こほん♪
539 :
吾輩は名無しである:2007/11/19(月) 15:04:24
保守
やあ (´・ω・`)
ようこそ、隠れ家的お店へ。
このマイナスイオンをたっぷり利かせたレディースプランはロハスだから、まず思い切って残業して欲しい。
うん、「専用コスメ」なんだ。済まない。
頑張った自分へのご褒美って言うしね、パスタでプチセレブ気分が楽しめるとも思っていない。
でも、この高級コスメを見たとき、君は、きっと言葉で表せない「等身大の自分」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした日本で、そういう自分らしさを演出する気持ちを忘れないで欲しい、そう思って
このスイーツな記事を掲載したんだ
じゃあ、愛され系のアメニティライフを送ってもらおうか
541 :
吾輩は名無しである:2007/12/08(土) 05:08:07
ソフォクレスは読んだことあるから
アイスキュロスとエウリピデス、これから読むぞ
「七将」と「ヒポ〜」ね
542 :
吾輩は名無しである:2007/12/08(土) 23:55:00
「テーバイ攻めの七将」が好きって言う人は
魅力を教えろや
543 :
(o^v^o) :2007/12/09(日) 00:18:00
3人でちんぽ舐めあいながら地下足袋だけになり持って来たいちぢく浣腸を3本ずつ入れあった。
しばらくしたら、けつの穴がひくひくして来るし、糞が出口を求めて腹の中でぐるぐるしている。
おっさんにけつの穴をなめさせながら、兄ちゃんのけつの穴を舐めてたら、
先に兄ちゃんがわしの口に糞をドバーっと出して来た。
それと同時におっさんもわしも糞を出したんや。もう顔中、糞まみれや、
3人で出した糞を手で掬いながらお互いの体にぬりあったり、
糞まみれのちんぽを舐めあって小便で浣腸したりした。ああ〜〜たまらねえぜ。
しばらくやりまくってから又浣腸をしあうともう気が狂う程気持ちええんじゃ。
377 :吾輩は名無しである:2007/12/09(日) 11:13:47
アイスキュロスと「鎖に縛られたプロメテウス」
シェリーの「鎖を解かれたプロメテウス」
両方呼んだやつ、いる?
七将、プロットは面白いけど、読むとつまんねーよ
546 :
吾輩は名無しである:2007/12/21(金) 14:14:34
ストローフ、アンティストローフ・エポード
とはどのような歌唱法ですか?
ネット上でもあまり書いてない
547 :
吾輩は名無しである:2007/12/21(金) 20:29:38
当時の人たちはギリシャ悲劇見て号泣してたの?
548 :
吾輩は名無しである:2007/12/22(土) 12:51:09
泣けました!とかギリシャ人が映画の宣伝みたいに言ってたらワロスwww
>>544 古代ギリシャ文学のテーマは神。
全知全能の神に対する人間のコンプが文学となって表現されている。
神へのコンプをどう表現するか?というのは政治問題でもある。
コンプをどう克服するか?という政治課題と直結するからだ。
アイスキュロスが表現する神へのコンプは激烈であり、
そこで描かれる神は峻厳そのもで人を寄せ付けない。
しかし時間の経過は人間に知識を持たせ、人間と全知全能の神との距離を縮める。
中には神と癒着して不正を働く神官や政治家が現れようになる。
人間と全知全能の神との距離は限りなく縮まるかもれないが、
本質的に同じになることはない。
アイスキュロスが描く峻厳な神はその本質的な差異を人間に自覚させる。
神官や政治家の不正を戒めることは軍人アイスキュロスの矜持だった。
神と人を剣で断ち切ったのがアイスキュロスなら
それを針と糸で縫合しようとしたのがシェリーである。
滑稽なのはそれを戯画や喜劇でなく本気でしようとしたことだ。
シェリーも神と人との距離を自覚していた。
それが限りなく縮まっていくことに戸惑いも感じていた。
しかし持ち出した道具が剣でなく針と糸だったことは
アイスキュロスに気を配りながらも所詮は日和見近代人であるということを
さらけ出す結果になってしまった。
古代ギリシア文学のテーマが神って…
違うのか?
当時の演劇は今のような演劇形態ではなく、複数の演者による朗読劇だったってのは本当ですか?
合唱隊というのがいて
主要登場人物を演じる俳優がいて
>>551 うん、違う
そもそも古代ギリシアの神々は全智全能じゃないし
神が全知全能なのは一神教の場合であって別に全知全能でなくてもいいのでは?
556 :
吾輩は名無しである:2007/12/25(火) 13:56:25
409 :吾輩は名無しである:2007/12/25(火) 13:55:08
手元にある岩波文庫の古典劇の解説を見て気づいたこと。
三大悲劇詩人の解説文の中に、彼らの作品に言及して「戯曲」という言葉が
使われたことはほとんど無い。
いっぽう、近世劇(シェイクスピアとモリエール)の解説文には
戯曲という言葉が使われてる。
アリストテレスの『詩学』やニーチェの『悲劇の誕生』においても
三大悲劇詩人の作品に「戯曲」という呼称が使用されたことは
まだ、チェックしてないけど
記憶としては無かったように思う。
もし、あったら、憶えてるはずだからな。
以上の話を総合すると
シェイクスピア以降の劇文学を「戯曲」と呼び
それ以前は、呼ばないほうが正確ということにならないだろうか?
神は万能ではあるが全知ではないのがギリシャの神々
逆に考えるんだ。
全智全能の神とは人間の無知を表したものなのだ。
人間は知識を得るとき自分の無知を自覚するのだ。
知識は神の所有物で人間はそれをレンタルするだけなのだ。
しかし「神は全智全能じゃないよね?」とか言ってレンタル料を
踏み倒す香具師が出てき神が貧乏になってしまった。
それを喜劇で風刺したのがアリストファネスの福の神だ。
神は言葉とともにありきというのは
人間が新しい知識を持つたび言葉が増えることに対応する。
神が人間に知識をレンタルするという契約文書が言葉なのだ。
カオス、ガイア、エロス、ウラノス、クロノス、アフロディーテ、
みな知識賃貸借契約を表す言葉なのだ。
その契約を一方的に破棄して「神は全智全能じゃないよね?」とか
言ってレンタル料を踏み倒す香具師が出てき神が貧乏になった。
それを喜劇で風刺したのがアリストファネスの福の神だった。
♪4ヶ月と21日ぶりのage(あげ)♪
563 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 09:25:25
神々の話は、結局かつてあった人間たちのいつの時代も繰り返される物語のパターン、
そのメタファーというまさに文学(モデム)に過ぎない。
ギリシア悲劇が今の時代にあっても我々に伝えてくるものとは、他人の不幸は蜜の味
というエッセンスだろう。
564 :
吾輩は名無しである:2008/05/17(土) 00:03:13
ふふふ。
565 :
吾輩は名無しである:2008/05/17(土) 00:24:52
テキーラ♪
566 :
黒崎恵:2008/05/20(火) 19:56:22
「英雄」についての話が出ないのはなぜ
570 :
吾輩は名無しである:2008/10/04(土) 06:11:18
ギリシャ悲劇を下敷きにして小説書いたら、ある程度はまともな作品になる気がする。
572 :
吾輩は名無しである:2008/12/05(金) 22:12:49
はあ、名前覚えるのめんどくせ
573 :
無名草子さん:2008/12/09(火) 14:36:54
古代ギリシア悲劇で男色がテーマないしモチーフになっている傑作って何ですか?
575 :
吾輩は名無しである:2009/01/04(日) 05:26:38
福田訳は英訳からの重訳でしょ
たしかあとがきか何かで既存の訳もそうだといったふうに書いてた気がする
ギリシア語から訳すということは信じられないんでしょうかねぇ
田中美知太郎とは付き合いがあったでしょうに
>>573 男色というか少年愛なら、むしろ悲劇より喜劇のほうでたくさん使われている。
577 :
吾輩は名無しである:2009/02/19(木) 00:43:54
古すぎるせいかちっとも没入できない
ギリシャ悲劇の時代の合唱ってどんな音楽だったんだろう?
当時はまだ五線譜がないよね。
グレゴリオ聖歌みたいなモノフォニーな感じだったのかな?
ちんどんやの演奏に似てたと予想
良スレだねここ。
584 :
吾輩は名無しである:2010/01/09(土) 11:50:30