長文でも一言でも結構。読後のメモ帳がわりにいかがでしょうか?
もちろん随分前に読んだ本の感想も可。
まだ読んでない人、これから本を買おうと思っている人の参考になる書き込み大歓迎!
でも【ネタばらしは厳禁】ということで。
また、くれぐれも感想は人それぞれということをお忘れなく。
春樹カフカ
つまんなかった。
『ハリガネムシ』
芥川賞受賞作ということで読んでみたけど、いまいちでした。
宮本輝の評―「人間の内部にハリガネムシのように寄生する暴力性や肉欲や
獣性などが、笑いや滑稽さや、スラプスティックな構成の中で巧みに描かれ
ているとして、私にはそのようなものに何も目新しさを感じなかった。
それどころか、また古臭いものをひきずり出してきたなという印象でしかなく、
読んでいて汚らしくて、不快感に包まれた。」が全くピッタリとあてはまると
思います。
読後感は最悪なので(希望・再生といったものが見当たらない)、
あまり人には薦められない作品です。
4 :
吾輩は名無しである:03/09/01 18:18
わたしも文藝春秋の読もうと思いましたが、なんか2,3行で読む気うせちゃいました、、
>>2 『海辺のカフカ』は確かにつまんないかも。『世界の終わりと〜』の続編だと期待して
読むとがっかりするね。
『世界の終わりと〜』は傑作だと思うけど、やっぱり『カフカ』は失敗作かな?
好みの問題もあるけど、私の場合、ナカタ・ホシノのストーリーラインがどうしても好きには
なれませんでした。
それと、四国が舞台というのもちょっと・・・。
ただ、所々春樹らしい読ませどころ(先生の手紙等)はあって、それだけでも読んでみる
価値はあるのではないでしょうか。
>>4 読まないほうが正解かもしれません。特に女性の場合は。
この小説にはいくつか暴力シーン・セックスシーンが描かれているのですが、
最後の雨の中でのリンチシーンは本当に吐き気を覚えることうけあいです!
もちろん見方を変えればそれだけ筆力があるとも言えますが・・・
でも、女性器の中に小石を詰め込むという描写があの作品にとって不可欠なことなのでしょうか?
小説において暴力を描くことは必要なことだとは思いますが、不必要に過剰な暴力を描くことは
有害だと私は思います。作者の良識の問題でもあるのでしょうけれども。
青山光二『吾妹子哀し』
川端康成賞受賞作ということで読んでみました。
80歳を過ぎた老夫婦の話で、妻がアルツハイマーにかかってしまった夫の視点で描かれた作品なんですが、
最近『アイリス』というこれとほとんど同じ内容の映画をみたばかりだったのであまり新鮮さ・真新しさは感じませんでした。
現在と過去(妻と出会った頃)を交錯させて描くという手法も全く同じで、パクリ?と思ってしまいましたw
ただ、映画もそうだったのですが、自分の愛する人(家族・恋人)が突然別人のようになてしまった場合に、
果たして今まで通りその人のことを愛し続けることができるのか?等、何か読み終わった後に色々と考えさせられました。
確か村上龍が何かの作品で、死よりも怖いのは自分の知っている人間が全く別人になってしまうこと=発狂だと書いていた
記憶がありますが、としたらアルツハイマーも同じなんですかね。
じんわりと心に染み入っていく読後感を味わえると思います。
東野圭吾『殺人の門』
池袋のジュンク堂に行ったらサイン本が置いてあったのでつい買ってしまい読みました。
彼の作品では『白夜行』が最高傑作だと思っているのですが、本作もこれに匹敵する出来の
作品だと思います。冒頭から最後まで一気に読まされてしまいました。
主人公の私(田島和幸)が、小学生時代からの友人?(倉持修)との20年にも渡る確執を
“人はいかにして殺意を抱き、実際に殺人を実行に移すことができるのか”というテーマを
根底に据え描いたもので、モーツァルトとサリエリの確執を描いた『アマデウス』という映画を
想起しました。学校・職場でのいじめや、マルチ商法(豊田商事事件)等の社会問題を通して描かれていて
いろいろと考えさせられました。
他方、どうしてもわからなかった“これほどまでの倉持の田島への執着・憎しみはどこからきているのか?”
という根本的疑問に対する解答は作品の最後になって解明され
(ここでは黒澤明の『天国と地獄』という作品を想起させられました)、正直驚きました。
『白夜行』が好きな人にはこの作品も是非読んでほしいと思います。
水村美苗『本格小説』
物語=ストーリーテリングの力を久しぶりに感じさせる作品だと思います。
それがまた“本格小説”なんだと思いますが。
この作品は恋愛小説としてブロンテの『嵐が丘』とよく比較されているようですが、
私はむしろディッケンズの『二都物語』やアービングの『ガープの世界』
『ホテル・ニューハンプシャー』をまっさきに思い浮かべました。
この作品は読者(性別・年齢の違い)によって色々な読み方・感じ方があるとは思いますが、
私はそれほど感動はしませんでした。
というのも、ゆう子・太郎・雅之の三角関係がどこか昼メロのような安っぽい、陳腐な恋愛関係
にしか思えなかったからです。さらに最後に冬絵から聞かされた太郎と冨美子の関係も
それに追い撃ちをかけました。すごく下世話な感じがして。
唯一心を動かされた箇所は、よう子の死に際に彼女に向かって太郎が、
初めてあった頃からずっと殺したかったと告白する場面です。
太郎のよう子に対する強烈な愛は、もともとは不幸人・貧乏人の幸福人・金持ちに対する
強烈な憎しみから派生したのでは、と思い当たったからです。
東野圭吾の『殺人の門』を読んだばかりというのもありますが、結局、幼い頃・子供の頃に
形成された感情・記憶といったものは、その人間のその後の人生全体・一生に渡って
影響を及ぼし支配し続けるものなんだろうなぁ、と自分と照らし合わせて考えさせられました。
↓
この作品は読売文学賞受賞作ということですが、私は同じく読売文学賞受賞作である
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のほうが数段、小説構造といい作品の深みといい
優れているのでは、と思います。
というのも、“小説のような話”が始まるまでの導入部が長いという意見もありますが、
私はむしろ土屋冨美子の話が長過ぎる感じがしました。
あくまでも小説内小説であるはずの物語が、作品全体を凌駕してしまったような気がします。
それはそれでいいのかもしれませんが。。。
1さん、がんばって
>>11 温かいお言葉、ありがとうございます。
もともとは他人本位に沢山の人に最近読んだ本の感想をレスしてもらい、
これから自分が本を買って読むための参考になればと思って
スレを立ててみたのですが、どうも私だけのオナニースレになってしまいましたw
ただ、当初の思惑とは裏腹にこうして自分で読んだ本の感想をレスしてみると、
今までは本を読みっぱなしだったのが、良い備忘録になってとても重宝しています。
なので、今後もマイペースでがんがっていきたいと思います!
できれば色々な人に読んだ本の感想をレスしてもらえると嬉しいのですが。。。
宮本輝『錦繍』
『本格小説』を読み、同じく男女関係のあやが複雑に絡み合った作品を
読みたくなり読んでみました。再読なのですが、随分昔に読んだきりだったので、
初めて読んだように感動してしまいました。
『本格小説』と同じく恋愛小説・ストーリーテリングの力を
この作品も強烈に感じさせてくれると思います。
ある“事件”をきっかけに離婚後、十数年振りに偶然再会した
勝沼亜紀と有馬靖明との長い手紙のやりとりを通して(この作品構造は、
ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』を彷彿とさせます)、
離婚後再会するまでお互いが歩んだ人生、 “モーツァルト”に纏わる話、
あの“事件”の真相等が描かれることで、“私たちの無限の宇宙・生命とは、
何と不思議な法則とからくりを秘めていることか”という感動を与えてくれます。
ただ、私はモーツァルトも好きなので、この作品を理解するのに苦労はしませんでしたが、
モーツァルトに関する知識が乏しい人にはちょっと理解するのが難しいかなぁという気もします。
もちろんモーツァルトに関する知識が全くなくても十分感動できるとは思いますが。
「−生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」
という亜紀の言葉がとても強く印象に残りました。
↓
この作品でも、少年である靖明の中学時代における瀬尾由加子という少女に対する初恋が、
その後の彼の人生、更には亜紀の人生をも狂わせることに繋がっていて、
何とも複雑なやり切れない気持ちになりました。
やっぱり私たち人間の心・精神は体と同様に年齢を重ねるごとに成長しているようでいて、
実際は少年少女時代に既に完成されてしまいその後は少しも変わらないのではないのか、
と思ったりしています。その顕著な例がトラウマでしょうけども。
“私たちの生命とは何と不思議な法則とからくりを秘めていることか”
保坂和志『カンバセイション・ピース』
著者最高傑作との帯書につられ、かなり期待して読んだのですが・・・、
これ程退屈でつまらない小説とは思いませんでした。
というか、とても小説とは言えない代物−著者の随想もどき−でした。
日常生活の些細な出来事(同居する人間との会話・猫・野球の観戦の描写等)
を通して、作家である主人公が感じ、思ったことを淡々と記述していくのですが、
小説としての面白みが全く欠落しているものと感じました。
ほのぼのとした読後感が味わえる(それがこの作品の主眼)
といえば否定はしませんが、それだけのためにこれだけの長編を必要とするのかは
やはり疑問が残ります。
私が最近読んだ作品に、舞城王太郎の『我が家のトトロ』という短編がありますが、
こちらのほうが余程ほのぼのとした読後感を味わうことができました。
ただ、猫好きな人(あるいは横浜ベイスターズファン)には歓迎される気がしますw
16 :
吾輩は名無しである:03/09/27 09:08
17 :
吾輩は名無しである:03/09/27 11:48
手塚治虫にはまってはまって・・読めば読むほど、凄い
18 :
吾輩は名無しである:03/09/27 15:14
半村良『八十八夜物語』
OLとして一年働いていた妙子が思いっきり花を咲かせたいとのこで、
銀座のホステスになります。そこで自分の店を持つまでのスートリーが
とてもおもしろかったのですが、特に感動したのは
なぜ、多くのファンが妙子にはできるのかということで、
たいてのホステスは生活のため等、大きなビジョンを持ってはいないもんなんですけど、
妙子は違い、銀座の頂点を目指すという大志があったため、多くの人が妙子の味方に
成ったのだと思う。
やはり、理想は大きく持たなければならないと思いました。
ごんぎつね・・・シクシク
こころ・・・よい
風の歌を聴け、1973年のピンボール、国境の南太陽の東・・・いまいち。
ノルウェイの森が好きだから読んでみたが、だめだ。
今度はスプートニクの恋人(春樹買いだめの最後)と 聖なる予言
をよみまつ。また来る。
>>19 私も村上春樹は『ノルウェイの森』から入ってそのままはまり、
それ以来リアルで読んでいます。
でも『ノルウェイの森』が好きなら『国境の南・太陽の西』も気に入るような
気もしますが。。。確かに一般的な評価は良くないみたいです。
島本さんって一体なんだったんでしょうね?
私的には『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』がいまいちです。
『ねじまき鳥クロニクル』で精魂使い果たしちゃったのかなぁ〜。
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を読まれたのなら、そのまま
『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』にすすまれたらいかがでしょうか?
めちゃめちゃ面白いですよ!
花村萬月『王国記』
『王国記』(仮名?)はまだ未完ですが、「文学界」10月号に掲載された
王国記J〜《青い翅の夜》を読む際に、今まで発表されたものを通して読んだので
感想を書きます。
『王国記』は日本文学では珍しく、人間と神・宗教(キリスト教)との相克を描く
一大長編で、まだ序章?が終わった段階ですが、今後の展開がすごく期待されます。
最初の作品である王国記@〜《ゲルマニウムの夜》は芥川賞を受賞しているので
読まれた方は多いと思いますが、それ以降は一般にあまり読まれていないようなのが
とても残念です。というのも、それ以降どんどん加速的に作品は面白くなっていくからです。
現段階では、この作品の主要な登場人物−朧・教子・赤羽・ジャン・百合花−
それぞれの視点から物語は進行し、今後は主人公である太郎(朧とシスター・テレジアの子)が
新興宗教=“王国”を築きあげていく過程が描かれていくものと推測されます。
この作品の主な舞台は修道院で、リチャード=ギア、エドワード=ノートン主演の
『真実の行方』でも描かれていますが、神父による性的虐待というのは珍しくないのですかねー。
朧と教子、教子とジャン、朧とジャン、赤羽と百合花等の性描写もかなり過激ではありますが
決して卑猥さを感じさせず、むしろセックスはこの作品の主題=人間存在のあり方と
極めて密接に関連し不可欠なものであり、決して不潔で禁忌すべき行為ではないのでは?
と私には感じられました。
神とは何か?宗教とは?人間存在とは?といった深淵なテーマに果敢に取り組んでいる
作品であり、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や埴谷雄高の『死霊』のように
未完に終わらないことを願っています。
↓
参考までに今まで発表された作品を順に並べると−
・王国記@〜《ゲルマニウムの夜》
・王国記A〜《王国の犬》
・王国記B〜《舞踏会の夜》
・王国記C〜《ブエナ・ビスタ》
・王国記D〜《刈生の春》
・王国記E〜《汀にて》
・王国記F〜《月の光》
・王国記G〜《雲の影》
・王国記H〜《PANG PANG》
・王国記I〜《むしろ揺り籠の幼児を》
・王国記J〜《青い翅の夜》
となり、「文学界」に年2回のペースで掲載されています。
>>1 なんだか、鼠(なんか名前がやだ)やら、直子が出てきたりしてヤナ気分になったのよ。
ピンボールで。
まあノルウェイの森よりピンボールの方が先だった気がするけど。
カフカはいまいちなのか。文庫で出たら買おうと思ったんだけどな。
「国境〜」はかなり自分と歳がちがう人物の話だからあんますきになれなかったのよ。
ノルウェイは20ぐらいだからなあ。若い登場人物の話がいいな。
>>1 あ、あとオススメありがとう。スプートニクが
中々だったら春樹フッカツでよんでみまつ。
つーか
>>19で俺「太陽の東」とか書いてるし・・・・・はずかしい
で何回も悪いんだけど、夏目漱石の「三四郎」っておもろい?
こころはかなりおもしろかったんだけど、漱石のは他のも
読みやすいのかな?
26 :
吾輩は名無しである:03/10/02 16:17
あれ、誰もいナイ・・・・
サミシイ
>>25 漱石はだいたい、読みやすい。文庫などほとんどが現代語表記だし。
誰でも読みやすく入りやすいから国民的作家なんだろうな。
中には、本人の神経発作の名残りを強く反映したものもあるが、
ごく少数。ほとんどの作品はとっつきやすいし、
読み始めたら面白く読み通せるよね。
28 :
吾輩は名無しである:03/10/03 09:38
>>27 そうかあ。ありがたう。三四郎、坊ちゃんいってみまつ
29 :
吾輩は名無しである:03/10/04 04:59
1さあああああああああああああああああああん
30 :
吾輩は名無しである:03/10/04 06:06
>>25 「三四郎」面白いよ。続けて「それから」も読むのをお薦めする。
俺は「それから」の方が好き。
「門」は・・・読んでも読まなくても、どっちでもいいかなw
>>30 じゃあ、それから も買うリストに追加始末。
ありがとう
>>25,
>>31 『三四郎』→『それから』→『門』の順に読むことをおすすめします。
これらは青春三部作で、村上春樹の作品に通じるところがあるような気がします。
ドストエフスキー『未成年』
この作品は5大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)
の中ではあまり人気がなく(確かに一般受けしない作品と思います)、
文庫は絶版状態になってしまっているようなので、
新潮社の世界文学全集(工藤精一郎訳)で読みました。
『未成年』は『悪霊』の次、『カラマーゾフの兄弟』の前に書かれた作品で、
全編アルカージイという二十歳の青年の手記という形式をとっています
(もっとも唯一最後の部分だけ、ある人物からこの青年に宛てられた手紙が引用され
幕を閉じますが)。
私生児である青年アルカージイの実父ヴェルシーロフ、及び年上の女性
カテリーナに対する愛がこの手記=作品全体の基調になっていて、
アルカージイが着ている服の中に縫いつけて隠し持っている
カテリーナに破滅をもたらす内容の手紙を巡って物語は終局へと進行していきます。
冒頭から作品の至る所で、青年が何故これ程の長大な手記・告白を
書かなければならなくなったのか、その謎かけが繰り返し繰り返し行われ、
どんどん作品に引き込まれて行きますが、その答えは最後の“エピローグ”の部分
−ある人物からアルカージイに送られた手紙−を読むことで明らかとなります。
この手紙はまさにドストエフスキー自身の肉声だと思います。
あくまで私見ですが、この作品は、『悪霊』から『カラマーゾフの兄弟』への橋渡し・飛躍
をするためにドストエフスキーにとって是非とも書かなければならなかった作品、
あるいは『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』を執筆・構想中に必然的に
これらの作品から派生的に分裂して生まれたような気がしました。
なんか
>>1のハリガネムシの感想を読んだら怖いもの見たさで
見たくなってきたなあ。
でも文庫じゃないんだよね・・・・・
文庫しか買わんからなあ
坊ちゃんを先に買ってきてしまった。ま、いっか。
あと 聖なる予言、読み終わり。なんだスーパー人間て?
なめてんのか?一生よまない。2点(10点満点中)
老人と海 うん面白い。なんか爺さんに親しみが持てる。棍棒振り回して
鮫叩きまくって、このじじい中々やるな、と思った。少年もいい奴だ。
また今度読もう。7点か8点
ねじまき鳥クロニクル売ってるのみたけど文庫でも全3巻か・・・長いな
いつか読もう
ごんぎつね10点 こころ8点 ノルウェイの森9点
37 :
吾輩は名無しである:03/10/17 08:52
1さああああああああああああああああん
38 :
吾輩は名無しである:03/10/17 18:50
2001年宇宙の旅・・7点
映画は別に嫌いではないけど小説いいね。また読みたい。
って板違い?
39 :
吾輩は名無しである:03/10/19 06:52
ハツカネズミと人間・・・7点 グリーンマイルの元ネタと聞いたけど
本当だろうか。犬を撃つところが大事な場面だったとは。
フランダースの犬・・・・7点 なんでパトラシエやねん。でもいい話だ。
>>35 『ハリガネムシ』を読む前には『クチュクチュバーン』を先に読まれることを
おすすめします。自分のこの作家に対する評価の試金石になると思いますので。
>>36 『老人と海』は以前英語で読んだことしかないため、ほとんど印象に残って
いませんw
確か、最後に釣った魚を鮫に食べられてしまうんですよね?それと、老人の見る夢が
象徴的だったような。。。
>>37 叫ばないで下さいw
>>38 キューブリックの『2001年宇宙の旅』は傑作ですよね。
何回も観ていますが、いまだにモノリスの意味がわかりませんw
それに最後の寝室みたいな場所は一体何処なんでしょうか?
ちなみに私個人はキューブリックの最高傑作は『シャイニング』
(スティーヴン・キング原作)だと思っています。って板違い?
桐野夏生『グロテスク』
泉鏡花賞受賞作ということで読んでみましたが・・・
この作品のどこがいいのだか全く理解できませんでしたw
この作品は明らかに“東電OL殺人事件”に触発されて、それを素材にして
書かれているのでしょうが、結局、現実に起こった事件・事実を
小説が凌駕することができなかった失敗作だと思いました。
“東電OL殺人事件”とは、慶応女子出身・東電勤務のエリートOLが
夜は渋谷で売春を行っていて、結局売春相手とされるネパール人に殺されてしまった
という事件(現在上告中)ですが、小説では佐藤和恵というのがこの東電事件の被害者に相当し、
他にユリコという売春婦も新たに登場して被害者が二人に増え、
加害者はチャンという中国人で、ユリコの姉であり和恵の女子校時代の同級生である
“わたし”の告白形式で(途中、ユリコの手記・チャンの上申書・和恵の日記を交え)
書かれています。
私は佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』を既に読んでいて、
この事件にはかなりの関心・衝撃を受けていましたが、
やはり何がショッキングだったかといえば、何故なに不自由なかったと思われる
名門大学出身・一流企業のエリートOLが売春行為を行うようになり、
結局殺されなければならなかったのか?この事件の背後にはもっと闇の部分が
隠されているのではないか?といった疑問があったからですが、
この小説においてこうした問いに対する答え・掘り下げがいかにも不十分・表層的だなあ
と感じました。
確かに作者が新たに創造した部分も多いですが
(Q女子校での話、チャンとメイクンの中国での話等は面白かったです)、
小説の核となる部分は何ら改変されておらず、佐野氏の『東電OL殺人事件』を
少しアレンジ・脚色しただけの作品としか思えませんでした。
↓
私は優れた小説というものは、現実に起きた事件をもとにしつつも、
それを作者なりの解釈・視点で咀嚼・加工し直し、
全く想像もつかなかったような作品世界を読者に対し新たに創造・提示
してくれるものだと思うのです。そういう意味においてこの作品は駄作だと思いました。
あと、この作品は“わたし”の告白・問答形式で書かれているのですが、
誰に対し、どのような状況・シチュエーションで、告白・問答しているのかが
結局最後まで読んでもわからないし、おまけに、最初は売春・セックス(ユリコ・和恵)
に対しかなりの嫌悪感を抱いていた人間が、最後には自分自身売春婦(ユリコ・和恵の後継者)
になってしまうというのはいかにも陳腐でしたw
森健『火薬と愛の星』
群像新人文学賞受賞作(村上龍・春樹も受賞経験者)で、
“なるほど、20年後の『風の歌を聴け』はこうなのか”という宣伝文句につられ、
すごく期待して読んでみたのですが、期待が大きかっただけにがっかりしてしまいました。
一言で言えば、単に村上春樹の『風の歌を聴け』をまねて(パクって?)
書いただけのような作品でした。
内容は、二十代後半の予備校講師である主人公“おれ”が
次から次ぎへと女の子と関係を持ち、幾人もの女性との性遍歴が
次々と描かれているだけで、ただ単に“おれ”が自分の女性体験を自慢気に
日記風に綴っただけの作品(私小説?)としか感じられませんでした。
ただ、主人公が女性と関係を持つために数々の“嘘”をつきまくるというくだりは、
前回の芥川賞候補にもなった中村文則の『遮光』にも似たような事が描かれていたこともあり、
それがどう発展するのか期待して最後まで読んでみたのですが・・・無駄でした。
この程度の作品では、おそらく芥川賞にはノミネートすらもされないでしょうねw
村上春樹の後継者になれるかwこの作家の今後の作品に期待したいと思います。
>>1は日本人作家の本と外国人作家の本どっちをよく読むの?
外国人作家の本を読むときは全部原文で読んでるの?
俺は外国人作家の本ばっか読んでるこの頃。もちろん日本語訳されてるやつ
>>41“東電OL殺人事件”とは、慶応女子出身・東電勤務のエリートOLが
夜は渋谷で売春を行っていて、結局売春相手とされるネパール人に殺されてしまった
という事件(現在上告中)ですが
〜電力会社OL殺人、逆転無期懲役が確定へ 上告棄却 〜
東京都渋谷区のアパートで97年3月、電力会社の女性社員(当時39)が遺体で見つかった事件で
最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は、強盗殺人の罪に問われたネパール国籍の元飲食店員
ゴビンダ・プラサド・マイナリ被告(37)の上告を棄却する決定をした。
一審の無罪を破棄して求刑通り無期懲役とした二審の逆転有罪が確定する。決定は20日付。
審理にあたった4裁判官全員一致の判断。第三小法廷は「上告理由にあたらず、
記録を精査しても(重大な事実誤認など憲法・判例違反以外の原判決破棄事由を定めた)
刑事訴訟法411条を適用すべきだとは認められない」と述べた。
この事件は被告と犯行を直接結びつける物証がなく、自白もなく、下級審が正反対の結論を出したことから
最高裁の判断が注目されていた。被害者のプライバシーにかかわる報道や、
一審で無罪となり釈放された被告の身柄を再勾留(こうりゅう)した裁判所の判断をめぐっても論争を呼んだ。
二審判決によると、マイナリ被告は97年3月9日未明、渋谷区円山町のアパートの空き室で女性の首を絞めて殺害し、
所持金約4万円を奪った。
つづき
事件は同年3月19日、管理人が同室で遺体を発見して発覚。隣のマンションに住むマイナリ被告が4日後、
入国管理法違反(不法滞在)容疑で逮捕され、同年5月20日に有罪判決を受けた直後、強盗殺人容疑で再逮捕された。
捜査段階では黙秘し、公判では一貫して無罪を主張してきた。
一審・東京地裁は00年4月、発見現場に残されていた体液や体毛のDNA型が被告と一致した点などを認めたが、
他の人物が部屋を使用した可能性なども指摘。「犯人と認めるには合理的疑問を差し挟む余地が残る」と無罪を言い渡した。
しかし、二審・東京高裁は00年12月、女性が残していた手帳の詳細な記述や、
部屋の鍵の管理に関する関係者の証言などと食い違う被告の供述は信用できないと指摘。
「被告が犯行に及んだことは十分に証明されている」と結論づけた。 (10/21 17:06)
手袋を買いに 最後の胡弓弾き ・・・ともに6点
どちらも新美南吉作品 最後の胡弓弾きは中々の後味の悪さ
八月の光 中々読み終わらないよお でも明日明後日中に読み終わりそう
「八月の光」・・7点・・読むのに6日もかかってしまった。
一人の人間からの視点からじゃなくて、色々な人間のしてんから
話が展開していってあまり今まで本を読まなかったので
斬新に感じた。解説を読んで、主人公2人が最後まで1回も顔を
あわさないと気づいて、へぇ と思った。
49 :
吾輩は名無しである:03/10/31 13:45
50 :
吾輩は名無しである:03/10/31 15:46
>>41 「グロテスク」面白くないのかー。
佐野眞一のを読むと「余白」が気になってどうしようもなかった。
その「余白」を想像力で埋めるのはルポルタージュの仕事ではないだろうし、
ここで優れた小説家の眼力を期待したいと思っていたんだが…。
心を掘り下げていく小説って流行んないから、書ける人いないのかな。
51 :
吾輩は名無しである:03/11/07 23:31
菊池寛の「若杉裁判長」おもろい 10点
52 :
吾輩は名無しである:03/11/07 23:39
老人と犬
よかったー
53 :
吾輩は名無しである:03/11/08 00:02
○
|
( ´∀`)つ ワーイ
チクッ
○←⊂(・∀・ )
|
( ´∀`)つ
.' パン!! ↑
.∴.*・,‘ (( ( ・∀・)つ
|
(;゚Д゚)つ
村上龍の「69」めちゃめちゃおもしろかった。(エロくないです。)
小説に出てきた音楽とか6〜7割知ってたからさらにおもしろかった。
60年代の洋楽聞いてる人はさらにおもしろいと思うです。別に60年代の洋楽知らなくても普通におもろいと思います。
一日で読みきってしまった・・。
>>50 全く同感です!
残念ながら桐野夏生という作家には少し荷が重かったようですw
>>54 『69』『長崎オランダ村』等の村上龍の私小説的な作品は、力が抜けていて
すごく面白いですよね〜随分昔に読んだきりなので内容は全然覚えていませんが。
でも、確かM・プイグの話が出てきたような・・・何もすることがなくなった
プイグが故郷のパンパの情景を思い出して、その頃の話をノートに書き記すことにし、
まさにその瞬間に作家が誕生したとかいうような内容の。あれ、違う作品だったかな?
吉田修一『東京湾景』
日比谷公園を舞台にした『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞した著者が、
今回は東京湾を挟んだ品川埠頭・お台場を舞台に、出会い系サイトで知り合った
男女の恋愛関係を描いた最新長編(中編?)です。
品川埠頭の貨物倉庫で働く和田亮介と、キャリアウーマンとしてお台場で働く平井美緒は、
最近はやり!?の出会い系メールを通じて知り合い付き合うようになるのだけれど、
お互いに相手には知られたくない話せない過去があって・・・
男女の恋愛感情の微妙なすれ違いが、アントニオーニの映画『日蝕』の描写も交え、
とてもうまく軽いタッチで描かれていると思いました。切ない気持ちにさせてくれます。
共感する読者もきっと多いことでしょう。特に女性には・・・
でも、私にはちょっと小説として物足りなさを感じてしまいました。
それは『パーク・ライフ』でも感じたことで、今回の作品ではその物足りなさが
克服されていることを期待して読んでみたのですが・・・やっぱり同じでした。
阿部和重『シンセミア』
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、『ニッポニアニッポン』が
なかなかの作品だったので、今回の最新長編はかなり期待して読んでみたのですが、
その期待を裏切らない見事な傑作!だと思いました。
阿部和重はこの作品においてかなりの飛躍を遂げたように私には感じられました。
かつて中上健次が『枯木灘』を、村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』を発表した時のように・・・
山形県神町を舞台とする一連の凄惨な物語は、ある一人の背の高い男が果樹園で
一人の老人を殺害する場面で幕を開けます。
この作品冒頭で殺害された老人は誰なのか、殺害した男は何者なのかは、
作品途中で判明するのですが、何故男は老人を殺害したのか?その動機は
作品最後になってようやく解き明かされることになります。
↓
物語は、パン屋のあるじ田村明、その息子で後継者の田村博徳、交番に勤務する中山正巡査、
あやしげなサークル=青年団のリーダー松尾丈士及びそのメンバーを中心に、
それぞれの登場人物の視点に立って展開・描写されていき、
盗聴・盗撮・ゆすり・リンチ・淫行・汚職等の現代日本に蔓延する様々な問題が
作品舞台の神町には凝縮されていて、読んでいてちょっと鬱になるかもしれませんが、
様々な伏線が張り巡らされ、それらが次第に複雑に絡み合って反響し合い、徐々に加速し、
最後にはおぞましい終局を迎え幕を閉じることになります。
次々に人が死に(たったの数時間で10人死にますw)、その何の希望も救いのない終わり方は、
あたかもコーエン兄弟の映画『ファーゴ』を彷彿とさせました。
舞台となる神町においては、過去(終戦直後)において“郡山橋事件”という
凄惨なリンチ事件があって、その挿話は作品途中で何気なく語られるのですが、
実はこの事件が物語の根底に横たわり深く関わっていることが最後にわかり、
この作品の奥深さを感じさせてくれました。
ただ最後にちょっとしたオチがあり、それは私には蛇足に思われましたが・・・
いずれにしても、絶対に一読してみる価値のある作品だと思います!
↓
地方の小さな町において、若者達の集団の悪意が徐々に膨らんでいって、
最後に大破局を迎えてしまうといったストーリー自体は、
ドストエフスキーの『悪霊』に類似性が認められますが、
その作品構造・スケールの大きさ・人間心理の洞察力の深さ等においては、
残念ながらまだまだ遠く及ばないとは思いますけど。
小川洋子『博士の愛した数式』
17年前の自動車事故のため、ぴったり80分しか記憶を持続させることができなくなってしまった
元数学者の“博士”と、その“博士”をお世話することになった家政婦の“私”とその息子 “ルート”
三者間の、美しく切ない、お互いの心を気遣う精神に満ち溢れた、心温まる束の間の触れ合いを描いた
作品です。
映画でたとえるなら、ラッセル=クロウ主演のアカデミー作品賞受賞作『ビューティフル・マインド』と
『メメント』を足して2で割ったような感じの小説かな?
“博士”が子供を無条件に愛する姿、その彼を親子で思いやり気遣う“私”と“ルート”の姿は
純粋そのもので、きっと感動を与えてくれることと思います。
オイラーの公式や、アルティン予想、フェルマーの最終定理等、難解な数学の話も出てきますが
(それとバランスをとるかのように阪神タイガースや江夏豊の話も出てきます)、
素人にもとてもわかりやすく説明されていて、数学嫌いの人でも数学に対し興味を持つようになるかもしれません。
少なくとも私はこの作品を読んで、数学と江夏にすごく興味を持ちました。
数学嫌いな小・中・高生と阪神ファンにおすすめの小説かもw
↓
真実はどこにあるか?という“私”の問いに対し、“博士”が自分の胸に手をあて、
「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないものだ。
数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない」
と語る場面では胸を強く打たれました。
私も、真理というものは決して目に見える、手で簡単に触れることのできるものではなく、
我々各人の心の中にのみ存在するものでは、と思っています。
作品の構成が非常にうまくできていて、ぐいぐい引っ張られ最後まで一気に読まされてしまいました。
結末はちょっと私の予想外でしたが・・・。
羽田圭介『黒冷水』
今話題の、文藝賞史上最年少受賞作品ということで、
あまり期待せずに読んでみたのですが、完成度の高い見事な作品でした。
確かに文章・文体にまだ粗さや稚拙さが散見されるのですが、
全体としてみた作品の構成力や筆力・人間心理の描写力は、
近年の新人作家の中では突出したものが感じられ、
その作家としての資質・才能は、以前、平野啓一郎に冠せられた
“三島の再来”という表現はまさに彼のために妥当するのでは?と
私には思われました。ちょっと褒め過ぎかもしれませんが・・・
作品のテーマ自体は家庭内での兄弟間の反目・いざこざ・憎しみ合い・暴力
といった取るに足りないものですが、そこで描かれている人間心理の闇・深層心理
といったものからは、とても17歳の少年によって書かれたものとは思えない程の
鋭い洞察力を感じ(あたかもドストエフスキーのような)、強い衝撃を受けました
(特に兄の“正気”が机あさりをする弟の“修作”にトラップをかけ、
修作が正気の目論見にまんまとひっかかるくだりは素晴らしかった!)。
日常茶飯事の、誰でも一度や二度の経験や覚えがある“兄弟間での机あさり”
というごく些細な出来事から着想を得て、これ程の読み応えある作品を作り上げた
著者の創造力一つをとってみても賞賛に価いすると思います。
今後の著者の成長が非常に楽しみです。
63 :
吾輩は名無しである:03/12/24 13:15
>>62 羽田圭介はいずれ芥川賞の史上最年少記録破るでしょうね。
>>62 なんかおもしろそうだね。
でも文庫ではないのだろうか。
今田宮虎彦の落城を読んでます
島田雅彦『美しい魂』
この作品は、《無限カノン》三部作(『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』)
の中間に位置する作品で、とても面白くテンポ良く一気に読めて、
恋愛小説として素晴らしい出来映えの作品だと思いました。
小説の冒頭はいきなり二人称(君)語りで始まり、ダダ(父)やマム(母)等
ちょっと取っ付きにくかったですが(島田雅彦の作品を読むのは初めてです)、
すぐに主人公のカヲルがアメリカに留学中の幼馴染みの不二子に会いに行くところ
から物語りが紡ぎ出され(作品構造はカヲルの義姉アンジュがカヲルの娘文緒に
父の昔話を語るという設定)、その後はどんどん作品に引き込まれ、
二人の恋の行方がどうなるか、ハラハラドキドキ最後まで釘付けにされてしまいました。
作品最後で、カヲルの親友であり、カヲルと不二子の最後のデートを演出した
伊能が文緒に語る
「一人の少女と少年の出会いは不滅なんだ。少女が皇太子妃になり、
少年が歌手になっても、最初に互いを見初めた時のときめきは残る。
古代人が残した壁画のようにね。」
という言葉は、以前、水村美苗の『本格小説』や宮本輝の『錦繍』を読んだ時と同様、
感慨深いものがありました。
皇室をも巻き込んだカヲルと不二子の報われぬ禁断の恋を描いたこの作品を読むと、
自然と、皇室一族を舞台にした松枝清顕と綾倉聡子の悲恋を可憐に描いた
三島由紀夫の『豊饒の海−春の雪』を連想せざるを得なかったのですが
(おそらく作者自身もあの作品を強く意識して、それを乗り越えようと
書いたのではないかと思います)、残念ながら日本文学史上における
恋愛小説の金字塔である『豊饒の海−春の雪』を越えることは
さすがにできなかったというのが素直な感想です。
金原ひとみ『蛇にピアス』
第130回芥川賞受賞作。
今回のノミネート作品の中では一番良かったと思いましたが、
まさか本当に受賞するとは・・・。
時代の変化を痛切に感じました。
今どきのギャルでありながら、スプリットタンと刺青−身体改造−に魅せられた
19歳の主人公“ルイ”の目を通して、彼氏の“アマ”、その知人で彫り師の“シバさん”
との交際関係を、前回芥川賞受賞作『ハリガネムシ』と同様、
過激なセックスや暴力の描写を交えながら
(ただ今回は女性の視点から描写されているためか
『ハリガネムシ』を読んで感じたような不快感
>>6は全然感じませんでした)
軽妙なタッチで描くことで、現代の若者の価値観・倦怠感・厭世観・
希薄な人間関係等が浮き彫りにされています。
無駄な記述・描写が一切なく、最後に繋がる伏線も色々と張られていて、
短い作品でありながら、練りに練られたかなり計算された作品だと思いました。
また、簡潔な会話文と、たたみかけるような心理描写とが
絶妙なコントラストをなしていて(これがデビュー作とはとても思えません)、
かなりの才能を感じました。
↑
最初に受賞が決まったのは選考委員の半数の五人が〇で推した金原の「蛇にピアス」。
△が四人で古井由吉選考委員だけが反対、七点を獲得した。
選考経過を説明した村上龍選考委員によると
「特別議論白熱ということもなく」すんなりと決まった。
「最も破綻(はたん)がない作品が選ばれた」とも印象を述べた。
河野多恵子選考委員は「文章のレベルが上がっているのではないか」と評価した。
「どこに傷があるか」で少し応酬があった程度だった。
「蛇にピアス」は「今を生きる女の子の純愛で好きな男に対する思いがきちんと描かれている。
いれずみを入れた後、落ちこんでゆくことから一般的な女の子だと示されるなど、
作品として感心するほどよくできていた」と村上選考委員は絶賛。
との事。
奥泉光『新・地底旅行』
『「吾輩は猫である」殺人事件』及び『鳥類学者のファンタジア』と
三部作を形成する奥泉光の最新長編作品。
時は明治時代。失踪した稲峰博士とその娘都美子を捜索する
(更に武田信玄の隠し財宝を見つける)ため、
画家でこの小説の語り手である野々村鷺舟とその友人富永丙三郎、
稲峰博士の弟子水島鶏月、稲峰博士の女中サトの4人が、
富士山麓の樹海の洞穴(龍の口)から地底奥深く地球の中心に向けて
探検していく波瀾万丈・抱腹絶倒・奇想天外な冒険物語。
映画でたとえるなら、中盤までは『グーニーズ』や『インディー=ジョーンズ』
のようなスリリングな冒険活劇といった感じで、
野々村・丙三郎・鶏月・サトのキャラがそれぞれ対照的で面白く、
とても楽しく読めます。
終盤になると、“電気エネルギー”“電気生命体”“宇宙オルガン”“光る猫”等々
不可解なものが次々と出てきて、あたかも『2001年宇宙の旅』
『ミッション・トゥー・マーズ』みたいな、地球誕生から現代に至るまでの
長い時間の中での人間存在の本質・宇宙全体の謎=神秘といった
難解かつ壮大なテーマが垣間見られ、色々と考えさせられました。
ただ、“メビウスの環”の如く現実と虚構・過去とが複雑に絡み合う
『ノヴァーリスの引用』『葦と百合』『プラトン学園』『グランド・ミステリー』
等のような作品に奥泉作品の魅力・醍醐味を感じている私のような読者には、
ちょっと期待はずれで物足りない作品かもしれません。念のため・・・。
東野圭吾『幻夜』
“名作『白夜行』から4年半。あの衝撃が、今ここに蘇る。”
というキャッチコピーに釣られ思わず衝動買いしてしまいました。
阪神淡路大震災を契機に、魔性の女=新海美冬と宿命的に出会ってしまった
一人の青年=水原雅也(及び、彼らをひたすら追い続ける刑事加藤)が、
破滅への道を突き進んで行く姿を描いた東野圭吾の最新作。
一体、新海美冬とは何者なのか?
何故それほどまでに次々と男を利用して出世を図ろうとするのか?
その理由は結局最後まで解明されずに
(それらしきヒント・答えは提示されていますが、
最終的な判断は読者に委ねられた形で開放されて)終わってしまいます
(ネタばらしになってしまうのであまりこの辺は詳しく書けませんが)。
その点で、明確に“幼少期における性的虐待に起因したトラウマ”
“貧しい者が富める者に対して抱く妬み・恨み”
“少年少女期に形成された感情の普遍性・不可侵性”といった
人間の深層心理を根底に据えて描いた『白夜行』や『殺人の門』(参照
>>8)
の方が作品として分かり易いし、私は好きです。
作品で描かれるタイム・スパンも、『白夜行』や『殺人の門』が約20年にも渡る
長期だったのに対し、『幻夜』は約5年(阪神大震災〜ミレニアムまで)という
短期間で、ちょっと終盤にきて失速してしまったような印象も受けました。
ただ、いつもながら複数のストーリーを並行して描き、伏線を張って、
読者をぐいぐい作品世界に引き込んでいく技術は素晴らしく、
また、その時代々々の社会的背景(今作では阪神淡路大震災、サリン事件、
ストーカー犯罪、カリスマ美容師等々)を作品に取り込み反映させるのが
本当に上手い作家だなぁとつくづく関心しました。
早く彼にも直木賞をあげて欲しいものです。
このスレ観させていただいてます。
一日どれくらい本読んでるんですか?僕は三日に一冊ですが、もっと増やそうと思ってます。
>>70 普段色々と忙しく、じっくり腰を据えて読書できないため、
そんなに読むペースは速くはないですよ。
毎晩、就寝前のひととき、読書に浸ってます。
私はいつも何冊か(5〜8冊)の本を並行して読み進める癖があるので、
平均すれば1ヶ月に5、6冊くらいかな。3日に一冊はすごいですね〜。
と言っても、ドストエフスキーやトルストイの長編なんかは1冊で1ヶ月はかかるし、
軽い短・中編なんかは1週間で10冊は読めるから、あんまり参考にはならないかも。
それより、良かったら読んだ本の感想をどんどんupして頂けませんか?
私一人では寂しいので・・・。
あ、二十一さんだ。
自分も時々コノスレ読んでます。
ここの
>>1さんの感想は読んでて面白いし、
最後のネタバレもほぼなし。がんばってください
この言い方だと
>>1さんにネタバレするなといってるようなものですね。
すみませんでした。ネタバレしても普通に読ませてもらいますんで
どんどん書いてください。
74 :
吾輩は名無しである:04/02/01 17:40
スティーブン・ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』(白水社版)読了。
エドウィンという11歳で死んだ少年に関する伝記。
それを書いたのは幼馴染で11歳のジェフリー(という設定)。
名作と呼ばれているだけあって、発想や構成が非常に面白かったです。
オチも「なるほどw」と思いました。
ジェフリーの「芸術家を作り出す」作業はとにかく変態的で笑えると同時に恐怖を感じます。
伝記文学や小説に関するジェフリーのコメントもなかなか秀逸。
11歳のガキが「読者よ!」という感じでいきなり語りだして、
独自の哲学、箴言を語るのですが、妙にリアリティがありました。
それとすごいのは子供の世界、子供から見た世界を緻密に描写しているところ。
新しいものにであったときの喜びや驚きもそうなのですが、
人や影や物の「動き」を子供の視点でよく描いているなあと思いました。
ただその描写がときどき無駄に冗長な感じがしました。
ジェフリーの変質者的な性格を表す。子供の視点で生き生きとした世界を描く。
という意味では成功していると思いますが、もう少し削れたのではないかと。
結構飛ばし読みをしてしまいました。
バルザックなんかの情景描写のしつこさは楽しめるのですが、
ミルハウザーのそれにはちょっと退屈してしまいました。
でも全体的に楽しく読めました。笑えると同時にガクブルな小説です。
test
76 :
吾輩は名無しである:04/02/03 11:42
五木さんの日本退屈党よんだけどね。どうだ。オマエラ、いたずらの方は。なんてね。
1の感想ばっかジャン
>1
おそれすごめんなさい。
そうなんですか〜
僕の場合、小説よりも実学書みたいなやつが多く、斜め読みする程度です
>いち
僕を知ってるんですか?
最近読んだのは、ニーチェの「善悪の彼岸」と「道徳の系譜」(岩波)です。
ニーチェはソクラテスやカントといった、超ビッグネームを高圧的に批判していて、しびれました。
また、天才とはもっとも人間的な人間のことではないのだろうか、と感じました。
あと、上のほうでも出ているドストエフスキーとトルストイは一通り読みました。
ドストエフスキーの「分身」(岩波文庫では「二重人格」)は、一般的には駄作といわれていますが、非常に面白かったです。主人公があまりにも可哀想で笑えます。
トルストイの中でかなり好きなのが「幼年時代」。幼いころの悩み、弱さ、愛の萌芽、が感じられて涙出そうになります。
それから今日友人と、軽い論争がありました。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」についてです。以下ねたばれありです・・・
ライ麦畑でつかまえてっていうのはどういう意味かについて、
僕は、思春期の不安定な少年少女は、大人に反抗しつつ(逃げ回りつつ)も、何かに救って欲しい、正しいものに受け入れて欲しい、(つかまえてほしい)(という弱さを持っている)という意味に解釈しました。
友人によると、ライ麦畑を行き過ぎたところには崖があり、落ちたら死ぬそうです。
かなり前に一回読んだだけなんですが、一番印象に残ったのは、主人公が娼婦に手を出そうとしたかなんかして、金を渡さないで、ごろつきに脅されて情けなく降参してたところです。他のところはほぼ忘れました。
80 :
吾輩は名無しである:04/02/03 23:35
小説書くための勉強のつもりで、
「限りなく透明に近いブルー」
「海の向こうで戦争が始まる」
を読む。
内容はともかくとして、「限りなく」の構成のメチャクチャサに驚く。
セリフは面白い。
81 :
吾輩は名無しである:04/02/06 00:05
バルザックの「幻滅」をよみました。
友達がキャラ萌え要素がすごいよって言ってたので。
第2部が面白かったです。マスコミ業界の裏面とか、
主人公リュシアンのダメっぷりが特に。リュシアンには何度も腹がたちましたヽ(`Д´)ノ
第3部なんですが、あまりにも妹エーヴが都合のよいキャラとして使われてて残念。
なんていうか第3部の半ばくらいまでスーパーマン的な役割で。
あまりにも物事をうまくこなしすぎるというか。
でもその駆け引きとかはなぜかリアリティがあって面白いんですが。
第3部はちょっと冗長な感じがしました。
もっとリュシアンにスポットをあてて、訴訟部分を少し削って欲しかった。
それにしても「セナークル」ってかっこよすぎ!
キャラ萌え要素たっぷりですね、バルザックは。
ダルテス様〜♥って感じですた。ビアンションもクレチアンもステキ(*´Д`)
「セナークル」を中心にした物語とか読んでみたいな。
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ。
イケメンのサブキャラ軍団みたいな感じでトキメキました☆
82 :
吾輩は名無しである:04/02/06 00:24
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
ハンター×ハンターの幻影旅団とか好きな人にはオススメですよ
亀レスでごめんなさい。
>>72 いちさん
ありがとうございます!
そう言って頂けて、すごく嬉しいです。
>>74 感想ありがとうございます。
ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』は確か絶版になっていたと
思っていたら、いつの間にか復刊してたんですね。
近いうちに私も読んでみたいと思います。
>>78 二十一さん
ニーチェって、ソクラテスやカントを批判してたとは知りませんでした。
まぁ、超人思想を提唱して「神は死んだ」なんて言うぐらいだから。
それにしても、ドストエフスキーとトルストイを一通り読んでいるなんて
凄いですね〜。
私は長編は何度も読んでいるのですが、その他の作品はあまり読んでないんです。
ちなみに、今まで『カラマーゾフの兄弟』は岩波版の米川正夫訳で読んでいたのですが、
先日、新たに文字が大きくなって読みやすくなった原卓也訳の新潮文庫を買ってきて、
現在、再読しているところです。
それにしても、『カラマーゾフの兄弟』は何度読んでも面白いし、新しい発見がありますね〜。
>>79 二十一さん
私も『ライ麦畑でつかまえて』は随分昔(中学生時代)に読んだきりなので
ほとんど忘れてしまいました。
昨年出版された、村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も結局購入しなかったし。
ただ、“ライ麦畑でつかまえて”っていうのはどういう意味かについては、
去年の文学界6月号のサリンジャー特集を読めば参考になるかもしれませんよ。
>>81 バルザックの『幻滅』って随分マイナーですよね。
でも面白そう〜。キャラ萌え要素たっぷりというのが。
金原ひとみ『アッシュベイビー』
先日、『蛇にピアス』(参照
>>66)で第130回芥川賞を史上最年少で受賞した
金原ひとみの受賞第一作ということで期待を込めて読んでみましたが・・・・。
語り手である“私”こと、出版社に勤める大学時代の同級生=館山
“ホクト”とルームシェアしている22歳のキャバクラ嬢“アヤ” が、
ホクトの会社の同僚である“村野さん”に恋い焦がれ、
ひたむきな一途な恋愛に悩む姿(及び、ロリコンである“ホクト”が
親戚から預かったという赤ん坊に対し自室で異常性愛行為に及ぶ姿)
を描いた作品。
内容はともかく、“クソ”“チンコ”“マンコ”“オナニー”“殺して”等々の
汚い言葉の数々が、22歳の女の子である“私”の口から連発されるのには辟易しました。
今どきの若い女の子は何の抵抗もなく平気でこういった言葉を使うんですかね〜。
前作『蛇にピアス』程度ならまだ許せるのですが、さすがに今回は私の許容範囲を超えていましたw
また、描かれている主人公の人物像が、今作の “アヤ”と前作の “ルイ”とで
ほとんど一緒なのも気になりました。
他方、前作同様、所々、村上龍ばりの畳みかけるような内面吐露描写があり、
そういった箇所では小説家としての才能は間違いなくあるなぁとも感じました。
作家としての試金石とされる第三作目に期待したいと思います。
ちなみに、文学界3月号に村上龍と金原ひとみの対談が掲載されているのですが、
非常に興味深く読みました。いろいろな意味で。
大西巨人『深淵』
まだご健在だったとは驚きです!
80歳を越えた大西巨人の9年振りの最新長編小説。
“12年間の記憶を失った男は、生と存在との根源的問題に直面した−”
“冤罪・誤判と言われる二つの殺人事件を通して描かれる、
人間・社会のあるべき姿”といったキャッチコピーに惹き付けられ、
埴谷雄高の『死霊』のような壮大な作品を期待して読んでみましたが・・・
全くの期待外れでした。
1985年7月、埼玉県与野市に住む28歳の主人公=麻田布満が
新婚の妻琴絵を残し忽然と失踪し、12年後の1997年4月、
北海道釧路市郊外の病院で12年間の記憶を喪失させたまま
(逆行性健忘に陥り)“秋山信夫”として目覚めるところから作品は始まります。
その後、妻琴絵(娘白妙)と再会を果たし、逆行性健忘に陥ったまま
以前の生活を取り戻すのですが、ある日、丹生哲彦という人物と偶然出会い、
布満が空白の12年間西日本のと或る場所で別の名前=“秋山信馬”として
生活していた事実を明かされ、更に、或る殺人(冤罪?)事件の重要証人として
“信馬”が必要とされていることを伝えられ・・・。
と、ストーリーの概要自体を説明すると何かすごく面白そうですが、
それ程面白くはないです(決してつまらなくもないですが)。
かなり文章・言い回し・作品構造等が独特ですし。
現在、大西巨人のHP(巨人館)上でこの作品は公開されているので、
わざわざ本を購入してまで読む必要はないような気がします。
ただ、作品内で古今東西の作家(カフカ、トーマス=マン、チェーホフ、
ガルシア=マルケス等々)の作品が取り上げられていて、
その点では十分楽しめるかもしれませんが(でもそれだけでしたw)。
カルト的人気が高い(!?)『神聖喜劇』は未読なんですが、
こちらの方はどうなんでしょうか?
87 :
吾輩は名無しである:04/02/10 20:58
1さんの職業、年齢を教えてください。
たぶん、みんな知りたがっていると思いますよ。
あぼーん
89 :
吾輩は名無しである:04/02/11 00:15
はじめまして。
横山秀夫著:『半落ち』
を読みました。
最近映画化された作品だということで購入。ミーハーです;
映画で観られた方もいらっしゃるかもしれませんね。
警察官である梶が、『病気の妻を扼殺した』と自首してきたことから始まります。
とりまく人々や組織の内情なども詳しく書かれており、各章ごとは面白く、すっと読めました。
ただ、最終章での梶の行動の理由は、いきなりすぎてあまり納得できませんでした。各章が、それぞれ違う人物の視点から書かれているので、最終章あたりは梶視点で書いてほしかったです。
「他人から見た梶」ばかり書かれているので、梶本人を理解することがあまりできませんでした。
90 :
吾輩は名無しである:04/02/11 01:02
村上春樹は「風邪の歌を聴け」が最高傑作で、
「海辺のカフカ」が一番の駄作だと思う。
自分の歳のせいかもしれないけど。
91 :
吾輩は名無しである :04/02/11 01:10
ハードボイルドワンダーランドはどうなの?
私もグロテスクに裏切られた。ノンフィクションに想像力が勝てなかったと私も全くそう思った。三分の二まできたけど読むのやめよう。
だいたいoutも世評ほどはいいとおもわんな。米国で評価されそうらしいけど。
藤原正彦 天才の栄光と挫折 新潮選書
続けて投稿済まぬ
数学ができて、文章がこれだけうまくて
嫌になる 天は二物をあたえるのね。
でも 小川洋子の 博士と〜 はすらすら読めて 読みやすかったが それ以上でもそれ以下でもなかった、、、
読売新聞夕刊連載中の俵マチの トリアングル 。 おもしろい。ちょっちすけべーな女心の描写とたまに入る短歌もぐー。
ただし 朝刊連載中のの渡辺淳一のは最悪。ただのエロ小説。
神田さん て 誰よ
横山ひでちんは 長編より 短編のがいいですよ。
動機とか 顔とか。
映像化されまくってますが 彼の文章味あわないと
いけませんよ
でも おもしろいとぉもて読みまくると陰踏み あたりから飽きもきた きょうこのごろ。
やはり 軽いミステリから 重厚もの 歴史もの 芥川賞とった純文学系〜じつはこの人の書いたものでは純文がいちばん好きよ、あたくし〜 と幅広い 清張さんに かなわないのかなー
せいちょーさんの純文学は 新潮文庫 西郷札 や黒地の絵 でどうぞ。
中居正広の砂の器 見てるひまが あったらこっちを読め!
98 :
吾輩は名無しである:04/02/11 14:25
昨日読み終えた三島由紀夫「金閣寺」。
これ駄作だ。
気持ち悪いし。
三島オタって真性の低脳だね。
99 :
吾輩は名無しである:04/02/11 15:04
文芸春秋三月号で 芥川賞二作をちぇっく、、、
蹴りたい〜 はここの掲示板にでも書き込みしそうな今時の文体、、、内容もさいとうみなこ が まともでいい意味で裏切られる て書いてたけど なー うーむ あっしには 少しませた高校生の日記くらいにしか思えなかった
評価の高い蛇ぴあ のほうは 文章はまとも。だけど あまりに痛そうすぎて 読み続けることができませんでした 違った内容なら 読めるかも とはおもいましたが、、、ますます過激になるみたいですし。だったら 初期の村上龍を読んだほうが たのしい と思いましたデス
年寄り
Alenka Zupancic「リアルの倫理」
なんか難しい
途中で挫折
内容忘れた
また最初から
やり直し
でも絶対面白い…はず
直感と本能がそう言っている。
>>87 職業は言えません。ごめんなさい。
念のため、文学関係者ではありませんので・・・。
年齢は32歳です。
>>89 はじめまして。
横山秀夫も最近、もの凄い勢いで本出してますね〜。
もっとも、私はまだ彼の作品を一冊も読んだことありませんが・・・。
でも、『半落ち』はすごく面白そうだし、私も負けず劣らずミーハーなのでw
いずれ読んでみたいと思っています。
>>90 >『海辺のカフカ』が一番の駄作だと思う
という意見には同意しますが、
>『風邪の歌を聴け』が最高傑作
という意見には同意しかねます。
個人的には『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』という
異なるタイプの二作品が双璧をなしていると思います。
好みの問題でしょうけども。
>>93>>94 お、おまさん
小川洋子『博士の愛した数式』(参照
>>60,
>>61)は今年度の読売文学賞を見事
受賞したようですよ。
最新作の『ブラフマンの埋葬』はいまいちでした。少女漫画っぽくて・・・。
俵万智の『トリアングル』は、わざわざ読売新聞を購読しようかなと
真剣に考えた程すごく興味あります。やっぱり面白いですか?
単行本化が待ち遠しいです。
>>98 三島由紀夫の『金閣寺』は戦後日本文学が生んだ最高傑作の一つだと思いますが・・・。
人それぞれですね。
大江健三郎『二百年の子供』
(俵万智の『トリアングル』と同じく)読売新聞(毎週土曜日)に連載されていた作品。
大江健三郎曰く、“私の、生涯唯一のファンタジー・ノベル”とのこと。
長女“あかり”、次男“朔”、長男で障害児“真木”の“三人組”が、
両親が渡米して不在の間、父の故郷でありアサ叔母さんがいる四国の森で一夏を過ごし、
その間に森の中にあるシイの木のうろ=“夢を見る人”のタイムマシンを使って、
120年前(1864年)の過去や80年後(2064年)の未来を行き来し冒険する物語。
大江作品お馴染みの、四国の森の中の土地(“谷間”と“在”)を舞台として
その土地の歴史や伝承を綴った一連の作品群=書き替えものの一つ。
私は、大江健三郎という小説家の創造力(物語を紡ぎ出す力)というものは、
フォークナーやガルシア=マルケスに匹敵する程の、世界に誇れる素晴らしい才能
(日本人作家では稀有)だと思っているのですが、ここ最近の作品
(『取り替え子』『憂い顔の童子』)に関してはかなり不満を持っていました。
↓(続き)
でも、この作品の最後で、帰国した父(=大江健三郎)が“ピンチ”について質問した息子の朔に対し、
「私らの大切な仕事は、未来を作るということだ、私らが呼吸をしたり、
栄養をとったり、動きまわったりするのも、未来を作るための働きなんだ。・・・(略)・・・
私らはいまを生きているようでも、いわばさ、いまに溶けこんでる未来を生きている。
過去だって、いまに生きる私らが未来にも足をかけてるから、意味がある。
思い出も、後悔すらも・・・」
「私が“ピンチ”だったのは、自分のいまに未来を見つけないでさ、
閉じてしまった扉のこちら側で、思い出したり後悔したりするだけだったからじゃないか?
もう残っているいまは短いが、そこにふくまれる未来を見ようと思い立ってね。
それが“ピンチ”を脱け出すきっかけになった。・・・」
と語りかける場面では、著者自身がここ数年来の “ピンチ”からようやく脱却でき、
今後、新たな“新しい人”の作品の登場を強く予感・期待させてくれました。
私には、この最後のせりふを、希望に溢れた明るい未来ある若者達に対してだけでなく、
むしろ自分自身に向けて発し、それによって自らを鼓舞するために(そのためだけに)、
わざわざこの作品(ファンタジー)を書いたような気がしてなりません。
次回作が“最後の小説”になってしまうのかはわかりませんけれども、すごく楽しみです!
107 :
吾輩は名無しである:04/02/24 01:17
チェスの話っていうタイトルの本を読みたいんですけど、これって文庫本では
出てませんよね
知ってる人がいたら どうか教えてください
丸谷才一『輝く日の宮』
非常に読み応えのある、学問的にとても興味深く面白く読める作品でした。
この作品は一応小説という形をとってはいますが、
それは単に小説という形式を借りただけで、実質的には『源氏物語』の謎解き本
(“謎解き『源氏物語』”)と言ったほうがむしろ適切で、
著者の博識振りが如何なく発揮された、教養小説・学術書・研究書といった類の作品
のように思われます(他にも松尾芭蕉が東北へ旅した理由=“謎解き『奥の細道』”
や幽霊談義等もあって盛り沢山です)。
その意味では、先日読んだばかりの大西巨人の『深淵』(
>>86)と
相通じるものがあるのではないでしょうか。
逆に言えば、小説としてはそれ程面白くはないということですが・・・
『輝く日の宮』というのは、この小説の主人公である女性国文学者=杉安佐子が
提唱する(異説!?)、歴史上葬り去られた本来存在し得たはずの『源氏物語』
(全54巻)中の幻の巻の題名で、彼女は“ある人物”(※)の手によって
『輝く日の宮』は意図的に削除・破棄・抹消されたと考えています。
では、一体何故『輝く日の宮』は“ある人物”の手によって抹消された
(されねばならなかった)のか?
その謎解きがこの小説の最大の見せ場で、そのクライマックスは作品最後に、
安佐子が突如何の前触れもなく、紫式部と“ある人物”との対話を瞬時的に
神から与えられた天啓の如く脳裏に思い浮かべるという形で訪れるのですが、
その明かされる真実に私は完璧に痺れました!!
見事としか言いようのない答え、それ以外考えられないような真相が用意されています。
日本史や古典文学が好きな方には是非読んでみて欲しいと思います。
絶対におすすめです!
※ ちなみに“ある人物”とは、誰もが知っている歴史上の超有名人物です。
この人物と紫式部との間に男女間の関係があったとか、
『源氏物語』がこの人物と紫式部との共同作業によって誕生した
(この人物の存在抜きでは到底完成できなかった)といった事実は
私には初耳で、それだけでもビックリさせられました。
『源氏物語』の執筆は1001年頃開始されて1008年頃完成されたということなので、
ちょうど今から1000年前の話なんですよね〜。驚きです!
110 :
吾輩は名無しである:04/03/10 21:52
高村薫 「マークスの山」
>>106 昨日たまたまニュースステーションを観ていたら、大江健三郎が現在、
今までの集大成・総決算となる作品に取り組んでいる(自宅で執筆中)
映像が流れていて、ついに、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
と嬉しくなってしまいました。
ヤン・マーテル『パイの物語』“Life of Pi”(2001)
2002年度ブッカー賞(英国文学圏で最も権威ある賞!?)受賞作品。
この作品は著者の覚え書き部分と3部構成からなり、
カナダ人作家である著者がインドに滞在して3作目の作品に取り組むため苦悩していた折り、
偶然立ち寄った喫茶店で一人の老人から“神を信じたくなるような話”を聞かされるところから
物語は始まります。
その話とは、昔インドで動物園を経営していたパテル家一家4人がカナダに移住するため、
日本の貨物船ツシマ丸に搭乗し出帆したけども、まもなく船は太平洋上で突然沈没してしまい、
この事故で救命ボートに乗り一命をとりとめたのは、
一人のインド人少年ピシン・モリトール・パテル(パイ・パテル)と
4頭の動物達(シマウマ・オランウータン・ハイエナ・トラ)のみで・・・・
というもの。
その後、著者はカナダに帰国し、直接パイ・パテル氏と何度か面談し、
更に日本の運輸省の役人が作成した事故調査報告書等をもとにこの作品を書き上げます。
こうした作品構造自体は、昨年読んだ水村美苗の『本格小説』(参照
>>9>>10)
に非常によく似ているなぁと思いました。単なる偶然とは思いますが。
また、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を大胆に読み変えた、
去年ノーベル文学賞を受賞したJ.M.クッツェーの傑作『敵あるいはフォー』“FOE”(1986)
にも相通じるものがあると思います。
↓(続き)
第1部は、主人公パイ・パテルのカナダにおける現在、及びインドでの
幼少期〜16歳になりカナダに発つ日までを纏めたもの。
第2部は、この作品のメインパートで、船が沈没してからメキシコの海岸に漂着するまでの
227日間にも渡る16歳の少年パイ・パテルの太平洋サバイバル漂流記
(このパートだけでも一つの独立した漂流記もの作品として楽しく読めると思います)。
第3部は、日本の運輸省の役人が作成した事故調査報告書を纏めたもの。
第2部までで作品の9割を占め、ここまでは何の変哲もない普通の漂流記もの作品なのですが、
最後の第3部で衝撃的な“大ドンデン返し”が待ってます。
それがどれ程のものかは、この作品が既に『シックス・センス』『アンブレイカブル』でお馴染みの
M.ナイト・シャマラン監督による映画化が決まっているということからも
容易にご想像頂けるのではないでしょうか?w
文学・小説の危機が叫ばれて久しいですが、小説という表現形式には
まだまだ未知の可能性が残されているなぁと実感させてくれる作品でした。
中村文則『悪意の手記』
著者の作品は今まで『銃』→『遮光』→『蜘蛛の声』と読んできていますが、
彼が目指している(目指そうとしている)路線にはちょっと限界があるかな?
という印象を持ちました。期待はしているのですが・・・。
残念ながら、この作品でも恐らく芥川賞は無理だろうな〜と思いました。
作品は、15歳でTTPという難病を患い生死の境を彷徨ったけれど奇跡的に生還し、
その後、高校の親友Kを衝動的に殺害してしまった現在25歳の男=“私”の
三つの手記から成り立っています。
第一の手記は難病に罹った15の頃からKを殺害した頃までのこと、
第二の手記は18になって仙台?の大学での学生生活を新たにスタートさせてから
自殺未遂を起こすまでのこと、
第三の手記は大学を中退し、バイト先でリツ子という
15歳の少年に4歳の娘を殺された過去を持つ女性と出会ってから現在までのこと、
がそれぞれ書かれています。
↓(続き)
一体この手記の目的は何なのか?
作品全体からドストエフスキー臭がプンプンしていて、
明らかに『罪と罰』の影響を受けて(目指して?)書かれていると思うのですが
(加えて、多分、神戸の児童殺傷事件にも感化されて書かれているような気もします)、
やっぱり今一つ成功していない、それどころか破綻を来しているように思えて仕方ありませんでした。
その一番の原因=最大の失敗は、作品が一人称形式で書かれていることだと思います。
『罪と罰』も最初一人称で書かれた(4,5通りの方法で書かれた)けれど、
結局、現在の三人称形式になったのも、その辺に理由があるのではないでしょうか。
やはり実際の本物の殺人者、自殺者自身が書いたものでない限り、
この手の作品はどうしてもリアリティに欠け破綻を来してしまうのではないでしょうか
(例えば、神戸の事件後文藝春秋に掲載された加害少年の手記や
検察官面前調書等を読むと、そのリアリティの違いが歴然と感じられます)。
吉田修一『ランドマーク』
目下、大宮に建設中の螺旋構造の35階建て建造物“O-miyaスパイラル”をめぐり、
その建設に携わる建設会社の作業員=清水隼人と、
“O-miyaスパイラル”を設計した設計技師=犬飼洋一の二人の人間模様を、
両者のストーリーを同時並行的に、微妙に交錯させながら描いていくことで、
現代の都会で生活する若者の“危うさ”みたいなものを浮かび上がらせています。
劇的な出来事・事件は何一つ無く、クライマックスの盛り上がりみたいなものも欠けるのですが
(多少マニアックなエピソード・出来事があったり、最後にはちょっとした悲劇が起こりますが)、
この作家は、これまでの作品もそうですが(参照
>>56)、
現代という、人間関係の希薄な都会で生活する若者達の人間模様を、
都会の無機質化した固有名詞を織り交ぜながら淡々と描き、過剰性を廃することによって、
“何か”を伝えようと努力してしているのだなぁと、しみじみ感じました。
↓(続き)
果たして、そうした路線が今後どのように進歩・発展していくかを期待してみたいと思います。
でも、やっぱり個人的には、複数のストーリーを並列的に展開し描いていくのであれば、
最終的にそれらが劇的に交錯して結びつくような作品を期待したいし、
そのほうが分かり易くて私は好きなんですけどね〜。
映画でいったら例えば『マグノリア』や『アモーレスペロス』のような作品。
阿部和重(『公爵夫人の〜』や『シンセミア』参照
>>57>>58>>59)なんかはその路線ですけど。
大崎善生『パイロットフィッシュ』
著者の処女小説で、2002年吉川英治文学新人賞受賞作。
新宿紀伊國屋で文庫のサイン本が山積みされていたのを見かけたので、
思わず買ってしまい、そのまま一気に読んでしまいました。
正直言って、何の予備知識もなく、あまり期待もせずに、
暇つぶし程度の軽い気持ちで読んでみたのですが・・・
素晴らしい!期待を裏切る見事な作品でしたw
洒落た会話や譬え話・逸話、音楽・料理の描写等々が盛り込まれ、
恐らく(間違いなく!?)村上春樹、『ノルウェイの森』に多大な影響を受けて
この作品は書かれているのでしょうけれど、単に村上春樹、『ノルウェイの森』の二番煎じに終わることなく、
新たな独立した立派な作品に仕上がっていて、“成功している”と思いました。
現在、成人雑誌の出版社でその編集・出版の仕事に携わっている40歳を過ぎた主人公の“僕”が、
学生時代の恋人=“由希子”からの19年振りの電話とともに過去を回想し、
過去と現在、そして風俗嬢=“可奈”との出会いと別れ、
恩師の“渡辺さん”や“沢井編集長”の死を織り交ぜて描くことで、
作品冒頭に提示された、
「人は、一度巡り会った人と二度と別れることはできない。
なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。」
というテーマを、ジワジワと胸に染み入るように伝えてくれます。
この作品を私なりに形容してみるならば、“透明な悲しみに覆われたような作品”、
といった感じでしょうか。
作品構造自体、37歳の“僕”が18年前を回想することで、
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
というテーマを根底に据えそれを浮かび上がらせ“喪失感”を描いた
『ノルウェイの森』と非常に類似していると思いますので、
その意味では、『ノルウェイの森』好きな人にはおすすめかもしれません。
↓(続き)
「君がたとえ僕の前からいなくなったとしても二人で過ごしていた日々の記憶は残る。
その記憶が僕の中にある限り、僕はその記憶の君から影響を与え続けられることになる。・・・」
と、僕が19年振りに再会した由希子に語るセリフにはジーンとしてしまいました。
私も、人は日々記憶に支配・影響されながら生きていて、現実の実際の存在よりも、
実は、現実には存在しない記憶といった不確かなものの方にむしろ影響されているような気がします。
自分の身近な人、肉親・友人・知人がたとえ死んだとしても、
その人達の思い出は記憶として確かに自分の中に自分だけのものとして残っていて、
その記憶は自分が生きている限り永遠に喪われること無く、
その記憶が残っている限りその人達の存在に影響を受け続けながら自分は生き続けることになるのでは、
と思います。
ちなみに、題名ともなっている“パイロットフィッシュ”とは、水槽で高級魚等を飼おうするような場合に、
予め健全な生態系をその水槽内に形成・維持させるためだけに最初に入れられる魚のことで、
他の魚たちのためにその役目を終えると殺されてしまうそうです。
120 :
吾輩は名無しである:04/04/22 22:36
天童荒太 「永遠の仔」
読む前、というか話題になっていたときは子供が相当えぐいことを親とかに
やられていてそのまま育って大きくなってから親とかに復讐してそれでも足りずに
いろいろしでかしてというめちゃくちゃどろどろソースのような話だと思っていたのに
まわりくどい話の運びでやっとわかった真実も案外呆気なく衝撃ではないが意図しないラストに
数年来気になってやっと読んだ本としては肩透かしを食らった感想でした。
「希望の国のエクソダス」村上 リュー
龍の作品で読んだこと無かったので読んでみた。
てっきり、たくさんの中学生が一斉に海外のある国で独立国家を築く話だとばかり、、、。
淡々と経済の話が進んでいくだけであまり面白いとは思えず、、、。
イサベル・アジェンテ『天使の運命』(1999)
待望のアジェンテ久々の最新作。
処女作『精霊たちの家』とは違って、この作品では
いわゆるマジック・リアリズムの手法はすっかり影を潜めていますが、
ラテン文学特有の豊饒な物語世界を十分に堪能させてくれる作品でした。
時代は1843年〜1853年、
貿易港として賑わうチリのバルパライソとゴールドラッシュ真っ直中のカリフォルニアを舞台に、
私生児である美貌の主人公エリサ・ソマーズの波瀾万丈の物語を軸に、
エリサの育ての親=ミス・ローズの封印された過去
(ロンドンでのテノール歌手=カール・ブレッツナーとの悲恋話)や、
医師でエリサの親友=タオ・チェンのアヘン戦争前後の中国での話
(少年時代や伝統医師=ジョングジ及び最愛の妻リンとの出会いと別れ)等々
多彩な物語を絢爛と織り交ぜ、時間や場所(チリ、フランス、ロンドン、中国、サン・フランシスコ)
が入り乱れながらめまぐるしくストーリーが展開して行き、
最後はエリサが初恋の相手=ホアキン・アンディエタによる呪縛から解放され
魂の自由を獲得する場面で物語は静かに幕を閉じます。
最後にエリサが目撃したものは?
盗賊の首領=ホアキン・ムリエタとホアキン・アンディエタは果たして同一人物だったのか?・・・
その答えはエリサ一人が知るのみです。
↓(続き)
本の見た目はハーレクィーンみたいで(買うのがちょっと恥ずかしいw)、
軽い恋愛小説のように誤解され敬遠されてしまうかもしれませんが(もったいない)、
中身は濃密で(ちょっとした、さらっと書かれた短いセンテンスの中にも、
非常に沢山の事柄が含意され盛り込まれています)、
無駄な記述・描写・センテンスが一切無く(かなり推敲を重ねてこの作品は完成されていると思います)
物語のクオリティ・スピードに追いついて行くのが大変でした。
本作品は、そのまま『セピアの肖像』(未翻訳)→『精霊たちの家』(1982)
と語り継がれ、全体で一族の百数十年にも渡る壮大な三部作を形成するようなので、
もう一度じっくりと読み返してみたいと思います。
アジェンテが近い将来必ずノーベル文学賞を受賞するだろうことを確信させてくれるような
上質な味わい溢れる素晴らしい作品です!
123 :
吾輩は名無しである:04/04/24 19:25
ねじまき鳥よんだ
いろんな暴力がちりばめられて満杯なんだけど
まだ書きたりんって作者の勢いものっかってるのを感じた
井戸水と愛をかけてるんかな
愛は自分では注げないもので
人からしか貰えないもんなんと受け取りましたよ
生きていくためには水(愛)が必要なんだけどその水は自分自身では
自分に注げないん
生きてる事は愛されてる事で生きていくためには
暴力もつかってでも愛を手に入れないと生きられないと読んだところも
愛=犠牲
命ある肉を食べるだけでなく生きるは様様な犠牲の上に成り立っている
自分の命を乗り越えさせるためには無理やりにでも
愛をむしりとる人
その強欲から逃れられない人もいる現実と
岡田ってひとが奥さんを助け出すように
助けられる人もいるってこと
ほぼ1の感想日記だな。よし、漏れも加勢しよう。
じゃまならじゃまと仰って下され。
そのうちなんか読み終えたら書きます。
トーマス・マン「フィオレンツァ」。
トーマス・マンの唯一の戯曲ですが、マン独特の長文とその言い回しが
ここにも応用されていて、少し難解な展開に思えましたが、ストーリー
性は十分なものを持っており悲劇的な最期にはあっけなさと同時に、
共倒れの浅はかさをも感じとる内容でした。
舞台は中世のイタリアのフィレンツェで、メディチ家の頭首と僧侶の
サボラローラがモデル。サボナローラはメディチを中傷するような告白
をしきりに芸術家に対して行うが、結局はメディチの死の後には自分も
自らの選んだ道、奇跡を実現しようとしてそれに失敗し命を落とす。
この最期は語られなかったが、有名な歴史上の事件なので想像は意外に
も容易でした。
この事件はロマン・ロランにも執筆が見られたが、マンのほうが精緻な
技法に富んでいるようにも思えた。
村上春樹「ダンスダンスダンス」
彼の作品では一番好き。
人が生きることについて、とても解かりやすく書いていると思います。
死は生のすぐ隣にあり、我々は常に「死」というドアのノブに手をかけている。
これは、彼がほとんどの作品で言っている事ですが、この作品はそれが一番強い感じがする。
人は人につながっていないと、何処にもいけない。そのためには音楽がなり続けている限り、踊り続けなければいけない。
おすすめです。
木村英紀の『制御工学の考え方』
制御系ならこの本
「アルカロイド・ラヴァーズ」 星野智幸 新潮7月号
自分がかつて楽園の住民であったことを思い出した咲子が、子供を生むためだけに
時間にしばられた生を送るという「罰」を拒否し、繰り返し恋する為のみに生きる世界
――楽園――の復活を希求する物語です。
咲子の言葉はユキによって語られている。(「わたしは咲子のモノローグとなる」p.32)
けれどユキが咲子の荒唐無稽な話を当たり前のように受け止めているため、
小説を読む読者は合理的な解釈から遠ざけられて不安定な立場におかれてしまう。
ならば咲子のパトロンとなったユキに習い、私たちもこの小説のパトロンとなろう。
咲子と共にステンドグラスの草が生え、ランプの花が咲き、死体から生えた木が
胎児の実をつけるという妖しくも美しい草原に行き、素足でぬかるんだ土を踏み、、
ガラスが肌を裂くときのひんやりとした気分を味わおう。
星野さんだけに星三つ。
★★★
平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』(2004)
“美”は人を沈黙させるとはよく言はれる事だが、
この事を徹底して考えている人は意外に少ないものである。
優れた芸術作品は必ず言うに言はれぬ或るものを表現していて、
これに対しては学問上の言葉も、実生活上の言葉もなす術を知らず、
止む無く口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に満ちているから、
何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならない。
“美”というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、
妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく、
愉快でもないのである。
近代日本文学史上、三島由紀夫ほど“美”にこだわり、
“美”というものに執着し、“美”と格闘し続けた作家はいないであろう。
彼の絢爛たる美文の数々はその努力の結晶であると私は思う。
そして、平野啓一郎という作家もまた、“三島”同様
“美”というものに異常なほど執着し、格闘しているように私には思われるのである。
その点において、70年代以降登場した作家で“三島”を引き継いだものは、
紛れもなく平野啓一郎であり、デヴュー当時の“三島由紀夫の再来”との、
幾分一人歩きしてしまった感のある巷の評価も−それがたとえ恣意的・商業的なものだったとして−
回顧的に観るならば、極めて的を射たものだったように私には思われる。
↓(続き)
想像するに、平野は“三島”から文学=日本語というものの可能性―
文学=日本語が一つの“美”たり得ることを学んだのであろう。
そして、まさにその瞬間から平野は“三島”に睨まれ、
彼の絶えざる監視を感じ、彼に無限の責任を感じているのであろう。
平野は三島についてこう語っている―
『三島由紀夫という作家は、天才を自覚し、
自ら天才らしく振る舞うことを好んだ数少ない本物の天才であった。
その作品は古典となることを予定して書かれ、その通り古典となった。
我々は、三島を読まねばならない。
美点に於てしか学ぶところのない作家は凡庸だ。
彼等の作品は、ただその美点が成功を収めた時にだけ読むこととしよう。
天才は欠点に於てすら多くを語る。・・・
三島は依然として一つの事件である。同時代に生きた者のみならず、
あとから遅れてやって来る者達をも永遠に巻き込み続ける一つの眩い事件である。』と。
↓(続き)
平野啓一郎は、作品の主題として一息の吐息、一息の悲しみしか必要としていない。
彼は、大自然の広大な雑音の中から、何とも言えぬ嫋やかな素早い手つきで、
最少の“楽音”=“刹那”を拾う。
彼は何もわざわざ主題を短くした訳ではない。
自然は長い主題を提供する事が稀だからに過ぎない。
長い主題は工夫された観念の産物であるのが普通である。
彼に必要なのは主題と言う様な曖昧なものではなく、もっと確かな、
寧ろ最初の実際の“楽音”=“刹那”だった。
平野の異常な五感には、ほんの僅かな美しい主題が鳴れば足りるのだ。
その共鳴は全世界を満たすから。
言い換えれば、彼は或る最少の“楽音”=“刹那”が鳴るところに、
それを主題とする全作品を予感するのであろう。
彼の文体が実はどんなに単純なものであるかという事には
あまり人々は注意したがらない。だが、彼の文体は限りなくシンプルであり、
そしてまさにそれ故に、哀しい程美しいのである。
↓(続き)
何という沢山の悩みが、何という単純極まる形式を発見していることか。
内容と形式との見事な一致という様な尋常な言葉では言い現し難いものがある。
全く相異なる二つの精神状態の殆ど奇蹟の様な合一が行われている様に私には見える。
名付け難い災厄や不幸や苦痛の動きが、
そのまま同時にどうしてこんな正確な単純な美しさを現す事が出来るのだろうか。
それが即ち、“平野啓一郎”という稀有の天才が追い求める対象の深さとか、
純粋さとかいうものなのだろうか。
本当に哀しい文学とはこういうものであろうと私は思う。
その哀しさは、空の蒼さや海の匂いの様に、
万葉の歌人や芭蕉がその使用法をよく知っていた“かなし”という言葉の様に哀しく、
透明な冷たい水の様に私の乾いた喉を潤し、私を鼓舞する。
彼はあせってもいないし、急いでもいない。
彼の足取りは極めて正確で健康である。
彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引きずっていないだけである。
彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。
孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、
でっち上げた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない。
舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』(2004)
「愛は祈りだ。僕は祈る。−
−僕は世界中の全ての人たちが好きだ。
名前を知っている人、知らない人、これから知ることになる人、
これからも知らずに終わる人、そういう人たちを皆愛している。
なぜならうまくすれば僕とそういう人たちはとても仲良くなれるし、
そういう可能性があるということで、僕にとっては皆を愛するに十分なのだ。
世界の全ての人々、皆の持つ僕との違いなんてもちろん僕はかまわない。
人は皆違って当然だ。皆の欠点や失策や間違いについてすら僕は別にどうでもいい。
何らかの偶然で知り合いになれる、ひょっとしたら友達になれる、
もしかすると、お互いにとても大事な存在になれる、
そういう可能性があるということで、僕は僕以外の人全員のことが好きなのだ。−」
「−祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。
言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。
過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、
希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。
過去について祈るとき、言葉は物語になる。
人はいろいろな理由で物語を書く。
いろいろなことがあって、いろいろなことを祈る。
そして時に小説という形で祈る。
この祈りこそが奇跡を起こし、過去について希望を煌めかせる。
ひょっとしたら、その願いを実現させることだってできる。
物語や小説の中でなら。」
↓(続き)
「−気持ちを言葉にすることには絶対的に揺るがない、永劫の価値でもあるんだろうか?
ははは。ある。あるよ。全ての気持ちがそうであるとは言わないけれど、
僕達の気持ちの中には、絶対に言葉にしないと、何と言うか、
自分を蝕んでしまうようなものが紛れ込んでいる。−」
「−僕は本当に起こったことは書かない。
僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことか
そもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ。
そういうことを書きながら、実際に起こったことや自分の言いたいことを
どこかで部分的にでも表現できたらと思っている・・・・・というより願っている。」
「−僕が書きたいのは、実際に起こったことのそばに、その向こうに、何があったかなのだ。」
舞城王太郎という作家は、“物語”“小説”というものは一体何なのか?
なぜ人は“物語”“小説”を必要とするのか?
“物語”“小説”によりさえすればどんな事が可能となるのか?・・・
といった文学における極めて本質的な問題について、はやくから気付き、
自覚的に取り組み、真剣に格闘しているように思われます。
そして、その一つの成果が紛れもなくこの作品において結実しているように私には感じられました。
↓(続き)
「さて物語とは一体いかなるものなのか?−
−設問は、結局のところ、それがどうして存在するのかということになるだろう。
ちょっと考えただけだと、人の想像力が物語を作っていることは間違いないように思える。
全ては想像力が基盤であるように。それが大元であるように。
でももしそれが正しいのならどうして想像力って奴は物語なんかに精力を傾けることにしたんだ?
ツーバイフォーやダムを考え出すばかりじゃなく、
F15イーグルや核処理施設や電子レンジを作り出すだけでなく、
折り紙の折り方だの油絵の描き方だのステーキの焼き方だのを編み出すだけでなく、
どうしてこの世にないストーリー、フィクションなんてものをわざわざ生み出す必要があったんだ?
猿が進化しただけの存在の俺達にどうして物語が必要になるだろう。
うまいバナナの食い方やアリの巣の見つけ方、
ついでに目当てのメスの捕まえ方でも考えておけば十分だったのに、
どうしてプロローグがあってエピローグのある「お話」なんてものを考え出さなくちゃいけなかったんだ?
そもそも物語なんて、何の役にも立ってないじゃないか。
カタルシス?スポーツで十分じゃないか。バスケを観ろ。野球を観ろ。
阿呆みたいなオリンピックを眺めてろ。あそこにもちゃんとカタルシスくらいある。
だいたい毎日働きに出てご飯を持って帰って家族そろって食べて
「ごちそうさま」、お腹一杯ポンポコチン。ここにだってカタルシスはあるだろうに
一体どうして物語なんて必要になる?
喜びも悲しみも楽しみも寂しさも現実にあるもので十分なのに、
どうして作り話が必要になるんだ?
作り話はつまり嘘の産物だ。何で嘘なんかがここに介入して来たりしたんだろう?
俺は答えをちゃんと知っている。それはつまりこういうことなのだ。
あ る 種 の 真 実 は 、 嘘 で し か 語 れ な い の だ 。
↓(続き)
「本物の作家にはこれは自明のはずだ。
ドストエフスキーやトルストイやトーマス・マンやプルーストみたいな大長編を書く人間だって
チェーホフやカーヴァーやチーヴァーみたいなほとんど短編しか書かない人間だって、
あるいはカフカみたいなまともに作品を仕上げたことのない人間だって、
本物の作家なら皆これを知っている。
ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、
そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。
そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。
涙を流してうめいて喚いて鼻水まで垂らしても悲しみ足りない深い悲しみ。
素っ裸になって飛び上がって「やっほー」なんて喜色満面叫んでみても喜び足りない大きな喜び。
そういうことが現実世界に多すぎると感じないだろうか?
そう感じたことがないならそれは物語なんて必要のない人間なんだろうが、
物語の必要がない人間なんてどこにいる?
まあそんなことはともかく、そういう正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、
物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。
言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってして
涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上に苦しむことのできるもの、
それが物語だ。」(「暗闇の中で子供」“The Childish Darkness”(2001))
tst
1よ、ちょいとお邪魔しますよ。感想になってないかもしれんが。
安部公房「カンガルー・ノート」
かなり楽しめた。まあ、内容はシュールだが。読めないほどわけがわからんなんてことはない。
「死」について、よく出てくる。安楽死だとか、賽の河原だとか、死んだ母親が出てきたり。
ベッドがスクラップになったとき、なぜか妙に悲しくなった。
かいわれ大根、カンガルー、『お助けクラブ』……とにかく読んでほしい。
私は途方もないヘボなので、この小説のよさが説明できないので。
オタスケ オタスケ オタスケヨ
オネガイダカラ タスケテヨ
139 :
吾輩は名無しである:04/10/02 10:54:43
お邪魔します
ヘッセ「シッダールタ」
ヘッセの思想が遺憾なく表されている作品。
主人公が放浪して様々な体験を通して(在り来たりな言葉でソマソ)悟りを開くというもの。
折れは遠藤周作を耽読してきたからか、主人公がもうちょっと「心の弱い」人だったら良かったかなぁ、
などと思ったが、まぁコレでも良し(主人公の挫折がやっぱりあるから)
140 :
吾輩は名無しである:04/10/03 15:08:50
>>140 パクったわけではなくて、パロディーのつもりだったのですがw
でもよく気付かれましたね。って、当たり前か。
平野啓一郎「『フェカンにて』」 (2004)
小説家である主人公=大野は、現在、文化庁派遣の日仏文化交流使節団の一員として
パリに居を構え、自分にとって4作目の長編小説となる次回作の執筆の構想を練りながら、
自己の職責を果たすべく定期的に講演等を行い、その結果をレポートの形に纏めて提出するといった
充実した毎日の生活を送っている。
そんなある日、大野は束の間の休暇を利用して、知人が住むフェカン方面への小旅行の途につく。
目的は、大野が以前、自分の3作目の長編小説『葬儀』執筆のための取材の際に訪れたフェカンで、
「一人の日本人青年Kがフェカンの断崖から飛び降り自殺をする」といった作品の着想を得たが、
その着想を今回、何故Kは自殺しなければならなかったのか?
という別の観点から改めて見直すことにより、
一つの作品『フェカンにて』を完成させることができるのではないか、
と思い至ったからである。
こうして大野は、自作の主人公=Kの心理過程を辿るべく、
かつてアルチュール=ランボーが旅した土地、ウージェーヌ=ドラクロワが
友人フレデリック=ショパン臨終の際に旅行していた土地を、
ドストエフスキーの『罪と罰』を携えて目指すのだが、
途中、大野の頭には様々な思念・妄想が渦巻き続ける。
そして、終に辿り着いたフェカンの断崖絶壁の上で、
主人公=大野であり主人公=Kが見たものは?・・・
限りなく広がった紺碧の空・・・輝くばかりの真っ白な海・・・
その完璧なまでの“美”を目の前にして、
おそらくKには自らの命を絶つ以外に選択の余地・方法がなかったのではないか?
それがまた、完全なる美を前にした人間が採り得る唯一の手段なのではないか?
そこまでの考えに及んだ大野は一人フェカンの断崖を後にする。
↓(続き)
手元に作品がないのでちょっと正確性に欠けるかもしれませんが、
大体こんな感じのストーリーです。
平野啓一郎の読者であるならば、この作品の主人公=大野が
平野啓一郎自身であることは容易に同定できるのですが、
大野がこの作品中で構想している『フェカンにて』という作品が、
まさに私達が今読んでいる「『フェカンにて』」だとすると・・・
と考えるとこの連鎖は無限に続いて・・・
これは前作の「『バベルのコンピューター』」と相通じる極めて実験的・意欲的作品だと感じました。
来年日本に戻ってから発表されるであろう、犯罪をテーマにした4作目の長編小説が今から楽しみです!
舞城王太郎『夜中に井戸がやってくる。』(2004)
題名から、ひょっとしてホラー小説!?と思う人もいるかもしれませんが
(私がそうでしたw)、全く違います!
むしろ、“舞城王太郎がデビュー以来格闘をつづける
「推理小説(ミステリ)」への愛と愛と憎しみと憎しみ!”
という編集者の?本作品に対するコピーのほうが
本作品の魅力を見事に表現しています。
優れた文学作品・一流の小説というものは必ず
推理小説=ミステリーの要素を含んでいるものだ、ということは
よく言われることですが(私自身常々そう思っています)、
舞城王太郎はこの作品において、推理小説=ミステリーに対する
オマージュと訣別という相反する想いを遺憾なく描いて見せたと思います。
↓(続き)
「―推理小説との決別が何を意味するのかを僕は知っていた。
読者のために用意された答えや、数時間後か数日後には必ずやって来る問題の解決、
そういったものを含む虚構との決別は、もちろん、
答えや解決や結末があるとは限らないリアリティと対峙しようという決意の表れだろう。」
「―この世には名探偵なんてどこにもいないんだ。
密室殺人やら見立て殺人やらアリバイトリック殺人やら
ダイイングメッセージ殺人やらミッシングリンク殺人やら、
そんなものこの世では起こらないんだ。
推理小説の最後に用意されているような解決や大団円なんて
この世にはほとんど現れないのだし、もし現れたとしても、
それらは、それが現れようとしていることに誰も気付かないほどの緩慢さで
ゆっくりと段階的に現れるものなんだ。」
「―ったくもう、答えとか真相とか解決とか完璧な大団円だとか、
この世にないものを無闇に求めさせるなよな!」
舞城王太郎は、こうしたことを主人公の森本進に語らせながら、
しかし一方で、父親=森本勲の井戸の底からの脱出劇・失踪事件に関する
作品後半における“謎解き”を通して、
ミステリー=想像力に対する憧憬を直截に表現してくれています。
その意味で本作品は、いわゆる奈津川ファミリーサーガ系列に属する作品と言えると思います。
続編を期待させるような作品でした。
ジョン・アーヴィング『ピギー・スニードを救う話』“Trying to Save Piggy Sneed”(1982,1993)
今回、舞城王太郎の『夜中に井戸がやってくる。』(
>>144-145)を読んで、
ふとずっと以前に読んだ本作品を思い出したので再読してみました。
どのような作品かというと、一言で言うなら、
“作家ジョン・アーヴィングの誕生秘話!”なんですが、
彼が想像力を働かせ物語りを紡ぎ出すようになった(つまりは作家となる)
契機・きっかけとなった“ある事件”を描いた作品です。
作品冒頭でジョン・アーヴィングはこう語っています。
「これはメモワールである。
だが(まともな想像力を備えた作家から見れば)どんなメモワールにも嘘がある。
なかんずく小説家の記憶などというものは細かな嘘を垂れ流すようにできていて、
どうせなら実際の記憶にあるよりも好ましく書いてしまおうと
想像力を働かせるのが小説家なのだ。
しかるべく書かれた細部が現実と合致していることのほうが珍しい。
もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、
真実は宿るものである。
私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。
そのまた半分以上は小さい変更にかまけている。
作家であるということは、見えるものへの細心の観察力と、
見逃した真実へのやはり細心の想像力が、ごり押しにでも合体していることである。
そうなったら、あとはもう頑固一徹に言葉を鍛えるしかない。
私の場合で言うなら、何度でも文章を書き直し、
自然な会話と同じくらいに自然に響かせることである。」と。
↓(続き)
“ある事件”とは、
アーヴィングの少年時代、町の子供たちはみな、
豚と一緒に暮らすピギー(豚ちゃん)・スニードという
知恵遅れの醜いゴミ収集人を苛めてからかって遊んでいたが、
そんな惨めで可哀想な彼の家=豚小屋が、
アーヴィングが高校生になった頃の或る夜、火事で全焼してしまうという出来事が起きる。
当時ボランティアで町の消防団の一員だったアーヴィングは、
消火するため “豚小屋”が燃えている現場に居合わせることになるが、
そこで彼は他の団員たちにピギー・スニードの華麗なる“脱出劇”を静かに語り始める。
これは俺たちに対する仕返しなのだと。焼け跡から丸焼けになった死体が発見されたにもかかわらず・・・。
ジョン・アーヴィングと舞城王太郎には、どこか非常に共通するものがあるような気がしました。
>>142-143 阿部和重と平野啓一郎が申し合わせたわけではあるまいが、
ともに私小説のようなものを書いた。
前者は離婚し娘に会うことを禁じられたロリコンの中年失業者の告白に、
後者はパリに暮らす「大野」という作家の生活と意見に仮託する形で
作者と等身大の「私」を解剖してみせる。
二人とも果敢に自意識の暗い森に踏み込み、
露悪的でも自虐的でもなく、分析的・批評的な方法で内省を始めた。
「私」は社会を映す鏡でもある。
世界の混乱は「私」の中に織り込まれる。
現実の試練を受けて、「私」というフィクションは破綻するが、
その破綻ぶりを律儀に見据え、記録するのが私小説だ。
都合の悪いことは隠蔽し、美談を捏造する
「やれやれ」文学と私小説は相容れない。
「『フェカンにて』」で平野が試みたのは、
これまで小島信夫や古井由吉・笙野頼子・保坂和志らによって
機能拡張が図られてきた私小説を踏襲し、
「私」と「他者」の境界を見据えることだった。
異国の都市で、外国語を飼い馴らそうとする暮らしを続けていると、
それまで眠っていた自意識が作用し始める。
異国の眼差しや耳に自分が同化することによって、
自分の顔や立ち居振る舞い、発音が客観化されるのだ。
いわば、「私」を他人として突き放して見るようになる。
異国の旅先でショーウィンドー越しに見慣れない男の視線を感じたが、
よく見ると自分だったというような違和感とともに、主人公は彷徨う。
彷徨いながら、自分が書いてきたもの、考えてきたことを反芻する。
そして、ふと思う。
本の全てのページから主語が消失したらどうなるかと。
「あらゆる言葉が、互いの境を失って矛盾に満ちた巨大な混沌を成す」
と彼はいう。
小説ではその混沌を引き受けるのは登場人物であり、
またその生みの親たる作者である。
殺したり、狂わせたり、騙したり、盗んだりを作中で繰り返す作家は罪深い。
しかし、実際に殺戮や陰謀を命じながら、
一切その罪を背負う気がない指導者とは違って、
作家は行為を言葉にすることで懺悔し、自己責任を取ろうとする。
言葉と主体の関係を築き直す作業を通じ、
平野も「私」のイノベーションを図ろうとしている。
♥
1 吉村萬壱『ハリガネムシ』(2003)
>>3 2 青山光二『吾妹子哀し』(2003)
>>7 3 東野圭吾『殺人の門』(2003)
>>8 4 水村美苗『本格小説』(2003)
>>9-10 5 宮本輝『錦繍』(1982)
>>13-14 6 保坂和志『カンバセイション・ピース』(2003)
>>15 7 花村萬月『王国記』(1998-2004)
>>21-22 8 ドストエフスキー『未成年』(1875)
>>34 9 桐野夏生『グロテスク』(2003)
>>41-42 10 森健『火薬と愛の星』(2003)
>>43
11 吉田修一『東京湾景』(2003)
>>56 12 阿部和重『シンセミア』(2003)
>>57-59 13 小川洋子『博士の愛した数式』(2003)
>>60-61 14 羽田圭介『黒冷水』(2003)
>>62 15 島田雅彦『美しい魂』(2003)
>>65 16 金原ひとみ『蛇にピアス』(2003)
>>66-67 17 奥泉光『新・地底旅行』(2004)
>>68 18 東野圭吾『幻夜』(2004)
>>69 19 金原ひとみ『アッシュベイビー』(2004)
>>85 20 大西巨人『深淵』(2004)
>>86
★星野智幸『アルカロイド・ラヴァーズ』(2004)
>>128
本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 (2004)
この作品を一言で説明するなら、
去年読んだ羽田圭介『黒冷水』(
>>62)の姉妹編といったところでしょうかw
『黒冷水』もそうでしたが、この作品もとても著者の処女小説とは思えないほど
完成度の高い、非常に読み応えある、とても面白い作品でした。
『黒冷水』は兄弟間の“机あさり”を契機とした確執を描いたものでしたが、
本作品は姉妹間の“日記の盗み読み”を契機とした確執を中心に、
各登場人物(和合家長男宍道27歳、長女澄伽22歳、次女清深17歳、兄嫁待子31歳)
の抱える心の闇を見事に描いています。
次女清深が小学3年の時、自意識過剰の姉澄伽の日記を
偶然盗み見してしまった事がすべての始まりで、
清深は抑えきれない衝動に突き動かされて、つい
その内容を漫画にして雑誌に投稿すると、見事新人賞を受賞していまい、
すべてが露見してしまう。
その事件がきっかけで故郷を捨て東京で一人暮らしを始め、
女優となる夢を追い続けている澄伽が、両親の突然の事故死のため
実家に数年振りに戻ってきたところから物語は始まります。
いまだに妹を赦すことができず執拗な妹いびりをする澄伽であったが、
田舎での暇潰しのため始めた、東京で映画監督をしているという
“小森哲生”なる人物との文通を通じて、次第に澄伽の気持ちにも変化が生じ、
やがて姉妹間で和解がもたれるのであるが、そんな平和も束の間、作品最後、
妹の清深から衝撃的な事実が姉の澄伽に告げられる・・・。
『黒冷水』を面白く読めた方なら、この作品もきっと面白く読めることと思います!
この作品も『黒冷水』同様素晴しい作品だと思うし、
何かの賞を受賞してもおかしくないのでは、と思うのですが、
ただ題だけは何とかして欲しいですね〜。
全然作品の内容と合ってませんから。残念!!
コニー・ウィリス『航路』“Passage”(2001)
臨死体験=NDE(Nea Death Experience)について研究している
主人公の女性心理医ジョアンナが、被験者不足のため、
自らデジタミンという薬物投与により人工的にNDEを作り出し
NDEを実際に体験してみることとなる。
今までの研究成果から、どのようなものが見えるか
知っていたジョアンナだったが、実際に彼女がそこに見たものは・・・・
何とタ○○○ッ○だった!一体なぜタ○○○ッ○なのか??
何度か実験を繰り返すうちに、その理由は、
ジョアンナが高校時代、英語の授業中に先生が生徒にしゃべった言葉にあると
おぼろげながら確信するが、果たして当時先生は生徒に何と言ったのか?
その言葉=キーワードさえ判明すれば、
きっとNDEのメカニズムも解明することができるのだが・・・。
紆余曲折を経て、やっとキーワードを突き止め、
ついに自分がなぜタ○○○ッ○に乗り合わせることになったのか
―NDEのメカニズムの真相を解明したジョアンナの身に、
突然とんでもない災厄が降りかかってしまう・・・。
この作品は巷での評価が非常に高かったので、
かなり期待して読んでみたのですが・・・単なるエンタメ作品で
私にはちょっと期待はずれでした。
勿論とても面白く読めるし、一級のエンタメ作品だとは思いますが・・・
一番の問題は作品の長さです。長過ぎです!!
正直この半分の長さでちょうどいいのではないでしょうかw
まあ暇潰しには最適の作品だと思いますのでw、
今回文庫化されたので年末年始お暇な方には是非おすすめ致します!
星野智幸『在日ヲロシア人の悲劇』(群像2005年1月号)
スヴィドリガイロフ大統領の独裁政治から逃れた亡命ヲロシア人への
支援活動と、ヲロシア国への軍事派兵反対運動をしている好美。
そして彼女と家族との関係を描いた作品。
この架空の世界は実際の社会情勢や事件を思わせるエピソードに
満ちているのですが、それらはとってつけたようで、好美の両親や
弟を描くファミリードラマ的なエピソードにうまく取り込まれていない
ように思う。
在日ヲロシア人がひとりも出て来ない、在日日本人の悲劇です。
これは失敗作だと思う。
星一つ。
★
桐野夏生『柔らかな頬』(1999)
1999年度直木賞受賞作品。
桐野夏生には『グロテスク』で見切りをつけたつもりでいたのですがw(参照
>>41-42)、
この度文庫化されたのを期に試しに読んでみました。
う〜ん、本当救いの無い話ですね〜w
どうしようもなく救いの無い話を読んでカタルシスを味わいたい人にはおすすめかも?
「救いの無い物語」は、5歳の女の子有香が北海道支笏湖近隣の別荘から
早朝忽然と姿をくらます事件によって幕を開けます。
失踪した女の子は、別荘の持ち主=“石山”の仕事を通じての知人=“森脇”の長女で、
ちょうど石山一家四人と森脇一家四人で東京から夏の避暑のために
家族揃ってバカンスに来ていた矢先の出来事で、この事件を期に、
それまで表面上では円満だった石山夫婦の仲も森脇夫婦の仲も
亀裂が生じてしまうことになります。
実は、女の子の母親であり物語の主人公でもある“カスミ”は、
別荘の持ち主の石山と不倫関係にあり、今回のバカンスも
二人が逢瀬目的のために仕組んだものだったのですが、
ユカ失踪事件を期に石山とカスミの不倫関係は
石山の妻にもカスミの夫にも露見してしまうこととなり、
やがて二人の転落の人生が始まることとなります。
他方、事件から数年経ち、ガンを宣告され余命幾ばくも無い道警の元刑事=“内海”は、
偶然テレビの公開捜索番組に出演していたカスミを見た瞬間、
何か彼女に惹かれるものを感じ、残り少ない自分の人生を投げ打って
行方不明のユカの捜索を無償で引き受ける決意をし、・・・・
こうして娘も家族もすべて喪ったカスミと余命僅かな内海とは、
互いに運命の糸に引かれるように、一緒にユカの捜索活動を北海道で開始することになります。
↓(続き)
果たしてユカは生きているのか?失踪事件の犯人は一体何者なのか?
ユカ失踪事件の謎解きとともに、悲しい運命に翻弄されるカスミ・内海・石山
各人の心の闇に焦点は当てられ、徐々に物語は悲しい結末に向かって進んで行きます。
因果応報と言いますが、あらゆる出来事・悲劇はほんの些細な事から派生し、
いくつもの偶然が作用した結果であるという事実が次第に浮き彫りにされ、
とても遣る瀬無い気持ちになりました。
作品中、失踪事件の解答が何通りか登場人物がみる夢・ビジョンの形で提示されるのですが、
最後、ユカの視点で描写されることでこの作品は“成功している”と思いました。
機会があったら他の桐野作品も読んでみようかなと思わせるに足る作品でした。
次は『残虐記』でも読んでみようかな?
160 :
名無し物書き@推敲中?::05/01/24 00:51:00
u
161 :
名無し物書き@推敲中?::05/02/04 14:22:55
h
162 :
名無し物書き@推敲中?::05/02/14 13:00:39
yuf
>>157 スヴィドリガイロフってあのスヴィドリガイロフ?
164 :
吾輩は名無しである:05/02/15 16:04:29
『詩篇殺人者』 クリス・ペティット
この小説は二通りの視点から構成されている。一方は現実に起きている連続殺人事件を捜査する警察側。
もう一方はキャンドルスティックというコードネームをもった、テロリストの視点からであり時間軸では過去にあたる。
1985年2月、ベルファストの郊外で轢死体が発見された。
捜査にあたったクロス警部と女刑事ウェスタビーは、
聖書の詩篇を引用した新聞広告が事件の直前に掲載されていた事に気がつく。
これは警察側のストーリーであり、小説の裏表紙にも載っている中心的なストーリーである。
キャンドルスティック側のストーリーはネタバレに相当すると思われるのでここでは控えようと思う。
といっても、これはミステリといえるほどのトリックはなく、訳者の言葉を引用すると、
良質のサイコ・サスペンスとエスピオナージュの側面を持った小説である。
少しばかり読み進めると気がつくと思われるのだが、この小説はジャンル云々以前に暗い。
雨、もしくは曇りの日ばかりで、晴天のカットが皆無な映画のように暗い。
165 :
164:05/02/15 16:05:22
登場人物の気質はそれほど暗いというわけではない。だが彼らが置かれている状況、
そして予測されうる未来の展望はどす黒い雨雲に覆われており、いつ雨が降り出すとも知れない。
やがて雨が降り出すと、登場人物たちは思い思いの方法でしのぎにかかる。
雨の範囲外に逃れようとする者もいれば、肌を重ね温めあう者、出来合いの傘の製作に乗り出すものもいる。
その中で一人雨に浮かれる人物がいる。小説のタイトルにもある詩篇殺人者その人である。
あるルールに沿って殺人は実行されていく。このルールは詩篇殺人者の過去の遍歴に大きく影響をうけ形成されたものである。
クロス警部と女刑事ウェスタビーは、そのルールを解明すべく過去に起きた事件を掘り返していく。
途上で出会う人々は誰もが、雨にうたれる事ことを受け入れ、しのぐということを諦めている。
彼らは降り止まない雨にうたれることを容認してしまっている。その雨はいわば過去からのものだが、
やがて現実のそれと見分けがつかないほどに交じり合い、実体をもった悲劇へと転化する。
ここで一部分を引用する。
あんたに残されている時間のなかで、邪悪さが、建物の階のように何層にも重なっているところを見せてあげるわ。
地下室においで、それからわたしの寝室においで。そうしたらその邪悪さを映す鏡を見せてあげる。
血を流したあと、情欲を充たしたあとで。
この作品世界の中では何もかもが手遅れであるか、あらゆる行動が報われない。
一つ一つの結末に至る過程のなかにのみ束の間の平穏と安らぎがあるが、
そこには当然の如く、最悪でないというだけの不幸もまた横溢している。
幸と不幸が常に寄り添って一つの影を落とし続ける、そんな小説が読みたい人にはお勧めする。
しかし話が複雑なうえ、上下巻合わせて800ページ前後と長編であるため、
読書人としての忍耐を遺憾なく発揮できる人以外は、時間の無駄になると思われるのでお勧めしない。
ちなみに訳者は、ディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』と同一である。
「対岸の彼女」 角田光代
平凡な日常でも、文章によって新たな光を当て、
凡人には思いもよらない物事の側面を見せてくれること、
それがすぐれた作家の力だと思う。
月並な出来事を凡庸な文章で描いて何になろう。
この本は途中で読むのをやめようと思った。
後半からおもしろくなって最後まで読んだけど、
それは文章の力ではなく意外なストーリー展開のおかげ。
でもストーリーだけの魅力なら、それこそ桐野夏生さんでも読んだ方がいい。
ちなみに女子高の部分は桐野さんの「グロテスク」を思わせるところがある。
星ひとつ
★
>>163 はい。でも深い意味はないと思う。
まさにとってつけた名前。
スヴィドリガイロフ大統領がはなしをしたり、動いたりする
場面があれば、もっとはじけた小説になったかも。
167 :
吾輩は名無しである:05/03/02 14:02:32
5
阿部和重『グランド・フィナーレ』 (2005)
第132回芥川賞受賞作。
この作品ははっきり言って失敗作・駄作です!
おそらく歴代芥川賞受賞作の中でも最低レベルの作品ではないでしょうか?
今作で芥川賞を受賞させるぐらいなら、前回の『ニッポニアニッポン』で
受賞させておくべきだったのになぁと残念に思います。
なんだか手馴れた作品というか、上手く纏め上げ過ぎていて、
全然ペドフィリアという異常性愛者である主人公の内面に深く切り込んで
描き切れていないのでは、と感じてしまいました。
この点は、前作『シンセミア』(
>>57-59)における登場人物の一人=中山正巡査の
徹底した客観的描写とは対照的です。
この作品に対する評価は、村上龍の選評での酷評が極めて的を射たものと思いました。
↓(続き)
すなわち、
「少女に対する偏愛という、いろいろな意味で危険なモチーフについて、
作者が踏み込んで書いていないのが最大の不満だった。
奈良県の幼女殺害事件など社会的に深刻な問題が多発している中で、
作家はそういったモチーフを扱うときには態度を明らかにしなくてはならない。
少なくとも、危険なモチーフから逃げているとか、態度を曖昧にしているという疑いを
読者に持たれてはいけない。それは作家としての敗北につながる。
親権を失ったわが子への愛情とセクシュアルな少女偏愛が同居することにも違和感があったし、
麻薬や酒を一緒に楽しむ悪友がいる人間がああいったマニアックな性癖を持つことにも
違和感があったし、何よりも、このようなセンシティヴなモチーフを
“わたし”という一人称で書くのは致命的に未熟だと思った。
“わたし”を語り手にすると、彼は自動的に客観的な自己批判力の持ち主になってしまう。
自己批判力とマニアックな性癖は基本的に相容れない。したがって作品にリアルな怖さがない。
危険なモチーフの割りに毒がなく最後まで安心して読めるのは、
『グランド・フィナーレ』の最大の欠点である。
また登場人物の台詞として作中紹介されるロシアやウガンダなどの現実は、
現実世界と人間の残酷さを“物語に織り込む形で”描写できない作者の逃避であり、
わたしは容認できなかった。」
と・・・。
俵万智『トリアングル』(2004)
あの俵万智の処女小説!ということもあって、以前から待望していて
かなり期待して読んでみたのですが・・・・全くの期待はずれ!!
がっかりしてしまいました。
俵万智は、小説家としての才能は持ち合わせてはいなかったみたいですw
ストーリーは、現在33歳で雑誌等のフリーライターの仕事をしている“私”=薫里が、
9年前仕事を通じて知り合った12歳年上で妻子持ちの45歳のフリーカメラマン =Mとの
8年にも渡る“不倫”と、それと並行して成り行きで最近付き合い始めることとなった
7つ年下の26歳のフリーター=圭ちゃんとの交際という、約1年間の煮え切らない二股関係を、
四季折々の描写・著者お得意の短歌をふんだんに織り交ぜつつ淡々と描いたもの。
主人公である“私”に全く共感できないし、Mと圭ちゃんの人物像にも全然魅力が感じられず、
著者自身の私生活がこの作品に反映されているのかどうかはわかりませんけれどもw
単に著者自身が自己満足するためだけの「私小説」としか思えませんでした。
田山花袋の『蒲団』に端を発した日本における「私小説」の系譜における
典型的な悪い見本だと思います。何でも自分の恥部を露呈すればいいというものでは無い筈のに・・・。
その意味では、ちょうど時期同じくして刊行された辻仁成の初の自伝的小説『刀』と
非常によく似ているなぁと思いました(勿論、悪い意味で)。
こちらは、主人公=氏家透(=辻仁成)の幼少時代から、
小学(福岡)時代→中学(帯広)時代→高校(函館)時代を経て上京し、
バンド活動の傍ら小説を書くようになり、やがて芥川賞を受賞して作家として成功し、
自作の映画化に際して運命的に出会った女優=ナナ(=中山美穂)との恋愛・結婚を経て、
最終的にパリに生活の本拠を移し、息子=海渡(カイト)が誕生するまでを、
詩を織り交ぜながら描いた作品ですけれども。
詩の方はなかなか良かったんですけどね〜w
吉田修一『7月24日通り』(2004)
この作品を一言で説明するとすれば、
『東京湾景』(
>>56)を今度は地方都市(長崎市?)に舞台を移して変え
書き変えたような作品、といったところです。
『東京湾景』が良かったという人にはおすすめだし、きっと気に入ることと思います
(特に女性には)。再度、テレビドラマ化されそうな予感がしましたw
地方都市で毎日単調なOL生活をしている主人公=本田小百合は、
少しでも単調な暮らしに彩を添えようと、ポルトガルのリスボンの街の地形が
自分の暮らす街と類似していることから、通りや建物にリスボンの街の名称を付けて呼んでいます。
そんな彼女にも、高校の同窓会に参加した日を境に徐々に変化が生じ、
4つ年下の弟=耕治とその彼女=めぐみとの緊張関係を保ちながら、
やがて高校時代の憧れの先輩=聡史と付き合うようになりますが、
実は、聡史が高校時代に付き合っていた彼女=亜希子は、小百合の現在の職場の上司の妻であり、
同窓会の日に亜希子が聡史と浮気したことが原因で、二人は離婚することとなり・・・・
他方、小百合は書店でたまたま出逢った絵描き志望の青年に、
その後何度か偶然が重なり互いに顔を合わせ会話を交わしているうちに、
ある日、突然街全体が停電した夜の百貨店の屋上で告白され返事を迫られることになり・・・・
最後に彼女は自分なりの思い切った決断を下すこととなります。
今こういう作品を書かせたら、吉田修一の右に出る作家はいないのではないでしょうか?
『東京湾景』を読んだときは全然感じませんでしたが、
今回は「うまいな〜」とただただ関心してしまいました。
宮部みゆき『模倣犯』 (2001)
毎日出版文化賞特別賞・芸術選奨文部科学大臣賞・司馬遼太郎賞受賞作。
忌まわしい過去を持ち心に傷を負った一人の青年=塚田真一が、早朝、犬の散歩の最中に
都内の公園のゴミ箱の中に、身元不明の女性の右腕が捨てられているのを発見するところから
この長大な作品は始まります。
第一部は、その女性被害者が数ヶ月前会社帰りに失踪してしまった
OL=古川鞠子ではないかと懸念する鞠子の祖父=有馬義男、母=真智子とその周囲の人々、
主婦兼駆け出しの女性ルポライター=前畑滋子とその周囲の人々、
女性バラバラ死体遺棄事件特捜本部の刑事=武上悦郎とその周囲の人々・・・、
各々の人間模様を同時並行的に描写していき、やがてテレビ局と有馬義男のもとに
犯人とおぼしき人物からボイスチェンジャーを使った挑発的な電話が掛けられ、
その後、女子高生が被害者となる第二の殺人事件が発生、古川鞠子の白骨化死体の発見・・・・・
と、徐々にストーリーが加速して展開していき、読者をどんどん作品世界に引き込んでいき、
最後にはそれまでの展開とは全く無関係かに思える群馬県山中での謎の自動車事故が描かれ、
第一部は幕を閉じます。
↓(続き)
ここまでの息をつかせぬ、あたかも黒沢明のクライム・サスペンスの傑作
『天国と地獄』を髣髴させるようなスピーディーなストーリー展開、
伏線を張り巡らせた作品描写は素晴らしかったし、ひょっとして『理由』を超える傑作!?
かと期待が膨らんだのですが・・・・第二部、第三部はダメダメでしたw
第二部以降は、一転して犯人側(ピース=網川浩一とその幼馴染みの栗橋浩美、高井和明、
和明の妹=由美子ら)の人間模様が描かれていくのですが、これが何というか安直と言うか、
何十人もの女性を監禁・暴行・殺害するという行為を繰り返し、
マス・メディアまで巻き込んで世間を騒がせた犯人の動機・心情が浅薄過ぎて、
「そんな訳ないでしょ〜」と思わずツッコミを入れたくなる場面が多々あり、
全然リアリティに欠け感情移入が出来ませんでした。
それに、何よりも作品自体が長過ぎです!w
様々なものを盛り込み過ぎて、それらがすべて有機的に繋がらず、
どれも消化不良に終ってしまったように思われます。
ただ、“犯罪”となると、「果たして犯人は一体何者なのか?」
「犯人・加害者を犯罪へと駆り立てた“動機”は何か?」
「なぜ彼等はこんなことをしてしまったのか?」といった点に通常人々の関心が集まり、
それら “謎”の解明に焦点が当てられるのですが、でも、犯罪の“被害者”の側からしてみると、
「なぜよりによってこんな時に」「どうして自分だけがこんな目にあってしまったのか?」
「あの時ああしていれば良かった」・・・等と様々なかたちで後悔したり、
更には「ひょっとしたら自分の方に原因があったのではないか」と
自分自身を責めてしまったりする場合もあると思われ、
そうした普段軽視されがちな面・人々に対しても等しく目を向けて、
犯人側と対等に描いて見せた点では評価に値すると思いました。
桐野夏生『I'm sorry,mama.』(2005)
『柔らかな頬』(
>>158-159)が良かったので、次は『残虐記』を読むつもりでいたのですが、
その前に試しに著者の最新作を先に読んでみたら・・・・・・これは酷い作品でした!
くれぐれも単行本なんか買って読まないよう忠告しておきますw
やっつけ仕事だったのか、作品の内容・ストーリー展開・文章等どれをとっても
非常にお粗末なものでした!!
内容は、娼館で娼婦の子として生まれ、その後、児童福祉施設で育てられた
“人間の悪意のかたまり”のような主人公=アイ子の
極悪非道の限りを尽くした半生を描いただけで、「だから何?」って感じでした。
最後に自分の出生の秘密について驚愕の事実を知らされ・・・・・・
みたいな結末もカタルシスも全く無いです。
最後まで期待して読んだんですけどね〜。本当残念でした。
まあ、一流の作家でもコンスタントに佳作を書き続けるのは難しいことだとは思いますが、
あまりにも低レベルな作品を単行本の形で(しかも読者の購買意欲を煽るかのような、
柴田錬三郎賞受賞第一作!みたいな帯までつけて)市場に出すのはいかがなものかと、
正直思ってしまいました。金返せ!と言いたいですw
175 :
吾輩は名無しである:05/03/13 22:04:36
k
・宮部みゆき『火車』『理由』『レベル7』『龍は眠る』
最初に読んだ『レベル7』が面白かったので、
以下『火車』『理由』『龍は眠る』と続けて読んだ。
『火車』『理由』まで読んで、この作家は「人物のすり替り」
「名前と実体の乖離」というトリックによる不気味さの演出を
主な武器にしていると感じた。その時点でワン・パターンだな、
と思い、かなりこの作家への関心が減少した。
『レベル7』も含めて言えば「私は本当は社会的には誰?」
「あなたは本当は社会的には誰?」という「謎」でストーリーおよび
読者を引っ張っていく場合が多いのである。
決して文章が上手い、あるいは文章自体の魅力で読ませる作家ではないので、
オチが判っても再読したくなるということはない。
(オチを忘れた頃に再読したくなる、ということはあると思う)
『龍は眠る』はSFとして見ても、ミステリーとして見ても、
決して優れた作品とは言えない。
従って、他のファンタジー系の作品を読む意欲はあまり湧かない。
時代物および短編集は未読なので、それらを読めば、また評価が変わるかも
知れないが、今のところ続け様に読んだ為、宮部文体に飽きが来ている。
近年の現代ミステリー作品(『模倣犯』『誰か』等)が、必ずしも宮部ファン
の間でも評価が高くないようでもあり、この作家はもう最盛期を過ぎたのかも
知れないとも思う。
宮部ファンの方々の中で、上記既読作品群より、格段に優れた作品があると
いう方がおられたら、ご教示頂ければ幸いです。
177 :
吾輩は名無しである:05/03/19 03:14:12
最近盛り上がってないのね。1さんの評価おもしろいのでもっと読みたいな☆
178 :
高校生:05/03/20 01:58:59
明暗
かな〜り面白かったよ。こころより楽しめた。穏やかそうに見える普通の家庭が波乱万丈にまきこまれてく感じで
津田、お延とその取り巻きとのやり取りやそこに渦巻く感情、思いを説明する漱石の文章がなんか笑えました
未完なのが残念
やっぱり漱石は文章が本当にすばらしいと思いました
>>178 水村美苗さんの『続・明暗』(新潮文庫)は、漱石にはやはり
及ばないものの、かなりいい線いってると思いますよ。
181 :
1:2005/03/21(月) 20:57:23
池澤夏樹『世界文学を読みほどく〜スタンダールからピンチョンまで』(2005)
著者が2003年9月に京都大学文学部で7日間行った
サマーセミナーの講義録を纏めたもので、
@スタンダール『パルムの僧院』
Aトルストイ『アンナ・カレーニナ』
Bドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
Cメルヴィル『白鯨』
Dジョイス『ユリシーズ』
Eトーマス・マン『魔の山』
Fフォークナー『アブサロム、アブサロム!』
Gマーク・トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』
Hガルシア・マルケス『百年の孤独』
Iトマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』
以上、世界文学10作品を採り上げて
(他におまけとして著者自身の作品『静かなる大地』も取り上げられています)、
小説とはどういうもので、どう変化してきて、
これから先どのように変化していくのか、を読み解いていこうと果敢に挑んだものです。
182 :
1:2005/03/21(月) 20:59:01
↓(続き)
そうした目論見が果たして成功しているかどうかは置いておくとしても、
とてもわかりやすく丁寧に上記作品のあらすじを説明してくれているので、
これらの作品を未読の方にはとてもよい読書案内になっていて、
読んだ気にもさせてくれますし、また以前読んだきり
どんな話だったか忘れてしまった人にも、きっと有益な本だと思います
(値段も安いですし)。
カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』という作品の中で、
「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの
『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。
そしてこうつけ加えた、“だけどもう、それだけじゃ足りないんだ”」
と語られていますが、結局、結論的に著者が言いたかったことは
次のように集約できるかなと思います。
すなわち、これだけ複雑化した情報化社会の下、世の中・世界が多元化した中、
全体を、すべてを俯瞰し把握し理解し尽くすことは
もはや我々個人にはとても不可能なことであって、残された唯一の方法は、
全体の中の一部分を局所的に徹底して描写していくことではないか
(それしかないし、またそうすべきである)、ということです。
とてもためになる本でした。
183 :
吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 12:00:34
g
184 :
吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 12:52:25
n
185 :
なお美:2005/04/29(金) 10:09:11
「冷静と情熱のあいだ Blu」 辻仁成 角川文庫 2001
「冷静と情熱のあいだ Rosso」 江國香織 角川文庫 2001
10年後にお互い何があってもフィレンツェのドゥオモ(大聖堂)のクーポラ(大円蓋)の上
で会おうと約束を交わした男女の話。
辻さんが男、江國さんが女の側に立って書いています。
Bluで描かれる男はいつまでの昔の女に未練をもっていて情けなく、
またすぐ人に殴りかかったりして実に子供っぽい。
でもそういう人間を書いたと思えばこれはこれで小説になっている。
Rossoは文章に特徴がある。
「マーヴの手は大きくて、私の額をすっかり包みこんでしまう。こめかみに加えられる
気持のいい圧力、腕時計の音。」
「アンジェラの瞳がマーヴのそれとそっくりだということに、私ははじめて気がついた。
深い、落ち着いた茶色の瞳。」
体言止めの短いセンテンスで前の文を説明する、こんな例が頻出する。
一見しゃれているけど、だんだん鼻についてくる。というか……むかついてくる。
どういう方法でこの珍しい試みの小説が書かれたのかよく知らないけれど、
辻さんが相手を意識せずに、自分の話を進めているのに対し
江國さんは相手の動きをずっと待っている感じ。その為、Rossoは男の手紙がくるまで
お風呂にはいってアメリカ人に頭にキスされているだけの小説となっています。
Blu は星ひとつ★
Rossoには、星はあげられない。
186 :
なお美:2005/04/29(金) 10:14:31
「代筆屋」 辻仁成 海竜社 2004
文章を書くのが苦手な人やワケありの人の依頼で、本人に代って手紙を書く代筆屋。
その手紙によって各章が構成されています。
「手紙くらい、自分で書け」
「辻仁成に代筆されたくない」
という気持はこらえて読む本です。
辻さんはなかなかのストーリーテラーです。
星ひとつ半
★☆
「直筆商の哀しみ」 ゼイディー・スミス 小竹由美子訳 新潮クレスト・ブックス 2004
主人公は有名人のサインを売買する男。
憧れのスターのサインを手に入れて、大金を手に入れることができるかどうか。
というのはこの本の主題ではない。
イギリスの郊外に暮す、中国人とユダヤ人の血をひく男が
現代的な禅やユダヤ神秘思想を通して、世間の卑小さの中から啓示を得ようとする。
生きのいい語り口が魅力。
星ふたつ
★★
age
いつも帰りが早くてうざいんですが。仕事したら?外出したら?休み中ずーっとネットやって家にこもってましたね。
無趣味で友達もいない。なんかやりたいこととかないの?定年しても毎日毎日ネットしてるんだろうね。
肥満に磨きがかかりますよ。PCの前に座ってもネットしかないんですか?一度くらい仕事したら?ネット・2ch中毒な中年気持ち悪い。
189 :
吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 08:33:36
金原ひとみ『蛇にピアス』…重複スマソ。
新鮮で斬新な印象を受けました。
二度目を読み返した時、伏線の引き方が本当に素晴らしく、感心されられます。物凄い才能の持ち主ですよ、きっとこれは。
しかもこれが処女作というではないですか!彼女はまだ若い。これからの活動に期待です。
…けれど、言い回しや、作品の内容自体に、若さ、汚さ、馬鹿っぽさが滲み出ている為、1ページ目から受け付けない人は少なからずいるのでしょう。残念です。
私は好きです。うん、この作品。…世間ではボロ糞言われてるけどw
すなわち、これだけ複雑化した情報化社会の下、世の中・世界が多元化した中、
全体を、すべてを俯瞰し把握し理解し尽くすことは
もはや我々個人にはとても不可能なことであって、残された唯一の方法は、
全体の中の一部分を局所的に徹底して描写していくことではないか
(それしかないし、またそうすべきである)、ということです。
---
そんなのは、日本人は何千年も前にとっくに気づいていて、
周囲を見渡すより、自分自身を深く見つめることで
より深い精神性を育んできた。
大陸の人たちは、そのことに気づくのになかなか時間がかかったのだと思う。
それは地理的な問題もあったのだと思う。
ドストは自分自身を徹底して掘り下げて、描写したんであって
別に社会を時代をマーケティングをしたわけじゃないでしょ。だから
今の時代でも色あせず、人間から人間へ直接的に我々の心の奥底に響いてくる。
いつの時代も名作は、他人と比べたり、世の中を把握しようとするのではなく
他人なんかキニシナイって感じで自分を深く見つめた人が遺してる。
全体の中の一部分なんて局所的に描いてもつまんないでしょ。
自分の心の中を描くのが一番の近道だと思いますよ。
コレからの時代、我々は、自分にたち還るんじゃないのかな。
ネットは個のメディアでそのキッカケになりうる役割を担ってるような気がする。
それぞれが孤立して、一人になって深く自分見つめはじめれば、
他者のプロパガンダなど情報操作に惑わされることもなくなる。
本当に大事なものが見えてくると思う。
191 :
山猫:2005/05/05(木) 16:03:40
「ナインストーリーズ」野崎訳で読んだ。別の人の訳で読んでいたけど別の
作品を読んでいるような気分だった。翻訳ってのも意識しなきゃだなぁ。
森本哲郎『ウィーン』
冨田恭彦『科学哲学者 柏木達彦の多忙な夏』
今から読むのはE・ブロンテ『嵐が丘』。実は読んでなかったんだよね〜
192 :
吾輩は名無しである:2005/05/18(水) 03:37:55
今年に入って本を読み出した23歳男フリーターです。
それまでは低俗な雑誌と高尚なマンガしか読んでませんでした。
ドスト〜 罪と罰 死の家の記録 地下室の手記(今読んでる最中)
漱石〜 こころ
太宰〜 人間失格 桜桃
カフカ〜 変身
ゲーテ〜 格言集
養老〜 バカの壁 死の壁 まともな人
江川卓〜 謎解き罪と罰
地下室読破後カラマーゾフに入ろうと思います。楽しみで遺憾。
193 :
192:2005/05/18(水) 03:46:51
ドスト〜 罪と罰10 死の家の記録6 地下室の手記(今読んでる最中)8
漱石〜 こころ8,5
太宰〜 人間失格9 桜桃
カフカ〜 変身5
ゲーテ〜 格言集
養老〜 バカの壁 死の壁 まともな人
江川卓〜 謎解き罪と罰
採点しました。
194 :
吾輩は名無しである:2005/05/23(月) 23:59:53
実家にあった文学全集。
「チャタレイ夫人の恋人」D.H.ローレンス
夫が不具で「別の男の子供を産んでもいい」という許しをもらったチャタレイ夫人が
恋人をとっかえひっかえしていくスキャンダラスなお話・・・
だと思って読んだんだが、なんだこの駄作は。
発表された当時だからたぶんスキャンダラスなのであって、今読んだらそうでもない
というのはわかるんだが、この内容では、本当にスキャンダル狙いだったとしか思えない。
まず、魅力的な登場人物が一人もいない。
チャタレイ主人も、チャタレイ主人の友人たちも、夫人の恋人の森番も、
チャタレイ夫人の最初の恋人の戯曲作家も、嫌な奴ばっかりだ。
チャタレイ主人の世話係になる何とか夫人なんて完全に男性の視点でしか物を語ってないし、
主人公のチャタレイ夫人もキャラが薄っぺらい。
全体的に、やっつけ仕事っぽい。最初と中盤以降との雰囲気が全く違う。
途中からだんだん方向が変わっていったんだろうな、というのはわかるが、
最初の恋人の描写あたりは要らなかったんじゃないかとすら思った。
そのくらい違う。トルストイの「アンナ・カレーニナ」はまだいい方だ。
(アレは全体が長いし、登場人物も多いから、薄められている気はするが。)
とにかく「これ読んだ俺の時間を返せ」と思ったのは久しぶりだ。
195 :
194:2005/05/24(火) 00:19:21
実家にあった文学全集。
安部公房「第四間氷期」
優れている。
予言機って、今で言うコンピュータによるシミュレートなんだろうけど、
その予言を世界中こぞって信じてしまうあたり、本当に「予言機」なのだろう。
涙腺が退化しなかった水棲人間の描写がステキだ。
その未来の映像を間に挟みつつ、あんなことにされちゃった「先生」が素直に可哀想だった。
安部公房「他人の顔」
優れている。
「内緒ごっこ」だ。
騙していたつもりが騙されていた、みたいな多重構造は、この人のお家芸だと思う。
ネタバレしないと語れないので、いつか忘れた頃に安部公房スレにでも書き込んでこようと思う。
生々しい緊迫感があった。
安部公房の多くの作品に言えることだが、主人公が考え→逆説→そのまた逆説
ってな感じで考えを巡らせている描写が好きだ。
ああでもないこうでもないと考えて、実際には結局、外力に阻まれて何もできない。
その「考える過程」が、読んでいて楽しい。
196 :
吾輩は名無しである:2005/06/14(火) 12:30:12
h
197 :
吾輩は名無しである:2005/06/21(火) 15:51:10
age
198 :
吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 13:10:20
9
199 :
吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 14:51:49
>>192 >低俗な雑誌と高尚なマンガ
ニヤリ。この対比のさせかたがいいですね。
カフカは、もしまだ読む気があったら短編集読んでみて下さい。
こっちのが読みやすいし面白いと思いますよ。岩波から出てます。
田舎医師(医者でしたっけ?)とか好きです。
変身は、それが何を象徴しているか、を意識しながら読むと面白いというか
意義深い作品かもしれませんが、そんなん一般人にゃわからないことで解説読まないと
さっぱりですからね。深読みしない派の僕には難しすぎます。
200 :
iii:2005/07/13(水) 14:57:31
失礼します。
以前友達の家で、
「私は早起きで…」
「弟とは喧嘩してて…」
「お父さんは何とかで・・」
みたいな、外国の小説を読んだのですが、
これだけでタイトルわかる人いませんか???
201 :
吾輩は名無しである:2005/08/06(土) 07:07:43
村上春樹 神の子どもたちはみな踊る
初めてこの人の本読みました。
題名どおり、神の子が踊ってました。
だから、僕はゲラゲラ笑っちゃいました。そのとき寂しくなりました。
テーマは一貫しているし、容易でも難解でもないし。
いろんな関係を楽しめた気がします。
202 :
なお美:2005/08/12(金) 23:01:14
「千々にくだけて」 リービ英雄 講談社 2005
日本からニューヨークに行く途中で9・11のテロがおこり、
カナダに数日間足止めされた著者の実体験をそのまま小説化しています。
来るつもりのなかったバンクーバーの街を彷徨しながら、テロ直後の
衝撃に向き合う日々を淡々と描いています。
歴代のアメリカ大統領が揃って出席した追悼式をテレビを見たあとの
主人公の言葉は印象に残る。
「かれらのために、誰が死ぬものか。」
★★
203 :
吾輩は名無しである:2005/08/25(木) 15:04:53
あげ
204 :
吾輩は名無しである:2005/08/25(木) 15:36:12
前から妙に気になっていた佐藤友哉の
「子供たち怒る怒る怒る」
を単行本で。ほか短編もいくつか。
実は、掲載時からこの題名が気になっていた。
でも掲載誌を買うまでの度胸はなかったので単行本化した
ものを図書館で借りました。
「子供たち〜」は神戸の少年Aの事件を思わせるパーツを
いくつも使って、抵抗できない者・圧倒的な弱者・責任を
負わされてしまっている無抵抗な無関係者の怒りを共感と
いうよりもシンクロしながら描いてる、と思った。
途中結構残酷な描写が出てきてダメな人はダメだと思うけど
多分現実に起こっている戦争などではもっと凄惨なことが
大義名分付きで行われているはずだし、その描写の時には
ディジーカッターで無残に殺されたイラクの少女の写真が
頭にオーバーラップした。
「助けてあげたいと思っただけなの」「それだけなの」
「僕は助かりたいと思った。普通に生きたいと思った。ただ、それだけ」
そして彼らの思いは更地(リセット)へと向かう。この逆説。
途中涙が出そうになったところもあるし、ラストへ向かう2人がいい。
すごくピュアなものもあちこちから感じる。
ただやっぱりわからない部分もいろいろあるし、家族や社会とかという
ものがきれいに無視されてるし、いろいろ虫食いや荒っぽいところや
切れた電線みたいなのがほつれて出てたりとかしてて「あらら」と
思わないでもない。カリカチュアの仕方がちょっと通俗的なのも萎え。
もうちょっと緻密に組み立てて性急さを抑えて描いたら賞の対象に
なったのじゃないか。でも題名はすごくいいと思う。
205 :
名無し物書き@推敲中?:2005/09/08(木) 14:01:25
7
206 :
なお美:2005/09/23(金) 07:35:39
「海の上のピアニスト」 アレッサンドロ・バリッコ 草皆伸子訳 白水社 2000
船の上で一生を送った男の話。
戯曲形式で書かれています。
短くあっけない話だけれど、音楽に彩られた寓話的語りの
この物語は舞台で観たらすばらしいかもしれない。
★★
「戦場のピアニスト」 ウワディスワフ・シュピルマン 佐藤泰一訳 春秋社 2003
ナチス占領下のワルシャワにおける体験を描いたドキュメントです。
ドイツ人だけでなく、ウクライナ人やリトアニア人のファシストがユダヤ人狩りに
協力していたという事実は興味深い。
本の後半はゲットーを脱出した著者のロビンソン・クルーソーばりのサバイバルです。
ただナチスに批判的なドイツ人将校に助けられるところは、実話にしてはちょっと
出来過ぎている気もする。このとき主人公がピアノで演奏するのが
ショパンのノクターン嬰ハ短調(遺作)。
この曲はポランスキーの映画でも使われていたけれど、
ドイツ人将校の場面では違う曲を弾いてた。
★
207 :
なお美:2005/09/23(金) 07:48:48
「ピアニスト」 エルフリーデ・イェリネク 中込啓子訳 鳥影社 2004
主人公はコンサート・ピアニストになる夢をあきらめ、ピアノ教師となった中年の女。
自傷癖やのぞき趣味をもつ異常な彼女と教え子の若い男とのアブノーマルな愛の話です。
――といってもこの本にお洒落な文学的エロティシズムを期待してはいけない。
ここにあるのはエロというよりグロです。
この小説でおもしろいのは心を病んだ女との交流によって、
逆に男の異常性があらわになっていくところ。
作中の男の愛読書がノーマン・メイラーだということには
ラディカル・フェミニストである著者の含みがあるに違いない。
けれどそういうフェミニズム的解釈なしでも、また作意にもかかわらず
彼女の技巧をこらした文章とストーリーは充分読ませるものがある。
おすすめです。
★★★
208 :
吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 10:37:25
age
209 :
1:2005/10/02(日) 13:18:39
町田康『告白』(2005)
平成17年谷崎潤一郎賞受賞作。
城戸熊太郎という一人の男の生涯を克明に描写し尽くした作品。
一見、なんだかとても難解で哲学的な作品のように思われるかもしれませんが、
決してそんなことはなく、むしろこんなに面白くて笑える小説はないと思います
(熊太郎の河内弁での会話がとにかく可笑しい!)。
この作品では、幼い頃から思弁的で、色々と熟慮している事・思っていること・
考えていることを上手く他人に表現できないというもどかしさを常に感じ、
そのこと故に負い目・コンプレックスを感じ続けて生きている一人の人間の、
徹底した心理描写が見事なまでに行われています
(おそらく『告白』というタイトルは、作品全体を通じての主人公の
赤裸々な内面吐露に対してつけられたものと推測されます)。
この長大な主人公の内面吐露からなる作品最後、
作品冒頭の“語り手”によって発せられる「あかんではないか。」
という言葉とまるで呼応するかのような、熊太郎が弟分である弥五郎を殺害し
自殺する直前に発する「あかんかった」という末期の言葉は、
何と切なく哀愁に満ちていることか。
人間とはこれ程までに愚かで強欲で利己的で自分勝手な生き物なんだろうかと
真剣に考えさせられました。
210 :
1:2005/10/02(日) 13:27:03
↓(続き)
本作品について、作家川上弘美はこう述べています。
「明治26年、河内の水分で起こった大量殺人事件。
借金を踏み倒され妻を寝盗られた城戸熊太郎が、十人を惨殺し、
最後には自害したという実在の事件を、本書は題材としている。
事件の様子は。渦中の人々は。舞台である土地の歴史的背景は。
そのようなことが書かれているのかと思って読み始めた。けれど違った。
なぜ、熊太郎は殺人を犯したのか。
1200枚余というこの長篇に書かれているのは、そのことのみであった。
“のみ”という言い方は誤解をよぶかもしれない。
実際には、事件の様子も人々のことも書かれていた。
圧倒的な自然に囲まれた土地の暗さや奥深さも。
けれどそれら全部をひっくるめ、小説は、結局
熊太郎がどのように殺人に向かっていったのかを、
ただ克明に、執拗に、描きつづけていたのだ。凄いと思った。
その丹念さがまず第一に。けれどもっと凄いと思ったのは、
本書に書かれていたのが “なぜ熊太郎は殺人を犯したか”ということであって、
“なぜ人は殺人を犯すか”ということではない、というところである。
徹頭徹尾、これは熊太郎という男の話なのである。当たり前だろうか?
いや、そうではない。どうしても、これは熊太郎でなくてはならないように、
著者は書いたのだ。(略)
211 :
1:2005/10/02(日) 13:28:27
↓(続き)
小説を書くってこういうことなんだと、強く思った。
一般化、なんていうものからは物凄く遠いもの。
唯一これしかないという何かをきわめてゆくもの。
その特殊な唯一を追うことによって、もしかしたら反対に
遥か遠くを見晴らすことを可能にするかもしれないもの。
つきつめて、つきつめて、たどりついた結末だったからこそ、
熊太郎がささやく最後の言葉は、無残でありながら素晴しいリアリティーをもって、
深く広く読者に届くのである。」
まったくその通りだと思います!
つまり、“これだけ複雑化した情報化社会の下、世の中・世界が多元化した中、
全体を、すべてを俯瞰し把握し理解し尽くすことはもはや
我々個人にはとても不可能なことであって、残された唯一の方法は、
全体の中の部分を局所的に徹底して描写し尽くしていくことしかないのではないか
(それしかないし、またそうすべきである)”ということです(参照
>>181-182)。
>>210-211 その川上弘美さんによるレビューの出典がわかりましたら
教えていただけますか。
お願いします。
213 :
1:2005/10/02(日) 21:58:33
>>212 3月27日の読売新聞の書評欄から引用しました。
YOMIURIのWeb上にも掲載されていたのですが、もう見れないかもしれません。
214 :
1:2005/10/02(日) 22:06:43
>>213-214 ご親切にありがとうございました。
町田康も川上弘美も好きなので
この書評が読めて嬉しいです。
216 :
無名草子さん:2005/10/18(火) 11:50:55
いいネタ
217 :
吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 23:05:10
ロバート・ハリス ポンペイの四日間
古代ローマ時代、火砕流であっという間に埋まってしまった
都市ポンペイの噴火の前後数日間の物語。
ヴェスヴィオ火山を囲むようにローマの水道が走っており
主役は水道局の技官。
暑い夏、火山と文明、土木工事、おフロが好きな人には
たまらない小説。
温泉旅行二泊三日のお供にうってつけです。
あまり感想を書くのが得意ではないので
あんまりうまく説明できないです。
すみません。
川上弘美「センセイの鞄」
もういい歳のいった独身女性月子(だったかな)と
かつて自分の国語教師だったセンセイとの恋物語。
甘ったるい恋愛小説ではないのですんなり読めました。
大人の恋を感じさせる一品です。
居酒屋で偶然出会った二人は徐々にその距離を縮めていく。
その姿に私はやきもきしたり、ほろりとしたり、うんうんと
納得したりしました。
センセイの姿が文から滲み出ていてどんな背格好で
どんな表情をしているかが手に取るようにわかりました。
とにかくセンセイの書き方が良くて、印象的でした。
あと最後の一行だっかかな?
すごく心にくる文章があって、それは是非読んでもらいたいと思います。
>>218 実は過去の話だったっていうのが、ぐっと来たね
秒速10センチの越冬、面白かった。
クチュクチュバーン、面白かった。
黒冷水、面白かった。
共生虫、面白かった。
グランドフィナーレ、面白かった。
OUT、面白かった。
ホームレス作家、面白かった。
居場所もなかった、つまらなかった。
あらゆる場所に花束が・・・・・・、よくわからなかった。
221 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 01:42:38
魔王 伊坂幸太郎
途中まで読んでるけど、こんなに内容が書割的ですいすい進んで、
現代的危機に対しても旧態的見方で、でも意外に小泉ってこんだけ漫画的かなって
思ったりするところもあるし、しかしやはりこれはやっつけ仕事だと思うような
思わないような、ともかく現在に必要な小説が欲しいです。
222 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 00:29:03
「隣の家の少女」 ジャック・ケッチャム
内容があまりにアレなので、面白い…といっては語弊があるかもしれないが、
一気に読んでしまうほど良く練られたストーリー。
ケッチャムは初期の作品の方がよく出来てると思うなあ。
223 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 06:30:02
『新潮』12月号掲載の平野啓一郎の小説『顔のない裸体たち』を読みました。
猛毒でした。
読まないほうがいいです。と言えるほどの傑作。
あんなことをされたら女の身体を持って生まれた作家のアドバンテージがなくなってしまうじゃないか。
こんなふうに書かれたら、何も匹敵できないじゃあないか。
hoshu
225 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 01:03:13
226 :
名無し物書き@推敲中?:2006/02/15(水) 13:17:14
蛇にピアス
227 :
吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 13:20:25
『うわさのベーコン』に収録の「西山さん」。
傑作っ
228 :
吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 13:34:17
国家の品格 だろ、とーぜんw
229 :
吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 21:34:21
重松清さんのナイフ読んだ。
すごく痛々しかったけど、心穏やかになれる作品だった。
230 :
名無し物書き@推敲中?:2006/03/01(水) 13:29:20
きのこ。
231 :
名無し物書き@推敲中?:2006/03/19(日) 11:58:04
ノルウェイの森
232 :
名無し物書き@推敲中?:2006/04/07(金) 12:47:35
複雑な形状
233 :
名無し物書き@推敲中?:2006/04/24(月) 13:56:13
明暗」
234 :
無名草子さん:
国家の品格