>>951 >黒田清輝の『麗子像』ダリの『ガラ』
グーグルでイメージ検索したらたぶんそれらしきものを発見。
だからどうというわけではないけど、ただなんとなく暇つぶしだ。
ギリシア神話の絵画はどうなんだろう。モデルなんていたのかどうか。
なんせ神様だから畏れ多くも。
>愛しい思う「並」の人をモデルにして描いたら、何も感じない美人描くより、
>ずっといい絵が描けると思うんよ。
それの逆バージョンというのか、ギリシア神話にこんな物語がある。
ある彫刻家苦心に苦心を重ね、作り直すこと数十度、ついに理想の女性像を
彫刻にすることに成功した。彼はそれをどれほどいとおしく思ったことか。
朝起きたら挨拶をして、外出したらしたでその彫刻のことが心配。
帰宅したら真っ先に「彼女」のもとへ向かう。
もちろん現実の女などには目を向けようともしない。
彼は神様に祈りつづけた。どうか自分からこの彫刻を引き離さないでほしいと。
しかしその国の王は彼にその彫刻を貢物として差し出すように命じた。
期限は明日というその晩遅く。彼はその彫刻をずっと抱きしめていた。
気づくとそのまま寝ついてしまい、ふと目覚めると彼女が笑いかけてくるではないか。
彼を不憫に思った天上の神がその彫刻に命を吹き込んだのである。
彼は日の出を待つこともなく、彼女とその国から抜け出したという――。
>>951 上に書いた物語はモデルと作者の関係について深い寓意があると
思うのです。思うのです。
小説にもモデルの問題がある。
モデルがない登場人物はどこか人間味が感じられないとはよく言われる。
柳美里のようにモデルから裁判を起こされるのもどうかと思うけど。
さて、どうか。
小説に出て来るような魅力的な人物(春樹の「僕」好きだよねみんなw)は、
現実には存在しえないのか、それとも架空のキャラなど現実に生きる人間
(奥崎謙三、麻原ショーコー、美香!)にはとてもかないやしないのか。
きみの口ぶりだと絵画の場合は、決してモデルが絵画に勝つようなことは
なさそうだけど、どうなのでしょう。
>芸術はな、心で感じるんや。頭で考えたらあかん。
わたしも同感なんだけど、以前某コテから「詩」は勉強しないとわからないと言われて。
でもそんなことはないと思うやはり今では。たとえばあの衝撃といったら。
恥ずかしいけど、谷川俊太郎の「生きる」という詩にはやられてしまいました。
残り少ないなかで長文レスを交し合うのもなかなか粋なものです。
コキ下ろしたものは必ず彼に戻って来て、彼を罰した。
あの人は臆病になった。
臆病者の小説。
(だが、どこに勇気のある小説家がいるだろうか。私たちは
いろいろな形でいろいろなものを恐れている。私たちの小説は
その恐怖の表現でしかない場合ばかりである。)
宇野千代
>>951 福田恒存によると――。
小説(複製可能)一人で読む。
映画(複製可能)みんなで観る。
演劇(複製不能=一回性)みんなで作り上げる。
絵画(複製不能=現品のみ)一人で見る。
裏返しにされている絵画は「商品」ではあるが「芸術作品」ではない。
受け手がいて初めて芸術は成立するのである。
こんなことを福田恒存さんが言っていましたそう言えば。
>>952 ふうん、ピグマリオン伝説の別バージョンみたいやね。
俺が知っとる話は、キプロスの王様のピグマリオンが、象牙の彫刻の女に恋して、
それを不憫に思った女神アフロディテが、ご親切にも彫刻に命を吹き込み、妻にして
やったゆう話やけどな。あ、結果的には同じか。美香の話は、彫刻家がピグマリオン
なんやな。王様じゃのうて。俺の話は王様がピグマリオンで、彫刻家は出てこんのや。
(もしかすると、王様が作った彫刻・・・んなことあるかいな?)
でも美香の話の方が複雑やな。寓意としてはその方がずっと深いわ。
美香の話、ほんとはこうやろ? 王様は彫刻を貢物として差し出せゆうたんやなくて、
彫刻家が王様の注文を受けてその像を作ったんや。だから、神様に命を吹き込んでもろて、
一緒に逃げたら詐欺やな。でも神様が味方やったら怖いことあらへん。とっとと逃げたら
いいんや。神様がついとるんやから、堂々としとったらいいねん。きっと太っ腹な王様で、
許してくれるで。(そうなると、まんま『マイ・フェア・レディ』やな!)ひょっとしたら、
王様は「彫刻を貢物として差し出せ」ゆうたことなんか忘れてるかもしれんし。
小説家は、モデルのことなど気にせんと、どんどん書いたらいいのんや。ただし「特上」
のモデルを使わんと、モデルが訴訟起こしたりしよる。まあ、そうなったらモデルの負けや。
訴訟起こしたゆうことは、自分が小説の中の人物を越えてへんことになるやろ?
第三者である小説家が描くことのできる程度の人間やと認めてしまったようなもんや。
小説家は、少なからず、モデルを愛しい思うてるんやろ? だったら、放っとけばいいんや。
小説家がどんなに頑張っても、描ききれない深みのあるキャラやったら、モデルはちょっと
嬉しく思うやろな。笑いながら読んで、ますますその小説家が好きになると俺は思うんよ。
小説にしろ絵画にしろ、芸術家とモデルの関係は、勝ったり負けたり…、そこが面白いと
思わんか? もっともモデルは作品を創らんから、「存在」そのもので勝負せなあかん。
そこんとこ、モデルの方がちょこっと不利やろか?
>>953 >きみの口ぶりだと絵画の場合は、決してモデルが絵画に勝つようなことは
>なさそうだけど、どうなのでしょう。
ちゃうな。反対や。絵画は決してモデルには勝てんのや。
もし絵画がモデル以上のものやったら、それはモデルがたいしたことないか、画家はモデル
を前にしながら、もっと別のもんを描いてるんやろな。人間のモデル使って、神様や天使を
描いてたら、生身のモデルはかなうわけないってことや。
他にもレスしたいんやけど、もう寝るわ。ここんとこ睡眠不足やから。
おやすみ、美香。
>>956 ちょっと待って。きみはだれ? なんでそんなに詳しいの嬉しいけど。
ピグマリオン伝説なんてよく知ってるね驚いた。
まさかばれるとは思わなかったから「はくづけ」のためにギリシア神話では、
などとウソをついた。正確なピグマリオン伝説はどうだったか。
いまいろいろと当たってみてもいいけど、どれも微妙に違うと思う。
王が彫刻に恋をするというのが確かに多かったような気がする。
あはは、だからあれはわたしが作った物語だピグマリオン伝説を借りた。
でもそれでいいのだ。もうすぐ「ギリシア悲劇」を読み終わるけれども、
あれはギリシア神話を好きなようにおもしろく(劇的に)ストーリーを変えている。
わたしのポリシー「おもしろければなんでもいい」を実行しているのがギリシア悲劇。
でも長い間に、その改ざんされたギリシア神話も本物として通用するようになる。
だから現代の日本のわたしが手を加えてもそれが後世に残ればwこれもギリシア神話。
いや、驚いた。まったく驚いた。
寝よう思って、PC切ろうとしたら、ひとつ思いついたわ。
訴訟を避けたいんやったら、素人やなくて、「職業モデル」使えばいいんや。
熟練したプロのモデルは、うまいことポーズしてくれよるで。絵画の場合は、それにかぎる。
あまり聞いたことはないが、小説にも「職業モデル」みたいな奴は、おるんやないかなって、
今、ちょっとそんな気がしたのや。歴史上の人物とか、嫌ってほど小説のモデルになってる
奴はおるからな。・・・じゃあ、ほんとに寝るわ。
>>956 >小説家は、モデルのことなど気にせんと、どんどん書いたらいいのんや。
河合隼雄さんだったかな。こんな話を書いていた。またわたしの創造かも(w
ふたりの作家志望の男ABがいた。大学時代から文学談義が熱くなる親友同士。
大学卒業後Aは自分には才能がないと見切りをつけ就職。
かたいやBは自分の才能を信じて日雇いの仕事で食いつなぎながら執筆。
進む道が異なれどふたりの友情にヒビは入らず。
AはBの才能を信じて(自分の夢を託す形で)事あるごとにBを応援した。
しばらくしてAが結婚をするとBもよく遊びに来るようになった。
A夫妻はBの才能を信じ、陰日向に助力を惜しまなかった。
あたたかい家庭の味に親しんでもらうばかりではなく、時折は経済的な援助も。
苦節10年、ついにBの小説が認められる日が来た。文学新人賞を受賞。
喜んだAがBの小説が掲載された文芸誌を開いてみると――。
そこには一見は芸術に理解を見せるが実は俗物の鼻持ちならない夫妻が書かれていた。
その夫妻は作家志望の主人公をバカにしたいがために家に呼び寄せ金を恵む。
A夫妻は激怒した。Bは何度もAに「これは小説だ」と訴えたが、
ふたりの友情が元に戻ることはなかった。
>小説家は、少なからず、モデルを愛しい思うてるんやろ?
小説の世界では自分をモデルにする(自分ラブ!)私小説という醜悪物がある。
さすがに自画像には真似のできない「臭み」がこの小説形式にはあると思う。
>芸術家とモデルの関係は、勝ったり負けたり…
モデルの自分と芸術家の自分が勝ったり負けたりを繰り返すと、
最後には疲れてしまう、水に自分の顔をうつしたくなる、
そうギリシア神話のナルキッスのように、そう入水自殺した太宰治のように。
962 :
吾輩は名無しである:03/06/18 04:34
age
>>957 モデルと作者を対決構造に置いているけど、かならずしもそうではないかも。
絵画のことはよくわからないけれども。
モデルがどう演技するかという問題がある。
作者が自分(モデル)のなかで好きなところをモデルはより強調しようと努めるはず。
相手あっての自分。自分あっての相手。
自分(モデル)がこういうふうに意識的にポーズを微妙に変えたら作者はどう反応するか(描くか)。
モデルと作者に信頼関係がある場合はとくにそうです。
なんてことを、原監督のドキュメンタリーを思い浮かべながらぼんやりと思った。
>>959 「職業モデル」という表現はおもしろい。うん、いい。
ギリシア神話なんてものは職業モデルの斡旋所のようなもの。絵画にも文学にも。
ただ難点としては、死んだモデルが多いということ。
死体に息を吹き込むのが芸術家の仕事と言われたらば確かにそうだけれども。
でもです、たまーに、神戸の少年Aのような生きた職業モデルもいます(w
柳美里「ゴールドラッシュ」、重松清「ナイフ(エイジも)」、
あと沢木耕太郎が「血がなんたら」とかいう駄作を書いていた。
他にもこの職業モデルを描いた作家はたくさんすると思う。
みんなに共通するのは少年Aにモデル料など一銭も払っていないこと。
ふう疲れた。それではおやすみ。どうせ眠れないけどわたしは。
いま読んでいたスレは↓
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1052906282/l50 占い師になろうと(作家の前段階に)思っていた時期があった。
占いを信じているかって? いいえ、まったく、バカらしい(w
968 :
吾輩は名無しである:03/06/18 05:45
>>964 何故名無しで立てる?
てか、もうこの板に雑談スレはいらねーだろ。うんざりだよ。
972 :
吾輩は名無しである:03/06/18 06:14
>>963 横レスだが、ピグマリオンの話が面白くて、寝そこなってしまった。
ピグマリオン伝説には、こんなのもある。象牙の女性像は、キプロスの王ピグマリオンが、
女神アフロディテの神殿に奉納するために作らせた、女神自身の像だった。
アフロディテはこの像が気に入って、自らその像に宿り、ピグマリオンの妻となった。
架空の人物を想定して、作品に魂を吹き込み、描き終えたとき、作品に描かれた人物
そっくりの生身の人間が、作者の身近なところに現れるという現象は、実はよく起こる。
ジャン・マレーというスターを生み出した「ピグマリオン」ジャン・コクトーは、マレーに
出会うずっと以前から、彼そっくりの絵を描いていたという。
レッド・バトラーを演じることができる役者は、クラーク・ゲーブル以外にいただろうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチは、最も理想的な相貌をした弟子「サライ」が現れる前から、
繰り返し同じ顔を描いていたのではないだろうか?
優れた芸術を生み出したとき、何か不可思議な力が働いて、その作品のモデルとして
最も相応しい生きた人間が、芸術家を訪れる。
…奇跡としか言いようのない、このような現象を、俺は「降臨」と呼びたい。
何故なら、聖なる予言に従って救世主が現れるという現象によく似ているからだ。
美香さんと「信頼関係にある」モデルがどんな人物か、美香さんの作品(小説?)が
どんなものか、俺には全く想像もつかないが、推理し、解き明かすことができたら、
きっと楽しいだろうな。
981 :
吾輩は名無しである:03/06/18 09:38
?
あ
川崎がオールスター辞退だとさ。アホクサ。
早く美香が何でもいいから逮捕もしくは措置入院されねーかな。
雑談スレはもういいよ・・・
美香と美香論はもういいよ・・・
1001 :
1001:
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