秋の夜長に

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305シリウス ◆qS5Y1mPhJ2

「風にのる智恵子」  高村光太郎 (『智恵子抄』より)

狂った智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴れの風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ
306シリウス ◆qS5Y1mPhJ2 :2005/10/23(日) 20:46:46

「千鳥と遊ぶ智恵子」  高村光太郎 (『智恵子抄』より)

人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ
無数の友だちが智恵子の名を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい、――
砂に小さな足跡をつけて
千鳥が智恵子に寄つてくる
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす
ちい、ちい、ちい、――
両手の貝を千鳥がねだる
智恵子はそれをぱらぱら投げる
群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい、――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽くす