『文學界』編集長の大川繁樹さんはあっさりとこう答える。 「たとえば直木賞の選考委員が書き、選ぶ小説がエンタテインメントで、
芥川賞の審査員が書き、選ぶのが純文学。 いや、こんなふうに言うと、 『審査員の作品や過去の受賞作の傾向に合わせて書け』という意味に誤解されるでしょうか? 」
まずは応募規定に沿っていない作品を除くが、明らかにジャンル違いの作品が 100編近くにものぼるというから、頭が痛い。 原稿の枚数については、
80〜120枚が緩いながらの規定枚数だが、150枚の作品でも、
それが150枚で書かれなければならない必然があれば、 この時点で枚数を理由にハネられることはない。
今回から少し選考方法が変わるが、1次選考では、4分の3を残す。 ここで落とされる作品は、小説の体を成しえていない作品や、極端に凡庸な作品となる。
「正直あまりにも文学を読んでいない応募者が多いように感じます。 小説を書こうというのであれば、この作家が好き、この作風を評価するといった、
自分なりの過去の文学への深いこだわりを持っていなくては」 2次選考は下読みの担当者に任せ、3次選考からは、編集部員5名が全員で目を通してゆく。
誰かひとりでも強く推す者がいれば、その作品は総合評価がいまひとつでも、
なるべく最終選考に残す方針だという。 光るものが感じられる作品は、見逃さない。 「みなさんが思われているほど、難しい賞じゃないと思うのですが。
素材の選び方としては、家庭不和や学校社会での孤立の経験などは目立って多いですね。
実体験など身近なところから素材を拾うことは構いませんが、求められるのは それをどう書くかという部分です。 どんな文体で、どのような構成で表現していくか。
過去の優れた小説を読んだ上で、自分なりの方法を発見してほしいです。
そのためには、過去の名作への深い視線とともに、足もとではなく遠くを見る視線を持つことです。
これだけの名作があるところへ、あえてつけ加える、 打って出るのだという心構えと戦略をもって、
作品を書いていただきたい。 すでに小説の素材は払底したと考える人も、いるかもしれません。
でも、人間は生きている限り、文学が書き尽くされることはありえません」 5回、6回と応募を繰り返し、いいところまで残っては落選となる応募者も珍しくはない。