495 :
ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :
492氏から煽られていますが、自分には「高野聖」「闇の奥」「ヴェニスに死す」に
再生というテーマが描かれているようには読めず、引用等により具体的な説得力がある
説明が欲しいということです。これは論考を呈示した側に当然要求して良いことなのでは?
そして470氏から形式的にはほぼ期待していたレスが入っていました。
しかしながら、まず「闇の奥」ですが、
>なにか一筋の光を与えられたような気がするのだ
とありますが、具体的な事は何も書かれていません。
それどころか「一筋の光」というのが何を指すのかを示唆することさえされていません。
書かれていない事をテーマとして「在る」と言い切ることは、やはり誤りかと思います。
この作品は、暗黒大陸(当時)における主人公の言わば「心の暗黒大陸」、この内面2重の
抑圧から来る救いようが無い死を描いたものなのです。
余談ながら(司馬風)、エンタメ系書籍板の住人として言わせて頂ければ、
本作が仮に秘境冒険小説として書かれていたとしたら、説明不足の部分が多く、
相当な批判を受けたものと思われです。
496 :
ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :04/10/11 11:31:46
>『ヴェニスに死す』で描かれた「死=理性の敗北」と対になるのが、
>「死への憧憬から生への意志」への転回、一種の「再生」を描いた『魔の山』だと説明され>ています。
>だから、『ヴェニスに死す』で描かれる破滅を一粒の麦的死であると捉えるのは、
>むしろ妥当なことではないかとも思います。
同感ですが、上記引用部分と同様の趣旨を「魔の山」スレで述べたところ叩かれました。
「そんなことはとうにわかりきったことじゃヴォケ!」だそうです。
しかし、この論によれば「ヴェニスに死す」には、やはり「死」しか描かれていない事に
なります。
魔都ヴェニス(少年はその象徴か)に魅入られ取り込まれるが如く死を迎えるアシェンバハ氏、
これに対して「魔の山」=ベルクホーフから現実世界への復帰を果すハンス・カストルプ青年。
再生が描かれているのは「魔の山」であり、これが両作品は「対」をなすと言われている所以
でありましょう。
「舟」の件に関するレスは、文学部の講義における与太話のようで、とても面白く拝見
しました。三途の川の例を想起すれば非常にわかりやすいものがあります。
>私はこういう風に色んなテクストを響き合わせながら読むのが好きなのです。
面白い講義を続けてください。とても楽しみにしています。
497 :
ミステリ板住人 ◆0FE6khB7i2 :04/10/11 11:32:54
最後になってしまいましたが、谷崎作品に作者が持つ古典の学識にもとづき書かれたものが多いことは承知しております。
最終的に読解にあたって古典に関する予習が不可欠であることは、今さら言を待たないものが
ありましょう。
しかしながら、元ネタやベースでもない古今東西の作品との比較論考には慎重な分析と配慮が
必要とされるかと思います。