や自宅・屋上農園、公園などの普及により、
世界でも有数の「緑都市」になっていることを知っているだろうか。
アメリカにはセントラルパークや同様の意味合いを持つ大公園
がたくさんある。むしろ時代は自然との共存に向かっているはずだ。
バブルの時代、人は確かに狂っていた。だから君の言う「均衡」は
あちこちに見られた。しかし今、少し人は冷静になって、
例えば維持費のかかる噴水よりも自然の川や地下水を活かす方向で
様々な施設や建造物が考えられている。そこも見識が足りない。
295 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:38
>>15 まず君は、自分が言葉を選ぶときのその基準が甘すぎるのだ。
人は自然のアンバランスに耐えられないと書いたすぐ後には
人にとって「不自然」な、などと書いて自然という言葉への
ミーニングを曖昧にさせ、人は自然を作り変えるべきだ等と
書いた筆も乾かぬ間に「人は動物なので」などと書いている。
そのような言葉への甘さは主観ばかりが強い人間の特徴だよ。
つまり、他の人がどう読み取るか、という観点が存在しない。
296 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:42
>>18 どこが一致しているのか教えて欲しいものだ(笑)
俺は「人の自然とは純粋も不純も曖昧なままだ」
と書いているので君とは全く違うと思う。
というより、人とは白黒つけられぬ灰色の存在で、
だからこそ、白も黒も描けるのだと思っているよ。
曖昧万歳だ。
君はまた無根拠に「決して何も達成できない」などと
書いているが、では今まで人類は何も達成できなかったのか?
そうであるなら、なぜ君は「達成」という事象を
理解できているのだろうか?つまりそれを主観、
この場合は独善と言うのだ。
>>294 新しい芸術の示した概念によれば、自然の 具 体 物 との共生は、人間にとって非現実で、
悲劇的であり、「未来」には不必要なものなのです。
しかし自然を否定するわけではありません。人間の為に、自然は変わるのです。
たとえば。川は色付きガラス/アクリルプレートの下に隠されたり、緑も同じようにされるか
あるいは機械的装置によって同じ「自然の」役割を補われるでしょう。
宇宙船や宇宙ステーション、未来型の駅や住宅には、植物の移り気な形態や性質は、邪魔なのです。
298 :
吾輩は名無しである:03/12/01 23:50
宇宙船、イウイ!
>>294それから
根拠は芸術の論理展開にある訳ですが、
それをすぐに確認したければ、あなたのいる部屋の「床」と「壁」の関係を見ればよいでしょう。
それは人間の原初的関係の抽象的現れである、垂直と水平を示しています。
このような[芸術から]隠された真実を、新しい芸術の側は基本的な現実性として表現するのです。
300 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:53
今、同時に書かれているレスについては明日以降の返信になると思う。
>>27 つまり全ての人間は当然、主観的なのだ。しかし、そうであるからこそ、
他者の感受を意識しないと議論も芸術も不可能だということを君はよく
知らないようなのだ。君が言う事実は括弧や二重括弧で綴じる嫌らしさ
がよく現しているようにこんな意味を含んでいるはずだ。
「君たちが書く事実と僕の『事実』は違うのだ。僕は新しいのだ」
と、このような意味で君は括弧を使う。なのに、その感想を
一個の意見とするべき根拠が無いのだ。それはおそらく、
「僕は正しい。なぜなら新しいからだ。つまりこれは『事実』だ」
というようなことだろう。しかしそれはどこまでも感想文だ。
「昨日食べたりんごは甘くておいしかったです」
は確かに当人にとって事実だろうが、他の人間に何の意味も無い。
君の文章を再読してみればいい。ほぼすべて、りんごは甘かった
話しかしていないだろう。しかもそのりんごは
(新しいゆえに、と君は言いたいのかもしれないが)
僕らの知っているその林檎ではないようなのだ。
>>295 言葉は道具なのだから、それが表現する「イメージ」にこそ、造形の本質はあるのです。
また私はつねにできる限り適切な言葉を探しています。
バランスを取るということは、そういう『対立を調和させる』ことであるのです。
>>296 悲劇的造形に満足する芸術家にとっては、それは何らかの「達成」なのかもしれませんね。
しかし僕はそうではない。
僕の達成は、真に現実的で、絶対不変の、
未来永劫通用する『新しい芸術』を実現することにありますから。
303 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/01 23:58
>>29 当然なものを当然と言い、絶対を絶対と書く。それは大仰ではない。
しかしそれは、証明されうるものでなければならない。
君は証明を求められると自らの意見ではなく、君自身が言う
「古い」ものたちに根拠を委ねてしまう。
君は君の言う新しいものの説明をしようとすればするほど、
どういうわけか旧来のものを例に出しているじゃないか。
それはつまり、君に「根拠が内在しない」ことの明らかな証拠であって、
だからそんな君が「当然」と言い「絶対」と書けばそれは大仰なのだ。
304 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:04
>>31 君が芸術をどう愛するかはそれは君の自由だ。
しかし芸術が君をどう愛するかは芸術の自由なんだ。
社会などくだらないと思えばその方向で素晴らしい芸術を描ける。
サロメの著者をご存知か?彼の主張を知っているだろうか。
僕は彼をあまり好きでは無いのだが(天使を見たこともない)
芸術は芸術のためにあるべきだというのは全くその通りだと思う。
父と母が役割を分担することで子供の世界観が豊かになるように、
芸術が社会に擦り寄る必要など無いのだと僕は思う。
むしろ、相互が緊張状態にあるからこそ、相互に発展できるのでは
ないだろうか。悪しき一元化、グローバリズムなる衆愚に、
君は染まってしまっているようだ。
救いようのない馬鹿にいちいち突っ込むなんて面倒くさいことをやるC氏は物好きですね。
>>300 新しい芸術は意識されるものと意識されないものを均衡させて、表現します。
従って鍵各個──「不変の関係」───は、自然形態を含んだままの文字列の間に
直観的に[美的構成として]均衡させ、対立させられます。
よって文章は意識されるものによる表現=叙述から、除々に解放されてくるでしょう。
それは自然の結合・反復を破壊する、[ジャズ、ブギウギ的な]人間のリズムでもあるはずです。
新しい調和は過去の個別的バランスを志向する造形の視点から見れば、
「調和しない」ものなのです。しかしそれこそが、人間における普遍的な調和なのです。
でもその調子でこのかわいそうな人を泥濘から救ってあげてください。
僕もkagiみたいな天然は嫌いではないのです。哀れみはしますが。
>>303 都市[町]における横断歩道の造形や、
信号機の造形、
垂直に立ったビルの並びが「古いもの」とは思えませんが。
309 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:11
>>291 話が矛盾しすぎだ。最初、君は威勢よく、肉体の規制を満たすために
自然のアンバランスをてなづけろと書いた。なのに今度は解放だって?
しかも、そんなことなら既存の芸術が充分にやっているよ。「運命」
を作曲した男のことは知っているか?例えば彼のことはどう説明する?
310 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:12
>>292 だから、ただ
「〜とは〜なのです」だけではなく、根拠か例を書けばいいんだ。
だからいつまでも感想文なんだよ。それは君の妄想だ。わかるか?
>>304 「芸術の為の芸術」
はまったく馬鹿げた見解であって、私は全く共感も価値も認めません。
なぜなら客観的に見れば芸術創作は、人生における代替行為だからです。
彼の人生の悲劇的要素が、彼を芸術創作に向かわせるのです。
従って、新しい芸術は『LIFEの為の芸術』を指向します。
自然におけるのと同様に、芸術においても、
もっとも純粋な美的要求は、事実、もっとも純粋な功利的要求と一致しているのです。
312 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/02 00:15
見ててむかつくくらいのAHO!
313 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:15
>>293 悲劇である理由を述べてからその悲劇を回避してくれ。
314 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :03/12/02 00:20
↓必死に無意味な言い訳を書くkagi。
>>309 「自然」は構成要素として厳密に、純粋なまま使用されます。
「自然」の具体性は悲劇的である故、破棄されます。=芸術となります。
「自然」と『精神』は新しい芸術において等価で扱われます。
そういうことです。
優れた作曲家[=構成家は、みな無意識に──意識的に、多かれ少なかれこれらを行っているのです。
しかし真理が完全に発見されたからには、現代的な意識ある芸術家[=構成家は、それを適用しなくてはなりません。
>>310 真理はそこにある。
床を歩けば、壁を触れば、解る。
317 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:21
>>297 宇宙ステーションに住まなきゃいいんじゃないかな?別に。
ちなみに君の感想とは裏腹に、宇宙飛行士の多くは地球に帰ってくるなり、
宗教や地球環境の保護や自然との共存のために活動している。
そのことも君は知らないだろうな。
なぜだと思う?俺はこう思うよ。
つまり君のように人「も」自然の一部に過ぎないということを
都合よく忘れて現代人の多くは生きている。
つまり本当の意味での均衡を見失って。
それを、宇宙に出て、地球という自然を「客観」することで、
それがいかに大事で人間らしさに関係するものなのか、
理解するんだと思うよ。
つまり均衡などは、もう自分の中にあったのだ、
今までそれを忘れたり眠らせたりして生きてきたのだ、
と気付くのだと思う。
ちなみに、芸術っていうのは、宇宙に「出なくても」
そんなことを理解することのできる想像力の結果なんじゃないか?
だからこそ耳もほとんど聴こえず、実際の海を見たことのない
ベートーヴェンは海について作曲できた。
そもそも、芸術は、君の言うあれこれを実現しているんだよ。
おそらくは数千年前に、既に。
君は、ただ「後退」してしまっているだけなんだ。
318 :
吾輩は名無しである:03/12/02 00:21
オーケーオーケー!
おまいら、俺のチンコを巡って争うのもいい加減に汁!アヒャー(・∀・)ニヤニヤ
ムスコは1本しかないから、フグリをしゃぶらせてやるYO!
フグリだったらこーんなにあるからな!アアアーーーーン(*・∀・)ハアハア
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319 :
C ◆7sqafLs07s :03/12/02 00:24
仕事に戻る。また今度。
しかし、ここまで独善的な精神も珍しいな。
まるで「と学会」の研究対象だ(笑)
>>313 感情を揺さぶったり涙を流す種類の感動は、悲劇的感動。
それは「未来には」必要無い。
現代までの人やあなたはどうか知らない。
新しいデザインの美しさに感動したりするのは、現実的感動。
そこには感情を虚偽で揺さぶることはない。ただありのままの事実を提示する。
>>317 無論、新しい概念を知らない、適用されていない現在の宇宙生活は、自然に支配され、
無味乾燥で不完全な状態にあるのでしょう。
しかし人間がいずれは地球から出ていかなくては[太陽が爆発する前に、巨大隕石が衝突する前に]、
いずれ人類が滅亡するのは、冷静に考えれば解りますよね。
伝統主義者と自然主義者が何を言おうと、進歩は継続します。
そういうことです。
>>319 独善的とは、どういう意味でしょうか?
私は常に、人間における普遍的なものの意義を、芸術を通して主張しているだけです。
それは=新しい人間は、私個人より、むしろ人類にとっての幸福と利益を優先するのです。
C氏へ
自然の目的が人間にあったのは明らかです
が、人間の目的は自然には無く、むしろ宇宙との一体化にあります。
>>317 もしあなたの言うように、数千年前に「僕の言うあれこれ」を人類が達成していたとしたら、
いま僕は、あの美しい未来都市の一部になっているでしょうね。
しかし──残念だけど、僕は今からそれを造り上げなくちゃいけないのです。
>>317 われわれは「宇宙にいる」んですよ。
あなたはそれを忘れてるだけなんだ。
[>社会にすり寄る云々と書いたC氏へ]
新しい芸術は、構成の自由を持って、社会との一体化を指向する。
>>296 人間精神それ自体は、白や黒や灰などの「単純な」色彩に限定されるものでは無く、
非常に「複雑で」、無限の存在です。
それを表現する為に、画家は色彩を利用するのです。
>>295 「自然」は非常に深い意味を持った言葉です。
一者が造形されれば、他者がすぐに造形され、均衡し、相互に中和させられる。
それこそ新しい芸術の表現です。
>>304 父と母と子という部分についてですが、
「均衡」とは、
緊張と喜びの相互関係
のことでもあります。
従ってここでも、子供が豊かに、活き活きと成長していく為には
「均衡」の関係が必要になってくる。
これには芸術でも、人生でも、やはりまったく同じです。
330 :
吾輩は名無しである:03/12/02 01:27
よく
分からないけど
良スレ
上げ
>>277 どこに
>論理的なほころび
を[君一人が]見つけ出せたのか、示し説明して欲しいね。
芸術を元に論理を組み立てている以上、私には論理のほころびはあり得ない。
332 :
吾輩は名無しである:03/12/02 01:37
新しいって何?
>>317 宇宙ステーションに[ジョギングできなくて]住みたくないなら住まなくて結構だが、
あなたは道路を利用して生活しているでしょう。
私の言う「均衡」のあなたが理解すべき本当の意味は、
そういう現代的日常の中にこそ、あるのです。
そこから、未来が生まれ出す。
>>317 「VISION」には確かに視点、視覚、ものの見方、未来図、先見性という他に、
想像力という側面はありますね。
無限や不変や絶対を理解するには、人間には想像力が不可欠なのでしょう。
336 :
吾輩は名無しである:03/12/02 01:47
おやすみー。
まあジョギングできるマジ広い宇宙ステーションもできるだろうけどね。絶対。
大事なことなので、レスします。
Cさんの「独善的」という批判ですが、
美とは本質的に真と同じものであり、それゆえ正や善ともやはり一致してくるでしょう。
そしてこのような美を実現する為には、
彼自身がそのような美に自ら入り込んでいく必要があります。
つまり、生命そのもので芸術や美を表現しなくてはならない。
外にいながら美だけを手先で操作してうまいこと作り出すなんてことはやはり不可能で、
個人が精神の内深くまで入り込み、創造の母胎、芸術の鍵がしまわれている場所まで
自らの鼓動に合わせ一歩一歩踏み込んでいかねばならないのです。
だからその個人全体を「外」から観察する場合には「独」善的に見えることもあるのでしょう。
──結局その創造が普遍的善かどうかは、「造形」が、「現実」だけが決めるのでしょう。
───しかし、新しい芸術という小宇宙を理解し、そこから大宇宙を深く広く大きく──豊かに観察するには、
やはり自らも、その小宇宙の一部にならなくてはならないのです。
あっ。こんにちはパピヨンです。
最新50レスを読みましたが、
どこにも根拠はなく、
Cの言うとおり、
「〜は、〜だ」で済ませています。
自らを時空を超えた存在であると思いこんだ人は、
説明不足に陥るのでしょうね。
理解しようとしても、理解できません。
あまりに独善的で、無意味な言葉の羅列です。
C氏の意見で・・
父と母が役割を分担することで子供の世界観が豊かになるように、
芸術が社会に擦り寄る必要など無いのだと僕は思う。
むしろ、相互が緊張状態にあるからこそ、相互に発展できるのでは
ないだろうか。悪しき一元化、グローバリズムなる衆愚に、
君は染まってしまっているようだ。
最初の一行目と最後の一元化批判には同意します。
ただ、父と母が不和(バラバラ・いつもすれ違い)な家庭より、
パパとママは、いつも仲が良くて、あたしはとっても幸せなの・・
の方が、子供の健全な世界観を育成する環境としてはいいと思うのだけど。
ただ、不和の仲(悪い環境)にいても、精神がいびつに傾斜しない
優れたヒトもいるし、それは人間精神の高貴性を証するような事実
だけど、おおよその平均人にとっては、何事においても、そこそこ
快適で良好な環境が整備されていた方がいい訳で、
これって、実は社会正義にも十分に符合する話。
だって、所予性における極端なアンバランスをできる限りに是正していくのも、
現実政治のひとつの役割だし。
なんか、芸術を既存社会秩序のカウンターカルチャーに置きたい勢力が一部に
いるようだから、ちょっと(あえて)デフォルメして意見しました。
───┨┝━ ◆m0yPyqc5MQ
>>私は一度だけ、この板で自らスレッドを立てた「新しい文学」。
それなのに、私にスレッドを立てられなくする管理人の態度は間違っている。
結局のところ、ルールを決定的に破っている、荒らしが悪いのではないのか?
もしかして、kagiさんは、同一プロバイダ(&)ipでは、
一ヶ月?ぐらい時間隔をとらないと新スレを立てられないという
ことを知らない系?
だから、上記において、管理人の恣意性によって自分が「スレッドを
立てられないようにされているという基本認識は、
事実誤認の女性言語に該当します。
こんな、スィートなkagi氏をここ文学板に呼んだのは誰かな? (w
たぶん、それは楽しい未来なんだと思います。
というわけで、カギ氏不在だと良スレな流れです。
字が違ってました
×所予性
○所与性。
あらかじめ与えられてるモノ・条件という意味で使いたかったんですけど、
ぶっちゃけ言葉が出てきません。
即自性。でもいいです。
>>340 なんども書いているんだけど、どうやら「見えない」らしい。
『現実』を見なさい。
あなたは水平に引かれた床の、道路の線の上に立っているはずです。
あなたの家の建築は、垂直線無しに絶対立ってはいないはずです。
同じように床の水平はもはや絶対条件です。
もっと分かりやすく見れば、「階段」を見なさい。
そこには紛れなく、『二元性のバランスの取れた関係=均衡』が見いだせるはずです。
これらを言わずとも意識的に見ずとも、成り立たせている、原初的バランス関係
『もっとも基本的な現実性』を、新しい芸術は根拠にします!
聴こえましたか見えましたか?!
念のためもう一度繰り返します!
われわれの現実を成り立たせている原初的バランス関係、『もっとも基本的な現実性』を
新しい芸術は根拠にします!!!
‥これだけ書いても、まだ聴こえないかもしれません。…しかしこうして伝える以外に方法は無いんです。
[
>>343]
未来の人間は、順応では無く、創造しなければならないのです。
新しい人間はその対立のやり取りこそを、「調和」と見なすのです!
……これもまた『根拠薄弱』と見えるのでしょうね。
しかし、新しい芸術は二元性を、もっとも原初的な関係を根拠にする限り、
疑問や意見では無く、「解答」を提示する。ここが新しい芸術の意識が、抜群に進んでいる点。
つまり、悲劇的造形に満足する人たちには、およそ新しい芸術は、自由は不要みたいだ。
直角愛好家はもういいよ。
現代の進歩的な文学作家でさえ、真に『新しいもの』を求めはしなかったのだろうか。
ここから、
文学芸術が衰退──低俗化、堕落、悲劇化し、──新しい人間たちの生活から遠ざかっていくのは
むしろ当然のことに思えます。
圧倒的に時代遅れな物にいつまでもぶら下がりたい伝統主義者の、最後の巣窟とでも言うべき
「文学界」は、これからもますます、時代の先端からは遠ざかっていくでしょう。
少数の人の、地道で孤独な探求だけが、後に真理の悟りにまで到達し得るだろう。
この時はじめて、真に文学は『時代』に追いつくのだろう。
350 :
吾輩は名無しである:03/12/02 14:28
じゃ、ちょっと聞きます。
あなたの言う通り、≪異論のある方もいると思いますが≫
ベッド・床・道路は普通は水平の方がいいですし、
一般人はサルバドール・ダリの家ような訳の分からない空間でなく
水平と垂直で構成されたスペースで、たいてい生きています。
そして、同じ様に人間は食べ物や水・空気がないと生きていけないのですが、
それは2次元の構成なのですか?
あなたの理屈をそのまま応用しようとすると、まず、こういう風に
論難されてしまうと思うんですけど、どうでしょうか?
351 :
───┨┝━━ ◆m0yPyqc5MQ :03/12/02 14:30
>>348 人生の目的が悲劇ではなく「現実」である以上は、『不変の関係』を否定するのは浅薄に過ぎない。
>>350 「自然」と『精神』は等価関係で扱われる。
抽象とは、具体を包含すること。
「時代」は常に現在から未来へ向けて更新される過程なのだから、
進化を避けていては、創造する人は、結局どこにも行かない。
直観に導かれてここに書き込むまで来た以上は、直観によって去る。
不変はここにも適用される。均衡関係。
OK?>C
どうせなら、平行と垂直のズレが世界最終戦争を巻き起こす! ぐらいの
電波っぷりを発揮して欲しいもんだ。
356 :
吾輩は名無しである:03/12/02 14:47
こーゆー風にふつうに論難されると、
すぐ話が観念論に置換されていくのですね。
私はあなたが好きなので、そんなに防御の姿勢を取らなくても
大丈夫です。
あなたが、世界を2次元抽象へと書き換えたいのはよく分かるのですが、
どうも古典文学フリークとは逆のベクトルを取りつつも、似たような
現実逃避的なムードを感受してしまうのですが。
性的な生々しさにも耐えられないと前に言っていたような記憶もあります。
>>356 記憶違いでしょう。
性的描写は「自然の」表れである以上、否定されねばならない、と言ったまでです。
お前の理論の非現実っぷりも、なかなかのもんだぞ。
第一、お前の理論をどうやって小説に転化するんだ。
地下鉄の経路も全部直線なのか?
>>359 具体描写は可能な限り否定される。
新しい芸術は「現実からの抽象」という可能性を持ち続けることによって、現実的なのです。
>>359 新しい文学はもはや「小説」という形は取りません。
新しい人間にとって「仕事」は──「遊び」と同じように──『生きること』なのだから、
彼は思考や感情ではなく、直観に従って進むことができる。
ここですべきことは、『唯一の人物』に鍵を渡すことだったので、鍵の在処を示した以上
あとの進歩は『唯一の人物』の努力次第だろう。
>>356 私の言うのが 厳密なもの である以上、観念論では無く、「概念論」である。
新しい芸術は「関係の造形」であり、そうである限り、もっとも現実的な芸術である。
不変を内包する限り、新しい芸術は未来の造形である。
以上
理解されないことが素晴らしい文学ってわけだな。
味噌汁で顔洗って出直して来い。
>>366 しかし未来は悲劇的造形を理解しないのである。
未来都市を[厳密に]イメージできたら、直ぐに気がつくはずだが。
そうですか。
では、記憶違いで、ごめんなさい。
私はテクノロジーの世界では、
あなたの言う2次元抽象へと向かう傾向は十分に認知できるんです。
たとえば、フラットテレビとかプリクラとかweb site中毒者。
人気のある「マトリックス」という映画にも、そうゆうタイプの形式
として考えることができますし。
ただ、これははっきり言って、先進国ならではの特殊な世界です。
パソコンを持っている人の方、世界では圧倒的に少数派ですよね?
あるいは、それをほとんど必要としない民族、部落共同体で生きてる人も
いるのですが。
(そ−ゆー世界にも文明化が浸透しつつあるのも知っていますが。)
ただ、あなたの理論には、どうしてもアメリカ・グローバリズムのリズムが
聞こえてしまうんです。ちなみに、あなたが好きなウォーホールという画家は、
どこの国の人ですか?
>>368 進化した人間は、芸術家である以上は平和主義者であり、
また彼の新しいVISIONによれば、全世界人なのです。