大西巨人 第三楽章

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570まいぺーす
 小谷野敦『評論家入門−−清貧でもいいから物書きになりたい人に』(平凡社新書、
2004年11月10日)「第6章 論争の愉しみと苦しみ/4 最近の論争」には、大西巨人と
山崎行太郎の「論争」を取り上げています。「論争」と括弧を付けているのは、小谷野氏。
理由は、「片方があまりにひどいから」とのこと。この「論争」の発端は、柄谷行人との
対談で、江藤淳が文学博士になった時、「自分は偉くなった」、「批評家はだめだ、まだ
ランクが下だ」と書いたのを読んでいたと、大西が発言したことに始まります。山崎が
証拠を提示を求めたのに対して、大西は『日記から』を挙げ、山崎はそのような文章は
そこに存在しないとさらに非難しました。小谷野氏は、大西の言った通りではないにしても、
江藤のエッセイにはそのような発想が明らかに読みとれるとし、「山崎の読解力不足、
あるいは身びいき」を指摘しています。山崎行太郎が根拠のない「下品な文章」を書く
「困った人」であるという判断を含めて、的確な紹介と言えるでしょう。