誌名:現代詩 号数:1巻3号
発行日:1954年9月1日 「日本の汽車」 許南麒
読んでみたい
葬式列車 石原吉郎 (1915〜1977、静岡県生まれ)
なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない〜
詩集『サンチョ・パンサの帰郷』・1963年・思潮社刊
誌名:歴程/号数:140号/発行日:1970.5.1/発行人:/編集人:/
発行所:/# 詩/「グンゼの里」「垂直に歩け」「汽車はかならず反対の方向
からはいってくる」 「ケニアよりも遠く」「グリンランドの海」「平家村」
小野十三郎
「汽車の別れは、母を狂わせました。」というネット上に載っているフレーズ
が目についた。乗ったのは子ども、母はホームということがわかる。汽車が
発車すると母は走ったのだろう…、その場面が浮かんでくる。
水色の汽車に乗って新緑がふるえる山にいきたい 詠み人知らず
迷信と宗教(迷信の定義;西洋の迷信;露国の迷信;インドの迷信;シナの迷信
ほか)真怪(真怪有無の問答;田間に停車場を幻出せる不思議;狐狸が汽車を停車
せしめた怪事;井〔戸の〕神が人を殺せし事実;知らずの怪談 ほか)
井上円了・妖怪学全集〈第5巻〉 ISBN:4760117253
鎌倉一見の記 正岡子規
面白き朧月のゆふべ柴の戸を立ち出でゝそゞろにありけばまぼろしかと見ゆる往來
のさまもなつかしながら都の街をはなれたるけしきのみ思ひやられて新橋までいそぎ
ぬ。終りの列車なるにはや乘れといふにわれおくれじとこみ入れば春の夜の夢を載せ
て走る汽車二十里は煙草の煙のくゆる間にぞありける。
ネットで見かけたたったワンフレーズが気に留まった。
小津の列車は汽車から路面電車、湘南電車に変わっていった。
というワンセンテンスだ
944 :
吾輩は名無しである:04/03/02 22:55
最後の上げだな。上るレールの輝き。下りていくレールのきらめき。
準急のしばらくとまる霞かな 原田 暹
味わいのある鉄道俳句。交換待ちの車室の窓に春霞
岬の汽車はのろい
すずらんのリングが
揺れるさまが見える
西新井は準急の止まる駅 これは響きがいい。
江見 水蔭
えみ すいいん 小説家 1869.8.12 - 1934.11.3 岡山県岡山市に生
まれる。巌谷小波の紹介で硯友社同人となり、田山花袋とも親交。雑多な畑で
作品を残した中で、明治二十八年(1896)「文藝倶楽部」十月号に初出の掲載作
は、日清戦後の深刻小説の一代表作として、田岡嶺雲、内田魯庵さらには斎藤
緑雨の「上々吉」に極まる「傑作」として驚くほど賞賛を浴びた。いわゆる同
時代評であるが、同時期の鏡花一葉らと作調に通い合うものを明らかに持って
いる。 鉄道を素材としたものを多く残している。鉄道小説も既出か
女房殺し 江見 水蔭 鉄道場面
切符を買ふ。汽車は横須賀の方から来る。人々は争ふて改札所を出る、堅吉
は一番遅く出た。出ても振向いて二人を見ては、言ひたげにして居た。終(つ
ひ)にもう再び言葉を交す間もなく、汽車に乗込んだ。せはしく汽車は出發し
た。なつかしき海も浜辺も家も人も瞬く内に見えなくなつた。もう他の景色は
堅吉の眼中に入来(いりきた)らぬ。恐ろしく考込んで仕まつた。
(明治二十八年十月「文藝倶樂部」) その一部のみ。
鐵道小説 『汽車の友』 江見水陰著 博文館刊 明治31年7月 この本は、京
都の古書店で掘り出した本であるが、値段は決して安い本ではなかったと記憶
している。旅 にまつわる紀行文の本はちらほら目にするが、鉄道をテ ーマと
して1冊 にまと められ た本としては嚆矢だろう。 この本には 、汽車にま
つわる短編や鉄道俳 句、東海道の 各駅の紹介などが載っている。<<ネット
での紹介
951 :
吾輩は名無しである:04/03/04 10:12
オススメは何でしょう。
鉄道文学?常套的に言うと蜜柑、網走まで、汽車の罐焚き、ということなろうが。
これまでレスに出されてきたものの中にかなりいいもの。質の高いものがある
文学板で1,2を争うきもいスレと言われた、この鉄道文学スレも書き込みできるの
もあとわずか。鉄道文学はやはり超亜流か?、でもその存在がうっすらと見えてきた
文化史にはかなり大きく位置づけられているが、文学史的にはどうせ鉄ちゃんだから
とまだいわれる。
もう表示が出にくくなった、あるいはもう出なくなったのかもしれない。文学鉄道
も途切れたか。
誌名:日本未来派
号数:13号
発行日:1948年7月1日
編集者:池田克己
発行者:古川武雄
発行所:日本未来派発行所
「ポポフの機関車」 緒方昇
西郷隆盛/芥川龍之介
一枚の切符/江戸川乱歩
夜行列車/成田尚
街角の文字/本田緒生
夜行列車/覆面作家
汽車を招く少女/丘美丈二郎
悪魔の下車駅/渡辺啓助
急行出雲/鮎川哲也
踏切/高城高
磯浜駅にて/小隅黎
機関車、草原に/河野典生
剥がされた仮面/森村誠一
ある崩潰/大西赤人
子供のいる駅/黒井千次
特急夕月/夏樹静子
急行<さんべ>/天城一
いつか王子駅で
堀江 敏幸 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
路面電車の走る町。「珈琲アリマス」と記された小さな居酒屋。隣で呑んでい
た正吉さんは、手土産のカステラを置いたまま、いったい何処へ向かったのか
?―荒川線沿線に根をおろした人々とあてどない借家人の「私」。その日日を、
テンポイントら名馬の記憶、島村利正らの名品と縒りあわせて描き出す、滋味
ゆたかな長篇。
関門海峡電車物語
海峡に沿って走る
チンチン電車が懐かしい
彦島口から長府駅行きの
山陽電軌鉄道
関門海峡の
潮流と
競り合って
いつも負けていた
海と山しかない電停
黒門、黒門と車掌が
声を上げるが
誰も下りない
電車の向こうには
春の海が金の反射鏡を
ただただ揺らしている
機関車乗り 雨宮雨彦 鳥影社 1998年 鉄道小説集と銘打っているが。
前橋の詩碑巡り
前橋こども公園ライオンズの森
文学の小道
萩原泰次郎
明るい麦穂
麦穂あかるき畑中に
はや さとくも心はうるほみきたる
手をあげ何をよばんとするや
茨の花は水にながれ
はるかの野辺に汽車はしり
そのかげちさく消えてゆく
父 芥川龍之介 冒頭場面。青空文庫より。
自分が中学の四年生だった時の話である。
その年の秋、日光から足尾(あしお)へかけて、三泊の修学旅行があった。
「午前六時三十分上野停車場前集合、同五十分発車……」こう云う箇条が、学
校から渡す謄写版(とうしゃばん)の刷物(すりもの)に書いてある。
当日になると自分は、碌(ろく)に朝飯(あさめし)も食わずに家をとび出
した。電車でゆけば停車場まで二十分とはかからない。――そう思いながらも
、何となく心がせく。停車場の赤い柱の前に立って、電車を待っているうちも
、気が気でない。
生憎(あいにく)、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の音(ね)が
、鼠色(ねずみいろ)の水蒸気をふるわせたら、それが皆霧雨(きりさめ)に
なって、降って来はしないかとも思われる。その退屈な空の下で、高架(こう
か)鉄道を汽車が通る。被服廠(ひふくしょう)へ通う荷馬車が通る。店の戸
が一つずつ開(あ)く。自分のいる停車場にも、もう二三人、人が立った。そ
れが皆、眠(ね)の足りなそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。――
そこへ割引の電車が来た。
鼠色の水蒸気をふるわせる、巧みなフレーズだね
軽井沢 寺田寅彦 青空文庫より
草軽電鉄の話が載っている。
草津電鉄で、駅と旧軽井沢との間に通称「白樺電車」というものを通わせて
いる。いかにも軽井沢らしい象徴的な交通機関である。柱や手すりを白樺の丸
太で作り、天井の周縁の軒ばからは、海水浴場のテントなどにあるようなびら
びらした波形の布切れをたれただけで、車上の客席は高原の野天の涼風が自由
に吹き抜けられるようにできている。天井裏にはシナふうのちょうちんがいく
つもつるしてある。なんとなく子供のうれしがるようなぐあいにできている。
そうして、子供を連れて乗ったおとなもつい子供のような気持になる、といっ
たような奇態な電車である。柱の白樺の皮がはがれた所を同じ皮で繕って、そ
の上に巻いたテープには「白樺の皮をだいじにしてください」と書いてある。
なるほど、だれでもちょっとはがしてみたくなるものと見える。この車を引っ
ぱる電気機関車がまた実に簡単で愉快なものである、大きな踏み台か、小さな
地蔵堂のような格好をした鉄箱の中に機関手が収まっている。その箱の上に二
本鉄棒を押し立てて、その頂上におもちゃの弓をつけたような格好のものであ
る。それでもこれが通ると、途中の草原につながれて草をはんでいる馬が、び
っくりしてぴょんぴょんはねるのである。
964 :
吾輩は名無しである:04/03/06 09:53
「草軽電鉄の文学」ってあったらいいと思う。寺田寅彦の、カブト虫機関車の
描写は巧みだ。
満蒙義勇少年団 近藤 東 鐵 鉄道文学集第一輯 「東京駅」
鉄道文学は明治大正昭和に絞られるんだ。創世から隆盛、衰弱。鉄道文学は
栄枯盛衰だ
>>963 なかなかいい。「軽草電鉄と文学作品」というものがある。がいしゅつの文学
作品とかも載っている。
「軽井沢文学サロン」の発掘書案内には軽井沢関係の書籍が相当数紹介され
ている。停車場としての軽井沢とか草軽電鉄とか、碓氷峠の鉄道エピソード
とかもたぶん、これらの作品に載っているのだろう。興味あったら検索して
軽井沢鉄道文学、いいアイディアだ。このスレッド資料的価値あるぜ。
やめんなよな。そろそろ終わりだな。ほかにも見ているやついると思うぜ。
おい、ほかのやつも板のホストにいってやれよ。ロムしてないでよ。
どよもして汽車はすぎにけるそのあとはあたりしんしん静かなるかも
小熊秀雄
寂しさに宿を立ちいでてながむれば夜汽車ゆくや春の夕暮れ
吹雪夜の身をきる風を吹けとごと汽車は鳴りけり旅心わく 中原中也
汽車のひびきも夜明けらしい楢の葉の鳴る 山頭火
旅の人々が汽車の見えなくなるまでも 山頭火 三重町駅前句碑(豊肥本線)
スピード概念の歴史性を問う
学芸総合誌・季刊(KAN)【歴史・環境・文明】Vol.15
特集:スピードとは何か2003年10月刊!
菊大判 304頁 本体価格2400円
ISBN4-89434-356-8 近代文化、文学の根源がここにあるか?。汽車の用例
がある。
もう書き込めないのか?
小野清之 著 『アメリカ鉄道物語』――アメリカ文学再読の旅
ISBN 4-327-47191-7 C0098
定価2,940円(本体2,800円+税)
四六判 並製 270頁
刊行年 1999年2月
驀進する「鉄の馬」に、何を見たか――
<繁栄、躍進、統一、救済><怪物、悪鬼、巨人、竜>……19世紀に出現して
以来、「変化のシンボル」として、さまざまなメタファーで語られてきた鉄道
の軌跡を、アメリカ作家の主要作品及び、鉄道史を飾る数々の事件、英雄・悪
漢たちの伝説にに辿る。 がいしゅつか?
支路遺耕治(川井清澄)集 (4)
「巨大な月」という題の詩につぎのフレーズがある。
汽車は巨大な月にみちるきみの鼻孔を通過する
興味ある人はネットに載っているから見て。
980 :
吾輩は名無しである:04/03/10 22:08
3軸貨車の誕生と終焉 戦前編
ISBN:487366196X
フレーズ的に鉄道文学的?
3軸の音をウオッチしていた文芸家っていそう
981 :
吾輩は名無しである:04/03/11 06:28
間もなく20ほど書き込んだらこのスレッドもお役ご免となる。2代目を立てる
つもりはない。前にも述べたように鉄道文学の存在がはっきりと見えてきた。
近代文学の源泉であると。時間認識が大きな影響を与えているのだと想う。
機械は機械である。が、ツールとして用いているうちに愛着が湧く。擬人化
していった。機械を人間とみるというふうになっていったのだと。消えるま
でのんびりぼちぼち
車軸の音か、内田百閧セったら聞き分けていたな。w
983 :
吾輩は名無しである:04/03/11 21:21
Cat.4105
翻訳文学・評論 [書名] 汽車を見送る男 現代フランス文学叢書
[著者] ジョルジュ・シメノン 菊池武一訳
[状態] 軽装表紙ホコリシミ 初版
[発行年] 昭和29年 [出版社] 新潮社 .
グーグルの検索で引くと、「汽車を見送る男」29件ヒット。映画のタイトルにもな
っているので引っかかるのだろう。試しに「汽車を見送る女」を引いたら、0件だっ
た。「汽車を見送る」では97件、「汽車を迎える」では7件。
見送るは別離、迎えるは出会い。幸福度が高いのは、「迎える」だ。が、物語として
別離を好むのだろうか。
シグナルとシグナレス 宮沢賢治
シグナルは力を落して青白く立ち、そっとよこ眼でやさしいシグナレスの方を見まし
た。シグナレスはしくしく泣きながら、丁度やって来る二時の汽車を迎える為にしょ
んぼりと腕をさげ、そのいじらしい撫肩はかすかにかすかにふるえて居りました。空
では風がフイウ、涙を知らない電信ばしらどもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
さあ今度は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立って居りました。
月の光が青白く雪を照しています。雪はこうこうと光ります。そこにはすきとおっ
て小さな紅火や青の火をうかべました。しいんとしています。山脈は若い白熊の貴族
の屍体のようにしずかに白く横わり、遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュウと
鳴って通りました、それでもじつにしずかです。黒い枕木はみなねむり赤の三角や黄
色の点々さまざまの夢を見ているとき、若いあわれなシグナルはほっと小さなため息
をつきました。そこで半分凍えてじっと立っていたやさしいシグナレスも、ほっと小
さなため息をしました。