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美香 ◆FE5qBZxQnw :
「喪服の似合うエレクトラ」
(オニール/菅泰男訳/「ノーベル賞文学全集20」主婦の友社)絶版
→アメリカ演劇の最高傑作と称される長編戯曲。
昨年、イギリス(かな?)で再演されてリバイバル賞を取ったとか。
打ちのめされた。今までわたしが読んだ戯曲の中でもっとも劇的な迫力をもつ。
上演すると7、8時間はかかるというが、その長さはまったく気にならなかった。
とにかくおもしろくて、先が知りたくて、異常な興奮状態で一気に読みきった。
興奮とわたしは書いた。それは神と対峙するかのような興奮であった。
オニールはいう。「単なる人間対人間の関係を描くことには興味がない。
私を常に刺激するものは、神と人間との関係以外のなにものでもないのだ」。
戯曲を読むのは、小説を読むよりもはるかに楽しいと本作品で確信した。
それが真に優れた戯曲であれば。
というのも小説を読むという行為は、その作者と始終向き合っているようなものである。
作者の主張、作者の視線、作者の分析――。息詰まる。窮屈である。
が、戯曲はどうか。それが真実の傑作であれば、そこに作者の主張などない。
シェイクスピアに主張したいことなどあったかと考えてみればよい。
優れた戯曲では、作者の思惑など気にせず人間が自由に動きまわる。
そうわたしたちが神のまえでそうしている、まさにそれと同じ、
いや、それ以上の躍動感をもって。
優れた戯曲を読み進むうちに、神と対峙しているような興奮を味わえるゆえんである。
この入手しにくい戯曲を読むことになったのはほんの偶然からである。
その偶然に感謝したい。