【千年の愉楽】中上健次【枯木灘】

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402吾輩は名無しである
中上健次の講演会記録を読んだことがある。
うろ覚えだけど、こんなことを言っていた。
芸能の始まりはどこにあるのか。歌はどこから生じるのか。
「うめき」からではないかと中上さんは推測する。
外(運命)からたたかれる、(不幸に)打ちのめされる、それが続く。
そんな状態が継続すると、そのひとの内部に何物かがたまっていく。
何がたまるのか。やりきれなさ、鬱屈、それは怒りかあきらめか。
いつしか容器を超え溢れ出す、それが「うめき」だと中上さんは言うわけです。
それが歌になる。歌となってひとのこころを揺り動かす。
だから歌はうたおうとして出てくるものではない。
うたわざるをえないもの、それこそが歌だ。
古来、歌とはそういうものではなかったか。
そこで中上さんは文学者だから、文学も同じではないかと話をすすめていきます。
いまどれだけの文学者が「うめき」を持っているかと問うていく。