1 :
1 ◆94e/axDri2 :
03/07/18 19:00 武術に生きる者に、人間的善悪の差別はない。好悪の感情に走ることはゆるされない。常に 勝者が正しい。故に、曾て望月左京を弊した弟子乙がそうだった如く、今弟子甲は、自らを正 しいという。師の武芸者もそれを認める。剣に生き、天命という人の生死を人力で左右すると 信じる者は、先ず世の善悪の価値判断に克たねばならぬ。それが剣術者の宿業である。悲哀 である。 一刀流「青眼崩し」 五味康祐 (「剣法奥義」所収)
2
ボーイ・ミーツ・ガール 出会いこそ 人生の宝探しだよ trf「Boy meets girl」
4 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:03
食べておいしく 備えて安心 三立製菓株式会社「カンパン」
このスレが発展する確率は2%です。
6 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:19
運転コースによっては充電器を発見できないこと もあります。その際は、部屋のどこかに停止します。 株式会社東芝「TRILOBITE」
7 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:21
完全日本限定盤は、プライマル史上初のライヴ。アルバム! 選曲最高、演奏最高、サウンド最高、エナジー最高、 オーヴァーダブ一切ナシ。これぞライヴ感漲る本物のロックンロールだ!! プライマル・スクリーム「ライヴ・イン・ジャパン」
8 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:26
滲まないマスカラって、なかなか落ちないんだよね。 テスティモ エフェクトマスカラ
9 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:30
追いお前ら、ここは文学板なんだから、文学者の言葉から採ろうよ。 クンニリングス 村上春樹「ノルウェイの森」
10 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:34
オッケー。エロいフレーズを抜き出せばいいんだね? 沢山の大男に犯されたあとの花野美枝子は、仰向けに倒れている。 吉行淳之介「廃墟の眺め」
11 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:35
体量は二十二貫、アラビア種のイチモツも将軍の座下に汗すという。 徳富蘆花「不如帰」
12 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:40
>>10 フフン、エロネタをふるとすぐレスを返しやがる。
よーしパパもっとエロいの紹介しちゃうぞー!
ある夜娼婦がおいなりさんなでたらおいなりさん笑がもれた
吉行エイスケ「おいなりさん」
あぼーん
14 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:48
やれやれ、それは面白いね。じゃあ大人のエロスだ。 零れそうな乳房がそれぞれ僅かばかり腋の方に開いたが、乳首は真っ直ぐに上 を向き、最も高い部分から柔らかい曲線がなだらかな傾斜をなして下腹の方に 続いていた。 福永武彦【海市】 あれ・・・意外と凡庸だな・・・困ったな・・・
15 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:52
16 :
吾輩は名無しである :03/07/18 23:56
しょうがねえな若い奴は・・・じゃあこれだ。 無垢な器官をこすりたてる。右脚全体がとろけそうな快感が起こる。女の部分 にもいくらか刺戦が伝わるようだ。だが、オルガズムスは親指にしか来ない。 松浦理英子【親指Pの修業時代】 さすが、アナルファックオンリーの松浦。
>>16 お前な、ヤッパリエロスと下ネタを間違えてるぞ。
しかもそんな現代文学から引用してるしよ。
18 :
吾輩は名無しである :03/07/19 00:15
聞こえるか?俺の新しい歌だ。。 村上龍【コインロッカーベイビーズ】
19 :
吾輩は名無しである :03/07/19 00:19
勝ちたいんや! 星野仙一
>>18 喪舞えな、村上龍で逝くなら「5分後の世界」のティンコを爆破されるシーンとかにしる!
21 :
ちんぽ星人 ◆4a2JpCXObY :03/07/19 00:24
よーし、ちんぽ星人得意のドラで行くぞ〜 重要産業優遇措置法成立阻止を叫ぶデモ隊がアメリカ大使館を包囲したことも何度かあった。 村上龍【愛と幻想のファシズム】
22 :
1 ◆94e/axDri2 :03/07/19 23:49
アライグマさん、発展する確立2%でも、このスレ結構伸びましたよ。 書き込んでくれた皆さん、ありがとう。 これからもよろしくおながいします。
ぷぷい。
25 :
神保町矢口書店は最低! :03/07/25 22:01
名前:美香 ◆FE5qBZxQnw [] 投稿日:03/07/25 20:49 神保町。 演劇、映画の専門古書店「Y書店」でひどいものを目撃する。 ある中年の女性が「これいくらなんですか、値札がついていないけど」。 店主はその本を見て動揺する。 「ちょっといまは金額がわからないので、しばらく待ってください。 在庫の状況なども確認して金額を決めなければならないので……」 わたしは思った、このへたれ店主めと。バカ店主め無知無能め。 無知だからその場で金額を決められない。 なぜ正直に「少しでも多くもうけたいからネットで平均価格を調べます」と言わない。 その男が店主だということは神保町古本街のムックで知っている。 「Y書店」の本はどの本も他店の5割増は当たり前。 寺山修司の本などへいきで定価の3倍なんだから。 わたしはこの店で古本を買ったことがない、バカぶりを観察するだけ。 店主「15分ぐらいしてから、また来てもらえませんかね。 (そのあいだにネットで価格を調べておくからよっと)」 横で聞いていて不快極まりなし。書いちゃおう「矢口書店」は最低!
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
よし、このスレもらった。
「何を言えばいいのかわからなかったので、ぼくは黙っていた。 広々としたフライパンに新しい油を敷いたときのような沈黙が しばらくそこにあった」
「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに寂然(ひつそり)として居る。 ・・・・・・軒が、がたぴしと鳴つて、軒行燈がばツばツ揺れる。 三味線の音もしたけれど、吹きさらはれて大屋根へ猫の姿で けし飛ぶやうさ」
( ´,_ゝ`)
31 :
lalala :03/09/15 10:16
人を好きになること以上に、みんなの役に立つことがあるとは思えないけどな。 表面的にいくらきれいごとを言っても、ほとんどの人は自分だけよければいいと思って生きているだろう。 自分だけ美味しいものが食べられればいい、自分だけ欲しいものが買えればいい。 でも人を好きになるってことは、自分よりも相手の方が大切だと思うことだ。 もし食べるものが少ししかなければ、ぼくは自分のぶんをアキにあげたいと思うよ。 限られたお金しかないなら、自分のものよりもアキの欲しいものを買いたいと思う。 アキが美味しいと思えば、ぼくのお腹は満たされるし、アキがうれしいことは、ぼくがうれしいことなんだ。 それが人を好きになるってことだよ。 これ以上大切なことが、他に何かあると思うかい? ぼくには思いつかないね。 自分のなかに人を好きになる能力を発見した人間は、ノーベル賞のどんな発見よりも大切な発見をしたんだと思う。 そのことに気づかないなら、気づこうとしないのなら、人間なんて滅びた方がいい。 惑星でもなんでも衝突して、早く滅びてしまった方がいいよ。
あ
33 :
吾輩は名無しである :03/09/18 01:26
ソフィアは言った。あのあなたと美香の事件絶対に許せない。あな たとバイキン美香をいっしょにするのはおかしい。こんど男子のリー ダーにころにゃんを通じて二度とあんなことするなっていいつけてや るからと言った。そしてその後、僕の顔を笑顔で見ながらラムネは美 香をバイキンと思っているよねと言ってきた。僕も思わず、あいつは ちょっと成績がいいだけで戸山高校へ行くなんていきがっている。あ いつは前からおもってたが足の形もおかしいし髪の毛もぼさぼさだ。 あいつはバイキンじゃなくて身障者だ。あいつが行く高校は戸山高校 じゃなくて身障者学校だと言った。 ソフィアは大喜びした。実はソフィアは新宿高校に進学しようとして おり、1学期の中間テストで美香にあんたなんかが新宿高校へいける わけないでしょと言われた事があったのだ。 それ以来僕は美香でオナニーをした自分が急にけがらわしくなり、ソ フィアに対するお詫びとしてわずかに生えてきている陰毛を風呂場で 剃刀で切った。 創作ノオト「初恋」 (超ハズく綺麗く 文壇BAR 所収)
34 :
吾輩は名無しである :03/09/18 21:53
精神的に向上心の無いものは馬鹿だ
35 :
あるれて@普及委員会 :03/09/19 00:59
36 :
吾輩は名無しである :03/09/19 10:30
俺はあえて言う。人間の運命は生きることだ。 そして何のために生きるか。それは愛すべきものを愛し 戦うためだ。【滝沢賢治】
37 :
吾輩は名無しである :03/09/19 11:29
私は今不幸でも幸福でもありません。ただ一切が過ぎ去って行きます。 今年で27になります。白髪もめっきり増えたのでたいていの人からは40以上に見られます。 人間失格の最後は、こんな風だった?10年くらい読んでないもんで。
38 :
吾輩は名無しである :03/09/19 11:55
>>37 だいたいそんな感じ。「あの子は本当はとてもいい子だったんです」
39 :
吾輩は名無しである :03/09/19 14:58
「普通につまらなかった」 2ちゃn
40 :
吾輩は名無しである :03/09/25 21:10
幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。 食えはするがごちそうにはならない。 むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、 それがわしは好きだ。 -----ユーゴー『レ・ミゼラブル』
あなたにはたくさん、ハンディがあるわ。 背が低くて、美男子じゃない。顔に特徴がない。 それほど勉強ができるわけじゃない。そのうえホモよね。 あなたが選ぶ道は一つよ。 出会った人全てに貸しを作りなさい。 島田雅彦『やけっぱちのアリス』
その花に群がる蜜蜂といったら大したものです。ぶんぶんぶんぶん唸っています。 ――この手紙を書きながら、ちょっと筆を休めて、何を書こうかなと思って、 その藤の花を見上げながらぼんやりしていると、なんだか自分の頭の中の混乱と、 その蜜蜂のうなりとが、ごっちゃになって、そんぶんぶんいっているのが自分の 頭の中ではないかしら、とそんな気がしてくる位です。
文板ってホントに過疎板なんだな。 ひと月以上経ってるのに落ちてないw
44 :
吾輩は名無しである :03/11/21 22:07
age
45 :
吾輩は名無しである :03/11/21 22:24
「ピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いします」 窪塚洋介
46 :
吾輩は名無しである :03/12/09 15:17
みなさん、たまにはこのスレにも書き込みしてね
>>43 1ヶ月くらいじゃ落ちねーよ
二ヶ月以上経ってるスレだってあるぞ。
保守
49 :
吾輩は名無しである :04/01/24 06:05
ぼくは雀に餌をやるのを忘れていたんだ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
シケン飛車と穴熊対決行け!
あぼーん
あぼーん
もう帰るに帰れない。冥府には戻れない
59 :
吾輩は名無しである :04/01/30 18:23
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
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あぼーん
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あぼーん
あぼーん
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あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
120 :
吾輩は名無しである :04/02/25 01:28
↑ ごめん、とちゅうで嫌になった
121 :
吾輩は名無しである :04/02/25 04:30
おまえら暇人すぎw
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
132 :
吾輩は名無しである :04/03/05 19:05
ここスレタイ通りに使っていいですか?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
ミスった(´・ω・`)ショボーン しかし、どっちにしても・・・
あぼーん
まったしてもいいよ。
149は148を見てなかったんだよ。ミスなら訂正していいですよ
ううう、ありがとおさむちゃん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
負けますた。 おさむちゃんは将棋歴はどんぐらいですか?
高校のとき毎日やってました。漏れの師匠が奨励会にはいってて超強かった。
>>165 はどれくらい?多分三級くらいでしょ?
師匠がいたのかぁ。 漏れはネットで始めて1年ぐらいです。 級とか全然分からない^^; やっぱ本とかで勉強しないとダメだな。
師匠って言うか、毎日指してもらってただけだけどね。 ネットで一年なら結構すじは良さそう。 定石を覚えればすぐに強くなると思うよ。 始めは三間飛車、四間飛車が良いと思う。やぐらは難しい・・・。 それではおやすみ。
永いこと付き合ってくれてありがとん! また機会があればよろしく。
もう普通に使っていいですか?
171 :
吾輩は名無しである :04/03/26 21:49
管制官は「ホワイト」「ブラック」「マルーン」「ゴールド」の4チームに分かれ、 四交代制をしいて勤務についていた。このときはホワイト・チームがシフトについていた。 管制官どうしは、「ループ」と呼ばれているインターカムで話をするようになっていた。 管制官どうしのループでのおしゃべりは、まるで一人の人間の頭の中で次々とわきだす、 さまざまなとりとめのない想念のように聞こえた。
あぼーん
あぼーん
あああ 生きてますか?
175 :
吾輩は名無しである :04/08/07 07:40
176 :
吾輩は名無しである :04/08/07 07:46
177 :
吾輩は名無しである :04/08/07 09:44
傷つけさせてよ 直してみせるよ
このスレ、まだ落ちてなかったとは驚きだ!! おさむちゃん、お元気ですかーーーーーー?
179 :
吾輩は名無しである :04/10/15 22:53:48
「心に残った一文」書いても良いの?
180 :
吾輩は名無しである :04/10/16 13:38:29
新入社員の頃、課内で「伝説の鈴木さん」という名前がよく出ていた。 ある日、主任から「この書類、伝説の鈴木さんに渡してきて」と頼まれた。 「どこにいらっしゃるのですか?」と聞き返したら、 「伝説の鈴木さんなんだから伝説の部屋に決まってんだろ。 3階の奥だよ」と言われた。 伝説の部屋という言葉にわくわくしながら3階の奥へ行くと・・・
181 :
吾輩は名無しである :04/10/23 18:24:03
電気設備課があった。
182 :
吾輩は名無しである :04/10/27 11:46:24
体育祭の準備で一緒に残ったクラスの女の子が、突然「なんだか乳首が 痛いの」と話しかけてきた。おれはギョッとしつつ、半分冗談で、 「じゃ、さすってあげようか」といったら、なんと彼女、「うん、 お願い」と答えた。 おれは頭に血が登り、震える手で彼女のブラウスのボタンを外そうとした。 そしたら彼女、「なにすんの!」と叫んで俺の顔を平手打ちした。 (続く)
いちいち本棚から文庫を取り出してページをパラパラとめくったりめくりもどしたり 目当ての一文をやっと探し出してそれをまたタイプするのがめんどくさい上にこのバカ荒らしだろ やってらんないよね リクエスト。 『脱走と追跡のサンバ』のバカ空と腐れ大地うんぬんのところ。 この小説で良かったのそこだけだ。
と、意味不明な書き込みを終えると 俺は自室に戻り、ティッシュを取り出そうと思ったが、 どうせならバカなネラどもに中継してやろうと 俺は実況版を優しくクリックした。 (続く)
185 :
吾輩は名無しである :04/10/30 04:09:28
部屋に戻りよく考えてみると、彼女は乳首ではなく「足首が痛い」と 言っていたことに気付いたのだった。
彼女は歩けないほど酔っ払っていた。 ろれつも回らない。 「あちくびが痛い、あちくびが痛いの」 俺は彼女を抱きしめると、彼女の耳元でこう囁いた。
187 :
吾輩は名無しである :04/10/31 23:44:20
どの本から、その本のどの版の何頁から引用したかくらい書けよ、馬鹿どもめ。
……などと、軽い煽りを楽しんでいたときのことだった。 そうとも、ここは2ちゃん。匿名で毒を吐くのも自由のはず。 しかしそのすぐ後に起こった出来事によって、 俺は自分の考えが甘かったことを思い知らされた。 「ん? 何だ?」 突然、何の操作もしていないのにスレッドが開いた。 タイトルは空白。 下を読んで行くと、ただひたすら意味の無い文字や記号の羅列が大量に並んでいる。 それも、延々とどこまでもだ。 ブラウザは勝手にリロードを繰り返し、物凄い勢いで不気味な新着レスが増えていく。 ウィルス? ブラクラ? だがこんな例は聞いたことも無い。 レスが700を越えた頃、俺の脳内で何かが警鐘を鳴らし始めた。 これはヤバイ。単なるPCやネットの異常などではない。もっと別の、何か…… 次の瞬間、モニターを見た俺はそのまま凍りついた。 初めて、まともな文字の書き込みが現れたのだ。 991 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:01 オ 992 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:01 マ 993 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:01 エ 994 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 ヲ
背中と顔中から冷たい汗が吹き出した。 いけない。 このままこのスレを1000まで行かせては、恐ろしいことになる。 俺はそう直感していた。 しかし、読み込みは止まる気配は無い。 995 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 コ 996 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 ロ 997 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 シ だめだ。 俺は思わず目をつぶった。 …………。 (続く)
191 :
吾輩は名無しである :04/11/02 07:29:37
ハードディスクがガリガリと音を立てた。俺はゆっくりと目を開け、モニターを見てみた。 998 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 テ 999 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/29 11:02 ヤ 1000 :山崎渉 :03/08/29 11:03 ∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援してくださいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉 1001 名前:1001投稿日:Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
192 :
吾輩は名無しである :04/11/02 07:38:14
とあるオフ会待ち合わせ場所にて。 A:「あ、(くそ、恥ずかしいな)ジーザスさんですか?」 B:「おお! はい〜、ジーザスです! えーと?」 A:「あ、どうも、(くそ、恥ずかしいな)銀虎ですー」 B:「おーーーっ、あなたが銀虎さんですかダブリューー!!」 A:「(叫ぶなよ! 「w」を発音するなよ!)」 C:「おー、銀虎さん! よろしくー、ぞるだー提督ですー」 A:「(じ、自分で提督とかつけるなよ!)あ、どうも、よろしくぅー」 C:「おーい、ルシフェル様ー、銀虎さん来たであるよー」 D:「――成る程。思っていたよりも随分お若い」 A:「(うわっ)」 D:「ああ、申し送れました。我が名はルシフェル。現世(うつつよ)の出会いは始めてですな」 A:「(うわっ)」 D:「宜しく(一礼)」 A:「 う わ あ ぁ ぁ っ 」
経営責任者として 2004/ 7/10 3:13 メッセージ: 605583 / 719707 投稿者: donald_1981a 知らないところで借り入れが決まったり、その償還がされていきます。これらに事実上、権限はないに等しいものです。 もちろん代表取締役印が押されているので、まったく知らないということではありません。経営者とは名ばかりで、 一方的に決められたことを承認せよとばかりに判を押すだけです。これで経営の最高責任をとれと言われましても、 責任の取りようがなく、このまま留任していて良いものかどうか非常に悩んでおります。 当初はこのビジネスモデルのイメージにふさわしいという理由から、名前だけでもとの依頼を引き受けました。 考えてみれば、まるで客寄せパンダみたいなものです。 先の見通しが見えないこのビジネスをこのまま続け、事業責任を追及される代表者として誹りを受けるのは もう耐えられません。一日でも早く辞めたい思いでいっぱいです。
194 :
吾輩は名無しである :04/12/13 18:17:49
人間一般を知ることは、ひとりひとりの人間を汁よりやさしい ラ・ロシュフコオの2chによる拡張
| | | | ( 'A`) | 辛 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | |ハ,_,ハ |´∀`'; |o一o;' ( 'A`) |"゙'u' 辛 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | |ハ,_,ハ ♪ |´∀`'; |u u ;' ( 'A`) |"゙'u' 幸 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | | ミ Σ ('A` ) | 幸 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | ♪ |θ・) ( '∀`)~ |と ) 幸 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | |・θ・)゙ Σ ('ロ`;)ノシ |不⊂) 幸 ノ( ヘヘ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、 たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、 これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。 或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。 住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、 いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
栄光の23get
201 :
吾輩は名無しである :05/03/01 14:31:34
a
203 :
吾輩は名無しである :2005/07/07(木) 20:36:08
今日 ここで ぼくには思われるのだ、言葉とは なかば砕かれたこの水槽なのだと、雨の 夜明けごとに 無駄な水がそこから流れ出る。 草、それから草のなかには、大河のようにかがやく水。 すべては世界の網目を繕うためにあるのだ。 楽園がちらばったのを、ぼくは知っている、 あわれな草のなかに散らばった楽園の花々を みてとることが地上の務めだ、 このスレまともに流行りますように・・・。
204 :
吾輩は名無しである :2005/07/08(金) 01:02:11
昼餉ののち、師父が道ばたの松の樹の下でしばらく憩うておられる間、悟空は八戒を近くの原っぱに連出して、変身の術の練習をさせていた。 「やってみろ!」と悟空が言う。「竜になりたいとほんとうに思うんだ。いいか。ほんとうにだぜ。この上なしの、突きつめた気持で、そう思うんだ。 ほかの雑念はみんな棄ててだよ。いいか。本気にだぜ。この上なしの・とことんの・本気にだぜ。」 「よし!」と八戒は眼を閉じ、印を結んだ。八戒の姿が消え、五尺ばかりの青大将が現われた。そばで見ていた俺は思わず吹出してしまった。 「ばか! 青大将にしかなれないのか!」と悟空が叱った。青大将が消えて八戒が現われた。「だめだよ、俺は。まったくどうしてかな?」と八戒は面目なげに鼻を鳴らした。 「だめだめ。てんで気持が凝らないんじゃないか、お前は。もう一度やってみろ。いいか。真剣に、かけ値なしの真剣になって、竜になりたい竜になりたいと思うんだ。 竜になりたいという気持だけになって、お前というものが消えてしまえばいいんだ。」 よし、もう一度と八戒は印を結ぶ。今度は前と違って奇怪なものが現われた。錦蛇には違いないが、小さな前肢が生えていて、大蜥蜴のようでもある。 しかし、腹部は八戒自身に似てブヨブヨ膨れており、短い前肢で二、三歩匍うと、なんとも言えない無恰好さであった。俺はまたゲラゲラ笑えてきた。 「もういい。もういい。止めろ!」と悟空が怒鳴る。頭を掻き掻き八戒が現われる。 悟空。お前の竜になりたいという気持が、まだまだ突きつめていないからだ。だからだめなんだ。 八戒。そんなことはない。これほど一生懸命に、竜になりたい竜になりたいと思いつめているんだぜ。こんなに強く、こんなにひたむきに。 悟空。お前にそれができないということが、つまり、お前の気持の統一がまだ成っていないということになるんだ。 八戒。そりゃひどいよ。それは結果論じゃないか。 悟空。なるほどね。結果からだけ見て原因を批判することは、けっして最上のやり方じゃないさ。しかし、この世では、どうやらそれがいちばん実際的に確かな方法のようだぜ。今のお前の場合なんか、明らかにそうだからな。
205 :
吾輩は名無しである :2005/07/08(金) 01:09:28
こないだ、ガムをクチャクチャ噛んでたら、 普段俺のことキモイとか言って避けてる女が寄ってきて 「私にもガムちょうだい」って言ってきやがった。かなりむかついたんで、 女の首根っこ掴んで口移しで自分の噛んでるガムをやるフリをしてやった。 殴られるか、悲鳴をあげられるか、どうでもいいが二度と近寄るなと思った。 ところが、驚いたことにその女は目を閉じて唇を少し開いたんだ。 俺の方がビビッて、あわててちょっと離れた。しばらくの間があった後、 その女は、「マジでするのかと思った」と小声で言って、ガムを奪って走り去った。 それから何日か後、その女がキャンディーを食ってたので今度は俺の方からひとつくれ と言ってやった。そしたら俺をからかうように、なめてたやつを唇にはさんで口をとがらせた。 俺はその女の唇ごとキャンディーをほおばってやったよ。 今ではその女も俺の彼女。 その時なめてたキャンディーはもちろんヴェルタースオリジナル。 なぜなら彼女もまた、特別な存在だからです。
age
智に働けば角が立つ。情に棹されれば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は 住みにくい。
あたしには実際君に望まれるような要素は悉く欠落しているのです。 愛さないでください。 つまりあたしは愛してくださいと叫んでいるのです。
あの皆様、
>>207 みたいな超有名なのはともかく
なるべく出典を書いてくださいよ。
>>208 不勉強ながら存じません。よろしければ作品名、著者など
ご教示のほどを。
おねがいします。
210 :
吾輩は名無しである :2005/08/28(日) 21:06:40
「僕には煙草をのまない人の気持がわからない――そういう人は、人生の最良の部分、 少なくともきわめて優秀な快楽を断念するにひとしいんだからな。ぼくは朝眼を 覚ますと、きょうも一日煙草がのめると思うと嬉しくなるし、食事の際にも、 そのあとの煙草が楽しみで仕方がない。そもそもこの食事というやつだって、 そのあとで煙草が吸えるという楽しみがあればこそだとさえいえるくらいなんだ。 むろんこれは少しおおげさないい方だがね。しかし煙草のない一日なんて、ぼくには この上なく味気ないね、まったく荒涼とした、なんの魅力もない一日だな。朝起きて、 きょうは吸う煙草がないなんて考えなければならないようだったら――ぼくは起きだす 元気もなくなってしまうだろう、きっとそのまま寝ていることだろうと思う。だけど 巧く火の回る葉巻さえあれば――空気が抜けたり、詰まったりするのはむろんだめだ、 腹がたつだけだよ、そんなのは――つまり上等の葉巻があれば、それこそ安泰至極で、 なんの不足も感じない。ちょうと海辺で寝そべっているようなものさ。海辺に寝そべって いると、ただそこに寝そべっているだけで、そのほかにはなにも要らないだろう、 仕事も娯楽も。……ありがたいことに、煙草は世界中どこへいっても吸えるからねえ。 ぼくの知っているかぎりでは、どんなところへ吹き流されていこうとも、煙草のない ところはない。極地探検者も、辛苦をしのぐのに煙草をまず用意していくそうだが、 ぼくはそういうことを本で読むたびに深く感動してしまうんだ。実際どんな艱難を しのがなくちゃならないかもしれないからね。――もしぼくがいまたいへん悲惨な目に 会うと仮定すれば、葉巻がある間は、なんとかこらえてみせるよ、ぼくは。 葉巻がどうにかぼくを救ってくれると思うね」
オオルライト
212 :
吾輩は名無しである :2005/08/28(日) 22:05:16
母も僕(18歳)もある病気です。遺伝しました。 14歳くらいまでは、母が憎くて憎くてしかたがありませんでした。 「何で産んだの?わかってたでしょ?俺がこうなること。」 これは僕の口癖で、母はいつもそれを聞くと声をころして泣いていました。 僕は大声で泣いていました。 14,5歳くらいの時に、父の前で母を罵倒していたら、 父に突然殴られました。 「母さんはまだ産まれてないおまえを愛していたから産んだんだ。 おまえに苦労をかけたくて産んだんじゃない。」 父も泣きながら僕を殴りました。僕も泣きました。母も。 このことを思い出すといつも涙が出ます。 今は、僕も子供が欲しいです。 いっぱい愛します。 死ぬまで愛します。 世界のすべてをあげたいです。
おまいら、心に残った一節 出典:自作小説 ってのだけはやめろよなw
スュリッス森の高原の 岩山ふかい湖に、 木の葉の茂る島がある、 白鷹羽根を拡げれば、 まどろむ鼠の目をさます。 そこに隠した妖精の樽は、いちごがいっぱい、盗んできた 真っ赤な桜んぼもあふれてる。 こちらにおいで! おお人の子よ! いっしょに行こう森へ、湖(うみ)へ、 妖精と手に手をとって、 この世にはお前の知らぬ 悲しい事があふれてる。
215 :
吾輩は名無しである :2005/08/29(月) 11:09:10
「・・・小間使向きの小説は、絶対にサロンにはいりこみません。 パリでは小間使向き小説に出てくる、いつもきまって完全無欠な主人公や、 不幸で純情で迫害される女性くらい、退屈なものはないのです。」
216 :
吾輩は名無しである :2005/08/29(月) 15:38:25
努力する限り人は迷う物だ
217 :
吾輩は名無しである :2005/08/30(火) 10:54:04
218 :
吾輩は名無しである :2005/08/31(水) 01:25:21
210 ってなんだっけ? 魔の山? すいませんわかりません 教えて下さい
219 :
吾輩は名無しである :2005/08/31(水) 01:41:17
おさむのせいでだいなしだ すれ
バカねぇ 男でも女でも 誰かを好きになったら その人の前に 心でひざまずかなきゃならないものよ どうか 愛して欲しいと いい学校で たくさんお勉強してきたのに そんな簡単なことも 習わなかったの? 「ダブルハウス」
太郎さん…… アパートにも来ないでね スーパーで偶然会ったふりもやめてね 歯医者の前でこっそり待ちぶせするのもよしてね それから夜中にまちがい電話を装ってなんども電話かけるのもやめてよね 「静かな訪問者」
一番気に入らないのは あたしわかってる… 胸の中のすみっこのほうの小さな傷が痛むのよ どうして あの時あんなに冷たかったの あたしショックだったのよ かんたんに傷ついちゃったのよ
「あのねえ、そういう人は決まった約束ごと以外はとりあえず全部無だと思ってるのよ。」 「む?」 「だから、不安なのよ。 寺子を自分のものだと思うと、自分の立場とかがものすごく不利でしょう? だから、今のところは、あなたはとりあえず無なの、 ポーズのボタン押してるの、買い置きなの、人生のおまけなの。」 「ええっ……わかるような気もするけど…… 無って、どんなの。 私、あの人の中でどんなところにいることになってるの。」 「真っ暗闇の中よ。」
224 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 06:03:24
美香ってひと、自分は早稲田出たって言い張ってるけど、無理があるよ。 英語まるでダメ、 古本好きとか言うくせに早稲田の古本街のこともしらない、 演劇好き、戯曲好きとかいうくせに演劇科のことも全然しらない、 演劇博物館を利用したこともない。 あのキャンパスで演劇好きだってふらふらしてれば、関係者とのつてもできるはずなのに、 まるでない。 そもそも、根本的に頭が悪いし、全然文学の知識がない。 仮に間違って早稲田にいたとしても、 他の学生とのレベルの違いにおののいて、コンプレックスの塊で、 暗ーい4年間を送ったんだと思う。 だいたい卒論何やったの? 文学的に何の専門知識があんの? あんたは
226 :
無名草子さん :2005/10/03(月) 13:28:28
い
227 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 23:42:52
ああ、復活の前に死があるね。
228 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 17:03:14
自分に同情するのは、下劣な人間のすることだ。 2ちゃんの奴らってこういうのが多いよな。
229 :
吾輩は名無しである :2005/10/05(水) 01:29:52
みかさんって、早稲田で演劇やってたあのみかさん? げ 知ってるかも・・・
230 :
吾輩は名無しである :2005/10/05(水) 01:49:45
231 :
イラストに騙された名無しさん :2005/10/25(火) 12:10:28
啓示空間
232 :
吾輩は名無しである :2005/11/20(日) 04:12:33
よっぽど疲れていたんだね
>>232 それ、「煙か土か食い物」のラスト? いいよね。
こんな事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆うそだ。うそでない事を一つ書いて置こう。
私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈は本当の事だ。
平凡/二葉亭四迷
何気に保守
235 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/30(月) 23:44:59
ほう、こんなスレがあったとは
なんだ、おまえは自分のことを書いてないじゃないか、と天井桟敷でだれかが 言ってるのが聞こえてくるぜ。 おまえはアンディー・デュフレーンのことを書いただけだ。 おまえは自分の物語の脇役でしかないってな。 しかし、わかるかい、そうじゃないんだ。これは全部おれのことさ、一語一語が。 アンディーこそ、やつらがどうしても閉じこめられなかったおれの一部、 ゲートがやっと開いて、安物の背広と、ポケットに二十ドルのへそくりを持って 出て行くときに、喜びに包まれるおれの一部だ。 そのおれの一部は、ほかのおれがどんなに年とっていても、どんなにくじけて、 おびえていても、喜びに包まれるだろう。 『刑務所のリタ・ヘイワース』S・キング
237 :
名無し物書き@推敲中? :2006/02/14(火) 13:09:03
悪に入る
238 :
吾輩は名無しである :2006/02/22(水) 14:57:11
今一言…今一言の言葉の関を、踰えれば先は妹瀬山。二葉亭四迷 『浮雲』 彼の作品を読んで、自分の書く文は彼に似ている気がした。流れるように心に落ちてくる言葉は、情景を脳裏で咲かせて、なんともいえず心地がいい。
239 :
名無し物書き@推敲中? :2006/03/12(日) 11:41:20
ケッチャム
240 :
横峯さくらで3回 :2006/03/12(日) 14:08:47
長澤まさみって、クソ垂れるんかなぁ……
241 :
l :2006/03/12(日) 15:08:27
>233 やっぱりいいなー。大好きだなー 平凡 故郷の町であるのにそこはまったく私にとっては見知らぬ街だった。 牧野信一 鱗雲
242 :
名無し物書き@推敲中? :2006/04/02(日) 16:20:47
気にすんな
243 :
吾輩は名無しである :2006/04/02(日) 16:35:15
選ばれてあることの 不安と恍惚と 二つわれにあり
244 :
名無し物書き@推敲中? :2006/04/15(土) 12:20:06
ホントに狂った
よさげなスレだけど、急に浮かんでこない・・・。
私の上に降る雪は いと貞潔でありました
月夜の晩に、ボタンが一つ 波打ち際に落ちてゐた。 それを拾って、役立てようと 僕は思つたわけでもないが 月に向かってそれは抛れず 浪に向かってそれは抛れず 僕はそれを袂に入れた。 月夜の晩に、拾ったボタンは 指先に沁み、心に沁みた。 【 月夜の浜辺 / 中原中也 】
昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ
249 :
名無し物書き@推敲中? :2006/05/02(火) 13:02:00
多いよな。
孤独とは隠すということ 隠されること
今日やったこと:ちんこ洗い
252 :
吾輩は名無しである :2006/05/09(火) 20:35:13
お願い先っちょだけでも入れさせて 俺
253 :
吾輩は名無しである :2006/05/14(日) 18:34:22
乱立する奴はバカだ
秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛(こちた)くありとも 遅れ居て恋ひつつあらずは追い及かむ道の隈みに標結へ我が背 人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る 「万葉集」巻の二 但馬皇女は我侭っぽいけど、一途で可愛い。
255 :
名無し物書き@推敲中? :2006/05/30(火) 13:06:43
甘い回
256 :
吾輩は名無しである :2006/05/30(火) 13:08:07
ウザッ!
257 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 12:49:04
uza
258 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 17:02:06
「やめてくれないか?」 父が大声で言った。 「このホイップ・クリームに生えの糞が入っているぞ! ここはいったいどういう店なんだ?」 「やあ、ぼくはデイヴィッドっていうんだ」 「寄り目え! いますぐ死んじめえ!」 「何を見てんだよ」 と彼がつっかかる。 「誰がボールを蹴った?」 とわたしが尋ねる。 「いったい何をやっているんだ?」 ホール先生だった。 「何があったのかわたしに話してごらん」 日中ベッドにいるところをよく母に見つかった。 「ヘンリー、起きなさい! 元気な男の子が一日中ベッドでごろごろしているなんてよくないわ! さあ、起き て! 何かやりなさい!」 ある日庭で座り込んでいると、彼女がフェンスのところまで近づいてきて、立ったままこっちをじっと見つめた。 「ほかの男の子たちと遊ばないのね、そうでしょう?」 わたしは彼女を見つめた。 やがて彼女が言った。 「わたしのパンティを見たい?」
259 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 17:09:05
一人の教師が近づいてきた。 「何をしているんだ?」 父は車を停めたり発射させたりして進んでいきながら配達を続ける。 「よし、坊主、わたしたちはどっちの方角に走っている?」 「どんなふうにやるか知っているか?」 と彼が聞く。 「ヘンリー、授業の後、残ってくれる?」 とても気分がよかった。 「きみの名前は?」 と医者が聞く。
260 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 17:20:40
「やーい、ドイツ野郎!」 とみんなは囃し立てる。 「どうしてドイツに帰らないんだ?」 わたしはレッドを見る。 「何で左手に手袋をはめているの?」 とわたしは尋ねた。 「おれにボールを投げてみろよ」 彼女は青い水泳帽を被っていて、きつく縛られたその紐が、顎の肉にぴっちりと食い込んでいる。 前歯は銀歯で、にんにくの口臭がした。 「このガキの変態め! ただで触るつもりかい、そうだろう?」 わたしは彼女を押しやって、後退りした。 「なんでそんなことをしたの?」 とレッドが尋ねる。
261 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 17:38:59
わたしはフランクに大声で教理問答書を読んで聞かせていた。 わたしはこんな一節を読んだ。 「神には肉体的な目があって、すべてを見通す」 「こら、このガキども、こっちに来るな!」 「いったい何を見ているのさ?」 とフランクが尋ねる。
262 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 20:24:07
「マスクをかけな」 「今から怖気づいたのかい?」 「朝から電灯をつけると事務室がうるさいからね。文学部でもそうだろう?」 「他の死体の下に潜っているのや、底に沈んでいるのもあるのでしょう?」 「仕事は今日一日で終わるかしら」 「わたし、艶のない皮膚をしているでしょう?」 「君は彼を生むつもりがないんだろう?」 「君は、新しい傭員なのか?」 「死体について、学問的な興味でもあるのかね」 「え? どうなんだい」 「男の子は良いわね」 「あなたには、お子さんがおありでしょう?」 「あるよ。それがどうしたんだ」 「僕は希望を持っていない」 「事務室の手ちがいだ」
263 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 20:45:10
「あそこは、……ひどく寒い。」 と彼は呻くように言った。 「考えるだけで、き、気がおかしくなる。」 「それに引力がとても強いんだ。」 と彼は土星の話を続けた。 「なんて呼べばいいかわかんないわ。」 直子は日当たりの良い大学のラウンジに座り、片方の腕で頬杖をついたまま 面倒くさそうにそう言って笑った。 「名前は?」 と僕は二人に訊ねてみた。 「名前がないと困る?」 「機械の製造番号みたいだな。」 「服がなきゃ困るだろう?」 と僕は訊ねてみた。 「あなたはどちらを応援してるの?」 「電話局のものです。」 と男は言った。 「午後にしてくれませんか?」 「奥さんはいないの?」
264 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 20:54:32
「ちょっと、来てくれないか」 彼は蚊の鳴くような声で、おずおずと、そういった。 「いそぐのかい」 「まあ、たいしたことじゃないんだが」 「だって、早くこいといったじゃないか」 「う、うん」 斉田は、泣き笑いのような表情を浮かべ、はずかしくてたまらぬといった様子で、 身もだえするようにからだをゆすった。 「なんだ」 「じつは、タイム。マシンを発明した」 彼はあきらかに泣き笑いをしながら、そういった。 「すまん、もういちど言ってくれ。なんだって」 「タイムマシンを発明した」 「バ、バ、馬鹿だなあ」 おれは咽喉をヒーヒーいわせて笑いながら、そういった。 「歩きまわってるぞ」 「おれだ」 と、斉田がいった。 「なんだ」 「実はタイムマシンを発明した」 「ワハハハハハ」
なげえ、一節だなあ
266 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 21:31:39
「ご案内申しあげます。現在、青梅街道、善福寺付近は、怪獣出現のため通行規制中でございます。 そのため、当バスの運行は大幅に遅れております。お急ぎのところ誠に申し訳ありませんが、 ご了承くださいますようお願いいたします」 アイドリングが止まった静かな車内に、五分前と同じセリフ、同じ調子のアナウンスが流れた。 「なあ。怪獣の後ろだけ、空が紫色に見えないか?」 ヴィヴィアンが、コツコツと窓を叩きながら白絹に訊いた。 「理解は知識の充足、理解した気になるのは知識欲の充足。別問題っス」 白絹は他の乗客に遠慮がちに携帯を取り出し、受信箱を確認する。 “百メートルし二百メートル、エントリーはすませておいたから、選手集合時間には間に合うようにおいで。 安全第一! 急いで転んでお尻すりむかないでねン @ぶちょー” 「そのジャージ……二子山学園の子だろ。どうしてあんなところに?」 「でも先輩は、どうしてこんなところに?」 「怪獣を正面突破!」
267 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 21:47:36
「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。 お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。 おまえは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。 そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」 「そんなことはとても出来ません。」 「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。 つかみ殺してしまうから、そう思え。」 きれいな川せみも、ちょうど起きて遠くの山火事を見ていた所でした。 そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。 「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」 鷲は大風に云いました。 「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。 又よほど金もいるのだ。」 よだかはもうすっかり力を落としてしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。
268 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 21:59:14
「殺し屋ですのよ」 女は簡潔に答えた。 「そのお仕事を、やってあげましょうか」 女は目を輝かせて、身を乗り出した。 「せっかくだが、お断りしよう。そんな危険をおかしてまで、彼を殺す気はない」 「先生、いま帰られたかたですけど、病状はどうなんですの」 その時、一人が声を高めた。 「おい、この穴は、いったいなんだい」 「おーい、でてこーい」 若者は穴に向かって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。 「埋めてしまいなさい」 わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。 「いったい、なにものだ」 エス氏がふしぎそうに聞くと、相手は、にやにや笑ったような顔で答えた。 「わたしは悪魔」
中学生か高校生の本棚みたいだなw
筒井とか、星新一とか懐かしい(爆
271 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 23:03:41
そうかあのタイムマシンのは、筒井のかW
272 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 23:13:49
テストが全部終わり、ホームルームと清掃をサボろうと思っていた僕は、アダマ道連れにしようとしていた。 「おい、アダマ、お前ね、クリームってしっとっか?」 「クリーム? アイスか?」 僕はアダマにランボーの詩を見せた。 何もすることがないので、当然僕たちはお喋りをした。 「ケンやんは、大学、どこへ行くと?」 「ケンやんっていうなよ」 「おれはね、そのフェスティバルを、この町でやりたいんだ」 と、突然、標準語で僕は言った。 「アダマ、手を貸してくれよ」 僕はいずれにも属してはいなかったが、主流三派の連中とは平和的に付き合っていた。 そして童貞だった。 十七歳で童貞ということは、別に誇ることでも恥ずべきことでもないが、重要なことである。
274 :
吾輩は名無しである :2006/06/15(木) 23:21:53
「岩瀬は、どがんすると?」 アダマがそう訊いた。 「大学にはいかんと思うよ」 「あら、大滝さんは?」 女性との声で、岩瀬が作った暗い雰囲気が破れた。 アダマはこういうときに便利なのだ。ハンサムなので、女が、ウフッとなる。 「ケンさん、去年、博多に遊びに行ったやろ、憶えとる?」 岩瀬が言った。
かの時に言いそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど
「今日は勝負しに来たの?」 おれの視線に気づいたのか、ボブが歯切れの悪い声で訊いてきた。 「いや、遠沢に用があってね」 ボブは舌打ちした。 「女は下品だからいけねぇや」 遠沢がぼそりとつぶやいた。 「暇つぶしにね」 おれは気のない返事をした。 「そいつはご愁傷様」 遠沢は言って、ぺろりと舌を出した。目が勝ち誇ったように輝いていた。 「ちきしょうめ」 ビールを一息に飲み干して、遠沢は呪いの言葉を吐いた。 「そいつが呉富春だと気づいたのは?」 「内緒だ。また売られちゃたまらない」
「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢の納め時じゃねえのか。やつれたぜ」 「全部、やめるつもりでいるんです」 その編集者は、顔を赤くして答える。 かれは、しかし、独身ではない。 「全部、やめるつもり、……」 大男の文士は口をゆがめて苦笑し、 「それは結構だが、いったい、お前には女が幾人あるんだい?」 田島は、泣きべその顔になる。 「いま考えると、まるで僕は狂っていたみたいなんですよ。 とんでもなく、手を広げすぎて、……」 この初老の不良文士にすべて打ち明け、相談してみようかしらと、ふと思う。 獲物は帰り道にあらわれる。 「田島さん!」 出し抜けに背後から呼ばれて、飛び上がらんばかりに、ぎょっとした。 どうも、声が悪い。高貴性も何も、いっぺんに吹き飛ぶ。 「引き受けてくれるね?」 「あら、そう?」 けろりとしている。 「グッド・バイ」 とささやき、その声が自分でも意外に思ったくらい、いたわるような あやまるような、優しい、哀調に似たものを帯びていた。
「君は、自分でお料理したことある?」 「お洗濯は?」 「きれいずき?」 「でも、そのモンペは、ひどすぎるんじゃないか? 非衛生的だ」 「ピアノが聞こえるね」 「君も、しかし、いままで誰かと恋愛したことは、あるだろうね」 「いや、僕もあれからいろいろと深く考えましたがね、結局、ですね、 僕が女たちと別れて、小さい家を買って、田舎から妻子を呼び寄せ、 幸福な家庭を作る、ということですね、これは、道徳上、悪いことでしょうか」 「おしっこが出たいのよ。もうかんにんして」 「五千円で、たのみます」
なぜならシャルリュス氏が傲然とこういったからである、 「給仕人頭にボン・クレティアンがあるかききたまえ。」 ――「ボン・クレティアンと申しますと? わかりかねますが。」 ――「私たちは果物のコースにはいっているんだからね、つまり梨のことだよ。 カンブルメール夫人のところにはその梨があるはずだ、彼女はさしずめ エスカルバニャス伯爵夫人だからね、このひとはその梨をもらっていたんだ。 チボーディエ氏がその梨を贈るんだ、すると伯爵夫人はいう、 ――《まあおみごとなボン・クレティアンですこと。》」 ――「わかりません、何も知りませんでした。」 ――「なるほど、いや、あなたには何もわかるまい。モリエールを読んだこともない とすれば…… よろしい、そうした注文の仕方がなんでもかでもあなたにむずかしい となると、簡単にこういって注文したまえ、ちょうどこの近所でとれる梨だ、 《ラ・ルイーズ=ボンヌ・ダヴランシュ》というやつを。」 Proust, Marcel. « Sodome et Gomorrhe. » À La Recherche du Temps Perdu, tome 4. 1922. プルースト「ソドムとゴモラ」『失われた時を求めて 第四篇』井上究一郎訳. 1993年.
拝啓、もしも小生にして、小生の愛情からもぎとりますよりも多くの果実を、 小生の庭からとらないと致しますなら、ここにお送りしますこの贈り物を 呈上致すことはできなかったことと存じます。…… 梨はまだ熟しておりません。しかしそのほうが、相変わらずの冷たい態度で、いつまでも 熟した梨を約束して下さらない奥さまのお心の無慈悲さに、ふさわしいと存じます。 奥さまの美点長所や美しい魅力を一々数えたてましたなら、無限の発展を遂げかねませんので、 それはさしひかえますが、ただ小生が、ここにお送り致しました梨と同様に、 生えぬきのクリスチャンであることを申し上げて、御一考を煩わし、この拙文の結びと 致しますことを、お許し下さい、と申しますのも、小生は、善をもって悪に報いるからです。 と申す意味を、奥様、もっとわかり易すく説明致しますと、奥さまのつれないお仕打ちが 毎日小生に呑みこませております苦い梨と引きかえに、小生は奥さまに、 おいしいクリスチャンという梨をお送りいたすからでございます。 あなたの卑しきしもべ、チボーディエより Molière. La Comtesse d'Escarbagnas. 1671. モリエール『デスカルバニャース伯爵夫人』有永弘人訳. 1959年.
281 :
吾輩は名無しである :2006/06/16(金) 20:27:01
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。 広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。 それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、 理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。 そして勢いをひとつまみもゆるめることなく太陽を吹き渡り、 アンコールワットを無慈悲に崩し、インドのの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼き尽くし、 ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ 砂に埋もれさせてしまった。 見事に記念碑的な恋だった。 恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。 さらに付け加えるなら、女性だった。 それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。
「一節」って書いてあるだろ! お前ら、じぃ、よめないのか!
航路に浮かぶ汚い塵芥のようにギャツビーの夢の後に附いていたもの――グレート・ギャツビー お気の毒に。本当に運が悪い人。はじめてうまく役を演じたのに、感謝もされないなんて。さあ、行きなさい――嘔吐 私にはどんな小さなものも見えた――私にはどんな小さなものも見えた(レイモンド・カーヴァー)
284 :
吾輩は名無しである :2006/06/16(金) 22:42:01
>>281 『
ぼくはどこにでも行くことができる。
そうだね?
そのとうり。
』
ここも良くないか?
「署名に協力してください」と力をこめた声が僕に襲いかかって、僕の顎を彼らへ向けさせた。 「あとで」とぼくは眼を伏せて言った。 「署名に協力してください」と別の男が、強引に繰り返した。 「とにかく署名しろよ」と薄ら笑いを浮かべて最初の学生が言った。 「俺はしないよ」と僕はむっとして言った。 「君の態度はおかしくないか?」と彼は怒りに震える声で言った。 「まあ、まあ、大変な格好で」 と、真面目な時でも笑っているようにしか見えない短い顔をした女の助手が、 僕を批判的に見据えて言った。 「勇ましいわね」とむしろ憤然として助手は言った。 「あんたの手鏡を貸してくれないか?」 と、僕は助手が根掘り葉掘り質問し始めるのを警戒して機先を制した。 「何だか、馬鹿な事をするわね。大人げもない」 と、彼女は自分の机まで手鏡を取りに戻りながら言った。 「あいつ、すばしこい奴だったな」と僕は感心して言った。 「ほんとに喧嘩したの?」とすっかり本気になって助手が言った。 「ほんとに馬鹿な事をするわね」 と、助手が意地の悪いそして思いがけなく欲望に乾いている小さな目で、 僕の腫れた鼻と切れた唇を見つめながら言った。
「春樹オタどもを殺せ!」とギョームは叫んだ。民衆は喝采をあげた。 そして進軍が始まった。
>>284 そうですね。ラストの部分もよいです。むしろ、最初と最後だけが好きですね。
あと281の太陽は、大洋のあやまりでした。
「ん? ここいらは春樹オタ臭いぞ」とジョスカンが呻いた。「なんてこった」 「犬だ」、とギョームはジョスカンの背中を拳で殴った。 「犬たちをつれてこい。ぐずぐずするな」
良重がガブリエルの脇から一旦車を降り、僕の傍へ寄り添いに来た。 「どうしたのよ」と良重は不機嫌に言った。 「ああ」と僕は良重の、肉の厚いふかぶかした掌に顔を挟まれて言った。 「殴られたんだな」と外国誌の特派員のガブリエルが僕の顔を覗き込んで言った。 「ずっといい」 と、僕は鼻の辺りまで唇の動きが及んでゆくのを警戒しながら言った。 「車を出すよ」とガブリエルが苛立って言った。 「いいわ」 と、良重が全く脇目もふらずに、僕の鼻へ押し当てたハンカチーフを支えながら極めて冷淡に言った。 「お前はエジプトかヴェトナムで戦いたいと言っていたな」と急にガブリエルが言った。 「ああ」と僕は静かな酔いに浸っている声で言った。 「戦争が起こったら」と良重が眼を潤ませて言った。
「戦争が起こったら、真っ先に春樹オタたちを殺したいわ」と良重がつぶやいた。 「何もかも悪いのはあいつらのせいよ」 「春樹オタたちを殺すのは簡単だ」とガブリエルが言った。「ヴェトコン の数万分の一しか根性がない」 僕はうなずいた。春樹オタという言葉を聞いただけで、体中に血が巡った。 「あいつら、皆殺しだ」と僕はき捨てるように言った。 「その調子だ」とガブリエルは笑った。良重も満足そうだった。
「行くつもりはあるか」とガブリエルが冷たい声で言った。彼は酔っていなかった。 僕はうなだれた。僕の指を、良重の柔らかく汗ばんでいる掌が捕らえた。 良重は自分のセクスを指や掌の窪みで巧みに暗示することができた。 それは外国人相手の娼婦としての彼女の一つの技術でもあった。 僕は恥辱にまみれてますますうなだれた。 「そうだろうと思ってはいたんだ」とガブリエルが快活さを回復した声で言った。 「ああ」と僕は打ちひしがれてしわがれた声を立てた。 「誰の詩だったか忘れたが、ポピュラー・ソングの一節だったかもしれないが」 と、ガブリエルは言い、上機嫌で朗誦した。 Look if you like, but you will have to leap. 「女の子を口説くとき?」と良重が相変わらず嬉しそうに言った。 「生活一般さ。何をやるにも見る前に跳べということさ」 と、ガブリエルも再び酔いの中へのめりこんでいきながら言った。
「見る前に撃て、という言葉もあるわよ」と良重は言うとガブリエル の抱いていた自動小銃をとりあげて、狙いを定めた。 銃身のずっと先にはいかにも頭の悪そうな春樹オタがドーナツを食べながら歩いていた。 良重が引き金を引くと、春樹オタがドーナツをくわえたまま泥水に倒れた。 「お上手」とガブリエルが手を叩いた。
「え……」 土玉氏はきょとんとした顔をする。 「い……いや図星です。この子は遠野郷の某村のさる名家の子弟です」 土玉氏が言いかけたのを、折口が遮り自ら言葉を繋げた。 「いや……よくご存知で。まるで読心術にでもあった気分です」 土玉氏は心から不思議そうに言う。 「奇形の子が生まれ易い血筋というものがあるのだ」 「はあ……」 土玉氏は呆気にとられた顔で、ただ折口の薀蓄に聞き入るばかりであった。 「なるほど、奇形の子をなかったことにする間引きですか。そりゃむごい」 土玉氏の口からもさすがに「むごい」と漏れる。 しかし、彼がそう呟いても、全く憐憫の情を感じさせないところが氏の人徳のなせる業である。
294 :
吾輩は名無しである :2006/06/17(土) 00:22:57
ズボンの前をはだけ、竿を垂らし、血の気の失せた死人のような顔つきで、 手向かいもせず、苦しげに息を吐くばかりだった。 堂々たる大建築のような形をした肘掛け椅子に、私たちは彼を座らせた。 「皆さん」惨めな男は涙声で言い出すのだった。 「さぞかし私のことを偽善者とお思いでしょう!」 「とんでもない」断固たる口調でエドモンド卿はやり返した。 シモーヌがすかさず尋ねた。 「名前は?」 「ドン・アミナド」 僧侶の腐れ肉にシモーヌは平手打ちをくらわした。 「淫水の匂いだわ」 無酵母パンを嗅ぎながら、シモーヌはそう言うのだった。 「そのとおり」エドモンド卿は続けて、 「これなる聖体パンは、白い小さな菓子のような形をしているが、まさしくキリストの精液だ。 また聖餐杯に注ぐ葡萄酒のほうは、坊主どもに言わせれば、キリストの《血液》だそうだが、 見え透いた嘘っぱちだ。」
295 :
吾輩は名無しである :2006/06/17(土) 00:33:57
「サー・エドモンド」彼の肩に優しく頬を張り付け、シモーヌは言うのだった。 「お願いを聞いてくださる?」 「いいとも、私にできることなら」イギリス人は答えた。 すると彼女は私を、私をも一緒に、死人のそばへ連れて行った。 ひざまづくと彼女は、先ほどその表面に蝿がとまっていた眼玉をすっかりさらけ出して、 「眼玉が見える?」私に向かってこう尋ねるのだった。 「それがどうかしたのかね?」 「これ玉子よ」事もなげに言ってのけるのだった。 「おい、おい」私のほうはすっかりまごついて、聞き返した。 「どういう意味だね?」 「この眼玉で遊びたいの」 その間に私はエドモンド卿の手で服を剥ぎ取られていた。 「サー・エドモンド、お尻の中へ入れて」シモーヌが叫んだ。 すると、エドモンド卿は尻たぶの狭間で眼玉を巧みに転がすのだった。
私はたいそう孤独な生い立ちだった。おまけに物心ついて以来、性的なことに悩まされ続けてきた。 あれは十六歳頃のことだ。○○○海岸で、シモーヌという、私と同い年の娘と出遭った。 お互いの家庭が遠縁関係にあることがわかったとき、二人の間は急速に親密の度を加えた。 たまたま、廊下の片隅に猫用のミルクを入れた皿が置かれていた。 「お皿は、お尻をのっけるためにあるのよ」シモーヌが言い出した。 「賭けをしない? あたしこのお皿の上に坐ってみせるわ」 「坐れるもんか」私はやり返した、息を弾ませて。 恐ろしく熱い日だった。 自慰を繰り返したくて矢も盾もたまらず、家へ駆け戻った。 そして、あくる日の午後は、眼のふちにひどい隈をこさえていた。 シモーヌは私の顔をまじまじと見つめ、突然私の肩に顔を埋めると、 真剣な口調でこう言うのだった。 「あたしをおいてきぼりにして独りで済ましちゃいや」
さて、ミーチャは何を言われているのか理解できずに、坐ったまま、不思議そうな眼差しで そこにいる人々を見回していた。突然彼は立ち上がり、両手をかざして、大声で叫んだ。 「無実だ! その血なら無実だ! 親父の血に関しては僕は無実です……殺したいと思ったことはあったけれど、 無実です。僕じゃない!」 だが、彼がこう叫ぶか叫ばぬうちに、カーテンの奥からグルーシェニカが飛び出してきて、 そのまま署長の足元に突っ伏した。 「あたしがいけないんです、あたしが火付け役です、主犯です、あたしが悪いんです!」 「処置を講じましょう、厳しい処置を」ネリュードフもひどく激昂した。 「二人いっしょに裁いてください!」なおもひざまずいたまま、グルーシェニカが狂ったように叫び続けた。
298 :
吾輩は名無しである :2006/06/17(土) 16:34:58
悩みがあるなら、相談に乗るぞ
299 :
吾輩は名無しである :2006/06/17(土) 23:07:16
怒りと嫌悪をこめて彼は、スメルジャコフの去勢されたような痩せた顔や、 櫛で撫でつけた小鬢の毛や、小さく膨らませた前髪をにらみつけた。 わずかに細めに相手の左目がウィンクし、まるで 『どうしました、素通りなさらないところをみると、われわれ利口な人間には、 ゆっくり話し合うべきことがあるのがおわかりのようですね』 とでも言いたげに、薄笑いを浮かべた。イワンは身を震わせた。 『どけ、ろくでなしめ、俺はお前なんぞの仲間じゃない、ばか者!』 こんな啖呵がほとばしりかけたが、われながらひどく驚いたことに、 口をついて出たのはまったく別の言葉だった。 「どうだ、親父さんは。眠っているか、それとも目を覚ましたかい?」 自分でも思いがけなく、彼は低い声で神妙な言うと、 これもまったく思いがけなく、ひょいとベンチに腰をおろした。 「まだおやすみになっておられます」 ゆっくり彼は答えた。 『最初に口を切ったのはそちらで、わたしじゃありませんよ』と言わんばかりだった。 「なぜ、チェルマーシニャへ行こうとなさらないんです?」 突然スメルジャコフが目をあげ、なれなれしげに微笑した。 『賢いお方なら、なぜ私が笑ったか、ご自分でわかるはずですよ』 細めた左目がこう語っているかのようだった。
300 :
吾輩は名無しである :2006/06/17(土) 23:56:03
「そうそう、この間試験の発表があったよ。受かってたよ」 と永沢さんが言った。 「外務省の試験?」 「そう、正式には外務公務員採用一種試験って言うんだけどね、アホみたいだろ?」 「おめでとう」 と僕は言って左手を差し出して握手した。 「うん。語学はひとつでもたくさんできた方が役に立つし、だいたい生来俺はそういうの得意なんだ。 ゲームと同じさ。ほら女と一緒だよ」 「ずいぶん内省的な生き方ですね」 と僕は皮肉を言った。 永沢さんはビールを飲んでしまうと煙草をくわえて火をつけた。 「あのね、俺はそれほど馬鹿じゃないよ」 と永沢さんは言った。 「身勝手な話みたいだけれど」 と僕は言った。 「でもね、俺は空を見上げて果物が落ちてくるのを待ってるわけじゃないぜ。 俺は俺なりにずいぶん努力をしている。お前の十倍くらい努力してる」 「そうでしょうね」 と僕は認めた。
むかしボヘミアに一人の王様があって、と申してもその王様の御代という以外、いつの頃の話なのか私には申しあげられませんが―― そんなことはわしはすこしも要求しておらんぞ、トリム、叔父トウビーがさけびました。 ――簡単に申せば巨人族がそろそろ繁殖をやめはじめた頃の、ちょっと前ごろのことでした――と申しても主キリストの紀元でいって何年ごろのことなのか―― ――そんなことはわからなくてもちっとも差支えないぞ、叔父トウビーは言いました。 ――でも、お言葉を返すようですが、話の見づらがよくなると思うのです―― ――話し手はおまえなのだから、トリム、飾りをつけたいのならおまえのすきなように つければよいし、年代だって、と叔父トウビーはつづけながら、機嫌よくトリムに目をやって ――年代だって古往今来のどんな年代でもおまえの気に入るのを選んで来て持ち出したら――おれにはそれで何の異議もあることじゃないさ――…… 主の紀元一千七百十二という年のことです、失礼ながらボへ―― ――やいやい、トリム、叔父トウビーが申しました、本当のところをいって、 いつでもよいがその年でだけはないほうがおれはうれしかったな。それは一つには その年はわが国の歴史に悲しい汚点をつけた年だからでもある。…… Sterne, Laurence. The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman. 1760–67. スターン『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』朱牟田夏雄訳. 1969年.
302 :
吾輩は名無しである :2006/06/18(日) 11:34:14
「あなたは絶対に出発するの? 私の天使」 と不意に頼子は直截に切り込んできた。 「ああ、出発するつもりだよ」 と靖男は眉をひそめて言った。これで戦いはもっとも悪い足場から再開されるわけだ、 正面衝突! 「私がどんなに反対しても?」と頼子は言い、靖男がさえぎる前にすばやく続けた。 「私はあなたと別れて暮らしたくないのよ」 「しかし、僕は出発することに決めたんだ。これは確かに一つの機械なんだ」 「機会? 何の機会なの、私の天使」と頼子は食ってかかってきた。 「私との生活から抜け出たいのね、私の天使」と頼子は怨念のこもった声で言った。 靖男は黙っていた。 そうだ、俺はお前との生活、お前との愛の生活から抜け出したいのだ、 と靖男は考えた。 女陰、湿っぽい日本の風土、涙まみれの人間関係、それらすべて、 それらの女性的なすべてから抜け出したいのだ。
頼子の熱い頬と臭い吐息が濡れた布のように自分の顔を舐めつくすのを、 靖男は眉根をひそめて唇を血が滲むほど噛みしめて我慢していた。 頼子の掌が下腹部を伝っておずおず降ってゆく。 それは恥毛に触れる前に鼠蹊部へ迂回し、そこで憂いに沈む乙女のようにためらっている。 決意の瞬間がある、指が伸びて性器に触れる。 萎縮している性器は、もどかしさのあまりに節度を失った掌にぐいと握りしめられ、 死に瀕した小鳥のように恐れおののいて、声のない絶叫をする。 靖男は呻き声を押し殺し嫌悪にまみれてじっと死体のように仰向けに横たわったまま硬く眼をつむっている。 頼子の頬はますます熱くなり吐息はせわしなくなる。 執拗な掌は萎縮したままの性器を長い間もみくちゃにし続ける。 それは必死の勢いでおこなわれる。しかし、勃起は起こらない。 性器は頑強に柔らかく縮んでいる。
307 :
_ :2006/06/18(日) 16:31:45
308 :
_ :2006/06/18(日) 16:32:27
309 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 15:41:00
「あの」 やけにはっきりした口調で、まっすぐに私を見て言った。 「荷物を」私から目線を外さない。 「あの」言葉をまた切る。 「すごく悪いと」瞬きひとつしない。 「思うんですけど」長い葱をすぱんすぱんと切るようにおばさんは話す。 「預かって」じいっと私をのぞきこみ 「もらいたいんです、すぐ戻りますから」ここは一息で言った。 こちらを凝視するおばさんを、私もじいいっと見つめ返す。 やばいかやばくないか。やばいかやばくないか。 見つめていればその答えが、おばさんの顔に炙り出されてくるかのように。 「キオスクの隣に、コインロッカーがありますよ」 私はできるだけ迷惑そうな声を出して言った。
>301のAmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg は 盗作ラノベ婆佐藤亜紀で、元の名は「処刑ライダー」だとよ。 このスレも盗作婆が汚しているスレか
心に残った一節は ↓ これ
312 :
盗作婆の盗作元確定!見た者は広報しろ! :2006/06/21(水) 15:45:59
>684 :604:2006/06/20(火) 22:15:17
>
>>671 >Joseph Roth は散文の名手。フローベールにも喩えられるほどで
>原作は、佐藤亜紀の悪文*とは似ても似つかない。<*『バルタザールの遍歴』
>佐藤亜紀がヨーゼフ・ロートから盗んだのは、文体ではなく、
>>634 の言う通り
>物語を支える時代背景と雰囲気、ナチス台頭前後のウィーンの光景等々…だ。
>自らその中を生き延び国境を越えて放浪したヨーゼフ・ロート自身が書いたものの
>パクリ…なるほど、道理で歴史的跡づけと時代相だけは巧みに描かれていた。<*
>一肉体の双子という設定は、萩尾望都の漫画からか。
>貴族の家門にまつわる諸々と遍歴の細部、そして章立ての手法は、
>イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』から仕入れて盗んだ知識か。
>ならば、佐藤自身の手になるのはただ、女性下着のフリルやレースめいたチマチマ飾りと
>下手なユーモアもどきのみ。…得体の知れなさの正体は「盗作」だったか…呆れたね。
(盗作追及スレ=
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1145418866/l50 )
313 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 15:46:38
「爆弾かも」接客を終えた琴ちゃんに私はささやく。「閉店と同時に爆発するかも」 「テロなら閉店時なんか狙わないと思うよ。もっとも人が多い時間を狙うでしょ。 七時から八時までがこの通路は一番混むよね」 「私、時間だから、もうあがろうと思うんだけど」 「そりゃないよ葛原さん」 店長と琴ちゃんが声を合わせていった。 「今日は終了までいろよ、それが筋ってもんだろう」
314 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 15:52:01
「じゃあ、この用紙に必要事項を記入して」 一通り私の話を聞き終えると、年配のほうの警官が、私の前に拾得物届け出用紙を置いた。 背を丸め、名前や住所を書いていると、 「中身はなんだ」「開いてないのか」「預かりものだし」と もそもそ二人が話し合う声が聞こえた。私は顔を上げ、 「開けてください」と言った。
315 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 16:07:35
人民よ、全世界の容貌プロレタリアート的、ブスの人民よ、わが同胞よ! 断言しておこう、私は決して転向しない事を、私はキレ子などには絶対にならない。 たとえ既に盛りを過ぎたブスだったとしても、かつての一番ブス、その誇りを忘れないっ。 メールで原稿を送る。三秒で返ってくる。 おっとー、また没だとよー、いっそ気持ちいいねえ若い頃思い出すぜ。
316 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 16:17:34
玄関には二十三・五のミュールが風呂桶一杯分。 シャベルで掬って纏めてぶん投げてやりたいような小さすぎる靴だが、 ばら撒いても蹴り散らかしてもただ疲れるだけ。 まったくこのミュールとかいうサンダルほど忌々しいものはない。 なんと言っても、両国かどこかで関取用ミュールでも売っているというのならともかくとして、 もし一般の店で私の足に合うはずの二十五センチの品を購ったとしたら、――。 それはきっと潰れたドッジボールを乗せたゴルフ用のティーのように踵がへし折れ、 或いは芝にめり込んだわけでもないというのに、ティー自体が見えなくなってしまうだろう、 ミュールの細いヒールの上に被さるように、私のぶよぶよした踵が下に垂れ下がって。
317 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 16:51:59
肌なんか誰も見ていないというのだけれど、印象の勝負はまさにここから始まるのだ。 その上陰険なことに私は一ヶ月ヘアマニキュアを抜いた。 今の白髪の量は中途半端な上、セットを止めれば私の髪は、いわゆる逆髪なのであちこちはね上がる。 寝癖がつくように寝た上から、丹念にドライヤーだけで緩いブローをかける。 すると異様な逆髪感が強調できた。 他にも私は自分自身を知り抜いていた。ブ貌とは客観化してこそのものなのである。 私の顔が一番怖いのは疲れて目付きが極端に鋭くなっている時に、 疲れを見せまいとして不自然に優しい顔を作った時だと知っていた。 これこそはマイベストであると同時にまた、疲れを押して、 本心から年下に気を使ったりする故に発生する表情でもあるのだった。 同系列で、赤ちゃん猫を見て「まあ可愛い」と言っている時の顔にも凄いものがあった。 つまりは緊張を解いた顔が素の顔である。 顎の肉が全部なだれ落ちて首と繋がり、それを口角の自然なというか野放図な笑いで 全部もちあげるのだ。
318 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 17:21:59
「あたしのところへね」うめくようにマリーは言った。また頭がふらつきだした。 「あたしのところへ来たいなんて、あんた悪魔かなんかなの?」訊ねた。 「そうとも」矮人はやり返した。「よく世間から悪魔だといわれたものさ」 「悪魔め」とマリー。「悪魔の前で糞をひってやる!」 「さっき吐いたばかりじゃないか」 「糞をひるのよ」 うずくまると、彼女は反吐の上に大糞をひっかけた。
319 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 17:30:40
「あっちへお行き」マリーは彼に向かって言った。「でなきゃおしっこをひっかけるよ」 彼女はテーブルの上にあがり、うずくまった。 「そいつは願ってもない幸せだね」怪物は答えた。その顎はまったく柔軟性に欠けていた。 口をきく時も、顎が動くだけだった。 マリーは放尿した。 顔に小便を浴びている伯爵の代物を、ピエロは力一杯しごいてやるのだった。 マリーの放尿はまた続いていた。 ビンやグラスの散らかったテーブルの上で、彼女は両手で自分に小便を振りかけていた。 脚を、尻を、そして顔をびしょ濡れにするのだった。 「見てよ」言った。「きれいでしょう、あたし」
320 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 17:40:22
○月○日 チョウは、五メートルの大きさになったので、僕の部屋には入らない。 このところ、チョウは、僕の団地の建物の屋上で寝ている。 大きくなりすぎて、食べ物がなくなってしまった。それでもチョウは生きている。 いったい、何を食べて生きているのだろう。かわいそうだ。 ○月○日 チョウが、もうどのくらいの大きさになったか、僕にはわからない。 地上近くへ来ると、人に迷惑ががかかるので、チョウはいつも、雲の少し下あたりを飛んでいる。 僕の団地の上へやってくると、風が起り、陽がかげってしまう。 東京の木が、枯れ始めた。 ○月○日 自衛隊の人が、真っ暗な空に向かって大砲をうった。 でも、チョウは死ななかった。
321 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 17:58:57
「警官ともあろう人が、そういうことをしては、いけないのでは、ありませんか?」 「なぜです」と、警官は言いました。「あなたの奥さんは若くてきれいで、だから わたしは好きです。だから、しているのです」 「でもそれは、強姦です」わたしは畳を爪で掻きながら、言いました。 「ですからやっぱり、そういうことをしてはいけないのです」 「強姦かどうか、あなたには、わからないはずです」警官は、大きな尻を揺すりながら言いました。 「強姦ではないかもしれないではありませんか」 その時です。妻が大きく喘いで叫びました。「やめて。やめて」 「ごらんなさい」わたしはにっこり笑い、妻を指しながら警官に言いました。 「やめてくれと言っています。ですからこれは、強姦なのです。わかりましたか?」 「そうではありません」警官は、のどをぜいぜい言わせながら、かぶりを振りました。 「これは、してほしくなかったという意味ではないのです。堪能して、これ以上されると死ぬから、 もうやめてくれと言っているのです。わかりましたか」 「いいえ。そうではないのです」わたしは自信に満ちた笑みを浮かべて言いました。 「なぜかというと、妻は、している時に声を出すような、はしたない女ではなかったからです」 「それでは、今、出し抜けに、はしたなくなったのです」 警官は悪乗りして、ここを先途と暴れながら答えました。 「相手があなたでは、ぜんぜん、はしたなくなれなかったということも、言えましょう」
322 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 19:19:56
催事用テーブルになった僕は保冷棚を荒らしまくった。 雑貨棚が揺れた。
青い器械 「これでいい。もう今日から、わが家の門を堂々とくぐれるんだ」 清家(せいけ)博士は、大きな鞄を重そうにさげ、いつもとは違い意気揚々と玄関へ入ってきた。 「誰? 御用聞きなら裏口へお廻り」 と、奥から例によって家附娘(いえつきむすめ)のマス子夫人のヒステリックな罵声(ののしりごえ)が聞えた。 博士はいつもの習慣でビクッと、首を縮めたが、とたんに気がついて、ドンドン床を踏みならしながら、自分の部屋に入って、ピチンと錠を下ろした。 重い鞄を実験台の上で開いて、中から取出したのは小型のラジオのような青色の器械だった。 それには二本の長い線がついていて、端にはクリップがついていた。 その一つで頭髪を、他の一つで靴の先を挟(はさ)んで置いて、青色の器械のスイッチを押すと、ジジジーッという音がした。 とたんに表戸を激しく打ち叩く妻君の声。
「コラッ丘一(おかいち)。なぜ扉(ドア)に鍵をかけたッ、 早く明けないと……昨日のお処刑(しおき)を忘れたのかネ、お前さんは。 よオし、もう妾(わたし)ゃ堪忍袋の緒が切れた。鍵ぐらいなアんだッ」 ドーンという荒々しい物音。 妻君は太った身体をドシンドシンと扉(ドア)にぶつける。 錠前がこわれて、扉はポーンと明いた。 「チキショー、お前さん。……」 と、勢いよく飛びこんでみたが、なんたる不思議、 そこに居ると思った亭主清家博士の姿が見えない。
消身剤 粉末の消身剤をのんだ清家博士は、トタンに大後悔した。まさか妻君が、それを同時にのむとは考えていなかったのである。 粉末の消身剤は、例の電気的に消身する青い器械とは効力がちがっていた。粉末の方は、ずっと前に発明したもので、効き目は青い器械よりは強い代りに欠点があった。 それは、飲めば身体が空気と同じようにフワフワになってしまうことだった。青い器械の方ならば、姿こそ見えね、身体はそのままでいられる。
粉末の方はフワフワになった上、二十四時間経たねば元のとおりに帰れない。 しかも一人がフワフワになると、空気のように両方が交(ま)ざってしまう虞(おそ)れがある。もし交ざってしまえば、二十四時間後にはどんな変ちきりんな身体になるか分ったものではない。一つの身体に頭が二つ生え、手が三本に、足が二本になるかもしれない。 「チェッこれはどうなるのだ!」 清家博士は、あまりの恐怖に気が遠くなりそうだった。 フワフワになった筈の妻君は、今この部屋の何処で何をしていることやら。
街路 瓦斯(ガス)体となった清家博士は、街路樹の葉から葉へともつれながら、警戒をつづけていた。 このあたりにフワついているところのこれも瓦斯体となった博士夫人の身体と混合することを、極度に恐れていた。もし、万一そんなことになると、彼は再びもとの身体にはかえれないであろう。 この心配の折から、向うの通りからガランガランとやかましくベルをならしながら、撒水自動車がやってきた。 それは最新式のもので、大きな水槽(みずおけ)の下から横むきに水を猛然と噴きだす式のものであった。 博士は街が涼しくなることを悦んでいた。撒水自動車が近づくと気流がはげしく起った。 博士はハッと身を縮めたが、撒水のはげしい勢いのために、ふきとばされそうになった。 「これはいけない」
328 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 22:48:20
限界が近づいてきた。息をすることすら、苦しく感じられる。 洋は翼以上だろう。洋が突然口を開いた。 「翼……俺……もう、あかんわ」 途切れ途切れに声をのどに詰まらせる。 ウソだろ? 洋が弱音を吐くなんて……。翼は耳を疑った。 「おい! 何言ってるんだ! あきらめるな!」 洋は力なく首を振った。 「翼……おまえ……一人で逃げろ」 翼を突き放すような言い方だった。
「翼! 逃げろ!」 最後の力を振り絞って洋が叫ぶ声を聞き、翼は現実に引き戻された。 洋に視線を戻すと、血塗れになりながらも、 翼に向かって来ようとしている鬼の足にしがみついている。 もう一人の鬼はまだ倒れている。鬼がどんなにもがいても洋は足を離そうとはしなかった。 翼は涙を浮かべながら、「洋……」言葉を失っていた翼の口からその言葉だけが洩れた。 「逃げろ!」 これが洋の最後の言葉だった。
「愛……」そこでは三人の鬼が、暴れ続ける愛の体を引きずっていた。 さらに二人の鬼が両端について、しっかりとガードしている。 「愛! 愛!」 翼が叫ぶと、愛は暴れるのをやめて翼のほうに視線を向けた。 翼の視線に気づいた愛は、「お、お兄ちゃん! 助けて!」 怯えながらも必死に叫んだ。
翼の覚悟は決まっていた。しかし、数秒経っても何の変化も感じられない。 鬼たちは翼の体にすら触れようとはせず、捕まえようともしない。 何かがおかしい……と気づいた翼はへたり込んだまま、恐る恐る目を開いた……。 翼と九人の鬼たちは数秒間、見つめ合っていた。 翼の全身はガクガクと震え、たまらず、 「う、う……」思わず呻き声が洩れていた。 そして、その直後だった。目の前にいた鬼が、《探知機ゴーグル》を外し、地面に落としたのだ。 その不可解な行動に、「え?……」
332 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 23:24:30
バスの中で酒に酔った外国兵が、この人たちのズボンを脱がせたんです、 と教員が強い調子で言った。そして裸の尻を。 羞恥が熱病の発作のように僕を揺り動かした。 外套のポケットの中で震え始めた指を僕は握り締めた。 裸の尻を? と若い警官が当惑をあらわにして言った。 教員は僕を見つめてためらった。 傷でも付けたんですか? 指でパタパタ叩いたんです、と教員は思い切って言った。 若い警官が笑いを耐えるために頬の筋肉をひりひりさせた。 どういうことなんだろうな、と中年の警官が好奇心に満ちた眼で僕を覗き込みながら言った。 ふざけているわけじゃないでしょう? え? 僕らが。 裸の尻をぱたぱた叩いたといっても、と教員をさえぎって中年の警官は言った。 死ぬわけでもないだろうし。 死にはしません、と教員が激しく言った。 しかし混雑しているバスの中で裸の尻を剥き出して犬のように屈まされたんだ。
333 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 23:34:31
今夜ずっと、この男に付きまとわれて、冷たい町を歩き続けなければならないだろう、 と僕は疲れきって考えた。躰を重く無力感が満たし、その底から苛立たしい哀しみがひろがってきた。 僕は最後の力を振り絞って、教員の腕を払い落とした。 しかし、教員はがっしりして大きい躰を僕の前にそびえさせて、僕の逃走の意志をうけつけない。 僕は教員と睨み合ったまま絶望しきっていた。 敗北感と哀しみが表情に表れてくるのを防ぐためにどうしていいかわからないのだ。 お前は、と教員が疲れに嗄れた声を出した。どうしても名前を隠すつもりなんだな。 僕は黙ったまま教員を睨みつけているだけで躰じゅうのあらゆる意志と力を使っていた。 俺はお前の名前を突き止めてやる、と教員は感情の高ぶりに震える声で言い、 急に涙を両方の怒りに満ちた眼から溢れさせた。 お前の名前も、お前の受けた屈辱もみんな明るみに出してやる。 そして兵隊にも、お前たちにも死ぬほど恥をかかせてやる。 お前の名前を突き止めるまで、俺は決してお前から離れないぞ。
334 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 23:49:33
香をかぎ得るのは、香を炊き出した瞬間に限るが如く、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上な存在しているとしか思われないのです。 夏目漱石 こころ
い月の光が街上に流れてゐるある夜 シャーロック・ホームズ氏の許へ一人の紳士がとびこんできた 「これを開けてもらひたい」 それはKい頑丈な小箱で いはくありげな寶石の唐草摸樣がついてゐた ホームズ氏は鍵の輪を出して順々に箱の孔にあてていつた いづれも合はなかつた ホームズ氏は第二の鍵の輪を取り出した だめであつた それから第三の輪が持ち出されたのか それとも他の道具が使はれたのか その邊はよくわからない ともかくこの夜の一時半になつて小箱のふたがあいた 「なんだ 空ッぽぢやありませんか」 とシャーロック・ホームズ氏は云つた 「さうです なにもはひつてゐないのです」 と紳士が答へた 稻垣足穗「Kい箱」『一千一秒物語』1923年.
新たにつかまって恋い慕ってくる男が、まだ網になかにいるうちに、 かれに自分ひとりだけがあなたの部屋にはいれるのだと思い込ませることだ。 のちになってから、恋仇のあること、 また床を分つ約束がほかにもあることをその男に悟らせたまえ。 この手を打たないと、愛は老衰する。 駿馬は止め木をはずしてやるとよく走るが、 前を走ったり、あとにつづく馬があると、ことによく走るものだ。 火はたとえ消えても、痛めつけるとふたたび燃えあがる。 Ovidius Naso, Publius. Ars Amatoria. 2 BCE. オウィディウス 『アルス・アマトリア』 樋口勝彦訳. 1961年.
337 :
吾輩は名無しである :2006/06/23(金) 10:46:34
純粋になりたい。 ジム・キャロル「マンハッタン少年日記」
338 :
吾輩は名無しである :2006/07/01(土) 12:36:56
ない
339 :
吾輩は名無しである :2006/07/20(木) 12:49:01
:吾輩はマロンさん
アントワヌ (狂気のようになって、) ああ! 嬉しい! 嬉しい! 己は生命の誕生を見たのだ! 運動の始元を見たのだ! 己の血は高鳴って、血管が破れそうだ。 己は、飛びたい。泳ぎたい。吼えたい。唸りたい。叫びたい。 己は翼と甲羅がほしい。殻皮がほしい。煙を吐きたい。長い鼻がほしい。 体をくねくねと捻りたい。 あらゆるところへ体を分けてしまい、あらゆる物象のなかえ入りこんでしまいたい。 香気とともに発散し、植物のように流れ、音のように振動し、光のように輝き、 あらゆる形体の上に跨り、各原子の中に滲透し、物質の奥にまで下りたい。 ――物質になりたいのだ! Flaubert, Gustave. La Tentation de Saint Antoine. 1874. フローベール『聖アントワヌの誘惑』渡邊一夫訳.1957年.
漢の使者が西河を通った時のこと、城の東の地で、 一人の女が一老翁を鞭打っているのを見かけた。 老翁の頭は雪のように真っ白、それが跪いて鞭を受けているのだ。 使者が不審に思って問うと、女は答えた、 「これはわたしの伜でございますよ。 むかし、わたしの伯父の伯山甫が神仙の道を得て崋山に隠棲いたしましたる節、 わたしの多病を憐れんで神薬をくだされ、それより次第に若返りました。 今この伜めは、わたしが薬を服めと申しましても、いっかな聞き入れず、 果てはこんなに老いぼれたのでございます。 将来、とてもわたしの年にも及ぶまいと存じ、腹を立てて折檻いたしているのでございます」 葛洪「西河少女」『~仙傳』4c. 沢田瑞穂訳.1993年.
毎朝繃帯の取換をするに多少の痛みを感ずるのが厭でならんから 必ず新聞か雑誌か何かを読んで痛さを紛らかして居る。 痛みが烈しい時は新聞を睨んで居るけれど 何を読んで居るのか少しも分らないといふやうな事もあるが また新聞の方が面白い時はいつの間にか時間が経過して居る事もある。 それで思ひ出したが昔関羽の絵を見たのに、 関羽が片手に外科の手術を受けながら本を読んで居たので、 手術も痛いであらうに平気で本を読んで居る処を見ると 関羽は馬鹿に強い人だと小供心にひどく感心して居たのであつた。 ナアニ今考へて見ると関羽もやはり読書でもつて痛さをごまかして居たのに違ひない。
ナポレオンの腹の上では、今や田虫の版図は径六寸を越して拡っていた。 その圭角をなくした円やかな地図の輪郭は、長閑な雲のように微妙な線を張って歪んでいた。 侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ、 荒された茫々たる沙漠のような色の中で、 僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。 だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕を築いていた。 塹壕の中には膿を浮かべた分泌物が溜っていた。そこで田虫の群団は、 鞭毛を振りながら、雑然と縦横に重なり合い、各々横に分裂しつつ二倍の群団となって、 脂の漲った細毛の森林の中を食い破っていった。 フリードランドの平原では、朝日が昇ると、 ナポレオンの主力の大軍がニエメン河を横断してロシアの陣営へ向っていった。 しかし、今や彼らは連戦連勝の栄光の頂点で、 尽(ことごと)く彼らの過去に殺戮した血色のために気が狂っていた。
持病が、喘息なんだがね。楽になるんだ、吸うと。 チェ・ゲバラ語録より、なぜタバコを吸うのかと禁煙家に質問されたとき。
345 :
名無し物書き@推敲中?:: :2006/08/05(土) 11:40:10
物書き
ゲバラの伝記を書いた人はたぶん物書きだと思います。
347 :
:吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 11:45:25
栄光の頂点
348 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 14:02:50
上げ
sage
アゲ
hage
352 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 16:12:49
どんなもんじゃ〜い! 亀田 興毅
2ちゃんねるの創設者ひろゆきが最近気に入っているというコピペ。 126 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2006/07/27(木) 09:33:02.83 ID:CQ6V8TiL0 アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、 無重力状態ではボールペンで文字を書くことができないのを発見した。 これではボールペンを持って行っても役に立たない! NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。 その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、 どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!! 一方、ソ連は鉛筆を使った。
354 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 17:04:37
チン毛ボーボー
>>353 ワロタ。いかにも2ちゃんねるらしいセンスだな。
本来2chてのは
そうゆう機知とユーモアに溢れるレスが多かったんだが…
356 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 18:45:52
そうかね? 鉛筆って削らなくてはならないし、屑は出るし、どう考えても ボールペンのほうが便利じゃないの? 緊急で筆記具が必要なときにいちいちナイフで削るってか? もしくはいつも尖らせておくの? それに尖りすぎた鉛筆の先端は危険でもある。 智恵足らず。
いつから>356のような知恵遅れが混ざるようになったんだ…ハァ〜〜 ちがうか愚鈍な中年婆か?w
358 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 19:12:23
私は大喜びでこの不思議な光景にみとれていたが、ある日とうとうおばに「何か見ているの?」と問われた。 子供ながらに私はこう考えた。 もし打ち明けたなら、この不思議を見せてくれているものが怒って、この楽しみを私から取りあげてしまうだろう、と。 そのときそこには種々の花々、四つ足の動物、そしてあらゆる種類の鳥が見えていた。 しかしこの素晴らしい像には、なにしろカスミからできているからして、どれも色はなかったが。 さて、若いときも歳をとってからも嘘をついたことのない私は、なかなか答えられないでいると、おばが言った。 「ぼうや、いったい何をそんなにじっと見つめているの?」 私は自分の答を憶えていない。しかし何も答えなかったのだと思う。 Cardano, Gerolamo. De Vita Propria Liber. 1575–76; 1643. カルダーノ『わが人生の書』青木靖三・榎本恵美子訳、1989年。
そして、幾多の事実によって、この男が悪魔か、又は、少なくとも、そのほかの、もっと律義な霊どもと同盟しているものと、わしは民衆とともに大方信ずるところだった。 この男の女予言者が最も大きな評判を立てていたものだが、それは後になって「眼に見えない少女」という名前で有名になった奇術なのだ。 部屋の真中に天井から飛び切り上等の、澄みきったガラス球がぶらさがっていて、この球から、丁度静かな呼吸のように、眼に見えない者に向けられた質問に対する返答が流れ出て来たのだ。 ただ単にこの現象が一見不可解に思われたためばかりでなく、その眼に見えない娘の、胸をつらぬき心底から感動させる霊の声や、その返答の適確さや、更に、その正銘の予言的才能やが、この芸人の人気を無限にあおり立てたのだ。 Hoffmann, Ernst Theodor Amadeus. Lebensansichten des Kater Murr nebst fragmentarischer Biographie des Kapellmeisters Johannes Kreisler in zufälligen Makulaturblättern. 1819–22. E. T. A. ホフマン『牡猫ムルの人生観ならびに偶然刷りこまれた反故紙にみる楽長ヨハネス・クライスラーの断片的伝記』秋山六郎兵衛訳、1956年。
そのとき、急に私は、「きれいね」とか「来てよかったわね」とか 「これから、どうしよう」と話しあう相手が欲しい、と心から思った。 自分が、おしゃべりだから、そう思うのかしら、とも思ったけど、 やはり、誰かと、美しさとか、馬鹿馬鹿しいような出来ごとを 話し合える人と旅をするのがいい、と唇を閉じたまま、私は考えていた。
362 :
名無し物書き@推敲中?: :2006/08/27(日) 11:12:14
考えた
文学なんて、大嫌い!
その瞬間に彼女は真黄に照り輝く光の中に投げ出された。 芝生も泥の海ももうそこにはなかった。 クララは眼がくらみながらも起き上がろうともがいた。 クララの胸を掴んで起させないものがあった。 クララはそれが天使ガブリエルである事を知った。 「天国に嫁ぐためにお前は浄められるのだ」 そういう声が聞こえたと思った。 同時にガブリエルは爛々と燃える炎の剣をクララの乳房の間からずぶりとさし通した。 燃えさかった尖頭は下腹部まで届いた。
365 :
名無し物書き@推敲中?: :2006/09/14(木) 11:51:51
物書き
眠りは甘し、石と成らばさらによし、 破壊と屈辱の続く間は。 見えぬこそ、聞こえぬこそ幸いなれ。 されば我が眠りを覚ますな、ああ、低声に語れ! ミケランジェロ
わたしは実在の人間ではないのです。そこいら辺にいる人間とは違うのです。 生身の人間、つまり人間から生み出された人間、ではないのです。 あなたの同類みたいに、この世に生み落とされた人間ではなくて、わたしには揺り籠で育ててくれた者もなく、成長を看守ってくれた者もいません。 不安に満ちた青春の日々も知らなければ、わたしには優しい血の繋がりもないのです。 わたしこそは――さぞかし、信じがたいことではありましょうが、こう申しあげるしかないのです――わたしこそは、夢の形象であって、それ以外の何者でもありません。 ウィリアム・シェイクスピアの亡霊は、わたしにとって、文学的にも悲劇的に確実なものとなったのです。 つまり、あなたの夢を形作っているのと同質のものから出来あがっているのです、わたしは! わたしを夢見る人物がいるかぎり、わたしは存在するのです。 つまり、眠って、夢見て、そのなかでわたしが行動し、生きて、動きまわるのを眺めて、たったいまの瞬間に、わたしがこういう事柄を口にするのを、夢見る人物が存在するかぎり。 そういう人物がわたしを夢見たとき、そのときから、わたしは存在し始めるのです。 そして目を覚ましたときに、わたしは存在を止めるのです。 わたしは彼の想像の産物であり、彼の被造物であり、長い夜のあいだに限って彼の空想の客になるのです。 Papini, Giovanni. L'Ultima Visita del Gentiluomo Malato. 1907. パピーニ『病める紳士の最後の訪問』河島英昭訳。
そこでエピクロスは、体が平静で、 食物の消化と養分の分配がすんで排泄されてしまってから、 そして体がまた次の食物を要求するようになる前に、性交に及ぶべきだと言っている。 これがエピクロスの説だが、これは医者の説とも一致している。 つまり医者はこう言う。 性交に適した時というのは昼間で、もう消化もすんでいて体にとって安全だ。 食後にいざ交わらんなどと勇みたつのは危険がないわけではない。 まだ食べたものが消化しきれていないから、 性交のために生じる体の乱れと振動の結果不消化が起こるかもしれない。 だからこういう性交が体にもたらす危害は、体が平静な時の倍になるわけだ。 Πλούταρχος. Συμποσιακα. c. 2c. 654A–B. プルータルコス『宴会で議論されたいろいろなことども』柳沼重剛訳。
こうしたお言葉だけをいただくと、 周囲の人々は恐縮してありがたがるのだろうと思うのです。 言葉の実行などは問題じゃないのです。 ただそうした言葉だけを、 ありがたく頂戴して引き下るのだろうと思うのです。
人間であればいかなる偉い人でも、刑務所へ移されると態度が変ってしまう。 それなのに水蓮は移されたことも知らぬ顔に咲き誇っている。 なんたる自然の偉大さであろう。 出来得べくんば自分もこの水蓮の花のように、 如何(いか)なる事件に逢おうとも心を動かすことなくありたい。
ある日のこと、木から落ちて思わず叫び声をあげたとき、その声がとっても奇妙に聞こえた。 人間の声とは思われない、音楽の調べのようだった。 それからは、少女は、自分の声に気をつけるようにしてみた。 すると、ふだん話している言葉のかげにそっとはいりこんでいるものが聞こえるように思えたのだ。 バイオリンの音色、それも変ホ調や嬰ヘ調の音色や、なにやらほかの奇妙な音色が……。 それで人と話さなければならないときには、彼女は、そうした奇妙な印象をうち消そうとするかのように、相手をじっと見つめるのだった。 Supervielle, Jules. La Jeune File à la Voix de Violon. 1931. シュペルヴィエル『ヴァイオリンの声をした少女』三野博司訳。
「……「思うに」と王様。「鵞鳥一羽がやっと通れるぐらいのせまい丸太橋を掛け渡したらいかがであろうな。そうして一羽ずつ渡らせれば群を壊さずに済むし、あとで集める手間も省けるではないか。」 王妃様はその考えに大賛成でさっそく実行に移し、一羽ずつ鵞鳥を渡し始めました。」 ここまできてサンチョは口を閉じた。するとドン・キホーテが訊ねた。 「悪魔もろともおぬしも渡ってしまうがいいぞ。さっさと渡してしまって話をおしまいにせぬか。どうした? 忘れたのか?」 サンチョが主人の問いに言葉を返さずにいるのを見て隠修士が訊ねた。 「話の先を続けて下され、サンチョさん。まことにもって楽しゅうござる。」 彼がこれに応えて言った。 「しばらくお待ちを。なんともせっかちなお人ばかりだ! 鵞鳥が渡り切るまで待っておくんなさい。それから話を続けますだでね。」 「渡り切ったことにすればよかろうに」と司法官のひとりが言った。 「なんねえですだ」とサンチョが返した。「二十レグアを埋め尽くした鵞鳥の群だものそう簡単には渡れはしねえです。鵞鳥が一羽ずつ向こう岸へ渡り切らねえうちは話を気持ちよく先へ進めることが出来ねえとご承知おきくだせえ。長くとも二年はかからねえでがす。」 Avellaneda, Alonso Fernández de. Segundo Tomo del Ingenioso Hidalgo Don Quixote de la Mancha. 1614. アベリャネーダ『続・才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』岩根圀和訳。
それは海馬(かいば)などと言うべきものではあるまい。 海馬は普通にあしかと唱えて、その四足は水掻きになっているのであるから、 むやみに陸上を徘徊する筈がない。 おそらくそれは水から出て来たものではなく、山から下って来た熊か野馬のたぐいで、 水を飲むか、魚を捕るかのために、水辺または水中をさまよっていたのであろう。
会社に連絡してすぐにその番号を無効化したがすでに 南米のなんとか共和国を経由して60万円ほど使われたらしい。
■ヘーラクレイトスの奇妙な最後 しかし、ヘルミッポスが伝えているところによれば、彼〔ヘーラクレイトス〕は医者たちに、 誰か自分の体内を空にして、水分を追い出すことのできる者はいないかと訪ねた。 しかし、それはできないと医者は答えたので、彼は自分を太陽の光の下において、 召使の子供たちに命じて牛の糞を身体に塗らせた。 そしてそのようにして彼は、身体をのばして地上に寝そべっていたが、 その翌日には死んでしまい、広場に埋葬されたとのことである。 だが、キュジコスの人ネアンテスが述べているところによると、 彼は(身体の上に塗った)牛の糞を取り剥がすことができなかったので、 そのままの状態にしていたのだが、姿が変っていたために(人間とは)気づかれないで、 犬どもに喰われてしまったということである。 Διογένης Λαέρτιος. "Ηράκλειτος." Περι βίων δογμάτων και αποφθεγμάτων των εν Φιλοσόφια ευδοκιμησάντων. c. 2c–3c. ディオゲネース・ラーエルティオス「ヘーラクレイトス」『哲学において著名な人たちの生涯、学説、および警句について』加来彰俊訳。
■薄桃色に輝く女 パリでも高名なある作家が、彼女の店に入ってきたことがあった。 しかし、帽子を買いにきたわけではない。 「暗闇でも光ってみえる花の話を聞いたが、お宅にそういう花はありませんか?」 実は、と彼はつづけた。 暗いところにいても肌が輝くように浮き出す女がいるが、 その女のために光る花を探しつづけているのだという。 「いや事実なんですよ。芝居に連れていったんですがね、 暗いボックスに坐っているイヴニング姿の彼女の肌が、 あのすばらしい海の貝殻のように、ぼおっと薄桃色に光っているんだ。 だからその女の髪に、光る花を飾ってみたいと思ってね」 Nin, Anaïs. "Mathilde." Delta of Venus. 1977. アナイース・ニン「マチルダ」『デルタ・オブ・ヴィーナス』杉崎和子訳。
■風変わりな人種 すなわち、異教徒の歴史が説明しているのであるが、ある怪物のような人間の種類が存在するのであって、 それらは、ノアの息子たちから出てきたと考えられるべきであるか、それともむしろ、息子たち自身も由来したところのあの一人の人間から出てきたと考えられるべきであるか、ということである。 これらのある者は額の真中にただ一つの目だけをもつと伝えられる。 ある者には足の裏が脚部とは反対の向きになって付いているとか、またある者には男女両性の性質があって、その右胸は男性的、左胸は女性的で、たがいに交接しあって交互に生ませたり胎んだりするといわれるのである。 他の者たちは口がなく、かれらは鼻孔をとおしてただ息をするだけで生きているのである。 身長が一キュビトという者もいる。 ギリシア人はかれらのことを、「キュビト」にしたがって「ピュグマエオス」とよんでいるのである。 別の処では、女性は五歳で妊娠し、寿命は八年をこえないといわれる。 Augustinus, Sanctus Aurelius. De Civitate Dei Contra Paganos. Vol. 16. §8. 413–426. 聖アウグスティーヌス『神の国について異教徒を駁す』第十六巻八章、服部英次郎訳。
■娘の数学的な形象としての神殿 いいかい、パイドロス(なおも彼は申しました)、 ぼくがついこの近くにヘルメスのために建てたあのささやかな神殿が、 ぼくにとってどんな意味のものなのかとうてい君にはわかるまい! ――通りがかりの者にはしゃれた礼拝堂と見えるくらいのことで、――ごく些細なものだ。 要するに四本の円柱、そしてきわめて簡素な様式、 ――だがぼくはそれにぼくの生涯のある明るい一日の思い出をこめたのさ。 おお、優婉な変身よ! この風雅な殿堂が、かつてぼくが嬉しい恋をした、 あるコリントの娘の数学的な形象だとは、だれ一人知らない。 この神殿はその娘の独特なプロポーションを忠実に再現している。 ぼくにとっては生きものなのさ! ぼくが与えたものをそのままぼくに返してくれる……。 Valéry, Paul. Eupalinos ou l'Architecte. 1921. ヴァレリー『ユーパリノスあるいは建築家』佐藤昭夫訳。
僕は平和が怖い。 何よりも怖い。 ……地獄を隠しているような気がしてね。 甘い生活
■枯れてしまった子供 さて律法学者アンナスの息子がそこでイエスの傍に立っていました。 そして柳の枝をとって、イエスが集めた水を流してしまいました。 イエスは起こったことをみて腹を立て、彼に言いました。 「不義にして不虔にして愚かなる者よ。この穴と水がお前に何の不正をしたというのか。 みよ、今やお前は木のように枯れる。そしてお前はもう葉も根も出さず実も結ばない」。 するとその子は忽ち全身枯れてしまいました。イエスは立ち去ってヨセフの家に帰りました。 さて枯れた子の両親は嘆き悲しみながら子をかつぎ、ヨセフのところへ運んで 「あなたにはこんなことをする大変な子がいる」と非難しました。 それからまた村を通って歩いていますと、子供が駆けて来て(イエスの)肩に突き当たりました。 するとイエスは怒って言いました。「お前はもう道を歩けない」。 すると子供は忽ち倒れて死んでしまいました。 Evangelium Thomae Infantiae. c. 2c. 『トマスによるイエスの幼児物語』八木誠一訳。
■幻覚をもたらす虚像 まるで、愛するひとの持ちものであり、その体に触れていたものから、 眼に見えない排出物が発散して、そこまで波及してゆく、みたいですね。 こういう考えは別に新しくありませんよ。エピクロスの古い学説なんです。 あの古代の哲人たちはわれわれよりもこういう事柄にはよく通じていましたね。 これは幻覚とかかわりがあるんです。 で、その幻覚とはどうして生じるのでしょう? 物体から遊離してわれわれの眼に向って突進してくる 多くの細かくて軽い虚像によってです。 こういう虚像の有益な性質あるいは有害な性質をだれが知っているでしょう? 誰も知らないのです。 ただ、こういう虚像がすべて無害だとは限らないことは、立派に証明されています。 Diderot, Denis. Mystification ou Histoire des Portraits. 1769. ディドロ『ミスティフィカシオンあるいは肖像の物語』新村猛訳。
■由良子の幻影と実体 「[……]君の女房は歳を取るだろうが、僕の方のは、たとえフィルムはぼやけてしまっても、 今では永久に頭の中に生きているのだ。つまりほんとうの由良子嬢と云うもの、 ――彼女の実体は僕の脳裡に住んでいるんだよ。 映畫の中のはその幻影で、君の女房は又その幻影だと云う訳なんだよ。」 「けれどもですね、さっきあなたも仰っしゃったように、 僕の女房が居なければ映畫が生れて来ないでしょう? 映畫がなければあなたの頭の中のものだって無い訳でしょう? それにあなたが死んじまったら、その永久な実体と云う奴はどうなりますかね。 そこン所がちょっと理窟に合わないようじゃありませんか。」 「そんなことはない、此の世の中には君や僕の生れる前から、『由良子型』 と云う一つの不変な実体があるんだよ。そうしてそれがフィルムの上に現われたり、 君の女房に生れて来たり、いろいろの影を投げるんだよ。[……]」 谷崎潤一郎『青塚氏の話』1926年。
■生殖担当の教師たち 女はだれでも、十九歳になるまでは男に身をまかせません。 そして男は二十一歳まで、また虚弱体質だともっとあとまで、 子づくりの営みをおこないません。 ひとによっては不妊の女や妊婦との性交を許されますが、 これはいかがわしい方法で性欲を満足させることのないようにするためです。 ひと一倍性欲に苦しむ若者がひそかに申し出ますと、 母親となったことのある女教師たちは、生殖担当の年配の男教師たちと相談して、 女と交わらせてやります。 交わらせるときは、しかしかならず、〔生殖担当の〕上司の教師に報告します。 この教師とは、副統治者「愛」に直属の名医です。 Campanella, Tommaso. Appendice della Politica detta La Città del Sole di Fra Tommaso Campanella: Dialogo Poetico. 1602. c.1611. カンパネッラ『政治学の補遺 太陽の都――詩的対話』近藤恒一訳。
■同時に耀く三つの太陽 語りおえると、隠者はひざまずき、わしたちもそれにならった。 隠者が声高に祈りの言葉をとなえはじめると、アタラはそれに答えた。 音のないいなずまが、まだときどき、東の空をつんざき、 西の雲の上には同時に三つの太陽が耀いていた。 Chateaubriand, François-René de. Atala. 1801. シャトーブリアン『アタラ』辻昶訳。
■聖母マリアの聖乳汁と聖下着 とにかく聖童貞が牝牛のようであったとしても、またその全生涯乳母であったとしても、 このように多量の乳汁を搾り出すことはできなかったであろう。 さらに今日至るところに顕示されているこの乳汁がどうして収集され それを今日まで保存することができたかをあえて私は尋ねたい。 なぜなら我々はかつてこのことにだれかが好奇心を持ったということを読まないからである。 牧者たちはイエス・キリストを拝礼し、博士たちは彼に彼らの携帯した贈り物を捧げたと言われる。 しかし彼らはそれに対する返礼に聖母の乳汁を貰って行ったとは決して言っていない。[……] 以上のほか彼らの持っている聖母マリアの聖遺物はその所持品である。 第一に、シャルトルに彼女の下着があって、ひじょうに有名な偶像となっている。 またドイツのアーヘンにも一枚ある。 どうして彼らはそれを持つことができたのかそれを追及することは止めよう。 Calvin, Jean. Traité des Reliques. 1543. カルヴァン『聖遺物について』波木居齊二訳。
■夢にあらわれた怪物が胎児に与える影響 もし自分が、小生は告白しますが、女性で、したがって心やさしく臆病であり、とりわけ妊娠しているとしたら、 小生が妊娠中にわが胎内の胎児について絶望の念を禁じ得ないのは、 もし自分が眠っていて、したがって夢のなかで、 公衆衛生担当の警察医たちによって公開を禁じられている怪獣や野獣や異形児等々といった、 そのなかの一つだけでも(妊婦がかかるものを目にすると胎児に悪い影響を与えるという例の確認された学説が依然として真実であるとすると) もう結構なものをすべて見かけたとしたら、陣痛の始まった産婦たる自分の産むのが、 まったく兎のごとく見えるだけでなく兎の口まで完備しているか、 はたまた首のうしろにライオンのたてがみが生えているか、 両の手に悪魔の爪が生えているか、 もしくはほかにもまだ異形児に具わるものを持っているような 見るも哀れな子供だということにほかならないでしょう。 Jean Paul. Des Feldpredigers Schmelzle Reise nach Flätz. 1809. ジャン・パウル『従軍牧師シュメルツレのフレッツへの旅』岩田行一訳。
■水に変身した子供 漢のすえごろ、零陽郡(湖南省)太守の史満には娘が一人あったが、 父の部下の書佐を見そめた。 そこで女中に言いふくめ、書佐が手を洗った残り水をひそかに持って来させて飲んだ。 すると妊娠し、やがて男の子が生まれた。 その子が歩けるようになったある日、太守は子供を抱いて部下の前に出ると、 子供に父親を探させた。 すると子供はまっすぐにはって行って、書佐の胸に抱かれようとした。 驚いた書佐が押しのけたところ、床に倒れたと思ったら、水になってしまった。 太守が娘を問いつめると、以前に水を飲んだ事実が残らず判明した。 そこで太守は、娘を書佐にめあわせたのであった。 干寶《搜~記》4c,竹田晃訳。
■案山子、ひねくれもの、悪魔 ゆうべのわたしの役割は、料理女に小麦粉とバターを出してやることでした、 ホットケーキをつくることになってたものですからな。 そこでです、要するに、きょう、もうホットケーキが焼きあがってからです、 家内が調理場へやってきて、寮生が三人、ホットケーキは食べない、 扁桃腺をはらしたから、とこうです。 したがって、いくつかホットケーキをつくりすぎたわけです。 どこへやりゃいいんです。 家内は初め穴ぐらにしまっとくようにと言いましたが、 それからさんざっぱら考えたあげく、「自分で食っちまえ、この案山子め」ですと。 彼女は、ご機嫌ななめのときには、わたしをこう呼ぶんです―― 「案山子、ひねくれもの、悪魔」ってね。いったいこのわたしが悪魔に見えますか。 Чехов, Антон Павлович. О вреде табака. 1886. 1902. チェーホフ『タバコの害について』定稿、松下裕訳。
■尿の疑い あるいは受け取らなかった甘露 〔聖者〕ウダンカは、〔ヴィシュヌ神が、武器を持ち 恐ろしい形相の狩人に扮したインドラ神を介して甘露を与えようとしたが、 それが狩人の尿の排泄器官から出ていたために、 折角の甘露を〕尿ではないか、と考えて、甘露を受け取らなかったように、 人々は、行為が止滅することを恐れて、アートマンの知識を受け取らない。 Ādi Śankara. Sakalavedopanisad–Upadeśasāhasrī. 8c. シャンカラ『全ウパニシャッドの精髄であるウパデーシャ・サーハスリー』韻文篇、第五章第一節、前田専学訳。
■彫像や肖像への恋が胎児に与える影響 生まれた子供が両親以外の者に似ていて、 両親に似ないということがどうして起こるのか。 エンペドクレスは妊娠中に妊婦が表象するものによって胎児は形づくられるとする。 なぜなら、しばしば妊婦が彫像や肖像画に恋をして、 それらに似た子供を生むということがあったからである。 Αέτιος (Aëtius). Placita Philosophorum. c. 1c–2c. Doxographi Graeci. V 12, 2. Ed. Hermann Alexander Diels. 1879. 423. アエティオス『哲学者たちの学説誌』日下部吉信訳。
■ギュゲースの指輪 あなたがこれをこういう風に (身振りでそれを示しながら)、 金屬が前の方へ向くように お嵌めになっておれば、それは單に一つの裝飾品に過ぎません、 むしろそれだけの値打ちすらないかも知れません。しかしあなたがこれを、 この小さい暗紅色の石が周圍を照らすことができるように、 グルリとお廻しになりますと、 そうするとあなたのお姿は、俄かに見えなくなり、そしてあなたは、 雲のなかなる~々のように、世界じゅうを自由にお歩きになれるのです。 Hebbel, Christian Friedrich. Gyges und sein Ring. 1854. ヘッベル『ギューゲスと彼の指輪』第一幕、吹田順助訳。
■前髪男と寸劇男 ある男 月に一度決まった日に、恋人に前髪を切るよう求める男がいた。 男はこれに大いに満足した。それ以外のことは求めなかった。 X。三十八歳。技師。既婚、三人の子どもの父。結婚生活は順調。定期的に売春婦の もとを訪れるが、性交前には、以下の寸劇を演じなければならなかった。男が部屋に 入ってくるなり、娼婦は男の耳をつかみ、部屋中引きずりまわしながら大声で叫ぶ。 「こんなところに何しに来たの? 学校に行かなきゃいけないでしょ? どうして学校に行かないの?」そして彼の顔に平手打ちを食わせ、殴り、しまいに男は ひざまずいて許しを請う。娼婦はそこで子どもが学校に持っていくような、パンと 果物が入った小さなバスケットを手渡す。彼は絶頂に達するまで売春婦の手荒な 仕打ちに耐える。それから「行きます! 行きます!」と叫び、そのあと性交する。 Krafft–Ebing, Richard Freiherr von. Psychopathia Sexualis. 1886. クラフト = エビング『性の精神病理』第四章、柳下毅一郎訳。
■霊的伝達者の声 私が妻に口述筆記をさせているときであったと思うが、一度ならず誰かの声が聞こえてきて、 筆記中の文章に異議を唱えたが、その声が妻の人格を通じて現れることは確かであっても、 口笛の場合と同様に、それがどこから聞こえてくるのかわからなかった。 われわれ夫婦と食事を共にしたことのある日本人が、あるときトルストイの哲学に触れ、 多くの教養のある日本人が彼の思想に魅了されている、と言ったとき、私はそれに激しく反論した。 「そりゃ狂気の沙汰ですよ。東洋は武装した西欧を相手にしなけりゃならんのですからね」 と私は言い、さらに同じような意見をさんざんまくしたて、 彼が帰った後、大袈裟で途方もない演説をぶったものだと後悔していた。 すると誰かが大きなはっきりとした声でこう言うのが聞こえてきた。 「われわれが言いたいと思っていたことを、君は言ったのだ」。 Yeats, William Butler. A Vision. 2nd ed. 1937. W. B. イェイツ『幻想録』島津彬郎訳。
■書物を呼ぶ書物たち しかも書物は、それぞれが読者の心にはいりこむばかりか、 ほかの書物の名前をも忍びこませて、相互に欲望をかきたてあいます。 具体例を挙げましょう。私はキケロの書『アカデメイア派』によって マルクス・ウァローを愛好するようになりました。 おなじキケロの『義務論』によってエンニウスの名を知り、 『トゥスクルム論議』を読んではじめてテレンティウスが好きになりました。 『老年論』によって大カトーのローマ史『起源論』や クセノフォンの『家政論』を知ったし、 その『家政論』をキケロが訳出したことも『義務論』によって教えられました。 同様に、プラトンの『ティマイオス』はソロンの英知をたたえ、 小カトーの死はプラトンの『パイドン』を推奨してくれました。 Petrarca, Francesco. Familiarium Rerum Libri. Vol. 3, No. 18. c. 1346. ペトラルカ『親近書簡集』第三巻第十八、近藤恒一訳。
■書物のいのち 今でも思い出すのですが、ある日私はほかのどれよりも説得力のあるテストをやってみました。 本棚から現代の著作ばかりを何冊も抜き出して、きっと今世紀のうちにも後世の人たちが こうするだろうというようなやり方で、一冊ごとに、はたして長く残る資格があるかどうか、 しかも有益だとみなされる権利があるかどうかと、差引勘定をしてみたのです。 それによってわかったことは、 一つの作品が生きながらえるための最低条件を満たしている本が実に少なく、 まして必要欠くべからざる本などはほとんどない、ということでした。 たいていのものはその時代の人たちの一時的な気晴らしの種になったあげく、 面白がられては忘れられていっただけのことです。 いくつかのものはいかにも必要ありげな様子をしているので、どう見ても だまされてしまうのですが、それが本物が贋物かは未来が決めてくれることでしょう。 Fromentin, Eugène. Dominique. Ch. 16. 1863. フロマンタン『ドミニック』第十六章、安藤元雄訳。
■夢の化学作用 第一、眼が幻影を創造する状態がすすむにつれて、腦の目覺めた状態と、 夢見る状態との間に、或る共鳴が一點に於いて起るやうに思はれた、 ――即ち私が偶々有意的動作によつて、暗中に呼び出したり、描いたりするものが、 凡て私の夢に移轉しがちであつた。それ故、私は此力を働かせることを恐れた。 と云ふのは、マイダスが凡ての物を黄金と化しはしたが、併しそれが却つて彼の希望を 空しくし、又、彼の人間的欲望を欺いたやうに、何によらず眼に映ずるもの凡てが、 それ等を私が闇の中で一寸考へただけで、直ぐとその姿が眼の幻影と化して仕舞つた。 そして明らかにそれと同樣に必然的な過程によつて、その幻影が斯くして一度 かすかなぼやけた色彩で描かれると、恰も炙り出しインキで書いた書き物のやうに、 その幻影は、私の夢の猛々しい化學作用によつて引き出され、 私の心をいらいらさせる、堪へ難い華美なものと化するに至つた。 De Quincey, Thomas. Confessions of an English Opium–Eater. Part 2. 1821. ド・クインシー『イギリス阿片吸飲者の告白』第二部、田部重治訳。
■空の恐ろしい龍 彼[トマス・モア]の舌はすこぶる機鋒に富んだものであった。 或る夜、馬を駆っていて、突然大きく十字を切ると、こう叫んだ。 「おおマリア様! きみらには空のあそこに恐ろしい龍が見えないのかい?」 みんな空を見上げた。甲には見えなかった。乙にも見えなかった。 やっとのことで一人が見つけた。そうして、みんなが見つけた。 ところがそんな怪物などいはしなかったのである。 彼の舌の力によって幻を見せられたにすぎなかった。 Aubrey, John. "Sir Thomas More." Brief Lives. 1669–1696. 1898. オーブリー「サー・トマス・モア」『小伝』橋口稔・小池_訳。
■卵生の宇宙 卵の下の部分は/下にある大地となり、 卵の上の部分は/上にある大空となった。 黄味の上のほうは/太陽となって輝き、 白味の上のほうは、/月となって照らした。 卵の中のまだらなもの、/それは星となって大空へ、 卵の中の黒いもの、/それは天空の雲となった。 Kalevala (Unsi Kalevala). Ch. 1, ll. 233–244. c. 1000?–1200?. Ed. Elias Lönnrot. 1849. 『カレワラ(新カレワラ)』第一章第二百三十三–二百四十四行、リョンロット編、小泉保訳。
■対蹠点 というのは、また、もしも宇宙の中心に、何か均衡の取れた固体があるとすると、 それは、何しろ宇宙の端がどこも同じようなので、 そのどの部分に向かって動くこともないでしょう。 それどころか、また、もし誰かが、その中心の固体のまわりをぐるぐる歩くとすれば、 そのひとは、何度も自分自身の対蹠点に立って、 宇宙の同じ部分を、「下」と呼んだり「上」と呼んだりするでしょう。 つまり、宇宙の全体は、いま言われたように、球形なのですから、 そのある場所を下と言い、ある場所を上と言うのは、 分別ある者に出来ることではないのです。 Πλάτων. Τίμαιος. c. 360 BCE. 62d–63a. プラトーン『ティーマイオス』種山恭子訳。62d–63a。
■帆を張ってやって来る十三の星 それにしても、あの星占術者コルネイユ・アグリッパの博識はたいしたものだ。 天空の大洋に、十三の星が 北のほうから余の星に向かって、帆を全部張ってやって来るのを見たという。 なれば、帝国はきっと余の手に入るだろう、さあ元気を出せ! ――しかし一方では、 もうひとりの星占術師ジャン・トリテーム師がフランソワ王に同じことを預言したということだ ――運命の謎が解明されるのをもっとよく見たいのなら、 何か武器を取って予言の手伝いをすべきだったかも知れぬ。 Hugo, Victor–Marie. Hernani ou L'Honneur Castillan. Acte 4, Scène 1. 1830. ユゴー『エルナニあるいはカスティリアの名誉』第四幕第一場、杉山正樹訳。
■マザラン枢機卿の彗星 こちらでは、これまたたっぷりとのびた彗星が見られます。 人が見ることのできる最も美しい尻尾です。 お偉がたはみな怯え、自分を失うことを天がとても気遣って この彗星によって警告しているのだと堅く信じているのです。 マザラン枢機卿様に大きな彗星が現れていますと気のない調子で申し上げた人がいました。 その頃枢機卿様は医者に絶望しておられまして、延臣達は枢機卿様の死のお苦しみを 奇跡で称える必要があると信じたのです。が枢機卿様は超自然的なことと意に介さない お心をお持ちでしたので、ふざけて「彗星とは痛み入る」とお答えになりました。 確かに、あの方と同じように言うべきなのでしょう。 それなのに、死ぬべき時には天体に大異変が起きると信じるなんて、 人間の思い上がりから人はあまりに自分を偉いものと思い過ぎます。 Sévigné, Marie de Rabutin–Chantal, marquise de. « Lettre à Bussy–Rabutin. » 2 janvier 1681. Correspondance. 1734–1754. 1817–1819. セヴィニェ夫人「ビュッシ = ラビュタン宛書簡」1681年1月2日付、『書簡』吉田郁子訳。
■スタンダールの童貞喪失の記憶 言うのを忘れていたが、私はパリから童貞を持参してきたのだ。 この宝を捨てるようになったのは、ミラノに到着してからのことだった。 おもしろいことに、誰が相手だかはっきりおぼえていない。 臆病と感覚の激しさが、記憶をまったく殺してしまったのだ。 Stendhal. Vie de Henry Brulard. Ch. 44. 1835–1836. 1890. スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』第四十四章、桑原武夫・生島遼一訳。
■シェバの女王の不思議な指輪 「もしこの幻想がお氣に入りでしたら」と女王は續けた。「私は喜んでこの鳥の 小さな天蓋を獻上いたしませう。但しあなたがそれを金色にしないといふ條件で。 彼等を呼びたい時には、この指輪の寶石を太陽に向つて廻しさへすればいいのです。 ……この指輪は貴重なものです。私はそれを先祖達から受けました。 そして私の乳母のサラヒルが、きつとこれをあなたに差し上げたことを叱言をいふでせう。」 「あゝ! 偉大な女王よ!」とソロモンは彼女の前に跪きながら叫んだ。 「あなたは人民共に、王達に、そして元素等にも命令するにふさはしい方です。 あなたは臣下達の中で最も從順な男を、いままさにあなたの足許に跪かせてをられる。 この玉座の半分を、どうぞお受け下さいますやうに。」 「あなたのお申し出は私を煽て上げます。」とバルキスはいつた。「もうそのお話は止めませう。」 二人は鳥の行列を從へながら、玉座から降りて來た。鳥の群は彼等の頭上で樣々な裝飾摸樣を描きながら、天蓋のやうについて行つた。 Nerval, Gérard de. Balkis et Salomon: L'Histoire de la Reine du Matin et de Soliman, Prince des Génies. 1851. ネルヴァル『バルキスとソロモン――暁の女王と精霊の王の物語』中村眞一カ訳。
■みみずくになった少女 見るとパンフィレエは最初にすっかり著ていた著物を脱いでしまうと、 とある筐を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、 その中にはいった膏油をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、 そのうち足の爪先から頭髪のさきまで体じゅうにそれを塗りたくりました、 そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向って呟いてから、 手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。 すると、からだのゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛がだんだんと生え出し、 しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり爪はみな鉤状に変って、 パンフィレエはいま耳木菟になり変ったのです。 Apuleius Madaurensis[, Lucius]. Metamorphoses (Asinus Aureus). Vol. 3. 2c. アープレーイウス『メタモルポーセース(黄金のろば)』第三巻、呉茂一訳。
■エデンの園のドードー鳥 ドードー鳥がやってきたときでも、彼はそれを山ネコだと思った。 ――思ったということは彼の目を見てわかったのだ。 でもわたしは彼を救ってやった。そして自分でもじゅうぶん注意して、 それをやるにも彼のプライドを傷つけないような方法をとってやった。 つまり、ごく自然な調子で叫んだのだ。 楽しい驚きごとに見舞われたといったような様子をして、 かりそめにも相手に知識を与えようなどと考えている様子は見せずに、こう言ったのだ、 「まあ、どうでしょう、あれ、ドードー鳥じゃありませんか!」。 それから説明してあげたのだ ――もちろん説明しているなんていう様子はおくびにも出さずにだが―― どうしてわたしにそれがドードー鳥だとわかったか、ということをだ。 Twain, Mark. Eve's Diary: Translated from the Original MS. 1905. トウェイン『イヴの日記――原典を解読せしもの』大久保博訳。
■ 神の知は可変的である 三、更に、神は、「キリストが生まれるであろう」ことを知っていた。 しかし今では、「キリストが生まれるであろう」ことを知らない。 なぜならば、[今では、既に生まれてしまったのであるから、今はもはや] 「キリストが生まれるであろう」ということはないからである。 したがって神は、かつて知り給うたことをことごとく、今知り給うわけではない。 ゆえに神の知は可変的であると思われる。 Aquinas, Sanctus Thomas. Summa Theologiae. I, Q. 14, A. 15, Arg. 3. 1265–1273. 聖トーマス・アクィーナス『神学大全』第一部第十四問第十五項第三、山田晶訳。
■ エーテルで作られている身体 又或人はあらゆるコに於て完全無缺であり、~に最も近い。 攝理は、かゝる人に何等かの艱難を與へることを罪惡と考へ、 かくてかゝる人を、肉體の病氣で苦しめることさへ許さない。 實際、私にも勝さるさる人の言つたやうに、 「聖者の身體はエーテルで作られてゐる」 からである。 Boethius, Anicius Manlius Torquatus Severinus. De Consolatione Philosophiae. Vol. 4, Ch. 6. c. 524. ボエーティウス『哲学の慰めについて』第四巻第六章、畠中尚志訳。
■ 体から溢れ出る乳 アブド・アッラー・ブン・ウマルによると、神の使徒が 「夢でわたしに乳の入った器がもたらされ、それを飲んだところ、 わたしの体から乳が溢れ出た。そこで、わたしは乳の残りをウマルに与えた」 と言ったとき、人々が 「神の使徒よ、この夢をどのように解かれますか」 と尋ねると、彼は 「ここで乳とは知識のことだ」 と答えた。 محمد بن إسماعيل البخاري, ed. صحيح البخاري. c. 9c. アル = ブハーリー編『正伝集(ハディース)』「夢の解釈」第三十四節、牧野信也訳。
■ 解剖された子供の手足 すると、私が見出したのは……解剖された一人の子供の手足だった。 体がぶるぶる震えた。……しかし私にできることは何もなかったので、引き上げた。 翌朝、街角の薬剤師の店へ出かけた。彼の家の窓の下で私が見つけたものを 知らせるつもりだった。彼は笑いだした。 「あれは解剖の残りなのですよ。若い外科医見習生には死体利用が認められていない ものですから、彼らは死体を盗むか、でなければ買い取らなければならないってわけです。 連中は解剖が終わると、どうしたらいいかもう分からなくなり、 ばらばらになった死体を四人でかつぐのです。前方に二人と後方に二人が 急を知らせるために付き添ってゆきます。通りにあるいくつかの秘密の通路を知っていて、 その通路の扉を用心のため開けておき、危険な場合はそこへ避難します。 やっとここに着くと、死体の残骸を放りだして逃げてゆくのです」 Rétif (ou Restif) de la Bretonne, Nicolas–Edme. Les Nuits de Paris ou le Spectateur–Nocturne. I, 31. 1788. 1790. 1794. レティフ『パリの夜あるいは夜の観察者』第一部第三十一章、植田祐次訳。
■ 皿の上でふるえる心臓 戦士の王グンナルは言った。「これは ヒアルリの心臓ではないか。 勇者ヘグニの心臓とは、 似ても似つかぬもの。 皿の上でも がたがたふるえておる。 胸のうちにあった時には、 この二倍もふるえていたのに違いない」 «Atlakviða hin Grœnlenzka.» Eddukvæði. c. 9c. 「グリーンランドのアトリの歌」『韻文エッダ』松谷健二訳。
■ チパング諸島のカニバリズム しかしこの一事だけは是非とも知っておいてもらいたいからお話しするが、 チパング諸島の偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にした場合、 もしその捕虜が身代金を支払いえなければ、彼等はその友人・親戚のすべてに 「どうかおいで下さい。わが家でいっしょに会食しましょう」と招待状を発し、 かの捕虜を殺して――むろんそれを料理してであるが――皆でその肉を会食する。 彼等は人肉がどの肉にもましてうまいと考えているのである。 Polo, Marco. Le Divisament dou Monde (Il Milione). Ed. Rustichello da Pisa. c. 1298–1299. マルコ・ポーロ『世界の記述(イル・ミリオーネ)』ルスティケッロ編、愛宕松男訳。
■ 子供の頭の蒸し料理 桓公は言った、「それでは易牙はどうであろう」。 管仲は答えた、「いけません。 そもそも易牙は殿さまのために料理の味をつかさどっていましたが、 殿さまが召し上ったことのないのは人の肉だけということで、 易牙は自分の子供の頭を蒸し料理にしてお進めしました。 これは殿さまご存知のとおりです。 人情としては自分の子供を愛さないものはありません。 ところが今、自分の子供を蒸し料理にして、それで主君の膳を作ったのです。 自分の子供でさえ愛さないものが、またどうして主君を愛することができましょうや」。 伝 韓非《韓非子》十過篇,c. 3c BCE,金谷治訳。
■ 犬の頭をした子供 ナンナ――しかも彼女は間もなく妊娠して犬の頭をした怪物を生み落とし、 修道士たちの顰蹙を買わなかったならば、ずっとそこにいるはずだったのよ。 アントニア――どうして顰蹙を? ナンナ――見るも恐ろしいほどの大きな犬の頭をした子供を産んだときに 狭間があんまり大きくなりすぎたからよ。修道僧たちは魔術を使って計算をし、 菜園の番犬が彼女と関係をもったことを見抜いたのよ。 アントニア――そんなことってありうる? ナンナ――当人たちからじかに聞いたんだもの、間違いないわよ。 Aretino, Pietro. I Ragionamenti. c. 1532–1534/1536. アレティーノ『ラジオナメンティ』結城豊太訳。
■ 珍獣トラス・サピド(トロエス・アピエラド)犬種 [……]さてそれならば、この犬はどういうわけで それ程迄にも婦人達によって愛玩せられるか? 甚だ申上げ憎い説明になって参りますが、 忌憚なくその説明し辛い点を申上げてしまいますと、 この犬は婦人の享楽を最も長時間にわたって持続せしめると云う事と、 その与える快楽が到底男性から味い得る位の比ではない、 凄まじい淫楽的なものであると云う点に帰するのです。 即ちそう云う目的一つの為めにこの世に生れ出て来たかの如き犬種であり、 又他犬種との交配によって、いよいよそう云う目的の為めに改良されて来た、 特殊目的の犬であると云う事が云い得られます。 従って何故淫蕩頽廃を極めた往古の埃及貴族の夫人達が、この犬を愛玩したか、 これで大体の御想像もお付きになれた事と思いますが…… 橘外男『陰獣トリステサ』1948年。
■ 妊娠したネロー帝 ネロは、医師たちをどなりつけた。「わたしが男の子をはらんで出産できるように してくれなければ、おまえたちはみんな、むごたらしい死にかたをさせてやるぞ」 そこで、医師たちは、飲みものを調合し、そのなかにこっそり蛙を入れておいて いっしょに飲ませ、医学の技術をもちいて蛙をネロの体内で成長させた。 すると、まもなく腹が異常にふくらみはじめた。いかに皇帝と言えども、自然に反する ことには耐えられるはずもなかったからである。ネロは、子供をみごもったと信じた。 しかし、医師たちは、蛙の餌になるものを彼に食べさせて、これは妊婦食です と言いくるめた。ネロは、しまいに苦しくてたまらなくなり、医師たちに言った。 「はやく出産できるようにしてくれ。陣痛の苦しみで息もとまりそうだ」 そこで、医師たちは、吐き薬を飲ませた。 すると、ネロは、へどと血にまみれた見るからに怖ろしげな蛙を一匹吐きだした。 Voragine, Jacobus de. « De Sancto Petro Apostolo. » Legenda Aurea. Ch. 84. c. 1267. ウォラギネ「使徒聖ペトロス(ペテロ)」『黄金伝説』第八十四章、前田敬作・山口裕訳。
■ 遊女を誘惑する聖フランチェスコ 「ようございますとも」と返事をすると、彼女は、「それでは行って、 ベッドを用意しましょう」と言いながら、彼を室の方に案内しようとしました。 ところが、聖フランシスコは彼女に、「わたしと一緒においでなさい。 とび切り上等のベッドをお見せしますので」と、誘いの声をかけました。 そして、この家の中の、ちょうど勢いよく燃えている火のそばに彼女を誘いました。 やがて、霊の燃えたつままに、会服を脱いで裸になると、 まるでベッドの上に寝るように、暖炉の火の中に身を投げ出しました。 そして、聖人は彼女に声をかけると、このように言いました。 「さあ、裸になって、早くおいでなさい。 この見事な花模様のすばらしいベッドを楽しみましょう。 とにかく、あなたがわたしについてきたいのなら、ここに来なければなりませんね」。 Ugolino di Monte Santa Maria, ed. Actus Beati Francisci et Sociorum Eius (I Fioretti di San Francesco). Ch. 24. c. 1327. ウゴリーノ編『聖フランチェスコとその仲間たちの行伝(聖フランチェスコの小さき花)』第二十四章、石井健吾訳。
■ 口許に咲く聖母の薔薇 ある晩がた、修道僧たちが休んで雜談してゐた時に、 その中の一人がある僧の話をしてゐるのを彼は小耳に挾んだ。 その僧は、アヴェ・マリヤと云ふ言葉より外には何も唱へることを知らなかつた僧で、 その無學をみんなから蔑まれてゐたが、彼が死ぬとその口から Maria(マリヤ) の 御名の五文字を表はす五輪のバラの花が出て、そのために彼の高コが表明された、 と云ふ話だつた。 France, Anatole. Le Jongleur de Notre–Dame. Ch. 3. 1892. アナトール・フランス『聖母の軽業師』第三章、大井征訳。
■ 薔薇色に泣いた星 星は薔薇色に泣いた きみの耳の中核で Rimbaud, Arthur. « [L'étoile a pleuré rose ...] » v. 1. Poésies. 1871. ランボー「〔星は薔薇色に泣いた……〕」第一行、『詩集』宇佐美斉訳。
■ 枇杷の花の蕾 黒んぼ女はコルネリーと呼ばれ、ムスメのほうはキリエムというデリケートな名前で、 いかにも名前に釣り合った感じだった。つまりこれは、ビワの花の蕾のことだったが、 二人は、ひとりはトリポリ訛りの、もうひとりはビッチュラマール訛りの ちんぷんかんぷんの言葉で歌を歌いながら着物を脱ぎはじめた。 Apollinaire, Guillaume. Les Onze Mille Verges ou les Amours d'un Hospodar. Ch. 6. 1907. アポリネール『一万一千の鞭あるいはある太守の恋愛』第六章、須賀慣訳。
■ 犠牲に供された女性にみられる二つの半球体 ただ、前景に横たわっているからだだけが、かすかに光り、 そのからだの上に赤い斑紋がひろがっている ――真白なからだで、その充実していて柔軟な、 きっともろいにちがいない、傷つきやすい材質がそれと推察される。 血に染まった半球体の横に、もうひとつのおなじかたちをした、 こちらのほうは無傷のまるみが、ほとんど大差のない角度から目にはいってくる。 しかしその頂点にある、紅輪にかこまれ、周囲よりはもっとくすんだ色をした先端は、 もう一方のが、ほとんど完全に毀損されているというか、 すくなくとも傷口のために見えなくなっているのにたいして、 こちら側では完全にそれと認めることができる。 Robbe–Grillet, Alain. La Chambre Secrète. 1962. ロブ = グリエ『秘密の部屋』平岡篤頼訳。
■ アルキメーデースの墓にみられる球と円柱 私は、財務官の折り、シュラークーサイの人々に知られていない 彼[アルキメーデース]の墓――シュラークーサイの人々は、 その存在すら全否定していた――が、四方を茨の茂みと藪に囲まれ、 覆われたままになっているところを見つけ出したのだ。 というのも、彼の墓石に刻まれていると聞いていた詩句を知っていたからである。 その詩句は、墓のいちばん上に球と円柱が置かれていると言明していたのだ。 さて、私があたりをじっくり見まわしていると――アグラガース門にはおびただしい 数の墓があるが――、藪からさほど離れていないところに柱があるのに気がついた。 そこには、球と円柱の形をしたものがあった。 Cicero, Marcus Tullius. Tusculanae Disputationes. V, 23. 45 BCE. キケロー『トゥスクルム論議』第五巻第二十三章、木村健治訳。
■ 宇宙は思いのほか小さい 以上のことを仮定しますと、つぎのことが証明されます。 すなわち、宇宙の直径は地球の直径の1万倍よりも小さいということ、 さらに宇宙の直径は100億スタディアよりも小さいということが、証明されるのです。 Αρχιμήδης. Ψαμμίτης. II, 1. 3c BCE. アルキメーデース『砂粒を数えるもの』第二章第一節、三田博雄訳。
■ Que sais–je ? 前代の自然科学者は今日よりもずっと無知であって、 すでに自然のおおかたを究めたと思っていた。その後の学問的進歩の結果、 私たちは本来の目標からはるかにへだたっていることをよく知っている。 まっとうな人間は、知識がふえればふえるほど、おのれの無知を思い知る。 Lichtenberg, Georg Christoph. Sudelbücher. 1765–1799. リヒテンベルク『控え帖』池内紀訳。
■ 学問的進歩をはばむ神秘な力 これらの場処の後の地方は或は激しい暴風や非常の寒気のために近づき難く、 或はまた神々の神秘な力のゆえに踏査不可能である。 Περίπλους της Ερυθράς Θαλάσσης. Ch. 66. c. 40–70. 『エリュトゥラー海周航記』第六十六章、村川堅太郎訳。
■ 露を食べる驢馬 驢馬が蝉の鳴くのを聞いて、その響きに酔い、その声が羨ましくなって、 何を食べてそんな声を出すのかと尋ねた。 「露さ」との答に、驢馬は露ばかりを食べ続け、飢えて死んでしまった。 このように、柄にもないことを望む者は、 得られぬばかりか、とんでもない不幸に陥るのだ。 Αίσωπος, attrib. Αισώπου Μύθοι. Ed. É. Chambry, No. 278; C. Halm. No. 337. c. 6c BCE. 伝アイソーポス『寓話』シャンブリ版二七八番、中務哲郎訳。
■ 選ばれざりし男の悲しみ そこで巨大な富を持っていた彼は裸のまま泣いている若者に向って言った、 「お前の悲しみがいかに大きなものであろうと驚きはせぬ、 確かにあのお方は正しき方であったからな」 すると若者が応えた、 「あの方のためではありません、私が泣いているのは、自分の為なのです。 私だって水を酒に変え、癩者を癒し、盲に光を与えもしました。 私も水の上を歩み、墓に住む者共から悪魔を逐い出しました。 食べ物とてない荒野で飢えた人々に食を与え、死者をその狭い棲家から甦えらせ、 私の言葉によって、多くの人々の見ている前で、実らぬいちじくの木は枯れてしまいました。 この人が行ったあらゆる事を私も行ないました。 それなのに誰も私を十字架にかけてはくれなかったのです」 Wilde, Oscar Fingal O'Flahertie Wills. "The Master." Poems in Prose. 1894. ワイルド「師」『散文詩』sc恆存・sc逸訳。
■ 癒されし男の悲しみ アイクソネ区のトラシュロスは前代未聞の奇妙な狂気にとりつかれた。 町〔アテナイ〕を捨て、ペイライエウスの港に下ってそこに住みついたかと思うと、 港に入ってくる船はすべて自分のものだと思いこんで、帳面につけたり、 見送ったり、無事に帰港してくる船に大喜びしたりするようになったのである。 こんな病気に罹ったまま永い時が過ぎたが、 やがてシケリアから兄弟が帰ってきて医者の治療に委ねたので、彼の病気も癒えた。 しかし彼は、狂っていた頃の暮しを思い出しては、 「自分のものでもない船の無事を見て喜んだあの時ほどの喜びは いまだかつて味わったことがなかった」とよく語ったものである。 Αιλιανός (Aelianus, Claudius). Ποικιλη Ιστορία. IV, 25. c. 3c. アイリアーノス(アエリアーヌス)『多彩な物語』第四巻第二十五章、松平千秋・中務哲郎訳。
■ 海から来た少女たちの悲しみ インドの先端部分で、トリトンつまり海人の一群が捕らえられ、 当時のポルトガル王ドン・マヌエルに送られたのですが、 無事届いたのは一人の女と一人の少女だけで、他の一五人は海から引き上げられると すぐ死んでしまったり、海路リスボンへ向かう途中に死んでしまったということです。 女と少女の悲しみようは悲痛なもので、何をしてやっても効き目がなく、 食べ物もほとんどのどを通らないので、目に見えてやせていきました。 王は彼女らの様子に心を痛められ、また好奇心もあって、彼女らを軽い鎖につないで、 浅い海に放ち、自由に泳がせてやりなさいと命じられました。 すると彼女らは、準備もまだ終わるか終らないうちに、競って海に飛び込んだということです。 海に入ると彼女らは一緒に戯れて、皆の目からよく見えるところで、 満足と喜びの表現なのでしょう、百回も泳ぎ回ったのです。 De Maillet, Benoît. Telliamed ou Entretiens d'un Philosophe Indien avec un Missionnaire Français sur la Diminution de la Mer, la Formation de la Terre, l'Origine de l'Homme. Ch. 6. 1748. 2è éd. 1755. ド・マイエ『テリアメドあるいは海洋の低減、地球の形成、人間の起源に関するインド人哲学者とフランス人宣教師との対話』第六章、多賀茂・中川久定訳。
■ メリュジーヌの水浴 レンダモンは中をのぞいて見ました。 そしてメリュジーヌが水浴びをしているのを見たのです。 レンダモンは、木の枝の上に降り積もった雪のように、腰までは真っ白で、 よく整った、優美で美しい身体と、生き生きと輝いた顔をしたメリュジーヌを見ました。 彼女についてお話しするなら、まことこれ以上に美しいものはいませんでした。 しかし彼女の下半身は蛇の尾だったのです。それは本当に太くて恐ろしいものでした。 尾は銀色と紺碧色に輝いていました。激しく尾がうねると、水が逆巻きました。 Couldrette. Le Roman de Mélusine ou Histoire de Lusignan. c. 1401. クードレット『メリュジーヌ物語あるいはリュジニャン一族の物語』森本英夫・傳田久仁子訳。
■ 星形の髪 ナジャはまた何度もくりかえして、メリュジーヌの風姿のもとに自分を表現したが、 このメリュジーヌこそはあらゆる神話上の人物のなかで、 彼女にはもっとも身近に感じられる女性なのだった。 私は彼女がこのメリュジーヌとの相似を、 できるかぎり現実生活のなかにもちこもうとして、 美容師にむりやり頼みこみ、髪の毛を五つの房にはっきりとわけて、 額の頂上に星がひとつできるようにさせるのすら見たことがある。 おまけにその髪の先端を、両耳の前で羊の角のかたちに捲くようにしてほしい と頼んだわけで、この羊の角の捲いた形態というのがまた、 彼女がもっともしばしば自分と結びつけていたモティフのひとつであった。 Breton, André. Nadja. 1928. ブルトン『ナジャ』巖谷國士訳。
■ 髪の毛の愛撫 女の体のなかで、髪の毛だけが保存できるものであったし、 髪だけが腐ることなく生きつづける部分であったからだろう。 それに、はげしい苦悩にみまわれているときでも、 髪だけは、なおも愛し、愛撫し、接吻することができるものだったからだろう。 この髪の毛を生んだ肉体はもはやあとかたもないのに、 髪の毛だけがこうしてここにあるというのは、なんともふしぎなことではあるまいか? 髪の毛はぼくの指の上をすべり、奇妙な愛撫で、死んだ女の愛撫で、 ぼくの皮膚をくすぐった。ぼくは心を動かされ、涙がでそうになった。 Maupassant, Guy de. La Chevelure. 1884. モーパッサン『髪の毛』太田浩一訳。
■ 髪の毛を売る婦人 「私も存知あげませんです。お客様は、あのご婦人が私どもの店に来たのは 髪の毛を売るためだったとご想像になられているのですか」 モンタルドは、少しく心が躍った。何事かが、神秘の潜む雑木林の中でうごめいていた。 一つの足跡が、物悲しくも指し示された。暗闇の端っこに、蒼っぽい光が微かに 射し始めていた。彼は、思いがけぬことにいささかびっくりして、さらに繰り返した。 「この店に、髪の毛を売りにですと?」 「その通りなのです。あのご婦人は、私に、自分の髪を買ってくれるかどうかと おたずねになりました。何と言ったって、私は髪の毛を扱う商人でございますから!」。 Rodenbach, Georges. Le Rouet des Brumes. 1901. ローデンバック『霧の紡ぎ車』高橋洋一訳。
■ 多情な貴婦人の奇病 多情な女で、文ばかり通はしてゐるのや、目顏で知らせ合つただけなのなんぞ ――その容色でしかも妙齡、自分でも美しいのを信じただけ、一度擦違つたものでも 直ぐに我を戀うると極めてゐたので――胸に描いたのは幾人だか分らなかつた。 罪の報か。男どもが、貴婦人の胸の中で摑み合ひをはじめた。 野カが恐らくこのくらゐ氣の利かない話はない。惚れた女の腹の中で、 ぢたばたでんぐり返しを打つて騷ぐ、嚙み合ふ、摑み合ふ、引搔き合ふ。 この騷ぎが一團の佛掌藷のやうな惡玉になつて、下腹から鳩尾へ突上げるので、 うむと云つて齒を喰切つて、のけぞるといふ竒病にかかつた。 はじめの内は、一日に、一度二度ぐらゐづつで留つたのが、次第に嵩じて、十囘以上、 手足をぶるぶると震はして、人事不省で、烈しい痙攣を起す容體だけれども、 どこもちつとも痛むんぢやない。――ただ夢中になつて反つちまつて、 白い胸を開けて見ると、肉へ響いて、團が動いたと言ひます。 泉鏡花『星女カ』第三十三章、1908年。
■ 肩からはえる蛇 ザッハークの両肩から一匹ずつ黒い生きた蛇がはえてきた。王はびっくり仰天、 四方八方に治療法をさがすが、ついには二匹とも肩のはえ際から切りとった。 ところが、(読者が)魂消るのも尤もなこと、二匹の黒蛇はまるで二本の枝のように、 またもや王の肩からはえてくるのであった。名医が集まってそれぞれ意見をのべる。 ありとあらゆる呪術をつかってみるが、この奇妙な病気を治せる者はひとりもいない。 するとまたあの食わせ者の悪魔が腕のいい医者になりすまして、 不意に王のまえに現れてこういった。「これは避けようもないことだったのです。 蛇が生きている限り、切り取ってはいけません。蛇に餌をこしらえ食べさせて、 気を宥めてやりましょう。これが唯一王様の用いるべき治療法。 ただ人間の脳味噌だけをあたえるのです。この餌が蛇の命をとるかもしれません」 حکیم ابوالقاسم فردوسی طوسی. شاهنامه. I, 4. 3. 1010. フェルドウスィー『シャー・ナーメ』第一部第四章第三節、岡田恵美子訳。
■ 男女の穴に入った蛇を取り出す良い方法 すべて蛇の穴に入らんとするはさらなり、 男女の前後の陰中へ時として入る事もある由。 これを出さんと、尾を取りてあとへ引くに、決して出でざるものなり。 醫書にも胡椒の粉をいささか蛇の殘りし所へ付くれば、出る事妙なりとありしが、 それよりも煙草のやにをつくれば、端的に出るなりと、山崎生の物語なり。 蛇はいかに小さくとも、膣より奧へは這入れぬものゝよし、そらばなしといふ。 根岸鎭衞『耳嚢』三村本、卷の九、1782年頃–1814年。
■ 腹の中の蛇 實はこうです、エヴァとその夫が禁斷のりんごを食べたあと、 ~は二人を誘惑した蛇を罰するために、蛇を人間の體内に押しこめてしまったのです。 それ以來、この初代の父の罪に對する罰として、この初代の蛇の子孫である蛇を 腹の中に養っていない人間は、一人として生まれたことがありません。 あなた方はそれを腸と呼び、生活機能に必要なものと信じています。 しかしそれはとりも直さず、蛇が幾重にもとぐろを卷いているのであると知って頂きたい。 はらわたの鳴るのがきこえるとき、それはこの蛇が啼いているのです。 Cyrano de Bergerac, Savinien de. L'Autre Monde ou les États et Empires de la Lune. 1657. シラノ・ド・ベルジュラック『別世界あるいは月の諸国諸帝国』有永弘人訳。
■ 四通りの人間製造法 四通りの方法で~は人間を造りたまふことができるだらう。 すなはち人間の普通の出生の場合のやうに、男女からか、 或はアダムを造りたまうた場合のやうに、男女いづれからでもないか、 或はエヴァを造りたまうた場合のやうに、女なしにただ男のみからであるか、 それとも男なしにただ女のみから造りたまふかである。 これは未だ用ひたまはなかつた方法だ。 Anselmus Cantuariensis, Sanctus. Cur Deus Homo. II, 8. 1098. 聖アンセルムス『クール・デウス・ホモ』第二巻第八章、長澤信壽訳。
■ 精子は脳と脊髄から 精子は、プラトンとディオクレスのいうところによれば、脳と脊髄から出てくる。 ψευδο–Γαληνός. 'Οροι Ιατρικοί. No. 439. 2c. 偽ガレーノス『医学定義集』第四百三十九番、日下部吉信訳。
■ 生命の教示者 さて、教示者の誕生は次のような次第であった。ソフィアが光の一滴を投じたとき、 それは水の上に流れた。すると直ちに人間が現れた。彼は男女であった。 彼女(ソフィア)は(その光の)滴を初めに女の身体にかたちづくった。 その後で、その身体をかつて出現した母の模像にかたちづくった。 それは十二箇月を経て全きものとなった。一人の男女なる人間が生まれたのである。 すなわち、ギリシア人たちがヘルマアフロディテース (Hermaphroditês) と呼ぶ者が。 しかし、彼の母親のことをヘブライ人たちは生命(ゾーエー)のエバ、 すなわち、生命の教示者と呼んでいる。 Περί της αρχής του κόσμου (άτιτλο). Ch. 71–72. c. 3c–4c. 『この世の起源について(無標題グノーシス主義文書)』第七十一–七十二章、大貫隆訳。
■ 最も純粋な人 ひとりの娘がドミニコ会修道院にやってきて、 マイスター・エックハルトに面会をもとめた。 門衛が、「だれからといって取り次げばよいのですか」ときくと、 彼女は、「それがわからないのです」と答えた。 そこで門衛は、「なぜわからないのですか」とたずねると、彼女は次のように語った。 「なぜかと申しますと、わたしは少女でもなく、女でもなく、男でもなく、 妻でもなく、寡婦でもなく、処女でもなく、 主人でもなく、下女でもなく、僕でもないからなのです。」 Von einer guten Schwester ein gutes Gespräch, das sie mit Meister Eckehart führte. 14c. 『マイスター・エックハルトと交わした、善き修道女の善き会話』田島照久訳。
■ 二十三歳の転身 「十三歳から二十二歳までは娘、勿論美しい娘で、ありたい。 其年をすぎたら、男になりたい。」かう望む人に私はあつたことがある。 La Bruyère, Jean de. Les Caractères de Théophraste, traduits du Grec, avec les Caractères ou les Mœurs de ce Siècle. III, 3. 1688–1696. ラ・ブリュイエール『ギリシア語より訳し出せるテオプラストスのカラクテール――附カラクテールあるいは当世風俗誌』第三章第三節、関根秀雄訳。
■ 真実を得た女性愛 これまでオーランドーの恋人はみな女ばかりだったし、人間というものは世の慣わしに 順応するのにひどくのろまにできているから、彼女は今では自分も女なのに、 やっぱり女が好きで、今は自分も同性なのだと意識するほどに、 男であった時に女に抱いた愛情がいっそう生き生きと深まった、といえようか。 というのも、あの頃不明だった無数のそれとない暗示や謎も 今はよく理解できたのであった。 男女両性が二分されたままだと、無数の不純物が澱む暗がりに 真実を見失ってしまうものだが、今やそうした曖昧さは取り除かれた、 そして詩人が真と美とよぶものに意味があるとすれば、 オーランドーの女性愛は虚偽の代りに真実を得た分だけ美しいものであった。 Woolf, Virginia. Orlando: A Biography. Ch. 4. 1928. ヴァージニア・ウルフ『オーランドー――伝記』第四章、杉山洋子訳。
■ 自然器官 それと同じ話で、自然器官、すなわち自己の内部に自然を生殖し、 産出する道具を持たぬ者は、自然を把握するにはいたらないだろう。 どこにいてもあらゆるものに自然を認め、これを識別し、生来の生殖欲をもって、 あらゆる物体と密接な親和関係をさまざまに結びながら、 感覚を媒介としてあらゆる自然物と交じりあい、いわばそれらのなかに感入する ――こうしたことがおのずとできぬ者は、自然を把握するようにはならないだろう。 Novalis. Die Lehrlinge zu Saїs. 1798–1799. 1802. ノヴァーリス『サイスの弟子たち』今泉文子訳。
■ 受胎の秘薬 わたしがパリにいたころ、魔術に通じたある男がたまたまパリに来たことがありました。 わたしはその男に会いに行って、いろんな秘法を教えてもらったんです。 そのなかのひとつに子供を得る法というのがありました。 その男の話によれば、これほど確実な方法はないとのことです。 ムガール帝国の皇帝も、二年前それをお妃に試してみてうまくいったとのことです。 多くの王妃さま、奥方さまもそれを行ってよい結果をえています。 その男の言うことは本当だったんです。 わたしもその効果を実際に目のあたりにしたのですから。その処方というのは、 マンドラゴールという名の、とある木の根の汁を薬にしたものなのです。 ご婦人がこの汁を飲めば効果は絶大で、若い坊さんたちがいっぱいいる僧院に出向いて、 何かのものかげで種を授けていただく法など、足もとにもおよびません。 La Fontaine, Jean de. « La Mandragore » Contes et Nouvelles en vers. III. 1671. ラ・フォンテーヌ「マンドラゴール」『小話詩』第三集、三野博司・木谷吉克訳。
■ 男児か女児か 同様に、もし妊娠した女性の乳か、女性の右側から採った血液を、 水のきれいな泉または彼女の尿の中に入れたとき、すぐに底に沈めば、 男児を妊娠している。反対に、上の方に溜まっていれば女児である。 あるいはまた、右の乳房が左よりも大きくなれば男児である。左が大きければ女児である。 また、乳首の先に塩を置き、溶けなければ、男児である。 ほかにも男児かどうかを知る方法はある。 女性が、普段、最初に右足から踏み出すかどうかを注意することである。 Albertus Magnus, Sanctus. De secretis mulierum libellus, scholiis, auctus, & à mendis repurgatus. Eiusdem de virtutibus herbarum, lapidum, & animalium quorundam libellus. I, 7. 13c. 聖アルベルトゥス・マグヌス『女性の神秘、植物・石・さまざまな動物の効力。そして、驚くべき世界と動物によってもたらされる効果について』第一巻第七章、立木鷹志訳。
■ エンペドクレースの流転 わたしはこれまでかつて一度は少年であり、少女であった。 また藪であり、鳥であり、海に浮かび出る物いわぬ魚であった。 Hippolytus Romanus, Sanctus. Refutatio Omnium Haeresium. I, 3. 3c. 聖ヒッポリュトゥス『全異端派論駁』第一巻第三章、日下部吉信訳。
■ 偽物の人間たち 「このパリさ。すばらしいできばえだった。本物の男や女と、見わけがつかないんだ。 まァ、考えてごらん、ミンニ、おそらくぼくたちは、時々そのなかのだれかと 気づかないで、出会っているかも知れないんだ。料理屋のなかか、往来か、 劇場のなかか、それとも、メトロのなかで……、君のとなりの男が、 君を見つめたこともあるだろう、また、はなしかけたこともあるだろう。 考えてみると、そいつが、そのなかのひとりだったかも知れないよ」 「そんなことないわ。怖い! 私、もう家から出ないわ! こさえた人たちが、 探しださなきゃいけないのに、なんだって、探さないのかしら? なぜ、偽物だと 言ってやらないのかしら? いいえ、偽物だと言ってやらなきゃいけないのに」 「その人間にかい? だが、そんなことは知るまい。 自分たちは、本物だと信じているんだから」 Bontempelli, Massimo. Giovine Anima Credula. 1924. ボンテンペッリ『信じやすい少女の心』岩崎純孝訳。
■ 偃師の人形 穆王がびっくりしてそれを見なおすと、早足や並足の歩きっぷりといい、 俯いたり仰いだときの身のこなしといい、まるで生きた人間そっくりである。 技術者がその人形の頤を動かしてやると、歌をうたってちゃんと旋律にかなっているし、 また、その手を持ちあげてやると舞を踊ってきちんと節奏に合っている。 いろいろさまざまな仕草をしてすべて思いのままに何でもやってのける。 穆王はほんとうの人間ではないかと思い、寵愛の美人である盛姫や側室たちと 一緒に見物していた。ところがいよいよ演技が終ろうとしたとき、その人形の役者が 大胆にも目をまばたいて穆王のおそばの侍女たちに秋波(色目)を送ったので、 穆王は烈火のように憤り、その場で偃師を斬り殺そうとした。 偃師はすっかりふるえあがってしまい、やにわにその人形の役者をバラバラにして 穆王に見せたところ、なるほど、みな革や木を膠や漆で固め、 それに白黒・赤青の絵具などをくっつけあわせて作ったものであった。 伝 列禦寇《列子(冲虚至コ眞經)》湯問篇第十三章,小林勝人訳。
先ごろ、ミシガン州訴訟乱用監視団が開催する奇抜な警告ラベルコンテストで本年度大賞の発表があったそうで、それで思い出したやつ。 注意:燃える恐れがあります(暖炉用の薪) R.カッシンガム『訴えてやる!大賞』
■ ナポリの女乞食 ナポリに住んでゐた時のこと、私の住居の入口に一人の女乞食がゐた、 毎日私は外出の馬車に乘る前に、かの女に小錢を投げてやつた。 或る日、かつて一度も感謝の言葉を耳にせぬのを不思議に思つて、私は女乞食を眺めた。 さて眺める私は其處に知つた、自分が女乞食と見まちがつてゐたのは、 半分くされかけたバナナと赤土の入れてある告Fに塗つた木箱だと。 Jacob, Max. « La Mendiante de Naples. » Le Cornet à Dés. 1917. ジャコブ「ナポリの女乞食」『骰子筒』堀口大學訳。
■ 処女とディアーナ像 つまり、処女を奪われるのに同意するよりむしろ喜んで死を選ばなかったものは ありませんでした。いったい、わたしはどうして死を恐れるべきでしょうか。 また、スティンファリデスと呼ばれた娘を愛した暴君アリストクリデスの例をご覧なさい。 とある夜、彼女の父親が殺されたときに、彼女はダイアナ宮にまっすぐに出かけて行き、 両の手にダイアナの像を捕え、それからその像から決して離れようとはしなかったのでした。 彼女がまさしくその同じ場所で切り殺されるまで、 誰もその像から彼女の手を引き離すことはできなかったのです。 Chaucer, Geoffrey. "The Franklin's Tale." The Canterbury Tales. c. 1387–1400. チョーサー「郷士の物語」『カンタベリー物語』桝井迪夫訳。
■ 夫の像と交わる女 彼の妻ラーオダメイアは、その死後も彼を愛し、 プローテシラーオスによく似た像を作って、これと交わった。 神々が憐れに思い、ヘルメースはプローテシラーオスを冥府より連れ戻した。 ψευδο–Απολλόδωρος. Βιβλιοθήκης Επιτομή. III, 30. 1c–2c. 偽アポロドーロス『ビブリオテーケー摘要』第三章第三十節、高津春繁訳。
■ 精霊の栽培 精霊は九インチぐらいの身長でしたが、伯爵はそれを大きく育てようと苦心しました。 そこで壜を畑に埋め、馬車二台ぶんの肥料をかけ、またその上に、二人の道士が 苦心惨澹してつくりあげた何かの薬液を、朝に晩にそそぎかけました。 こうして幾日か薬液をそそぐうちに、肥料の山は次第に発酵をおこし、 まるで火山の地下の火のように熱して来て、湯気をたてはじめました。 やがて壜をとりだしてみると、なかの精霊たちはもとの一倍半、約一フットほどに 成長していました。男性の矮人はふさふさと顎ひげを生やし、指の爪がのびていました。 二つの壜のなかには、澄んだ水のほか何もみえなかったので、イタリア人の僧が、 壜の口の封印を三度たたき、ヘブライ語の呪文をとなえますと、みるみる水は 不思議な色に変り、精霊たちの顔がみえて来て、はじめはごく小さかったのが、 だんだん大きくなって、しまいにはハッキリと人間の顔らしいものになりました。 Maugham, William Somerset. The Magician. 1908. モーム『魔術師』田中西二郎訳。
■ 豆畠の小さな老人 ある日、私の息子を夕食用のエンドウ豆をつみに菜園にやったが、息子は間もなく、 まっ青な顔をして息せききって家にとび込んできて言った。その話によると、 息子は豆畠の中で熱心に豆をつんでいたが、ふっと一人の小人がいるのに気づいた。 その小人は、赤い帽子に緑色のジャケット、褐色の半ズボンをはいていた。 その顔は老人のもので弱々しく白い顎ひげをはやし、スモモのように黒くて 粗野な目をしていた。しかも、その小人は息子を穴のあくほど まじまじと見つめたので、息子は一目散に逃げだしたのだった。 Doyle, Sir Arthur Conan. The Edge of the Unknown. Ch. 8. 1930. コナン・ドイル『未知の辺縁』第八章、小泉純訳。
■ 二つの顔をもつ人間 六十五年、飛騨国に宿儺という人があり、体は一つで二つの顔があった。 顔は背き合っていて、頂は一つになり項はなかった。それぞれ手足があり、 膝はあるがひかがみはなかった。力は強くて敏捷であった。左と右とに剣を佩いて、 四つの手に弓矢を使った。皇命に従わず、人民を略奪するのを楽しみとした。 それで和珥臣の先祖の難波根子武振熊を遣わして殺させた。 舍人親王・太安萬侶他撰『日本書紀(日本紀)』卷第十一、720年。宇治谷孟訳。
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吾輩は名無しである :2007/01/15(月) 22:17:01
■ 所感 (一部) 空の特攻隊のパイロットは、一器械にすぎぬと友人がいったことは確かです 操縦桿を握る器械、人格もなく、感情もなく、勿論、理想もなく、 ただ敵の航空母艦に向って吸ひつく、磁石のなかの鉄の一分子にすぎぬのです。 理性をもって考へるなら、実に考へられぬことで、 強いて考へれば彼らのいふ如く、自殺者とでもいひませうか。 精神の国日本においてのみ見られることだと思ひます。 一器械である吾人は、何もいう権利はありませんが ただ願はくは、愛する日本を偉大ならしめんことを、 国民の方々にお願ひするのみです。 「きけわだつみのこえ」より 日の丸特攻隊 上原良司陸軍少尉の遺書 享年22
■ 合成人間 最も醜く、見ただけで総毛だつのは豹人間とハイエナ男だった。 身体がずばぬけて大きいのは牛人間で、ヨットに乗っていた三人がそうだった。 それから掟の暗誦を指導している灰色の毛の動物人間がいたが、 彼の原型が何であったかわからない。 次に類人猿と山羊から合成されたサチュロスのような動物人間、豚男と豚女、 馬と犀の合成人間、猿男、熊と牛との合成人間、セント・バーナード人間などがいた。 鼻をつまみたくなるような匂いの雌狐人間もいたが、 彼女は掟の熱烈な信奉者だと言われていた。 Wells, Herbert George. The Island of Doctor Moreau. Ch. 15. 1896. H・G・ウェルズ『モロー博士の島』第十五章、橋本槇矩訳。
■ 移植 なにしろほら、生きた鼠の背中に別の鼠の死体から切り取った尻尾を 移植できるようになったじゃないか? だから同じように、 わが死体の理性のさまざまな変形物を君の想像力に移し変えようとしてみたまえ。 Lautréamont, Comte de. Les Chants de Maldoror. Chant V. 1869. 1874. ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』第五歌、石井洋二郎訳。
■ 乳の出るザリガニ 私は、小さい体をした野獣の加登武礼巴素(カトブレパス)を何頭か見たが、 止め度もないほど大きな頭を持っていて、地面から、それを持ちあげるのが なかなかの苦労だった。非常に毒を含んだ眼を持っていて、 その眼を見た人は、毒蛇(バジリスクス)を見た場合と同じく、忽ち死ぬのである。 私は、背中の二つある獣も何匹か見たが、素晴らしく楽し気に見受けられ、 鶺鴒も顔負けなくらい尻をぴくぴくぎくぎく動かし続けて、いつ終るともなく 腰を揺っていた。私は、乳の出る蝲蛄を見たが、他所では見たこともなかった。 実に立派に列を作って歩いていたし、これを眺めているのが大変楽しかった。 Rabelais, François, attrib. Le Cinquième et Dernier Livre des Faicts et Dicts Héroïques du Noble Pantagruel. 1564. 伝ラブレー『気高きパンタグリュエルの雄武言行録第五すなわち最終の書』渡邊一夫訳。
■ 三乳房山 「僕達の小屋はお午に陽のある方角にあるんだから、今朝來た時のやうに、 向ふのあの三つの尖つたところのある山を越えればいいんだよ。さあ行かう。」 それは三乳房山[*]のことでした。三つの尖りがちやうど 乳房のやうな形をしてゐるので、さう云ふ名がついてゐるのでした。 * 原註。頂が乳房の形をしてゐるので各國語でさう呼ばれてゐる山は澤山あるが、 まさにそれは眞の乳房である。なぜなら地を肥沃にする大小の川がそれらの山々から 流れ出てゐるからである。それらの山々は地を潤す主なる河川の源であり、 その頂にちやうど乳首のやうな形に載つてゐる岩の周りに雲を呼び寄せて それらの河川に絶えず水を提供してゐる。 Saint–Pierre, Jacques–Henri Bernardin de. Paul et Virginie. 1787/1788. サン = ピエール『ポールとヴィルジニー』木村太郎訳。
■ 鳥の乳 鳥どもの乳を飲むがいい Tzara, Tristan. Chanson Dada. III. 1923. ツァラ『シャンソン・ダダ』第三聯、窪田般彌訳。
■ 鷺 あるいは聖ラーマクリシュナの覚醒 十六歳の少年の頃、畑のあいだの田舎道を歩きながら眼を空に向け、 はるか高みを一列になった鷺が横切ってゆくのを見た。ただこれだけのことなのだ。 まさにこの紺碧の空のもとを羽ばたきゆく生き物の白、まさにこのふたつの色の対照、 この永久に名づけうべくもないものが、その瞬間クリシュナの魂のなかへはいりこみ、 結ばれていたものを解きほぐし、解かれていたものを結び合わせたのだ。 クリシュナはその場に死んだようにくずれおれたが、 気がついて起きあがったとき、もはや倒れたのと同じ人間ではなかった。 Hofmannsthal, Hugo von. Die Briefe des Zurückgekehrten. V. 1908. ホフマンスタール『帰国者の手紙』第五書簡、檜山哲彦訳。
■ 蟻塚に変じた賢者 大仙ブリグには、チャヴァナ・バールガヴァという名の息子がいた。光輝に満ちた彼は この湖の付近で苦行を行なっていた。パーンドゥの息子よ、この威光に満ちた男は、 柱のように動かずに、非常に長い間、一ヵ所で結跏趺坐していた。王よ、長い期間が 経過して、その聖仙は蟻塚に変じ、蔓草におおわれ、蟻だらけになってしまった。 かくてこの知者は全身土の塊りのようになり、蟻塚におおわれて苦行を続けた。[……] 彼女が女友達から離れて一人になった時、一衣をつけ飾りをつけて歩いている彼女を、 まるで稲妻のような彼女を、賢者バールガヴァが見た。最高の光輝を有する、苦行の力を そなえた梵仙は、人気のないところで彼女を見ながら楽しんだ。彼は嗄れ声でその美しい 女に声をかけたが、彼女の方は彼の声を聞かなかった。それからスカニヤーは、蟻塚の 中にバールガヴァの両眼を見て、分別を失い、好奇心にかられて、「これは何かしら」 と言いながら、荊で彼の眼を突いた。非常に怒りっぽい彼は彼女に両眼を突かれて怒った。 व्यास, attrib. महाभारत. III, 122. c. 4c. 伝ヴィヤーサ『マハーバーラタ』第三巻第百二十二章、上村勝彦訳。
■ 千変万化する色彩と蟻走感覚 ときどき、突然暖炉や火の近くに置かれたとでもいうようなふうに 思われることがありまして、それから何か非常に熱いものが手足に、 最初は脚、次ぎに上のほうの部分に触れてきます。 そして、その熱いもののなかには一種の痒がらせるような、 ちくちく刺すようなものがあって、それには驚かざるを得ません。 それと同時に千変万化する色彩が眼の前にあらわれますから、 いよいよ驚くのほかないのであります。この色彩の変化は綺麗だと言って よいほどのものなのでありますが、それでもわたくしをぎょっとさせます。 それから、もう一度ちくちくと刺すような感じのことに戻って申しますと、 それは蟻走感覚というようにも名づけることができると思います。 Mann, Thomas. Bekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull. II, 5. 1922. 1937. [1954.] マン『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』第二部第五章、佐藤晃一訳。
■ 烏毛蟲の、蝶とはなるなり 「苦しからず。萬の事、もとを尋ねて末を見ればこそ、事はゆゑあれ。 いとをさなき事なり。烏毛蟲の、蝶とはなるなり」 「蟲愛づる姫君」『堤中納言物語』1390–1427年頃。
■ 驢馬から生まれる虫 また交合しないで生まれる動物にもいろいろあって、かまどの中に現われる 小生物のように火から生まれるもの、蚊のように腐り水から生まれるもの、 ブヨのように酸敗したブドウ酒から生まれるもの、 また……[地虫/ネズミ/セミ/バッタなど]のように土から生まれるもの、 蛙のように軟泥から生まれるもの、蛆虫のように汚泥から生まれるもの、 糞虫のようにロバから生まれるもの、芋虫のように野菜から生まれるもの、 野生のイチジクから発生するタマバチのように果物から生まれるもの、 牛から発生する蜜蜂や馬から発生するスズメ蜂のように腐った動物から生まれるもの がいるのである。 Σέξτος ο Εμπειρικός. Πυρρώνειοι Υποτυπώσεις. I, 14, 41. 3c. セクストス・ホ・エンペイリコス『ピュローン主義の概要』第一巻第十四章第四十一節、金山弥平・金山万里子訳。
■ 人語をあやつるバラムの驢馬 主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。 ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。 バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。 主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。 「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」 バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。 もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」 ろばはバラムに言った。「わたしはあなたのろばですし、 あなたは今日までずっとわたしに乗って来られたではありませんか。 今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」 במדבר. Ch. 22, Vs. 26–30. c. 6c BCE. 『民数記』第二十二章第二十六–三十節、共同訳聖書実行委員会訳。
■ 猫族と人間 どうです、犬のやつらは、いろいろ芸をやらされたり仕込まれたりしている じゃありませんか。馬も同様。いずれも、ばかな動物だから、 頭のなかを見すかされて虚栄心のとりことならざるを得ないんです。 そこへゆくと、われわれ猫族こそ、こんにちなおもっとも自由な種族といえますよ。 われわれは実は、非常に器用なんですけれど、うわべはいかにも不器用に振舞うことを 知っていますから、さすがの人間もわれわれの教育には、さじを投げてしまったんです。 Tieck, Johann Ludwig. Der gestiefelte Kater. I, 1. 1797. ティーク『長靴をはいた牡猫』第一幕第一場、大畑末吉訳。
■ 動物の言葉のわかる能力 それから、入口の戸に念いりに錠をおろしてから、ふたをとってみると、 お皿のなかには、白い蛇が一ぴきはいっていました。 それをみると、こんどは、ちょいとたべてみたくなってどうしてもしんぼうができず、 一きれ切って口へ入れました。すると、それが舌へさわったかさわらないうちに、 窓のそとで、品のいいやさしい声が奇妙なことをささやくのがきこえました。 窓ぎわへ行って、耳をすますと、それは、雀がよりあつまって、 じぶんたちが野原や森で見たことを、べちゃくちゃ、べちゃくちゃ、 あらいざらい話しあっているのだとわかりました。 蛇をたべたので、動物の言葉のわかる能力がさずかったのです。 Grimm, Brüder. „Die weiße Schlange.“ Kinder– und Hausmärchen. KHM 17. 1812–1857. グリム兄弟「白蛇」『子どもと家庭のメールヒェン』KHM 17、金田鬼一訳。
■ ヒュドラのなす驚異 おれが思うに、これはまさにヒュドラのなす驚異、一つの驚異から千の驚異が 生まれ出てくるってやつだ。おお天よ、どうすればよいのだ? Calderón de la Barca, Pedro. La Dama Duende. II. c. 1629. カルデロン『淑女ドゥエンデ』第二幕、佐竹謙一訳。
■ 食物と気質 一般に、人がいかなる食物を好むかということの中にしばしばその人の性格の なんらかの特徴を見出し得るであろうとわたしは思っています。 多くが野菜を食べて暮しているイタリヤ人は女性的で柔弱です。 肉類を大いに食べるあなた方イギリス人の不撓の気力の中には何かしら強情で、 野蛮に類するところがあります。生来冷静で、温和で、素朴ですが、怒ると猛烈で、 激昂するスイス人はどちらの食物をも好み、乳製品も飲めば葡萄酒も飲みます。 柔軟で変化し易いフランス人はあらゆる料理を食べ、あらゆる性質に順応します。 Rousseau, Jean–Jacques. Julie ou la Nouvelle Héloïse. IV, 10. 1761. ルソー『ジュリあるいは新エロイーズ』第四部第十書簡、安士正夫訳。
■ 古代ローマの雌豚料理のレシピ 雌豚と出産経験のない雌豚の外陰に添えるソース キレナイカ産あるいはパルティア産のラーセルに酢とガルムを入れよく混ぜて供する。 詰め物をした豚の乳房 1. こしょう、キャラウェイ、塩ウニをすりつぶす。 2. 1. を乳房のついた腹肉にのせて巻く。縫い合わせてから調理する。 3. アレックとからしをつけて食す。 Apicius, Caelius. De Re Coquinaria. c. 1c/3c–5c. アピーキウス『料理書』千石玲子訳。
■ 珍奇な雄豚料理 この傑作は(ずっと前から、アレクサンドリアではこんなものにはお目にかかれなかった) 若い雄豚で、その半分は炙ってあり、もう半分は濃いスープで煮込んであった。 どこで屠殺され、腹の中に納まっているいろいろなものをどうやって詰め込んだのか、 それを見分けることはできなかった。 実際、その腹の中には、丸々と肥えた鶉、雛鳥の腹、雲雀、おいしいソース、 陰部の切り肉、挽き肉などが入っていて、こういったものがみんな、どうやって もとの形のままでこの動物の腹に納まっているのか、説明がつかないように思われた。 Louÿs, Pierre. Aphrodite: Mœurs Antiques. III, 2. 1896. ピエール・ルイス『アフロディト――古代風俗』第三篇第二章、沓掛良彦訳。
■ 立体派料理 あなたのみごとな料理の中には、立体派の手法が入っているのです。 立体派の料理を異常で風変わりな工夫で人の意表をつく料理だと心得るなら、 フォア・グラを強火で焼いた肉につめるのは、 ロッシーニ風のトゥールヌドの中に入れるのと同様、まさに立体派の料理なのです。 Curnonsky, et Gaston Derys. Gaietés et Curiosités Gastronomiques. 1922. 1933. キュルノンスキー & ドリース『美食の歓びと興味』大木吉甫訳。
■ 食卓のパスカル 集会の場合や食卓についているとき、パスカルはいつも左隣に椅子を 積み上げておくか、それともだれかにいてもらわなければならなかった。 それは恐ろしい深淵の見えるのを防ぐためであり、いくらそれが錯覚であることを 知っていても、時にはどうしても落ちるような気がして恐ろしかったのである。 想像力、すなわち脳葉の一片における異常配置のじつに怖しい結果というべきである! La Mettrie, Julien Offray de. L'Homme–Machine. 1747. ラ・メトリ『人間機械論』原註、杉捷夫訳。
■ 想像の自認 想像が欺く時は、それは狂氣となる。 想像がそれ自身の想像的なる事を自認してゐる間は、それは一つの貴い能力であるが、 その自意識がなくなれば、それは發狂である。 その差異はかゝつてその自認の事に存する、欺くことのなき事に存する。 靈的被造物としての吾々人間にとつては、 存在せざるものを心に案出し心眼に見ることの出來ることが必要である。 同時にまた、道コ的被造物たる吾々人間にとつては、 そが實在せざることを知り、實在せざることを自白することが必要である。 Ruskin, John. The Seven Lamps of Architecture. Ch. 2. 1849. 1880. ラスキン『建築の七灯』第二章、高橋枀川訳
■ 病気の対抗手段としての想像力 彼女は言った。「偉大なるユトクよ、あなたは学者であり成就者の道を歩んでおられる。 あなたは病気の対抗手段として想像力(所縁。認識の対象に対する想念、観念)を 使う方法を知っていますか?」 それでユトクは頼んだ。「どうかその教えをわたしにお授けください!」 彼女は言った。「では、供儀の供物を準備しなさい!」 それでユトクは、自らの体を巨大な智慧のカパーラ(髑髏盃)に変え、そこに彼の内臓や 肉を入れ、それらが五種類の肉と五種類の甘露に変わるように祝福(加持)した。 すると、ダーキニーと彼女の従者たちはこの供物をたいへん喜び、 想像力の使用を通じてさまざまな病気に対処する〈三毒を拘束するおのずからの解脱〉 という高次元の深遠な教えを彼に与えたのだった。 Jo bo Lhun grub–bkra–shis, ed. Rje btsun G'yu–thog Yon–tan–mgon–po rnying–ma'i rnam par thar pa bka' rgya ma gzi brjid rin po che'i gter mdzod. Ch. 37. 17c. ジョウォ・ルンドゥプ・タシ編『聖人たるユトク・ニンマ・ユンテン・グンポの伝記、封印された尊者の威徳の宝庫』第三十七章、中川和也訳。
■ ラ・スティラ嬢の歌声と映像 こんな状態で、ゴルツ男爵は、カルパチアの城に閉じこもりにくると、ここで、 夜ごと彼はあのみごとな機械によって収録されたさまざまな歌を聞くことができた。 そしてただ、ラ・スティラの声を聞くだけではなく、まるで、さながらいつもの桟敷席 にいるかのように――それはどうあろうと不可能に思えるだろうが――彼は彼女を、 眼前に、生けるがごとく見ていたのである。それは簡単な視覚上の仕掛けだった。 ゴルツ男爵が、歌姫の壮麗な肖像画を手に入れていたことは、ご記憶のことであろう。 この肖像は、『オルランドー』のアンジェリカの白い衣裳をつけ、すばらしい髪を ほどいた彼女を爪先まで写していた。さて、オルファニクによって計算された、 一定の角度にしたがって傾けられた鏡をつかって、一枚の鏡の前におかれたこの肖像を つよいレンズで照らすと、ラ・スティラは反射の現象によって、彼女がおどろくばかりの 美貌をもって生きていたときと同じように、ありありとあらわれるのだった。 Verne, Jules Gabriel. Le Château des Carpathes. Ch. 18. 1892. ヴェルヌ『カルパチアの城』第十八章、安東次男訳。
■ 文法は音楽に従属する アルキュタスとエウエノスもまた、文法を音楽に従属するものと見なしていた。 Quintilianus, Marcus Fabius. Institutio Oratoria. I, 1, 17. 1c. クインティリアーヌス『弁論術教程』第一巻第十章第十七節、日下部吉信訳。
■ 交響楽におけるデカルト的な欠点 ――音樂でものを書ける天分を持つてゐる人々に、長い齡とあらゆる祝bフ 與へられますやうに。僕はある交響樂にはあまりにデカルト的である缺點を、 またあるものにはスピノーザの説に偏する缺點を見出す人を、それから三部合奏の 汎~論や、最大多數の階級の矯正のために序曲の效用を叫ぶ人を、いくらでも 襃めたいやうに思ひます。もし僕が幸ひにしてどんな風にもう一つフラットをつければ、 フリュートやファゴットの四部合奏を、統領政治や帝政のよりも執政政治の味方 たらしめうるかを知つてゐたら、もう話しなんかしないで、歌ひつづけるのですが。 Vigny, Alfred Victor de. Servitude et Grandeur Militaires. II, 4. 1835. ヴィニー『軍隊の服従と偉大』第二巻第四章、三木治訳。
■ ファルツ王女エリーザベトのダイモーン そこで成功を収めるには、ソクラテスのダイモーンよりももっと強いダイモーンが必要です。 なぜなら、そのダイモーンはソクラテスに入獄も死も避けさせることが できなかったのですから、そのことでそれほど自慢する理由はないからです。 私はまた、私自身の心の動きにしたがって行う方が、私などよりも賢い人の忠告に 服して行うよりも、うまくいったことに気づきました。 しかし、それは私のダイモーンのもたらす幸運のせいであるよりもむしろ、 私もまたさまざまな道を吟味したせいです。 Elisabeth von der Pfalz. Lettre de la princesse Élisabeth à Descartes. 29 novembre 1646. ファルツ王女エリーザベト『デカルト宛書簡』1646年11月29日付、山田弘明訳。
■ 物質と霊の混淆 「一体、幽霊はどんなお金で家賃を払ってるんでしょう?」 「ちゃんとしたアメリカの金貨と銀貨ですよ。ただひとつ奇妙なことがあってね―― みんな、娘さんが死ぬ前につくられたお金なんですって。物質と霊の不思議な混淆ね!」 James, Henry. The Ghostly Rental. 1876. ヘンリー・ジェイムズ『幽霊貸家』南條竹則・坂本あおい訳。
■ 物質の変形 物質の形を變更し、運動の原則、つまり創造と保存の法則によって、 丸く作られた球を四角にしたからと云って、~の秩序を亂すと云えるだろうか。 勿論、そんな筈はない。たゞ僕は與えられた權利を行使したにすぎないのだ。 この意味に於て、僕が思うまゝに一切自然を變形させたとて、 ~にそむいていると云われる筋合はない。 僕の魂が肉體から分離すれば、宇宙の秩序がそれだけ亂されるのだろうか。 この新しい組合せは、より不完全なものであり、一般法則をはずれていると 君は信ずるだろうか。それによって世界は何物かを失うだろうか。 またそのために、~の仕事の偉大さが減ると云うだろうか。 Montesquieu, Charles–Louis de Secondat, Baron de La Brède et de. Lettres Persanes. lettre LXXVI. 1721. モンテスキュー『ペルシア人の手紙』第七十六信、大岩誠訳。
■ 構成要素へ帰る時機 「しかしもう死ぬべき時機である。」 なぜ死ぬというのか。事柄を悲劇的にしないがいい、むしろあるがままに 「もうこの質料は、これを構成していた要素へ再び帰って行く時機である、」といい給え。 Επίκτητος. Διατριβαί. Ed. Φλάβιος Αρριανός. IV, 7. 2c. エピクテートス『語録』アッリアーノス編、第四巻第七章、鹿野治助訳。
■ 『パイドーン』 「太陽よ、さらば」と言ひすてアンブラキアの人/クレオンブロトスは/ 高い壁がこひから飛び下りて/冥途へ赴つた。/ 別に死ぬほどひどい不幸にあつた/ともなく、ただプラトオンの/ 靈魂についての本一册を/讀んだばかりに。 Καλλίμαχος. Επιγράμματα. 3c BCE. Anthologia Graeca. VII, 471. カッリマコス『エピグラム』断片、呉茂一訳。
■ 髑髏杯――コキュの復讐 私は、彼が入ってきて、私だけにゆるされているなれなれしい態度であれに 接吻するのを見てしまいました。彼が一緒にベッドに入ろうとするのを見た私は、 かくれていたところからとび出て、あれの腕にしっかりと抱かれていた男を捕らえて、 その場で殺してしまいました。しかし妻はそのままゆるしておくにはあまりに大きく 思われましたので、姦夫同様殺しただけでは十分の罰と言えないと考えました。 そこで私は死よりも辛い罰を科してやったのです。つまり彼女が偸んだ快楽を いつもこっそりとつづけて楽しんでいたあの部屋に閉じこめてしまいました。 そして、戸棚には、客間に貴重な飾りをつるすように、姦夫の骨をことごとく 吊るしてやったのです。また、食事のときもそれを忘れないようにと、 あれが私とむかい合って腰をかけるやいなや、コップの代わりに、 あの恩知らずの頭蓋骨を使わねばならぬようにしてやりました。 Marguerite d'Angoulême, reine de Navarre. Histoires des Amans Fortunez (L'Heptaméron). Nouvelle 32. c. 1542–49. 1558. マルグリット・ド・ナヴァル『幸福な恋人たちの物語(エプタメロン)』第三十二話、平野威馬雄訳。
■ 不死鳥であることをやめた鳥 不死鳥であることをやめた鳥は/死ぬために、ひとり樹木のなかにとどまる。/ かれは傷ついた夜につつまれ、/心臓をつきさす剣の切先も感じない。 Bonnefoy, Yves. Rive d'une Autre Mort. 1958. イヴ・ボンヌフォワ『いま一つの死の岸辺』窪田般彌訳。
■ 白鳥の夢 アカデミアからそう遠くはないところにプラトンの墓がある。 神は彼が哲学の分野で大成することを予徴で示し給うた。それはこのような予徴だった。 プラトンが弟子入りしてくる前夜にソクラテスは、 一羽の白鳥が自分の胸のなかに飛び込んできた夢を見たのである。 Παυσανίας. Έλλάδος Περιήγησις. I, 30, 3. c. 160–180. パウサニアース『ギリシア記』第一巻第三十章第三節、馬場恵二訳。
■ 娘にふざける男の夢 私は、或る男が自分の家を遠方から眺めてゐる夢を見たことが或る。 露臺に彼の娘と、その傍に一人の男が見える。 「私の娘にふざけてゐる男は何者だ。」と彼が訊く。望遠鏡を出して覗くと、 「ああ、何たることだ。俺自身ぢやないか。」と彼は叫んだのである。 Ellis, Henry Havelock. The World of Dreams. Ch. 3. 1911. エリス『夢の世界』第三章、藤島昌平訳。
■ 夢見る修行者 ――やがて、これに続く段階に到ると、修行者の夢は、もはやこれまでのように 悟性の思慮深い支配の外に逸脱することなく、覚醒時の表象や感覚のいとなみと同じように、 この悟性の制禦を受け、それによって秩序を与えられるようになる。 夢と覚醒状態との間の区別がますます少なくなっていく。 夢見る修行者は、夢を見ている間も文字通り目覚めている。 すなわち彼は自分をその夢幻劇の演出家であり、監督であると感じているのである。 Steiner, Rudolf. Wie erlangt man Erkenntnisse der höheren Welten? 1904–1905. 1909. 1918. シュタイナー『いかにしてより高次の段階の諸世界の諸認識を獲得するか』高橋巖訳。
■ 夢はめざめかけても 夢はちょっとめざめかけても続いている。 それは眠るしあわせ、すなわち休息の貴重な条件である無関心の命令である。 したがって、夢の脈絡のなさはわれわれにとって別にどうということでもない。 恐ろしい夢でもわれわれは、それを信じてしまうほど強く打たれない。 Alain. « Rêve. » Définitions (Le Fichier Alain). 1953. アラン「夢」『定義集(カードボックス・アラン)』神谷幹夫訳。
■ 夢の二つの出口 つまり果敢ない夢のたぐいにも、二つの出口があるということ、 一手の門は角で作られ、もう一方は象牙づくりと。 夢のうち、この挽き切った象牙づくりの門から出てくるたぐいは、 空しいことばを伝えるだけで、人を欺き誤らすのが、 それに引き換え、磨いた角の門から出て来る夢というのは、 人の誰かがそれを見ますと、実際そのとおりに事が運ぶということ。 Όμηρος. Οδύσσεια. XIX, 562–567. c. 8c BCE. ホメーロス『オデュッセイアー』第十九巻第五六二–五六七行、呉茂一訳。
■ 夢の名前に値しない夢 したがって、こうした純粋にテレパシーめいた「夢」にもしめぐりあったとしたら、 われわれはそれをむしろ睡眠状態におけるテレパシー体験と銘打ちたいと思う。 圧縮、歪曲、演劇化がまったくなく、とくに願望充足がない夢は、 夢の名前に値しないであろう。 Freud, Sigmund. Traum und Telepathie. 1922. フロイト『夢とテレパシー』金森誠也訳。
■ あらゆる存在物は夢である 世尊一切如来よ。虚空は諸々の存在物と相応するものではないけれども、 相応しないというものでもない。虚空はあらゆる存在物に遍満しているが、 どこでもそれは見えるというものではない。まさにこのように、世尊一切如来よ。 あらゆる存在物は夢であり、夢の三昧耶から生じたものと知るべきである。 世尊一切如来よ。たとえば虚空が形をもたず、見ることもできず、確かめることも できないように、世尊一切如来よ。あらゆる存在物はそのようにあると知るべきである。 Guhyasamājatantra. XV. c. 9c. 『秘密集会タントラ』第十五分、松長有慶訳。
■ 夢と存在 それならぼくはどこにいるんだい? ぜんぜん存在しないのかい? ぼくはきみの見た夢の一部で、もしきみがぼくの絵をかいたり、 ぼくの夢を見さえしなけりゃ、ぼくなんかどこにもいないんだ、ってきみはいうんだろ。 Storr, Catherine. Marianne Dreams. Ch. 7. 1958. ストー『マリアンヌの夢』第七章、猪熊葉子訳。
どうでも良いんだが、いつもご苦労さまです たまに読ませてもらってますよ
■ 誘拐者 夜の夢はわたしたちのものではない。それはわたしたちの所有ではないのである。 それはわたしたちを誘拐する者であり、数ある誘拐者のうちでも、 もっとも面くらわせるような誘拐者である。それはわたしたちの存在を誘拐してしまう。 来る夜も来る夜も歴史をもたない。夜は相互に連結していない。 ひとがかなりの年月を生き、すでに二万回も夜をすごしたとしても、いかなる昔の夜、 どんなに遠い昔の夜に夢を見に行ったのか、決して分りはしないのである。 Bachelard, Gaston. La Poétique de la Rêverie. IV, 1. 1960. バシュラール『夢想の詩学』第四章第一節、及川馥訳。
■ 女陰から生える葡萄の樹 ところがマンダネがカンビュセスに嫁いだ最初の年に、アステュアゲスはまた夢をみた。 この娘の陰部から一本の葡萄の樹が生え、その樹がアジア全土を蔽ったという夢である。 彼はこんな夢をみて、その夢を夢占いの者たちに伝えてから、既に妊娠中の娘を ペルシアから呼び寄せ、やってきた娘を厳重に監視させた。 娘から生まれてくる子供を殺すつもりだったのである。 というのは、マゴスの夢占い係りの者たちが、この夢から判断して、 彼の娘の生む子が、やがて彼に代って王になるはずだと告げたからであった。 Ήρόδοτος. Ίστορίαι. I, 108. 5c BCE. ヘーロドトス『歴史』第一巻第百八章、松平千秋訳。
■ ラブレーの死骸から生える葡萄の樹 埋れてくさる死骸から/自然が何かを生むならば、/ また新しい発生は/腐敗によって起こるなら、/生きてたあいだ飲んでいた/ この快男子ラブレーの/胃や腹からは一本の/葡萄が生えてくるだろう。 Ronsard, Pierre de. « Epitafe de François Rabelais. » vs. 1–8. Le Bocage. 1554. ロンサール「フランソワ・ラブレーの墓碑銘」第一–八行、『叢林集』井上究一郎訳。
■ 肉体の果汁 はじめに、この肉体の果汁が搾り取られる。つぎに、沈黙を強いられる。 そして今、罰せられる。夜、夕、そして昼。残るのは何か? Forster, Edward Morgan. The Life to Come. Ch. 3. 1922. 1972. フォースター『永遠の生命』第三章、三原芳秋訳。
■ 乙女の生まれる果実 王子は、水晶の舌でささやきながら、通行人に喉をうるおしてゆきなさいと 呼びかけている泉のほとりで馬をおり、花と草が織りなすシリアじゅうたんの 上に座ると、おもむろにナイフの鞘をはらい、最初のシトロンを切りました。 するとどうでしょう。その中から、クリームのように美しくイチゴのように赤い、 目の覚めるような乙女が現れ、「何か飲み物をください」と言うではありませんか。 王子は、ポカンと口を開け、ただ見とれているばかりです。 とても水を汲むどころではありません。乙女はたちまち消え失せてしまいました。 Basile, Giambattista. «Le Tre Cetra.» Lo Cunto de li Cunti overo Lo Trattenemiento de Peccerille (Il Pentamerone). V, 9. 1634–1636. バジーレ「三つのシトロン」『物語の中の物語あるいは幼き者たちのための愉しみ(ペンタメローネ)』第五日第九話、三宅忠明訳。
■ 動物の生まれる果実 恋の喜び、てェやつは、月世界では皆目知られてはおりませぬ、 というのも、料理動物たちの間でも、また他の動物の間でも、 単一の性しか存在しないからであります。すべては木になるのでありまして、 なる実によって木の大きさや葉がそれぞれ異なっておる。 料理動物ないしヒトが成育する木は、他の木よりずっと美しく、大きく真っ直ぐな 枝をもち、肉色の葉をしている。実は堅果の状態で、果皮が非常に堅く、少なくとも 六フィートの長さである。 この実が熟してきますと、色の変化からそれとわかり、大へん丁寧にもぎとられて、 適当な時期まで保存されるのであります。さてそろそろ、この実の種子を生かそう という事になると、大きな釜に湯を沸かし、その熱湯に放り込むのですナ、 すると数時間もたたぬうちカラが割れて、料理動物の子がとび出すのであります。 Bürger, Gottfried August. Wunderbare Reisen zu Wasser und Lande, Feldzüge und lustige Abenteuer des Freiherrn von Münchhausen. Sechzehntes Kapitel. 1786. 1788. ビュルガー『ミュンヒハウゼン男爵の奇想天外な水路陸路の旅と遠征、愉快な冒険』第十六章、新井皓士訳。
■ アヒルの生まれる樹脂の玉 太陽熱のために船材からにじみ出て粘着して玉になった樹脂から、 アヒルは生まれるのである。彼らの体のうち、いちばん最後に発達する部分は くちばしである。くちばしが自由になると、彼らは水の中へとすべりこむ。 スカリゲルは彼の『教本』の中でそう言っている。同じアヒルの子を生み出す スコットランドの木は、多くの人々が有名にしたためよく知られている。 一六一五年、その年の夏は非常に乾燥していたが、私はリンツでトラウンの原野から 運ばれて来た杜松の小枝を見た。この小枝は、角のある甲虫の色をした、見なれぬ形の 昆虫を産んでいたのである。その虫は体を半分出してゆっくりと動いていた。 だが木にくっついている後部は杜松の樹脂であった。 Kepler, Johannes. Somnium, seu Opus Posthumum de Astronomia Lunari. ann. 221. 1620–1630. 1634. ケプラー『夢、あるいは月の天文学に関する遺作』原註第二百二十一番、渡辺正雄・榎本恵美子訳。
■ 月世界人と彗星人 また月世界でのいわゆる好男子とは、まず禿頭で髪の毛がないといった人々で、 髪が長かったりするとつまはじきされるような場合さえも少なくない。 ところが彗星ではこれと反対に、髪の長いのが器量よしだということになっているそうで、 これはその国人でちょうど逗留していた者が、自国についての話に聞かせてくれた事柄である。 だがしかしそのくせ膝のちょっと上のところにはひげを生やしているのであって、 また足には爪というものがなく、みな一様に一本ゆびである。 さらに臀部の上にはめいめいみな、ちょうど尻尾みたいに長いキャベツの柄がくっついていて、 それがまたいつも青々と茂っているうえ、あおむけにぶっ倒れてもいっかな 折れも裂けもしないというしろものである。なおかれらの鼻汁は刺すような味の蜜で、 骨の折れる仕事をしたり運動をしたさいには、からだじゅうから牛乳の汁を出すのであるが、 それがまた少々蜜を加えれば凝り固まってチーズになるというやつだった。 Λουκιανός ο Σαμοσατεύς. Αληθή διηγήματα. Vol. 1. 2c. ルーキアーノス『本当の話』第一巻、呉茂一訳。
■ 樹木人の晩餐 さて王家の家族が席に着かれたところで、食事が運び始められた。 一人の娘が入ってきたが、八本の腕にそれぞれ大皿小皿を持っており、 一瞬のうちに食卓の用意は完了した。ほどなくして別の樹木人が、 ブドウの果汁や別の軽い果汁酒のいっぱい入った瓶を八本持って現れた。 この樹木人は九本の腕を持っており、 召使いの仕事において他の者より優っているせいで、珍重されていた。 Holberg, Ludvig. Nicolai Klimii Iter Subterraneum. Ch. 4. 1741. ホルベリ『ニコラウス・クリミウスの地底旅行』第四章、多賀茂訳。
■ 耳中人 そんなある日のこと、結跏趺坐(仏教徒の座禅の姿勢)していると、 耳のなかで蝉の羽音のようなかすかな声がした。「会おうか」 そこで眼をあけてみると声は消えた。眼を閉じて気息をととのえるとまた同じように 聞こえるので、いよいよ修行もおわりに近づいたかと、胸をおどらせたものだった。 これからは、結跏趺坐するたびにその声が聞こえるので、次に聞こえたら 答えてみてやろうと思っていた。と、ある日また声がしたので、小さな声で、 「会おうか」と答えてみたところ、にわかに耳のなかでかさこそと音がして、 なにかが這いだしてきたような気がした。そっと窺ってみると、夜叉(鬼)そのものの ような獰猛な顔をした三寸ばかりの小人が、地面を歩きまわっている。 蒲松齡《聊齋志異》卷一第二囘,1680年,1776年。立間祥介訳。
■ 多勢のアプロディテー それにまた、人は、「この世界(宇宙)にはアプロディテもたくさんいて、 エロスをひきつれながらダイモンとしてこの世界にあらわれている。 そして、これらのアプロディテは、或る全体のアプロディテから流出したもので、 多くの部分的なアプロディテとして、それぞれにふさわしいエロスをひきつれながら、 その全体のアプロディテに依存している」とも、考えなければならないだろう。 Πλωτίνος. Εννεάδες. III, 5, 4. 3c. プローティノス『エンネアデス』第三論集第五論文第四章、田之頭安彦訳。
■ 諸世界の住人たち ブルキオ それでは、他の世界にも、この世界と同じように、住んでいるものがいるのでしょうか。 フラカストリオ 我々と同様、もしくは我々より上等ではないにしても、劣っていることもないでしょうね。 理性的でいくらかでも目覚めている頭脳ならば、この世界と同様ないしそれ以上だと わかっている数知れぬ諸世界に、この世界と同様ないしそれよりすぐれたものが 住んでおらぬとは、想像しようがないからです。それらは、太陽であるか、もしくは、 太陽から我々と変らぬ神聖で豊かな光線の放射をうけているもので、この光線が、 その放射した力にあずかる周囲のものたちに〔我々と同じ〕幸運を与える源泉であり 主体であることは、たやすく了解されるところです。つまり、宇宙の主要成員は 無数無限であり、同じような容貌、特権、能力、性質をもっているのです。 Bruno, Giordano. De l'Infinito, Universo et Mondi. Ch. 3. 1584. ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』第三章、清水純一訳。
■ 空間の生命 「結構だね! それじゃ、そんな粗雑な物体に、おそらく不完全ではあっても、 われわれ同様によりよい生を欲している住人たちを与えた万物の造物主が、 空間を生命なしにしておいただろうと考えられるかい?……」 「そんなことは考えられないよ!」と私は勢いこんで言った。 「われわれの組織の微妙さが、われわれを作っている素材のそれを はるかに上まわっているように、その住民たちも、それをとりまいている物質より はるかに精密なものだと思うよ。でもどうやったらそんなことがわかるんだろう?」 「見ることを学べばいいんだよ」と、ジャン = フランソワは、 私をできるだけそっと押し戻しながら言った。 Nodier, Charles. Jean–François les Bas–bleus. 1832. ノディエ『青靴下のジャン = フランソワ』篠田知和基訳。
■ 空中の慰め 慈善病院に泊まっていたときのこと、晴れた日自分の近くの空中で 一つの珍しい物を見ることがしばしば起こった。その物は異常なほど美しかったので、 かれに深い慰めを与えた。それが何であるか、その本性を見抜けなかったが、 何だか蛇の形をしているように思われたし、事実そうではないのだが、 目のように輝くたくさんのものをもっているように思われた。 それを見るたびに大きな快楽と慰めを感じ、見れば見るほど、慰めはより大きくなった。 その物が消えて見えなくなると、物悲しく感じた。 Loyola, San Ignacio de. Autobiografia. Ch. 3. 1553–1555. 聖ロヨラ『自伝』第三章、門脇佳吉訳。
■ 極微小物 細胞! この有機體の單位は一ミリメートルの千分の一から一萬分の一にわたる、 種々樣々の大きさをもつ。原子! これは未知の假定的な要素だ。解剖學的ゥ要素の 微小さを基礎にして、この原子にほとんど眞實に近いと思われる大きさを與えると、 針の頭ほどの大きさの物質の表面には、8のあとに0を二十一ならべただけの數の原子が あることになる。そして、針の頭の原子の數をかぞえるとなると、一秒間にひとりが ひとつずつかぞえるとして、全人類が休みなしに二十萬年かかるだろう。 地球はこのような極微小物から成りたつているのだ。 しかも、その地球自身が、宇宙のなかではゼロにひとしい。 Barbusse, Henri. L'Enfer. Ch. 14. 1908. バルビュス『地獄』第十四章、田辺貞之助訳。
■ 小さい事柄の中の天使 小さい事といふものは詰まらんもののやうに見えるが、しかしそれは平安を與へる。 それは野の花のやうなものだ。何の香もしないやうに思はれるが、 全體集まるといゝ香りがする。小さい事柄の祈りは罪がない。 各の小さい事柄の中には天使がゐる。君は天使に祈るかね? Bernanos, Georges. Journal d'un Curé de Campagne. 1936. ベルナノス『田舎司祭の日記』木村太郎訳。
■ 神の失墜 〈神学〉。失墜とは何か? 統一性が二元性になったことだとすれば、 失墜したのは神だ。言いかえれば、天地創造は神の失墜ではないであろうか? Baudelaire, Charles Pierre. Mon Cœur Mis à Nu. Ch. 20. 1897. ボードレール『赤裸の心』第二十章、阿部良雄訳。
■ 少女とヴォルテール 「陶酔して祈っている若い娘を見て、一瞬自分の無神論を疑うヴォルテールです」 散歩のつれの腕をしっかりと握り、途方に暮れた横顔を見せているヴォルテールが、 数歩離れたところで、天に顔を向けて、ひざまずいて熱心に祈っている若い女を、 不安げに見守っていた。沈下の末、水槽の固い底に支えられてしばし休息したあと、 この小品は、静かに浮びはじめた。上まで来るや、この奇妙な昇天は、 Dubit (「疑う」の意)というラテン語で終わりを告げた。この単語の六文字は、 ヴォルテールの唇から出た沢山の気泡によって、全くの正字体で描き出されたのだった。 Roussel, Raymond. Locus Solus. Ch. 3. 1914. ルーセル『ロクス・ソルス』第三章、岡谷公二訳。
■ チッタラタ園の天女 あなたは、ピカピカ光る黄金でつくられた人形のように、 またチッタラタ園の天女のように、歩きまわっておられる。たぐいなき美女よ。 カーシー産の優雅・美麗な衣服を着たならば、あなたは美しく映えて見えます。 Therīgāthā. 374. c. 5c–3c BCE. 『テーリーガーター』第三百七十四句、中村元訳。
■ 大空を翔る仙童 問ふて云はく、大空を行くに足にて歩むか、又は矢の如くついと行くか。 繪にかける如く、雲に乘りて行くか。其の心もちはいかに。 寅吉云はく、大空に昇りては、雲か何か知らねど、綿を蹈みたる如き心持ちなる上を、 矢よりも早く、風に吹送らるゝ如く行く故に、我等はただ耳のグンと鳴るを覺ゆるのみなり。 上空を通る者もあり、また下空を通る者もあり。 譬へば魚の水中にあそびて、上にも游ぎ、底にも中にも、上下になりて游ぐが如き訣なり。 平田篤胤「仙童寅吉物語」一之卷、『仙境異聞』下、1822年。
■ 一抱えの光 夜、母親が眠りについたとき、彼はそっと起き出し、服を着ると、 《七里のブーツ》をはいた。真の闇夜だったので、手さぐりで屋根裏部屋を横切り、 用心に用心を重ねて窓を開け、樋の端に這いあがった。 最初の一飛びで、彼はパリ東郊の市、ロニー・スー・ボアまで行った。 二度目の一飛びで、今度はパリ東方のセーヌ・エ・マルヌ県に。 十分後には、地球のもう一方のはずれに出ると、大牧場で立ちどまり、 太陽の最初の光を一抱えかかえこみ、それを大空にただようクモの糸でくくった。 アントワーヌはたやすく自分の屋根裏部屋を見出して、音をたてずに忍び込んだ。 母親の小さなベッドの上に一抱えの光を置くと、その光が眠りこんでいる母親の顔を 明るく輝かせた。アントワーヌは、母親が少しも疲れていないことを知った。 Aymé, Marcel. Les Bottes de Sept Lieues. 1943. エメ『七里のブーツ』長島良三訳。
■ 制御靴 何よりも制御靴とでもいったものが入用でした。 というのはしたたか思い知ったのですが、手近のものをじっくり観察しようとしても 七里靴をはいていては意のままにならないのです。いちいち靴をぬぐのも やっかいな話でした。思うところがあって靴の上にスリッパをはかせてみたところ、 期待どおりの効用のあることがわかりました。のちにはいつも二足のスリッパを たずさえておくようにしました。植物採集中にライオンとか現地人とかハイエナなどに 襲われたとき、足のスリッパを投げつけるのですが、ひろいあげる暇がないからです。 Chamisso, Adelbert von. Peter Schlemihls wundersame Geschichte. X. 1814. シャミッソー『ペーター・シュレミールの不思議な物語』第十章、池内紀訳。
■ 天的な者たちの香り さらに、天的な者たちは、死体が〔香料で〕防腐処置を施される場合のように、 霊たちをとおして香料の芳香を感じ取る。私も二度ほど、これをはっきりと感じ取る ことが許された。こうしたことは、天的な者たちが居あわせるために起こっている。 なぜなら、死体に特有なものはそのとき感じられず、何か香ばしいものが感じられ、 その結果、邪悪な霊鬼や、まして悪霊はあえて近づこうとしないからである。 人間の排泄物のような臭いもまた感じられるが、それでも天的な者たちが 居あわせるという同じ理由で、それは不快なものではない。 Swedenborg, Emanuel. Memorabilia. No. 1100. 1748. スヴェーデンボリ『メモラビリア』一一〇〇番、高橋和夫訳。
■ 女性を嗅ぎ分ける僧侶 十七世紀の生理学者マルコ・マルチがプラハの一僧侶の話を残しているが、 リュシュランという名のこの僧は良く鍛えられた鋭い嗅覚をそなえていて、 女性の匂いを嗅げば若い娘かそれとも成熟した女性か、子供を産んだ女性か 不妊の女性か、識別できたという。彼の嗅覚の鋭さを示した出来事は他にも多いが、 興味深いこの一例をあげれば他も推察いただけるだろう。 Balzac, Honoré de. « Théorie de la Démarche. » Pathologie de la Vie Sociale. 1833. バルザック「歩き方の理論」『社会生活の病理学』山田登世子訳。
■ 薔薇の香り 活發な微粒子が腦天を貫いて、 ばらの芳香で悶死するのが、どうしてよいのだ。 Pope, Alexander. An Essay on Man. I, 6. 1733–1734. ポープ『人間論』第一書簡第六節、上田勤訳。
■ 匂いのしない花 花の形と色の多様さ――創造についての近似的なイメージをこれほど正確に 与えてくれるものはない。花の素朴さなんていったい誰が言いだしたのだろう。 すべてが規格はずれで、思いがけなく、過剰で壮大なんだ。 しかしそれと同時にすべてが純粋で調和がとれ、奇跡的なくらい完全なのだ。 花には何ひとつ欠けているものはなく、すべてがありあまるほど、みごとに備わっている。 たとえば匂いを例にとってみても、ちょうど壮麗に飾りたてた作品にしばしば精神が 欠けているように、匂いのしない花まで存在するのだ。要するにバロック的な崇高だな! Béalu, Marcel. Les Lys et le Sang. 1964. ベアリュ『百合と血』田中義廣訳。
■ 草に愛を打ち明ければ われわれはやはり、花や草や蝶にもっと近々と接しなければいけない、 ちょうど、それらのものとそれほど背丈の違わない子供のように。われわれ成人は、 子供たちとは違って、それらのものよりもずっと背丈が伸びてしまっており、 〔それらのものに近づくには上から見下すように〕身を低めなければならない。 だから私は思うのだが、もしもわれわれが草に愛を打ち明ければ、 草は〔見下されたと思って〕われわれを憎むだろう。――あらゆる良きものに あずかりたい者は、やはり、時には小さくなる術を心得ていなければならない。 Nietzsche, Friedrich Wilhelm. Menschliches, Allzumenschliches: Ein Buch für freie Geister. II, 51. 1880. 1886. ニーチェ『人間的、あまりに人間的――自由精神のための書』第二巻第五十一番、中島義生訳。
■ レタスの体験 わが子よ、君がレタスの葉を食べると、それは君の一部になる。そうではないか。 その結果、そのときからレタスは君とともにさまざまなことを体験しはじめるのだ。 だから君が実際に行なったことは、あるものを君というものに形を変えたことであって、 もし君がそうしなければ、そのレタスの葉は成長して、再びレタスを繁殖させるために 種となることだろう。レタスの体験することはこれだけだ。だが君の役に立つことによって レタスは君とともにいちだんと高い奉仕ができる段階にまで高まったのだ。 Adamski, George. Inside the Spaceships. Ch. 12. 1953. アダムスキー『宇宙船の内部』第十二章、大沼忠弘訳。
■ われ見草 われこの薬草を掘る、「われ見草」、〔愛の〕涙をそそる草、 遠く去る者を帰らしめ、近づく者を喜び迎うる草を。 अथर्ववेद. VII, 38. c. 1000? 『アタルヴァ・ヴェーダ』第七巻第三十八章、辻直四郎訳。
■ 可視の人類のうちに住む不可視の人類 ――ところで、私もあなたとおなじように、読書や旅行を通じて、 私たちにとって神秘な一切のものの鍵をもつある高次なタイプの人間たちのことを、 うわさに聞いていたのです。可視の人類のうちに住む不可視の人類というこの考えを、 私は単なるアレゴリーと見てあきらめることはできませんでした。 経験から証明されていることだが、と私は自分にいいきかせたものです、 人間は直接自分で真理に到達することはできない。なにか仲介物が―― ある面は人間の域にとどまりながら、ある面は人間を超えている仲介物が―― 存在しなければならないのだ。この地球上のどこかにその高次の人類が住んでおり、 彼らはかならずしも接近不可能なわけではないはずだ。 とすれば、私はそれを発見することに全努力を注ぐべきなのではないだろうか? Daumal, René. Le Mont Analogue. Ch. 1. 1952. ドーマル『類推の山』第一章、巖谷國士訳。
■ エリトローピア 「[……]もう一つのは、わたしたち貴金属商がエリトローピア(血玉髄)と 呼んでいる石でして、それは多すぎるくらい大した効験のある石で、そのために、 だれでもいい、それを身につけていると、それをつけているあいだじゅう、 自分がいないところでは、だれからも姿が見られないんですよ」 Boccaccio, Giovanni. Il Decameron (Decamerone): Prencipe Galeotto. VIII, 3. c. 1348–1353. ボッカッチョ『デカメロン――ガレオット公』第八日第三話、柏熊達生訳。
■ 錯覚研究所 錯覚研究所なるものもある。そこではあらゆる奇術、妖怪、詐欺、 幻影の類が実演され、その騙しの手口が明らかにされる。 あなた方も容易に信じていただけようが、われわれの所には、まったくありのままで ありながら、おのずから驚嘆せずにはいられないようなものが、たくさんあるので、 もしそれに仮装を施し、この世に有りうべからざるものに仕立てあげたとしても、 ほんとうだと思いこませることができる場合は数限りないほどある。 しかしわれわれはあらゆる詐欺と虚偽を憎む故に、わが国においては、 自然の働き、自然の産物を、飾るなり誇張するなりして奇をてらい、 ありのままの純粋な姿を隠す者は、例外なく不名誉の烙印と罰金を科せられるのである。 Bacon, Francis. The New Atlantis. 1627. ベーコン『ニュー・アトランティス』川西進訳。
■ ペン軸の中の大聖堂 まず、書取のときかれが引っぱり出した《見える》ペン軸。 片目をつぶると、柄の小さな穴の中に、ルルドの大聖堂だの、 見たこともない記念建造物が、ぼやけながらふくれあがって、見えてくるのだった。 かれが一つ手に取ると、他のペン軸はすぐに、みんなの手から手へ渡って行った。 それから、中国製のペン・ケース――その中には、コンパスや、 おもしろい道具がいっぱいつまっていて、次々に、左の椅子から、 音もなくしのびやかに、スレル先生には何もわからないよう、 ノートのかげにかくしながら、手から手へと渡されて行った。 Alain–Fournier. Le Grand Meaulnes. II, 3. 1913. アラン = フルニエ『グラン・モーヌ』第二部第三章、天沢退二郎訳。
■ シャルトルの巨大蜘蛛 このシャルトルでは、どうやら動物界が建築家の霊感の源であったらしい。 楔石を胴体と見て、穹窿の下を這うあのたくさんの陵を脚と見立てれば、巨大な架空の 蜘蛛が浮かび上がってくるではありませんか。その酷似ぶりは異論の余地もありますまい。 さて、そうなると、腹部を一箇の宝石のように彫り上げられた、金色の光沢を放つ この巨大な蜘蛛が、おそらくは三つの円花窓のあの火の網を編んだのです。 何という驚異、何という奇観でしょうか! Huysmans, Joris–Karl. La Cathédrale. Ch. 6. 1898. ユイスマンス『大伽藍』第六章、出口裕弘訳。
■ ごまかしの用語が多い学問、人びとを騙すための学問など 天文学は難解な学問で、理解するのがむずかしいものです。幾何学と土占いは ごまかしの用語が多い学問です。この三つの学問を勉強するつもりでいる者は、 究めるのに相当の時間がかかります、魔術がその種の学問としては最高の書物ですから。 その他に、多くの人たちが発明した仕掛けのある箱、アルベルトゥス(マグヌス)が 行なった錬金術の実験、悪魔を呼び起こす死霊による占いや火占いがあります。 もしお前が〈善行〉を行おうと思うならば、このようなことに携わってはなりません。 このような学問はすべて、私自身がはじめて、人びとを騙すために創ったものです。 Langland, William. Piers Plowman: A–text. XI. c. 1368–1374. ラングランド『農夫ピアーズ』Aテキスト、第十一歌、池上忠弘訳。
■ 偶然の線描画 彼女は是等無數の小さな斑點の上に飽く迄も眼をこらし、其處にいろいろな形や文字や 符號を發見してゐた。それらの粒が一層明らかに、一層鮮かに見えるやうにと、 指でそれらを引離した。兩手の間でその皿をそろそろと廻したり、動搖させたりして、 凡ゆる方面からその~祕を訊した、そしてその圓のうちに、いろいろな痕蹟や、 映像や、名前の絲口や、頭文字の影や、誰かの似顏や、或る物の粗描や、 胎兒の如く未だ形の整はざるものや、前兆や、彼女が勝利者となることを 彼女に示してゐるところの取るに足らぬ象形を、熱心に求めてゐた。 彼女は見たいものだと思ひ、そして無理に判じようとした。彼女が屹と眼を据ゑて 見てゐるうちに、その磁器は彼女の不眠の幻影に依つて生氣を帶びるのであつた。 彼女の悲哀が、彼女の怨恨が、彼女の大いに嫌つてゐた幾つかの顏が、 その魔法の皿と偶然の線描畫とから次第に浮かび上がつて來た。 Goncourt, Edmond et Jules de. Germinie Lacerteux. Ch. 45. 1865. ゴンクール兄弟『ジェルミニィ・ラセルトゥ』第四十五章、大西克和訳。
■ 無限の線は球である ところで、もしも無限の線があるならば、 それは直線であり、三角形であり、円であり、球であること、 同様に、もしも無限の球があるならば、それは円であり、三角形であり、線である、 と私は言うが、同じことは、無限の三角形、無限の円についても言えなければならない。 Cusanus, Nicolaus. De Docta Ignorantia. I, 13. 1440. クザーヌス『学識ある無知について』第一部第十三章、山田桂三訳。
■ 愛が支配する球体の時期 エウデモスは、運動がないのは愛が支配する球体の時期であると解する。 すなわち〔その時期には〕すべては結合され、 そこには太陽の速き肢体も見分けられない からであり、また、 そのようにハルモニア〔調和〕の厚き覆いに庇護されて、 まるきスパイロス〔球体〕として、まわりの孤独を楽しむ と彼〔エンペドクレス〕のいうごとくだからである。 Σιμπλίκιος εκ Κιλικίας. «Σχόλια στα Φυσικά του Αριστοτέλους.» MCLXXXIII, 28. 6c. シンプリキオス『アリストテレース『自然学』註解』1183、28、日下部吉信訳。
■ 回転する球のハーモニー それから森の別の入口からは、大きな音の、旋風のようなハーモニーを奏でながら 数千の球を含んだ一つの、水晶のように固い球が突進して来ます。 けれどもその体を貫いて、ちょうど何もない空間の中を回転しているように、 音楽と光が流れて来ます、千万の球が、紫に、あおみどりに、白く、緑に、黄金に、 互にその体の中に含み合い、含まれながら。 そして、間の空間という空間には想像もつかぬものたちが住んでいる。 明りもない、深い淵の中に住んでいる、と幽霊たちまでが夢想するようなものたちが。 しかもその球はどれも互に透き通って見え、眼に見えない幾千の車輪の上で廻りながら、 幾千の運動をして、互に越え合って旋回して行く。 Shelley, Percy Bysshe. Prometheus Unbound: A Lyrical Drama in Four Acts. IV. 1820. シェリー『縛を解かれたプロミーシュース――四幕詩劇』第四幕、石川重俊訳。
■ 十万の回転 十万個の独楽が眼の前で廻っています…… いや、十万人の女たちが……いや、十万丁のチェロが…… Cendrars, Blaise. Les Pâques à New York. 1912. サンドラール『ニューヨークの復活祭』窪田般彌訳。
■ 回帰 シャロン = シュル = マルヌのとある宿屋に立寄ったドイツ人一行は、話がはずんで プラトン大周期の話題になった。一行は万物が本来の状態に戻るというあの説を、 「これほどたしかなものはない」と宿の主人に信じさせようとした。 いわく、「今から一万六〇〇〇年ののち、今日と同じ時刻にあんたの宿のこの部屋で、 われわれはやはりこうして飲んでいるだろう」。 そして一行が言うのには、今はあいにく金がない。 ドイツ人として誓うから、一万六〇〇〇年後のその日まで払いを待ってくれまいか。 宿の主人は答えた。「そういうことなら喜んで、と言いたいところだが、 その話が本当なら今から一万六〇〇〇年前のこの日このときにも、あんたらはここで こうして飲んでいたことになる。そしてそのときも払わずに帰ったはずだから、 その分を今払ってもらおう。そうすれば、今度の分は貸しといてやるから」 Plancy, Collin de. « Année Platonique. » Dictionnaire Infernal. 1818. 1863. プランシー「プラトーン年」『地獄の辞典』床鍋剛彦訳。
■ アルフレッド大王の時計 王は、しばらくの間、これらのことを思案していたが、ついに、有益にして賢明な 解決策を見出した。そこで、礼拝堂付司祭に命じて十分な油脂を用意させた。 彼らが油脂を持って来ると、それをペニー単位で天秤で計算することを指示した。 七十二ペンスの重量に相当する十分な分量の油脂が計り取られると、 そこから、いずれも十二インチの等寸で一インチごとに目印をつけた六本の蝋燭を作らせた。 従って、この原理が考案されたことで、六本の蝋燭は絶えることなく、昼夜二十四時間、 王が行く先々に携帯した神に選ばれた多くの聖者たちの聖遺物の前で、 燃え続けることができたのである。 Asser[, John]. Ælfredi Regis Res Gestæ. 104. c. 983/984. アッサー『アルフレッド王の事績』第百四節、小田卓爾訳。
■ 布地の性 女は布地のようなものだ。ろうそくの光で選んじゃだめだ。 Daudet, Alphonse. L'Arlésienne. I, 10. 1872. ドーデ『アルルの女』第一幕第十場、桜田佐訳。
■ クレオパトラが涙をうかべなかったら 世界を失はせ、英雄を逃亡させたのは一體何ものであつたか? それこそクレオパトラの眼にうかんだ弱い女の涙だ。 しかし氣立ての優しいアントニウスの誤ちは赦してやりたい、 女の涙のために――いかに多くの人々が現世の榮華こそ失はぬが―― 天國を失つたことか! Lord Byron, George Gordon. The Corsair. II, 15. 1814. バイロン卿『海賊』第二篇第十五章、太田三郎訳。
■ 涙の味 まず、涙は味をもつべきであることを証明し、つぎに塩味以外のいかなる味をもっても 滑稽、または醜悪な事態を招いて困ったことになることを証明しよう。 一、《涙は味をもつべきである。》 ――これは疑う余地がない。たとえば母親がわが子の亡骸の上に味気のない涙を 注ぐ図を想像できるだろうか。否、断じて否だ。さて、それで? (以上で証明終り)。 二、《涙は塩味以外の味をもちえないであろう。》 ――諸君はたとえば酸っぱい涙を想像できますか。怒りっぽい愛人から 顔に硫酸や塩酸をぶっかけられた社交界の紳士方なら、これら酸性の物質と、 きわめてデリケートな眼の組織との直接的接触から、どんな障害が生ずるかご存じだろう。 Allais, Alphonse. « Larmes. » Deux et deux font cinq. 1895. アレ「涙」『二たす二は五』山田稔訳。
■ 涙のしくみ しかしそのとき眼に汗がでないわけは、身体をはたらかせている間、精気の大部分が、 身体を動かす筋肉のほうへ流れていて、視神経を通じて眼に流れることが少ないからである。 そして、同じ一つの物質が、静脈や動脈のうちにあるときは血液となり、脳や神経や 筋肉のうちにあるときは精気となり、気体という形で身体外にでるときは蒸気となり、 最後に、身体の表面または眼において濃縮されて水となるときは、 汗または涙となっているのである。 Descartes, René. Traité des passions de l'âme. II, 129. 1649. デカルト『情念論』第二部第百二十九節、野田又夫訳。
■ 涙と琥珀 さらに、パエトーンの姉妹たちは、兄弟の死を嘆き悲しむうちポプラの木に変わった。 彼女たちの涙は、ヘーシオドス〔詩人〕の伝えるところでは、固まって琥珀になった。 Hyginus, Gaius Julius, attrib. Fabulae. CLIV. c. 2c. 伝ヒュギーヌス『物語集』第百五十四話、松田治・青山照男訳。
■ 涙の池 でもアリスは、まもなく気がつきました。これは自分が三メートル近い身長のときに 泣いた涙でできた池なのです。アリスは出口をさがして泳ぎまわりました。 「あんなに泣かなければよかったわ! きっとその罰で、こうして自分の涙に おぼれるのよね! おかしいわ、自分の涙でおぼれるなんて![……]」 Carroll, Lewis. Alice's Adventures in Wonderland. Ch. 2. 1865. キャロル『不思議の国でのアリスの冒険』第二章、高橋康也・高橋迪訳。
■ 涙の壺 ほかの壺なら酒をいれる 油をいれる その周壁がえがくうつろの腹のなかに けれども私 もっと小型で 一ばん華奢な私は ちがった需要のための あふれ落ちる涙のための壺なのだ 酒ならば 壺のなかで 豊醇にもなろう 油ならば澄みもしよう けれども涙はどのようになる? 涙は私を重くした 涙は私を盲目にして 曲った腹のあたりを光らせた ついに私を脆くして ついに私を空にした Rilke, Rainer Maria. Tränenkrüglein. 1922. リルケ『涙の壺』富士川英郎訳。
■ ガニュメーデースの油 私は、あるひとつのものによって大きな当惑になげこまれました。 それは油の入っている小壜で、小さな板の上に置かれ、一本の筆が差してありました。 私は少年にこの油と羽根は何に使うのかと訊ねてみました。 彼はとぎまぎして、顔をあかくし、口ごもりましたが、逃げて行ってしまいました。 私が先ず考えたのは、これはラチエ = ギバル円筋を移動する痔だらけの肛門に 糞便の通じを容易にさせるために使うものであるということでした。 しかし、その油は、英国人たちが必死にさがしている、 かの美少年の尻の穴のすべりを滑らかにさせるために使われているように見えました。 英国人たちは自分たちの愛すべき島では絞首刑に処せられる 男色の趣味を満足させるためにイタリアを訪れるのです。 Gautier, Pierre Jules Théophile. Lettre à la Présidente: Voyage en Italie. N° 19. 19 octubre 1850. ゴーティエ『ラ・プレジダントへの手紙――イタリア紀行』第十九書簡、長田俊雄訳。
■ 憂鬱病者のコントラスト 加うるに、制限された精神の、高望みしない安住感に根差す従順さ、 さらには絶対の劣等者に継承されるのが世のつねの、盲目的な情愛による あの受容性が複合される場合には、ここまで書けば容易に理解してもらえると思うが、 バイロンが従者のバーバー(床屋)を愛したのはなぜか、ジョンソン博士が あのフレッチャー(走り使い)を死の床まで呼んだのはなぜかはおのずと明らかだ。 それというのもこの人らが憂鬱病者だったからで ――憂鬱病者のドン・ベニートなら、多分、この二人にどこか似ていたろう。 彼らは従者の黒人を愛するあまり、ついには白人全般を嫌悪したに近かった。 Melville, Herman. Benito Cereno. 1855. メルヴィル『ベニト・セレノ』坂下昇訳。
■ 鏡のなかの少年 少年はおおよそ十六歳くらいでしたろうか、遠くからよそ目にみただけでも、ご婦人がたにちやほやされて、虚栄の兆のような気配がいくらも垣間みえました。 たまたま私も彼もその直前にパリで、例の足に刺さったトゲを抜いている少年像を見てきたばかりでした。 この彫像の複製像はよく知られており、ドイツでも大抵の美術館においてあります。 少年は足を拭こうとして足台に足をのせた瞬間、大きな鏡をチラと一瞥したのですが、そのとき鏡に映った自分の像が例の少年像を思い起こさせたのです。 彼はにっこりして、どんなことに気がついたかを私に言いました。 実際、ちょうどその瞬間、私も同じことに気がついていたのです。 けれども私は、少年にほんとうに優美さがそなわっているかどうかを試すためにせよ、彼の虚栄にいささか治療的に対処するためにせよ、わらって、こう答えました。 ――きっと幽霊を見たんだよ! 少年は顔をあからめ、またもや足台に足を上げてそのさまを私に見せました。 ところが、容易に予想されたことながら、その試みは失敗したのです。 少年はうろたえて三度も四度も足を上げ、おそらくそれが十度にも及んだことでしたろう。 むだでした! 先程と同じ運動は二度と生み出せなかったのです。 Kleist, Heinrich von. Über das Marionettentheater. 1810. クライスト『マリオネット芝居について』種村季弘訳。
■ 身軽な少年 最初私は何の心配もしなかつた。彼の身體が輕いのはアルキメデスの古い法則によるのだ と思つたのだ。私の兩手は未だ彼の胴體を輕く觸はつてゐた。しかし、私の心臟は 突然轉倒した。私の愛撫が下がつて行つて、彼の左脚が腿の始まりで終つてゐることを 發見した時……。さうだ、私の手が愛情をこめて撫でようとしてゐたその華車な脚は、 切斷された殘りでしかなかつた。 可哀相なベルナルディーノ! 僕は即座に理解したのだ、お前がなぜ身體を隱してゐたかを、 お前がなぜ遁げてゐたかを、お前の異樣な泳ぎ振りの原因を、お前の祕密を護る不透明な 水の中でお前がなぜあの樣に氣樂だつたのかを。そして今、お前がかうして額を 僕の肩につけたまま、上げようとはしない、そのお前の困惑も……。 Gide, André. Acqua Santa. 1938. ジィド『アクア・サンタ』朝吹三吉訳。
■ 足 もし足が、自分が身体に属していること、自分の依存している身体があることを、 つねづね知らずにいて、足自身を認め、また愛するだけであったならば、 そして自分の依存する身体に属していることをたまたま知ったならば、 自分の過去の生活について、また自分に生命を授けたこの身体、 自分がそれから離れたように、それが自分を捨て自分から離れたならば、 自分は滅びたであろうと思われるその身体に対して無益であったことについて、 どんなに後悔し、どんなに当惑することだろう。 Pascal, Blaise. Pensées de M. Pascal sur la religion et sur quelques autres sujets, qui ont esté trouvées après sa mort parmy ses papiers. Éd. L. Lafuma, 373; éd. L. Brunschvicg, 476. 1670. 1897. 1951. パスカル『死後遺稿のうちから見出された、宗教その他若干の問題についてのパスカル氏の思想』ブランシュヴィク版第四百七十六番、前田陽一・由木康訳。
先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。 未亡人は恋愛し地獄へ堕(お)ちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、 モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。 表面の綺麗(きれい)ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。 堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。 道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。 手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。 堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、 堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。 即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術(すべ)のない宿命を帯びている。 善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。 だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野(こうや)を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、 孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。 キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。 何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。 坂口安吾 続堕落論
のろまで愚図の悟浄のことゆえ、 翻然大悟とか、大活現前とかいった鮮やかな芸当を見せることはできなかったが、 徐々に、目に見えぬ変化が渠の上に働いてきたようである。 はじめ、それは賭けをするような気持であった。 一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘であり、 他の途が険しくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。 それだのになぜ躊躇していたのか。 そこで渠ははじめて、自分の考え方の中にあった卑しい功利的なものに気づいた。 嶮しい途を選んで苦しみ抜いた揚句に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、 という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。 骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、 不精で愚かで卑しい俺の気持だったのだ。 女イ禹氏のもとに滞在している間に、 しかし、渠の気持も、しだいに一つの方向へ追詰められてきた。 初めは追つめられたものが、しまいにはみずから進んで動き出すものに変わろうとしてきた。 自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、 それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、 最も執念深く自己の幸福を探していたのだということが、悟浄に解りかけてきた。 自分は、そんな世界の意味を云々するほどたいした生きものでないことを、 渠は、卑下感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。 そして、そんな生意気をいう前に、とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。 躊躇する前に試みよう。 結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。 決定的な失敗に帰したっていいのだ。 今までいつも、失敗への危惧から努力を抛棄していた渠が、骨折り損を厭わないところにまで昇華されてきたのである。 中島敦 悟浄出世
■ 恐怖の世界 そこにたはつてゐるものは一個の生きものに違ひなかつた。 彼は肺臟も胃袋も持つてゐるのだ。それだのに、彼は物を見ることができない。 音を聞くことができない。一とことも口がきけない。何かを摑むべき手もなく、 立ち上がるべき足もない。彼にとつてはこの世界は永遠の靜止であり、 不斷の沈默であり、果てしなき暗やみである。かつてなにびとがかかる恐怖の世界を 想像し得たであらう。そこに住む者の心持は何に比べることができるであらう。 江戸川亂歩『芋蟲』1929年。
■ 無数の微妙なる曲線美 彼女はあるかぬ、抱かれるというより、私にからみついて森のなかを移動する。 故意に捨ててからかうと、涙ぐんで、爬虫のごとく這ってくる。そのうねる身体の 妖しき蠱惑は、むろんふつうの女が身をくねらせて男を誘惑する、あんな単純な、 遅鈍なものではない。腕、腹、足、まるで白い幾ひきかの蛇がもつれあいつつ 動いてゆく無数の微妙なる曲線美、律動美の聚合だ。それがどのように男を―― いや人間を、恐ろしい魅惑の深淵にひきずりこむかは、古来安珍清姫をはじめとして、 いかに多くの東西の伝説に蛇が人間の性的対象に使用されているか、 これを考えてみれば君にもわかるであろう。 山田風太郎『蠟人』1954年。
■ 人魚に就いて婬す その他の牧師フランシスコ・ロカより驚き入つたことを聞きしは、 ある人、漁して人魚を得、その陰門婦女に異ならざるを見、就いてこれに婬し、 はなはだ快かりしかば翌日また行き見るに、人魚その所を去らず。よつてまた交接す。 かくのごとくして七ヵ月間、一日も缺かさず相會せしが、つひに~の怒りを懼れ、 懺悔してこのことを止めたり、とあり。 マレー人が人魚を多く畜ひ、毎度就いて婬し、またその肉を食ふことしばしば聞き及べり。 こんなことを書くと、讀者の内には、心中「それは己もしたい」と渇望しながら、 外見を裝ひ、さても野蠻な風など笑ふ奴あるが、得てしてそんな輩に限り、 節穴でも辭退し兼ねぬ奴が多い。 南方熊楠『人魚の話』1910年。
■ ノサラ島のネーレーイス この島にはネレイデスのひとりが住んでいた。そのネレイスの名前までは伝わっていない。 ところでこの島に近づく男という男は誰彼の別なく、彼女と交わる仕儀となったが、 そのうえで彼女は相手の男を、人間から魚に変えて海に投ずるのであった。 太陽神はこのネレイスに不快を覚えて彼女に、その島から立ち退くよう命じた。 彼女の方も他所に移ることには同意したが、同時にまた自分ゆえの災難不運も これで解消されるようにと乞うた。太陽神もその願いを容れ、彼女の手でこれまで 人間から魚に変えられていた者たちを憐れんで、魚からまた元の人間にもどしてやった。 Αρριανός, Φλάβιος. Ινδική. XXXI. 2c. アッリアーノス『インド誌』第三十一章、大牟田章訳。
■ 魚よ 魚よ 魚よ 私だ、私はお前たちに呼びかける。水中の美しい敏捷な手よ。 魚よ お前たちは神話に似ている。お前たちの愛は完璧で、お前たちの情熱は不可解だ。 お前たちは雌に近づいたりはせず、一筋の絲のようなかたちでお前たちのあとに従う 精液を想像するだけで感激にひたれるのだ、きらめく水中の物陰に、 もう一つの静かな、無名の興奮が預けていった神秘的な委託物を想像するだけで。 魚よ、お前たちは恋文をやりとりしたりはしない、 己れ自身の優雅さのなかにお前たちは欲望を見出す。 両性ともにしなやかな自瀆者、魚よ お前たちの官能の陶酔の前に私は脱帽する。 Aragon, Louis (Albert de Routisie). Le Con d'Irène. 1928. アラゴン『イレーヌの女陰』生田耕作訳。
■ 天翔る鯉 子英は舒郷の人であった。水中に潜って魚を捕えるのが得意であったが、 赤い鯉をつかまえてから、その色のみごとなのが気に入り、持ち帰って池に入れ、 毎度米粒で飼っているうち、一年もすると成長して一丈余にもなり、終には角が生え、 翼をもつようになった。子英は奇妙なことだと気味わるくなって、これに拝礼をした。 すると魚がいうには、「あなたをお迎えに参りました。わたしの背にお乗りください。 ご一緒に天に昇りましょう」とて、たちまち大雨が降った。 子英はその魚の背に乗り、空高く昇っていった。 伝 劉向《列仙傳》卷下,1c BCE。沢田瑞穂訳。
■ 金屑泉 毎日金屑泉を飲んでおる。 すこし飲むだけでも寿命は千年以上になる。 いまに翠鳳の車にうち乗って、目にもあやな螭を副え馬に、 日傘、毛やりで天帝にお目にかかるか。 王維〈金屑泉〉《輞川集》8c。小川環樹・都留春雄訳。
■ 角の弓と金の弓 いわゆる佐太の大神のお産まれになった場所である。 お産まれになろうとしたちょうどそのときになると、弓箭が亡(失)くなった。 その時御祖神魂命の御子の枳佐加比売命が祈願して、 「私の御子が麻須良神の御子でおありなさるならば、亡くなった弓箭よ出て来い」 と祈願された。その時、角の弓箭が水のまにまに流れて出た。 その時〔お産まれになった御子は〕詔して、 「これは私の弓〔箭〕ではない」と仰せられて投げ棄ててしまわれた。 また金の弓箭が流れて出てきた。すなわちこれを待ち取って、 「なんと暗い窟であろうか」と仰せられて〔岩壁を突き破って〕射通しなされた。 伝 ~宅臣金太理編『出雲國風土記』嶋根郡加賀ク、733年。吉野裕訳。
■ 存在と非存在 同じ川にわれわれは入って行くのでもあれば、入って行かないのでもある。 われわれは存在するのでもあれば、存在しないのでもある。 Ήράκλειτος. Allegoriae Homericae (Quaestiones Homericae). XXIV. c. 1c. [文法家の]ヘーラクレイトス『ホメーロスの比喩』二十四、日下部吉信訳。
■ ジャイナ教徒の勝利 「ものは存在するか」などと質問された場合に、彼らに対して「ある点では、存在する」 などと(われわれは)応えることができるから、彼ら反論者はみな度を失って 黙りこんでしまう。それゆえに、全体の意味を決定する「相対論」を主張する者 (ジャイナ教徒)には、いたるところで勝利があるというわけで万事が落着する。 Mādhava, Sāyana. Ārhatadarśana. Ch. 3. Sarvadarśanasamgraha. 14c. マーダヴァ「阿羅漢の教え」第三章、『全哲学綱要』宇野惇訳。
■ しかし無数の困難も ジャイナ教の特徴であり、そのアルカイックな構造をきわだたせているのが汎心霊論である。 地上に存在するものは、動物ばかりでなく植物も石も、雨粒などもすべて魂をもっている。 そして生命に対する尊重が、ジャイナ教の最初の、そして最も重要な戒律である。 この汎心霊論に対する信仰は無数の困難を生むことになる。 僧侶は歩きながら目の前の土の上を掃除しなければならないし、 極度に小さな動物を殺してしまう危険があったので、日没のあとの外出は禁じられている。 Eliade, Mircea. Histoire des croyances et des idées religieuses. II, 18, 153. 1978. エリアーデ『宗教思想信仰史』第二巻第十八章第百五十三節、島田裕巳訳。
■ 空中にただようもの 霊魂の実在はこれを肯定することができると信じている。私がここで霊魂と よんでいるのは、人々が親しく口にする「空中にただようもの」である。 私は霊魂はまぎれもなく実在するという体験を経てきた。 けれども、それが一体なにであり、どんな性格をもつものであるかということ については、自分はそれを知っているのだと主張する人でも、そのことを全然考えても みようとしない人と同じようにほとんど判っていないのではないかと思う。 この霊魂とか、未来を予言する力(時たまなにものかが術を使ったり、あるいは 神がかりの状態になって予言を行うことがある)は自然の力強い神秘なのである。 あるいは、すべてに運動を与えるより高次の力が示す神秘ともいえる。 自然にはわかっていても、われわれには神秘のヴェールにおおわれている。 人間の頭ではとうていそこには到達しえないのである。 Guicciardini, Francesco. Ricordi. C, 211. 1512–1530. グィッチャルディーニ『リコルディ』C、第二百十一番、永井三明訳。
■ UFO は神 「神は、その中心がいたるところにあり、その円周がどこにもない一つの円である」 という古い言葉があるが、この「神」とその全知 (omniscientia)、 全能 (omnipotentia)、偏在 (omnipraesentia)、「一にして全なる」は、 全体性や円満具足、完全無欠のこのうえない象徴である。 こうした形での神の顕現は、歴史のなかでは火および光とさまざまに結びついてきた。 だから古代的な段階では、UFO は単純に「神」と考えられる。 Jung, Carl Gustav. Ein moderner Mythus: Von Dingen, die am Himmel gesehen werden. 1958. ユング『現代の神話――空中に見られる物体について』松代洋一訳。
■ 寝取られた神 「見たまえ、わが輩の手を免れたものは一人もいないだろう。法王から靴屋に至るまで。 割当て分を差し出さなかった階級は一つもない」 ドン・トリビヨ、というのがこの友人の名前だったが、この男は目録をあらため、 それをドン・ファンに返しながら、勝ち誇ったように、こう言った。「完璧ではない!」 「何だって! 完璧でないって? 亭主どもの名簿にいったい誰が欠けているというのだ?」 「神だ」と、ドン・トリビヨは答えた。 Mérimée, Prosper. Les âmes du purgatoire. 1834. メリメ『煉獄の魂』杉捷夫訳。
■ 苦しみへのあこがれ だけど、ああ、やつぱりぼくは死ぬべき人間なのです。 あなたの愛は僕には強すぎます。 ~さまならいつもたのしんでばかりゐられよう。けれど ぼくは、變化にしたがふ人間なのです。 喜びばかりが心にかかるのではなく、 よろこびながら苦しみにもあこがれたいのです。 Wagner, Wilhelme Richard. Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg. I. 1843. ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』第一幕、高木卓訳。
■ 孤独な被造物 だが『失楽園』がもたらした感動は、それとも違ってはるかに深いものだった。 自分はそれを、手に入れたほかの書物ともども、本当の歴史として読んだのだ。 全能の神が被造物と戦を交えるというその光景が呼びおこしうる驚異と畏怖との ことごとくを、この書物はゆさぶった。自分はよく、似ているところが目につくたび、 状況のいくつかをわが身のそれに照らしてみた。アダムと同じで、自分もどうやら 世にあるどんな生き物ともつながる絆を持たないらしい。だがほかのあらゆる点で、 アダムの境遇は自分とまるで違っていた。彼は神の御手から創りだされた 完全無欠な生き物で、幸せに富みさかえ、創り主の格別の心遣いに護られている。 彼よりすぐれた生き物たちと言葉を交わし、知識をさずかることを許されている。 だがおれはみじめで、よるべもなくひとりぼっちだ。 Shelley, Mary Wollstonecraft. Frankenstein; or, the Modern Prometheus. XV. 1818. メアリ・シェリー『フランケンシュタインあるいは現代のプロメーテウス』第十五章、森下弓子訳。
■ アグリッパの女性優越論提要 イヴは〈生命〉を、アダムは〈土〉を意味する。女は男よりあとから造られたのだから、 男より完成されている。女はエデンの園で生まれ、男は外で生まれた。 水に落ちると、女は浮かぶが男は沈む。女はアダムの肋骨から造られたのであり、 土からではない。女の月経は万病を治す。無知なイヴは誤ったにすぎず、 罪を犯したのはアダムである。だから神は自らを男とされたのであり、 そもそも神が復活して姿を現わしたのは女たちの前である。 Beauvoir. Simone de. « Les faits et les mythes. » II, 4. Le deuxième sexe. I. 1949. ボーヴォワール「事実と神話」第二部第四章、『第二の性』第一巻、芝崎和美訳。
■ 土と乳から生まれた乙女 夢の中で、かれが神からもらった土塊を掌におき胸にあてると、 それは白い乳のしずくにぬれた。そして、小さな土塊だったけれど、 ういういしい乙女そっくりの女になった。 かれははげしい欲望にかられて愛の交わりを結んだ。 Απολλώνιος ο Ρόδιος. Αργοναυτικά. IV, 1734–1737. c. 275–245 BCE. アポッローニオス『アルゴナウティカ』第四歌第一七三四-一七三七行、岡道男訳。
■ 石に宿る命 まあ、今に人間が石に命を吹き込むような時が来るでしょう。 Ήρώνδας. Ασκληπιώι ανατίθεισαι και θυσιάζουσαι. c. 280–270 BCE. ヘーロンダース『アスクレーピオスに奉献し犠牲を捧げる女たち』高津春繁訳。
■ グレンデル母子 グレンデルの母親が、/女性の妖鬼が身の不幸を忘れかねていたのだ。/ 女怪は、カインが己れのただ一人の兄弟、/同じ父親から生まれた肉親を刃にかけて/ 亡き者にしてより後、恐ろしき水、/冷えわたる湖に棲む定めであった。 その時カインは、/罪に穢れ、人殺しの烙印を押されて、 人々の集い暮す喜びを棄てて逃れ、/曠野に住むこととなった。 運命のなせる業により、/彼から妖怪悪鬼の族が生まれ出た。 まどろみもせず/今や遅しと戦を待ちうけている勇士を ヘオロットに見出した/忌わしき堕地獄の敵グレンデルも、その一人であった。 Beowulf. XIX, 1258ff. c. 8c. 『ベオウルフ』第十九節第一二五八行以降、忍足欣四郎訳。
■ 創造者バルザック 氏は自分の作品に夢中になっているように、と先ほど私は言ったが、 実際に若い時から、氏は自分の作品から出たことがなく、その中に住みついていた。 氏があらゆる方面にわたって半ば観察し、半ば創造したあの世界、氏が生命を与えた あらゆる階級、あらゆる性質のあの人物たちが、氏にとっては現実の世界、 現実の人物たちと混同されているのだった。そして現実の世界や人物の方が、 もはや氏の作り出した世界や人物の色褪せた模写にすぎないようになっていた。 氏は実際に自分の作り出した人物に会い、彼らと話し、まるで自分の親友か 知人の親友であるかのように、何かにつけてそれらの人物を引用するのだった。 Sainte–Beuve, Charles–Augustin. Causeries du lundi. 2 septembre 1850. サント = ブーヴ『月曜閑談』一八五〇年九月二日、土居寛之訳。
■ エーテル性の流動体 バルザックは、やや粗放な想像力をもち、 眼に見えない事物に肉體を與える習癖をもっていたから、 われわれの觀念を有るがままに、まったく純粹に、靜觀することができなかった。 その主張するところによると、魂は電氣に類比されるエーテル性の流動體である。 Taine, Hippolyte. « Balzac. » VI, 1. Nouveaux essais de critique et d'histoire. 1865. テーヌ「バルザック」第六章第一節、『続批評史論集』瀬沼茂樹訳。
■ ある小動物の有用性 ある作品が他の作品よりもその作者に多くの労苦をかけ、 かつそれがより有用である場合に、その作品は他よりも上だといわれる。 しかるに、創造主にとって、太陽を作るほうが、高さ五尺そこそこのいっぱしの 理屈や屁理屈をいう小動物を捏ねあげるよりも手間がかからなかっただろうか。 この動物と、あれほど多くの天体を照らす太陽と、どちらが世界に有用であるか。 そして、脳味噌の中の若干の観念が、どの点で物質的宇宙よりもましだといえる値打があるか。 Voltaire. Remarques sur les Pensées de Pascal. LX. 1728. ヴォルテール『パスカル『パンセ』評註』第六十、林達夫訳。
■ 脳髄の正体 脳髄が水と土で出来ていることは、脳髄に起こる現象を見れば分かる。 すなわち、煮沸すると乾いて固くなり、熱によって水が蒸発して、土質の部分が残るが、 これはちょうど、豆類やその他の果実を煮沸した場合と同じことで、これらも大部分が 土質であるから、混入している水分が出てしまうと、やはり固くなり、土質になるのである。 Αριστοτέλης. Περί ζώων μορίων. II, 7, 653a20ff. 4c BCE. アリストテレース『動物部分論』第二巻第七章六五三a二〇以降、島崎三郎訳。
■ 以心伝心 これはいまから二十年ほど前のイタリア醫事新報に出てゐたことだが、シシリー島に ロッシ家といふ家族があつて、二人の姉妹がゐた。姉は北イタリアのガルダ湖畔の リバの農家へ嫁ぎ、妹は島へ殘つてマルラサの大工の妻となつた。この姉妹はたいへん 仲のよい間柄だつたので、三百五十里も別れわかれに住まねばならぬことになつて 共に嘆き悲しんだ。ところが、マルラサの妹のはうがある日姉を想ふあまり、 記念に貰つた姉の衣裝に着替へ、頭飾りも姉のものをつけ、さてどんな姿になつたらうか と姿見の前に立つた。ところがまるで姉が鏡の向かうに立つてゐるとしか考へられない。 その時不思議な聲に呼びかけられたやうな氣がした。姉が、街に買ひ物に出たところ 美しいレースを賣つてゐる店があつたので、これを妹のところへ送つてやらう ――と言つてゐる聲が聞こえた。これは氣のせゐだと思つてゐたところ、 程經て姉から同じ文句の手紙と紛ふかたなきレースとが屆いた。 これがきつかけとなり、姉と妹は三百五十里隔たつて互ひに相手の心が讀めるやうになつた。 海野十三『盜まれた腦髓』第七章、1933年。
■ ひろわれた心 わたしは心を一つひろつた、 わたしは心を二つひろつた、 わたしは心を千もひろつた。 ――お見せ! わたしは戀をひろつた、 それは皆のものだ。 道の上、どこにでも、 戀人よ、 道の上、どこにでも。 Fort, Paul. J'ai des p'tites fleurs bleues. 1897. フォル『私は青い花を持っている』第三聯、堀口大學訳。
■ レースとガーゼで ジョゼフィーヌ、ジョゼフィーヌ! 覚えていますか? 時々きみに言いましたよね。 自然はぼくに強く決然たる心をつくってくれ、きみはレースとガーゼで縫いあげたのだと。 Napoléon Bonaparte. Lettre à Joséphine. 30 mars 1796. ナポレオン・ボナパルト『ジョゼフィヌへの手紙』一七九六年三月三十日付、平岡敦訳。
■ 拠りどころは心 「それでは精液は何を拠りどころとするか」「心を。それゆえに(父に)似て 生まれた者のことを『まるで(父親の)心からぬけ出したようだ』『(父親の)心から つくり出されたようだ』と人々はいうのである。すなわち、精液は心をこそ拠りどころ としているのである」「まったくそのとおりだ、ヤージニャヴァルキヤ殿」 बृहदारण्यक उपनिषद्. III, 9. c. 6c BCE. 『ブリハッド = アーラニヤカ・ウパニシャッド』第三章第九節、服部正明訳。
■ 盃 仕合はせなものよ、もしやあの妓が/私の唇に唇をさしそへ、/ たゞ一息に このたましひを/飮み干して くれさへしたら。 Μελέαγρος. 1c BCE. [Anthologia Graeca. V, 171.] メレアグロス、呉茂一訳。
■ 魂の分割 更に又、舌をペロペロ出して、尾を長く引く、体の長い蛇の胴体を 君が刃物で幾つかの部分に断ち切ってみようという気を起した場合、 輪切りにしたすべての部分が、傷の新しい間は、夫々別々にもがき、 地上に血を散らし、前方の部分は振り返って己れ自身に噛みつこうとし、 苦しまぎれに烈しく噛みつくことによって 傷の与える苦痛を押えつけようとするのを君は見るであろう。 すると、これらの部分々々の各々に、全魂があると云えるであろうか? 然し、こういう見方からすれば、一個の生物にはその体内に幾つかの魂を持っている、 ということになる。 であるから、以前は唯だ一つのものであった魂が、肉体と共に分割されたまでである。 Lucretius Carus, Titus. De Rerum Natura. III, 657ff. 1c BCE. ルクレーティウス『事物の本性について』第三巻第六百五十七行以降、樋口勝彦訳。
■ 魂のための器官 私たちが行う解剖研究には多くの神秘的な哲学が含まれており、異教徒をも神の下に 引き戻している。だが、人体の構造に認められる珍しい発見や興味深い事柄のうち、 私が何にもまして満足を覚えるのは、理性を備えた魂のための器官や道具が 見あたらないことである。理性の座と称される頭脳にも、獣の頭蓋に見出せる以上に 重要なものは含まれてはいない。この事実は、少なくとも私たちが通常受けとめる 意味において、魂が器官を持たない実態を示すはずの合理的で考慮に値する論拠となる。 このようにして、私たちは人間として生きている。しかも、いかなる方法によるのかは 不明であるが、私たちの内には何ものかが宿っている。それは私たちの外においても 存在できるばかりか、私たちの死後も生き続けるであろう。ただ奇妙な話ではあるが、 その存在は、私たちの誕生以前にそれ自身が何であったのかを記した歴史を 持たないばかりか、いかにして私たちの内に入ったのかを伝えることもできはしない。 Browne, Sir Thomas. Religio Medici. I, 36. 1643. トマス・ブラウン『医師の信仰』第一部第三十六節、生田省悟・宮本正秀訳。
■ おびやかすべからず 人の魂というものは、とても無口なものなのだ…… 人の魂というものは、独りで、そっと、立ち去るものだ…… Maeterlinck, Maurice. Pelléas et Mélisande. V, 2. 1892. メーテルランク『ペレアスとメリザンド』第五幕第二場、杉本秀太郎訳。
■ 四大精霊と魂 私たちも姿やからだから、やはり人間と言っていますけど、私たちの方が、 他のあなたがたのような人間より、ずっと幸福になれるのかも知れませんわ。 だけどそれにはひとつ、本当によくないことがありますの。 私たち水の精にしても、また土や風や火の中にいる私たちの同類にしても、 心もからだも微塵になって滅んでしまいますから、この世には何の跡形も残りません。 あなたがたはいつかは魂だけの浄らかな生活にはいりますが、私たちは死んでしまえば、 跡には砂や火花や風や波が残るばかりです。つまり私たちには魂というものがないのです。 Fouqué, Friedrich de la Motte. Undine. VIII. 1811. 1814. フーケ『ウンディーネ』第八章、柴田治三郎訳。
■ 永遠の不幸 何故お前は魂を持たぬ獣に生れて来なかったのか? 或いは、何故お前の持っているこの魂は不滅なのか? そうだ、かのピタゴラスの輪廻説、もしもあれが本当だったなら、 この魂は俺の軀から脱け出し、俺の方は何か卑しい 獣に生れ変れる筈なのだ。獣共は悉く幸福という訳だ、 というのは、彼等の死するや、 その魂は直ちに融けて、四元に帰って行くからな。 ところが、軀が死んでも、俺の魂は生き続け、地獄の責苦を受けねばならぬのだ。 おお、俺を生んだ親達に呪いあれ! Marlowe, Christopher. The Tragical History of the Life and Death of Doctor Faustus. V, 2 (XIX), 172–180. c. 1592. 1604. 1616. マーロウ『フォースタス博士の悲劇的な生と死の物語』第五幕第二場第百七十二–百八十行、千葉孝夫訳。
■ 不滅の名 そうさ。おまえの名もだ。あのかたに對して犯した罪惡のために、 不滅の名をもらったことを、おまえは得意になるがいいさ。 見知らぬ國で、未來の人間たちのあいだで、 今はまだ生れていない幾世紀というものが、 もはや時間という墓場へ入ってしまった頃になっても、 まだ一人一人の口から、――この歌を歌ったのは ザッフォオという女だった、そしてそのザッフォオを殺したのは、 ファオンという男だった――と、そういう聲が響きわたるだろうよ。 Grillparzer, Franz. Sappho. V, 4. 1818. グリルパルツァー『ザッフォー』第五幕第四場、實吉捷カ訳。
■ 一切を包含する瞬間 ゥの現象がどんな場合に於いても互に絡み合つてゐるところから、 現象一つひとつの上には、いきほひ他のすべての現象の重みが加はつてゐる。 したがつて、宇宙の各部分は、いかなる瞬間に於いても、嘗つて存在した一切、 現に存在する一切、將來に於いて存在すべき一切を約めた姿だと見做されうる。 世界が其の一々のあらはれに於いても其の全體に於いても永遠だと言はれうるのは、 まさにこの意味に於いてである。 Bourget, Paul. Le disciple. IV, 1. 1889. ブールジェ『弟子』第四章第一節、内藤濯訳。
■ 永遠の長さ 永遠は人生よりもそんなに長くはない。 Char, René. Feuillets d'Hypnos. n° 110. 1946. シャール『眠りの神のノート』第百十番、安藤元雄訳。
■ 時計 私の胸にもたれかかり 肉の壁に耳をおあて。 お聽き、これが時計だ。 針と齒車とは、いつまでも、 戀と思ひの時刻を、 示す仕掛になつてゐる。 Gourmont, Remy de. La montre. 1912. グールモン『時計』堀口大學訳。
■ 少女と老女 僕はすべてのものを愛するが、とりわけ惱めるものを愛する。美しい若い少女と そのお祖母さんとでなら、僕はお祖母さんの方を餘計愛する。それは彼女が年老い、 惱んで居り、間もなく死なうとしてゐるからだ。僕はお祖母さんの方を餘計愛する。 それは既に君に言つたやうに、僕の心が、善良さといふものがすべてを越えて 支配してゐるところの高い世界に住むやうになつたからだ。 Philippe, Charles–Louis. Lettres de jeunesse. XXI. 11 novembre 1897. 1911. フィリップ『若き日の手紙』第二十一書簡、外山楢夫訳。
■ 花束 そこで何しているの 幼ない娘よ 手折ったばかりのその花々を手にもって そこで何しているの 若い娘よ その花を 凋れたその花々を手にもって そこで何しているの きれいな女よ 色あせたその花々を手にもって そこで何しているの 年老いた女よ 枯れ果てたその花々を手にもって 私は待っています 征服してくれる人その人を Prévert, Jacques. « Le bouquet. » Paroles. 1946. プレヴェール「花束」『ことば』窪田般彌訳。
■ 四十にして全てを見る さらに理性は、宇宙全体とそれを取り巻く空間を経回り、その形姿を考察し、 永遠の時のかなたにまでひろがり、万物の周期的再生を把握し、それを探索して、 われわれよりのちの人々とて、われわれの知らぬ新奇なものを見ることはなく、 われわれより以前の者も、われわれの見たもの以上は目にしなかったこと、を観想する。 そして、四十歳にもなった者は、わずかなりとも知性をもっているかぎり、 ある意味では、すでに起こったことやこれから起こることを、その同質性のゆえに、 全部見てしまっているということ、を観想する。 Marcus Aurelius Antoninus Augustus. Τα εις εαυτόν. XI, 1. c. 180. マルクス・アウレーリウス『自分自身に』第十一巻第一章、鈴木照雄訳。
■ 長寿の薬味 あっしが料理したものを/たべてりゃ二百年位/生きのびるなあ受合だ。/ あっしが皿にキキレンドルムや/ケポレンドルムやマッキスや/ セカプティスなどをいれたらば/たちまちすぐに、ひとりでに/煮えはじめるんだ。 これこそは/かのネプテューンの飼い馬達の/薬味なんだぞ。この地上の/ 家畜の味附は、キキマンドゥムや/ハパロプスィスやカタラクトリア/でやるんです。 Plautus, Titus Maccius. Pseudolus. III, 1. 191 BCE. プラウトゥス『プセウドールス』第三幕第一場、鈴木一郎訳。
■ 長寿は無益 私たちは、つねに改めるところが、かくも少ないのに、長生きしたところで何の役に立つのか。 Thomas à Kempis. De imitatione Christi. I, 23, 2. c. 1410–1441. トーマス・アー・ケンピース『キリストの模倣について』第一巻第二十三章第二節、大沢章・呉茂一訳。
■ 死んだほうがまし 悪しき生を送るよりも、生きていないほうがましではないか。 Κριτίας. fr. 12. c. 5c BCE. [Στοβαίος. Ανθολόγιο. IV, 53.] クリティアース、断片第十二、逸身喜一郎他訳。
■ 自死は賢明かつ聖なる行為 あなたは人生のすべての義務に応じることができず、他人にたいして重荷になっており、 自分自身にも耐えがたい身で、すでに死すべき時をこえて生きているのだから、 これ以上、疫病や、伝染病を培養し続けようとは考えずに、生命が自分にとって 苦悩になったいま、死ぬことをためらわず、楽しい希望をもって、ちょうど牢獄や 拷問の責めからのがれるように、自分で自分をこの苦しい生から解放するか、 または自発的に他人に頼んで解放してもらうかするのがよくはないか、と。 それは、死によって喜びでなく苦痛を終わらせることなのだから、賢明な行為であり、 また、神の意志の解釈者たる聖職者の忠告に従うことなのだから、 敬虔で聖なる行為にもなろう、と言い聞かせます。 More, Sir Thomas. De optimo rei publicae statu deque nova insula Utopia, libellus vere aureus, nec minus salutaris quam festivus. II, 7. 1516. 1518. モーア『社会の最善政体とユートピア新島についての楽しいと同じほどに有益な黄金の小著』第二巻第七章、沢田昭夫訳。
■ ボタン穴につけられた自死 「自殺をボタン穴にくっつけながらうろつき回っているような男を、 制止することができるものならやってみたまえ」。 Guillon, Claude, et Yves le Bonniec. Suicide, mode d'emploi. VII. 1982. ギヨン & ル・ボニエック『自殺――実行の手引き』第七章、五十嵐邦夫訳。
■ ミレートスの娘たち 娘たちは突如として死に憧れ、ひそかに縊死する者が多数に上った。 両親の涙ながらの言葉も、親しい人たちの諌めの言葉も無駄であった。 娘たちは見張りがどんなに監視してもこれを水泡に帰せしめたのであった。 だがついにある知恵者の提案によって公の決議が下された。 それは、縊死した者たちは裸にして広場を通って運ばれねばならない、 というものであった。その後この行為はぱったりやんだのであった。 Burckhardt, Jacob. Griechische Kulturgeschichte. V. 1898–1902. ブルクハルト『ギリシア文化史』第五章、新井靖一訳。
■ 物質的形態を捨てよ ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態が あるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、 そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。 Sutta Nipāta. V, 17, 1121. c. 3c BCE. 『スッタ・ニパータ』第五章第十七節第一一二一句、中村元訳。
■ 自己自身に戻る 自己自身を識ることができるものが、働きの面で自己自身に戻ることは、明らかである。 なぜなら、このばあいには、〈識るもの〉と〈識られるもの〉が一つであり、 〈識るもの〉の知識は、〈識られるもの〉としての自己自身に向けられているからである。 すなわち、この知識は、〈識るもの〉の活動であるから、或る種の働きであり、 自己自身を識るのであるから、自己自身に向けられているのである。 しかし他方、自己自身を識るものが、働きの面で自己自身に戻ることができれば、 それは、すでに示されたように、実体の面でも、自己自身に戻ることができることになる。 なぜなら、すべて働きの面で自己自身に戻ることができるものは、 また、〈自己自身に集中して自己自身の中に居を定めている実体〉 を持っているからである(命題 四四)。 Πρόκλος ό Διάδοχος. Στοιχείωσις Θεολογική. LXXXIII. 5c. プロクロス『神学綱要』命題八十三、田之頭安彦訳。
■ 雲の上の讃美歌 「わしには天国が好きだなんておよそ思えそうもない、」と老人は言った。 「しめっぽい雲の上に坐りこんでただ讃美歌を歌っていたりするより、 われわれにはも少し気のきいた生き方がありそうに思えるが。」 Morris, William. News from Nowhere, or, an Epoch of Rest: Being Some Chapters from a Utopian Romance. XXII. 1890. モリス『ユートピア便りあるいはやすらぎの一時代――ユートピアン・ロマンスからの幾章』第二十二章、松村達雄訳。
■ 完全なる美の創造 僕は自分のなかに、創造主の力を感じる。なぜなら僕が創造主なのだから。 僕はすべての物体を自分の手に摑んで、それをもっと完全なもの、 もっと持続的なもの、もっと美しいものにつくり変えてみたい…… すべての被造物、すべての生きものが幸福になったところを見てみたい、 苦痛なしに生まれ、悩むことなく生活し、しずかな喜びのうちに死んでいく! イヴ、きみは僕といっしょに死んでくれるかい、今、この瞬間に。 なぜって、次の瞬間にはまた苦痛が襲いかかってくるんだからね? Strindberg, Johan August. Till Damaskus. I, 4. 1898. ストリンドベリ『ダマスカスへ』第一部第四景、岩淵達治訳。
■ 美容術 君は/鬘を買い/白粉を買い/蜂蜜膏を買い/クリームを買い/入れ歯を買つたが/ それだけ金を使うなら/顔だつてそつくり買えたのに! Λουκίλιος. 1c. [Anthologia Graeca. XI, 310.] ルーキリオス、沓掛良彦訳。
■ 美しい人から逃げるべし 君は美貌芳齢と呼ぶこの動物は蠍よりもはるかに恐ろしいもので、蠍は触れることを 要するが、この動物は触れないでもこれを見ただけで、どんな遠くからでも 何かを発射してよこし、たやすく気を狂わせるのを知らないか。〔おそらく愛の神が 弓取りと呼ばれるのは、美貌が遠くからでも傷を負わせるからであろう。〕 だがね、クセノフォーン、わしは君に忠告しよう、いつでも美しい人を見たら一目散に 逃げることだ。それからクリトブーロス、君には一年間外国へ行くように忠告する。 Ξενοφών. Απομνημονεύματα. I, 3, 13. 4c BCE. クセノポーン『追想録』第一巻第三章第十三節、佐々木理訳。
■ 美の源泉 私は確信する。――諸君が他日もし文学者として、ある種の超自然的題材―― 恐ろしい、あるいはやさしい、あるいは哀れな、あるいは勇壮な題材を扱かうばあい、 諸君が人並すぐれた想像力の持主なら、創作の感興を求めるのに、 けっして書物にはたよらぬがよい。それより、諸君自身の夢の生活にたよりなさい。 夢を細心に研究して、そこから感興をひきだしなさい。 日常生活の「彼方」にあるものを扱かう文学では、夢はあらゆる美しいものの源泉である。 Hearn, Lafcadio. The Value of the Supernatural in Fiction. 1915. ハーン『小説における超自然の価値』平井呈一訳。
■ 美と遊ぶ したがって理性はまた、こういう要求をかかげるのです。 「人間は美ともっぱら遊ぶべきであり、また美とだけ遊ぶべきである」と。 それというのも、結局一遍に打明けて言ってしまえば、人間は言葉の完全な意味で 人間であるときにのみ遊ぶのであり、遊ぶときにのみ全き人間なのです。 Schiller, Johann Christoph Friedrich von. Über die ästhetische Erziehung des Menschen in einer Reihe von Briefen. 15. Brief. 1795. シラー『人間の美的教育について ―― 一連の書簡』第十五書簡、石原達二訳。
■ つねにあそびとして 日本語はいまでもまだ、遊びの発想を「遊ばせ言葉」、つまり上品な話し言葉として 保ちつづけている。これは身分の高い人々相互の会話に使われるものだが、 これについては、高貴な人々はその行うすべてのことを、つねにあそびとして、 あそびながらやっているのだ、というように理解できよう。「あなたは東京につく」 の鄭重な形は、文字どおり「あなたは東京におつき遊ばします」である。また、 「私はあなたの父上が亡くなられたと聞きました」に対しては、「私はあなたの父上が お亡くなり遊ばしたとうかがいました」である。この表現方法は、私の見るところが 正しければ、ドイツ語の「陛下は畏くも……遊ばし給えり Seine Majestät haben geruht.」 やオランダ語の「どうぞ……遊ばして下さい U gelieve.」に近い。 畏れおおく仰ぎ見られる高貴の存在は、ただみずから進んであることを遊び給う というそのことが、ある行為をなし給うことなのだ、というわけである。 Huizinga, Johan. Homo Ludens: Proeve eener Bepaling van het Spel-element der cultuur. II. 1938. ホイジンハ『ホモー・ルーデンス――文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』第二章、高橋英夫訳。
■ ラテン語をあやつる熊 コハノフスキーが用心しながら檻に近づいてゆくと、なんと驚いたことに人間の話し声が 聞こえてきたが、檻の中をそっと覗いてみたからには、そのラテン語の話し声が頑丈な 鉄格子の中にいる熊の口から発していることは、もう疑うことができなくなった。 肝をつぶして後じさった執達吏はあわてて十字を切ると、ほうほうの体で逃げ出した。 事実、ルボミルスカ侯爵夫人の飼っていたのは、凡庸な森の住人とは似ても似つかぬ、 たいへんに教養の高い、学識豊かな熊だったのである。 Sacher-Masoch, Leopold von. Die Bären der Fürstin Lubomirska. 1907. ザッハー = マゾッホ『ルボミルスカ侯爵夫人の熊』池田信雄訳。
■ 虚偽のための虚偽 というのも、虚偽こそ、倍加された神秘であり、厚さをましたヴェールであり、 あらゆる犠牲を払ってつくりあげられる闇だからです! おそらくこうした生物は、 ポーランド人が戦いを愛するごとく、人が芸術のための芸術を愛するごとく、 虚偽のための虚偽を愛するのでしょう。――(ベラッセ医師が重々しくうなずいて 賛同の意をしめすと)――そうお思いでしょう? むろん私もそう思うのです! 偽ることに幸福を感じる魂があるのだ、と私は確信していますよ。 嘘をつき、人を騙しているのだと考えること、また、「自分ひとりだけが自分自身を 知っている」と思うことには、恐ろしい、しかし、とろけるような至福があるのです。 Barbey d'Aurevilly, Jules. Le dessous de cartes d'une partie de whist. III. 1874. バルベー・ドールヴィイ『ホイスト勝負の札の裏側』第三章、中条省平訳。
■ 流言のクレッシェンド まず最初はかすかな音が、嵐のまえの燕のように地をなめるように、 「最も弱く(ピアニッシモ)」で、ささやき、流れ、みちみち毒矢を播いていきます。 だれかの口がそれを拾いあげます。そして、「弱く(ピアノ)」で、 「弱く(ピアノ)」で、ひとびとの耳に巧みにそれを流し込むのです。 これでもうわざわいは根をおろしたのです、やがて芽を出し、這い、歩きます。 そして、「しだいに強く(リンフォルツァンド)」で、口から口へと悪魔のように 伝わっていきます。それから突如、どういうぐあいにだか、流言が立ちあがり、うなり、 膨張し、みるみる拡大します。そして突進し、一段と大きく飛躍し、渦を巻き、抱き込み、 根こきにし、引きずり、爆発し、雷鳴となり、はてはめでたく全体的の叫び、 公衆の「声音漸加(クレッシェンド)」、憎しみと排斥との総員の「合唱」となるのです。 Beaumarchais, Pierre–Augustin Caron de. Le barbier de Séville ou la précaution inutile. II, 8. 1775. ボーマルシェ『セヴィリャの理髪師あるいは無益の用心』第二幕第八場、進藤誠一訳。
■ ピュータゴラース派の Y この世は一つの道であるか、もしくはピュタゴラスの文字 Y のように岐路なのです。 その左の道は広く、右側は狭いです。広い道は悪徳の道であり、狭い道は徳の道です。 若者よ、注意したまえ、ヘラクレスにならいなさい! 左側を去って悪徳を避けなさい。 Comenius, Johannes Amos. Orbis sensualium pictus. CIX. 1658. コメーニウス『世界図会』第百九章、井ノ口淳三訳。
■ ブラヴァツキーの π 周知のように著作の一部を一見さりげなくしかし実は積極的な意味を含めて書き下した H・P・ブラヴァツキーについて、ある口の悪いエピソードが語られている。 あるとき彼女がひどく絶望したような面持ちで友人たちのところへやってきて言うには、 「今日はとてもいやな日でした。心のなかの声に、いろいろと、なにを言っているのかは よくわからないのですが、ともかくなにか意味のあるらしいことを命令されたのです。 するとだんだんになんだかパイみたいなものが間に入ってきて、パイ(Pie)という 言葉がはっきりと聞きとれました。」 Bernoulli, Rudolf. Zur Symbolik geometrischer Figuren und Zahlen. I. 1934. ベルヌーリ『幾何学的形像ならびに数の象徴表現のために』第一章、種村季弘訳。
■ 両性具有 言葉は髯と女陰とを 私は乳房と男根とを 同時に 無数に 備えている 高橋睦郎『畸型の舟』二、1994年。
■ 三性 文法学者の娘が男と添寝したら/男性、女性、中性の子が生まれたそうな。 Πάλλαδας. 4c. [Anthologia Graeca. IX, 489.] パッラダース、沓掛良彦訳。
■ 三つの単語 今日は、誰も、一度も私の扉を叩きませんでした。おかげで心臓がどきどきしないで すみました。でも、あなたの名前を聞いたような気がした瞬間が何度かありました。 そのたびに、違うことがわかるたびに、ひどくがっかりしてしまいました。 矛盾や、気持ちとは裏腹の行動がたくさんあります。それは本当です。 でも、それはすべて次の三つの単語で説明がつくのです。 ‹je vous aime. (あなたを愛しています)› Lespinasse, Julie de. Lettre à Guibert. 13 novembre 1774. ジュリ・ド・レスピナス『ギベール宛書簡』1774年11月13日付、松本百合子訳。
■ 三十台のタイプライターと三十人の女たち ブロンドの男がふとい腕をひと振りすると、コロトコフの目の前の壁が崩れ落ち、 机の上の三十台のタイプライターが金属音を響かせてフォックス・トロットの曲を 演奏しはじめた。タイプライターに向かっていた三十人の女たちは、腰を揺すり、 エロチックなポーズを作って肩をすぼめ、クリーム色の両脚を高く上げ、 汗びっしょりになりながら、机の周囲をパレードのように整然と歩きはじめた。 白い蛇のような用紙がタイプライターの口のなかに這い込み、身をくねらせ、裁断され、 縫い合わされた。すみれ色の縦縞の縫い取りのついた白いズボンが這い出てきた。 Булгаков, Михаил Афанасьевич. Дьяволиада. IX. 1925. ブルガーコフ『悪魔物語』第九章、水野忠夫訳。
■ ベアトリーチェと奇蹟の九 しかしなほ深く考へ、且また誤りのない眞理に照してみると、この數は彼女自身 であつたのである。といふのは比喩としてであつて、それを私はかう解してゐる。 三といふ數は九の根である。なぜなれば、三三が九といふことを誰しも明かに 認めるやうに、これはほかのどの數をもまじへずにそれだけで九となるからである。 それゆゑ、三がそれだけで九の因子であり、ゥの奇蹟の因子がそれだけで三、 即ち三にして一にいます父と子と聖靈とであることより見れば、 この婦人がこの九の數に伴はれたのは、彼女が一の九、即ち一の奇蹟 (その根即ちその奇蹟の根はたゞ靈妙な三一である)であつたことをあらはす爲であつた。 Dante Alighieri. La vita nuova. XXIX. c. 1293. ダンテ『新生』第二十九章、山川丙三郎訳。
■ ダンテと無断挿入句 ある日このダンテは気晴らしにフィレンツェ市のさる所へでかけたが、当時の習慣どおり、 喉当と腕当を着けてゆくと、がらくたを積んで前をゆく一人の驢馬引きに出会った。 この驢馬引きは驢馬どもの後を追いながら、ダンテの詩を歌っていた。 そして一くだり歌ってしまうと、驢馬を打って「はいシッ、はいシッ」といった。 ダンテはこの男に突き当たってゆき、腕当をふるって相手の肩をどかんとぶんなぐった、 「そんなはいシッはいシッなんてそこへ挿まなんだぞ、おれは」といいながら。 Sacchetti, Franco. Il Trecentonovelle. CXV. c. 1399. サケッティ『短編小説三百篇』第百十五話、杉浦明平訳。
■ 読書と記憶 そこで、Bという本を二、三頁前から読み始め、指定された頁をすぎ、次の頁を開くと、 そこには、K教授に質問しようと思って、別紙へ書きつけたラテン語文が ちゃんと出ているし、何たることであろうか、いつ書きこんだものか判らぬが、 僕の筆跡で、そのフランス語訳が余白に鉛筆で記されていたのである。 僕の心臓は、若々しく高鳴り、文字通り、貪るようにして、昔書きこんだ訳を読んだ。 すると、前に棚上げをして通過した箇所も何とか判るように、全く霧がはれたような、 奥歯にはさまっていたものがとれたような、すがすがしい気持になった。 しかし、仮綴じがこわれかけたBという本を撫でながら、「己は昔この本から、 一体何を読みとっていたのであろうか?」と自分に問いかけざるを得なかった。 昔読んだことを全く忘れているのである。読まないのと全く同じ結果になっているのである。 僕は、ペンを棄て、机の周囲に重ねられた書物を一わたり眺めながら、 何ともいえぬ白々した気持と不安とに襲われた。 渡邊一夫「本を読みながら ―― 一九五五年」『白日夢』1973年。
■ 恋愛上の注釈 恋のおかげで得た知識は、ホラーティウスやウェルギリウスの、以前は不明であった 多くの個所に光を投げてくれずにはおかなかった。アイネーイスの第四巻には 恋愛上の注釈さえ試みた。いずれ発表する日もこようが、世人はきっと喜ぶものと 私は自負している。《ああ!》と、私はこの注釈と作成しながら、思った。 《あの忠実なディードーに必要だったのは、ぼくのような心だったのだ》 Prévost d'Exiles, Antoine François. Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut. I. 1731. プレヴォ『シュヴァリエ・デ・グリュとマノン・レスコーの物語』第一部、青柳瑞穂訳。
■ ホラーティウスの目撃証言 バッコスをわたしは見た、遠い岩山にありて讃歌を教えているのを ――後の世の人よ、信じたまえ―― また、そを学ぶ水の精らと、 耳立てて聴く山羊の足せるサテュロスらを――。 Horatius Flaccus, Quintus. Carmina. II, 19, 1–4. c. 23 BCE. ホラーティウス『カルミナ』第二巻第十九歌第一–四行、藤井昇訳。
■ ホメーロスとホラーティウスの愛読者は奇妙 私は、ホメロスあるいはホラチウスを趣味によって、選択によって、天性によって読む人、 そして単にそれが彼らでありまたそれが彼であるという理由によって 彼らを好むところの人のことを考えているのである。それはかなり奇妙な、 のみならずほとんど常に全く魅力のある、しかも実際かなりに奇妙な人である。 Faguet, Emile. L'art de lire. III. 1911. 1923. ファゲ『読書術』第三章、石川湧訳。
■ ヘーラクレイトス曰く ホメロスは天文学者。 Scholia in Homeri Iliadem, ad XVIII, 251. [H. Diels & W. Kranz. B105.] 『ホメーロス『イーリアス』第十八歌第二百五十一行へのスコリア』廣川洋一訳。
■ 宇宙空間にあいた薔薇型窓 したがって宇宙は空間のただ中に抛り出された蕪みたいな大雑把な塊りなんかではなくて、 その凹みや突起や断面の一つ一つに空間とまた我々がたどって来た線のへこみや膨らみや ぎざぎざが照応している角ばった突起の多い形だと見なされなくてはならなかった。 とはいえ、これでもまだひどく図式的なイメージであり、何やら壁面の滑らかな固体、 多面体の組み合わせ、水晶の塊りを相手にしているというようだった。実際には、 わしらの動いていた空間とは、透かし編みのレースのようで、四方八方へと尖塔や小尖塔 を放射させ、そのそれぞれには丸屋根や手すりや廻廊の間をそなえ、二連式、三連式の窓、 薔薇型窓があいているという具合であり、わしらはまっすぐ下へ落ちてゆくとばかり 思えていたのだがその実は目にみえない縁飾りや型取りの周囲にそって滑っていた のであって、ちょうど蟻の群れが都会を横断してゆくのに街路の敷石の上でなく壁やら 天井やら軒蛇腹やらシャンデリアやらをつたってゆく道すじをたどるみたいなものだった。 Calvino, Italo. «La forma dello spazio.» Le cosmicomiche. 1965. カルヴィーノ「空間の形」『レ・コスミコミケ』米川良夫訳。
■ 何もない空間 三十本の輻が、車輪の中心(轂)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。 粘土(埴)をこねて、容器をつくる。その何もない空間に容器の有用性がある。 戸口や窓(牖)の穴をあけて、家をつくる。その何もない空間に家の有用性がある。 こうして、何かが有ることから(もちろん)利益を受ける。 (だが実は)何もないことの有用性(が根本に在るの)である。 伝 李耳《老子道コ經》上篇第十一章,c. 5c BCE。c. 2c BCE。小川環樹訳。
■ ガラスの目玉の fée すべての機械は未知の宇宙式を実験的に観測するために地上に配置された ガラスの目玉に似る。機械が不思議なもののように見えるのは、 そこに宇宙の神秘の影がちらちらするせいだろう。神秘は宇宙の側にあって、 機械の中には無い。宇宙の法則がまた一つ判明すれば、ガラスの目玉はまた あらたに磨かれなくてはなるまい。それが絶対的には信ずべからざる仕掛なるがゆえに、 機械は文明の力である。機械は人間にむかっておれを信じろといってはいない。 便利なおれでさえこのとおりの始末なのだから、なにものをもあまり鵜呑みにしない ほうがよかろうと、ささやいているだけのことである。合理主義の迷蒙は、 それがガラスの目玉の fée を、すなわち機械的運命論を信じたがっているところにある。 それゆえに、これは機械とは関係の無い恣意の機械的形而上学である。 石川淳「技術について」『夷齋筆談』1951年。
■ 盆の上の黄道十二宮 というのも、円形の盆の上に黄道十二宮の絵が配置され、その上に皿飾り職人が それぞれの宮にふさわしい固有の素材で作った食物をおいていたのだ。 つまり、白羊宮の上に外形が牡羊の頭に似たエジプト豌豆。金牛宮の上には一片の牛肉。 双子宮には牛の睾丸と腎臓。巨蟹宮には花環。獅子宮にはアフリカ産の無花果。 処女宮には子を産んだことのない牝豚の子宮。天秤宮には一方の皿にチーズ・タルト、 他方にはビスケットののった秤。天蝎宮には笠子。射手宮にはオクロペタ。 磨羯宮には海ざりがに。宝瓶宮には鵞鳥。双魚宮には二尾のひめじがのっていた。 まん中には草の生えた芝土を切りとって置き、その上に蜜蜂の巣がおいてあった。 Petronius Niger (Arbiter), Titus. Satyricon libri (Satyrica). XXXV. 1c. ペトローニウス『サテュロスたちの物語の巻(サテュリカ)』第三十五章、國原吉之助訳。
■ 羊の如き物 一、同九月廿日の夜、夢に云はく、大きなる空の中に羊の如き物有り。變現窮り無き也。 或るは光る物の如く、或るは人軆の如し。冠を著け、貴人の如く、忽ちに變じて 下賤の人と成り、下りて地に在り。其の處に義林房有り、之を見て之を厭ひ惡む。 豫之方へ向ひて將に物云はむとす。豫、心に思はく、是は星宿の變現せる也。 明惠『明惠上人夢記』承久2年(1220年)9月20日。
■ 空の火の節約 もし仮に、同じ強さの火がすべての星座のすべての部分を燃やしているのなら、 宇宙はそうした大火に耐えることができないだろう。 自然は空の火を節約することで、自分自身を傷つけないよう注意しているわけである。 あまりの重荷に押しつぶされることを恐れた自然は、おおよその星座の形を定め、 確かな目印でそれを私たちに知らせるだけで満足した。 Manilius, Marcus. Astronomicon libri quinque (Astronomica). I. c. 1c. マーニーリウス『アストロノミコーン五書(アストロノミカ)』第一巻、有田忠郎訳。
■ カーモール王の盾に輝く星たち 曇りのない瞳のケン・マーハン星 雲間から耀き出るクール・ジァールサ星 霧に包まれたユール・ウィハ星 岩の上に光るクーン・ハーリン星 西方の青い浪の上に半ば水に隠れて光るレール・ドゥアラ星 山の燃える目のようなベール・ヘーナ星は狩人が獲物の 高く跳ねるのろ鹿をかついで、草に露のおいた夕暮の谷路をゆくとき 丘の森をとおして狩人のゆっくりとした足どりを見おろしている星 Oisín, and Malmhìna, attrib. «Tighmora.» VII. Dàna Oisein Mhic Fhinn. c. 3c? Trans. and Ed. Seumas Macmhuirich. 1760s. 伝オシーン & マルヴィーナ「タイモーラ」第七歌、『フィンの息子 ダーナ神族のオシーン(オシェン)』S・マクヴーリヒ編、中村徳三郎訳。
■ 月上の姮娥 白い兎は仙薬を擣いて、無限の春と秋を繰り返す。 美しい姮娥はたったひとり棲んで、いったい誰と親しむのか。 今の世の人は、古き世の月を見たことはないが、 今の世の月は、かつて古き世の人を照らしたのだ。 李白《把酒問月》9–12,8c。松浦友久訳。
■ 長き翼もつ月女神 この女神の不死なる頭より天上のものなる光出で、 地に拡がれば、眩しくきらめく光の下に 大いなる美しさが生じて漲り、 光なき空気は黄金の冠により燦として輝く。 神々しきセレーネーが、玉の御肌を オーケアノスの流れで清めたまいて、 遥けき方まで光とどく衣まとわれ、 月も半ばの黄昏時に 力強き首もつ輝ける若駒を繋ぎ、 たてがみ美しき馬ども駆って急ぎ馳せ行きたまえば、 光は昼をあざむくばかりにまばゆく輝く。 «Εις Σελήνην.» c. 2c BCE? Ομηρικοί Ύμνοι. XXXII. 「セレーネーに」『ホメーロス風讃歌』第三十二歌、沓掛良彦訳。
■ 月を食うアスラ 偉大な人が供養するものを/劣った人は馬鹿にする。/ シヴァ神の頭の飾りである月を/アスラは食べ物にする。 Kun dga' rgyal mtshan. Legs par bshad pa rin po che'i gter. VI, 241. 13c. クンガ・ゲルツェン『貴い格言の蔵』第六章第二百四十一句、今枝由郎訳。
■ 月はけっして終らぬであろう 月の満ち欠けにもかかわらず、たぶんそれが連続するために、というのもそこに 彼らは永遠の運動原理を見たからだが、彼らは月を永遠の事物に数え入れた。 月は消える、ふたたび明るむために。月は死ぬ、再生するために。 とこしえにこうであろう、物質を支配している法則に従って。 その法則においては、一切が変形し、何一つ亡びることはない。 Gauguin, Paul. Noa–Noa: Séjour à Tahiti. 1901. ゴーギャン『ノア = ノア――タヒチ滞在記』岩切正一郎訳。
■ 陽は沈んでも 太陽は、日々沈んでもまた/昇りもえよう/ が、私らの短い光のひとたび/沈めば、/ いつまでも明けぬ 一夜を/眠るほかないのだ。/ さあ接吻を千たびもおくれ、/それから百も、/ そいからもう千度、つづいて/また百度、/ それからもう千度まで、/それから百たび、/ そいで何千たびも やりすましてから、/そいつを/ みんなまぜつ返しちまはうね、/わからないやう、/ それにまた誰か 意地惡いやつが/やつかみもできないやう、/ そんなにまで接吻が たんとあるつて/わかつた時にも。 Catullus, Gaius Valerius. Ad Lesbiam. 4–13. Carmina. V. 1c BCE. カトゥッルス「レスビアに」『カルミナ』第五歌第四-十三行、呉茂一訳。
■ 太陽でさえも 去り際を飾ることを知れ。引き留められるうちに奥ゆかしく立ち去ることだ。 太陽でさえ、まだ明るく輝いているうちに雲に隠れてしまうと、 いつまた出てくるのだろう、早く出てこないものかと待ち望まれる。 Gracián y Morales, Baltasar. Oráculo manual, y arte de prudencia. CX. 1647. グラシアン『神託必携――処世の術』第百十番、加藤諦三訳。
■ 天に留められた太陽 神はシャルルマーニュの御為に大いなる奇蹟をあらわし、 しばし太陽を中天に留め給いたり。 [Turold(?)] La chanson de Roland. CLXXX, 2458–2459. c. 11c. [テュロルド(?)]『ロランの歌』第百八十章第二四五八–二四五九行、佐藤輝夫訳。
■ 真夜中の太陽 一つの山が海から突き出ているのだ。暗くなった空を背にして、いまはもうはっきりと 見分けがつく。白い、雪のような円錐形が、いま昇ろうとする月にも似て薄紫色の 軽やかなヴェールに乗って水平線を離れ、宙に浮かんでいる。まったく孤独に、 真っ白な雪をかぶって、完全な左右対称の形に盛りあがっているところは、 氷海の入口にそびえるきらきらした灯台のようだ。天体のように水平線に せり出してくる姿はとうてい陸地とは思えず、むしろ真夜中の太陽とでも言いたいほどで、 いかにも定めの時刻に、洗い流された深淵から宿命の海のおもてへと、 音もない軌道のめぐりに乗って運び出されたように見える。それはそこにあった。 その冷たい光は沈黙の泉のように、星をちりばめた寂寥の処女性のように冴えわたっていた。 Gracq, Julien. « l'Ile de Vezzano. » Le rivage des Syrtes. 1951. グラック「ヴェッツァノの島」『シルトの岸辺』安藤元雄訳。
■ ザクロ石の太陽 この町の中央に一つのすばらしい塔がありますが、高さは二百間、幅は百間、 暖炉のように円形です。この塔は全面を緑の大理石で覆われており、 骨組みの一つもない円天井になっているのです。そしてこれの先端は鐘楼のような 櫓になっているのです。この櫓を乗せている半球は純金で出来ているのです。 尖塔は高さ百尺もあり、アプリアの上質の金で作られています。 天上の半球に使われている金は少なく見積もっても百マルクは下りません。 その上部に魔術で取りつけられたザクロ石が輝いています。 とても巧みに取りつけられており、夜になるとまるで太陽のように明るく輝くのです。 暗い夜も、町の周辺は、どんな召し使いも提灯や松明を持つ必要がないほど明るいのです。 Floire et Blancheflor. Éd. J-L Leclanche. vs. 1811ff. c. 12c. 『フロワールとブランシュフルール』ルクランシュ版、第一八一一行以降、森本英夫訳。
■ ブリタンニアの白夜 夜は明るくブリタンニアのさいはての地などでは、はなはだ短いので日没後の薄明りと 日出前の薄明りを区別することはなかなか困難である。しかしもし雲が さえぎっていないときは、夜の間中、太陽の金色の輝きが見られると人々は断言する。 太陽は沈みもしないし、昇りもしない、ただ移って行くだけであると。 たしかに地球のいちばん末端の平坦部では地球の影が低く、 高いところまで暗くなることはない。それで夜が天上の星まで達しないのである。 Tacitus, Publius (Gaius) Cornelius. De vita et moribus Iulii Agricolae. XII. c. 98. タキトゥス『ユーリウス・アグリコラの生涯と性格について』第十二章、國原吉之助訳。
■ 昇る陽の聖なる美しさ いとしい人、あなたのおかげで、昇る陽の聖なる美しさを知ったのよ。 なのに、なぜ、夜明け前に姿を消してしまったの? Casimir-Périer, Pauline. Lettre à Alain–Fournier. 30 mai 1913. カジミル=ペリエ『アラン=フルニエへの手紙』一九一三年五月三十日付、松本百合子訳。
■ 湯浴みする十個の太陽 下(部)に湯のわく谷があり、湯の谷の上に扶桑あり、 ここは十個の太陽が浴みするところ。黒歯の北にあり。水の中に大木があって、 九個の太陽は下の枝に居り、一個の太陽が(いま出でんとして)上の枝にいる。 〈海外東經〉《山海經》第九,c. 5c BCE–3c。高馬三良訳。
■ 中国人と自然哲学 幾人かの中国人は、すでに述べたように、 古人のいくつかの著述によって太陽と月の蝕に関する若干の知識を有するとはいえ、 さりとてこれについての体系的研究が存在するわけではない。 もし彼らにこの自然哲学系の学問があったのならば、それを通じて彼らは 往時の哲学者が得ていたようなデウスの認識に楽々と到達していたであろう。 使徒聖パウロは「ローマ人への書翰」においてこう述べている。 「デウスにまつわる不可視的なことがら、神性、御力、永遠性は被造物、 可視物に対する考察と認識とによって知られるにいたる」(ロマ書、一ノ二〇)と。 したがって、中国人に唯一神に対する認識がないということは、 中国人が自然哲学系の学問を有せず、 かつ自然の事物に対する熟考を好まぬということを示す有力な論拠である。 Cruz, Gaspar da. Tractado em que se cõtam muito por estêso as cousas da China. XXVII. 1570. クルス『中国の諸事がその詳細事項とともに一部始終述べられたる総論書』第二十七章、日埜博司訳。
■ 四十年間の虹 四十年のあいだイリスは現れず、 四十年のあいだ毎日見られん。 潤いなき大地は乾燥をいや増し、 虹見えしとき大洪水あらん。 Nostredame, Michel de. Les prophéties de M. Michel Nostradamus. I, 17. 1555. ミシェル・ド・ノートルダム『予言集』第一巻第十七番、高田勇・伊藤進訳。
■ 雨のくちびる わたしの口に、「雨」はその 森の苺にそつくりな濡れたくちびる近づけて、 笑ひさざめき、からだぢゆう、 どこもかしこもいちどきに、 數しれぬ小さな指で觸れてみる。 Van Lerberghe, Charles. Ma sœur la Pluie. vs. 12–16. 1904. レルベルグ「雨は妹」第十二–十六行、齊藤磯雄訳。
■ トスカーナの天変 超自然力か自然力か、いずれにもせよある大きな力におされて、雲は自然にわかれ、 またぶつかりあって闘うと見えた。千切れ離れる雲の一団は、 あるときは上空高く突きすすみ、あるときは大地に向かって殺到し、 ぶつかってはまた揉み合い乱れ、すさまじい勢いで横に飛び走り、 前の世にも例しのない猛風がまず大地を叩いて過ぎると黒雲激しくそれを追う。 大地は雲に叩かれるたびに小止みもない雷火、空と地とを引き裂く電光におののく。 千切れ乱れて揉み合う雲、疾風、電光に、雷の音さては地震の轟音でさえ かほどではないと思うほどの物音が天地に満ちる。 地獄のすさまじさもかくやとばかり、ひとびとは身も世もあらず恐れおののき、 耳も破ろうばかりの轟きに世の終りも来たかと色を失い、大地も水も天も十方世界 ことごとくが未曾有の惑乱にうち込まれ、さながら天地未到の混乱に返ったありさま。 Machiavelli, Niccolò. Istorie Fiorentine. VI. 1520–1525. マキァヴェッリ『フィレンツェ史』第六巻、大岩誠訳。
■ 性交に適さない天候 房室の戒多し。殊に天變の時をおそれいましむべし。 日蝕、月蝕、雷電、大風、大雨、大暑、大寒、虹蜺、地震、此時房事をいましむべし。 春月、雷初て聲を發する時、夫婦の事をいむ。 貝原益軒『養生訓』卷第四、1713年。
■ 性交は無益 性交が、ひとを益することは決してない、 もしそれが害を加えなかったならば、それだけで足れりとすべきである。 Επίκουρος. Συμπόσιον. 4c–3c BCE. エピクーロス『饗宴』断片、出隆・岩崎允胤訳。
■ 卒中発作 交接は軽い卒中発作だ。なぜなら人間は人間から迸しり出、 そして、なんらかの打撃によって引き裂かれることから分離されるのだから。 Δημόκριτος. c. 5c BCE. [H. Diels & W. Kranz. B32.] デーモクリトス、断片、廣川洋一訳。
■ 至高の接触 察するに、あのとき、閉まった扉の向こうで、かれはある体験をしたんだ。 何かものすごい、強烈な接触――視覚や触覚よりももっと直截な、もっと―― もっと幅広い、存在のあらゆる点が情熱に燃え上がるような―― たぶん、その至高の瞬間――恍惚は、幻影が消えるとともに訪れたんだろう。 Sinclair, May. The Nature of the Evidence. 1923. シンクレア『証拠の性質』南條竹則訳。
■ 愛と異象 いかにも狂ほしい戀情に、框を設けたがるのは間違ひ、 まことの愛とは、どのやうな限界とても、わきまへないもの。 たとへ大地が稔りをいつはり、耕す者をまごつかせようと、 また太陽が、かKの(夜の)馬どもを驅り、天界へのぼらうとも、 よろづの河川が、源の泉へ河水を逆流させようと、 あるは渦卷く潮が乾いて、魚鱗どもが干あがらうとて、 たうてい私が、戀する心を、他し女に移すことはない、 生きてもつねにあの女のもの、死んでもつひにあの女のもの。 Propertius, Sextus Aurelius. Elegiae. II, 15, 29ff. 1c BCE. プローペルティウス『哀歌』第二巻第十五歌第二十九行以降、呉茂一訳。
■ 愛の共有者たち ところがすでに示したとおり、姦通あるいは間男の慣習のなかにこそ、直行的な あるいは社会的な飛翔の胚種があるのだ。これこそは伸長させてしかるべき萌芽である。 姦通状態のなかでくらしている男たちを見れば、彼らがその共有を自己愛、洗練、感情 と両立させるために、いくつもの強力な動機を手に入れていることがわかるではないか? だからいま発見すべきものは、二人の共有者のあいだに感染しうるひとつの考えかたを、 必要とあれば二百人の共有者たちの心中にも芽ばえさせるような計算である。 この考えかたは、全員を完璧な和合のうちに置きつづけ、われわれの風俗のなかでは 全員の不和と所有対象への侮蔑のたねにしかなっていないこうした分有状態を、 友情関係へと変化させることのできるものだろう。これこそは神の精神と相容れる 唯一の結果であることがたしかではなかろうか? 神の精神とは、なによりも寛大さである。 Fourier, Charles. Le nouveau monde amoureux. c. 1816. 1967. フーリエ『愛の新世界』巖谷國士訳。
■ 上質酒と混ぜ酒 奥方が愛人と歓を通じ、一日千秋の思いで待ち焦がれた逢瀬を楽しむ段になると、 筆舌につくしがたい快楽をともにするので、勢い夫の働きへの評価は地に落ちてしまう。 かような快楽の後では、奥方が夫相手の房事で得られる歓びは知れたもの、 葡萄酒の舌利きが、上質のイポクラス酒か、ピノー酒を賞味した後で、 ちゃちな混ぜ酒を飲む場合と大差ない。 けだし、たいそうのどが渇いた人間は、のどの渇きが激しいからこそ、 ちゃちな混ぜ酒なり安葡萄酒を飲み、また飲んでいる時は、結構いけると思うのだ。 Les quinze joyes de mariage. V. c. 14c–15c. 『結婚十五の歓び』第五章、新倉俊一訳。
■ 催淫剤と制淫剤 妊娠したくない婦人は、交合している雌ラバの尻尾から抜いた毛を、 人間が性交しているときにからみ合わせると否応なく妊娠させられる。 イヌの小便のうえに小便をする男性は、性的活力が減ると言われている。 さらに不思議なことが(もしほんとうなら)斑点のあるトカゲについて言われている。 すなわちそれをリンネルの布に包んで左手で持っていると、それは催淫剤となり、 それを右手に移すと制淫剤になるというのだ。いまひとつの不思議はこうだ。 コウモリの血を羊毛の一房にしませて、それを婦人たちの頭の下におくと、 その婦人たちに淫欲を起させ、ガチョウの舌を食べても呑んでも同じだという。 Plinius Secundus maior, Gaius. Naturalis Historia. XXX, 49. c. 77. 大プリーニウス『博物誌』第三十巻第四十九章、中野定雄・中野里美・中野美代訳。
■ 英国風紅茶沸かし 英本国では、どこの家庭でも常時使っている品物、英国風紅茶沸かしというやつ、 あれをとくとご覧になるがいい。このような道具がもっぱら煎じ用だけに使われている と受け取るのは、よっぽど間抜けな人間だ。あの嘴の部分の、貧相なちんぼうのような、 形といい、国の売女どもが熱湯を注ぎ込んでから恥丘にあてがう丸底といい、 こいつの用途を、ありありと、暴露しているというのに。イギリスの紅茶沸かし (中には、実際この目で見たことがあるが、ズールー族の男子の下腹みたいにアストラカン の毛皮でくるまれたやつも売り出されているくらいだ)、あれは張形の代用品だね。 おそらくいつまでもその用途から抜け出せんだろう、私の同国人たちが哀れな牝どもに すこしは喜びを味わせるすべを身につける日がやって来るまではね(まずありえんことだが)。 Morion, Pierre (André Pieyre de Mandiargues). L'Anglais décrit dans le château fermé. 1953. モリオン『閉ざされた城の中で語るイギリス人』生田耕作訳。
■ 宝石の張形 彼女はベッドから降りて、カーテンを引き、版画のかげに隠された小さな戸棚を開きました。 そこから箱を取り出しそれを開くと、中から袋をとり出しましたが、 その中には、かなり大きな竿の形をしたまがいの宝石が入っていたのです。 その宝石には環と、ちょうど体に巻きつけるベルトのような形をしたリボンがついておりました。 Nerciat, André-Robert Andréa de. Vingt ans de la vie d'une jolie femme. VI. 1830. ネルシア『ある美女の二十年の生活』第六章、須賀慣訳。
■ ミシンと手術 ミシンが女性の健康に与える影響について語られたことと、右の見解は真っ向から対立する。 両脚の運動による興奮から、動悸、腰痛、頭痛、疲労といった種々の障害がもたらされるという。 ベーカー医師は、その場合には、クリトリスの切除手術を勧めている。 Duché, Didier-Jacques. Histoire de l'onanisme. II. 1994. デュシェ『オナニスムの歴史』第2章、金塚貞文訳。
■ 指の治療 医者どもは揃って、この病気にはたった一つしか手当がないと申しますのじゃ。 それはこの病気の指を清純潔白な御婦人の秘所に入れて、暫くその儘にしておき、 その後で医者が処方してくれた膏薬を塗ることです。 とうとうあなたにはお話ししてしまうことになってしまったのですが、 わたしは何しろ生れつきのはにかみ屋で、今まで誰方かにこんなことを打ち明ける位なら、 この苦しみを堪え忍んだ方がましだ、と思っていましたのじゃ。 これを御存知なのはあなた一人ですぞ、それもわたしは気が進まなかったのじゃが。 Les cent nouvelles nouvelles. XCV. c. 1462. 『新百話』第95話、鈴木信太郎・渡邊一夫・神沢栄三訳。
■ 聖杯の乙女 するとその時、えも言われぬ甘美な芳香につつまれて聖杯が近づいてきた。 しかし二人ともすぐには誰がその聖杯を捧げているのか見えなかったが、 パーシヴァルには薄ぼんやりと、聖杯及び聖杯を捧げている乙女が見えた。 その乙女は完全無垢な乙女だった。あっという間に、二人とも今まで通りに 皮膚も手足も健康体にもどった。そこで二人は心から謙虚な感謝の祈りを神に捧げた。 「おお神よ、たった今まで私たちは瀕死の状態でした。 それが、このように癒ってしまうとはどういうことでしょうか?」とパーシヴァルが言った。 「私にはよくわかります」とエクトルが言った。「あれは乙女が捧げている聖杯です。 そしてあの中にキリストさまの聖なる御血の一部が入っているのです。 キリストさまに祝福あれ。しかし、罪けがれの全くない善人にしか、聖杯は見えないのです」 Malory, Sir Thomas. The Hoole Booke of Kyng Arthur & of His Noble Knyghtes of the Rounde Table (Le Morte Darthur). XI. Ed. W. Caxton. 1485. マロリー『アーサー王と高貴な円卓の騎士たちの書(アーサー王の死)』第11巻、キャクストン編、厨川文夫・厨川圭子訳。
■ 無免許医業 イエスは、三年間、我々の社會でなら、 二十遍も法廷へ引立てられたであらうやうな生活を、送ることができた。 無免許醫業に關する我我の現行法だけでも、彼の道を塞ぐに十分であつたらう。 Renan, Ernest. La vie de Jésus. XXVIII. 1863. ルナン『イエスの生涯』第28章、津田穣訳。
■ 聖別された女陰 主の御母を通して女という性がかち得たこの名誉に匹敵すべきいかなる名誉があり得よう。 我々の救世主は、そうなさろうとさえ思えば、男からお生れになることだって出来たのである、 彼が最初の女を男の身体からお作りになった(創世記二の二二)と同様に。 しかし主は、自らの御卑下によって、この比類ない恩寵を弱い女性の名誉のために与え給うた。 また主は、普通の人間が懐妊され・出産されるその部分からでなしに、 女性の他のもっと高貴な部分からお生れになることだって出来たのである。 しかし主は、女性の身体の比類ない名誉のために、自らの御誕生を通して、 女の性部を聖別し給うたのである、 男性のそれを割礼によって聖別し給うたよりはるかに高い程度において。 Abélard, Pierre. Epistolae ad Heloissam. [VII.] 12c. アベラール『エロイーズ宛書簡集』[第7]、畠中尚志訳。
■ 三つの女陰 そこで伯父は近所の知り合いの中からいつも領主の裁判の補助役 (エシュヴァン échevin)を勤めている男を三人証人に呼び寄せ、 まず長女に「お前とお前のコンではどちらが年上かね」と尋ねた。 娘は「コンの方が上ですわ。コンには髭があるのに私にはまだありませんもの」と答えた。 つぎに次女を呼び出して同じ問いをすると、次女は「私の方が年上ですわ。 私には立派な歯が生えているのにコンにはまだ歯が生えていませんもの」と答えた。 そこで末娘を呼び出して尋問すると、娘は「私のコンの方が年下よ。だって私は乳離れ しているのに、私のコンは口をあけておっぱいが欲しいと待っているんですもの」と答えた。 エシュヴァンたちは口々に「お嬢さん、これこそ正しい答えですな」「あなたが皆を 打ち負かしましたな」と言って、誰にも抗弁されることなくこの娘に長年の恋人を与えた。 Le jugement des cons. c. 13c. [Recueil général et complet des fabliaux des XIIIe et XIVe siècles. CXXII. Éds. A. de Montaiglon & G. Raynaud. 1872–1890.] 『コンの裁き』松原秀一訳。
■ 性器のみが見える 中有の者はそうした理由から、父や母となる対象と性交したいという貪るような強い欲望 を感じるが、その者の業の力によって二人の身体のほかの部分はどこも見えなくなり、 性器のみが見えるようになるので怒って、怒りと貪るような強い欲望≠ニの 二つ(の原因)により死の縁をなし、中有の者は死んで子宮に入るのである。 dByangs-can dga'-ba'i blo-gros. gZhi'i sku gsum gyi rnam gzhag rab gsal sgron me. 18c. ヤンチェン・ガロ『基本の三身の構造をよく明らかにする燈明』生の章、平岡宏一訳。
■ 自由な尻 このお尻はでかい尻。/動き回るのにたっぷりの/スペースが必要。狭く/ つまらないところには/とても閉じ込められない。/ このお尻は自由な尻。/一切の束縛を嫌い、一度も/奴隷にされたことなんかない。/ 行きたいところへ行って/やりたいことをやる。/ このお尻は、力持ちで/マジックもできる――/わたしは何度も見たんだもの、/ このお尻が男に魔法をかけて/独楽のように回しているのを! Clifton, Lucille. Homage to My Hips. 1980. クリフトン『尻讃歌』アーサー・ビナード訳。
■ アプロディーテーの帯 このあたしキュプリスだけが、かよわい女神だといわれてきたわ。 王者の支配権も、勇ましい槍も、飛び道具も、あたしはもっていない。 だけど、あたしはなぜこれほどまでに恐れるのか。槍のかわりに、すばやい槍として、 エロースたちの蜜のように甘い鎖をもっているし、それにあたしにはあの帯もある。 あたしはこれを突き棒としてはこび、弓矢として使うのよ。 この帯によって、女たちは、あたしの愛の激しい刺激にとらえられ、 しばしば、死ぬにはいたらずとも、苦しい出産をするのだわ。 Κόλουθος. Η αρπαγή της Ελένης. c. 5c. コルートス『ヘレネー誘拐』松田治訳。
■ 大地の女神のおきて 第五の門に入らせてから、彼は彼女の腰帯を持ち去った。 「なにゆえ、番人よ、私の腰帯を持ち去るのか。」 「入りたまえ、わが奥方、これが大地の女神のおきてです。」 第六の門に入らせてから、彼は彼女の腕環と足環をとって持ち去った。 「なにゆえ、番人よ、私の腕環と足環を持ち去るのか。」 「入りたまえ、わが奥方、これが大地の女神のおきてです。」 第七の門に入らせてから、彼は彼女の体の腰布を持ち去った。 「なにゆえ、番人よ、私の体の腰布を持ち去るのか。」 「入りたまえ、わが奥方、これが大地の女神のおきてです。」 イシュタルが冥界に下りつくとたちまち エレシュキガルは彼女を見て、その姿に怒りを発した。 [The Descent of Ištar to the Underworld.] vs. 55–64. c. 2000 BCE. 『イシュタルの冥界下り』第55–64行、矢島文夫訳。
■ 大地に傷をつけるためのナイフ さらに銘記しておきたいのは、最初の抜歯―処女喪失―聖体拝領このかた心から少女の 願っていた「天命」が、十一歳のとき、「リジウの聖少女」の彫像鋳造を祝う儀式の さなかにくだったということである。殉教者たちの聖遺物をはこぶ行列と説教のあいだに、 つまり二時間もぶっとおしで、少女は腕をぴんとのばし、「大地に傷をつけるための」 ナイフを握りしめたまま、身じろぎひとつしないでいた。とつぜん、神学生たちが 「マリアの子らの奉挙の歌」をうたいはじめたとたんに、少女は地上から舞いあがり、 数秒間、空中にうかんだまま、霊感にあふれ、えもいわず清らかな、しかもコーラスや オルガンを上まわる力強い声で、こんなふうに叫んだのである―― 「お入り、いとしいナイフよ、抱卵室のなかにお入り!/天上の夫が、私を祝宴に 招いておられます!/私はいけにえとなり、この身をささげます!/ 大地はやわらかく、白い色をしています。」 Ernst, Max. Rêve d'une petite fille qui voulut entrer au Carmel. 1930. エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』巖谷國士訳。
■ これがわたしの心臓よ 「わたしを突いて。わたしがはじめに死ねるように!…… さあ、ここを突いて。これがわたしの心臓よ!……さようなら!!」 「無の世界へ!!」 Borel, Pétrus. Champavert, le lycanthrope. IV. 1833. ボレル『狼狂シャンパヴェール』第4章、私市保彦訳。
■ マルグリットの蠟人形 「この人形をマルグリットと名づけます」 ルネは、ごく細い赤い紙の短冊に何やら謎めいた文字を書き、それを鋼鉄の針の穴に通し、 さらにその針で人形の心臓を刺した。すると、奇怪なことに、刺し傷から血がしたたった。 次にルネは短冊に火をつけた。熱くなった針のまわりの蠟が溶け、血を乾かした。 「これで」ルネが言った。「共感の力によって、あなたの愛はあなたの愛する女性の心を 刺して燃やすでしょう。さあ、『マルグリット、あなたを愛しています。さあ、わたしの ところへ来てください、マルグリット!』と唱えて、あなたの唇を人形の唇にお当てなさい」 Dumas père, Alexandre. La reine Margot. XIX. 1845. 大デュマ『王妃マルゴ』第19章、榊原晃三訳。
■ ひびだらけの身体 こっちは全身ひびだらけだ。/あっちこっちから洩れるんだ。 Terentius Afer, Publius. Eunuchus. I, 2, 105. c. 166 BCE. テレンティウス『去勢された男』第1幕第2場第105行、鈴木一郎訳。
■ 風と影 人間は風であり、影であるにすぎない。 Σοφοκλής. fr. 13. 5c BCE. [Στοβαίος. IV, 34.] ソポクレース、断片第13、木曾明子他訳。
■ うつろな容れもの 人々というのはうつろな容れものにすぎず、ときとしては廃屋のように寒々として、 寂しく、ときとしてはそこに生とか、嫉妬とか、歓びとか、おそれとか、希望とか、 そのほかいろいろな名前をもつものたちが住みついたり、出没したりするものだ、と。 Klein, Gérard. Le monstre. 1958. クラン『怪物』清水茂訳。
■ 夢の影 人の子はかげろうのようにはかなきものよ、人とは何か、また何でないか。 人の子は夢の影よ。 Πίνδαρος. Πυθιόνικοι. VIII, 95ff. 446 BCE. ピンダロス『ピューティア捷利歌』第8歌第95行以降、高津春繁訳。
■ 幾何学的な悪夢 ぼくの見る悪夢は厳密で、幾何学的だ。簡略にして、恐ろしくしつこい内容と決まっている。 例えば、渦巻に巻き込まれて、その中心まで運び去られる夢とか、目の前に何本か直線があって、 一つの線分を他の線分と置き換えたり、絶え間なく修正を加えて悪い部分を消したりしながら、 全体の構造を変えるために際限なく努力を重ねる夢とかだ。 ここ数日、ダーツばかりやっているせいで、夜のあいだも、眠りの表面に、 的のイメージが執拗に浮かんでくるのである。 Toussaint, Jean-Philippe. « L'hypoténuse. » 65. La salle de bain. II. 1985. トゥサン「直角三角形の斜辺」第65節、『浴室』第2部、野崎歓訳。
■ キリスト受難のシンボルのある庭園 芝生の中には互いに交錯する二本の巾の広い道の十字路と、斜めに走る小径とがある。 小さな家の前の芝生の上には、斜めの角度で一本の円柱が横倒しになっているし、 多面体の奇怪なオブジェがある。家の窓のひとつからは、 茨の王冠を端につけた長い棒が突き出ている。前景には三つの花が咲き笑っている。 ところで、ある決められた地点に立ってこれを眺めると、道は十字架に、 小径は二振りの槍になり、そして花と幾何図形は釘と墓になる。茨の冠は絵の中で それにあてがわれた場所にぴったりと収まり、鞭刑の台柱が聳立するかに見えてくる。 キリスト教の偉大な象徴が平たい地べたから次々に立ち上る。 Baltrušaitis, Jurgis. Anamorphoses ou thaumaturgus opticus. VI. [1955.] 1984. バルトルシャイティス『アナモルフォーズあるいは光学魔術』第6章、高山宏訳。
■ 現実 ウィンストン、訓練された精神の持主だけが現実を認識することができるのだよ。 君は現実とは客観的なもの、外在的なもの、自律的に存在するものだと信じている。 君はまた、現実の特性とは自明の理だと信じている。自分には何か見えると 思い込むような幻覚に取り憑かれたら、他の人たちも自分と同じように見えるだろうと 想定することになる。しかしはっきりいって置くが、ウィンストン、現実というのは 外在的なものではないのだよ。現実は人間の、頭の中にだけ存在するものであって、 それ以外のところでは見つからないのだ。それは過ちを犯しがちな、 ともかくやがては消え失せるような人間の頭の中には存在しないのだよ。 Orwell, George. Nineteen Eighty-Four: A Novel. III, 2. 1949. オーウェル『1984年』第3部第2章、新庄哲夫訳。
■ 人に見られない絵 とはいえ、人に見られない絵とはなんだろうか? 人目にふれたときにこそ、絵は生命を得、 人が目をそらした瞬間に生命を失って、つぎの視線の中に再生するのを願うのではないか? 黙りたまえ、ぼくはきみの議論を知っている。だからきみに言おう、 人から見捨てられた夜のルーヴル美術館ほど、《生命のみなぎっている》ものはない。 この場合、《生命のみなぎっている》ということを、きみのなさけない興奮と 混同してもらいたくない。それはぼくが味わう機会を得た世にも奇妙な感動である。 画面にむかいあい、彫像の純粋に空間的なささやきを聞くこと、それは、夜の星座に 見いっているときのような、また教会の顕示台にいるときのような比類ない栄光感である。 そこには《現実の存在》があって、きみがいなくても、いっこうに困らないのだ。 視線というものがあるとしたら、自分の社会的安泰にきゅうきゅうとしている 三百万のおろか者よりも、たった一人の通人の視線でじゅうぶんなのだ。 Klossowski, Pierre. La révocation de l'édit de Nantes. 1959. クロソウスキー『ナントの勅令破棄』若林真訳。
■ 美の通い路 目は、美の通い路。目を投げることにより、 美が滑り出し、男の胸に届くのだ。 Μουσαίος. Ηρώ και Λέανδρος. vs. 94–95. c. 5c–6c. ムーサイオス『ヘーローとレアンドロス』第94–95行、中務哲郎訳。
■ 誰でもない キュクロプス やりやがったのは、「誰でもない」だ。 コロスの長 それなら、誰も悪いことはしなかったわけですな。 キュクロプス おれを盲目にしたのは「誰でもない」。 コロスの長 それなら、盲目ではないわけです。 キュクロプス こいつめ―― コロスの長 盲目にしたのが「誰でもない」なら、どうして盲目になれますかな? キュクロプス からかう気だな。「誰でもない」はどこにいる? Ευριπίδης. Κύκλωψ. vs. 672–675. 5c BCE. エウリーピデース『キュクロープス』第672–675行、中村善也訳。
■ 生きているもの スブーティよ、かれらは生きているものでもなければ、生きているものでないものでもない。 それはなぜかというと、スブーティよ、『〈生きているもの〉 〈生きているもの〉というものは、すべて、生きているものでないということだ』 と如来が説かれているからだ。それだからこそ、〈生きているもの〉と言われるのだ。 वज्रच्छेदिका प्रज्ञापारमितासूत्र. 21b. 2c? 『能斷金剛般若波羅蜜多經』第21節B、中村元・紀野一義訳。
682 :
吾輩は名無しである :2007/08/21(火) 07:52:29
血は川をなして流れているばかりか、まるでシャンパンかなんぞのように、 いとも陽気に流れているではないか。 ドストエフスキー『地下室の手記』
683 :
吾輩は名無しである :2007/08/21(火) 10:00:30
その涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまった。 大空を雲の一片となっているか、谷川の水の一滴となっているか、大洋の泡の一滴となっているか、 又は思いがけない人の涙堂に貯えられているか、それは知らない。 然し、その熱い涙はともかくもお前たちだけの尊い所有物なのだ。 有島武郎『小さき者へ』
■ 秘密の支配権 体液には、それなりの決まった流れがある。これが、われわれの知らぬ間に、意志を動かし、 変えるのだ。四種の体液は一緒になって流れ、われわれのうちに秘密の支配権を行使する。 したがって、知ろうとしてもわからぬことながら、われわれのいかなる行為にも、 体液が大いに作用しているのだ。 La Rochefoucauld, François VI, duc de. Réflexions ou sentences et maximes morales. CCXCVII. 1665. 5e éd. 1678. ラ・ロシュフコー『省察あるいは格言および箴言集』第297番、吉川浩訳。
■ すべては偶然 人間のいとなみは、偶然であり、熟慮ではない。 Χαιρήμων. fr. 2. 4c BCE. [Στοβαίος. I, 6.] カイレーモーン、断片第2、逸身喜一郎他訳。
■ 真実のままに書かれた物語 自分の一生の物語――神様のように何でもよく知っている作家の手で、 まったく真実のままに書かれた物語――を本当に読むことができたら、 面白いじゃありませんか? そして仮りに、次の条件付きでなら、読んでもよいとします ――その物語を決して忘れてはならない。自分のすることなすことすべてが、 後でどういう結果になるかを前もって知りながら、 また、自分がたしかに何月何日何時に死ぬかを予見しながら、人生を渡らねばならない。 さあ、何人の人が、この物語を読むだけの勇気があるでしょうか? Webster, Jean. Daddy-Long-Legs. 14th December. 1912. ウェブスター『あしながおじさん』12月14日、厨川圭子訳。
687 :
吾輩は名無しである :2007/08/25(土) 09:31:43
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ どこでも死ねるからだで春風 それは死の前のてふてふの舞 死のしづけさは晴れて葉のない木 ぬいてもぬいても草の執着をぬく ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
■ 『黙示録』 使徒ヨハネが自分の知っているすべてのことを隠して何も書いていない有名な書物。 黙示なる行為は注釈家によって行われた。ところで彼らは何一つ知ってはいないのだ。 Bierce, Ambrose. "Revelation." The Devil's Dictionary. 1911. ビアス「黙示録」『悪魔の辞典』猪狩博訳。
■ ムルツプロスの落下 ところで、ここに一つまことに不思議な話がある。 かの者が突き落とされたくだんの柱塔には、大理石に刻まれたさまざまな絵図があった。 これらの絵図の中に一つ、皇帝の姿かたちに彫られたものがあり、 それがなんとまっさかさまに落下していく様子を描いていた。 というのは、遠い昔よりコンスタンチノープルには、 この柱塔から突き落とされる定めの皇帝が現れ出ると予言されていたゆえであった。 こうして絵図と予言とがまこととなったわけである。 Villehardouin, Geoffroi de. De la conquête de Constantinople. LXVIII, 308. 13c. ヴィルアルドゥアン『コンスタンティノープル征服記』第68章第308節、伊藤敏樹訳。
■ クルティウスの大穴 あるとき、羅馬の町のまんなかに、底知れずの陥坑があつて、誰れかどうしてもよう埋められなんだげな。 神々がこの途方もない出来事にかかづらつて訊かれるままに御答へなされるには、 だれか自分から好んで、この深穴に入るほどのものを目つけないでは、いつまでたつても埋りはせんぞよとおつしやつた。 自分から進んで、この国の善事のためにはその身も犠牲に供へるやうな人が出てくるやうにといふおふれが出たのぢや―― が、だれも自分で危ういを忘れて申出でる人もなかつたまでぢや。 それで、とうとう、マルクス・アウレリウスさまが申すには、『みなさん達が、このわしを、まる一年の間、 自分の思ふ儘に暮らさせて下されたならその年の末には、あの口を開いてをる坑の中に よろこんでこの身を任すと致しませうず。』羅馬人らは喜んでうべなつたので、 アウレリウスは、その年いつぱい、心のままにしたい方題を振舞つたのぢや。 そこで、一匹の立派な駿馬にまたがつて、敢然とばかり奈落の底にと乗り入つた。 そこで穴はたちまちその男を呑んで仕舞うたといふことぢや。 Gesta Romanorum. XLIII. c. 13c–14c. 『ゲスタ・ロマノールム』第43話、日夏耿之介訳。
■ 緑玉石の鏡 さてまた見事な鏡の話をお聞き下さいませ。その鏡にはガラスの代りに、 透いてきれいな緑玉石が、はめてありますので、一マイル以内に起った事は、 昼夜の区別なく、それに映してはっきりと見てとることが出来るのでございます。 Reynke de Vos. III, 8. 1498. 『ラインケ・デ・フォス』第3巻第8章、伊東勉訳。
■ 予言の木の実 朝起きると彼は灰色と朱色の琥珀織りの布を買ってこれで糞玉をつつみ、 屋台を手にいれ、他に香料も仕入れてレーマー[フランクフルトの市参事会堂] の前に立ったのです。すると多くの人びとが彼の店に集まり、 珍しい品をみてどんなものを売っているのかとたずねました。 それは奇妙な商品で麝香のように小さく包まれており、奇妙な臭いがしたからです。 ところがオイレンシュピーゲルは誰にも自分の商品についてきちんとした説明をしませんでしたが、 かなりたってから三人のユダヤ人がやってきてこの品物は何かとたずねたのです。 彼ははじめて答えました。つまりそれは本当の「予言の木の実」でそれをひとつ口に含み、 そのあとで鼻の穴に入れるとその瞬間から未来が予言できるというのです。 Bote, Hermann, attrib. Ein kurtzweilig Lesen von Dyl Ulenspiegel. XXXV. 1510. 1515. 伝ボーテ『ディル・ウーレンシュピーゲルの退屈しのぎ話』第35話、阿部謹也訳。
■ 昼は北、夜は南 生き物の棲む穴に、また歩きながら、立ったままで、また川岸に近寄って、あるいは山頂で〔放尿してはなら〕ない。 決して風、火、ブラーフマナ、太陽、水あるいは牛を見ながら大小便を排泄してはならない。 枝、土、葉、草等で〔地面を〕覆い、言葉を制し、注意深く、四肢を包み、頭を覆って排泄すべし。 大小便の排泄は、昼間は北を向き、夜は南を向いて行うべし。朝夕のサンディヤーにおいては昼と同じである。 मनुस्मृति. IV, 47–50. c. 2c BCE–2c CE. 『マヌ法典』第4章第47節–第50節、渡瀬信之訳。
■ 分別のある男 陽に向かい、立ったままで放尿してはならぬ。 しかし陽が沈めば――よいか忘れるなよ――陽がまた昇るまで、 道の上であろうと、道から外れておろうと、歩行中に放尿してはならぬ、 また前をはだけてしてもいかぬ、夜は至福なる神々のものであるからな。 分別のある男ならば、しゃがんでするか、 堅固に囲った中庭の壁の傍らまで行ってする。 Ησίοδος. Έργα και ημέραι. vs. 727–732. c. 700 BCE. ヘーシオドス『仕事と日々』第727–732行、松平千秋訳。
■ 這う女 どの窓からも女が見える。いつも同じ女だ。間違いない。 どうしてって、彼女はいつも這っているからだ。たいていの女は昼間に這ったりしないものだ。 長く、薄暗い小径に彼女の姿を見る。這ったまま往ったり来たりしている。 葡萄の蔦に覆われた四阿にいる彼女を見る。庭中を這いまわっているのだ。 Gilman, Charlotte Perkins. The Yellow Wallpaper. 1892. ギルマン『黄色い壁紙』西崎憲訳。
■ 綺麗な幻想 結局、女って一體何でしょう? ほんのひと時の興味の對象、 唯好きだと言いたい樂しみの爲に人に愛するふりをさせる空しい影に過ぎないんだわ。 女なんて! 唯のなぐさみものなんだわ。ひとりの女に行き逢った時、 こんな風にはいえないかしら。ほら、あすこに綺麗な幻想が通っていく! って。 Musset, Alfred de. Les caprices de Marianne. II, 4. 1833. 1851. ミュッセ『マリアンヌの気紛れ』第2幕第4場、加藤道夫訳。
■ 女と秘密 わたしが隠すんですって! このわたしが秘密を持ってるんですって! 相手を見てものを云って下さいよ! 口の堅さにかけちゃ、わたしは女も同然なんですからね。 Marivaux, Pierre de. Les fausses confidences. III, 2. 1737. マリヴォ『偽りの告白』第3幕第2場、鈴木力衛訳。
■ 乳母の心得 赤ん坊を落ことして跛にしても、しゃべってはならぬ。赤ん坊が死ねば、萬事丸くおさまる。 Swift, Jonathan. Directions to Servants. XIII. 1745. スウィフト『奴婢訓』第13章、深町弘三訳。
■ 男を男でないように、女を女でないように イエスが彼らに言った、「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、 外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人(単独者)にして、 男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、 あなたがたが、一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、 一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、 そのときにあなたがたは、〔御国に〕入るであろう」 Ευαγγέλιο του Θωμά. XXII. c. 2c. 『トマスによる福音書』第22語録、荒井献訳。
■ 生成の神レートー さてレートーは、止むことなく嘆き、嘆願し続けるガラテイアを哀れと思い、 子供の性を変えて少年にしてやった。この変身を記憶にとどめるために、 パイストスの人々は今もなお、「ピューティエー・レートー」(生成の神レートー)を 敬って犠牲を捧げている。というのも、この神こそ少女に男性器を生成させたからである。 彼らはまた、その祭りをエクデューシア(脱ぎ捨ての祭り)と呼んでいる。 子供が少女の衣を脱ぎ捨てたからであった。 Antoninus Liberalis. Μεταμορφώσεων Συναγωγή. XVII. c. 2c. アントーニーヌス・リーベラーリス『変身物語集』第17話、安村典子訳。
■ ヘーラクレース像と貴婦人 ある日、宮廷の一貴婦人が、フォンテーヌブローの泉の中に立っている、ヘラキュレスの 大きなブロンズ像を、ためつすがめつ眺めていたが、ちょうど彼女に腕をかして、 お伴をしていた貴族といっしょだったので、彼女はやおら彼氏のほうを向いて、 このヘラキュレスのブロンズ像は、なかなかみごとな出来栄えで、実に堂々とした 体格ですが、ただちょっと難を申せば、実物の人間に比べて、四肢の釣合があんまり うまくとれていないんじゃあないかしら。だって、まんなかのお道具がほかに比べて 小さすぎてチグハグですし、あの巨人のような体には、どうもピッタリしないんじゃあ ないかしら、と申した。貴族もさるもの、すかさずきり返して、あなたがおっしゃることは、 わたしにはどうも承服いたしかねますな、いっそこう考えたほうが当っておりましょうな、 つまり当時の女性のお道具は、昨今のご婦人のお道具ほど間口が広くなかった のではないでしょうか、という名答をもって酬いたという。 Brantôme, Pierre de Bourdeille, seigneur de. Vie des dames galantes. VII, 2, 2. 1666. ブラントーム『好色女傑伝』第7講第2章第2節、鈴木豊訳。
■ 鳥の姿をした神 昔、秦の穆公は、ある日の真っ昼間、宗廟の中にいた。そのとき神が門から中へ入ってきて、 (神から見て)左側へまわり、(穆公から見て上位の右側の位置を占めた)。 (その神の姿は)顔は人間のようだが身体は鳥のようであり、 純白の服の裾は三方(左右の足と尾)に分かれており、顔面は真四角であった。 秦の穆公は、その異様な姿を見て恐怖心に襲われ、走って逃げようとした。 すると神はこう言われた。恐れるには及ばない。上帝におかせられては、 お前の常日頃の明徳を大層喜ばれ、お前に十九年の延命を賜い、 またお前の国家が隆盛し、子孫も末代まで繁栄し、 宗廟の祭祀が決して絶えることのないようにさせるため、この私をお遣わしになったのだと。 伝墨翟他《墨子》明鬼下篇,c. 5c–4c BCE? 浅野裕一訳。
■ 雀変じて童となる 小さなBが見ていると、凍った灰色の芝の上の雀たちが突然むくむくと大きくなった。 そうして依然として、羽搏き、囀ってはいたが、それにつれて姿も変わりはじめた。 彼らはみな茶色の上着を着た小さな子供になり、芝の上で、踊り、走りまわり、 囀りながら窓の向こうを飛んだり跳ねたりした。 Mansfield, Katherine. Suburban Fairy Tale. 1924. マンスフィールド『郊外のフェアリ・テイル』西崎憲訳。
■ 鳥に転じた娘 ところがそこからあまり遠くないところで、やはり牛を飼っている男の子がいた。 この子も娘に劣らず美しく歌も上手だったが、歌で娘とはりあう気を起し、 声は男だから大きいし、それにまだ子供だから甘くもある、 その声でさかんに自分の喉を聞かせて、とうとう娘の飼っている牛のなかでも 一番よい八頭を惹き寄せて、自分の群に入れてしまった。 娘は牛をとられ歌で負けたのを悲しがって、家へ帰る前に鳥に変えて下さいと、 神さま方にお願いした。神さま方は娘の願いをきいてあの鳥にして下さった。 Λόγγος. Ποιμενικά τα περί Δάφνιν και Χλόην. I. 2c–3c. ロンゴス『ダフニスとクロエーにまつわる牧歌的物語』第1巻、松平千秋訳。
■ ナルキッソスの雌蘂 ナルシスは花と化しつつある。緑色の繻子のぴったりとした衣装をまとった四肢は 緑がかって長く伸びている。軽く曲げた両脚はしなやかな茎になり、 地の中に入り込んで根付き、上半身には白繻子の幅広い飾りがついて、 見事な花冠をなしている。マクシムの長い金髪の巻毛は、 白い花びらの芯にある黄色の雌蘂のようで、いっそう本物の花のように見える。 こうして生まれつつある大きな花は、まだなかば人間であり、泉のほうに頭を傾げて、 快楽の極みに目をうるませて微笑んでいる。まるで、麗しきナルシスが、 自分で自分に対して抱いた欲望を、ついに死において充足させたかのようだ。 Zola, Émile. La curée. VI. 1872. ゾラ『獲物の分け前』第6章、中井敦子訳。
■ 草や木になろうとも ――よしんば私が草や木にならうとも、損害はさして大きいでせうか。 ――私はなりませう。萬人に共通な永遠の愛が萬人を締めくゝつてゐる生命の圈内から、 どうして私は失はれることがありませう。 總てのものを結びつける團結からどうして私が別離することがありませう。 Hölderlin, Johann Christian Friedrich. Hyperion oder der Eremit von Griechenland. II, 2. 1797–1799. ヘルダーリン『ヒュペリーオーンあるいはギリシアの世捨人』第2巻第2章、渡邊格司訳。
■ この世の中の誰にも似ていない女 それから、彼が女を見てるうち、女の姿がときおり今までと違った風に見える時期があって、 彼女が、美しくも醜くもなく、若くも年よりにも見えない、この世の中の誰にも似ていない、 それまでの彼女自身にさえ比較することができなくなって、彼は恐ろしくなってくる。 Duras, Marguerite. Moderato cantabile. VI. 1958. デュラス『モデラート・カンタービレ』第6章、田中倫郎訳。
■ テレザの身体 テレザは自分を見て、もし、鼻が毎日一ミリずつ大きくなったらと想像してみた。 何日たったらその顔は自分と似なくなるであろうか? そして、もしテレザの身体の いろいろな部分が大きくなったり、小さくなったりし始め、全然自分と似なくなっても、 それでもまだ自分だろうか、それでもまだテレザなのであろうか。 もちろん。たとえテレザがテレザにまったく似なくなっても、 内にある彼女の心は依然として同じであり、ただびっくりして、 いったい身体はどうなっているのであろうと、眺めるだけであろう。 しかし、その後、テレザと彼女の身体の間の関係はどんなものになるであろうか? 身体にはそもそもテレザと名のる権利があるのだろうか? もしその権利がないのなら、名前というものは何と関係するのであろうか? ただ何か無形体のもの、何か非物質的なものなのか? Kundera, Milan. Nesnesitelná lehkost bytí. IV, 6. 1984. クンデラ『存在の耐えられない軽さ』第4部第6章、千野栄一訳。
■ 一秒間 美しいけど恐ろしかったわ。ほんの一秒の間、わたしあなたが事故のように恐ろしく、 虹のように美しいと思ったわ。あなたは窓から落ちる男の叫び声で、星の沈黙だったわ。 Cocteau, Jean. Orphée. V. 1926. コクトー『オルフェ』第5場、寺川博訳。
■ 天使になる瞬間 「そうだよ。人間が天使になるのさ。一瞬だけ、あるいは、いくつかの別別の瞬間かも知れないが、 一人の人間が神の代理にならねばならんのさ。あるいは愛の代理人に、真実の代理人に、 美の代理人に、秩序の代理人に、その他もろもろのことの代理人にならねばならんのさ」 Saroyan, William. Papa You're Crazy. LXI. 1957. サローヤン『パパ・ユア・クレイジ』第61章、伊丹十三訳。
■ 窓に映った天使 所有 窓といふ窓に 私は縋り付いて、その窓の 永遠の 露に洗はれ、無限のC淨な朝が 金色に 染めてゐる 玻璃の中に、祝bウれて 私はわが 姿を映して 己が天使であるのを見る Mallarmé, Stéphane. Les fenêtres. vs. 25–29. 1866. マラルメ『窓』第25–29行、鈴木信太郎訳。
■ 人間のメタモルフォーゼ チョウのすべてはすでに蛹のなかに含まれています。蛹はチョウであるばかりではなく、 蛹のなかにはアオムシも含まれています。つまり昆虫は最初の組織から次の組織へと 次第に移行してゆくものですし、またその順番を待っているものなのです。 アオムシがつぎからつぎへと糸を紡ぎつづける場合も、 結局は紡ぎあげた組織から完全に脱却し、新たなものとなって登場するためなのです。 人間は生れた後でもさらにメタモルフォーゼしてゆかなければなりません。 それが思春期というメタモルフォーゼです。 思春期というものは長く続いているうちに次第に姿を変えてゆきますが、 それというのも骨格組織がまず完全に固まらなければならないからです。 骨格組織はそれが固まるまで驚くほど多くのものを自分の犠牲にしてしまうのです。 (植物と大地との関係は、子どもと臍の緒との関係に似ています。) Goethe, Johann Wolfgang von. Gespräch mit Riemer. 1831. ゲーテ『リーマーとの対話』高橋義人訳。
■ 人間と禽獣 わたしは、人間としてのわたしの全生涯を、いまのわたしの幸せと交換したっていい。 だのに、いまでさえ、わたしは人間としての愚にもつかない考えを、ほとんど全部捨てずにいる。 禽獣のほうが幸せなのだ。 Garnett, David. Lady into Fox. 1922. ガーネット『狐になった奥様』安藤貞雄訳。
■ 百年の不動の姫 なんでも犬の話である。犬を単調な室に入れておいて、同じものを見せたりやめたりするらしい。 すると犬がやっぱり人間の気狂いと同じ状態になる。 ところが、その同じものを見せるとか聞かせるとかする。その同じ物が、弱いというか小さいというか、 とにかくじっと心をすましていなくては人間にも判らぬようなものにしてゆくと、 さて犬はそれまで動いていたのが急に動かなくなり、その微かな音が聞こえてくるや否や、 その犬はじっと立ちどまり、一方に耳をすましてしまい、そして固くなり、 石像のように何時間も立っているというのである。 この話は一進歩である。手を洗うよりも一進歩である。この方が高級の心の働きではないか。 それはある一つの内心の声を聞くと、もう一切が、動かなくなる。 百年の睡り姫というのはうそで、百年の不動の姫というわけだ。どうやら俺はそれである。 いったい何が、その俺の心を引きつけるいともかそけき音なのであるか。そいつだけが判らぬ。 木々高太郎『バラのトゲ』後篇第2章、1955年。
■ メロスはなぜ しかし私には、まだ疑問がある。メロスはなぜ馬に乗って走らなかったのか。 安野光雅『「走れメロス」にこだわる』2007年。
■ 同情 さうなんですよ、傷いた馬があなたの同情を引くのは、それがあなたに見えるからです。 馬が若し、蠅くらゐの大きさだつたら、その斷末魔の苦しみなんか、あなたは平氣な筈です。 丁度蠅取紙にくつついて、ゆつくり窒息して死んで行く蠅の苦しみに、あなたが平氣なやうに。 Montherlant, Henry de. Les bestiaires. III. 1926. モンテルラン『闘牛士』第3章、堀口大學訳。
■ 蝿 小さな 蝿よ おまえの 夏の遊びを わたしの 心ない手が はたき つぶした わたしも また おまえのような 蝿 ではないのか? それとも おまえは わたしのような 人 ではないのか? Blake, William. "The Fly." vs. 1–8. Songs of Experience. 1794. ブレイク「蝿」第1–8行、『経験の歌』壽岳文章訳。
■ 負傷者と吸血蝿 「あるとき、一人の傷ついた人が道端に横たわっていたが、傷口の辺りには一群の蝿がたかっていた。 ある人が通りかかり、そのあわれな状態に同情して、 たぶんこの人は自分の手をあげることもできないでいるのだろうと思い、 近づいてその蝿を追い払ってやろうとした。ところが負傷者はこの蝿のことなど ほうっておいてほしいとの頼むのである。そこでその人が話しかけ、 どうしてこのあわれな状態のままでいたいのか、と尋ねた。すると彼はこう答えた。 『もしあなたがこの蝿どもを追い払えば、わたしは今よりもっと悪い状態になるでしょう。 というのは、今この蝿どもは血を十分に吸ってしまい、 さしあたってわたしを苦しめる必要もないまま一休みしているところです。 しかし、ここに新たな食欲をもった蝿どもがやって来れば、 その蝿どもは弱り切ったわたしに襲いかかり、わたしを殺さずにはおかないでしょう。』」 Josephus, Flavius. Ιουδαϊκή αρχαιολογία. XVIII, 6, 174–175. c. 93–94. ヨセフス『ユダヤ古代誌』第18巻第6章第174–175節、秦剛平訳。
■ デーモクリトスの蜂蜜 アブデラの哲学者デモクリトスにはこんな話がある。 彼は老齢ゆえに命を断つことを決心して、一日一日食を減らしていったが、 テスモポリア祭の日になったとき、家の女たちから、お祭りはちゃんとお祝いしたいので、 この期間には死なないでくれと言われ、そう言われれば従わないわけにはいかなくて、 されば蜂蜜の壺をわしの脇に置いてくれと言った。そしてこの蜂蜜のみを唯一の頼りにして、 まさに祭りの期間を生きつづけ、それが過ぎると壺を運び去らせて、死んだ。 Αθήναιος Nαυκράτιος. Δειπνοσοφισταί. II, 46e–f. c. 2c–3c. アテーナイオス『食卓の賢人たち』第2巻46E–F、柳沼重剛訳。
■ 蜜蜂は交尾しない 彼らは交尾にふけることはなく、その体が、愛の悦楽のために 柔弱になることもなく、子を得るにも、産みの苦しみがない。 彼らは木の葉や柔らかな草から、〔交尾することなく〕子供たちを 口吻に拾い集め、世継ぎの王と、小さな市民たちを補充する。 Vergilius Maro, Publius. Georgica. IV, 198–201. 29 BCE. ウェルギリウス『農耕詩』第4巻第198–201行、河津千代訳。
■ 花から花へ 新しい 蜜がほしさに 花から花へ 浮気な蜂の にくらしや。 あれあのように 口づけた マンゴーの花を 忘れてか 蓮の奥に 入りびたり。 कालिदास. अभिज्ञान शाकुन्तलम्. V. c. 4c–5c. カーリダーサ『思い出の品により回復されたシャクンタラー』第5幕、辻直四郎訳。
■ 花の残像 パラケルススによれば、これはそれほどむずかしい実験ではないということで、 『文学の骨董品』の著者も十分信頼に値するとして引用しているものですが、 その実験というのは――まず花が枯れたら、それを燃やすのです。 そうすれば咲いていた時の花の成分はどこへともなく発散して消えてしまい、 二度と見つけることもかき集めることもできません。 しかし、その花の灰の中から、咲いていた時とちょうど同じように、 その残像を化学的に浮かび上がらせることができるというのです。 Bulwer-Lytton, Edward. The Haunted and the Haunters. 1857. ブルワ=リットン『幽霊屋敷と幽霊』斎藤兆史訳。
■ 植物の姉妹 「この植物はあなたの想像もできないような性質をもっているのよ。でも、わたしはね、 ショヴァンニ――わたしは、この植物とともに育ち、花を開き、その呼吸で養われてきたの。 これはわたしの妹なのだし、わたしは人間の愛情でこれを愛してきたわ。 それというのも、悲しいことに! あなたには想いもつかないことでしょうけれど、 恐ろしい宿命をうけていたからなの」 Hawthorne, Nathaniel. Rappaccini's Daughter. 1844. ホーソーン『ラッパッチーニの娘』橋本福夫訳。
■ はんの木の婦人 さよう、その婦人は日の光と深い影によって構成されております。 はんの木のようにすらりとしていて、挙措動作もまた、はんの木のように優雅でございます。 その目は、見る間に変化をいたしまして、いま、つぶらに開いているかと思うと、 つぎの瞬間には、二つの雲のあいだからのぞく陽光のように半ば閉じられています。 その婦人が姿を見せると、あたりは天国となり、去ったあとは、すべてが空漠となり、 山査子の花の香りが残るだけでございます。 O. Henry. "The Right Branch." Roads of Destiny. 1909. O・ヘンリ「右の道」『運命の道』大久保康雄訳。
■ 花環の中の女 彼は彼女を長い間みつめていた。だが、ふと即興的に思いついて、 彼女の目を覚まさないように、そっと彼女の身体をバラの花でおおった。 そして、彼女の髪の上にも、幾輪かのバラの花をのせてみた。だが、このように、 花で飾られ、花環の中に埋められた彼女は生気をうしなった、遺骸のようにみえた。 そして、その様子をみているうちに恐ろしくなったジョルジョは、彼女を揺り起こそうとした。 だが、彼女は目を覚まさなかった。その時分、彼女は心神喪失症にかかっていたのである。 彼女が正気をとり戻すまでの彼の恐怖と不安はどんなに大きかったことであろう。 だが同時に、その恐怖に混って、死の陰影によって妖しくも高められた 彼女の常ならぬ美しさによって惹きおこされた一種の興奮があったことも事実である。 D'Annunzio, Gabriele. Il trionfo della morte. III, 9. 1894. ダンヌンツィオ『死の勝利』第3部第9章、野上素一訳。
■ 花を売る娘 薔薇を持つ女、薔薇にもまがふ/あえかさのひと。/はて 賣りものはどれ、/ おんみ自身か、あるひは花か、/それとも もしやみんな一獅ゥ。 Διονύσιος Σοφιστής. c. 2c. [Anthologia Graeca. V, 81.] ディオニュシオス・ソピステース、呉茂一訳。
■ 幸福 僕としては、ひとの目や鼻を楽しませてから手のなかで色褪せるばらのほうが、 茎の先で老いてゆくばらよりも幸福だと思うな。 だって茎についたばらだって、遅かれ早かれ色香が褪せるんだからね。 同じように、ぶどう酒だって酸っぱくならないうちに飲んでもらったほうがいいのさ。 それに、乙女の花咲く美しさというものは、なにも結婚したからといって すぐにだめになるものじゃない。それどころか、結婚前には顔色も冴えず、 病身で、ひからびていたのが、夫と褥を共にすることによって輝きを増し、 初めて花咲き始めた女の人を、僕はおおぜい知っているよ。 Erasmus Roterodamus, Desiderius. «Proci et puellae.» Familiarium colloquiorum formulae. 1523. エラスムス「恋する青年と乙女」『日常会話文例集』二宮敬訳。
■ バガテル庭園の薔薇 アンヌは右手を例の半開きの花芯のほうに伸ばした。 まだ完全に開き切っていない花のいちばん端に沿って指先を滑らせた。 その薔薇色の柔らかな肉に、触れるか触れないばかりにして。 空洞になった花芯のまわりを、数回ゆっくりとなでた。 それから、五本のそろえた指先で、花びらの先を一つ一つ丁寧に押し分けてから、 またもとの通りに閉ざした。こういうふうにして、花びらを二度三度、 開けたり閉じたりしてから、突然、中指を花びらの中へさしこんだ。 指が完全に花芯の中に埋もれてしまった。それから、非常にゆっくりと指を抜いた…… が、それは、すぐまた指を花芯の底につっこむためだった。 Berg, Jean de (Catherine Robbe-Grillet). L'Image. II. 1965. ベール『イマージュ』第2章、榊原晃三訳。
■ 忘れ草 忘れ草とかいふものあつて 背戸に植ゑれば、この思ひ 忘れられるといふけれど、 いいえ、忘れるのいや/思ひつづけてなやむがましです 〈伯兮〉13–16,伝孔丘編《詩經(詩)》國風,衞風。海音寺潮五郎訳。
■ ローヌ河の石菖藻 石菖藻という水草が生えている。 この草は、冷たい水底にのばした二本の茎それぞれに、一つずつ蕾をつけるのだよ。 それでも、恋するころになると、一つの蕾が水面からほほえみながら、そっと顔をだし、 やさしい日ざしを受けてほころびる。その美しさに見とれて、 もうひとつの蕾が恋しさのあまり、心をふるわせながら水中を泳ぎ、相手の花に口づけする。 ところが、蔓をのばしすぎたために、花は自分をしっかり絡める茎から、 花梗を絶ち切ってしまう。自由の身にはなったものの、根を失った花は色あせた唇を、 そっと相手の白い花に寄せるのさ……。 Mistral, Frédéric. Mirèio (Mireille). V. 1859. ミストラル『ミレイオ』第5歌、杉冨士雄訳。
■ ものなべて逆しまに 納めてよ、いざ天つ歌姫、牛達のうたの調べを。 今ははや茨の枝に菫も咲けよ、咲けよかし薊の莖に、 美はしき水仙の花も杜松が梢に咲きなびけかし、 ものなべて逆しまにくるひゆければ、松の樹に梨の實生らむ、 ダフニスが身まかるなべに、小牡鹿は犬を惱ませ、 山よりの木菟ぼしが 鶯と歌競べせむ。 Θεόκριτος. «Θύρσις.» Ειδύλλια. I. 3c BCE. テオクリトス「テュルシス」『小景詩』第1歌、呉茂一訳。
■ 恋愛は田舎で 人はいつも恋愛から田舎を連想しますが、これはもっともです。愛する女の姿を飾るのに、 青空、野のかおり、花、微風、畑や森の輝かしい静寂にまさるものはありません。 Dumas fils, Alexandre. La dame aux camélias. XVI. 1848. 小デュマ『椿姫』第16章、吉村正一郎訳。
■ 樹木の世界の恋 「[……]ああ、美声の鳥たちを宿す愛しい木々よ、お前たちの世界にもこの恋心があるのなら、 ひょっとして、糸杉が松に、また別の木が何かの木に、恋をすることもあるのだろうか。 いや、あるわけがないだろう。もしあるのなら、お前たちは落葉するだけでは済まぬはず、 人恋しさは美しい葉っぱを脱ぎ捨てて枝を裸にするばかりでなく、 松明を持って降りて行き、幹や根にまで達するはずだ」 Αρισταίνετος. Ερωτικαί επιστολαί. c. 5c. アリスタイネトス『愛の手紙』中務哲郎訳。
■ 医学的見地からすると 果実を結ばぬ木の夢は、人間の精子が破壊されるのを意味する。 Ιπποκράτης, attrib. Περί ενυπνίων. V. c. 5c–4c BCE. 伝ヒッポクラテース『夢について』第5章、大橋博司訳。
■ 夢見の杖 「〈夢見の杖〉は普通の植物とは異なり、自分自身の存在とか熱望とかに気づいていない。 同じく普通の植物のように、発生学上のモデルをつねに参考にして生きているわけでもない。 むしろ、〈夢見の杖〉の中には、自分が受け取る刺激によって絶えず引き起こされる、 自分自身の反応についていつも失望ばかりしている期待に満ちた状態――官能――が みなぎっている。からだ全体に分布する性感帯に触れる外界からのさまざまなメッセージ、 これらこそ平行植物における発生プログラムに相当するものである。 メッセージは葉や茎やつぼみや花を刺激するが、別の植物界の存在である〈夢見の杖〉は、 それらすべてを泣く泣く拒否しなければならない。実体のない生長とかあちこちのこぶ、 血管のようにからだに巻きつく枝、枝に茂ることができなかった不幸な葉―― これらはすべて〈夢見の杖〉の砕かれた夢の証しである」 Lionni, Leo. La botanica parallela. XIV. 1976. レオニ『平行植物』第14章、宮本淳訳。
■ 栄光の天使と柳の小枝 彼は私に、平地と山々を覆い隠している柳の木を見せてくれたが、 この柳の木の陰に、主の名によって召された人々が集っていた。 ところが、すごく背の高い主の栄光の天使が柳の木のそばに立っていた。 彼は大きな鎌を手にして、柳の木から枝を切り取り、その柳の木の陰にいた民に渡していた。 一キュビト(六十センチ)程の長さの小枝を彼らに渡していたのである。 みなの者が小枝を受けとったのちに、天使は鎌を下に置いたが、 あの柳の木は、はじめに見たときと同じように、無傷のままであった。 Ερμάς, attrib. Ποιμήν. Παραβολή VIII, 1. c. 140. 伝ヘルマス『牧者』第8比喩第1節、荒井献訳。
■ 修道女と鷹と月桂樹の枝 皆さん、このところ私は同室の修道女と揉めています。私たちはお部屋に鷹を飼っています。 二人とも鷹のお気に入りになろうとして肉を餌にやるのです。 先だって、鷹が二人のどちらに好意を示すか次第で 鷹をどちらのものにするかを決めようというので、 鷹のところへ行ってみようということになりました。で、そうしたのです。 私はふだんのように月桂樹の枝を携えていました。同僚の修道女は何も持っていませんでした。 鷹は私たちを見ると、即座にそれまで嘴に銜えていた月桂樹の枝を修道女に与え、 私の枝をくれというので私はそれを上げました。 そこで、鷹が好きなのは同僚の修道女のほうだと二人とも考えました。 私は一体どうしたらいいのでしょう? Andreae, Johann Valentin. Chymische Hochzeit: Christiani Rosencreutz anno 1459. III. 1616. アンドレーエ『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚 1459年』第3日、種村季弘訳。
■ 卵のように焼きなさい 言葉を一つ いや二つの言葉をとりだして 卵のように焼きなさい またほんの僅かの感覚と 無邪気さの大きな塊をとりなさい そして技術のとろ火で ゆっくりとあたためなさい えたいの知れないソースをかけて 星くずを散りばめたように塩をふりなさい 胡椒をいれて、それから放りっぱなしにしておきなさい ところで結局どうだというのです 書くということ/本当に? 書くということは? Queneau, Raymond. Pour un art poétique. vs. 1–11. 1947. クノー『詩法のために』第1–11行、窪田般彌訳。
■ 鳥の乳 その2 いわゆる鳥の乳なるものは、卵の白身のことだ。 Αναξαγόρας. 5c BCE. [H. Diels & W. Kranz. B22.] アナクサゴラース、断片、廣川洋一訳。
■ 鳥の声 クードルーンは、その声を聞いたとき、 およそ野生の鳥が、人の言葉を話せるほどに、 利発であるとは、けっして信じられなかった。 王女には、それが人間の声であるかのように思われた。 Kudrun. XXIV, 1168. c. 1230. 『クードルーン』第24章第1168節、古賀允洋訳。
■ 夜鴉の謠 夜鴉の謠は/死をもたらすといふ、/ だがデーモフィロスが/歌を唱ふと、/その夜鴉が/死んぢまふのだ。 Νίκαρχος. 1c. [Anthologia Graeca. XI, 186.] ニーカルコス、呉茂一訳。
■ 鶯の亡骸 鶯の死んだ亡骸を見たものは滅多にない。 恋には不幸であった抱の遊女小菊は、世にかくれた清浄な最後の安息所を見付けた。 彼女は最後の幸福の何たるかを悟ってしまったのであろう。 それを思うと私のような罪の身は今にどうなって死ぬのだろう。 どんなに悶え苦しんで、後生の覚悟もわるく死ぬのだろう。 永井荷風「短夜」『新橋夜話』1920年。
■ 墓の中の美人 ――多分彫刻がわかる頭を持つてゐる或る一人の年が、墓の上にたへられた 大理石の彫像にふと戀を感じたんです。奴さんそれに氣が狂はんばかりに惚れて、 この憐れな氣狂ひが或る日、石棺の中に殘るこの美人を見たいと思つて、 石を上げてみたんです。するとそこには何があつたと思ひます…… そこに彼が正しく發見したものは、愚かにも、ね! 一個のミイラだつたんです! たちまち彼は理性をとり戻した。さうして、この亡骸に接吻して彼女に言つたのです。 (この方が僕はずつと貴女を愛せますよ。少くとも貴女の生きてゐた何物かですからね。 ところが僕は、魂も生命もない一個の石に魂を奪はれてゐたのでした。) Sand, George. Elle et lui. VI. 1859. サンド『彼女と彼』第6章、川崎竹一訳。
■ 眠れる聖女チェチーリヤ 八二一年、教皇パスカリス一世は聖女チェチーリヤ(ケキリヤ)の聖遺物を カリストの地下墓所からトラステーヴェレの同女に捧げられたバシリカに移すために、 上質の木棺に密封した。一五九九年にその木棺を開いてみたところ、聖女の遺骸が 発見されたのである。遺骸は全く原状のままで、殉教の聖女は眠っているように思われた。 ただちに、バロニウスとボシオが呼び寄せられ、二人は共に、ヴェールに覆われて 安らかに臥す貴族の乙女の感動的な姿を叙述している。彼女は右脇を下にし、 両膝を軽く折り曲げて横臥しており、くすんだ赤の縦縞の入った緑色の絹がその全身を包み、 身体の輪郭線をくっきりと描き出していた。ヴェールの下には血痕のしみついた金色の衣が ほのかに光を放っていた。この若い聖女の眠るがごとき姿を拝した人々は、 深い崇敬の念に捉えられた。あえてヴェールを取りのけようとする者は一人もいなかった。 「なぜなら、眠りに落ちた許嫁を許婿が見守っているように思われたから」とバロニウスは述べている。 Mâle, Émile. L'Art religieux du XIIe au XVIIIe siècle. IV, 2. 1945. マール『十二世紀から十八世紀にいたる宗教美術』第4章第2節、荒木成子訳。
■ ラージャダッタ長老の欲情 修行者であるわたしは、死体の捨て場へ行って、婦人〔の死体〕が投げすてられ、 放棄され、葬場の中で虫どもにみちみちて食われているのを見た。 実に或る人々は、屍体がおぞましいものであると見て、嫌悪する。 (しかし、わたしの場合には、)欲情が起った。 盲人が流れるもの(身体)に対するかのごとくであった。 Rājadatta. Theragāthā. CCCXV–CCCXVI. c. 5c–3c BCE. ラージャダッタ、『テーラガーター』第315–316詩、中村元訳。
■ 波打ち際の美女 テュモイテスは兄のトロイゼンの娘エウオピスと婚約したが、 彼女が実の兄弟と熱烈に愛し合っていることを知って、これをトロイゼンに打ち明けた。 エウオピスは畏れと恥ずかしさから自ら縊れたが、 その前に、わが身の不幸を惹き起こした男に恐ろしい呪いをかけたのだ。 果たせるかな、幾ほどもなくテュモイテスは、 まことに美しい女が波打ち際に打ち寄せられているのに行き会い、 これに欲望を抱いて交わった。しかし、長い時が経ち、ようやく遺体も崩れゆくに及んで、 彼はその女のために大きな墳墓を築き、なおも愛欲の止まぬまま、女の後を追って自裁した。 Παρθένιος. Περί ερωτικών παθημάτων. XXXI. c. 1c. パルテニオス『恋の苦しみについて』第31話、中務哲郎訳。
■ 鷲・駝鳥・ワニ 有名な話だが、息を引きとろうとする病人に、お坊さんが罪障消滅のお告げをした。 そして「イエス・マリヤ・ジョセフ」と儀礼のことばを述べた。 すると瀕死の病人がいきなり立ちあがって、「鷲・駝鳥・ワニ」と叫んだ。 これは“bicho”に出てくる動物で、イエス・マリヤ・ジョセフに当たるポルトガル語の Aguia, Avestruz, Jacaré が、だいたいこれと似ているからである。 Caillois, Roger. Quatre essais de sociologie contemporaine. II, 2. 1951. カイヨワ『現代社会学に関する四つのエッセイ』第2論文第2章、内藤莞爾訳。
■ 猟師と取引をする象 それはあの象を見てもよくわかる。力つきるまで防戦して、もはや手だてのないことをさとると、 いよいよ捕えられる寸前に、その顎を樹木にぶつけて自ら牙を折る。 これは今までのように自由でいたいばかりに、どうかこの牙の代償に放してはもらえまいか、 この牙を自分の自由の代償としてはもらえまいかと、猟師と取引をしているのにちがいない。 La Boëtie, Étienne de. Discours de la servitude volontaire ou le Contr'un. c. 1549. ラ・ボエシ『自発的隷従論あるいは反一人論』関根秀雄訳。
■ 猟銃と犬 彼の精神状態は私が昔飼っていたコリーと同じだった。 その犬は私が獲物を殺さぬかぎりは猟銃が大好きだった。 (その当時、エトリック地方には狩猟法は及んでいなかった)。 私が狙いを外した野兎を全速力で追ったものだった。 ところがある日、奇跡的にこの犬の目前で撃った弾が兎に命中した。 このときの犬の驚きようを私は決して忘れないだろう。 彼は銃を見つめ、次に死んだ兎を見、このままだと自分の命も危ないと思ったらしい。 彼は尻尾を丸めると一目散に家に逃げ帰った。 そしてその後は猟銃を決して見ようとしなかった。 Hogg, James. The Brownie of the Black Haggs. 1828. ホッグ『黒い沼地のブラウニー』橋本槇矩訳。
■ 球形の生物たち 正義と勇気がもしも生物であるなら、きっと陸上の生物だ。 あらゆる陸生生物は凍えたり飢えたり渇いたりする。 したがって、正義は凍え、勇気は飢え、仁慈は渇く。さらに、どうだろうか。 私は彼らにそれらの生物がどのような姿をしているか質問しないだろうか。 それは人間の姿か、馬のか、野獣のか。 もしも彼らが、それらの生物に神と同様の球形の姿を与えているのなら、 貪欲や贅沢や狂気も同じく球形かどうかを尋ねよう。これらも生物のはずだから。 これらも同じく球形だと彼らが考えるなら、 今度はさらに慎重な歩行は生物かどうか質問しよう。 彼らは否応なくそれを認め、歩行は生物であって、しかも球形の姿だと言うに違いない。 Seneca, Lucius Annaeus. Epistulae morales ad Lucilium. CXIII, 21–22. c. 62. セネカ『ルーキーリウス宛倫理書簡集』第113書簡第21–22節、大芝芳弘訳。
■ 球状の死 ルネッサンスは、私に、海鞘の一種であるクラヴェリナという小さな動物を聯想させる。 この動物を水盤のなかにいれ、数日の間、水をかえないで、そのままほっておくと、 不思議なことに、それは次第次第にちぢかみはじめる。そうして、やがてそれのもつ すべての複雑な器官は段々簡単なものになり、ついに完全な胚子的状態に達してしまう。 残っているのは、小さな、白い、不透明な球状のものだけであり、そのなかでは、 あらゆる生の徴候が消え去り、心臓の鼓動すらとまっている。クラヴェリナは死んだのだ。 すくなくとも死んでしまったようにみえる。ところが、ここで水をかえると、 奇妙なことに、この白い球状をした残骸が、徐々に展開しはじめ、漸次透明になり、 構造が複雑化し、最後には、ふたたび以前の健康なクラヴェリナの状態に戻ってしまう。 再生は、死とともにはじまり、結末から発端にむかって帰ることによっておわる。 注目すべき点は、死が――小さな、白い、不透明な球状をした死が、 自らのうちに、生を展開するに足る組織的な力を、黙々とひそめていたということだ。 花田清輝「球面三角――ポー」『復興期の精神』1946年、1966年。
■ 五大に還る五大 五大よりなる身体が、/再び五大に戻るとも、/そはそれぞれの根源に/帰するに過ぎず。 賢人よ、/これを嘆くは理由なし。 Śrī Nārāyana Pandita. Hitopadeśa. IV, 74. c. 9c. ナーラーヤナ『ヒトーパデーシャ』第4話第74句、金倉圓照・北川秀則訳。
■ 不可解な神秘 死――日々の経験に教えられながらも、まだ人々が本当にしているとも見えぬ不可解な神秘。 われわれを慰めもせねば鎮めてもくれぬ確実な終極。 平ぜいの無頓着の、そして一時の恐怖の、対象。 Constant de Rebecque, Henri-Benjamin. Adolphe : anecdote trouvée dans les papiers d'un inconnu. VII. 1806. 1816. コンスタン『アドルフ――見知らぬ人の文反古に見出されたる物語』第7章、大塚幸男訳。
■ 天才の死 ~よ、久遠の證人よ、言へ、何ゆゑの生なりや。 すべて沈默。空間は情け知らずか。待つてくれ、 星たちよ、まだ、死にたくない。ョむ、おれは天才だ。 ああ取返しのつかないやうな、どんなものにもなりたくない。 Laforgue, Jules. Éclair de gouffre. vs. 13–16. 1880. ラフォルグ『深淵の閃き』第13–16行、齊藤磯雄訳。
755 :
吾輩は名無しである :2007/11/24(土) 04:03:28
218 名前: 名無し物書き@推敲中? Mail: 投稿日: 2007/11/23(金) 22:49:51 「流して書いたって、わたしも言いたかったですよ!」 谷崎由依
■ もう少しの逸楽を もう少しの逸楽を! と男は美女の前で興奮しながらいう。 もう少しの逸楽を! と鳥たちは春に歌う。 もう少しの逸楽を! と薔薇の花はその匂いを放ちながら吐息をつく。 そして薔薇も、鳥も、男も、そのわずかな逸楽を手に入れたかと思うと、たちまち死ぬのだ。 Ségur, Nicolas. Conversations avec Anatole France ou les mélancolies de l'intelligence. 1925. セギュール『アナトール・フランスとの対話あるいは知性の愁い』大塚幸男訳。
■ 不敬な者たち 不敬な者たちはいっている 笑って 歌おう、 花から花へと 快楽から快楽へと われらの欲望を移していこうと。 未来に頼るのは 気ちがい沙汰 はかない歳月を数えるも 愚か 今日の日をいそいで 人生を楽しもう 明日はどうなることか 誰が知ろうと。 Racine, Jean. Athalie. II, 9. 1691. ラシーヌ『アタリー』第2幕第9場、佐藤朔訳。
■ 享楽 神を敬うものも、そうでないものも、みな同じ悲惨な死をとげていく、 法律を犯しても裁かれて刑をうけるまで生命があろうとも思われぬ、 いずれにせよすでに死の判決をうけ処刑を今か今かと待つばかりの自分らなのだ、 首がとぶまえにできるだけ人生を楽しんで何がわるかろう、 という思いが誰の胸にもあったためである。 Θουκυδίδης. Ιστορία του Πελοποννησιακού πολέμου. II, 53. 5c BCE. トゥーキュディデース『ペロポンネーソス戦争史』第2巻第53章、久保正彰訳。
「君が俺の最後の女なんだぜ。え、そうなんだ。 こればっかりは、理窟ぬきで、目の前にさしせまっているのだからね」 坂口安吾 戦争と一人の女
「姉さんが、魂をあげます。」 泉鏡花 売色鴨南蛮
762 :
吾輩は名無しである :2008/01/02(水) 06:55:56
うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ 太宰治 魚服記
763 :
吾輩は名無しである :2008/01/06(日) 15:36:01
いい商品には宣伝などいらぬのだよ 神様
764 :
吾輩は名無しである :2008/01/06(日) 17:39:07
複雑な人間にとって 簡単な楽しみは 最高の逃げ道です オスカーワイルド ドリアングレイの肖像
ヒザポンだっ!! wwwww
もしかすると私たちの子供のころの日々で 生きることなく過ごしてしまったと思った日々、 好きな本を読みながら過ごした日々ほど 充実して生きた日々はないのかもしれない。 プルースト、読書について
■ 苦いものと甘いもの 『苦いものは甘いものより先に來なければなりません。』 それは甘いものを一層甘くするのです。 Bunyan, John. The Pilgrim's Progress from This World to That Which Is to Come: Delivered under the Similitude of a Dream. II. 1684. バニヤン『現世より来世に進む巡礼の行程――夢の喩による』第2部、竹友藻風訳。
■ 神を信じない男 神を信じない男も、いくら気が強いからと言って、愈々自ら死に臨んでは、 やはり若干の動揺を感ぜずにはいられまい。若しも次のように推論するならば。 「おれはおれの最も明白な損得の問題に関してすら幾度となくまちがった。 して見れば宗教の問題に関してもまちがっていたかも知れぬ。 だが、おれにはもう問題を究明するだけの時もなければ力もない。 おれは今死にかけている……」 Vauvenargues, Luc de Clapiers, marquis de. Réflexions et maximes. CCCXXII. 2e éd. 1747. ヴォヴナルグ『省察と箴言』第322番、関根秀雄訳。
■ 神自体ですらない神 神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。 しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。 それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさを故ら維持し、 ありもしないものと所与の存在との境目をぼかすことに従事します。 三島由紀夫『美しい星』第8章、1962年。
■ 神々と創造 神々はこの〔世界の〕創造より後なり。しからば誰か〔創造の〕いずこより起りしかを知る者ぞ。 ऋग्वेद. X, 129, 7. c. 1200 BCE. 『リグ・ヴェーダ』第10巻第129歌第7節、辻直四郎訳。
■ 神の女優 きみとして今できるたった一つのこと、たった一つの宗教的なこと、それは芝居をやることさ。 神のために芝居をやれよ、やりたいなら――神の女優になれよ、なりたいなら。 これ以上きれいなことってあるかね? Salinger, Jerome David. Zooey. 1957. サリンジャー『ズーイ』野崎孝訳。
■ キリスト教ではない 私はプロテスタント教とカトリック教とのいずれがより異端的でないかを 究明しようとしているのではさらさらない。 私は両者のいずれもが、異なった程度においてであるにせよ、ともに異端である、 つまり両者がどちらもキリスト教でない、ということを立証しようとしたのである。 Saint-Simon, Claude-Henri de Rouvroy, comte de. Nouveau christianisme : Dialogues entre un conservateur et un novateur. 1825. サン=シモン『新キリスト教――保守主義者と革新者との対話』森博訳。
■ 教会の力は例外 子供に加えられるところのものは、すべてみな暴力ではないか。 と申しても、教会が子供達に加える力は例外であるが。 Lessing, Gotthold Ephraim. Nathan der Weise: Ein dramatisches Gedicht in fünf Aufzügen. IV, 2. 1779. G・E・レッシング『賢人ナータン――五幕劇詩』第4幕第2場、篠田英雄訳。
■ 鞭打ち苦行の少年 これは、今なおわたしには理解のできない一つの謎である。 しかし彼らは皆、あざをつけ、むごたらしく傷つきながら、なお絶え間なく自分を鞭打ち苦しめている。 にもかかわらず彼らの様子を見ると、その歩みは泰然としているし、言葉もしっかりしている。 (わたしは現に彼らの何人かが話し合っているところを聞いたのである。) また彼らの顔つきを見たって(多くの人たちは覆面をせずに街を歩いて行った)、 とても苦行をしているようにも、否まじめな行為をしているようにすら見えなかった。 中には十二、三歳の若い人たちまでもまじっていたのである。 わたしのすぐそばに、非常に若い可愛らしい顔をした少年がいた。 一人の若い婦人は、少年がそんなに傷ついているのを見て哀れがった。 すると少年は我々の方を振り返って、笑いながらこう言った。《泣かないで下さい。 私がこうしているのは、あなたの罪業のためであって、私の罪のためではないのです。》 Montaigne, Michel Eyquem de. « Rome. » mars 1581. Journal du voyage de Michel de Montaigne en Italie, par la Suisse et l'Allemagne en 1580 & 1581. 1774. モンテーニュ「ローマ」『旅日記――スイス、ドイツを経てイタリアへ 1580–1581年』関根秀雄・斎藤広信訳。
■ ピュータゴラースと小犬 あるとき、彼(ピュタゴラス)は小犬が打ち叩かれているところを通りかかり、 不憫に思い、こういったと伝えられている。「やめよ、叩いてはならぬ。 これはわたしの友人の魂だからだ、その鳴く声を聞いてそれとわかったのだ。」 Ξενοφάνης. fr. B7. c. 6c BCE. クセノパネース、断片第7、廣川洋一訳。
776 :
吾輩は名無しである :2008/02/19(火) 20:29:08
★めちゃカワラグジュアリー☆スーパーエレガント!! 今期ヘビーアウターナンバー1本命かつ大流行アイテム!!! 3WAYファーフードショート丈タイトシルエットフェイクスウェード生地センターツートーンレザー切り替え 中綿ダウンタイプジャケットです。 昨年オシャレシーンを席巻してスーパービックトレンドとなったアウターといえば・・・ダウンジャケット!! 今期ももちろんド本命アウターとして各ファッション雑誌でも頻繁に特集が組まれ、ハイブランドや モード・カジュアル問わずあらゆるジャンルのブランドからも新作がリリースされるなど今期も争奪戦必死!! 特に今期はレザー使いやファー付きデザイニングなど『ラグジュアリー』なデザインのものが大流行中! 見るからに高級感溢れる肌触りの良いフェイクスウェードを全体に贅沢にあしらったスペシャルな素材感+バッサリと センターを切り返したツートーンのレザーデザインの絶妙なコンビデザイニングを流行のタイト&ショートの 黄金律に落とし込んだまさにスペシャルメイキングな一着です。 一目で『それと分かる』存在感。たたずむだけでも十二分に主張する生地感。 触った感じや動きで表情に変化が現れるフェイクスウェード特有のスペシャルな生地感がスーパーラグジュアリー!!! 程よく毛羽立つナチュラルな素材感にユーモアたっぷりの愛嬌ある表情・・・唯一無二のオリジナルな表情が独創的かつ エレガントな一着です。 さらにセンターをバッサリとフェイクレザーで切り替えしツートーンの異なるカラーでアクセントをつけたデザイニングで 高級感溢れる表情を絶妙にカジュアルダウン! 肩の力が抜けたリラクシングなムードとフェイクスウェード特有のキュートな印象を煽る奇跡的なミックスデザイン。 完璧です♪さらにさらに!独立して取り外しが出来るファーフードをあしらうことでラグジュアリーなニュアンスを存分にプラス! 3WAY仕様で着こなしの幅が広がること間違いなし!!Vキルティングにカットしロックしたステッチワークでシャープな印象を 表現し、ダウンではなく中綿を詰め込むことでタイトな身幅をキープしたスタイリッシュなシルエットはもちろんショート丈!! モードな感性でアプローチしたデザイニングは圧巻の一言です。
■ 声 「話しかけるですって? 人間のように、話しかけてくるってことですか?」 「そのとおりです。言葉と連続する文で、首尾も一貫し、発音も完璧にです。 しかし、特有の癖があります。人間の声の調子ではありません。 その声はわたしの耳にきこえてくるのではなく、唄声のように頭の中からきこえてくるのです。 この能力、私に語りかけてくる力が、私の破滅のもとになるのでしょう。 それが私の祈りを阻止し、怖るべき冒瀆によって妨害をたくらみ、 祈りをつづける気にさえなれないのです。どうしても。 人間の術策も思慮も祈りも、私にはなんの役にも立たないのです!」 Le Fanu, Joseph Sheridan. Green Tea. IX. 1872. レ・ファニュ『緑茶』第9章、横山潤訳。
■ 動物にかわるなら 「動物にかわることができるくすりをつくらない?」わたしはいいました。 「わたし、キリンになれたらうれしいな。せが高くなるし、きれいな茶色の目になれるわ。」 「声がだせないじゃない。キリンには声帯がないんだもの。声帯って声のでる器官よ。」 ジェニファはいいました。「あたしが動物になるとしたら、うるさいのになりたいわ。 でなきゃ、はやいの。あたし、ヒョウになろう。はやいもの。」 「でも、アメリカ合衆国じゃ、キリンもヒョウも動物園にいるだけよ。 わたしたち、おりにいれられちゃうわ。自由な動物になるほうがいいんじゃない?」 Konigsburg, Elaine Lobl. Jennifer, Hecate, Macbeth, William McKinley, and Me, Elizabeth. IV. 1967. カニグズバーグ『ジェニファ、ヘカテー、マクベス、ウィリアム・マッキンリー、そしてわたし、エリザベス』第4章、松永ふみ子訳。
■ 植物兎 「植えたつもりじゃないのに」彼女は買い物を手にしたまま急いで裏庭に回ってみた。 見れば見るほど、まさに兎の骨だった。地面からつき出ている部分は濡れてねばねばしているように見えた。 余りの醜さに触れようとして伸ばした手をボウエン婆さんは思わず引っ込めた。 次の日はその側を通ってもそちらに視線を向けないようにした。 いやそれどころか彼女は、もし自分が植物たちに関心を向けないようにすれば 彼らは成長を止めるのではないかとさえ考えた。 「なんと言っても栽培しているのは私で彼らじゃない」 しかし彼女は好奇心を押さえることができず、様子を見にいった。 それはさらに成長して外側のぬるぬるしたところが少し乾燥し始めていた。 なにやら赤い線が十文字にその表面を走っている。 地面に近いところには灰色のものがもっこり顔を出している。 Cook, R. C. Green Fingers. 1968. クック『園芸上手』橋本槇矩訳。
■ 雪もぐら 愛するコラン わたしとても具合がいいわ。天気がとてもいいの。ただ一ついやなのは雪もぐらよ。 雪と土の間に潜っている小さな獣よ。オレンジ色の毛皮をしていて、夜になると 大きな声を出すの。大きな雪だるまをつくって、みんなそれにつまずいてしまうのよ。 太陽がいっぱいで、間もなくあなたの許に帰れるわ。 Vian, Boris. L'Écume des jours. XLVI. 1947. ヴィアン『日々の泡』第46章、伊東守男訳。
■ カメレオン象 持つて生れた本來の肌の色を取り戻すどころか、この象は、告F、橙色、瑠璃色、 紫色、猩々緋色、鳩註Fになつてしまひ、――目も絢に輝き亙り、 虹のあらゆる色彩を次次に現すにいたつた。 長い鼻は、――異國の色とりどりの旌旗が風の落ちた時に垂れ下るやうな恰好で、 ――色樣々に染め上げられた檣のやうな大きな片脚に副うて、だらりと垂れてゐたので、――思はずぎよつとしてしまつた園長も、遂には感歎して、かう叫んだ。 ――おゝ! そのまゝにして置いて下さい! お願ひです! もう觸らないで下さいな! 何といふ摩訶不思議な怪物でせう! カメレオン象ですな! Villiers de L'Isle-Adam, Auguste, comte de. La légende de l'éléphant blanc. 1886. ヴィリエ・ド・リラダン『白象伝説』渡邊一夫訳。
■ アヴァロンの島の多彩な犬 どのようにたくみな言葉を使っても、この犬の性質とその美しさを語りえるものはあるまい。 その毛が何色だか、だれにもそれがいえないほど、その色合いはすばらしかった。 最初見ると、その首筋の色は雪よりも白く、臀の色はクローバの葉よりも青く、 片方の脾腹は緋よりも赤く、他の側はサフランの花より黄色く、胸毛は瑠璃、 背は薔薇色であるかのように思われる。ところがもっと長く見つめていると、 これらのすべての色彩が眼の上で踊りだし、やがて白、青、黄、藍、深紅、薄紅と、 順々にうつりかわってゆくのであった。 Le roman de Tristan et Iseut. XIV. c. 12c–13c. Éd. Joseph Bédier. 1890. 『トリスタンとイズーの物語』第14章、J・ベディエ編、佐藤輝夫訳。
■ 胆汁の色 そしてまた、食事をしている最中に、わしは薬草のエレボロスを服用し、 嘔吐と通じで体を掃除してもらったことがありますが、わしの排せつ物の中の胆汁は、 ここにあるスープよりも黒い色でしたぜ、などと、その様子をくわしく話す。 Θεόφραστος. Χαρακτήρες. XX. c. 319/318 BCE. テオプラストス『性格論』第20章、森進一訳。
■ プリュギアの森の白いミルク まさしくそこで、かつて、牛の群れのそばで眠っているエンデュミオーンを 上から見つめていた高貴なセレーネーが、空からおりてきたのであった。 この若者へのうずくような欲情が女神を導いたのだ、不滅のけがれない女神ではあったが。 彼女の結婚の床のしるしが小楢の木蔭にできて、今でも残っている。 というのも、森の中でその小楢のまわりにミルクが広がっていたからだ。 そして今でも人々はこの奇瑞をみることができる。それをはるか遠くからみると、 人はそれを白いミルクであると思うだろう。 じつはその洞窟が澄んだ水を噴出させているのであり、 その水は少し遠くへ走っていくと、流れながら固まっていき、地面が石のようになるのだ。 Κόϊντος ο Σμυρναίος. Τα μετά τον Όμηρον. X. c. 3c–4c. コイントス『ホメーロスの続き』第10巻、松田治訳。
■ 白く輝く翼をもった蛇 さあ、黄金を鏤めた弓弦から飛び出してゆく、白く輝く翼をもった蛇にとっつかまって、 苦しさのため、黒い泡をふかないようにしたがいいぞ、 人間から吸い上げた、人殺しの血糊の球を吐き出してから。 Αισχύλος. Ευμένιδες. [180–184]. 458 BCE. アイスキュロス『エウメニデス』[第180–184行]、呉茂一訳。
無秩序、ざわめき、激しい身振り、絶え間ない行き来、ベイト・ハミドラッ
シュ(律法の学院)はそのように描かれる。ベイト・ハミドラッシュ、すなわ
ち「学びの家」はシナゴーグの代わりをするし、ときには食堂にも使われ
る。タルムードの修学生たちは修道士の静けさを持たない。沈黙は求め
られていないのだ。めったにきちんと列をなしていないテーブルの上には、
ゲマロートに加えて、トーラーやマイモニデスやシュルハン・アルーフが所
狭しと置かれている。広げられた書物の上に別の書物が広げられ、それ
が高く積み上げられてゆく。
修学生たちは座ったり、立ったり、片膝をベンチや椅子にのせたりして、
タルムードのテクストを読みふけっている。二人並んでいる場合もあるけ
れど、たいていは向かい合って、大声を出して音読している。前後や左右
に身体を揺らし、理路の難所では親指を大きく動かして区切りを強調し、
書物やテーブルやさらには隣にいる修学生仲間の肩をひっきりなしに叩
き、部屋を囲むように作りつけられている巨大な書棚からすばやく注釈書
を出し入れしては、熱に浮かされたように頁をめくる。この「意味の戦闘」
における敵対者たちは、理解し、解釈し、説明することに熱中している。
幸いなことに、検討されている章句の意味について両者の意見が一致す
ることはめったにないので、彼らは師のもとへ行く。師は説明し、提示され
たテーゼについて立場を明らかにし、相談者たちの持ち込んできた熱戦
をいっとき鎮静させる。離れた別のテーブルでは、一人の修学生がタル
ムードの彼のテクストの上で腕を組んだまま眠り込んでいる。その隣では
別の修学生がコーヒーをちびちび啜りながら考え深げに煙草を吸ってい
る。学習のあとには精神の集中が必要なのだ。すべてが動いている!
ベイト・ハミドラッシュは不断の沸騰状態のうちにある。そこでは昼夜を問
わず声が響く。学習の終わりなきざわめき。
M.-A. Ouaknin, « Le Livre brûlé » ( éd. Seuil, 1994 ), pp. 132-133.
マルク=アラン・ウアクナン『燃やされた書物』/内田樹訳
ttp://www32.ocn.ne.jp/~jizaiya/list/magazin/gsconts/9407.html
789 :
吾輩は名無しである :2008/08/01(金) 00:16:22
我が輩は猫である。
■ 牛馬と交尾する蛇 此邪~は年經たる虵なり。かれが性は婬なる物にて、 牛と孳みては麟を生み、馬とあひては龍馬を生といへり。 上田秋成「蛇性の婬」『雨月物語』卷之四、1776年。
■ 出産するトロイエーの木馬 今ここに、不幸なヘカベーの夢が陣痛を起こし、出産するのです。 戦争に終止符が打たれ、先送りされていた年が満了するのです。 大将たちから成るとてつもない待ち伏せ部隊がやってきます。戦闘意欲に燃え、 武具をきらめかせる彼らを、ほの暗い夜闇の中で、この頑丈な馬が吐きだすでしょう。 ただちに、完璧な戦士らが地面に飛びおり、激しい戦闘へと飛びこむでしょう。 女たちが、陣痛を起こした馬に分娩させ、生みだされる男たちを待ちうけるのではなく、 この馬を作った者みずからが、その馬のエイレイテュイアとなるでしょう。 町々の破壊者アテーネーは、妊娠している〔木馬の〕腹を開き、 尽きせぬ涙をともなう出産を助けて、叫び声をあげるでしょう。 Τριφιόδωρος. Ιλίου Άλωσις. 4c. トリピオドーロス『イーリオン占領』松田治訳。
■ 女性的なもの 男性系の精子がたまたま子宮の左側に流入したときには、たしかに男が出産されるが、 しかし女性的部分に孕まれるのであるから、男性の相応しさが許容する範囲を越えて 女性的なものを自らの内に持つことになると推定される。 人目を惹く体形とか、過度の色白さとか、身体の軽さとか、デリケートな肢体とか、 小柄な背丈とか、か細い声とか、弱々しい心などである。 Lactantius, Lucius Caecilius (Celius) Firmianus. De opificio Dei. XII, 12. 303/304. ラクタンティウス『神の御業について』第12巻第12章、日下部吉信訳。
793 :
吾輩は名無しである :2008/10/16(木) 00:03:07
794 :
吾輩は名無しである :2008/10/17(金) 00:50:45
ブログでやれ
ロトの妻はもちろん町の方をふりかえるなと命ぜられていた。だが彼女はふりかえってしまった。私はそのような彼女を愛する。それこそ人間的な行為だと思うからだ。彼女はそのために塩の柱にかえられた。そういうものだ。(『スローターハウス5』)
自分は人類を愛しているけど、我ながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆくからだ。(『カラマーゾフの兄弟』)
いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください。(『カラマーゾフの兄弟』)
お前は人間を尊ぶあまり、まるで同情することをやめてしまったかのように振る舞った。(『カラマーゾフの兄弟』)
人間は正しい人の堕落と恥辱を好む。(『カラマーゾフの兄弟』)
>>795 今か今かと、イザナギは待ちに待つたが、ひさしくして、つひに待ちきれず、
禁ぜられたさかひを踏み越えた。殿の内は闇である。イザナギは左右に分けて
むすんだ髪の、左にさした魔よけの櫛をとつて、その竹の齒の太柱を一本缺き、
それに火をともした。そして、その火をたよりに、奥にすすみ入って、妻はと
見れば、いかなこと、そこに臥したイザナミの身には蛆わいて波うつばかり、
あまつさへ頭には大雷(オホイカヅチ)、胸には火雷(ホノイカヅチ)、腹には
K雷(クロイカヅチ)、陰には拆雷(サクイカヅチ)、左の手には若雷(ワカイカヅチ)、
右の手には土雷(ツチイカヅチ)、左の足には鳴雷(ナルイカヅチ)、右の足には
伏雷(フシイカヅチ)、あはせて八くさのいかづち~がうまれてゐた。
持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。(新約聖書・マタイ)
あみららさんではありませんか(嗤) d( ̄ω ̄)
今シーズンの”マストアイテム”として目が離せない、誰もが一着はおさえておきたい ファーフードダウンTYPEジャケット!! こちらのモデルは、シレ加工を施して艶感を出した表地となるキルティングボディが エレガントな表情を演出しており、さらにヨーク部分をエナメル地で切り替えす事で 全体により光沢感が増し、『シャイニー×シャイニー』なデザイニングが独特の 世界観を生み出した逸品です。 フロント前立てに施されたWジップ、身頃ジップポケット、胸もとジップポケット、左腕に 配置されたジップポケットと、ハードなジップ使いが強烈なまでの”ロック感”を漂わす ラグジュアリーなデザインで、ベースカラーがダークだからこそ映えるアンティークゴールドカラーが 強烈なインパクトと個性を放ちます。 最旬フード+ファーデザインが存在感を高めており、ファーはフェイクながらもその毛並みの 鮮やかさやグラデーションがかった色味がゴージャスなニュアンス!!ファーフードは取り外しが 可能な2WAY仕様で、シーンや用途に合わせてファーフードジャケット・ファーフードレスブルゾンと して着用して頂けるデザイン性の高さと高度なテクニックも魅力的です。本格的シーズンに入る これからの季節にはうれしい保温&防寒性に優れる中綿入りで、中綿はポリエステル素材を 採用する事で一般的なダウンよりも軽量に仕上がっており、へヴィウエイトになりがちな冬本番の スタイリングでも軽やかに着こなして頂けます。さらに袖口・裾部はリブ仕様となっており、防風性を 高める細部への配慮の施しや気配りにおいても完璧に仕上がった秀逸なアイテムです。 こちらのアイテム最大の魅力とも言えるシルエットは、”中綿によるボリューム感×ショート丈”が 美しく調和した素晴らしいシルエット!! 今期らしくボリューミーアイテムでも細身で着こなせる『モードなコンパクトスタイル』がモダンアイテムへの アプローチをヒシヒシと感じさせ、”今期らしさ”をこの上ないほど詰め込んだスペシャルメイキングです。 冬本番に差しかかるこれからのシーズンのデイリーウェアとして、尚且つしっかりと『モード』を採り入れつつ ガンガン着回して頂けるおススメの一品です。
これからの季節にマストなダウンTYPEのジャケット!! こちらは、ロック感漂わすレトロなワッペン使いと、ボリューミーでありつつも コンパクトに仕上がったシルエットが印象的なアイテムです。 アシンメトリーテイストな変形裁断で立体感を演出した表地は、今期テーマを 主張する『シャイニー』なニュアンスを打ち出すナイロンを使用した艶やかな 素材感が”ラグジュアリー”な逸品です。 フロント身頃にデザインされたエンブレム調のワッペンが個性的で、 70’〜80’年代のファッションを彷彿させる”レトロ”なフォルムがオシャレ度を高めます。
アメカジ人気のポップ且つレトロなワッペン使いが個性的で、部分のレザー切り替えデザインが ウエスタンテイストのワイルドフォルムを打ち出した今期も引き続き大人気のダウンTYPEジャケットです。 シレ加工で艶感を出した旬の『シャイニーテイスト』を放つキルティングボディがトレンディーで、 ヨーク部分・フロント身頃のポケット口をレザーで切り替えした”ギミック感”あふれるパターンが 圧倒的センスを感じさせます。切り替え部のレザーはフェイクでありながらもリアルレザーに 勝るとも劣らない上質感があり、セクシー且つワイルド、更にアダルティーな大人の色気を プンプン漂わせています。随所にあしらわれたワッペンデザインが全面にポップ感を加えており、 ワッペンの配置や角度からカラーバランスまで、すべてにおいてこだわり尽くされたハードでありつつも 素朴なフォルムが印象的です。 比翼タイプ×ダブルZIPのフロントがディテール力の高さを象徴しており、アンティークゴールドカラーを チョイスしたスナップボタンが高貴なニュアンスをプラスしています。 フロント身頃にはしっかりとしたポケットが2つ配置されアウターとしてのクオリティーも申し分なく、 保温&防風&防寒性に優れる中綿入りですので冬本番を迎えても暖かく着用でき、中綿は ポリエステル素材を詰める事で一般的ダウンスタイルよりも軽量に仕上がっています。 ショートめの丈に細身をキープしつつも程よいボリューム感を保ったシルエットが秀逸で、これ一着で スタイリングが完結する程の存在感を持ち、本格的シーズンに入るこれからの季節に『マストバイ』な おススメの逸品です。
とても罪なくして赦されるような身ではありません。それは虫が良すぎます。 私は卑しくても、この様な汚ない罪を犯しながらそのまま助けてくれと願う程 あつまかしくはなっていないのです。それがせめてもの良心です。私の誇りです。 (『出家とその弟子』第三幕 第一場)
test
test
812 :
吾輩は名無しである :2009/07/10(金) 00:40:56
まったく、このウジ虫どもが。
───おれはおまえを傷つけはしないぞ、叔父トウビーは椅子から立上って、蠅を手にして窓のほうに歩みながら言いました ───おまえの頭の毛一すじだって傷つけはしないぞ───行け、と窓を上のほうに押しあげて、手を開いてにがしてやりな がら───可哀そうな奴だ、さっさと飛んでいくがよい、おれがおまえを傷つける必要がどこにあろう、───この世の中には おまえとおれを両方とも入れるだけの広さは確かにあるはずだ。
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