59 :
吾輩は名無しである:03/06/08 12:21
047
じいさんは舌先で筆のさきをなめた。自分が手紙を出しても学生さんが喜ぶかと考えてみた。
どうすればあの学生さんがこの手紙を読んで喜ぶだろうか。自分の自慢の娘であるお玉から来た手紙だと
思ったらもっと学生さんは喜ぶのではないかと思った。以前秋葉の原でお子さま衆に飴を売っていたときも、
お玉にはその仕事を手伝わせることもなかったのだが、たまたまお玉がそこにいるとお子さまたちは争って
お玉の手から売り物の飴を買っていったものである。こんなひからびたような爺さんから飴を貰うよりも、
きれいなお玉から飴を受け取った方が嬉しいのは子供でも同じである。爺さんはそこに飴という商品の単なる
価値以上の付加価値を見いだしていた。あの巡査とのごだごたのときも学生さんはお玉のことを見ていたはずだ。
お玉のことを決して悪い印象を持っているはずがない、自分の口から云うのもなんだが、お玉は綺麗な娘である。
60 :
吾輩は名無しである:03/06/08 12:21
048
貧乏していても決して手が荒れるようなことはさせず、文字どおり玉を磨くように育てた自慢の娘だもの、
きっとそのお玉からお礼の手紙を貰えば学生さんは喜ぶはずである。そう思った爺さんは自分がお玉に
なったつもりで手紙を書き始めた。
上条の下宿で三角の様子に大きな変化があることを知ったのはその一週間後だった。三角がやたらにはしゃいだり、
その逆に真剣じみた表情をしていたり、今まで芝居のことなど話したこともなかったのに、芝居の演目のことを語ったり、
義太夫を聴きに行ったりしているのである。その理由はすぐに上条のお上さんに聞くと分かった。
三角のところに来るはずがないのに女から手紙が来たそうだ。僕が下宿の玄関のところにいるとうだったような顔をして、
三角が出て来た。まるで長いこと暗闇に閉じこめられていた人間が急にシャンデリアが光り輝く舞踏会に
61 :
吾輩は名無しである:03/06/08 12:22
049
引っ張り出されて目がくらんで、平衡感覚が狂ってしまっているようだった。僕が一緒に散歩に往こうかと云うと
三角はわけのわからないことをつぶやくと断って、一人で出て行った。三角は不忍池の東側を通って広小路の方に抜けて見た。
ずっと後に、殺風景にも競馬の埒にせられて、それから再びそうそうを閲して、自転車の競走場になった、
あの池の縁の往来を通ってである。それからしばらく歩いて、淡路町から神保町に抜けて往った。
随分の距離を歩いていたが三角は気分が昂揚しているのでそんな距離も気にならない。
あの娘からお礼の手紙が来ることなど想像もしていなかった。自分の親戚の女と結婚している巡査が
飴売り屋の生娘と重婚の罪を犯していると知ったとき、社会的正義のために、
法律のことは何も知らない善良な人のために告発しようという気になって行動を起こしたのだが、
その娘のことは何も知らなかった。しかし、その娘がことのほか別嬪で、長屋のお上さんから、
その娘の生い立ち聞くと、その娘にますますの好印象を持った。お玉は三味線も習っていて、
ときおりお玉のつま弾く三味線の音が長屋から聞こえるそうである。その飴細工屋の娘は親父が零落して苦労を重ねたが、
いつも小綺麗にさせて三味線なども習わせて、おとなしく育ったそうである。
050
そんな娘が悪辣な巡査に騙されて無理矢理結婚させられたのを救い出したのは何あろうこの自分である。
いつだったか竜にさらわれた姫を助ける西洋の絵を見たことがある。イタリア、
ルネツサンス盛期の画家ティッアーノもフランドル、バロック派のルーベンスも神話を題材にしたその絵を描いていた。
自分はまるで姫を助け出すその騎士と同じ立場にいたのだという英雄的な気分にもなるのだった。
きっと自分はお玉に強い印象を与えているのに違いない。自分を救い出してくれた自分をあの娘は好きになって
しまったのではないかと思ったのである。お玉の住んでいる内を三角は知っていた。たまたまお玉の家の隣の
裁縫のお師匠の家に通っている娘を知っていたからだ。しかし、その娘はまだ年も若くて、
世の中の複雑な事情についてはうとく、お玉が末造という金貸しの妾になっているということは知らなかったのである。
三角はお玉の精神の中に何か新しく印象を刻みたいと思った。そこでいろいろと考えたあげく、お玉にその娘を通して何か、
贈り物を届けようと思った。それも毎日、お玉がその贈り物を見て、送り主のことを思い出せるものがいいと思った。
三角は数寄屋町の芸者を連れて、池の端をぶらついて、書生たちをうらやましがらせている福地源一郎の大きな邸の前を通った。
051
三角はそのことを知らなかった。三角は俎橋を渡った。右側に飼鳥を売る店があって、
いろいろな鳥の賑やかな囀りが聞こえる。三角は二三日前にこの店のそばを通ってめぼしをつけていた。
三角は今でも残っているこの店の前に立ち留まって、櫨に高く吊ってある鸚鵡や鸚哥の籠、
下に置き並べてある白鳩や朝鮮鳩の籠などを眺めて、それから奥の方に幾段にも積み重ねてある小鳥の籠に目を移した。
啼くにも飛び回るにも、この小さい連中が最も声高で最も活溌であるが、中にも目立って籠の数が多く、賑やかなのは、
明るい黄色な外国産のカナリア共であった。しかし、猶好く見ているうちに、沈んだ強い色で小さい体を彩られている
紅雀が三角の目を引いた。三角はお玉が軒先にその雀をつるして世話をしている姿を想像してみた。
あの娘を通してお玉に贈ろうと、その世話をする手間も考えずに二三日前からその紅雀を見たときから考えていた。
そこで余り売りたがりもしなさそうな様子をしている爺さんに値を問うて、一つがいの紅雀を買った。
代を払ってしまった時、爺さんはどうして持って行くかと問うた。籠に入れて売るのではないかと云えば、
そうでないと云う。ようよう籠を一つ頼むようにして売って貰って、それに紅雀を入れさせた。幾羽もいる籠へ、
萎びた手をあらあらしく差し込んで、二羽掴みだして、空籠に移し入れるのである。それで雌雄が分かるかと云えば、
しぶしぶ「へえ」と返事をした。三角は紅雀の籠を提げて俎橋の方へ引き返した。三角は胸を張っていた。
052
陳くんにあげた竹筒蕎麦を揚げてくれた揚げ物屋の前に来ていた。腹の減った三角は新製法で作られた竹筒蕎麦の蓋をあけると、
中国人にお湯を要求した。油の入った鍋の横に置いてある、沸騰したやかんからお湯を注ぐと、
中華スープのにおいが竹筒の口から上がった。この中国人の作った中華スープを粉末に出来ないかと交渉したところ、
この中国人は茶筒で半分くらいの中華スープの粉末を三角の元に届けたのだ。今は竹筒蕎麦の同じ開発仲間だった。
三角はロシアのニコライ二世が日本に戦争を仕掛けて来ると予想していた。その戦争に備えて、
極寒の地で戦う兵隊さんのために開発をした竹筒蕎麦は麺を油で揚げることと、粉末中華スープを加えることで完成した。
本来の日本蕎麦の定義からはほどほど離れてしまったが、
お湯をかけるだけで暖かい蕎麦が食べられるという製品が完成したのだ。
竹筒蕎麦から上がる湯気のために三角の鼻のあたりはむずむずとした。
053
漆
お玉の右隣の家は裁縫の師匠をしていた。師匠はお貞と云って、四十を越しているのに、
まだどこやら若く見える所のある、色の白い女である。前田家の奥で、三十になるまで勤めて、
夫を持ったが間もなく死なれてしまったと云う。詞遣いが上品で、お家流の手を書く。
お玉が手習いがしたいと云った時、手本などを貸してくれた。
ある日の朝お貞が裏口から、前日にお玉の遣った何やらの礼を言いに来た。暫く立ち話をしているうちに、
お貞が「あなた岡田さんがお近づきですね」と云った。
お玉はまだ岡田と云う名を知らない。それでいて、お師匠さんの云うのはあの学生さんの事だと云うこと、
こう聞かれるのは自分に辞儀をした所を見られたのだと云うこと、この場合では厭でも知った
振りをしなくてはならぬと云うことなどが、稲妻のように心頭を掠めて過ぎた。
そして遅疑した跡をお貞が認め得ぬ程速やかに「ええ」と答えた。「あんなお立派な方でいて、
大層品行が好くてお出でなさるのですってね」とお貞が云った。
「上条のお上さんも、大勢学生さん達が下宿していなすっても、あんな方は外にないと云っていますの」
054
こう云って置いて、お貞は帰った。
お玉は自分が褒められたような気がした。そして「上条、岡田」と口の内で繰り返した。
それから数日して、お貞が再びお玉の家に寄ったとき、お貞は紅雀の入った籠を持っていた。
「うちに裁縫を習いに来ている娘さんが、上条に下宿している学生さんから預かったんだけど、
お玉さんに渡して欲しいと云うの」
反射的にお玉の頭の中には上条という名前から岡田の名前が連想された。お貞もそのことに気付いたのか、
あわてて否定した。お玉は岡田に関連した、上条という下宿の名前が出て来たので内心喜ばすにはいられなかったが、
つとめてその表情がおもてに出ぬようにした。
「その娘の話によると、上条に下宿している学生さんだけど、岡田さんという名前ではないようよ。
三角と云う人だそうよ。その人は自分の名前を云えばお玉さんはわかるから、この紅雀を貰ってくれると
云っていたとその娘は云うの。お玉さんにそこの紅雀のつがいを渡してくださいって。お玉さんはその人を知っている」
お玉はそれが巡査との一悶着があったとき、裁判に関わって動いた医学生だと云うことがどうしても思い出せなかった。
しかし、岡田と同じ上条の下宿に住んでいる学生である。もしかしたらその学生を手づるにして
岡田と近づきになれるかも知れないと淡い期待が生じた。そうなら、その紅雀を貰って置かなければならない。
055
三角から岡田にお玉についてのことがどういうように伝わるかもわからなかったからである。
お玉はその籠を貰うと道に面した格子窓の上につるした。
お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、なんの目的も有していなかったので、
無理に堅い父親を口説き落とすようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、
その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその旦那と頼んだ人が、
人もあろうに高利貸しであつたと知った時は、余りの事に途方に暮れた。
そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、
その心持ちを父親にうち明けて、一緒に苦しみ悶えて貰おうと思った。
そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目の当たり見ては、
どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思いをしても、
その思いを我が胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、
これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始めて独立したような心持ちになった。
この時からお玉は自分で自分の言ったり為たりすることを密かに観察するようになって、
056
末造が来てもこれまでのように蟠りのない直情で接せずに、意識してもてなすようになつた。その間別に本心があって、
体を離れてわきへ退いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑っている。
お玉はそれに始めて気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、
自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。
それからお玉が末造を遇することはいよいよ厚くなって、お玉の心はいよいよ末造に疎くなった。
そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、
それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾も受けていない芸なしの自分ではあるが、
自分が末造の持ち物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、
あの中にもし頼もしい人がいて、自分を今の境涯から救ってくれるようになるまいかとまで考えた。
そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然と意識したとき、はっと驚いたのである。
このときお玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。
057
しかし際立つて立派な紅顔の美少年でありながら、自惚れらしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、
何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、
又あの人が通りはしないかと待つようになった。
まだ名前も知らず、どこに住まっている人か知らぬうちに、度々顔を見合わすので、
お玉はいつか自然に親しい心持ちになった。そしてふと自分の方から笑い掛けたが、
それは気の弛んだ、抑制作用の麻痺した刹那の出来事で、おとなしい質のお玉にはこちらから恋を仕掛けようと、
はっきり意識して、故意にそんなことをする心はなかった。
岡田が始めて帽子を取って会釈をした時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。
女は直感が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、故意にしたのではないことが明白に知れていた。
そこで窓の格子を隔てた覚束ない不言の交際がここに新しいEpoqueに入ったのを、この上もなく嬉しく思って、
幾度も繰り返しては、その時の岡田の様子を想像に画いて見るのであった。その辺の台所事情を三角は全く知らず、
お玉の父親の作り物の手紙を読んで、三角はお玉が自分に気があると思いこんでいるのであったが、
お玉がその紅雀を受け取ったのは、同じ上条の下宿人であるということから、岡田ともっと知り合いに
058
なれるかも知れないと思っているからだった。三角が買った紅雀のつがいはそのきっかけをつかむための
道具に過ぎなかったのだ。そんな事を知らない三角は下宿の自分の部屋にロシアの地図を広げて、
その上に竹筒蕎麦を適当に置いて悦に入っていた。下宿に戻った自分はサンクト・ペテルスプルクとか、
モスクワとか、ロシアの地図の上に理由の分からない竹筒を置いている三角を見て不気味に思った。
「三角くん、ロシアの地図の上に変な竹筒を置いて、不気味に笑っているなよ」
「竹筒蕎麦が完成したんだよ。この蕎麦がロシアのいろいろな場所で見られることになるだろう」
三角の部屋の中にある火鉢の中のやかんは湯気をたてていた。やかんの蓋がときどき紳士が帽子を
脱ぐように蒸気の圧力でもちあがる。まるで日本庭園の獅子落としのようだった。
「君も食べてみるかい」
僕もその広げられたロシア地図の前にあぐらをかいた。どこから三角がその地図を持って来たのか知らなかったが
地図は三色刷になっていた。三角は竹筒の蓋をあけると中に煮えたぎったお湯を注いだ。
「このお湯が沸騰していなければならないんだ。摂氏八十度から百度の間、
華氏で云えば百七十六度から二百十二度の間だよ。
このくらいの熱い湯でなければ蕎麦が元に戻らないんだ」
「前に冷凍乾燥法のことを云っていたね。その方法を使ったのかい」
059
「それも使ったが、油で揚げる方法をたまたま発見したんだ。とにかく食べて見てくれ」
三角に云われたまま僕はその蕎麦を食べてみた。旨いことは旨いが、伝統的な日本蕎麦とはほど遠い味である。
僕は中華料理のことはあまり詳しくはなかったがそれが中華料理だと云うことははっきりと分かった。
「三角くん、これは日本蕎麦ではない」
僕は抗議した。
「僕は日本の食生活を改善しようと思っているのだ」
のちに日本人の健康改善のために食生活を改善するためにはどうしたらいいかと、堀江構造くんに聞かれたことがあったが、
その食物改良の議論では、米をやめて沢山牛肉を食わせようと云う話しだった。
しかし自分は日本人伝統の米と野菜、肴を中心とした食生活をしておけばいいだろうと答えておいた。
米も肴も消化のいいものである。風土や作物によってそれなりのそういう食物を日本人が採っていることは
あきらかだからだ。西洋人のような高脂肪、高蛋白質の食物を採っていれば心臓病になる可能性も高いだろう。
日本人の古来からの野菜中心の食物を採っていれば、それらの病気にかかる可能性は少ない。
まあ、とにかく腹八分目ということだろうか。この蕎麦がどんなもので作られているのかはすぐ分かった。
060
三角の作った蕎麦を味わってみると元になっているのは日本蕎麦であることは間違いがない。
それを油で揚げてあって、それに中華味がついている。竹筒の蓋をあけたとき、灰色の粉のようなものが見えたから、
それが中華スープを粉末状にしたものだろう。しかし、それをどうやって作ったかはわからない。
「三角くん、きみはお湯を入れただけで食べられる日本蕎麦を開発すると云っていたじゃないか。
これは日本蕎麦じゃないよ」
「きみは日本蕎麦というが、そもそも日本蕎麦にどんなものがあるか、知っているのかい」
三角は自分の作ったものをけなされたと思ったのか、反論を始めた。
「汁をつけて食べる蕎麦では、もり蕎麦、ざる蕎麦、それに入れる容器が皿であるか、
椀であるかによって皿蕎麦、わんこ蕎麦、わりこ蕎麦とかあるね。それらのつけ汁は醤油、
砂糖、みりんを混ぜ合わせて、何日か冷暗所で熟成したものに、鰹節とかさば節を煮て旨みの
エキスを採ったもので割って作った醤油の汁、いわゆる辛み汁というものがあるね。そのほかには、
それらの蕎麦本来の味を味わうために汁として大根おろしを使うものもある。
それは地方の郷土料理によくあるものだけど。汁を作る手間がいらないから農作業の合間に蕎麦を
食べようという農家の間で作られているよ。屋台で蕎麦が売られるようになってからは、気の短い人間が、
汁をつけて食べるのが面倒だということから一つのどんぶりの中に蕎麦を入れて、
061
そのうえに辛み汁を入れるものが出来た。ぶっかけ蕎麦と呼ばれるもので、
現在はもう少し上品にかけ蕎麦と呼ばれているだろう。そのかけ蕎麦の上にいろいろな具をのせたものが加薬蕎麦だ。
しっぽく蕎麦、天ぷら蕎麦、花まき蕎麦、玉子とじ、鴨南蛮、、あられ、おかめ蕎麦、桑名蕎麦、にしん蕎麦、
もりやかけと云う分類以外に蕎麦自体にお茶を練り込んだ茶蕎麦というのがあるじゃないか。そのほかにも草、
胡麻、胡桃、山葵、柚、蜜柑といろいろなものを練り込むことが出来る。天ぷら蕎麦は昔は芝海老のかき揚げだったけど、
今は海老の一本揚げになっているけどね」
さらにどこから仕入れて来た知識か知らないが三角はさらに詞を続けた。
「君の云っているのは、みんな蕎麦切りのことだろう。蕎麦というのは植物の名前のことだよ。
タデ科の一年生草木の普通種のことで荒れた土地でも収穫出来、成長が早いので広い世界で栽培されている。
君が今云ったのはみんな蕎麦切りのことだよ。つまり、蕎麦を麺にしたものだ。
蕎麦を製粉して水を加えて団子にしたものを細い帯状に切ったものだ。その幅によって田舎蕎麦、
更科蕎麦、並蕎麦と分かれる。だから、蕎麦を麺状にしないものもあるわけで、蕎麦を練ったものを
団子状にした蕎麦がきというものがある。蕎麦団子に蕎麦煎餅、蕎麦もち、蕎麦味噌、蕎麦寿司と蕎麦と云っても
麺とは限らないものだせ。それを考えたら、蕎麦を中華スープで食べるくらいどうと云うこともないさ」
062
「まあ、おいしいから、これを蕎麦と呼ぶことを許してあげよう。ここに入っているのは何だい。そう乾燥ホタテ」
自分は竹筒の底の方に入っている、丸い筒状の弾力のあるものを箸でつまみ上げた。
「この乾燥ホタテがだしになっていい味を出しているのさ」
三角も竹筒の中にお湯を入れてロシア地図の前に腰をおろして自分の作った蕎麦に舌鼓を打っている。
「きみは何故、下宿代も払えないくらい貧乏なのに、こんなことに精を出しているんだい」
「それは前にも云っただろう。僕の故郷に河原猫造と云う政府の役人がいる。
ちょうどそのときはアレクサンドル三世がロシアの皇帝でウィトと云う大臣が国の近代化を進めていたんだよ。
そのウィトのもとで鮭の帰巣本能を利用した養殖の研究が行われていた。きみも知っているとおり僕は
医学を専門に勉強しているが、その対象は人間ではない。動物だ。河原猫造さんに鮭の養殖の施設が
ロシアに作られているといことを聞いたから、それの勉強に行きたいと云うと、
国がその費用を出してくれると云うんだ。僕が官費で留学出来るなんてめったにない機会だからね。
僕は飛びついたよ。ただし河原猫造さんは条件があると云うんだ。ニコライ二世が日本語の会話の教師をしているから、
その仕事もしてくれと云うんだ。きみは知っているかわからないが、ニコライ一世というのは、
063
デカプリストの乱を平定して秘密警察を作った人物だよ。そのうえ、ロシア・トルコ戦争を起こして、
クリミヤ戦争もやって南下政策をとっていた人物だ。それと同じようにニコライを名乗る皇帝のことである、
当然、彼は南下政策を採るに違いないと考えた方がよい。船旅で二ヶ月もかかったよ。
今、建設中のシベリヤ鉄道なんて噂にもあがっていなかった。インドを通って、セイロンでは、
赤い格子縞の布を、頭と腰とに巻き付けた男に美しい、青い翼の鳥を買わせられた。籠をさげて舟に帰ると、
フランス船の乗組員が妙な手付きをして、どうせ、ロシアみたいな寒いところでは育ちませんぜと云った。
案の定、トルコに行き、そこで鳥は死んでしまつた。それから僕はアレクサンドル三世の宮殿にたどり着いた。
そこにまだ大津事件は起こっていなかったんだけど、のちにその事件ですっかり日本嫌いになったニコライ二世がいたんだ。
僕は彼の日本語を片言を教える仕事をしたんだけど、そのときの扱いはひどいものだった。
そして僕は確信したんだ。バルカン半島で失敗したロシアはニコライ二世のときに今度は
極東を通じて南下政策をとるだろうと、そのとき、日本の兵隊さんがシベリヤの地で戦わなければならない、
そのときの食料として僕は竹筒蕎麦の開発に乗り出したわけなんだ」
「それで、その竹筒蕎麦が完成したと云うわけだね」
064
「そうなんだ」
三角は詳しくは云わなかったが何かほかにも出来事があったのかも知れない。
三角はまた蕎麦の中に箸を入れると中華料理としか言えない麺を口に運んだ。
「この製法は決して秘密にしなければならないんだ。ロシアが同じものを作ったら、
たとえば即席ボルシチなんかだけど、意味がないからね。しかし、心配なことがあるんだ。
誰かが、この竹筒蕎麦の秘密を盗もうとしているんじゃないかと恐れているんだ」
上条の下宿の真ん前を真っ直ぐ行くと大学の鉄門を抜ける、そこを通ると散歩道になっている。
そこは両側に銀杏の木を植えた通りになっている、その道を中心にしていろいろなところを右に曲がったり、
左に曲がったりしていろいろな施設に行けるようになっている。左の方を曲がると、
以前に加賀屋敷の弓道場のあったところに解剖室が作られて、その解剖室の前には変な形のお地蔵さんが立っている。
今度はその通りの中程のところを右に曲がると図書館に続く細い道に入る。図書館と云っても今の人が見たら、
大きな役場のような感じしかしないが、薄いうぐいす色に塗られた木の板張りの天井に鋳物で出来た
フランスから取り寄せたと云う鶏の風見鳥と避雷針がついている、窓ガラスはちょっとしゃれているが、
二階建てになっている。図書館の一階の窓の外には丸く刈られた生け垣が植えられている。
065
ほとんど手入れはされていない。その図書館に行ける道の横は人が二人ほど歩くといっぱいになってしまう。
その道は少し下り坂になっていて、また上がって行けるようになっているのだが、
その下りきったところに雨水をためるように沼と呼んでいいような池がある。
雨が降ると雨水がすべてその池の中に流れ込む、そして池を溢れさす前に余った水は下水に流れて行くのだ。
ここは維新の前には鑑賞用の庭と云うより、火事が起こったとき、消火用の水をくみ出す場所だった。
廻りを藪のような木で囲まれていて藪のところから伸びている木の枝のさきが水面に接していたりする。
池の真ん中には大きな石が置いてあって水面から顔を出している。その深さはそれほどなく、
そこに魚が住んでいるが、鯰のような魚しかいないようだった。そこは木に囲まれていて木陰になっていて、
少し気味の悪い場所なのだった。図書館に行って調べ物をしようと思った三角がそこを通ると
黒い固まりのようなものが濁った水の上に浮かんでいる。いつもはそんな物はいないのだが、
よく見るとその池の中に少し大きな雁が羽を休めていて、こちらをじっと見つめていたと云うのだ。
そのときの気持ち悪い感じはとても言葉では表せないと三角は云った。雁と云う感じはしないでまるで
人間がぬいぐるみを被ってこちらを見ているようだった。「死んでいるような目をしてこちらをじっと見ているんだよ」
三角の話によるとその死人のような、ひんやりとする視線はそのときだけではないと云う。
066
三角が目をそらすと雁の方も向こうを向いてしまった。それから図書館に行き、
鹿の足に出来た出来物をとりのぞく方法を調べるために、
昔にも似たような病気があるか調べるために随の単元方の病源侯論の第七巻を借りて、
窓際の席で調べていると、外の方でやはり誰かに見られているような気がして外を見ると、
あの雁が池から出て来て、図書館の前の方の空き地まで歩いて来ていて、あの少し大きな雁が、
あの無機質な目をして、じっと三角の方を見ていたそうである。その目は冷たいと同時に挑戦的な感じもあったと云う、
三角がその雁を捕まえようと思って急いで席を立とうと病原侯論のページを勢いよくとじると、
雁は不敵な笑みを浮かべて、飛び立ったそうである。知力に置いて動物が人間を越えているのではないかと思えることがある。
その上に動物は肉体的には人間を超えている。鳥の場合は空を飛ぶことが出来る。
鳥の視点の方が人間よりもはるかに高い場所にあるのだ。
「じゃあ、きみはその雁に観察されていたと云うのかい」
067
「確かに、そんな感じがするのだ」
僕は鳥がそんな事が出来るはずはないと思ったから一笑にふしたが、三角は釈然としないようだった。
それより三角が紅雀のつがいを買ったのに、それを下宿に持って来なかったから、
そのことの方が僕にとっては不思議だった。
「俎橋のさきの場所で君が鳥屋で紅雀のつがいを買ったというのを、
石原が見ていたと聞いたんだが、その鳥かごはどうしたんだい」
「知り合いの子供にやった」
三角は無愛想に答えた。それから麺を食べ終わり、竹筒の底に残っている中華スープを飲み干した。
その中華スープの中には三角が奮発して入れた乾燥ホタテが入っている。そのホタテの貝柱は留学生の
陳くんの知り合いから仕入れているのかも知れなかった。
なにしろ陳くんがこの蕎麦づくりの共同開発者になっているのだから。
068
捌
三角がお玉に買って贈った紅雀は、図らずもお玉と岡田とが詞を交す媒となった。
この話をし掛けたので、僕はあの年の気候の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が
秋草を北千住の家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条の家から父の所へ帰って見ると、
もう二百十日が近いからと云って、篠竹を沢山買って来て、女郎花やら藤袴やらに一本一本それを立て副えて縛っていた。
しかし二百十日は無事に過ぎてしまった。それから二百二十日があぶないと云っていたが、それも無事に過ぎた。
しかしその頃から毎日毎日雲のたたずまいが不穏になって、暴模様が見える。
折々又夏に戻ったかと思うような蒸し暑いことがある。巽から吹く風が強くなりそうになっては又やむ。
父は二百十日が「なしくずし」になったのだと云っていた。
僕は或る日曜日の夕方に、北千住から上条へ帰って来た。書生は皆外へ出ていて、下宿屋はひっそりしていた。
自分の部屋へ入って、暫くぼんやりしていると、今まで誰もいないと思っていた隣の部屋でマッチを擦る音がする。
僕は寂しく思っていた時だから、直ぐに声を掛けた。
「岡田君。いたのか」
069
「うん」返事だか、なんだか分からぬような声である。僕は三角同様、岡田とは随分心安くなって、
他人行儀はしなくなっていたが、それにしてもこの時の返事はいつもとは違っていた。
三角がまた変なものを作って岡田に食べさせたのかと思った。
僕は腹の中で思った。こっちもぼんやりしていたが、岡田もやっぱりぼんやりしていたようだ。
何か考え込んでいたのではあるまいか。こう思うと同時に、岡田がどんな顔をしているか見たいような気がした。
そこで重ねて声を掛けて見た。「君、邪魔をしに往っても好いかい」
「好いどころじゃない。実はさっき帰ってからぼんやりしていた所へ、君が隣りへ帰って来てがたがた云わせたので、
奮って明かりでも附けようと云う気になったのだ」こん度は声がはっきりしている。
僕はろうかに出て、机に肘を衝いて、暗い外の方を見ている。竪に鉄の棒を打ち付けた窓で、
その外には犬走りに植えたひのきが二三本埃を浴びて立っているのである。
岡田は僕の方へ振り向いて云った。「きょうも又妙にむしむしするじゃないか。
僕の所には蚊が二三匹いてうるさくてしようがない」
僕は岡田の机の横の方に胡座を掻いた。「そうだねえ。僕の親父は二百十日のなし崩しと称している」
「ふん。二百十日のなし崩しとは面白いねえ。なる程そうかも知れないよ。
070
僕は空が曇ったり晴れたりしているもんだから、出ようかどうしようかと思って、
とうとう午前の間中寝転んで、君に借りた金瓶梅を読んでいたのだ。それから頭がぼうっとして来たので、
午飯を食ってからぶらぶら出掛けると、妙な事に出逢ってねえ」岡田は僕の顔を見ずに、窓の方へ向いてこう云った。
「どんな事だい」
「蛇退治を遣ったのだ」岡田は僕の方へ顔を向けた。
「美人をでも助けたのじゃないか」
「いや。助けたのは鳥だがね、美人にも関係しているのだよ」
「それは面白い。話して聞かせ給え」
岡田はこんな話をした。
雲が慌ただしく飛んで、物狂おしい風が一吹二吹衝突的に起こって、街の塵を巻き上げては又やむ午過ぎに、
半日読んだ中国小説に頭を痛めた岡田は、どこへ往くと云う当てもなしに、上条の家を出て、
習慣に任せて無縁坂の方へ曲がった。頭はぼんやりしていた。一体中国小説はどれでもそうだが、
中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思うと、約束したように怪しからん事が書いてある。
「あんな本を読んだ跡だからねえ、僕はさぞ馬鹿げた顔をして歩いていただろうと思うよ」と、岡田は云った。
暫くして右側が岩崎の屋敷の石垣になって、道が爪先下がりになつた頃、左側に人立ちのしているのに気が附いた。
それが丁度いつも自分の殊更に見て通る家の前であったが、その事だけは岡田が話す時打ち明けずにしまった。
071
集まっているのは女ばかりで、十人ばかりもいただろう。大半は小娘ばかりだから、
小鳥の囀るように何やら言って騒いでいる。なかには三角がお玉に鳥をあげるように頼んだ彼の知り合いもいる。
岡田は何事も弁えず、又それを知ろうと云う好奇心を起こす暇もなく、
今まで道の真ん中を歩いていた足を二三歩その方へ向けた。
大勢の女の目が只一つの物に集中しているので、岡田はその視線を辿ってこの騒ぎの元を見付けた。
それはそこの家の格子窓の上に吊してある鳥籠である。女共の騒ぐのも無理は無い。岡田もその籠の中の様子を見て驚いた。
鳥はばたばた羽ばたきをして、啼きながら狭い籠の中を飛び回っている。
何物が鳥に不安を与えているのと思って好く見れば、大きい青大将が首を籠の中に入れているのである。
頭を楔のように細い竹と竹との間に押し込んだものと見えて、籠は一寸見たところでは破れてはいない。
蛇は自分の体の大きさの入り口を開けて首を入れたのである。岡田はよく見ようと思って二三歩進んだ。
小娘共の肩を並べている背後に立つようになつたのである。小娘共は言い合わせたように岡田を
救助者として迎える気になったらしく、道を開いて岡田を前へ出した。岡田はこの時又新しい事実を発見した。
それは鳥が一羽ではないと云うことである。羽ばたきをして逃げ回っている鳥の外に、
同じ羽色の鳥が今一羽もう蛇に銜えられている。片方の羽の全部を口に含まれているに過ぎないのに、
恐怖のためか死んだようになって、一方の羽をぐったりと垂れて、体が綿のようになっている。
この時家の主人らしい稍年上の女が、慌ただしげに、しかも遠慮らしく岡田に物を言った。
072
蛇をどうかしてくれるわけには行くまいかと云うのである。「お隣へお為事のお稽古に来ていらっしゃる皆さんが、
すぐに大勢でいらっしゃって下すったのですが、どうも女の手ではどうする事も出来ませんでございます」と女は言い足した。
小娘の中の一人が、「この方が鳥の騒ぐのを聞いて、障子を開けて見て、蛇を見附なすった時、
きゃっと声を立てなすったもんですから、わたし共はお為事を置いて、皆出て来ましたが、
本当にどうもいたすことが出来ませんの。お師匠さんはお留守ですが、
いらっしゃったってお婆さんの方ですから駄目ですわ」と云った。師匠は日曜に休まずに一六に休むので、
弟子が集まっていたのである。
この話をする時岡田は、「その主人の女と云うのがなかなかの別品なのだよ」と云った。しかし前から顔を見知っていて、
通る度に挨拶をする女だとは云わなかった。
岡田は返辞をするより先に、籠の下へ近寄って蛇の様子を見た。籠は隣りの裁縫の師匠の家の方に寄せて、
窓に吊してあって、蛇はこの家と隣家との間から、庇の下をつたって籠に狙い寄って首を挿し込んだのである。
蛇の体は縄を掛けたように、庇の腕木を横切っていて、尾はまだ隅の柱のさきに隠れている。随分長い蛇である。
いずれ草木の茂った加賀屋敷のどこかに住んでいたのがこの頃の気圧の変調を感じてさまよい出て、
途中でこの籠の鳥を見附けたものだろう。岡田もどうしようかとちょいと迷った。
女達がどうもすることの出来なかったのは無理も無いのである。
073
「何か刃物はありませんか」と岡田は云った。主人の女が一人の小娘に、
「あの台所にある出刃を持ってお出で」と言い附けた。その娘は女中だったと見えて、
稽古に隣りへ来ていると云う外の娘達と同じようなゆかたを着た上に紫のメリンスでくきけた襷を掛けていた。
肴を切る包丁で蛇を切られては困るとでも思ったか、娘は抗議をするような目附きをして主人の顔を見た。
「好いよ。お前の使うのは新しく買って遣るから」と主人が云った。娘は合点が行ったと見えて、
駆けて内へ入って出刃包丁を取って来た。
岡田は待ち兼ねたようにそれを受け取って、穿いていた下駄を脱ぎ捨てて、肘掛け窓へ片足を掛けた。
体操は彼の長技である。左の手はもう庇の腕木を握っている。岡田は包丁が新しくはあっても余り鋭利でないことを
知っていたので、初めから一撃に切ろうとはしない。包丁で蛇の体を腕木に押し附けるようにして、
ぐりぐりと刃を二三度前後に動かした。蛇の鱗の切れる時、硝子を砕くような手ごたえがした。
この時蛇はもう羽を銜えていた鳥の頭を頬のうちに手繰り込んでいたが、体に重傷を負って、
波の起伏のような運動をしながら、獲物を口から吐こうともせず、首を籠から抜こうともしなかった。
岡田は手を弛めずに包丁を五六度も前後に動かしたかと思う時、鋭くもない刃がとうとう蛇を俎上の肉の如くに両断した。
絶えず体に波を打たせていた蛇の下半身が、先ずばたりと麦門冬の植えてある雨垂落の上に落ちた。
続いて上半身が這っていた窓の鴨居の上をはずれて、首を籠に挿し込んだままぶらりと下がった。
074
鳥を半分銜えてふくらんだ頭が、弓なりに撓められて折れずにいた籠の竹に支えて抜けずにいるので、
上半身の重みが籠に加わって、籠は四十五度位に傾いた。その中では生き残った一羽の鳥が、
不思議に精力を消耗し尽くさずに、まだ羽ばたきをして飛び廻っているのである。
岡田は腕木に絡んでいた手を放して飛び降りた。女達はこの時まで一同息をつめて見ていたが、
二三人はここまで見て裁縫の師匠の家に入ったが、三角の知り合いの娘はまだそこに立ち止まって、
その様子を見ていた。「あの籠を卸して蛇の首を取らなくては」と云って、岡田は女主人の顔を見た。
しかし蛇の半身がぶらりと下がって、切り口から黒ずんだ血がぼたぼた窓板の上に垂れているので、
主人も女中も内に入って吊してある麻糸をはずす勇気がなかった。
その時「籠を卸して上げましょうか」と,とんきょうな声で云ったものがある。
集まっている一同の目はその声の方に向いた。声の主は酒屋の小僧であった。
岡田が蛇退治をしている間、寂しい日曜日の午後に無縁坂を通るものはなかったが、
この小僧がひとり通り掛かって、括縄で縛った徳利と通い帳とをぶら下げたまま、
蛇退治を見物していた。そのうち蛇の下半身が麦門冬の上に落ちので小僧は徳利も帳面も棄てて置いて、
すぐに小石を拾って蛇の傷口を叩いて、叩く度にまだ死に切らない下半身が波を打つように動くのを眺めていたのである。
うざ
075
「そんなら小僧さん済みませんが」と女主人が頼んだ。小さい女中が格子戸から小僧を連れて内入った。
間もなく窓に現れた小僧は万年青の鉢の置いてある窓板の上に登って、一しょう懸命背伸びをして籠を吊してある
麻糸を釘からはずした。そして女中が受け取ってくれぬので、小僧は籠を持ったまま窓板から降りて、
戸口に廻って外へ出た。
岡田は小僧の持って出た籠をのぞいて見た。一羽の鳥は止まり木に止まって、ぶるぶるふるえている。
蛇に銜えられた鳥の体は半分以上口の中に入っている。蛇は体を切られつつも、
最後の瞬間まで鳥を呑もうとしていたのである。
小僧は岡田の顔を見て、「蛇を取りましょうか」と云った。「うん、取るのは好いが、
首を籠の真ん中の所まで持ち上げて抜くようにしないと、まだ折れていない竹が折れるよ」と、
岡田は笑いながら云った。小僧は旨く首を抜き出して、指先で鳥の尻を引っ張って見て、「
死んでも放しやあがらない」と云った。この時まで残っていた裁縫の弟子達は、三角の知り合いも含めて、
もう見る物が無いと思ったか、揃って隣りの家の格子戸の内に入った。
「さあ僕もそろそろお暇をしましょう」と云って、岡田があたり見回した。
女主人はうっとりと何か物を考えているらしく見えたが、この詞を聞いて、岡田の方を見た。
そして何か言いそうにして躊躇して、目を脇へそらした。それと同時に女は岡田の手に少し血の附いているのを見附けた。
076
「あら、あなたお手がよごれていますわ」と云って、女中を呼んで上がり口へ手水盥を持って来させた。
岡田はこの話しをする時女の態度を細かには言わなかったが、「ほんの少しばかり小指の所に血の附いていたのを、
よく女が見附けたと、僕は思ったよ」と云った。
岡田が手を洗っている最中に、それまで蛇ののどから鳥の死骸を引き出そうとしていた小僧が、「やあ大変」と叫んだ。
新しい手拭きの畳んだのを持って、岡田の側に立っている女主人が開けたままにしてある格子戸に片手を掛けて外を覗いて、
「小僧さん、何」と云った。
小僧は手をひろげて鳥籠を押さえていながら、「も少しで蛇が首を入れた穴から、生きている分の鳥が逃げる所でした」
と云った。岡田は手を洗ってしまって、女のわたした手拭きでふきつつ、「その手を放さずにいるのだぞ」と小僧に言った。
そし何かしつかりとした糸のようなものがあるなら貰いたい、鳥が籠の穴から出ないようにするのだと云った。
女はちょっと考えて、「あの元結いではいかがでございましょう」と云った。
「結構です」と岡田が云った。
女主人は女中に言い附けて、鏡台の抽斗から元結いを出して来させた。岡田はそれを受け取って、
鳥籠の竹の折れた跡に縦横に結びつけた。
「先ず僕の為事はこの位でおしまいでしょうね」と云って、岡田は戸口を出た。
女主人は「どうもまことに」と、さも窮したように云って、跡から附いて出た。
岡田は小僧に声を掛けた。「小僧さん、御苦労序でにその蛇を棄ててくれないか」
「ええ。坂下のどぶの深い処へ棄てましょう。どこかに縄は無いかなあ」こう云って小僧はあたりを見廻した。
「縄はあるから上げますよ。それにちょっと待っていて下さいな」女主人は女中に何か言い附けている。
その隙に岡田は「さようなら」と云って、跡を見ずに坂を降りた。
ここまで話してしまった岡田は僕の顔を見て、「ねえ、君、美人の為とは云いながら、僕は随分働いただろう」と云った。
「うん。女のために蛇を殺すと云うのは、神話めいていて面白いが、どうもその話しはそれきりでは済みそうにないね」
僕は正直に心に思う通りを言った。
「馬鹿を言い給え、未完の物なら、発表しはしないよ」岡田がこう云ったのも、嬌飾して言ったわけではなかったらしい。
077
しかし仮にそれきりで済む物として、幾らか残り惜しく思う位の事はあつたのだろう。
僕は岡田の話を聞いて、単に神話らしいと云ったが、実は今一つすぐに胸に浮かんだ事のあるのを隠していた。
それは金瓶梅を読みさして出た岡田が、金蓮に逢ったのではないかと思ったのである。
しかし女に近づきたいと思って鳥を贈った三角こそ、いい面の皮である。竜に捕まった姫君を救う騎士の役をやりたいと
願いながらその役を岡田にゆずり、その手伝いまでしているからである。さしずめ宮廷の道化と云う役回りか。
岡田に蛇を殺して貰った日の事である。お玉はこれまで目で会釈をした事しか無い岡田と親しく話しをした為に、
自分の心持ちが、我ながら驚く程急激に変化して来たのを感じた。女には欲しいとは思いつつも買おうとまでは
思わぬ品物がある。そう云う時計だとか指輪だとかが、硝子窓の裏に飾ってある店を、女はそこを通る度に覗いて行く。
わざわざその店の前に往こうとまではしない。何か外の用事でそこの前を通り過ぎることになると、
きっと覗いて見るのである。欲しいと云う望みと、それを買うことは所詮企て及ばぬと云う諦めとが一つになって、
或る痛切で無い、微かな、甘い感傷的情緒が生じている。女はそれを味わうことを楽しみにしている。
それとは違って、女が買おうと思う品物はその女に強烈な苦痛を感ぜさせる。女は落ち着いていられぬほど
の品物に悩まされる。縦い幾日かお待てば容易く手に入ると知っても、それを待つ余裕が無い。
女は暑さをも寒さをも夜闇をも雨雪をも厭わずに、衝動的に思い立って、それを買いに往くことがある。
万引きなんと云うことをする女も、別に変わった木で刻まれたものでは無い。
只この欲しい物と買いたい物との境界がぼやけてしまった女たるに過ぎない。
岡田はお玉のためには、これまで只欲しい物であったが、今や忽ち変じて買いたいものになったのである。
078
お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。
もちろんその小鳥を貰ったのが三角だと云うことはとうに頭の中から払拭されている。
その計画の骨組みの中には、三角の痕跡は少しも残していない。最初に考えたのは、
何か品物を梅に持たせて礼に遣ろうかと云うことである。さて、品物は何にしようか、
藤村の田舎饅頭でも買って遣ろうか。それでは余り智慧が無さ過ぎる。世間並みの事、
誰でもしそうな事になってしまう。そんならと云って、小切れで肘衝きでも縫って上げたら、
岡田さんにはおぼこ娘の恋のようで可笑しいと思われよう。どうも思い附きが無い。
さては品物は何か工夫が附いたとして、それをつい梅に持たせて遣ったものだろうか。
名刺はこないだ仲町で拵えさせたのがあるが、それを添えただけでは、物足らない。
ちょっと一筆書いて遣りたい。さあ困った。学校は尋常科が済むと下がってしまって、
それからは手習いをする暇も無かったので、自分には満足な手紙は書けない。
無論あの御殿奉公をしたと云うお隣のお師匠さんに頼めばわけは無い。しかしそれは厭だ。
手紙には何も人に言われぬような事を書く積もりではないが、とにかく岡田さんに手紙を遣ると云うことを
誰にも知らせたくない。まあ、どうしたものだろう。
079
翌日になった。この日は岡田が散歩に出なかったか、それともこっちで見はずしたか、
お玉は恋しい顔を見ることが出来なかった。その次の日は岡田が又いつものように窓の外を通った。
窓の方をちょいと見て通り過ぎたが、内が暗いのでお玉と顔を見合わせることが出来なかった。
その又次の日は、いつも岡田の通る時刻になると、お玉が草帚を持ち出して、格別五味も無い格子戸の内を丁寧に掃除して、
自分の穿いている雪踏の外、只一足しか出して無い駒下駄を、右に置いたり、左に置いたりしていた。
「あら、わたしが掃きますわ」と云って、台所から出た梅を「好いよ、お前は煮物を見ていておくれ、
わたし用が無いからしているのだよ」と云って追い返した。そこへ丁度岡田がせ通り掛かって、
帽を脱いで会釈をした。お玉は帚を持ったまま顔を真っ赤にして棒立ちに立っていたが、
何も言うことが出来ずに、岡田を行き過ぎさせてしまった。お玉は手を焼いた火箸をほうり出すように帚を棄てて、
雪踏を脱いで急いで上がった。
お玉は箱火鉢の傍へすわって、火をいじりながら思った。まあ、私はなんと云う馬鹿だろう。
080
きょうのような涼しい日には、もう窓を開けて覗いていては可笑しいと思って、余計な掃除の真似なんぞをして、
折角待っていた癖に、いざと云う場になると、なんにも云うことが出来なかった。
檀那の前では間の悪いような風はしていても、言おうとさえ思えば、どんな事でも言われぬことは無い。
それに岡田さんにはなぜ声が掛けられなかったのだろう。あんなにお世話になったのだから、お礼を言うのは当たり前だ。
それがきょう言われぬようでは、あの方に物を言う折りは無くなってしまうかも知れない。
梅を使いにして何か持たせて上げようと思っても、それは出来ず、お目に掛かっても、
を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。
そう、そう。あの時わたしはたしかに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。
「岡田さん」と馴れ馴れしく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合わせて
「もしもし」とも云いにくい。ほんにこう思って見ると、あの時まごまごしたのも無理はない。
こうしてゆっくり考えて見てさえ、なんと云って好いのか分からないのだもの。いや、いや。
こんな事を思うのはやっぱりわたしが馬鹿なのだ。声なんぞを掛けるには及ばない。
すぐに外へ駆け出せば好かったのだ。そうしたら岡田さんが足を駐めたに違いない。
足さえ駐めて貰えば、「あの、こないだは飛んだ事でお世話様になりまして」とでも、
なんとでも云うことが出来たのだ。お玉はこんな事を考えて火をいじっているうちに、
鉄瓶の蓋が跳り出したので、湯気を漏らすように蓋を切った。
それからはお玉は自分で物を言おうか、使いを遣ろうかと二様に工夫を凝らしはじめた。
081
そのうち夕方は次第に涼しくなって、窓の障子は開けていにくい。庭の掃除はこれまで朝一度に極まっていたのに、
こないだの事があってからは、梅が朝晩に掃除をするので、これも手が出しにくい。お玉は湯に往く時刻を遅くして、
途中で岡田に逢おうとしたが、坂下の湯屋までの道は余り近いので、なかなか逢うことが出来なかった。
又使いを遣ると云うことも、日数が立てば立つ程出来にくくなった。
そこでお玉は一時こんな事を思って、無理に諦めを附けていた。わたしはあれきり岡田さんにお礼を言わないでいる。
言わなくては済まぬお礼が言わずにあって見れば、わたしは岡田さんのしてくれた事を恩に被ている。
このわたしが恩に被ていると云うことは岡田さんには分かっている筈である。こうなつているのが、
却って下手にお礼をしてしまったより好いかも知れぬと思ったのである。
しかしお玉はその恩に被ていると云うことを端緒にして、一刻も早く岡田に近づいて見たい、
唯その方法手段が得られぬので、日々人知れず腐心している。
お玉の乙女心を読み違えている三角はねじりはちまきをして、煮えたぎった油の鍋の前に立っていた。
三角は、中国人留学生、陳くんの紹介によって、揚げ物屋をやっている中国人の協力を得て、
彼が住んでいる向島にある彼の掘っ建て小屋のような倉庫で竹筒蕎麦の生産を始めていた。
畳で云えば六畳くらいの大きさしかない倉庫の中では三角と中国人が竹筒蕎麦をその道具や
材料に囲まれながら作っていた。最初の三角の発想では日本蕎麦を冷凍乾燥してから油で揚げていたのだが、
蕎麦粉と小麦粉の割合を適当なものにして、さらに鉢で練るときの手加減の仕方でグルテンと云う蛋白質の量を
調整することによって、直接、油で揚げても、お湯で戻すことの出来る乾燥麺を作れることを発見していた。
082
そしてその製法を取り始めた。三角は長い柄の先に鉄製の網のついた、水切り笊のその柄の中程を握っている。
前の方に金網がついていることと、長い柄がついているのでそこいらのところを持たなければ重心がとれない。
これは日本にはないものだ。一緒に働いている中国人が中国からとり寄せたものである。三角の横には丼一杯分に
まとめられた蕎麦玉が整然と台の上に置いてある。三角は水切り笊の柄の中程を持つと網の中に日本蕎麦を一玉取って入れた。
それから柄の端を持って煮えたぎった油の中に笊ごと生の蕎麦を入れると蕎麦から出た水蒸気が油の中で無数の泡となって
油の鍋の上から出て行く。川の中で水の流れに身をまかせている水草の葉の表面についている
空気の水玉のようなゼリーのような透明感を持った蒸気の泡が出ていく。蒸気の出る量が収まったところで
笊を油の中から取り出すと、燕の巣のような、油で揚がった日本蕎麦が出て来る、それを木の箱の中に入れた。
して木の箱の中にはすでに油で揚がっている蕎麦玉が十個くらい入っている。
倉庫の壁際にはこれから使う孟宗竹を横に切った竹筒が沢山並んでいる。
その竹筒の中に油で揚げた日本蕎麦と粉末になった中華スープを入れる段取りである。
油鍋のある竈の隣りには、やはり火の焚かれている竈が置かれていて、中国人が中華スープを煮詰めている。
中華料理のにおいが鍋から出ている。この中華スープがある程度煮詰まったら、
今度は天日干しにしてスープを粉末にするのだ。油で揚げられた日本蕎麦とこの粉末スープを横に切った
孟宗竹の中に入れて上から油紙で蓋をすれば三角の考案した竹筒蕎麦は完成する。
083
一緒に働いている中国人が変なイントネーションで三角に聞いて来る。
「これを売ろうかと思っているんだ」
三角が掲げていた高邁な理想はいつの間にか影を潜めていた。どこにあいているのかわからない小さな穴に
よって空気が漏れだしてしぼんでしまった。天下国家を論じていた壮士がその社会的関心の円の範囲をロシア、
日本から大部縮小させて、湯島切り通しの無縁坂のあたりに半径を縮めていた。
「三角さん、よくないよ。日本はロシアに占領されてしまうよ。わたしの国みたいになっちゃうよ」
「そんなことは日本の官吏が考えればいいことさ」
三角は投げやりに答えた。
「桜痴居士も廉潔じゃないと云うよ。政治家として日本の言論界を牽引している福地源一郎がしてそうだよ。
僕にはもっと関心のあるものがある」
「わたし、福地源一郎と云われても誰のことかわからない」
三角と云うこの貧乏な医学生が国や自分の同胞のことを思う気持ちははなはだ脆弱だと云わなければならない。
それはただ三角だけに責任をとることは出来ないかも知れない。西洋列強の圧力から脱しようとしていた
日本人や日本のすべてが少し工業化を果たしただけで植民地支配に乗り出したからだ。
彼の天下国家を論ずる気持ちを奪い去ろうとしつつあるものはお玉の手紙である。
いや、お玉から来ただろうと思っているが、その実、父親がお玉だと騙って出した手紙である。
084
半紙にして数枚のその手紙が三角の気持をまったくなえさせてしまった。
今までシベリヤに出兵する兵隊たちに食べさせるのだと自分に語った三角の気持をである。
それが脆弱だったのか、または地面の下に伸びていく地下茎が全く、はっていなかったのか、
地面の下には何もなく、地上に頭でっかちの草葉を繁らせていたのか、そうでなければこの三角の部屋に出入りしている
お題目に対してもう一つ無関係なものの閉める割合が大きくなってしまったのかも知れない。故郷にいた頃から、
食べ物に関しての本は買いそろえ、資料を集めていたりしていたが、それも新しい非常食を作ることに
最初から大志を抱いていたからと云うわけではなかった、そもそもきわめて学問的なものだった。
それが愛国心と結びつき、異国の地に行くであろうと云う兵隊に竹筒蕎麦を送ることになったが、
その原因はロシアへの留学だった。それからの変化はお玉への変な期待である。
085
九
三角の出身は少し変わっている。維新に貢献した国ではあったが、明治政府に参画して権勢を
欲しいままにすると云う立場にはなかった。丁度それらの国のあいだにはさまれていると云うような故郷だった。
反観合一を標榜する三浦梅園の玄語、贅語、敢語の梅園三語を若い頃、読んでいた。三角がものごころの附く頃には
明治政府の主要な地位は薩摩と長州の出身者に占められていたから、彼は技術を持って身を立てるしかないと思い、
梅園の影響で天文などの科学に興味を持っていた彼は科学の中でも一番EXACTを生命にしている医学を専攻することにした。
しかし、ここが少し、変わっているのは、動物を専攻したことである。
三角の故郷出身には河原猫造という明治政府の官吏がいて、ニコライ二世の隠された真意を
探り出すためにロシア語を少しかじっている三角に白羽の矢がたち、三角はロシア宮廷に渡った。
長い船旅と陸路の旅を組み合わせて、宮殿に辿り着いた三角を待っていたのは、圧倒的な光の量の差だった。
日本人は奥ゆかしさに美を求める。こぶりな茶碗の底に宇宙を求めたりする。安土桃山時代ならいざ知らず、
鎌倉時代以降、質素倹約の中に美の調和を求めたものだ。近世になって金色の巨大な大仏を作ろうと云う
為政者が潮流になったと云う話は聞いたことがない。三角は光を抑えた、小ぶりな美意識な世界に囲まれて生きてきた。
それがロシア宮廷に入ったとたん光の洪水が溢れて来たのである。今までふれたことのないものが眼前にせまって圧倒された。
光こそ、生命と神を現世の幸福のすべてを具現していると解釈しているのか、美術品にはすべて金が粉飾されていてそれが、
富の象徴だと思っているのかも知れない。金という金属が特別な光を発して、
その光の力で見る人間をひれ伏させようとしているようだった。絵もそうだった。
086
日本の絵は描かない空間を作ったり、線を単純化することによってその精神性を現そうとしたりするが、
ロシアの宮廷に飾られていたりするその絵は絵の具を何度も塗り重ね、細部まで描くことによって、
その世界の多重性や実在性を平面上に具現しているようだった。そんな力技で三角はぐいぐいと押し付けられた。
しかし、三角はそれらの格闘の中で気に入った絵があった。それはギリシヤ神話に題材をとった絵で
岩につながれた姫を空を飛ぶ剣士が救いに来る図柄だった。その背景には大きな沼と呼んだほうが
良いような湖が広がっている。西洋にはこういう図柄の絵がたくさんあるらしい。
角がそれらの中でこれを気にいった理由は、姫を捕まえている竜が東洋と同じような蛇が進化したような形をしているのに、
海竜と云ってもいいような三角の頭部をした竜が湖から頭だけを出していることによった。
その三角の頭部をした竜を三角はどこかで見たことがあるような気がした。]
制作者の名前を見るとテイッアーノと書かれている。また三角はその空を飛ぶ剣士に
自分の姿を重ねていたのかも知れない。しかし、そのときにはとらわれの姫君が誰なのかは三角自身にも分からなかった。
皇帝ニコライ二世が日本人に対して敵意を持っているのは明らかだった。後年、大津事件が起こったのは
その政治的原因を除外視しても明らかだった。ここで三角がニコライ二世に対して、さらにロシアに対して、
その戦争の準備として、竹筒蕎麦の開発を思いいたるに至った個人的な理由について述べることは留まっておこう。
公的なもっともな理由として、日本語の講義を行おうとした三角は皇帝の執務室の扉が少し開いていた。
その隙間から中を見た三角は皇帝が極東の地図をひろげて、ロシアの旗をたててほくそ笑んでいたのを何度も見ている。
基地外sageでやれよ
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~ ̄ ̄ ̄ ̄
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⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>ソニソ
すこし面白かったりする。w