133 :
吾輩は名無しである :2005/09/20(火) 01:14:23
134 :
吾輩は名無しである :2005/09/20(火) 08:46:07
Deutschland, Deutschland ueber alles, ueber alles in der Welt, wenn es stets zu Schutz und Trutze bruederlich zusammen haelt, von der Maas bis an die Memel, von der Etsch bis an den Belt Deutschland, Deutschland über alles, über alles in der Welt!
ロシア文学を原文で読める一般人はそうそういるもんじゃない
138 :
吾輩は名無しである :2005/09/24(土) 10:56:20
>>137 単語が覚えられず、挫折。フランス語に逃げる。ずっと簡単。
139 :
吾輩は名無しである :2005/09/24(土) 22:01:21
こんな日本語訳読む位なら、英語訳の方がずっと最高だああ。というような翻訳が多いのは僕が世話になっている文庫なので実名は出せないなあ。だれか出してみてくれないか?俺は勇気ない。あの二つの出版社がなければ、僕は物凄く困る。
>>139 俺も恐れ多くて口にできないが、そ、それは、
イ、イ、イワ、岩、イワナ・・・あqwせdrftgyふじこlp;@:
な、何でもない。
「い、い、いわ、いわな、岩魚は旨いなぁ」と思っただけで。
141 :
吾輩は名無しである :2005/10/13(木) 23:24:02
し、し、しん、しんちょうに発言しましょう。発言はよく考えてからしんちょうに。そうだろ?
142 :
吾輩は名無しである :2005/11/05(土) 01:03:43
ブコウスキーはかなり読みやすかった。
143 :
吾輩は名無しである :2005/11/05(土) 01:50:47
岩波文庫の訳って、けっこうひどいとこあるよね。 5年ぐらい前、サイデンステッカーが講演でソロー「森の生活」の岩波訳がなってない、と具体的な箇所をあげて批判してた。 僕は「存在と時間」は、やっぱ岩波訳でしょ、と思って読み始めたら、そもそも日本語訳になってなかった。中学生が英語を訳すような感じで。 仕方なく途中からちくま文庫訳に替えて読み進めた。ある作品を途中で訳本を替えて読んだなんて経験はこれが初めてでした。
144 :
張吉山 :2005/11/05(土) 12:09:21
Il est certainement préférable de lire des oeuvres littéraires en leur langue originale: tout le monde m’approuverait. Mais une fois que je pense à la quantité importante des livres que je voudrais lire, je ne peux m’empêcher de lire la plupart des livres traduits en japonais, quelquefois en me référant aux textes originaux. Et “traduttore, traditore,” comme on dit en italien. Comme l’écrit Natsuki Ikezawa dans un de ses recueils d’essais littéraires, la traduction japonaise de “L’insoutenable légèreté de l’être” écrit par Milan Kundera est médiocre, malgré que celui-là a été traduit pas sa langue originale tchèque. Kundera est connu comme un écrivain très conscient à la traduction de ses oeuvres en langue étrangère, surtout après avoir su que la traduction française de son oeuvre “Plaisanterie” a été totalement différente de ce qu’il avait lui-même écrit. Il a commencé à revoir entièrement toutes les traductions en français, et a finalment donné la même valeur d’authenticité aux traductions françaises que ses textes en tchéque, car sa langue natale, ou le tchéque, est bien moin connu que le français, et il vivait alors et vit toujours en France. (à suivre)
145 :
張吉山 :2005/11/05(土) 12:10:12
J’ai donc lu des oeuvres de Kundera en français, premièrement parce que le texte traduit en français de ses romans m’était facile à comprendre. Il me semble, en general, que les traductions des oeuvres étrangères sont plus faciles à comprendre, linguistiquement parlant, que les textes écrits en langue originale. Si vous voulez apprendre une langue étrangère, il vaut mieux lire des oeuvres traduites plutôt que des textes écrits en langue originale. La traduction japonaise de “Le grand cahier” d’Agota Kristof est aussi en mauvaise qualité, et si vous connaissez un peu la langue française, je vous conseille absolument de le lire en français. Il en est de même pour les oeuvres de J.M.G. Le Clézio, et “Le petit prince” d’Antoine de Saint-Exupéry, dont les traductions publiées récemment sont toutes privées de poésie.
146 :
吾輩は名無しである :2005/11/06(日) 01:43:12
「秘密の花園」は、地の文は平明だけど、 勘の悪い人には会話文に頻出するヨークシャー訛りがちょっと辛いだろう。 終幕のファンタジーも大人の読者には微妙。 (ベルヌの英訳やスティーブンソンの「宝島」も初心者は挫折すると思う) 入門用かつ読み応えのある児童文学としては、個人的には、 ムーミンの英訳版、アン・ファイン(「ミセス・ダウト」etc.)、 ロアルド・ダール、既出のルイス・キャロルなどがお勧めです。 ジョン・アービングなんかもかなり読みやすいですね。
147 :
吾輩は名無しである :2005/11/06(日) 02:33:06
ある分野の代表的な著作を各国語で読み、各言語における学説を比較してみると、 その代表的な翻訳と、その翻訳を作ったセンセの影響が出てたりする。 お国柄や言語による壁ももちろんあるけれど、 学問の世界では言語がお山の大将がのさばる温床になってる面もあると思う。 文学は趣味で読む程度なんだけど、そういうのって文学の世界でもあるの?
148 :
吾輩は名無しである :2005/11/06(日) 02:54:57
誰か翻訳してよ。
149 :
吾輩は名無しである :2005/11/06(日) 22:31:24
「ロビンソン・クルーソー」と「高慢と偏見」、「ノーサンガー・アビー」、 「二十日鼠と人間」を同時進行中。 オースチンの英語はものすごくレトリカルで難しい・・・
今、モーパッサンの短編集読んでます。 対訳本だけれどねOTL
対訳でも仏語で読めれば立派
152 :
吾輩は名無しである :2005/11/17(木) 16:21:01
144と145をざっくり訳してみました。 文学作品を読むには、むろん原文にあたるに越したことはないだろうが、 読みたい本の量を考えると、ほとんどの作品については、時に原文を 参照しつつ日本語訳を読まざるをえない。 そして、イタリア語で言い習わすように、「traduttore, traditore.」 翻訳家というものは裏切り者でもある。池澤夏樹がある文学エッセイ で言っているように、ミラン・クンデラの日本語訳は、オリジナルのチェコ 語から訳されているにもかかわらず、ひどいものである。クンデラが自 作の外国語訳に極めて意識的なことはよく知られている。とりわけ 「冗談」が自分が書いたものとは全く別物のように訳されていることを 知ってからはそうである。彼は仏語の翻訳をすべてチェックしだし、 最終的に仏語版にオリジナルのチェコ語版と同じ、本物としての価値を 与えるに至った。というのも、彼の母語であるチェコ語は、仏語に比べて 知られているとは言えず、また、当時彼はフランスに住んでいたからでもある。(続く) 従って私はクンデラの作品を仏語で読んだが、その一番の理由は仏語に 訳された彼の作品のテクストが理解しやすかったからである。一般的に、 外国作品を翻訳したものの方が、原文で書かれた作品よりも理解しやすい ように思われる。外国語を勉強したいのであれば、オリジナル言語で書かれた テクストよりも、翻訳されたものを読んだ方がいい。 アゴタ・クリストフの「悪童日記」(原題「大きなノート」)の日本語訳も同様に 質の悪いものであり、もし少しでも仏語が分るのであれば、仏語で読むことを お勧めする。ジャン・マリー・ギュスターヴ・ル・クレジオの作品や、最近訳された 日本語訳のどれもがポエジーを欠いている、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの 「星の王子さま」(原題「ちいさな王子」)も同様である。
153 :
吾輩は名無しである :2005/11/17(木) 16:26:09
今対訳本で、『伊勢物語』(角川の)を読んでるけど、外国文学でも ああいうのがもっとあったらいいのに。 まあ『源氏物語』の対訳付き文庫まで出してる角川が偉大過ぎるんだけど。
俺は中学から大学まで英語の授業、講義を受けたっきりで、簡単な英文もつっかえつっかえ というレベルなんだが、ちょっとペーパーバックSFに色気を出して読みたくなってしまった。 この際だから英文に慣れていきたい…というわけで、翻訳書がある場合、翻訳を熟読してから原文に入るか、 それともいきなり原文から入って、しかるのちに翻訳を読むか、どっちがいいかな?
155 :
吾輩は名無しである :2005/11/18(金) 00:56:20
本気で英語をすらすら読めるようになりたいんだったら、まず、 絵の気に入った絵本を買い集めてひたすら黙読の練習をする。 そして、絵本から子供向け小説へとじっくりステップアップすること。 「クマのプーさん」やムーミンの英訳をつっかえずに読めるくらいになれば、 経験から言って、英検一級くらい楽勝で通ります。 逆に言えば、それほどコミットする気がないのなら、 辛い思いをしてまで原文に挑む価値はないと思うのだけどね。
國文學も原文で讀みたまへ。
157 :
吾輩は名無しである :2005/11/18(金) 17:48:11
俺小学生の時、結構難解な明治文学読んでたけど どうやって読んでたのかなあ? もちろん背伸びしてたわけだが、辞書を引き引き、あとなんとなく雰囲気とかもあった。 今思えば意味不明なために飛ばし読みしまくってた気がする。 そういうのは外国語で読むのとはまた違うのかな?
高校のとき学校の図書館にあった日本古典文学大系(だったかな?)で 源氏物語を原文で勝手に読んでたな。 むちゃくちゃ難しかったけど。 いまは英語のやつはなるべく原文で読むようにしてます。 他の言語は読めまへん。
159 :
吾輩は名無しである :2005/11/19(土) 07:16:50
159
160 :
張吉山 :2005/11/23(水) 19:39:13
今月末に若島正の新訳で「ロリータ」が出るけど、 いまの訳ってそんなにひどいの? ヘミングウェイなんて、 いまの訳より、大久保康雄訳の方が断然、味があって良い と思うんだけど。特に短編集。新訳は、語学的により正しい のかも知れないが、余りに味気ない。ナボコフはどうなの?
161 :
吾輩は名無しである :2005/11/23(水) 19:59:32
味云々は完全に個人的嗜好だから。 俺は今のヘミングウェイの訳のほうが好きだし。
162 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:30:46
(翻訳A) 「なあ、止めろよ、その話は」 「だって、あなたがはじめたんじゃない。あたしは面白かったわ。あたしはいい気分だったんだから」 「とにかく、気分よくすごそうじゃないか」 「いいわよ。あたしはそう努めてたんだから。あの山並みは白い象みたいだ、って言ったのよね、あたし。あれは冴えてたでしょう?」 「ああ、冴えてたな」 「それから、この新しいドリンクを試したくなって。あたしたちのやってることって、それだけね――景色を見て、新しいドリンクを試す。そうでしょう?」 「そんなところだな」 若い女は遠くの山並みを見た。 「素敵な山並みだわ。白い象には似てないわね、本当のところ。さっきは、木立ちを透かして見える象の体の色のことを言ったんだけど」 「もう一杯飲もうか?」 「いいわね」 暑い風に吹かれて、ビーズのすだれがテーブルのほうに舞った。 「ビールがうまいな、よく冷えてて」 「うん、おいしい」
163 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:31:18
(翻訳B) 「そんな話よせよ」 「あなたが言いだしたのよ」女は言った。「あたしはいい気分になっていたのよ。楽しんでたのよ」 「じゃ、楽しくやろうじゃないか」 「ええ、いいわ。あたしは楽しもうとしてたんですもの。あの山、白い象のようだと言ったわね? ちょっと気のきいた言い方じゃない?」 「うん、気がきいてるよ」 「この初めてのお酒も飲んでみたかったのよ。あたしたちのすることって、みんなそんなものじゃない?――いろんな景色をながめたり、新しいお酒を飲んでみたり」 「まあ、そうだね」 女は向うの山を見た。 「きれいな山だわ」女は言った。「ほんとは白い象のようには見えないわ。あたしが言ったのは、木立ちのあいだから見る象の皮膚の色みたいだって意味なの」 「もう一杯飲もうか?」 「ええ」 なまぬるい風がカーテンをテーブルに吹きよせた。 「このビール、冷えててうまいね」男は言った。 「おいしいわ」女は言った。
164 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:32:16
(翻訳C) 「何にします?」ジョージが訊いた。 「さあてと」一人が言った。「何を食いたい、アル?」 「さあな」アルが言った。「何を食うかな」 外は薄暗くなりかけている。窓の外の街灯がともった。カウンターの二人の男は、メニューに目を走らせた。ニック・アダムズは、カウンターの反対の端から二人を眺めていた。彼らが入ってきたとき、ニックはちょうどジョージと話している最中だったのだ。 「アップル・ソースとマッシュ・ポテト添えのロースト・ポーク・テンダーロインてのがいいや」最初の男が言った。 「まだできないんです、それは」 「じゃあ、なんでメニューにのせとくんだ?」 「それはディナーですから」ジョージは説明した。「六時になったら、お出しできますよ」 カウンターの背後の壁の時計に、彼は目をやった。 「まだ五時ですからね」 「五時二十分だろうが」二人目の男が言った。 「二十分進んでますもんで」 「ふん、ふざけた時計だぜ」最初の男が言った。「じゃあ、何が食えるんだい?」 「サンドイッチなら、何でもできますよ。ハム・エッグ、ベーコン・エッグ、レヴァー・ベーコン。それに、ステーキ・サンドも」 「グリーン・ピースとクリーム・ソースとマッシュ・ポテト添えのチキン・コロッケをくれ」 「それはディナーなんです」 「こっちが食いたいのはみんなディナーってわけか、え? 上等な商売をしてるじゃねえか」 「ですから、いまの時間だとハム・エッグ・サンドやベーコン・エッグ・サンド、それにレヴァー――」 「おれはハム・エッグ・サンドにしよう」アルという男が言った。
165 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:32:59
(翻訳D) 「何にしますか?」ジョージが注文をきいた。 「そうだな」一人が言った。「アル、何がいい?」 「そうだな」アルが言った。「何がいいかな」 外は暗くなりかけていた。窓の外に街灯がともった。カウンターにいる二人の男はメニューを見た。カウンターの向うの端から、ニック・アダムズは二人をながめていた。ジョージと話をしているところへ、この二人がはいってきたのだ。 「おれはひれ肉のロースト・ポークだ。アップル・ソースをかけて、マッシュ・ポテトをつけてくれ」 「それはまだできないんです」 「そんなら、なぜメニューに書いとくんだ?」 「それはディナーなんです」ジョージは説明した。「六時になればできます」 ジョージは、カウンターのうしろの壁にかかっている時計を見た。 「まだ五時です」 「その時計は五時二十分になってるぜ」 「二十分すすんでるんです」 「そんな時計、ぶちこわしちまうんだな」はじめの男が言った。「いったい何が出来るんだい?」 「サンドイッチなら何でもできます」ジョージは言った。「ハム・エッグ、ベーコン・エッグ、レバー・ベーコン、それにステーキ」 「チキン・コロッケをくれ。グリーン・ピースにクリーム・ソース、それにマッシュ・ポテトをつけてな」 「それはディナーなんです」 「こっちのほしいものは、みんなディナーだってのかい。それがおめえんとこの商法ってわけかい」 「いまできるのは、ハム・エッグにベーコン・エッグ、それにレバー・・・・・・」 「ハム・エッグをくれ」アルと呼ばれた男が言った。
166 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:33:59
(翻訳C 続き) 「何か飲むものはあるか?」アルが訊いた。 「シルヴァー・ビールに、ビーヴォに、ジンジャー・エールってとこです」 「ぐいっとやれるようなものはあるか、と訊いてるんだ」 「いま言ったものだけですが」 「ふざけた町だぜ」(中略) 「この町じゃ、夜は何してすごすんだ?」アルが訊いた。 「このメニューのディナーを食うんだぜ、きっと」相棒が言った。「みんなでここに繰り出してきて、盛大なディナーを食うんだろうぜ」 「当たりです」ジョージが言った。 「当たりだと?」アルがジョージに訊いた。 「ええ」 「なかなか頭が切れるんだな、おまえは?」 「ええ」ジョージは言った。 「どんでもねえ」相棒の小男が言った。「こいつは切れ者かい、アル?」 「間抜け野郎よ」
167 :
張吉山 :2005/11/23(水) 22:51:43
(翻訳D 続き) 「飲み物は何かあるのか?」アルがきいた。 「シルバー・ビール、ビーボー、ジンジャー・エール」ジョージは言った。 「一杯やるものはあるかときいてるんだ」 「いま言ったものだけです」 「しけた町だぜ」(中略) 「ここじゃ、夜は何をやるんだ?」アルがきいた。 「ディナーを食うのさ」相棒が言った。「みんなここへやってきて定食を食うんだ」 「そのとおりですよ」ジョージが言った。 「そうかい、おれの言ったとおりだっていうのかい」アルがジョージに言った。 「そうです」 「おめえ、なかなか頭のいい兄(あん)ちゃんだな」 「そうですよ」ジョージは言った。 「そうでもねえようだぜ」もう一人の小男が言った。「そうは思わねえか、アル?」 「まぬけにきまってるさ」 引用が長くなりましたが、ヘミングウェイの新旧訳を並べてみました。
168 :
吾輩は名無しである :2005/11/24(木) 03:32:15
ロリータはまぎれもなく大傑作だが、 全編に言葉遊びと汚フレンチが頻出するから翻訳は大変だろな。 ああ、いっそオレが訳してあげたいくらいだ。
169 :
吾輩は名無しである :2005/11/24(木) 05:41:31
英語の場合、誤訳の糾弾・攻撃で有名な別○貞○先生がいる。 ところが彼の翻訳にはしばしば誤訳がある。 たとえばチェスタトン、『棒大なる針小』、春秋社。 本のタイトルにもなっている小文「棒大なる針小」で ・訳文:その牛乳屋は(言うまでもなく妖精だったのだが) ・原文:the milkman (who was, I need say, a fairy) なんで"I need say"が「言うまでもなく」になるのかね、別○君。 「言っておかねばならないが」とか「ここではっきりさせたいが」 とか、いくらでも訳し方があるだろう。 正反対の意味に訳して何か良いことがあるのかね、別○君。 この小文でもっと不可解なのは"model villa"を「標準的郊外住宅」に してることだな。 標準的郊外住宅の住人は「たいてい前庭で暮ら」すのかね、別○君。
ロリータってはじめに英語で書いていたけど、アメリカでの出版許可がおりる前に、 息子とのフランス語版共訳がフランスで発売されたんだっけ?
171 :
張吉山 :2005/11/24(木) 12:13:03
ヘミングウェイの翻訳引用は、BとCが新潮文庫新訳版(高見浩訳)、 AとDが新潮文庫旧訳版(大久保康雄訳)です。 AとBは、「白い象のような山並み」、CとDは「殺し屋」です。 結局は好みでしょうけど、「殺し屋」のメニューなどは、小生は断然、 大久保訳の方が食欲をそそられるんですけどね。 翻訳Aの「ドリンク」はいくらなんでもどうですかねえ。訳者の言語 センスを疑います。
172 :
吾輩は名無しである :2005/11/25(金) 01:26:28
原書エクスプローラーのみなさんは、 ペーパーバック1頁あたりどれくらいのペースで読んでいますか? オレは英語のみ、3〜8分くらいです。 19世紀の作品はしんどいのが多い。 飛ばし読みは除き、見栄を張らずにお答えください。
173 :
吾輩は名無しである :2005/12/13(火) 04:41:52
山手線ひと駅間2ページが精一杯だなあ 自分の分野の専門書だったらかなりサクサク読めるけど、小説は難しいよ
174 :
吾輩は名無しである :2005/12/14(水) 11:08:02
この前読んだジョン・アーヴィングの「ホテルニューハンプシャー」 (マスマーケット)はだいたい一時間23、4ページ。 今読んでるオースティンの「分別と多感」(ペンギンの新版)は たぶんその二倍以上かかってるな。 夏目漱石のアドバイス(ある程度英語を勉強したら、多少 わからなくても、とにかく英書を濫読すればいい)にならって 背伸びしてるけど、やっぱりしんどい。ちなみに他の言語は 迷わず翻訳を選んでます。
175 :
美香 ◆ZZCSMBerSM :2005/12/14(水) 12:51:42
〜@ 〜@ 〜@ __( "''''''::::. 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ --;;;; ______,,,,,,---'''''''"""" ヽ ゛゛:ヽ. 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ ●::::::::"""" ・ . \::. 丿 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ ::::::: ..........::::::::::::彡''ヘ::::....ノ 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ ::::::::::;;;;;,,---""" ̄ ^`` 〜@ 〜@ 〜@ 〜@ /  ̄ ̄ \ 〜@ 〜@ 〜@ /:::::::: : ヽ 〜@ 〜@ |::::: :: ヘ 〜@ ヽ:::::: :::.. ノ
177 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/29(日) 01:22:42
ヘミングウェイくらい原文に挑戦汁!
サガンやコレットなら原文でも読めるけどなー。 もっと難しいのになると辞書をひくのが鬱陶しくなる。
179 :
吾輩は名無しである :2006/04/19(水) 21:24:05
ロシア文学の原文は、チェーホフの短編集、ゴーゴリ−の「鼻」など、短編はいくつか読みました。 ドストエフスキーの作品は、最初翻訳を読んだ時長ったらしい文章で、ずっと訳した人が悪いと思っていたが、原文の1部を授業でやって、原文が長ったらしいことを知り、訳した先生に感服。 でも、どちらかというと原文でなく、日露どちらも翻訳を読んでいました。 ロシ文学を日本語で読み、ロシア語で「窓際のトットちゃん」や安倍公房の作品などを読みました。ひとえに語学習得のため。
サリンジャーを原語で読んだら すごい細かい部分まで気を配ってる作家だということに気づきかんどうした いまはカポーティを読んでるけど リズムのある文章でなんか楽しい
>>177 同意。
サリンジャーもな。
原書を読んだ上で、翻訳者を評価するのもまた面白い。
182 :
吾輩は名無しである :
2006/04/21(金) 06:51:45 語学力がついたらジョイスを原文で読みたい