大塚英志逝ってよし!!
まだまだ夏だね・・・
3 :
W大二文一回生:03/09/14 18:50
加納天明をナメるな!!
アラーキー逝ってよし!!
4 :
吾輩は名無しである:03/09/15 10:44
スガよりは加藤の方が格上
5 :
吾輩は名無しである:03/09/15 10:49
まあ、稼ぎは多いだろうけど・・・
この読みが見えてくるわけです
糞どもが。古義人は叫んだ
加藤先生が好きだから群像に応募します
村上春樹先生はもっと好きです
でもぞうさんはもーっっとすきです
>>8 あ、それオレも書こうと思ったんだけど、バカバカしいから止めたんだよね。
257 :Ray.na ◆mpCujopyKE :03/07/12 10:13
加藤典明、だっけ。会った事ある。
ていうか、こんなことを言ってるのを竹田さんとかがみたらもう、
苦笑いしてあきれるだろうな。今何してんだ、こいつは、って。ま
だ薦めてもらった本とか、全然読んでないなんていえない。。
読みたいとは本気で思ってたんだけど。。
258 :考える名無しさん :03/07/12 13:24
会った事あるのか。
259 :考える名無しさん :03/07/12 20:09
age
260 :考える名無しさん :03/07/12 22:59
バ〜カ、加納典明だよ。
加納の強力な押しで竹田は明学の教授になったんだよ。
当時の文芸評論家ランクで言えば加納>竹田だった。
当時からすれば竹田が大学教授なんて何それ?っていう感じだった。
もう10年くらいやっているからそれなりに見えてしまうけど。
まだ入門書を書きまくっていない頃だったと思う。
「哲学者」というより「文芸評論家」。
今でも括弧付きだけどね。
のちに加納は猥褻な写真集を出版して検挙されたりキャリアが段々落ちていきアホな女に名前を間違えられるくらいだが、
80年代中期はそれなりに注目された文芸評論家だったことを書いておこう。
ひがみ
12 :
吾輩は名無しである:03/09/23 22:24
なめるな危険
トレイシー
14 :
吾輩は名無しである:03/09/23 22:31
2003(平成15)年11月8日(土)〜9日(日)
『山中湖フォーラム2003 挑発する三島文学X−三島由紀夫の現代的意味−』
★パネリスト(50音順)
大塚英志(おおつか・えいじ) /まんが原作者・編集者
加藤典洋(かとう・のりひろ) /文芸評論家・明治学院大学教授
清水良典(しみず・よしのり) /文芸評論家
司会/井上隆史(いのうえ・たかし/白百合女子大学助教授)
日時/2003(平成15)年11月8日(土)〜9日(日)
受付/フォーラム会場/清渓(TEL0555−62−0020)
申込方法/往復はがき、FAX、電子メール(メールアドレス
[email protected])に
@住所A氏名B電話、FAX番号C年齢D懇親会参加の有無を明記の上、
三島由紀夫文学館あてにお申し込下さい。
@フォーラム参加費/2日間1,000円(当日、会場受付にてお支払い下さい)
A懇親会費/11月8日、大塚英志氏、清水良典氏、加藤典洋氏と一緒に立食をご希望
の方は4,000円(フォーラム参加費1,000円を含む)を当日、 会場受付にてお支払い下さい。
申込締切/平成15年(2003年)11月4日。受付は先着順とさせていただきます。
申込・問い合せ先/山中湖文学の森・三島由紀夫文学館
〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野506−296
TEL(0555-20-2655) FAX(0555-20-2656)
宿泊問い合せ先/山中湖観光協会
TEL(0555-62-3100) FAX(0555-62-6181)
http://www.mfi.or.jp/ysa/ 主催/山中湖文学の森・三島由紀夫文学館
「敗戦後論」はよかったぞなもし。共同体を突き抜ける語り口。
叩きスレ?
かじるな!!
ふと、なめ猫なんかを思い出してしまった
なめるな危険。
だから何?
だからといわれても。。。
∧_∧ ○
( ; ^ o^) ( ) 昨日、餅をつきました。鏡餅どうぞ!
( つつ ( )
|二二二二二二二二二二|
|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄||
23 :
吾輩は名無しである:04/01/03 21:09
キクぜ!
24 :
吾輩は名無しである:04/01/03 21:10
あ、加納典明と間違えたー(>w<)ひーん
25 :
吾輩は名無しである:04/01/10 20:11
26 :
吾輩は名無しである:04/01/10 21:01
寄生獣のオビにコメント載せてましたが
27 :
吾輩は名無しである:04/01/10 21:01
スガ秀にけなされ、大西にけちょんけちょんに揶揄され、大江には小説のダシに使われ、
加藤転用は今日も元気にクリティククリティク!
加藤点をナメルとクサイぞなもし。
しのやまきしん?
30 :
吾輩は名無しである:04/01/19 22:05
「テクストを遠く離れて」「小説の未来」ってどうよ、実際のところ。
31 :
吾輩は名無しである:04/01/21 21:51
おい、誰か30に答えろよ、こっちゃぁ買うか買うまいか迷ってんだよ、
ゴルァ!ヽ(`Д´)ノ
32 :
吾輩は名無しである:04/01/21 21:57
変え
33 :
吾輩は名無しである:04/01/21 21:57
ほら、さっさと答えねぇかい!おながいします。
34 :
吾輩は名無しである:04/01/21 21:58
32、いいからオラと結婚するっぴゃー
35 :
吾輩は名無しである:04/01/21 21:59
俺の高校時代の同級生はおじさんが加藤典洋だとかいってたな
片岡という男だったのだが
36 :
吾輩は名無しである:04/01/22 09:57
というわけで加藤も竹田も早稲田に引き抜かれたわけだが
37 :
吾輩は名無しである:04/01/25 20:56
r-、
ヽ ヽ
) ゝー- 、
, - '`ー'::::::*::i
!::::::::::::::::::::::::::::::!
!、-。、ツr.。'^!:::::::!
l::::`‐' r-、`::::ノ/:! <レールに乗ったクリティクで楽しいか!?
ヽ ーL-ー、」/::/
!`ー--‐ ´:::::/ 暴君 ハバネロ=カトー
!:::::::::::::::::::::/
ヽ:::::::::::::/
)_:::/
38 :
吾輩は名無しである:04/01/25 22:12
(&&&&&)
(&&&&&&@
#%%%%#
!::::::::::::::::::::::::::!
!::::::::::::::::::::::::::::::!
!、-。、ツr.。'^!:::::::!
l::::`‐' r-、`::::ノ/:! <綿矢りさよりもわしのほうがかわいいと思う
ヽ ーL-ー、」/::/
!`ー--‐ ´:::::/ 暴君 ハバネロ=カトー
!:::::::::::::::::::::/
ヽ:::::::::::::/
)_:::/
39 :
吾輩は名無しである:04/02/19 12:50
>>31 買ったのか? 買わなかったのか?
読んだけど、どちらか一冊買うなら「テクストから遠く離れて」のほうをすすめる。
しかし誰も読んでないのかねえ、本屋で見たかんじでは結構売れてそうだったのに
スガ秀実が加藤典洋を叩くのって彼のバックに竹田セイジがいるからだよね。
スガちんは無名時代に竹田にコテンパンにされてるものね。
「論破された」という奴ですかw
やたらと竹田の名前を出すやつって、今やアンチにしか見えない。
竹田は完全に哲学の人だから興味ないなあ。
哲学は疎いので入門書とかでお世話になってるし。
43 :
吾輩は名無しである:04/03/29 16:17
44 :
吾輩は名無しである:04/03/29 20:16
頭きれる人ですよね。それはすごい。
『テクストから遠く離れて』、ざっと読んだ。
村上春樹・カミュについてのくだりは渡部の『不敬文学論序説』よかおもろい。
46 :
吾輩は名無しである:04/04/02 10:18
加藤店用先生、こんにちは。お元気ですか。僕も元気です。
47 :
吾輩は名無しである:04/04/02 20:53
『テクストから遠く離れて』って、取り上げられてる作品(龍とか大江とか三島
とか)を読んでなくても面白い?
48 :
吾輩は名無しである:04/04/03 14:08
本屋でこの人の本を見つけた。
「心にぽっかり開いた穴を少しずつ埋めてゆくんだ」(乞赦多少誤記憶)
というすごいタイトルでした。
>47
面白いよ。
でも、過去に繰り返されてきた、加藤と蓮實一家との対立を知っていたほうが
より面白い。
50 :
吾輩は名無しである:04/04/16 00:07
蓮實一家との対立という言い方はどうかな。
蓮實とは直接的には対立してないし、糸圭や渡部もそんな真面目に相手してるわけでもないし。
だいいち、テクスト論を標榜して忠実に実践してる文芸批評などがあっただろうか。
『テクストから遠く離れて』を金払ってまで内容を知りたいとは思わないが、その辺はどうなのか。
かっちりした敵を想定して批判しているのだろうか。
そしてそんな文章をいまどき誰が読みたがっているのだろうか。
「海辺のカフカ」について、 「マグノリア」の影響は繰り返し言うのに
B級ホラーの「ヒドゥン」や「ツインピークス」とかの関係には何にも言わないね。
52 :
吾輩は名無しである:04/05/07 22:09
伸びないね、このスレ。
ちょっと立ち読みしたら、小説の「普遍」的な評価基準みたいなのを目指しているみたいね。
原理、原理って言う竹田にアテられすぎてんじゃないの。
常に自分達が「普遍」の側にいなければ気が済まないという心証はいかがなものか。
54 :
吾輩は名無しである:04/06/11 13:02
イエローページの話ししたいのでage
この人の言ってる事が正解かどうかは置いといて
黄本は一つの読み物として面白いね
55 :
吾輩は名無しである:04/09/21 22:13:55
テンヨーってアフロ?
源ちゃんは本当はバカにしてるのかね?
なめてる
58 :
吾輩は名無しである:04/10/30 12:59:46
ちょっとお尋ねしまーす。だいぶ前に加藤典洋が吉本ばなな
『キッチン』の冒頭の文を批判していた文章をどっかでみたような
気がしたんですが(「台所だと思う」では小説にならない、とか
なんとか)、その文章の題、もしくは収められている評論集の名前
を御存知の方おられませんか? たしか、加藤典洋だったと思うんですが。
59 :
吾輩は名無しである:04/10/31 03:07:53
>>58 「言語表現法講義」加藤典洋 岩波書店 P157
キッチンの出だしを批判したのは他の文芸評論家で、加藤典洋は
「むしろ新しい声の誕生の場のあるざわめきをもっている」
と評価してますね。
>>59 ありがとうございました。
「言語表現法講義」は前に読んだことがあるので、その本で
間違いないと思います。今、手元にないのですが、今度、再読
してみます。
保守していいものか・・・
保守していいでしょう。
63 :
吾輩は名無しである:05/01/23 13:18:29
加藤典洋と高橋哲哉の論争を誰か知ってる?
64 :
吾輩は名無しである:05/01/25 01:32:16
典型的なポストモダン右翼
65 :
吾輩は名無しである:05/01/25 01:39:19
>>27 >大江には小説のダシに使われ
そうなの?これ読んでみたいな。
小説のタイトルどなたか教えてください。
67 :
吾輩は名無しである:05/02/09 22:50:43
トリッパーの源一郎との対談はどうよ?
68 :
吾輩は名無しである:05/02/10 21:31:34
加典はちょっとマジメすぎるねえ。
>源一郎との対談
非対称がどーとかこーとか、よーわからん。
でもかなり貫禄が出てきたね。
大塚やスガのレベルとは一線を画したな。
大塚えいじと同じような位置だったことがあったの?
全然フィールドが違うと思っていた。
つーか逆に、いつのまに大塚えいじ、そんな場所に?という驚き。
72 :
吾輩は名無しである:05/02/12 17:59:53
馬鹿にされまくってるとはいえ、一応レベルが・・・
73 :
吾輩は名無しである:05/02/12 23:47:22
加藤の本は断片的・部分的におもしろい。
74 :
吾輩は名無しである:05/02/13 00:48:08
語りの背景 晶文社 2004年
テクストから遠く離れて 講談社 2004年
小説の未来 朝日新聞社 2004年
日本人の自画像 岩波書店 2000年
戦後的思考 講談社 1999年
日本の無思想 平凡社 1999年
可能性としての戦後以後 岩波書店 1999年
理解することへの抵抗 海鳥社 1998年
敗戦後論 講談社 1997年
言語表現法講義 岩波書店 1996年
この時代の生き方 講談社 1995年
ゆるやかな速度 中央公論社 1990年
日本風景論 講談社 1990年
君と世界の戦いでは、世界に支援せよ 筑摩書房 1988年
批評へ 弓立社 1987年
アメリカの影 河出書房新社 1985年
75 :
吾輩は名無しである:05/02/19 23:45:41
柄谷・浅田と戦っていた頃の彼は輝いていたね。
76 :
初心者:2005/03/21(月) 21:43:53
質問させてください。
以前この人が、「マクシム」という用語を説明する際に、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』の一場面を引き合いに出していたことがあると思うのです。
その文章のタイトル、あるいはそれが収められている本をご存知の方はいないでしょうか?
引用していた一場面というのは、
(『ダンス・ダンス・ダンス』が手元にないので正確な文章を書けないのですが)
ユキという女の子が、自分の母親の恋人(アメリカ人男性)が死んでしまった時に、
「もう少し優しくしてあげればよかった」というようなことを口にすると、
それを聞いた主人公(僕)が、「君は何があってもそんなことを口にするするべきじゃない、ある種の言葉は決して口に出しちゃいけないんだ」というようなことを言って叱る場面でした。
僕はおそらく『言語表現法講義』か『村上春樹イエローページ』だろうと思ったのですが(何しろ加藤氏の著作はこの2冊しか持っていないので)、僕の記憶違いのようなのです。(それとも探し足りないのだろうか?)
どなたかご存知でしたらお教えください。お願いします。
77 :
吾輩は名無しである:2005/03/21(月) 22:03:59
『テクストから遠く離れて』じゃないの? 知らないけど。
しかしその台詞は反吐が出るね。ここまで嫌なもの書けるって
すごい作家だよ。村上春樹。
79 :
吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 18:18:45
この人に作文習うのってどう思う?
80 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 21:37:16
頭はいいが表現力に乏しい批評家だな。
81 :
吾輩は名無しである:2005/08/07(日) 01:13:00
日本の現代文学を妙に褒める人ですね
そろそろ「敗戦後論」を加筆して文庫に落として欲しいな。
批判は多いけど、この人の主著でしょ。
83 :
吾輩は名無しである:2005/10/28(金) 14:59:49
保守。
76うろおぼえですけど、村上春樹をめぐる冒険にマクシムにふれたぶぶんがあっあような。
85 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 22:36:21
ちくま文庫新刊「敗戦後論」よかったぞ。
86 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 23:56:39
「敗戦後論」は今朝の朝日にも書評があった。
結構ベタボメ。
87 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 01:14:40
「敗戦後論」は加藤の主著か?
あれより「アメリカの影」の方がはるかに主著だと思うがな。
加藤は江藤淳に「君は文学的ではないね」と怒られたことがあったが、
確かに加藤はいかにも文学的であるよう見せかける比喩を多用している割には、
結論先にありきの政治的な文章を書くことが多い。
高澤秀次が加藤を「くわせもののアジテーター」と呼んだが、結構核心を突いているように思える。
88 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 01:24:12
「君は文学的ではないね」というのは加藤にとって誉め言葉。
江藤は文学的だったからこそ批評家としては挫折していった。
89 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 01:29:11
加藤幹郎かと思った
90 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 01:29:36
>>88 でも、加藤は自著の中で、「自分は江藤に負けないくらい文学的だ」
と言ってたぞ。
それとよく言われていることだが、「自由と禁忌」以降の江藤は、単に
文学的で片付けられないと思うのだが。
江藤自身が、文芸評論者は文学的なだけではやっていけないみたいなことを、
「夏目漱石」で語っていたし。
91 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 02:34:39
加藤、竹田、江藤の座談会中の江藤の発言を読んでると江藤の言う“職業としての文芸批評”などどうでもよいとしか思えない。何よりこいつは正直じゃあないね。大江や丸谷の事を江藤が嫌いなのは専ら政治的な相違からだろうが。“文学的でない”筆頭はお前だよ。江藤。
>>91 どうだろう、たしかにあの対談では江藤は頭の固いガンコ親父って感じがするが、
「文芸批評を成立させねば」って焦りは、ほとんど文芸批評が成立しなくなった
(それはまったく批評家の力不足ってのを超えた問題なのだが。
そしてそれは、「米軍占領下の言語空間」が原因だって問題でもない)
今日を顧みれば、実に鋭い焦りだって思わないか?
そして、文芸批評家としての江藤と、著述家としての江藤は、分裂しているところがある。
江藤自身、「米軍占領下の言語空間」なんてあんまり信じてなくて、
ただそれを言い続けることに意義があるって考えていたんじゃないだろうか?
だからそこを突っ込まれると、過敏に反応したのでは?
93 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 22:40:26
座談会中の加藤の『裏声で…』評を読むと加藤なりに丁寧に読んでいた事はよく分かる内容だ。それにあの江藤の評「君の批評は文学的でないね」が為されている。だが加藤の評は説得力もあるし、江藤にあんな事を言われる筋合いは加藤にはない。もう一つ感ずるのが→
94 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 22:52:17
→江藤淳の批評の貧しさだ。少なくともあの中の江藤の発言を読んでも『裏声で』と『クリスタル』の違いはさっぱり分からない。彼にはそれを説明する言葉はない。伝わらなくて当然な話だ。あと、加藤は江藤の占領政策論がオールマイティになってないか、と疑問を→
95 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 22:53:17
>>90でいわれてる「文学的であること」の正否の両面性は
>>92でいう文芸批評が成立しなくなった状況に関係があるとして
果たして加藤より江藤の著述が有効だったかというとそうじゃない。
むしろ加藤のほうが逆風のなかで批評の可能性を感じさせる作品を出してきている。
96 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 23:01:05
江藤の「文学的じゃない批評」は「左翼的な批評」っていう意味だよ。
97 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 23:08:37
→提起しているが、俺も加藤に同意する。戦後日本の閉塞を解読するのにそれだけではいたずらに現実否定して自閉するだけだし事実ここでの江藤の言説はそうなっている。文芸批評を死なせるな、とか江藤は言ってるが、自分の言葉がこの時点で現実に爪を引っ掛ける事が→
98 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 23:14:15
→出来なくなっている事を江藤は自覚すべきだったのだ。ここでの竹田の文学観は個体の世界了解と結び付けておりなかなか良い。これと比べると江藤の停滞が余計に浮かび上がって見える。竹田や加藤への揚げ足のとり方や反論は2ch.並の御粗末さで情けないと感ずる。
99 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 23:23:16
江藤の地位ゆえに意味を持つ政治的な発言だよ
100 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 00:30:34
江藤ヲタがいるみたいだ
まずそもそも「文芸批評が成立しなくなる」とはどういう意味かについて、東浩紀の論を導きの糸としてみよう。
東的に言えば、それは「象徴界」の崩壊ってことだ。
つまり、文芸の世界が各セクトごとに分化し、その内側でのみ通じる言葉を使い、
セクトごとの連関なき「島宇宙化」(これは宮台真司の言葉だが)となってしまう状況のこと。
この状況では、文芸のよしあしについて語る公共性が喪失してしまっている。
最近の文芸は、まさにそういう状況じゃないのか。
で、丸谷の『裏声で・・・』について加藤が評価したことをとがめたというよりも、
本が出てすぐに読んで批評を書かなかったことをとがめているんじゃないの?
江藤が批判しても、「あいつは右翼だから・・・」というセクト内のお約束事に終わってしまうが、
加藤が評価する批評を書いていれば、そこで批評の公共性が顕現されたものを、という
後だしジャンケン的な加藤の批評家としての怠惰をとがめているのではないのか?
それと、江藤は加藤に「型で考えている」から「文学的ではない」と言ったんだが、
これはあの対談でこの江藤発言が出てくる前に、さんざん加藤が「型で考えている」
見解を喋っているから、そんなに俺には違和感がなかったけどな。
実際、「敗戦後論」以降、加藤の言説はうんざりするほど、「型で考えている」にもかかわらず、
もってまわったような比喩でいかにも文学的であるように装ったものが多いからな。
具体的にどれかと言われたら、今日はもう遅いので、また次の機会にw
102 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 05:16:22
>>101 言い逃げしないで、ちゃんと加藤の「型で考えている」具体例あげに帰ってこいよ
103 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 06:50:17
型で考えるのが悪いことだとはどうしても思えない。
芸術を理解する上で既存の型そのもので考えるのは問題あるだろうが、
そもそも「型がない」なんて自慢できないだろ。
それは「一貫性を欠いている」という意味だし。
104 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 14:25:31
この人まだ大西巨人怖れてるの?
105 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:45:40
なるほどね。俺は江藤とは見解が違い、文芸批評が滅びるか否か等気にした事はない。文学に限らず、或る作品に出会った人間がそれを(形式は様々だが)批評したくなるという欲望は今だに人間の中に生き続けているとしか思えないのだ。この欲望はかなり普遍的に→
106 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:52:10
→思えるんだな。それで、東の論だけども。文芸批評が島宇宙に閉じこもり、公共的でない、と。しかし、別に放っとけばいいのではないか、としか言えないなあ。そもそも文芸批評自体、そういうのが好きな人が細々と仲間内でやってるもの、というイメージが俺は強い。→
107 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:57:35
→で、細々と、だけども先に書いたように、批評したいという欲望自体が消失することはまずありえない、て俺には思える。だから、江藤があの席で文芸批評へ何を期待してるのか、正直よく分からない。あとねーあそこで江藤が加藤に「何ですぐに今のような論を発表→
108 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 19:02:43
→しなかったんだ?」と咎めてる場面。あれこそ枝葉末節の2ch.的絡み方だよ。時間が経ってから或る作品が気になる事などいくらでもあろうに。あと、“…の方がきらきらしてる。それを判らなければ駄目だ”発言。一体江藤は何であんな中学生の読書感想文みたいな→
109 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 19:06:34
→言い方をするのか。しかもその至極抽象的極まる感想、文芸批評家の片鱗を捨てたかのような幼稚な言葉をどうしてああも平気で公的な場で撒き散らす事が出来たのか。あの部分は特にひどいとしか言い様がない。あそこでの江藤はおかしいよ。
110 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 19:24:54
で、ついでに。あの座談会の江藤が川端康成や三島の事を喋ってるが、あそこでの江藤自身が、現実の捉え方で考えあぐんでると思える。占領政策への拘り方も、何か日本社会が変わっていく姿が我慢ならずにどんどん妙な方向に突っ走ってる…江藤は自滅したんじゃないか→
111 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 19:28:34
→何か痛々しいよ、あの江藤の姿はね。何かに追い詰められてどうにもならなくなった…晩年の江藤の姿、その迷走ぶりってのは本格的に考察する価値があるかもね。
文芸評論の空間が成立しなくなったら、今のカルスタ・ポスコロと「作る会」の対立のように、
論争にまで発展せず、また論争になったとしても全くお互いの言葉が通じない言語空間になっちゃうよ。
それでもいいってのならいいんだが、俺はそれはイヤだっていう欲望があるなあ。
たぶん東にもあるから柄谷・浅田とケンカしちゃったんだろう。
あの対談の本を押入れから引っ張り出してきちゃったよw
まず最初、江藤の全集が絶版になっていたところから話をはじめた加藤の言い分は、
「占領研究をやり始めた後のあなたの本はウヨが喜んで買ってるだけで、以前のあなたの
読者は、今は離れてきている」って、はっきりはもちろん言ってないけどそういうこと。
そして、国家の話は、「ウヨの論客である清水幾太郎や渡部昇一と江藤さんは世間では
一緒に見てるだろうが、僕には違いがわかる。彼らの国家は「父」で、江藤さんは「母」だ。
でもやっぱりあんまりウヨの方に行っちゃや〜よ」ってことだろう、これもはっきりは言ってないけど。
そもそもの話の振りが図式的で、しかも政治的なにおいがプンプンするわけ。
『裏声で・・・』についての加藤の評価の仕方は、『なんクリ』とまったく同じ。
ちなみに『なんクリ』については、『アメリカの影』で加藤が書いているが、
日本ナショナリズムのジレンマとして、対米自立を志向したいにもかかわらず、
アメリカの庇護なしでは日本は生きられない、そのことに『なんクリ』は自覚的だからこそ、
江藤は評価したんだろうという、これまた図式臭、政治臭がプンプンするもの。
作品の質そのものからの評価ではまったくない。
そういう文脈から、江藤が「あなたは非常に文学的ではないね」というのは、
流れからして当然だと思うけど、どうよ。
ちなみに、江藤は加藤の仕事の意義を認めていないわけではない。
思想論・状況論としては意義があるが、文学ではないと言ってるだけ。
あと、「何ですぐに発表しなかったのか」は、俺もちょっと言いがかりのようには思ったが、
「文芸評論を成立させてほしい」という江藤のモチーフからは、まあ理解できる。
理由は東を引いて語った通り。
それから『裏声で・・・』と『なんクリ』の違いは、単にあの日のテーマから外れるから
言わなかっただけじゃない?
加藤の評論ってパターンがあるじゃん。
まず人があんまり考え付かないような問題提起をして、
(『アメリカの影』では、江藤がなぜ『なんクリ』を評価して『限りなく透明に近いブルー』をけなしたか、
『敗戦後論』では、美濃部達吉がなぜ帝国憲法改正に反対だったにもかかわらず、現行憲法には従ったのかとか、
大岡昇平はなぜ歴史的かなづかいが理にかなっていると知りながら現在かなづかいに戻したか、など)
それについての自分なりの解答を用意して、読者を「ほっほぉ〜」と感心させたあと、
おもむろに自分の結論(「日本国憲法の選び直し」みたいな)を提出する、みたいな。
最初はすごいと感心させられるが、これって結論先にありきの手品みたいなものじゃんと、
最近は感じるようになった。
まあ、批評は政治性からはどんなに逃れようとしても逃れられないんだから、
これはこれで悪くはないか、とも思うが。
で、江藤の「米軍占領下の言語空間」の問題だが、なぜそんなことを江藤が言い出したのかは、
俺も大きな問題だと思っている。
ただ、「自滅した」なんて簡単には言えないし、加藤もそうは思っていないと思う。
これについてはスレ違いだし、俺も結論が出てないし、大問題でもあるので書かない。
あと、→でレスたくさん使う書き方は見にくいので、出来ればやめてほしい。
115 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 13:47:32
例の座談会は1985年1月発表だがその後の江藤がやった対談(vs中上,富岡,川村,吉本)集めた『文学の現在』て本がある。こちらの江藤の方は先のと違い喧嘩腰でなく丁寧な論じ方で、話も説得力があると思った。察するに先のは興奮して?話が粗くなったのかもしれんな。
116 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 18:50:55
いつのまにか早稲田の教授に・・・
117 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 23:06:33
>>101がバカじゃないことは分かった。
言ってることもまともだけど、異論あり。
たとえばさ、『敗戦後論』なんか、あつかっているテーマは政治的だけど、発想は文学的だと思うな。
結論ありき(例えば憲法の選びなおし)で書いているとはとても思えない。
101の加藤の読み方が政治的でパターン化してるかんじ。
118 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 23:31:03
『テクストから遠く離れて』は加藤以外には書けなかった本だね。
なんで今頃アンチ・テクスト?という気がしないでもなかったが、
あえてそういう立場をとるところが時代に媚びてないと思えるんだな。
ハスミやカラタニよりも自分の足で立とうという心意気があるよ。
阿部和重論なんかも結構いい。
でも隠喩と換喩すら理解できてなかったんだよね。無知を押し出す無恥。
>>119 細かい言葉遣いに関する知識の多少と読解の質は別だと思うけどね。
彼がどうのというのではなく一般論として。
それを知らない方が一般的な意味では「無知」なんじゃない?
細かい言葉? 加藤は根本的な概念を誤解してたんだが。
すがスレから出張してきてる奴がいますね。
誰のこと?
糸圭秀実だけでなく渡部直己にも指摘されてたね、加藤典洋の知的頽廃ぶりは。
あの二人は常にセットだから
媚びるにしろ悪罵するにしろ
>>125 あの二人は今でも盟友関係なの?
中上健次全集の時に険悪になったと聞いたが
>>117 『敗戦後論』の裏テーマとしては、いかに文学的発想だけで政治に届かせることが出来るか、
ってのがあったって思うんだけど、それが果たして成功しているのかが重要だな。
まず、美濃部達吉や大岡昇平の例だけど、あれは敗戦を個人がどう受け止めたかって意味で、
文学的だと言える。
しかし、その後の話題を読んだ、「300万人の自国民の死者を弔った後に、5000万人のアジアの死者を弔う」
ってのは、果たして文学的なのか?
その前に、「自国民の死者を、無意味なままに弔う」と言ってたが、
「無意味な死」って、いったい誰の評価なのか?そして根拠は何か?
実際には、『戦艦大和ノ最後』でも知られるように、個々人が自分の死をどう受け止めるかについて、
個別の必死の思索の営為があったわけで、
そういう営みを抽象化して、「無意味」と断じるのは、明らかに政治的意匠ではないのか?
宮崎哲哉みたいに、「すべての死は犬死に」っていうのなら、別に戦争で死のうが何で死のうが、
全部「無意味な死」だってことになるが、加藤はそういう使い方をしているのではなかろう。
美濃部や大岡のモチーフとくっつけたいのなら、
「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった死」というべきではないか?
(美濃部は帝国憲法改正に反対していたし、大岡は歴史的仮名遣いが理にかなっていることは認めていた。)
例えば高澤秀次が加藤の「300万の死者」という言葉を、「無意味な抽象化」と断じ、
「無意味のまま弔う」んではなく、「死者とのコミュニケーション」こそが大切」であり、
「これは抽象的な問題ではなく、極めて具体的な問題だ」と言ってたのは、まさにこのことだ。
「300万の死者」などという抽象化された問題ではなく、個々の死者がどう死に向き合ったのかを
問い直すべきだって指摘は実に重要だ。
これは、加藤の『敗戦後論』に対する、ありうべき一つの強力な反論になっていると思う。
それから、加藤はナショナリズムだって批判もあって、加藤はあれこれ最批判していたが、
宮崎哲哉が言うとおり、加藤の意見は、普通の保守系のナショナリズムよりもずっと危険な
ナショナリズムになるってのは、全く同意だな。
高澤秀次と宮崎哲哉の加藤批判が、今は亡き保守系の雑誌『発言者』に載ってたのは、その意味で興味深い。
『敗戦後論』は見ずに書いたので、思い違いがあったら失礼。
もし反論があれば、押入れから引っ張り出してくるよw
129 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 03:04:27
↑文学的発想でいかに政治にとどかせるか?だって!?
なんだい、そりゃあ?
それと、戦争体験に限らず、なんだって抽象と具体、普遍と特殊、一般と個別だとかの問題はいつもそうだよ。
誰だか知らないが、そこに何の新しさは無いし、そんなん言ってたら何事をも語れないよ。
>1
だれが舐めるか、んな不味いモン ( ゚д゚)、ペッ
131 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 05:48:15
↑じゃ、何なら旨いの?ものの味もろくすっぽ知らないくせに、くだらんチャチャ入れるな。このド阿保ゥ。
まあ加藤が美味いとか思ってる奴は味音痴ですね。
>>129 加藤の発想は文学的だって書込みがあったからそんなことはないって言っただけだよ。
それから、
>それと、戦争体験に限らず、なんだって抽象と具体、普遍と特殊、一般と個別だとかの問題はいつもそうだよ。
この意味がさっぱりわからない。
美濃部・大岡の体験を一般化しようとすれば、
「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった死」
になるのではないか、と言ってるんだけどね。
もういっこ。
>↑文学的発想でいかに政治にとどかせるか?だって!?
と書くが、これは加藤や竹田青嗣の大テーマじゃないのか?
『天皇の戦争責任』にだって橋爪大三郎を相手に力説していたじゃないか。(主に竹田だが)
では、「自国民の死者」が「無意味」であると判断する理由って何なんだい?
135 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 00:58:41
まず『敗戦後論』というタイトルがいい。
『戦後論』としないところが。
「自国民の死者」が「無意味」であるように思えるのは
おそらく、日本の歴史が『戦後論』的言説に囲まれていたからであり、
『敗戦後論』的言説を回避してきたところにあるといえるのではないか。
高澤の批判は的がずれているよ。
はん、どうで敗ければ無意味な犬死にさ。
137 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 19:35:40
138 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 20:17:51
>>135 >まず『敗戦後論』というタイトルがいい。
>『戦後論』としないところが。
『戦後論』ではなく『敗戦後論』にしたのは、加藤の言う「ねじれ」を解消するためには、
保守派を説得しなければならないからじゃないの?
保守派のいう戦争の「義」を、内実に踏み込むことなく否定しようと思えば、
「負けたから無意味になった」というロジックをとればいい、って考えたんじゃないの。
まさに、「戦後民主主義修正論者」(スガヒデミ)と呼ぶにふさわしい態度だな。
>「自国民の死者」が「無意味」であるように思えるのは
>おそらく、日本の歴史が『戦後論』的言説に囲まれていたからであり、
>『敗戦後論』的言説を回避してきたところにあるといえるのではないか。
意味不明。だが、何を言いたいかはおぼろげにわかる。
ただ、「敗戦」という屈折を戦後の進歩派は全く汲み取っていないことを加藤が指摘したのはよかったが、
結局加藤もまた、「屈折」を指摘しただけで屈折を抱きながら死んでいった個々の戦死者たちの「義」を、
「300万の死者」という抽象化された言葉で見まいとしている、というのが、
まあ俺流にアレンジしているかもしれないけど高澤の見解だったのじゃないかな。
>高澤の批判は的がずれているよ。
的がずれてるよ、と書くのはバカでも出来る。 どこが的外れなのか具体的に指摘しなよ。
141 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 13:56:47
age
142 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 00:15:24
どうやら加藤ヲタは撃沈したみたいでつね
143 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 18:20:13
高澤秀次にしろ中野敏男にしろ議論のレベルが低い。
まともな加藤批判が現れていないのが現状。
加藤を「くわせもののアジテーター」と呼ぶことも
戦後日本の特殊な「ねじれ」によってナショナリズムの再建を見ることも
自由主義史観派と同じだと同定することも
まったく読めていないというか読んでいないことの現われ。
144 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 18:28:08
>>140 >「ねじれ」を解消するためには
どこで加藤は「ねじれ」を解消しようとしてる?
>保守派を説得しなければならないからじゃないの?
どこで加藤は保守派を説得しようとしてる?
>「負けたから無意味になった」というロジックをとればいい
そのロジックは誰のものなんだ?
>戦死者たちの「義」を、「300万の死者」という抽象化された言葉で見まいとしている
というのは一体誰の誰についての見方なんだい?
まったくロジックが混乱していてお話にならないよ。
少しの的のずれなら具体的に指摘してあげてもいいけど
これほどずれっぱなしじゃね。
145 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 20:10:51
>>143-145 「議論のレベルが低い」だの「お話にならない」だの2ちゃんお決まりの言い逃れ乙
146 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 20:49:34
>145
自分に向かって何言ってんの?ww
加藤は『敗戦後論』で、9条というか憲法が改正されるようだったら
具体的に反対運動を起こすと言っていたはずだが、
何かやっているのですか? 9条連に入っているとか?
パトロンの鶴見俊輔は9条連で共産党と一緒にやっているみたいだが。
148 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 22:04:56
>>127 遅レススマソ
>その前に、「自国民の死者を、無意味なままに弔う」と言ってたが、
>「無意味な死」って、いったい誰の評価なのか?そして根拠は何か?
たしかにそうも読めるんだけど、加藤もそこまでバカじゃないと思うよ。もいちど読めば、「無意味」というのが、
ほとんど「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった」と同義で使われてるのが分かるとおもわれ。
>例えば高澤秀次が加藤の「300万の死者」という言葉を、「無意味な抽象化」と断じ、
>「無意味のまま弔う」んではなく、「死者とのコミュニケーション」こそが大切」であり、
>「これは抽象的な問題ではなく、極めて具体的な問題だ」と言ってたのは、まさにこのことだ。
>「300万の死者」などという抽象化された問題ではなく、個々の死者がどう死に向き合ったのかを
>問い直すべきだって指摘は実に重要だ。
…ここは、まあツッコミどころではあるんだけど、加藤も便宜上抽象化してるだけで、
こういう物言いの限界は自覚した上でこういう言葉を使っていると書いていた。たしか『敗戦後論』か、その次の著書で。
>それから、加藤はナショナリズムだって批判もあって、加藤はあれこれ最批判していたが、
>宮崎哲哉が言うとおり、加藤の意見は、普通の保守系のナショナリズムよりもずっと危険な
>ナショナリズムになるってのは、全く同意だな。
加藤のいう「可誤性」の概念を理解すれば、こういう批判は出てこないと思う。
最初からナショナリズムにふたをするんじゃなくて、なんでも選びうるという条件のもとで
「やはり先の戦争は間違っていた」という結論なら結論を出すことが重要だということ。
宮崎たちの批判は、あとだしじゃんけんみたいなもので、過去についてしか語れないよ。
さいしょからナショナリズム=悪、よってナショナリズムとなりうる思想はだめだ、というのこそ
まさに政治的で、結論ありきの思考なんじゃないかと思うよ。
>>140加藤は「ねじれ」を解消しようとはしていないんじゃないですか?
むしろ過去(及び現在と過去との狭間にある「ねじれ」)を受け止めない態度を批判し、
「ねじれ」があることから逃げるな、それを認識することから始めよ
と主張しているような。
150 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/12(日) 18:12:24
「ねじれ」を解消しようとしてるのは保守主義者だし。
>>148 今日は体調がよくないので適当にレス書くね。いいかげんでゴメン。
>たしかにそうも読めるんだけど、加藤もそこまでバカじゃないと思うよ。もいちど読めば、「無意味」というのが、
>ほとんど「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった」と
>同義で使われてるのが分かるとおもわれ。
この二つにはメチャクチャ大きな差があるとおもわれ。
しかも「無意味のまま弔う」と言ってるつーことは、その差を無自覚(いや、俺は絶対自覚的だと思うが)に
隠蔽しているものとおもわれ。
>…ここは、まあツッコミどころではあるんだけど、加藤も便宜上抽象化してるだけで、
先述のような詐術がある以上、「便宜上」ではないとおもわれ。
>加藤のいう「可誤性」の概念を理解すれば、こういう批判は出てこないと思う。
「可疑性」の話は美濃部・大岡の敗戦経験のレベルでの話で、(吉本の敗戦経験から加藤は
「可疑性」を引き出してきたとおもわれ)ナショナリズムはその後の段階の話だとおもわれ。
>宮崎たちの批判は、あとだしじゃんけんみたいなもので、過去についてしか語れないよ。
>さいしょからナショナリズム=悪、よってナショナリズムとなりうる思想はだめだ、というのこそ
>まさに政治的で、結論ありきの思考なんじゃないかと思うよ。
宮崎や高澤の批判と、高橋哲哉&カルスタ(カルチュラル・スターリニスト)の批判とは、
まったく違うものとおもわれ。
宮崎や高澤は、(最終的には批判するだろうが)ナショナリズムを別に批判はしないと思われ。
宮崎は、保守派の自生的なナショナリズム(もちろん、カルスタなら自生的なナショナリズムなんて
ありえないなどとつまらないことを言うとおもわれ)よりも、加藤の理念的なナショナリズムの方が、
よっぽど危険だと主張したいのだとおもわれ。
152 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/12(日) 23:16:14
>>149 確かに加藤はそんな言い訳をしているのを俺も見たが、
だったら、「300万の死者を無意味なものとして弔った後に・・・・」だの、
「平和憲法の選びなおし」なんてことをなぜ言う必要があるのだとおもわれ。
「300万の死者〜」については読んでないのでお答えできません。
「憲法の選び直し」に関しては、国民に「法の感覚」を取り戻させる、という効用がある(と加藤はしていたはず)。
加藤はただの保守主義ではなく、(日本が失敗してしまった)近代社会の樹立を(自由主義史観のあほどものように物語によってではなく)原理的に推し進めようとしていると僕は思います。
154 :
吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 18:46:05
>>151 うーん……
体調戻ったらまた書いて 待ってるよ
>>147 鶴見氏がかかわっているのは「9条連」(革マル系)ではなく
「9条の会」(共産党系)でしょう。
ところで、加藤さんは9条の会でつか?
156 :
吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 17:25:00
最初のレスから読んだけど、ずいぶん昔の話が出てきて懐かしかった。
江藤・竹田・加藤 対談も、もう二昔前なんだね。
『アメリカの影』所載の論文を、雑誌に書き始めたころの加藤に、江藤はある期待をもったことがあって、懇切な手紙を送ったことがあったんだ。
加藤は雑誌連載の次回から、江藤の所論の批判に転じようとしていたので、せっかっくのご好意に困惑したようなんだ。
それで、読み通してから再度の評価をお願いしたい旨、申し入れたことがあったんだ。
竹田・加藤に対する江藤の反発が粗雑だ、という意見があったけど、対談だから色んな機微が働いてしまったんだと思う。
157 :
吾輩は名無しである:2006/02/14(火) 22:12:58
まあ対談じゃねえ。
しかしながら対談こそ本音がでることも。
158 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:29:32
代表作は何になるんだろう?
159 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 15:23:42
『アメリカの影』『敗戦後論』『テキストから遠く離れて』かな、と思います。
ひとりの作家の生涯を見定めた、『作家論』というのがないんだな。
江藤淳にとっての夏目漱石のような対象を書いてもらいたい、と思うんだけど。
160 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 15:25:49
江藤淳は小物
作家論なんて糞。『テキストから遠く離れて』も駄本。
162 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 15:31:07
ダホ!
>>159 『言語表現法講義』は?
正直、加藤で名著と思えるのはあれだけ
164 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 00:09:34
>>164 全部は読んでない。読んだのは、
『アメリカの影』 江藤批判をしているが、江藤よりはるかに批評が図式的
『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』 中には面白いエッセイもあり
『村上春樹をめぐる冒険』 笠井潔の発言が面白かった。俺も春樹は好きだけど。
『世紀末のランニングパス』 加藤のとりとめのない文章を竹田がまとめてるって感じ
『日本という身体』 発想は面白いが、おもいつきに肉付けした感は否めず
『村上春樹 イエローページ』 これは独自の解釈でなかなか面白かった
『言語表現法講義』 これが加藤の文学的資質が一番よく出ている。
『敗戦後論』 相手が高橋哲哉みたいな基地外でよかったな、他だったらボロ負けだぞ。
『日本の無思想』 敗戦後論以降、発想自体がインチキくさくなった好例。
『戦後的思考』 吉本隆明論は秀逸、あとはどうでもいい。
『天皇の戦争責任』 「ウザい」の一言
『テキストから遠く離れて』 これって、竹田の『言語的思考へ』を文学論にパクっただけじゃん
あと、『加藤典洋の発言』シリーズは全部読んだ
と、いろいろ悪口を書いてきたし、俺も今では加藤がすっかり嫌いになってしまったが、
かつては結構好意的に読んでいたこともある。
嫌いになった今でも、加藤がたまに鋭いことをいうのは認めてもいい。
まあ、打率でいうと2割8分かなw
166 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 00:13:37
>>165 そんなに読んでるとはすごいですねえ!
わたしは加藤を読み始めようかという素人なんですが
『言語表現法講義』を今度読んでみようかと思いました。
「加藤の文学的資質」というものがどういうものか気になったので。
大したことない資質がよく出てる。凡庸さが如実に。
>>167 お前が大したものだと思っている文学者をあげてみれ
169 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 20:48:29
アメリカに日本が占領され、検閲等され内政干渉された事自体より、あの占領により社会の近代化、ないし根無し化が加速した事が重要だ。また、ここまで戦争体験が風化した今、戦争体験や敗戦の意味を掘って行く事の意義の有無自体疑わしく思える。
スガ秀実なんかよりは打率高いと思う。
171 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 21:36:52
スガよりはマシ。
冗談じゃない、スガ秀美の方がはるかに打率が高い。
確かに発想では加藤の方が面白いとは思うが、
その後の論理展開、問題点の摘出では、スガの方が鋭い。
スガは、文芸批評家というよりも、観念史家(「思想史家」と呼ぶには扱う対象が広いから)
としてみるべきだ。
江藤淳を、カルスタの先駆者と書いた文章は、思わず笑ってしまった。
というか、加藤の論理展開があまりにムチャクチャだから。
別にスガが特に好きだというわけではないので、念のため。
>>172 おい、観念史って思想史のことだよ、欧米では。
History of Ideasって聞いたことないのかな。
175 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 22:52:46
でも加藤は自分の本でけっこう受賞してるぜ。スガさん、何か賞もらったことある?
176 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 22:54:51
いや、ただ、漏れも加藤の愛読者でもなんでもないんだけどW
へえ、賞で箔が付くなんて思ってるんだ……。
178 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 22:56:24
箔はつくでしょ。実体はともかくね。
で、箔が付いたら「打率が高い」ってわけかい。くだらね。
180 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 22:58:20
>>172の採点ではスガ>加藤だって?
まあ個人的な評価はなんだってできるが
ちゃんちゃらおかしい。
しかも「観念史家」っていう括りには笑ってしまう。
スガは、論理もゆるゆるなら、問題提議の視点も鈍すぎる。
福田や竹田とどっこいどっこい。
181 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 22:58:52
いや、打率までは断定できない。単に箔がつくって言ってるだけさ。
182 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:00:20
ていうか、賞をもらう。てのは誰かが高い評価をした。て事じゃん。そーゆー意味はあるでしょ。
183 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:01:39
そうかなあ、スガの本で残りそうなのってある?
こいつの場合、高橋との論争とか春樹論でけっこう残ると思う。
スガってちゃねらー的つっこみ芸の印象しかない。
68年革命とか、ヨタも良いとこでせう。
184 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:04:40
スガVSゲンイチロウは
アルツハイマー呼ばわりしただけじゃないの?
花田VS吉本論争に比べるとバカすぎる・・・
185 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:04:52
いや、福田、竹田、加藤とスガを比べるのは前の3人に失礼だって。いくら何でも。スガ見てるとモノ書きで食うことの大変さは分かる。あとは何もない。
186 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:08:45
三人並べるなら
加藤、磯田、松山。
187 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:09:03
>>185 まったくもって同意。
福田加藤竹田らはまだ構築的な評論を書く意志がある。
スガは単なる揚げ足取りで、一冊の本として読むと
索漠とした読後感しかもてない。
188 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:13:40
ちとスガにきつ過ぎたかもしれんな。スガ、許せW
お前の顔は嫌いじゃないぞ。角田光代もお前に好感持ってるじゃないか。だけどな、書籍版『LEFT ALONE』、あの最後の対談はひど過ぎる。負けた事をもっともらしく正当化するんじゃない。
189 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:17:27
批評家としては認めないが
人間としてはスガはおもしろいし存在だしなあ。
糸圭の『小説的強度』や『日本近代文学の〈誕生〉』なんかは、
勉強の足らない典洋君たち実感的私評論派には書けないけどね。
191 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 23:40:35
スガ、読んだか↑?よかったなあ。
193 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:04:07
>>190 スガ、自分で書き込むのはよせっていっただろ。
一応第一線で活躍してることになってるんだからさ。
『小説的強度』はずぶずぶで読めたもんじゃないよ。
フランス思想をかじる手前に舐めただけの代物って感じ。
すると加藤典洋の場合、かじる前に舐めることすらできないわけか。歯無し舌無し?
195 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:06:06
スガもシニフィアンとシニフィエの使い方とか
めちゃくちゃだよ。
言語学となんの関係もない。
スガのあれは言語学でなくってラカン風ですから。残念。
ジジェクとかにかぶれてスガもつまらなくなったよな。
197 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:11:57
スガに読まれるジジェクはかわいそうだ。
>>192>>194 おい、スガ、あんまりアホなリンクはるなよな。
アホといっても、換喩が何だか理解できぬ癖にテクスト論を云々する加藤君ほどではない。
199 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:17:19
>>192 まあ加藤のことを云々する前に
もうちょっと日本語と英語を勉強しておいで。
普通「メトノミー(換喩)」なんていわないんだよ(笑
201 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:21:26
>>196 シニフィエから遊離したシニフィアンがどうとか、
ああいうラカン風の無意味文を書き散らした罪は大きい。
半端なポモはいま読むときついっすよ。
いまでも北田がそんな馬鹿文書いてるけどね。
202 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:21:35
スガ信者はおもろいな(笑
203 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:30:15
>>200 リンクが好きなことで(笑
で、それで何を示したいのかい?
知ったかぶって無知をさらすのはどっちかな?
メトノミー 換喩 で検索した結果 1〜10件目 / 約12件
メトニミー 換喩 で検索した結果 1〜10件目 / 約237件
英語表記metonymyを考えればすむ話なんだが。
204 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:31:49
はっきり言わせてもらうが先のミスがあった所で総合すると加藤の方がスガよりはマシだと言いたい。血統は加藤(全共闘で完膚なき負けを認識→左翼と縁切り文芸批評家)。スガ(徹底性を欠く左翼の典型。勝ちもなければ負けもなし)。加藤の方が断然カッコイイすよ。
>>203 ローマ字変換ではiとoは隣のキイですよ? 単純な誤打。
206 :
203:2006/02/23(木) 00:37:34
>>205 誤打なら仕方ないね。それは誰にでもある。
まあスガの存在はきらいってわけでもないし。
加藤が『敗戦後論』で高橋を叩き潰せたのなら加藤の方が掛け値なしに高橋より上だって認めるが、
そもそも論争には向かないキモい文体でいじけてみせたのでダメ。
まあ、俺も加藤と高橋どっちにつくかと言われれば、加藤につくがね。
(しかし、加藤が高橋に「勝った」などとは全く思っていない。)
高橋を叩き潰せなかった以上、まだスガの方が高橋を批判できる視点は持っている。
ただスガはあのスタイルで文章書くのなら、価値判断は控えた方がいいと思うがね。
加藤が『敗戦後論』で高橋を叩き潰せたのなら加藤の方が掛け値なしにスガより上だって認めるが、
そもそも論争には向かないキモい文体でいじけてみせたのでダメ。
まあ、俺も加藤と高橋どっちにつくかと言われれば、加藤につくがね。
(しかし、加藤が高橋に「勝った」などとは全く思っていない。)
高橋を叩き潰せなかった以上、まだスガの方が高橋を批判できる視点は持っている。
ただスガはあのスタイルで文章書くのなら、価値判断は控えた方がいいと思うがね。
209 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:44:48
でも換喩の意味を誤解しながら、恥も無くトンチンカンな論を吐くのは
誰にでもあるこっちゃないな。
>>204 スガは徹底性を欠く左翼なんではなくて、徹底した左翼、あるいは左翼であることを徹底しているんじゃないの?
戦後民主主義批判なんて、むしろ全共闘がやりだしたみたいなもんだろ。
さらに左翼が「やっちゃいけないこと」なんてのも、例えば連赤事件や狼事件についても、
「左翼として」の総括をしてるしね。
スガから見れば、加藤の方が、「徹底性を欠く左翼」なんじゃないの?(『思想の科学』出身だしね)
「戦後民主主義修正論者」ってレッテル貼りのうまさもワロタ
211 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 02:36:54
そうかね。少なくとも花咲との対談を読む限り、スガが一つの運動を最後まで遣り遂げる、てことは無いな、て俺には見えたがね。旗色が悪くなると見捨て、また別の運動に“お引っ越し”する。彼はそうやって自分の革命性とやらを守ってきたのじゃないのか?それが徹底性か。
212 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 02:49:10
>>209 あれはスガのいちゃもんだろ。
ライオン歯磨きは、換喩の例としてはよい例ではないのは確かだが、
絶対間違ってると言うほどのものでもない。
あれで加藤を叩いているやつこそ、換喩の意味をわかってないわけで。
213 :
212:2006/02/23(木) 02:54:03
215 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 11:41:38
「意味内容を〔SA〕(シニフィアン)と記しているところ」からして、
もう絶対に間違ってるんだけどね。
>>212
216 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 12:56:58
学生の頃から加藤もスガも名前を知ってるけど、ずっとスガは加藤にイジケて突っ張ってるんだ。
加藤にすれば、みょうなストーカーみたいな奴だなと思っているだろうね。
>>212[
>ライオン歯磨きは、換喩の例としてはよい例ではないのは確かだが、
>絶対間違ってると言うほどのものでもない。
というのは、どういうことでつか?説明してください。
218 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 16:51:56
>>217 ライオンが社名だとして、それで歯磨き粉という特定商品を表現したなら、肝油。
隠喩/換喩論争(と言っても糸圭がひとりで騒いだだけだが)なんて、単に
ソシュール言語学/「言語美」とか外部派/共同体派論争の焼き直しじゃん
「海外に届かない批評はゴミ(柄谷)」「暫定的に国家内部に主体を築く批評が肝要(加藤)」
の対立の図式の延長と言ってもいい。
220 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 18:28:34
>>218 でもそうすると、カトちゃんがライオンは百獣の王と言ったのがおかしいんだな。
それと、意味内容〔SA〕はもちろんおかしい。
しかしスガっちは、この二つをスルーしてわけのわからんところを「批判」している。
>(ライオンは)「ライオン歯磨き」という固有名詞の一部として>用いられている言葉
というのは、そういうふうにも用いられうるというだけであって、
カトちゃんが肝油の例として、歯磨き粉をライオンと呼ぶ場合と言ってるんだから、
その文脈で理解すべきに決まってる。
明らかに話をずらしてるのは、スガっち。
さらに「ライオン歯磨き」と「加藤」を比較しているところもわけ若布。
ライオン歯磨きとは、ライオン社の歯磨き商品という意味で、
「加藤」のようには一体化していない。
ライオン社の社史にライオンが登場するわけもない。
>隠喩的言語使用においても換喩的言語使用においても、
>その言葉が意味するものに「繋がりはない」などということは、ありえない。
ここも揚げ足取りでしかなくて、カトちゃんは肝油の例としてあげてるんだから、
つながりがあるのは当たりまえで、その上で「意味内容」と言ってるんだから、
それはそういう文脈で読むべき。
>加藤の例は「〈ライオン〉〔歯磨き〕」となるはずだが、加藤も言うように、
>〈ライオン〉と〔歯磨き〕のあいだには「意味内容の繋がりはない」かに見える
>(〈ジュネーヴ〉と〔新教〕とのあいだに部分的=隣接的な「繋がり」があるのは、
>多少の知識があればわかるだろう)。
ここらへんもめちゃくちゃで、カルヴァンがジュネーヴで説教したから、
本来無関係だった両者が隣接するようになったのであり、それとまったく同じように、
ライオンと歯磨きも、ライオン社が歯磨き粉を作ったから隣接するようになったのだ。
批判どころかカトちゃんを応援する引用になっている。
「ライオン」と「歯磨」きとの間に「意味内容の繋がりはない」(加藤)
というのなら、
隠喩であろうが肝油であろうが、
そこに比喩関係が生じるわけがない、ということに尽きるでしょう
(加藤の論旨はもっと混乱してるが簡潔にようやく)。
もちろん、意味内容の繋がりがあるかも知れないので、
その場合なら生じるかもしれません。
222 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 20:43:14
>>221 カトちゃんが比喩に意味内容のつながりがないと言ったのは、
おそらく、歯磨き粉を作ってる会社がライオンだという社会的事実による
つながりはあるけれども、
ライオンと歯磨きという言葉がそこから遊離している、
ということを強調したかったのだろうと善意に解釈できる。
比喩につながりがあるのは当たりまえだからね。
一方で、あのウェブの、ジュネーヴと新教はつながりがあるが
ライオンと歯磨きはないというスガっちは何重にも痛すぎ。
あんな文章晒しとくのは文筆家として致命傷だと思うがね。
カトちゃんのボケに引っかかって、それを上回る大ボケかましてしまったのが
おそらく真相だろうが。
223 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 20:56:58
「ライオン」が普通名詞なら「歯磨き」との間に意味上の繋がりはない。固有名詞「ライオン歯磨きの一部なら繋がりはあり、スガの言う通りだろう。加藤は「ライオン」(普通名詞として)と註を入れればスガに挙げ足を取られずに済んだだろう。
>>223 どうもみなさんの行ってることがわからないんだけれども。
教えてほしいんだけども。
ライオン歯磨きは、ライオン社製の歯磨き粉としか思えないんだけども。
だからライオンを普通名詞だと行ってるカトちゃんはおかしい。
が、一方、「ライオン歯磨き」で一まとめに固有名詞というスガっちはもっとおかしい。
そんなの商品名としてありえない。
そこで、カトちゃんの文脈を読んでいくと、
「ライオン」で「ライオン歯磨き」を肝油するとあって、
これが紛らわしいんだけど、「ライオン」で歯磨き粉を肝油する、と読むほかないと思う。
225 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 21:48:57
しかし加藤は「ライオン」に《百獣の王》と附加してるのだから、「ライオン」をこのときは普通名詞として挙げている事は自ずと読み取れそうなもんだけどな。
226 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 21:56:54
>>225 うん、読み取れるよ。加藤は混乱している。
それに対する反論は、「ライオン」が普通名詞なら比喩として成立しない、でなければならない。
だがスガはそうは言ってない。それどころか、
「ライオン」という言葉も、別に、〔百獣の王〕を意味するだけではあるまい・・・しかし、それも問うまい。
と言っている。
換喩と略称とをごっちゃにしてる加藤の愚かさについて。
>>224 「ライオン歯磨き」が商品名としてありえない、だって?
タイガー魔法瓶やキリンビールの立場はどうしてくれるのよ、阿呆。
229 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 01:27:23
ゴミみたいな賞貰って嬉しい顔してんだなカトーファンって。
クダラネ
230 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 01:38:15
大衆教育批判序説
231 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 01:48:39
《「ライオン歯磨き」の「ライオン」は固有名詞の一部》てのはその通りだが、加藤が問題にしたのは「ライオン(動物)」が「歯磨き」を喚起する、ていう喚起力な訳だ。喚喩とも書くでしょ。「朝日」が「ビール」を喚起するてのも同じ。加藤の発想はそんなとこだろ。
232 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 01:50:30
で、スガの加藤への下手な優越感は却下。残念、スガ君。
231も、何も加藤の馬鹿さ加減まで真似しなくてもいいものを。
あんま馬鹿の本ばっか読んでると、馬鹿がうつるよ。
235 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:12:03
確かに辞書には「換喩」と書いてある。だが文法書を幾つか開けば何冊かには「喚喩」と書いてある。あと、換喩の例文を見ても喚起力を差している事は明らかに解る。「鳥居で神社を表す」とかね。
>>235 例を出してごらん。およそ「喚喩」と書いてあるのは単なる誤植だから。
喚起力からきたなんてのは自分勝手なこじつけ。
238 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:26:50
誤植ではなく書き手の解釈と取るべきだな。
印刷所の誤植ではなく書き手によるものだったら、
そりゃ単なる誤記だろが。恥かしい。
240 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:33:27
だからさあ、置き換えを可能にするのが喚起力な訳さ。まだ解らんのか。
>>238 ジョークは外来語Jokeと知らず冗句(=冗談の文句)だと誤解してる馬鹿並み。
>>240 可能にするのは「関係」だよ、お馬鹿さん。
置換される事物(意味内容)と置換する事物(表現)との、関係。
243 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:42:42
馬鹿だね。ならば関係はどっから来るのだ。無から関係は来ないやね。関係を意識に生じさせるのが喚起力だあね。ホント頭わるいなタコ。
つーか、煽りにこれだけ愚直に反応する加藤のファンって本当に馬鹿ばっかりなんだろうなw
すると、「隠喩」を「隠諭」とでも書いたら、それも解釈なんだ?
>>238 口偏でなく言偏の「諭」を当ててどんな勝手な意味を込めようと、
それってただの誤字ですから。まあカトちゃんならやりかねないか。
>>243 素直になれや。自分(と加藤)が間違ったのはわかってるのに、意地張ってるんだろ?
247 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:49:44
負け惜しみばかりだな。可愛い奴らだわW
本にばかり頼らずに少しは自分でもよく考えろよ。受験生W
負け惜しみって
>>243のこと? 関係のないとこにも、無から喚起力が生じるんだとさ。
249 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:53:28
いや、解ろうとしないお前みたいな奴を言うんだよ。
無知な誤字に勝手な意味を当てて、それを解れって方が無理だね。
普通と異なる意味に「換喩」を使ってる加藤のバカと、同じ穴の狢。
251 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 02:56:29
×普通と異なる意味
○間違った意味
252 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 13:52:31
>>228 文脈を読まないなら何だって言える。
「ライオン」で「歯磨き」を喚喩するという文脈で、
タイガー魔法瓶やキリンビールの立場をいうのは、単に議論をかきまわしたいだけの香具師。
アラシと言っていいだろう。
そういう意味で、スガはアラシだね。
加藤は喚喩の例として「ライオン歯磨き」を持ち出しているのだから、
それを固有名詞と考えるほうがどうかしてる。
>>224=
>>252 ありえないって、現に「ライオン歯磨き」って商品名があったのですから。
>加藤は喚喩の例として「ライオン歯磨き」を持ち出しているのだから、
「喚喩」は誤字ですから。
換喩の例としてなら「ライオン歯磨き」は不適当ですから。
君の主張は全て却下です。
254 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 23:53:45
ここでスガを持ち上げてsageで書き込んでる約1名は
大江スレに張り付いているやつに非常に似てるな。
「小説的強度」と「テキストから遠く離れて」を合わせて読めば、
菅と加藤ではテキストに対する姿勢がまったく違うということが分かるよ。
ヤコブソンなんかを援用する菅にしてみたら、加藤の論は許しがたいかもしれんが、
加藤は絶対に菅的批評軸は採用しない。
依拠する言語観がまったく違うから、そもそも対立にすらならない。
2ちゃんでこの議論をするのは時間の無駄。
絶対に結論は出ないよ。
256 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 00:20:24
「テクストから遠く離れて」はスガたちじゃなくて
やっぱりハスミを意識してる作品だし。
257 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 01:23:25
>>253 「現にあった」バカ発見。
現にあろうとなかろうと、そんなことは関係ない。
問題は、「喚喩として、ライオン歯磨きをライオンと呼ぶ」
というテキストをどう解釈するかでしかないんだよ。
>>257 話をそらすな。
現に存在する以上、「ありえない」と言った
>>224は誤りってことを認めなさい。
ついでに「喚喩」も誤り。「換喩」が正しい。
話は変わるけど
>>151のひとはまだ体調悪いのかな?
ひそかに書き込み待ってるんですが
261 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 18:56:32
今日改めて確かめたら「換喩」だねW論争相手にはこの場を借りてお詫び申し上げます。だが同時に俺が「喚喩」と間違えた理由も解った。喩というものが絶えず想像力に訴えるものだという事に俺はこだわっていたのだ。しかし間違えていた事は確かだね。W
>>260 体調はいいよ。めんどくさいんで書かなかっただけ。
>>151でいいから批判があったら書いてよ。
スガとの「換喩」論争は別に全然大した問題じゃないよ。
間違いだったら訂正すればいい。訂正ですまなければ書き直せばいい。それだけのこと。
それより、高橋哲哉との「歴史主体論争」についておまいらの意見を聞きたい。
俺は高橋は大嫌いだが、だからといって加藤が「勝った」とも思えんのだが。
264 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 01:06:45
「換喩」云々は論争といえる代物じゃなく
勝手にスガが吼えてるだけのもので
まあこのスレッドの流れと似たり寄ったり。
265 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 01:08:56
それより加藤についてちょっと気に入らないのは
春樹をやたらテーマにしてるところ。
阿部和はいいとしても、もっと他の作家をやってもらいたい。
>間違いだったら訂正すればいい。訂正ですまなければ書き直せばいい。
間違っても訂正もせず、訂正で済まないのに書き直しもしない。だから駄目なんだよ。
267 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 15:42:36
大江についても書いてたが
あれをもっとふくらませてほしいもんだ
>>262 では151に反論。俺には自明なことがあなたにはわかっていないようなので、論点を絞ってわかりやすく
なぜ「無意味」と「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった」が同義となりうるか。
戦後民主主義の日本で「生きる」日本人にとっては、自国民の死者は「無意味」に死んだというのが妥当。
「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった」という物言いは、戦争の当事者からしか出てくる言葉。しかし、敗戦によってそのような場所は根こそぎなくなった。
もしその自国の死者の死=有意味という立場を貫きたいのなら、徹底抗戦してゲリラ戦でもやればいいでしょ。そうしなかった以上、戦争の死者との関係はいったんきれている。
その「きれている」という感覚があるために加藤は「無意味なまま弔う」という言い方をしてるんだろ。
>>165 『ゆるやかな速度』を読んでいない時点でアウツ。
あと、本をたくさん読んでるのを自慢するのはださいよ
270 :
吾輩は名無しである:2006/02/27(月) 16:39:28
スガなんて、ひいきの人以外から見ればゴロツキだよ。
よく大学にもぐりこめたよな。
蓮見と柄谷にはやたら頭が低くて、まるで主人と奉公人。
左翼的なカッコウをしていても、人間性はゴマすり上手で卑屈。
そういや加藤はいま早稲田にいるんだな。
スガがはしゃいでいる早稲田ビラまき逮捕の件について加藤は何か言ってないのかね
>>269 ぜんぜんたくさんじゃないだろう。半分も読んでないんだから。
『ゆるやかな速度』は、今度読んでみるよ。
>>268 反論はあるが、いまから仕事なので、いずれ近いうちに書くよ。
>>271 言っていないようだが、言うべきだろうね。同僚の竹田青痔も。
選びなおした戦後憲法の精神からいっても。
せっかくコネで大学教員の道に入れたんだから。
274 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 13:51:43
そんなものほっておきゃいいんだよ。
大学なんて、身過ぎ世過ぎでいるだけなんだから。
大学の中で闘っているやつなんて、
ちょっとリアルなシュミレーションのある、サークル活動をしてるだけなんだから。
加藤や竹田に、良心的知識人みたいなこと押し付けんなよ。
だって彼らが、良心的知識人みたいなことを引き受けたがるふりを見せるからねえ。
ふりだけど。
>>274 それは誰に対しても自明に言えることですが、
では大学教員は(彼らも含め)何か役に立つことがあるんですか。
多少は役に立つことをやってもらわねば。
学生から高い授業料を取って高給をはんでいるんだからね。
277 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 00:23:45
授業料が高いと思うんなら、行かなきゃいいのに。
需要と供給。
自由意志の契約だよ。
役に立たないと思うんなら、授業をうけなきゃいい。
被害者ぶった言い方はおかしい。
↑
似非新自由主義者でつか?
学生は別に個々の教師と(個別の大学とも)契約しているわけではありません。
279 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 01:57:19
加藤と一番仲がいいのは竹田?
280 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 02:13:01
そりゃ無茶苦茶だよな
どう考えても277が正しい
281 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 00:36:06
スガより渡部のほうが聡明ではあるな。
加藤と高橋じゃ加藤のほうが説得力があるのと似てる。
282 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 12:44:23
加藤は大江と江藤を総合しようとしてたんだろうから
大江藤と改名すべき。
283 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 13:00:28
大江藤淳三郎という名前になるんですか
ジャントニオ猪場みたいだ
285 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 10:30:45
スガより渡部のほうが靴下がくさくなさそうではあるな。
加藤と高橋じゃ加藤のほうが借金返済能力があるのと似てる。
>>268 では268に反論。俺には自明なことがあなたにはわかっていないようなので、論点を絞ってわかりやすく
なぜ「無意味」と「本当は意味があったのかもしれないが、戦争に負けたため無意味になった」が同義となりうるか。
共産主義の北朝鮮で「生きる」朝鮮人にとっては、白色テロルの死者は「無意味」に死んだというのが妥当。
「本当は意味があったのかもしれないが、内戦に負けたため無意味になった」という物言いは、内戦の当事者からしか出てくる言葉。しかし、敗戦によってそのような場所は根こそぎなくなった。
もしその死者の死=有意味という立場を貫きたいのなら、徹底抗戦してゲリラ戦でもやればいいでしょ。そうしなかった以上、白色テロルの死者との関係はいったんきれている。
その「きれている」という感覚があるために加藤は「無意味なまま弔う」という言い方をしてるんだろ。
と言い換えたとしたら、どうする?
>>287 これが
>>262と同人物のレスとは思えないが…だとしたら化けの皮がはがれたな
最初はまともだったのに
何が言いたいのかすらわからない お前のルサンチマンしか伝わってこないな
自分の言葉で語れ こんな程度の低いこと言わせるなよ
これ以降さらにレベルが下がるようならお前の相手はできん
お前は「敗戦後論」を読めてなかった それを認めろ 認めたくないなら自分の言葉で批判しろ
289 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 12:37:03
なにやらタイマンでもりあがってますね。
すさんだふんいきになりそう。
真っ昼間なのに、こわーい。
加藤典洋をなめたらこわい、ということの実演なのか?
>>268 だけ読んで言うのはあれだけど、ここに書かれた論旨、おかしいよね。
一般常識的に。加藤がおかしいのか268がおかしいのか
知らないが、誰でも
>>287みたいな返しをしたくなるよ。
>>291 その日本の「一般常識」とやらが糞だから敗戦後論が書かれた
268の前をさかのぼってROMってから、どう論旨がおかしいかちゃんと書け
なぜ「終戦」じゃなくて「敗戦」なのかもお前分かってないだろ?
287みたいな返しのダメさ加減もわからねえど低脳はひっこんでろ
>>291 いや、288の加藤理解はかなり行き届いていると思うよ。
つまり、加藤がその程度だってこと。
加藤としては、おそらく先の大戦での大義のの内実を触れずに否定し、
戦後を肯定するロジックを探そうとして、
それで行き着いたのが、「負けたから義がない」ってことだったんだろう。
『戦後的思想』にその点は詳しいが、「負けたらすぐに大義を捨てて、民主主義について
しまったんだから、やっぱり大義はなかったとしかいいようがない」みたいな話になってる。
しかし、そうやってある戦争を一義的に義がある・ないと決めてしまうところこそが、
「従来のナショナリズムよりも危険なナショナリズム」って言われてしまうんだよ。
で、
>>288よ、いったいどこから俺のルサンチマンを嗅ぎ出したのかさっぱりわからないがw、
日本と北朝鮮の例とでどこが違うのか、はっきり説明してみな。
「お前の相手はできん」とは、うまいこというなあ。まあ、できんのならそれでもいいがw
一応言っておくが、俺は加藤の批評家としての発想については鋭い時もあると認めている。
打率で言うと2割8分だがなw
296 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 08:32:58
かくして、加藤の実態なんかどうでもよくなって行く
分かった
戦争ってこうやって起きるんだ
早くつまらん戦争なんかやめて、敗戦後論または戦後後論に移ったら
297 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 13:15:12
加藤の思考が、例えば、今後だとか、これからの問題だとかについて、具体的に有効な点が何も見出だせない。
俺の読解力と甘受性と認識の足りなさが問題なのじゃないとは思うけど。
本質的に問題はないかもしれないが、推敲する姿勢を見せることも大事だ。
>>295よ
どこをどう読んだら敗戦後論で「戦後を肯定するロジックを探そうとして」いると思うんだ?
敗戦後論のモチーフは戦前・戦中と戦後のねじれをみつめてそこから思想を構築することだろ
プッ お前散々能書きたれたわりには高橋レベルの読みしかできてないじゃないかwww
お前はっきり言って頭悪い しかもいい年のオサーンかwww 救いがないな
何度でも言う
お 前 は 頭 が 悪 い
300getとともに、もう糞ハゲ低脳の相手はしないことを宣言します
>>299 頭良くても「プ」やwを多用したり
字間あけたりしてると頭悪そうに見えるからやめたほうがいい。
>>299 あ〜あ、とうとう破綻しちゃたよw
俺は高橋よりも加藤の方がはるかにマシだとは思っていたが、
読者レベルになると加藤ファンも似たり寄ったりだな。
いや、直感批評の加藤のファンの方が頭が悪い分、もっとタチが悪いかもしれない。
加藤が「戦後を肯定するロジックを探そうとして」いないというのか?
『アメリカの影』以来、明らかじゃないか。
(ちなみに加藤が擁護するのは「戦後」であって、「戦後思想」ではない)
なあ、じゃあなぜ『戦後的思考』が書かれなければならんのだ。
ねじれを見つめることそれ自体が、戦後を受け取りなおすために必要な作業じゃなかったのか?
可哀想だな、お前w でもまだ向かってくる勇気があれば相手してやってもいいぞww
303 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 15:01:03
焼き鳥一杯呑み屋で口論の隣に行き合わせてしまったようで
いきりたっている酔っ払いと目を合わせないように、まっすぐ前を見て
いつ終わってくれるんだろう、と思いながら
やっぱりもう少し各のある店にすれば好かった、と後悔しきり
ビールも焼き鳥も何の味もしなくなってしまっていた
304 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 00:48:59
なんかよくわからない論戦になってるな。
まあ日本の批評は加藤がマシにみえるほどレベルが低いってことでOKか。
早く世界に通用する批評家に現れてほしいものだ。
305 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 01:46:54
結論は両方とも馬鹿ってことで。
306 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 07:10:09
両方とも馬鹿という結論も粗雑すぎて
馬鹿の言うこととしか思えない
世界に通用する批評家というのも基準として曖昧
誰も高みから能書きはいえないんだということ
今日はいい天気だから公園にでも行こう
帰ってから加藤の本を一冊よんでみようかな
落花生とビール、あぐらの中にワンコ
のウンコ。
308 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 03:49:54
ちょっとだけレスして何事かを語ったつもりになるのは止そうよ。
流れに沿えば、加藤が戦後を肯定しようとしてるのかどうか?が、まず問題だろ。
俺は肯定しようなんてしてないと思う。あれは肯定否定の前の現状認識ってやつだろ普通。
いったい、戦後の何を肯定しようとしてるってんだい、具体的に。
309 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 15:31:29
なめるな危険。
310 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 19:49:09
話は変わるけど
312 :
吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 19:44:04
ふるぷ
313 :
いつか:2006/08/11(金) 08:19:59
『優しいサヨクのための嬉遊曲』(福武文庫)
解説で、
「歪みの無い視点で見れば」って
書いてた。
そんなものはない。
古本で対談集『戦後を超える思考』を読みました
これ面白いですね、時間がたつと味が出てくるタイプの人かも
西谷修 中沢新一との対談なんて神レベルだと思います
315 :
吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 16:12:40
加藤さんの「敗戦後論」「小説の未来」非常にいいと思います。
小説についていえば、現代小説とりわけ90年代以降について
見直した、みたいな事が書いてありますが別にオウム事件のあと
何か大きく変わったとはあまり思わないし変わるべきとも思えませんが
テクスト論ではなく小説と一応正面からいや少し斜めくらいから向き合っている
ところは一定の評価はできる。
しかし個人的にいえば、両村上の終了には賛成ながら、川上や町田や保坂あたりの
小説はつまんないよね。
>>1 頼まれたってナメるか! キタねぇ… おえっ
317 :
314:2006/08/18(金) 01:09:58
少し前に『ぼくが批評家になったわけ』を読んで久しぶりに加藤節にハマりました
お盆休みに『敗戦後論』の流れで『戦後を超える思考』を読み
いまは『テクストから遠く離れて』『小説の未来』に取りかかりました
『アメリカの影』で加藤さんが飄然と論壇デビューしたとき以来の気まぐれな読者です
318 :
吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 12:27:40
『日本という身体」だったか『敗戦後論」だったか、いまの靖国の問題に直結
してますよね。テレビの討論とか紋切り型でばかばかしく思えてくる。
あと阿部和重のニッポニアニッポンにどうしてこだわるのか誰か教えてください。
319 :
吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 00:08:08
物腰が柔らかいあほな人って印象しかないな
チミの人となりは聞いてない
321 :
吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 03:46:12
だって小説の未来がつっこみどころ満載なんだもん
じゃチラシのうらにでも感想書いてなさい
『小説の未来』は時評集として普通にまとまってるじゃん。
『テクストから遠く離れて』のほうが、テクスト論を理論的に批判しようとして
深みに嵌った挙句、収拾がつかなくなっている点において
突込みどころが多いのと違うか。
文化人面したノーベル賞作家の本性を暴き
作品の奥深くまで侵攻した批評家は
世界でも加藤さんぐらいでしょう
325 :
吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 17:05:26
日本の批評のなかにあってはずいぶんまともだと思う。
小説に対しても、つまらなくてもまず肯定的に読んでみようという
姿勢があるし、加藤さんと清水さんくらいではないか
326 :
吾輩は名無しである:2006/09/20(水) 02:22:17
>>323 そーなんだけどさ、「テクストから遠く離れて」がアレな上に、
「小説の未来」って別に実践編になってなくね?
「テクスト・・」との齟齬を発見する度なんでやねん、と
んでもって肯定的な姿勢を貫く批評家ってのは珍しいと思うので
「物腰が柔らかいあほな人」と書いたのだ
チミの人となりは聞いてない
328 :
吾輩は名無しである:2006/09/25(月) 00:17:00
>>326 たとえばどんなところに齟齬を発見するの?
329 :
名無しである:2006/09/25(月) 00:40:59
加藤典洋が昔書いた小説って
今も手に入るんですか?
330 :
吾輩は名無しである:2006/09/25(月) 15:45:34
あったとしてもあまり読む気になれませんな。
群像の選考つづけてくれればそれでよろし
蛸の自殺とか陥没地帯とか
恥ずかしい批評家の小説を集めて
アンソロジーを編んだら面白いかも
何で加納典明って、一瞬思ったよ。ごめん。
そんな人もいましたね
あの人は今
334 :
名無しである:2006/09/26(火) 09:16:57
「手帖」「男友達」「水蝋樹」「青空」
という小説作品があるみたいです
読んでみたいな〜
335 :
吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 01:35:00
敗戦後論よんで感動しました。
けど、難しかったです!
336 :
吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 12:31:12
「手帖」「男友達」「水蝋樹」「青空」
若いころ、読みました。仏文科の学生さんらしい文章でした。
それなりに完成度のある文章でしたよ。
批評に行ったときに、そういう殻を壊したんだな、と思いました。
337 :
名無しである:2006/10/02(月) 14:44:55
うわ、うらやましい!
もう入手は難しいみたいですね
338 :
吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 17:09:10
「手帖」
これは東大教養学部の銀杏並木賞というのを受賞した小説で、書き出しは
『水の中に水が沈む。
波がためらいながら遠のいてゆく。』
わたしは『駒場文学』か、なにかに載ったものを読みました。
加藤さんの本の中では、写真評を集めたものが、小説の文章に似ていると思います。
339 :
名無しである:2006/10/02(月) 20:22:06
おお、そういう書き出しなんですね
さらに読みたくなりました
340 :
吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 13:00:44
「手帖」
ぼくは眠らないジョルジア
ぼくは夜に矢を射るジョルジア
ぼくは待つジョルジア
ぼくは考えるジョルジア
夜がぼくの隣人だジョルジア
『ジョルジア』(フィリップ・スーポー)より
*
こうして夜、ダダイズムに傷ついたフィリップ・スーポーの詩句
がびくを誘惑する。(しかし、それはひとつの恐慌の危機をはらん
でいる)
*
水の中で水が沈む。波がためらいながら遠のいていく。弱々しい
水の皮膚を透かすと、ひとつの表情が、その輪郭を水に滲ませてぼ
んやり微笑んでいる。波が揺れて、唇が何かぼくに話しかけたいよ
うに優しく歪む。けれども、唇は何も話しはしない。唇は優しく歪
んだ儘だ・・・・彼かもしれない。
ぼくの夜をひとひらひとひらの雪が青白く光りながら海蛍のよう
に沈んでくるのが窓からみえる。窓は凍りついているけれども、ぼ
くの吹きかける白い呼吸のかたちが、ぼんやりと暗い得体の知れな
い空間をぼくに啓示する。窓ガラスにべっとり張り付いている夜か
ら、少し風が吹いて来るようだ。
341 :
名無しである:2006/10/04(水) 15:44:00
貴重なものをありがとうございます!
濃密ですねぇ
342 :
吾輩は名無しである:2006/12/10(日) 13:53:47
テンヨーあげ
343 :
吾輩は名無しである:2006/12/25(月) 08:28:51
文学界の先月号のいちばんうしろのページでこの人の事が書いてた。
講談社ノンフィクション賞の授賞式で長いスピーチして大不評だったって。
エッセー賞を受賞した福田和也はおそらく聴衆に気をつかってだろうけど短いスピーチだったって。
さすが福田さん。
大江健三郎、大西巨人両御所の小説作品に
ただ一人、堂々と実名で登場する加藤典洋さんは
生一本の批評家ですけん
345 :
吾輩は名無しである:2007/02/09(金) 11:33:37
>>340 その「手帖」というやつはなにに載ってるんですか?
書籍化されてたりするんですか?
346 :
吾輩は名無しである:2007/02/09(金) 19:41:30
綿矢にほれた男、キショ。
347 :
吾輩は名無しである:2007/02/09(金) 20:00:08
文學界では、空気が読めないと痛烈に批判されていたね。
高齢の受賞者をそっちのけにしてベラベラと30分以上喋りまくり、
会場にいた城山三郎はうんざりして退席。
参加者からも「お前の会じゃねえだろ」と呟きが漏れる有り様。
講談社の編集者が甘やかしてるからだと結んでいた。
なんとか三郎ってまだ生きてたんだ
349 :
吾輩は名無しである:2007/02/10(土) 04:15:48
困った男婆さんだな。
350 :
吾輩は名無しである:2007/02/10(土) 06:35:18
男婆さん加藤典洋
なんとか三郎乙
352 :
吾輩は名無しである:2007/02/13(火) 01:22:39
オナニースピーチ加藤典洋
三郎常駐
354 :
吾輩は名無しである:2007/02/13(火) 15:20:16
「なんとか」糞虫も常駐だな。
355 :
吾輩は名無しである:2007/03/25(日) 20:18:09
小谷野が
「加藤転用のいる賞に応募するやつは馬鹿」
って書いてるぞ
356 :
吾輩は名無しである:2007/03/26(月) 08:45:14
真央ちゃんには是非ともナメて、吸ってもらいたーい。
357 :
吾輩は名無しである:2007/03/26(月) 08:49:14
加藤は認知症だから仕方ないよ
358 :
吾輩は名無しである:2007/03/26(月) 12:30:57
>>355 小谷野もたまにはマトモなこと言うんだな
359 :
吾輩は名無しである:2007/03/27(火) 22:58:42
360 :
吾輩は名無しである:2007/04/21(土) 19:53:29
小説おもしろそうだね
361 :
吾輩は名無しである:2007/04/25(水) 21:05:32
銀杏並樹賞
362 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 13:19:39
小谷野はどう見ても人間のクズだろww あと読んでる椰子もwwww
小谷野の著作を読むやつはバカw
ていうかまだ書いてるの?
小谷野って最近まったく見かけないんだけど
ブログ界隈で活躍中w
366 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 22:30:26
加藤典洋なんか小谷野以下だろ
367 :
吾輩は名無しである:2007/05/04(金) 22:36:27
それで小谷野と大塚は
加藤より上なの?w
369 :
吾輩は名無しである:2007/05/05(土) 08:32:59
小谷野をイジると電波な書き込みが一気に増える
なぜだろう
小谷野は自演で有名だからな
372 :
吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 13:11:25
373 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 23:15:51
貧乳腰パン葉子詐欺食い逃げ偽善者ダーウィン
374 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 12:35:19
貧乳腰パン葉子って誰?
375 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 12:38:34
多和田葉子じゃね?
376 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 12:38:55
↑内田魯庵板にもあったから、無意味みたいですね
加藤さんの女かと思ったよ
小谷野と加藤は30年後どっちが残ってる?
勿論、どちらも消えてます。長生きして現役なら別だけど。
379 :
吾輩は名無しである:2008/03/05(水) 13:00:41
女には加藤のほうがもてそう。
380 :
大江健三郎が2chを工作している。:2008/03/05(水) 13:21:06
俺あまり知らないけど、このひと大江健三郎についてなにか書いたから
こういうスレッド立ってるの?w
381 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 02:09:07
残念ながら糞スレ
こいつ朝鮮人
383 :
吾輩は名無しである:2008/05/11(日) 06:51:31
384 :
吾輩は名無しである:2008/05/11(日) 07:17:13
俺は朝鮮人だけど何か文句あるか?
385 :
吾輩は名無しである:2008/05/11(日) 13:05:39
ないよ。
文学板で民族差別とか最低だな。
加藤が朝鮮なら、小谷野なんて名字は……
387 :
吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 16:04:21
正しい文学名作ランキング決定版(改訂大いに可)
ネ申 ★★★★★ ★
汚いメーテルと電車でGO!(伊集院光)ハレンチ肛門マン遊紀(永井豪)オレはホントはストレート(伏見憲明)
オレは庵野が大嫌い(岡田斗司夫)オレをメチャメチャにしてくれ行人先生!(東浩紀)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
超名作★★★★★
嘘のようなホントの話(なぎら健壱)結核病棟大フィーバー(斉藤綾子)アカはロシアンルーレット(赤尾敏)
マルサの女(伊丹十三)女帝(室田智美)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
名作 ★★★★★
ダーティーペアの小さな幸せ(高千穂 遥) ムツゴロウの遺漏感(畑正憲)アイコ♡16歳(堀田あけみ)
ジョークでさらば20世紀(落合信彦) プロ野球を10倍楽しく見る方法(江本孟紀)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
良作 ★★★
酒匂隆雄の為替塾(酒匂隆雄)危険な話(広瀬隆)肉の顔役(団鬼六)たこで〜す(たこ八郎)
淫乱三昧(豊丸)逆境ナイン(島本和彦)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
佳作 ★★
って言う女!(まちゃまちゃ) きれてないですよ(長州力)倫理(柄谷行人)救世主辣韮(小林よしのり)
会陰日記(シモーヌ=ヴィーユ) BC!な話(竹内久美子)エッセンシャル英熟語(ロバートJディクソン)
オレのヒゲ、イイだろう(小浜逸郎)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ライトノベル★
豊饒の海(三島由紀夫) 金なら返せん!(大川豊) ティファニーで朝食を(カポーティ) レベッカ(NOKKO)
万延元年のぐるぐる使い( Oケン) グランド・フィナーレ大往生(永六助) 見えない都市(イタロ=カルヴィーノ)
百年の孤独(ガブリエル ガルシア=マルケス)エウロゲーでオネーギン(プーシキン) スペルマン(遊人)
388 :
吾輩は名無しである:2009/01/13(火) 22:08:48
ふう、
もう少しで落ちるところだったぜ
『文学地図 ー大江と村上と二十年ー 』(朝日選書)
読んだヤシいるか?
朝日掲載時評他ぜんぶ既出の中味だが、まとめて概観通読する必要ありか?
なしか?
読んだヤシは率直に意見を述べよ。
390 :
吾輩は名無しである:2009/02/03(火) 16:24:43
関係の原的負荷を呼んで感心して、沢木行太郎の小説
『無名』と『血の味』を読んでみたけど、つまんなかった。
加藤さんの評論への感想。
共同通信時代 もう肩に力が入ってガチガチ
読売新聞時代 正眼の構えで、いつも1本技ありを取ろうとしてた
朝日新聞時代 殺陣師のひらひら舞い
391 :
吾輩は名無しである:2009/02/06(金) 18:49:51
>>389 金出して買ってまで読むこたない。
切れ味悪い平々凡々だから。
392 :
吾輩は名無しである:2009/05/19(火) 04:02:56
早稲田ではどんな授業やってるのかね。受けてる人いる?
『ノルウェイの森』でも精読してるんじゃないかな?
加藤さんの 1Q84の感想はまだかいな?
395 :
吾輩は名無しである:2009/11/09(月) 11:24:25
わたしの考えでは、一九六六年に書かれた「英霊の声」は、日本の戦後にとってたぶんもっとも重要な作品の
一つである。この作品には、作者の分身と目される語り手「私」とやはり作者の分身である霊媒の盲目の美少年が
登場し、帰神(かむがかり)の会で後者の語る死者の声を前者が聞くが、霊媒者となり、二・二六事件と特攻隊の
死者の声を口寄せする青年は、降霊が終わると落命する。見るとその顔はすっかり面変わりしている。
後に明らかにされる三島自身の証言では、青年は死んで昭和天皇の顔になるのである。
この作品で三島が言うのは、自分のために死んでくれと臣下を戦場に送っておきながら、その後、自分は
神ではないというのは、(逆説的ながら)「人間として」倫理にもとることで、昭和天皇は、断じて糾弾される
べきだということ、しかし、その糾弾の主体は、もはやどこにもいないということである。
戦争の死者を裏切ったまま、戦前とは宗旨替えした世界に身を置き、そこで生活を営んでいる点、彼も同罪である。
糾弾者自身の死とひきかえにしかその糾弾はなされない。
そういう直感が、この作品の終わりをこのようなものにしている。
ところで、わたしは、日本の戦後に三島のような人間がいてくれたことを日本の戦後のために喜ぶ。
わたしがこう言ったとしてどれだけの人が同意してくれるかわからないが、彼がいるといないとでは、
日本の戦後の意味は、大違いである。
その考え方には、誰もが、もしどのような先入観からも自由なら、こう考えるだろうというような普遍的な
みちすじが示されている。
三島は、日本の戦後のローカルな論理、いわばその「内面」に染まらず、普遍的な人間の考え方を示すことで、
はじめて日本の戦後の言語空間がいかに背理にみちたものであるかを、告知している。
これは、旧ドイツにおけるアンセルム・キーファーなどとほぼ比較可能なあり方であり、もし三島がいなければ、
日本の戦後は、一場の茶番劇になり終わるところだった。
加藤典洋
「その世界普遍性」より
396 :
吾輩は名無しである:
たしかに彼の作品は、化粧タイルのような人工的な文体を駆使して書かれている。…でも、そのことが、
三島の小説を世界の文脈で見た場合の、「世界の戦後」性にたえる制作物にしている。
(中略)
三島は戦前、レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」に夢中になる。でもそのラディゲの作がすでに
第一次世界大戦の戦後文学だった。そのもっとも深い理解者は、あのジャン・コクトーである。
その心理小説に心理がなく心理の剥製があること、しかしそのことこそがその第一次世界大戦の戦後文学で
めざされていること、そしてそのようなものとして、それが三島の戦前と戦後の指標たり続けること。
つまり、人工性はここでは、世界性、現代性の明らかな指標なのである。
「世界の戦後」とは第一次世界大戦の戦後のことであり、「日本の戦後」とは第二次世界大戦の戦後のことである。
この二つは同じではない。簡単に言うなら、前者の戦後で、人と世界は壊れ、後者の戦後で、人と世界は
自分を修復している。
サルトルの「嘔吐」は第一次世界大戦の戦後文学であって、そこで彼は人が壊れたこと、そこからの回復には
アヴァンチュール(芸術と犯罪)による特権的瞬間しかないことを述べている。
しかしその彼が、第二次世界大戦の戦後になると、アンガジュマンによる人間の回復を唱える。
三島は、戦前のサルトルに似ている。わたし達は、ここでは、そこに二つの戦後の重層(ズレ)があることに
自覚的であるべき、「遅れてきた青年」なのである。
〈ラディゲから影響を受けてゐた時代はほとんど終戦後まで続いてゐた。さうして戦争がすんで、日本にも
ラディゲの味はつたやうな無秩序が来たといふ思ひは、私をますますラディゲの熱狂的な崇拝者にさせた。
事実、今になつて考へると、日本の今次大戦後の無秩序状態は、ヨーロッパにおける第二次大戦後の無秩序状態
よりも第一次大戦後の無秩序状態に似てゐたと思はれる。(「わが魅せられたるもの」一九五六年)〉
こういう洞察がなぜ当時、三島にだけ可能だったか。
そういうことをわたしとしてはいま、改めて、考えてみたいと思っている。
加藤典洋
「その世界普遍性」より