新しい芸術にとっての対象とは、「関係」そのものである。
したがってそれは非対象を指向する。いいかえると
現実からの『抽象』の可能性だけが彼にとっての対象なのだ。
現実の具体的事物の描写は「純粋な関係」を覆い隠し、
[形態によって]造形を悲劇的に堕落させてしまうものだ。
だから新しい彼[彼女]にとって世界は抽象の可能性としてのみ存在する。そして
その可能性が存在する限りにおいて、新しい造形は「現実的」なのである[そうでなければ
ただの遊びとなって、芸術表現の崇高さを失うだろう]。
おそらく全ての人にとって大きな目的は、「偉大な死を生み出す」ことにあるのだ。
全ての偉人、大人物が彼の様々な個人的利得を無視してでも大きな目標を達成しようとするのは
彼の命を神聖化したいから、彼の人生を神話化したいからこそなのだ。
それを『自尊自重』と呼ぶ。
そしてどんな人間にも利己心というものがあるのだから、
あらゆる善行──他尊他重つまり他人を敬い、重く見るによる──は、この
もっとも人間的な精神から生まれる。
だから真に知徳ある紳士は、[少なくともそれを目指しているひとかどの君子ならば]
当然自らが人々の手本となるように生活すると同時に、事あるごとにクドくならない程度に、
ここへ自然に導くように、他人に語って聴かせなくてはならない。
そして立派な世界が訪れるのはそういう人物が人民の過半数を占めるようになる頃なのだから、
焦って結果だけを求めてはならないのだ。
文明時代の人士は、猫にお手を教えるように辛抱強くなければならない。
私は思うのだが、
『純粋さ』とは、宗教家や僧侶坊さん達が考えているような「神々しさ」とは違う。
人間は動物であり、神であろうとしてもできない。
それと逆に人間は神でもあるから、どんなに動物であろうとしてもなれないのである。
[たとえばどんなに立派な先生にも性欲もあるだろう。
だからといってその尊子がまるで犬のようになっていこうとするものなら
一日でも現実世界は成り立たないのである。
それどころか立派な精神は、彼がそうしようとしても手足に行動させないものだ。]
そういう君子の人生の道は本当に苦労が多いもので、同情もしたくなるのだが
この戦いに勝利することこそ彼の使命だと言わなければならない。
そして救いがあるとすれば、人間はすべて自分からそういう競争のまっただ中に身を置かなければ
2004年のまだ不完全な文明社会で生き延びていくことはできないのだ。
だからけっきょく人間の『純粋さ』とは、
はっきり厳しくこの「動物らしさ」と「神々しさ」の間に区別をつけ、
人間性という概念で知られる柔軟な融通無碍の精神で両者の均衡を操っていくことだろう。
[具体的には、
いくら素晴らしい理想を説いて聞かせても自分の食事と睡眠の規則正しさを忘れてはならないし、
時に愛欲に我を忘れるようなことがあっても倫理道徳の原則をなおざりにできない。]
何の為に自衛隊はあるのだろう?
[たとえて言えば、痴漢されたくないのにスカートを短くする女子のようであるし
相対性理論を悟った人類がまだ絶対に死ぬという事実のようだ。]
それを廃止に向けるのは、唯一の被爆国の国民として、当為だと思うのだが。
そうであるということは同時に、国連に親和することも意味する。
本部のある国が戦争を行うのは矛盾している。
[やるとしても国際的総意を得て、武力制裁を正当化してから。が倫理的で人間的であるはずだ]
だから世界の警察ではない日本は全ての国を代表して、真の軍廃に踏み切らねばならないのだ。
それを可能にするのはただ、世論の波なのだ。
私はここでそれを起こしている。
すべての一歩は、偉大な一歩なのだ。
一人思索に耽り遠大な宇宙においてやるべきことについて迷うこともあるだろう。
時にはすべてが無意味に思える。この世界で一生懸命政府や国家組織をつくり、
会社で働き、勉強し、毎日休みなくやっている仕事はいったい何のためだと考える。
そしてこう結論づける。すべてはたわいのない戯れであり、偉大な人間などおらず、
すべての人は虚しく迷路のようなパズルのような人生の中でいつまでもうろつくだけであり、
やがて力つきて死んでいくのだそれだけなのだ、と。
それには実際一理無いわけではない。
それを誰に語って聞かせても理解できる者はおらず
皆はただ頭がおかしくなったと思うだけに違いない。
ということも彼はちゃんと分かっているだろう。
けれども今をよく眺めれば確かにある一本の直線がみえてくる。
それはすべてのものを貫き、あらゆる歴史を通じて人間達を導き、
恐竜を滅ぼし、地球に生命を誕生させ、
光となり、宇宙を無から生じさせた「何か」である。
それは宇宙を膨張させている。そして心臓のリズムとなって自らの奥底に眠っている。
それは時間を生じさせた。それは空間を生じさせた。
光よりもっと速く、命よりもっと尊い「何か」。事実、
もし我々が絶滅したとしてもその「何か」はまったく変わることなく進み続けていくだろう!
この恐るべき「何か」は、我々の生命力と精神を生み出した。
[それは神や仏という宗教的対象を生み、仁や愛という道徳的概念を生み、
科学や芸術の根源的原動力となって文明と文化を今も導いている]。
そして人間は文明を創造すること、文化に参加することを通して
この「何か」に絶えず接近しようと試みる。
遠い将来、科学が極限まで進歩したあとすべては解明されこの「何か」も
我々の意識が届くものになるに違いない。
それは無意識がなくなり、すべてが意識可能になることだ。
つまり人間は宇宙の原因や、物質を構成している根本のエネルギーの内容、
光子の根源や、一+一=二である理由、DNAは勿論、精神のすべての仕組みを残らず明らかにし
あらゆる矛盾と疑問を解決するに至るだろう。
こうなってこそ人間は宇宙人としての本領を発揮、あらゆる惑星を自らの支配下に置き、
また宇宙は無限であるから当然いる他の宇宙人との交流も盛んになり、
宇宙文明での生活が繰り広げられる。
そうして初めて人間存在の真の意味も分かることだろう。
それまで我々はまだ未開の始めに過ぎない文明を開く全てのことに尽力し、
生涯ある限りの時間を尽くして進歩を成し遂げねばならない。
[純粋理論科学で進歩は幻想でありパラダイムの転換に過ぎないと言われるが、
文明全体を視野に入れれば転換自体が、「何か」が導く進歩の一端に過ぎないのだ。]
「人間が死ぬこと」の意味も白日の下にさらされ、タイムマシーンに乗って
すべての過去の歴史やすべての未来の歴史に参加することもできるようになる。
不老不死も現実のものとなり、全ての心配はなくなる。
あらゆる人間は恐怖や苦痛を感じることもなく幸福な一生を送る。
すべての世界は平和であり、すべての場所は満ちている。
──そういう世界に、我々の地球発文明があと何億年後に到達するかは知れないが、
それは確かにやってくる現実なのだと予言できる。
なぜなら「何か」は我々を永遠に導いていくからだ。
その「源泉」に触れる為に我々は生きている。
人間のあらゆる活動はその目的の為の手段なのだと理解するだろう。
だから、それに触れる為に我々は実用の学問に励み、立派な仕事を続け、一身の独立を成し遂げ
ひいては家族を、一族を、国家を、養い、独立に推し進め、
日進月歩、十年後百年後千年後やがては政府を解体し国家を消滅させねばならない。
そうなった暁には人間の知徳は極限まで高まり、悪事を働く者はどこにも居まい。
そして自然は人間の手の内に治まり、宇宙と人間は統一されていく。
我々は太陽系を飛び出して無限の宇宙のどこかへと冒険に出る。
命の営みは殺伐とした宇宙空間に彩りを添える音楽と絵画とお話となって人々を楽しませる。
[彫刻としての建築は宇宙船である]。
そうなった時には宇宙は彼らの庭として、まるで遊園地のように遊びに満たされる。
だから学者は学問と思索とに励み、俗人達や政府の動向を逐一見守り、
間違った極端な方向に進まないように常に注意して指図していかなくてはならない。
同僚と共に向上を続け、志を共にする仲間がいなければ一人でも研究を続け、
理論を応用する方法を生み出さなくてはならない。そして自ら理想を実現するべきだ。
もちろん休息は不可欠だといっても、学者に怠ける暇はないのである。
>>942 あとハタチで幼稚さが全然無かったらかえって気持ち悪いような気がする。
「絶対的に善いこと」を探していくと、
このまだまだ不完全な文明社会ではなかなか見当たらないようです。
事実すべては[相対性理論的に]相対的にのみ言えることであり、過去の超人的大哲人の幾人かが
「絶対善」の片鱗について語って聴かせたことはあっても、2004年の全地球の社会の有様を見ると
未だにそれは相対的であるようだ。つまりもし絶対善が達成されることがあれば、我々の徳化は
猛烈な勢いで進み、邪悪は一掃され、
この世のすべての人民は僧侶のように無欲で謙虚になっているはずじゃないですか。
けれど現実にはまだ欲心は止めどがなく、傲慢とワガママと利己主義がすべての場面で猛威を奮い
政治でも力の論理が勝利を収め、経済では最も欲深な者が最も得をするというのが俗説のようだ。
損得勘定が堂々と社会の指導者とでも言うべき方々の人生の指揮を取り、
弱肉強食・優勝劣敗は否定されるどころか
かえって自由競争主義の観念の下で勢力を増してきたようだ。
私が思うに、先哲の試行してきた絶対善がまだ「絶対なるもの」として社会化され
人民にあまねく浸透しないことには、次のような原因がある。
即ち語り手自身の欲心が拭いきれていない以上、気づかずそれを介入させるものだから
言葉や論理が複雑になり過ぎてしまう。
彼らが徳化の対象とする俗人達の世界では
簡単便利安楽に暮らしていくのが唯一の目的と言ってまず間違いないのだから、
少しでも難しい説法をしようものなら眉をひそめてそそくさ去っていってしまうのが関の山だ。
世間の人格者先生方がよくよく考えるべきことです。
つまり君子は自ら絶対善を追求するのと同時に、
労働者階級、主婦やOL、学生、子供、誰にでも分かりやすいような言葉と概念でそれを表現しよう
と、両方に力を尽くさねばならない。それは一人で二役分の仕事をすることだから
真に割に合わないようであるが、その余計な一人分だけ誰かを善きことに導くことができるのだ
と考えれば、彼の立派な理想に対して全く計算違いとは言えまい。
商売の原則で説明すれば、お客様の欲しい商品を格安の価格で提供さしあげる。というのが
第一のスローガンであるはずだから、このような[激烈な国際競争による過渡期の]時代、
知恵のある人徳者の生活にも同じ原理を適用したらどうだろう。
つまり『あなたにとってどんなに得がありますよ』ということを全面に押し出しつつ洗練させた
説法や教化を行うのである。それと同時にお客様のニーズは時と場合によって移動するわけだから
合わせて彼自身も『巧みに商品を変えて対応する』のである。[「論語」は、
失礼ながらこのような方法のうち特に後者が成功した事例なのだと私は思う。]
巷に溢れかえる「啓蒙書」や「能力開発」の類は、この前者の表れた一例なのだろう。
結局西暦2004年この世は野獣のような力が全盛を占めており、実際のところ社会主義者達が想い
描く理想の秩序はまだまだ、遠い未来のお話程度の現実味しか持たないと私は見る。
資本主義の終わりは丸い地平線のはるか彼方にあり、我々はその黄金の理想郷に向けて一生懸命
休むことなく汗水垂らしてとにかく明日も働くしかないのである。
そのような混乱の最中でも今日の君子・紳士を目指す独立人士のみなさんは、
「絶対善」の実現を夢見て動物的欲望を制御し、経済戦争、学力錬磨、研究開発競争といった
より高度な欲求に向けて我が考え抜く葦たる人身を自主自尊の気概で操作していくことが肝要だ。
そして前述のような商売の方法を応用した徳化の仕方を
毎日の生活の中で是非とも実践していくことを私はすすめたい。
それは要して言えば──
「「深遠な知徳を上手に構成した、機知に富んだ価値ある会話」」ということになるでしょう。
それは「絶対善」にとても近いものとして、2004年の現在において
善行の後に、普段この世の誰もに採用されて良い手段でしょう。
961 :
吾輩は名無しである:04/05/25 07:49
なーに、これ?層化学会のパンフ?
祖先の墓から取り出した訓古学まるだしという感じ。
未来文学なら、もっとPOPなスタイルでやってよ。
>>961 前略君誰?
君は現代的の意味を流行性に見いだしてる訳?僕は違う。
純粋性が現代性だ。それは普遍性だ。僕には、君は極端に女性的で恣意的で主観的に思える。
僕は男性なので、君のようにはなれない。
そして低級な流行風俗に乗ることが“POP”だと言いたいなら、そんなものは永久に滅ぼす。
僕はそう思うんだよね。ゴメンね。君の人生に接触しちゃって。
草々
追記
君の為に僕は書くのか?いや違う。僕は「人類の為に」書いている。
その普遍的意識は君のpopularityの定義と未来図想像の限界をはるかに超えているだろうけれど。
この世で大の大人の間に戦争が生まれる理由は結局、彼らの無知無徳と言いきれる。
視野の狭い宗教的盲信が自主自尊の判断力による真の道徳心を覆い隠している。
あらゆる宗教は互いに対立することで磨耗し、やがて消滅するであろう。
無信教の私には思想の自由があるので、宗教を否定するのは自由に違いない。
そして宗教の目的は未開の蛮族達にわずかながらも徳の意識を持たせ、
何とか「文明」に触れる為自然発生した便宜的手段に過ぎなかったので、
新しい時代を担う世界市民達はすみやかに偏執的信仰を捨て、『独立の人間同士を信頼して』
「一国」を基礎とした「文明社会」を明るく盛り立てていくべきなのである。
実際、文明が高度に発達した社会では信教という[多かれ少なかれ個別的な]形態は不必要で、
より普遍的な形態──たとえば「仁」や「愛」、「慈悲」や「自重他重」など──が着実に浸透し
かつての狂信的な矮小さを次々排除していく様子が観察できる。
こうして一歩一歩外でも内でも抽象と独立とを推し進め、
やがてはそういった代替的形態も消滅し、ただただ本来的に倫理的な世界が地球全体に広がるのは
考えるまでもなく、文明進歩の約束事として目に見えるのである。
精神の安定は各自の知徳の深化の度合いにそのまま依存するものだから、
その両方が共に極限まで高まった来るべき社会の安定の力もまた、
驚くべきものだと言うほかない。
幾十幾千年の後かこうして軍廃どころかこの世には警官もいなくなり、
その姿はわずかに歴史勉強のアニメーションの中にちらとみるだけなのである。
さて今日の未開文明においてのそのような深化は結局、人間は知的生命体であり、
他の動物には無い立派な本性があるのだと日々の思索の中で自覚を深め、
学問と芸術を各自の独立計画の過程で追求していくことによってのみ可能になるのだ。
──救いを性急に求めすぎるが故に
特定の宗教に「依存」し、いやしくも文明建設の真っ直中の過渡期に生まれた敬虔貴重な
一身の『独立の大原則』を、愚かにも放棄してしまうことでは決してないのだ!
日本は税制という素地が悪く、耕しにくい土地だ。だから「独立」のリーダーが現れ難いのだ。
まず相続税を無くし、次に所得税を一律一割にまで下げなくてはならない。
そうしてこそ『大家』としての経済家、独立の国民が栄え始めるはずだ。
なぜなら富める者の努力を潰す怨みの悪源は消え去るし、
マトモな直系の相続による家業の持続も可能になるからだ。
まず、悪の中心点は
大蔵省を頂点とするあらゆる官僚組織の『形骸性』だと全国民が認識することだ。
官は必要であるが、それは彼らが我々「私民」が雇った用心棒としての役割についてに過ぎない。
国民の無知こそ、その『職分』をはっきり追求せず「名分」だけを愚かにも鵜呑みで信用する
[明治以前の社会主義的幕府体制を引きずる]システムの形骸化を生み出す社会的病弊の根源だ
、と自覚せよ。
国とは個人を守る入れ物である。
そのたかが入れ物が、人間様を押しつぶそうとするとは何たることか。
決して許されてはならないことである。
政府は小さくしっかり縁の下で、個人は大きくのびのびと社会の表舞台で自由に活躍せねばならない。
そうすることがそのまま、地球時代の経済戦争において「お国に報いる」大道なのだ!
それがどこまでも現代社会で生きる人間存在にとっての、当為なのだ。
政府は全てその独立の文明人士の一身を保護するのが本分であり、
それ以上の権威の威光を望むなど以ての外であり、それどころか
分を踏み越えた欲心は、天の定めた道理を無視する極悪意と言って一向に差し支えない。
若者を含めた日本国民の間に無意識的に蔓延している無気力の病の根はみな、ここにある!
すなわち一身の自主独立を妨げる官尊的な気風が、
本来以上に官ひいては官学的学風を神聖化することによるのだ。
世界経済は活性化の一途を辿る。地球は急速に狭くなる。
そして個人の心は遠大無辺、身体はその活躍の場所をいよいよ広げようというものだ。
このような時、古風な虚学を振り回して前途と希望と大志ある若者達を
単なる権力維持機構の一環における戯れとしての競争試験に、自由を潰して従事させるのは
明らかに愚鈍な悪行である。学問は
「学問のための学問」となった時たんなるアカデミズムと化して堕落し、形骸化する。
「試験のための学問」となったとき学問は本来の意味を失い、机上の空回りの悪循環が起こり、
自主独立の気概は潰され、人民と学生に無気力の風紀が蔓延る。
入学試験戦争体制を──ひいては
官尊民卑と偏差値教育主義気風を一掃、全面的に破壊しなければならない。
それには人民の正しき理解が不可欠である。すなわち
真に実用的な学問水準は、紙試験による偏差値に正比例しないという事実を理解しておくことだ。
今から維新大転2010年頃までの学生は、皆このことをよくよく考えねばならない。
重要なのは各個人の一身の独立である。だから各自の実用の学問による独立計画の目的に合わせて
表面的名分にとらわれず、迷わずたゆまず、継続的に努力を積み重ねて進んでいくのがよいのだ。
古くさいカチカチ頭の保護者にも、そう滔々と語ってやるのが正解だ。
私はそう思う。
世の中には無限の情報と生き方が溢れている。このようなところで、
[特定の宗教無しに]わたくしたちを赦してくれ、救い、正しい道を示し、
人生にいつも安定を与えてくれるものがある。
それが直角である。
水平位と垂直位の均衡による直角は、絶対不変の関係である。
それは男性的なものと女性的なものとの永久均衡関係──つまり、愛の表現である。
それは精神的なものと肉体的なものとの恒常普遍──つまり、平和の関係である。
それは明快であり、緻密である。
それはわたくしたちの中に潜む数理的感性と直観的知性とを意味する美的造形である。
それは空間と時間の相対関係の表明であり、確認である。
それは生と死の絶対関係についてわたくしたちに教える。
つまり有限と無限の均衡の取れた関係をわたくしたちに啓示してくれる。
直角はそれ故、真理であり、この宇宙世界の根元的様相の抽象による具体的現実だと言えよう。
それは「反自然的」であり、この世に『秩序を造る』。
わたくしたちは道路に、扉や窓に、彫刻の台座や本の四隅、絵画の縁や文字や、建築に、よく
それをみる。それはわたくしたちの大好きな環境であり、
わたくしたちが理知と感情の両面を持ち、
獣と精神の対立を統合させる力を持った生命であることを示す。
だから、この「直角」を、私は信仰し、愛でるのだ。
それは絶え間無い消去であり、逆に、同時に、永久不変の建設である。
私は人間です。
学歴とは本来学習歴なのであり、教育歴ではない。
職歴とは生き方の過程であり、大義名分を並べ立てることではないが、
その名義がきちんと生き方を貫く内容を伴っていれば問題はない。
すべてのシステムは絶えず、理想とも言える「目的」に向かって進化し続けなくてはならない。
だから形骸化や自己目的化こそ排除すべきなのだ。
学歴に内容が伴っていれば何の問題もない。よって
社会に悪循環を起こす根源は、システムの定期的アップデートすなわち
更新の絶対必要を忘れた『怠惰』である。
[それを知らない無知もまた然り]
学歴とは本来学習歴なのであり、教育歴ではない。
職歴とは生き方の過程であり、大義名分を並べ立てることではないが、
その名義がきちんと生き方を貫く内容を伴っていれば問題はない。
すべてのシステムは絶えず、理想とも言える「目的」に向かって進化し続けなくてはならない。
だから形骸化や自己目的化こそ排除すべきなのだ。
学歴に内容が伴っていれば何の問題もない。
よって、社会に悪循環を起こす根源は、システムの定期的アップデートすなわち
更新の絶対必要を忘れた『怠惰』である。
[それを知らない無知もまた然り]
おはようございます。なんか私も、同じ時間帯にお隣で長文を書いて
たようなので、ちょっとご挨拶。相続税の廃止は賛成。ただ所得税のフ
ラット化は、独立自尊のエリートを生むどころか、逆に、悪貨が良貨を
駆逐する、的な結果をもたらすと思う。僕は、むしろ累進を70年代水
準くらいにきつくしたほうが、活力が出てくるような気がする。ま、流
れはフラット化で行きそうですけど。だから税制には期待できない。
あと、前に書いておられた、あなたの現状ですが、あなたは若いから、
今の3浪ぐらいは、別にたいしたことないと思います。あなたの志望校
だという東大はいいとこですけど、酸素欠乏な感じで苦しくもある。ど
こでもいいので入って、ガンガン、本を読まれたらいいのではないかと
思います。まだその時間があるのが羨ましい。がんばってください。
それから…
>未来文学なら、もっとPOPなスタイルでやってよ。
今どき「POP」などと言うとは、かなりご年配の方かな。
村上龍ももう50ですしね。「POPなスタイル」などという
埃をかぶった80年代の骨董費は、軽く捨ててしまえばいい。
これからの世代には、あらゆる「スタイル」が可能、必要だから、
そんな「POP」などという窮屈な殻は、壊してしまえばいい。
骨董費→骨董品
おじゃましました。では。
まず、ブンガクという領域が、世間一般から
(例外的/僥倖的なケースを除いて)ほとんど相手にされないのは、
書き手と共に、それを必要とする読者のタイプに著しい問題があると思います。
それを一言でいえば、その人たちが【隠された−伝統主義者】であること。
よって、文学に携わっている平均的な人間に私が感じることは、
ちょうど寺院をやむなく訪れた時に感じるような鬱陶しい疲労感です。
これと似た感覚は、文学板のコテハンさん全員に感じる主な印象だし、
今回の芥川賞作品にも、愛がどうしたとか言うベストセラー作品にも
ラブ&ポップの作者についても同じことが言えます。
よって、こうした人たちが澱んだ水のようにブンガク界に跋扈している
かぎり、文学が100年前から、いや、シェークスピアの頃からまったく
新しいエクリチュールやスタイルを獲得できないのは仕方ないのであって、
未来ブンガクを新しく誕生させるためには、こうした伝統主義者たちが
一回、全員死ぬか、一掃されるかすることによって、私が求めている光源の
彼方から美しいミュータントとしての未来ブンガクが、異経路から… または
エイリアンとして、堕胎児として、特異な化学物質として、新しい感受性として
脱−コスモロジーみたいに出現し、蒼古的な文学からの離脱を図れるようになれば、
かなりの末期症状とはいえ、まだブンガクは完全に死滅したモノへとは頽落しない
と思います。
長年の辛苦を重ね独立の基盤を固め、生計を充分取れるようになり
一家の暮らしもそれなりの軌道に乗せ
雑多で慌ただしい世間暮らしの中でも人並みに安定した余裕も生まれ、
出世も果たし、日々の業績からの名誉、信頼も得て、さあいよいよ人生も夕暮れに差し掛る中年。
夜半一人書斎に座し、ふとまだ何か物足りないなと一片の寂寥を感じるならば
それは、戯れと偽善だらけのこの愚かな社会で呼吸しのうのうと飯を食らうひとりの人間として
可能ならば、そういう矛盾に満ちた有様を自分の力で正しい方向へ善導したいと願っているのだ、
とこんな自分にもちゃんと眠っていた立派な理想に気がつくことだろう。
実に理知を持つ存在として、それは避け得ない本性であるのだ。
そして人生行路の長く厳しい艱難辛苦、悲喜哀楽の道のりはみな、
大小卑尊の差はあってもそれぞれ、この本性を様々な仕方で外在化しようとする過程なのである。
これを「人間性」と言う。
もし可能ならば、一刻でも早くこの性質が自分にとっても、決して他人事では無い
と気がついて欲しいものだ。
そうする時人生は新たな活力で満たされ、より高い次元での自覚を持って
現実世界の有様に立ち向かう勇気を奮い起こさせるであろう。
これを『人類忠誠の志』と名づく。
未来の侍の根本原則である。
命より、独立より大切なものである。忘れてはならない。
>>971 どうもありがとう。頑張ります。
あなたも、Take it Easyでがんばって下さい。応援します。
>>974その通り!Right you are!
「求めよ、されば与えられん」
『因習を絶滅し、未来の様式を手にしよう』
誰かが──────
私
ハ
何ガ愛ナノ? 君を構築する秩序
───Who are ? │
│
│もし、君がそうでもIn a nutshell.僕
は
話
を
スメルジャコフ
ル
In order for me to
T
H
ナ I
N ゼ 何故戦争は無くならない?
K
about something ,I have to first[それに]put into writing .大事なことを。
────────破
壊you
我々は忘れてはならないのだが、
新しい芸術[=新しい造形=新造形主義]は、真に『現実的な芸術』である。
過去の芸術──たとえば写実主義や小説や映画や歌曲など──もそう名乗っていたが、それは
見せかけの現実だった。真の純粋芸術では無かったのだ。
それらが現実的だと主張する理由は、「現実に似ているから」というだけで
実際にはほぼ何の現実性も現してはいなかった。言えば《幻想芸術》だったのである。
それとは逆に、新しい芸術=新しい造形=新造形主義は
幻想を生じさせるもの一切を破棄排除する。
それは「純粋に抽象的」となったので、「完全に具体的」な形を取る。
[自然から見れば抽象的であり、芸術から見れば具体的]
──だがそれは自然宇宙のあらゆる形態とは正反対の『カタチ』である。
『空間と時間の直接的表象』と言い換えても良いだろう。
それは関係を純粋に破壊構築するので、想像力と創造性を解放する。
新しい芸術は自然や現実を模倣するのはではなく、造形として再創造するのだ。
新造形主義者のKEYは、
焦らず、[ちょうど徳川家康のように]堪忍しながら、
創造活動と新しい芸術の民主化を続けることだ。
未来的都会の洗練された上品な味が
田舎料理に慣れ親しんだ農民の舌をほころばせるのが難しいことを思えば、
今日の程度の文明民達にすぐ、
新しい芸術が浸透すると考えるのはあまりに短絡的と言えるだろう。
[デ・ステイルの活動が最新芸術のベクトルから一時的に置き去りにされたのも、
ドゥースブルフやモンドリアンの慎重な熟慮が、あまりに
『反東洋的』であったことに原因がある──と私は思う。
人類全体を視野に入れれば、『西洋と東洋の止揚』こそ、新しい時代を担う芸術家たちがまず
目指さねばならなかった課題だった。]
そして未来がはじまる。
───────
「ねえ、あなたはこうは思わない?
不幸なことがたっくさんある世の中だったら、
そこからなるだけ目を背けることだって許されるはずじゃないか───って」
ふむ。そうかもしれない。
ニュースが暗いことを専門にしてるんだったら、ぼくらには明るいなにかを求める自由がある。
みんなが動くとおりに、動くことだけが人生じゃないんじゃない。
「Okay.けど、まるで不良ね。それじゃ」
ぼくは思うんだけれど、税金を払ってちゃんとした努力をつづけてる奴に、
そんなに良くないヒトはいない。
「それは真実よね。そういう人を国民と言うのよ」
たとえ東大や早稲田出身じゃなくても。留学経験無くても。偏差値がいくら低くても。
得意なことがなくて、やりたいことが見つからなくて、生きている理由がわからなくても。
暇がなくて仕事に疲れて、明るい未来が見つからなくて、誰も癒してなんてくれなくても。
「だって、失敗や不完全な現実があることは、私たちが明日に生きる理由だもの」
────────
ねえあなたに話したいことがあるの
━━━━━━
聞こえますか?┃キコエマスカ?
┃ ねえあなたに話したいことがあるの
┃
┃
┃ 明るい日向はどこへぞやIT’S warm day.very.
━━━1─────2──33──4─5──|も───────
し
も
し ねえあなたに話したいことがあるの
?
Ahaha!Big deal!! ーロジトモイジカ
ス
マ
エ
コ
きこえますか。
┏━━━━━━━━━┥ マスカット+檸檬=amazon.jp.Key
┃MyNameIs鍵 Ahahaha!!Big deal! Big deal!! ねえあなたに話したいことがあるの
┃
┃
┃How C
おはよool
シーン
──────あえいうえおあおカキクケケコカコどこえぞや。どこえぞや
も
まみむ め メ ダ カ?
And you......ねえあなたに話したいことがあるのよ
Bite-Size Einstein「アインシュタイン150の言葉」
という本の構成形式は、『新しい文学』のそれに近い。
[内容はあえてそうだとは言わないけれど。]
この本に、赤青黄の蛍光ペンで水平線と垂直線を自分なりに入れてみるなら
雰囲気だけでもかなり近いものを感じるのではないかな。
一歩一歩歩く。それは止まることが少ない。止まるまでもない、少ない。歩。歩く。
僕が業を人がするのは、僕だ。僕は人の業だ。僕が。人と業の羊。
タ名前がある月の夕ぐれ多リ。┴┴月。口名。なり。
果に田んぼの木。
閉会に門がオヘ二ム。オヘニム門会。
頼ってるフリ百の目が中の束。頁の百を。頼って。束の頁を。
会計のヘニムに十を言う。
読み。言って売る。
解体。角の刀の牛の本が人。Okay?O解。対の文寸は解体した牛の本は角のイ刀。
特に、牛の寺の中にある寸の土。思わず田んぼの心が。心が田んぼのように思う。
見る目ルん。希望のメの布が亡き月の王なんだ。勝つためには月への券を手に二丁。絶望した糸の色の亡き王の月。
986 :
吾輩は名無しである:04/05/26 21:29
b
987 :
吾輩は名無しである:04/05/26 21:46
どうしてこのスレにはおさむはこないんでしょうw
長文連続書き込みぎらいのあのおさむが!
989 :
吾輩は名無しである:04/05/26 22:03
おさむに警告
それで、結局このスレッドはいったい何だったの?
『未来文学』という言葉の響きは美しいけど、
それを創造するのはいったい誰?・!
kagiくんは、お受験がんばってください。
ひとつの未来だけではなくって、1000の未来、
それ以上の未来を楽しく作ってくださいね、バーイ。see you☆
992 :
吾輩は名無しである:04/05/27 04:24
次スレどうすんの?
カギさん立てれる?
最後だから告白するけど、
このスレのタイトル見かけるたびに
アルカイダに見えて仕方なかった。
最後に君にこれを伝えられて良かった。
>991
1000取り合戦の好きなおさむくん、
もうちょいなのに、いつもと違うね。
何を書こうとどこにも行かない。それが文学+哲学だ。
そして平和を造り出せもしない。
クソ米とガキ兵どもの戦いだ。どこまで行こうと殺し合う。
人
類
同
士
なにが愛だ?
殺
し
合
う
神は各言語に預言者を与えた。うるさい死ね。なにを言っても無駄さ。こいつら
殺し合うしか脳がない。戦い合って死んでいく。どこにもたどり着けずにね。救いは無い。
自殺も他殺も寿命も切腹も変わらん。ただ命のリズムが単純化するだけだよ。
絶滅も勝利も変わらん。永久平和は雲の彼方。あなたはどなた?誰でもいいや!
生きろ─────
この世に何があろうと、あの世[どの世?]は微動だにしない。
それはまるで愛すべきことに思える。
けれども、この世にいる間にやるべきことを完了せねば、あの世には行けません。
そういうゲームが人生です。
この世はあの世への過程です。
報道、科学者ども、政治家ども、全員クソだ。
責任のなすりあいで戦争ばかり。
平和は無能な庶民の祈りですか?それ限定ですか?
いつまでたっても競争の日々。
一にも二にもセックスか?
番
を奪い合う。
欲
し
が
る
の
は
な
ぜ
?
全員クソだ。何が神だ。一生言って死ね。Oh my god!
平和の女神だか、天の皇だかしらねぇが、俺を殺したければ殺せよ。どこにおそれる何がある?
アラーの神だか、北の朝鮮だかなんだか、勝手に殺し合えよ。好きなだけ核戦争せよ。
何が平和だ。お前ら、愛とか抜かしてセックスしてえだけだろうが。
───────
「あなたを愛している」
ぼくも愛している。
→子供が産まれました。
君を愛している。
「私もあなたを愛している」
→子供が産まれました。
───────
それが美なら、生きてる意味は無い。
俺は遊びに来たんじゃねえんだ。