【旧仮名】ノズラー日に吠ゆ【怪電波】

このエントリーをはてなブックマークに追加
225吾輩は名無しである
>「文章が変でも意味が通じる文章」というのはあり得ると思うけど

その通り、あるのだ。西尾幹二や西部邁が書いたものにも、そんな文章が含
まれている時がある。それは論壇だけでない。会社や組織で働いていれば、
プレゼンでも企画書でも、そんな表現はざらにある。しかし、文章が変でも、
社会的な経験でその意味をくみ取ることができる。ところが学校のような狭
い世界の中で生きている松原正やそのフォロワーには、そのことが理解でき
ない。だから、重箱の隅をつつくようなことや揚げ足取りのようなことをす
る。さらには、それで優越感に浸っているのが分かる厚顔無恥な文章を平気
で発表する。だから、一般の人間からウザく思われるのだ。

まあ、無職の人間に社会的な経験など望んでも無理な話だがw 無職の論客
やキモくてウザい取り巻きの皆さん、「企画書」って、どんなものか知って
ますか?