>>214 座談会「本を読むにも気力と体力がいるぞ」
(徳永康元、大西巨人、矢川澄子)
●若い頃の読書経験・本をたくさん読むようになったいきさつ
・高校1年のときに聴いた菊池寛の講演「文学の話をするのなら、
まずきわめつきの古典千冊を一冊3回ずつ読め」に感銘した
・クラス担任の先生の言葉「いまゲーテとかカントとか言っている諸君も
大学を出て、サラリーマンになったら、娯楽雑誌なんかを読んで
寝てしまうようになるから、いまのうちに読書の習慣を身につけよ」
●若い人が本を読まなくなったと言われることについて
・昔は頭脳が優れていても金がなくて大学に通えないものもいたが、いまはかつてのボンクラがいっぱい大学生になっているから、
その中から出てくる百人中何人といった数字を鵜呑みにはできない
・が、物質文明は進んでいるけれども、精神の面は退化していると思う
・教養とは本をたくさん読んだから教養があるというものではない
(ドストエフスキーの『作家の日記』に出てくる本を一冊しか
読んだことのないおばあさん<その一冊は旧約聖書>のこと)
●長編を書く・読むことについて
・これからは千枚以上の小説は書くべからず
・だが、この前書いたのは1200枚だった(笑)
・書く方はつい長くなるが、読む方の身にもならにゃいけない。
●ワープロの使用について
・4年ほど前からワープロを使用。(他の2氏は不使用)
・手書きからワープロになって文体が変わるような書き手はだめ。
●映画を観ることについて
・谷川徹三は「映画はパッシブだが読書はアクティブ」と書いたが、
いまや映画館に行って映画を観ること自体が能動的なものに。
・最近観た映画は『雨あがる』
・とても好きで7回ほど観たのがジュリアン・デュヴィビエの『白き処女地』
●映画を観るにも体力がいるという話の流れの中で大西氏の
(そして収録されている座談の)最後の言葉(全文引用)
「『病は気から』というでしょう。大切なのはやっぱり気持ちだと
思いますね。よくお医者さんが病人を前に『本人に生きる気持ちが
なければ治らない』というようなことを言う。それと同じで『何が
あろうと生きていくぞ。負けはしないぞ』という気持ち。
たとえば、相撲で寄り切られそうになったとき、土俵際で『もうだめ。
これはあかんわ』と思うと負ける。しかし『どうしても勝つんだ』
と思うと勝つと思うんです。そうは気持ちで思っていても、最近
眠たくなったりすることを考えると、気持ちが少し衰えているのかなという気もしますが。(笑)
以上、座談の中から大西氏の発言に絞ってまとめてみました。
レスが遅れたことをおわびします。
座談会は、2000年5月18日に行われ、
『季刊・本とコンピュータ』2000年夏号に掲載されました。
(
>>215さん、そう、それと同じもののようです。)